時々紹介しているゴラン高原と言うのは、そもそもが67年戦争でイスラエルがシリアから占領した土地で、イスラエルも含めて(尤もイスラエルはドラン高原を併合したが)世界的には、シリアとイスラエルの和平の際には当然シリアに返還されるべき土地と考えられてきました(現にバラク首相の時にはシリアとの交渉で、殆どその返還について合意ができた・・・当時の大げさなマスコミでは、数メートルの差で合意ができなかった、などと報じたものもあった・・・経緯があった)。
しかし、シリア内戦で反政府は、特にヌスラ戦線等が境界線のシリア側を占拠するにいたり、イスラエル側ではこの様な基本的な考え方の見直しが出ているようで、y net news は「イスラエル―シリア戦線の新時代」と題する記事で、今やイスラエルのゴラン高原からの撤退はなくなった、と報じています。
遠い将来のことはともかく、当面の話としてはその通りではないかと思いますが、シリア情勢の中東和平への影響と言う観点から、記事の要点のみ次の通り。

「現実の話として、イスラエルのゴラン高原からの撤退の話と言うのは、これまでで最も遠い話となった。
UNDOFが両国の平和を維持していると言うが、シリアと言う国がなくなってしまったのだ。
過去40年間国連PKOはこの地域の平和の象徴であったが、シリア内戦でその将来もこの土地での平和の可能性も疑問のあるものとなった。
従来、ゴラン高原の返還は、いかなる和平においても中心的な問題とされてきたが、シリアが崩壊するにつれ、その可能性は日に日に小さくなっている。
この国連PKOの没落は多くのイスラエル人にとって、何故ゴラン高原を明け渡してはならないかの象徴となった。
誘拐されたフィジ部隊兵士は釈放されたが、2013年以来国連軍部隊の誘拐は3回目である。いくつかの部隊(自衛隊を含む)は既に撤退し、残りの部隊は大部分にスラエル側に身をちじめ、境界線のパトロールもたまにしか行っていない。
シリアとイスラエルの戦争状態にもかかわらず、ゴラン高原はイスラエルの国境線で最も静かなところで、その現状はイスラエルにとって居心地が良かった。
これまでもその返還の交渉は何度もあったが、その時の大きな議論としては、ゴラン高原の返還はイスラエルの正当性と言う大きな見返りがあり、アサド政権は平和を守る強力なパートナーである、というものだった。
しかし、それは今では昔話に過ぎなくなった。
アサド政権は内戦に脚を救われ、イスラエルはアルカイダ系の組織がゴランに来ることを強く警戒している。
IDFはその配置について多く語らないが、厳重な体制にあり、その一番の表れが6mの高さの境界のフェンスである。
この新しい状況で一番困惑しているのが、10万人に上るドゥルーズで、他の地域のドゥルーズと違って、彼らはシリア国籍を保持することを選択したが、同時にイスラエルの良い住民として生活してきた。
彼らの指導者の一人は、彼らはシリアの反政府派を支持しているが、同時に過激派を嫌っている。現在はゴラン高原がイスラエル領なので、イスラエルに暮らすのが最も望ましいが、シリアが民府政府となれば、シリア人として暮らすのも良いかと考えている」
http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4572449,00.html