中東の窓

長年、日本の外交官として中東に深く関与。中東から見た国際関係を日々発信するブログ。

ナハダ

ムスリム同胞団弾圧(若干の感慨 補足)

先日エジプトのムスリム同胞団に対する弾圧に関し、若干の感慨を書いておきましたが、そういえば同じように穏健イスラム勢力と喧伝されたチュニジアのナハダとの比較を書くのを忘れていました。

チュニジアのナハダ中心の政権もエジプト同様に、世俗派から大きな反発を受け、その政治は必ずしも順調ではありませんが、少なくとも近い将来軍のクーデターで倒されることは考えられません。
それにはおそらく3の要因があるのではないかと考えていますが、最大の要因はチュニジアの軍とエジプトの軍の性格の違いです。

中東戦争を4回も戦い、その他消耗戦争等多くの対外戦争を戦ったエジプト軍と違い、チュニジア軍は対外戦争はしていませんが、その性格は純粋に国防の職務に専念し、国内政治に巻き込まれた(もしくは自ら入り込んだ)歴史はありません。要するに純粋にプロの国防軍です。
これに対して、エジプト軍は何しろ1952年のナセル革命以来、常に政権の中心にあり、エジプトの政治を最終的に決定するとともに、エジプト社会の各方面にその影響力を広げ、膨大な利権集団ともなってきました。大きな権力を有する地方の知事(特に重要な県の知事)はじめ多くの中央、地方の要職を占めるとともに、広範囲な産業(軍事産業のみならず重工業等の重要産業を含む)への関与(支配)を通じて、経済面でも膨大な利権を有してきました。
その軍は先にも書いた通り、ナセル時代の始めからムスリム同胞団と激しく対立し、これを厳しく弾圧してきました。

今回のクーデターの背景として、軍にどのような計算があったのかは不明ですが、自らの利害に全く関係なく、国民の大部分の要求にこたえて、「身を殺してでも国家を救うため」だけに出てきたと考えるのは、余りにナイーブというものでしょう。

勿論世俗主義の組織であった軍にとって、同胞団のイデオロギー、政治というものがこれまで自分たちが守ってきたエジプトという国家の基本理念に違反するという思いがあったことも事実とは思います。

次に大きな要因は、チュニジアの場合曲がりなりにも世俗主義政党を含めた3党の連立政権であるのに対して、エジプトは、特に議会の解散後は、同胞団の単独政治となってしまい、余りに同胞団の支配というのが突出し、同胞団に専らその利害を追及することを許してしまった反面、連立政権の有する安全弁というか、ブレーキがない状態に陥ってしまったことではないかと思います。

その最も代表的な例は、同じイスラム主義政党のサラフィ主義をも、クーデター支持側に追いやってしまったことだろうと思います。エジプトのように軍部、司法界、都市エリート青年層の間等で、世俗主義が強く、特に同胞団流の貧困層を主たる支持層にする潮流に対する反感が強いところで、サラフィストも含めて、同盟者、同調者を失ったことが第2の主要な理由だろうと思います。

おそらくはチュニジアの選挙に比して、エジプトの議会選挙、大統領選挙が世俗主義勢力と連立を組む必要もない、一方的な勝利をもたらしたことが、現実の政治ではかえって、その陥穽になったのではないかという気がします。
世俗主義政党との連立政権であれば、同胞団ももう少しやりたいこともやらす、慎重な政治運営をしたのではないかと思わされます。

3つめはこのサラフィ主義に関係しますが、チュニジアの場合、サラフィ主義者の中の強硬派がテロに走り、現在でもまだ西部の山岳地帯で頑張っていることが示すように、ナハダ党とは別に、無関係に強硬なテロを志向するイスラム過激派がいるということが、逆説的にナハダ党を守ってきたような気がします。

要するに、ナハダ政府が過激派に対する取り締まりに手ぬるいという批判はあっても、一部の者を除いてはナハダ党=テロ組織と単純化することは、余りに虚偽の宣伝であるという健全な意識を国民に与えているのではないでしょうか?
その点、エジプトの場合武装テロリストのイスラム主義者としてはシナイ半島の過激派くらいしかなく、クーデター勢力に同胞団=テロ組織という宣伝材料を与えることになったのではないでしょうか?
 何しろ、ムバラク大統領に対する革命運動、その後のムルシー政権を通じて、同胞団がチュニジアの過激派サラフィストのように爆弾、銃撃事件等のテロを行ったという具体的な証拠は出てきていないと思います。

以上日曜日ということもあり、暇に任せて誰も読まない感慨の補足など書いてみましたが、もしかしたら最大の要因は軍のクーデターが必要とされるエジプト社会と異なり、労働総同盟が反ナハダ運動で重要な役割を果たしているチュニジアの方が、はるかに成熟した国家ということかもしれません。

ナハダ党首のトルコ訪問(トルコ式穏健イスラム民主主義提唱)

チュニジアではこれまで非合法化されていたイスラム運動ナハダの今後の動静が注目されていますが、その党首で英国の亡命から帰国した ghannnushi はトルコの元首相エルバカン(イスラム主義政党の党首として1996年初の首相になったが、翌97年軍部の圧力で辞任。現在のトルコ政府はその系統)の葬儀に出席のためイスタンブールを訪れていました。

3日付の hurriyet net は同氏が2日市内で記者会見をして、トルコの穏健イスラム民主主義はアラブ人にとって重要な手本であり、その経験に刺激を受けていると語ったと報じています。

同氏は、イスラムと民主主義、経済近代化と言うトルコの経験はアラブが採用すべき手本であるとして、イスラム化の道はハッサンアルバンナ(注:ムスリム同胞団の創始者)と sayid al qotb (注:ムスリム同胞団の過激な思想家で処刑された)だけではないと強調したとのことで、また選挙には当然参加するが、選挙前の政府への参加もあり得ると述べたとのことです。

記事は以上ですが、ghannushi の発言は基本的にはこれまでも彼がが主張して来たところと同じで、これが彼及びその運動の本音であれば、チュニジアの今後にとっては極めて好ましい傾向と言えるのではないでしょうか?

http://www.hurriyetdailynews.com/n.php?n=tunisian-islamist-leader-embraces-turkey-praises-erbakan-2011-03-03

ナハダの公式承認要請

ナハダの党首ghannnushiは1月31日チュニジアに帰国しましたが、2日付のal jazeerah netは、同党の書記長が内務省を訪れ、政党として公式に承認し、長年続いた活動禁止令を解除するように要請したと報じています。

同党の報道官は可及的速やかに要請が認められ、公式に政党として承認されることを期待しているが、その後数カ月以内に大会を開いてナハダ等の新しい指導部を選出する予定であると語ったとのことです。

なお同紙は帰国したghannnushiは党の指導権をより若い層に譲ると表明しており、いずれにしても同党は次の大統領選挙には出ないと語ったとも報じています。

同紙はまた、ナハダ党はベンアリの下で長いこと弾圧されてきたが、3万人の党員、シンパが投獄され、拷問に会い、殺されたものも少なく無く、指導部は国外に亡命していたとつけ加えています。また現在の暫定政府は一般的な恩赦を行うと表明しており、終身刑を受けているghannnushi を含めナハダの幹部もその罪が削除されるものと見られるとしています。

そろそろチュニジアでもポストベンアリの本格的政治が始まる季節かもしれません。

http://www.aljazeera.net/NR/exeres/B431B9DE-6A64-4DE8-95DA-3CD5F1C8695B.htm?GoogleStatID=9
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