「信なくば立たず!」ピープルネット

ピープルは「人々・人民」の直訳です。大衆の視点から訴えるブログがモットーです。                                     「わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、善を呼んで悪といい、暗きを光とし、光を暗しとし、苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。」(イザヤ書5章20節) 賀川豊彦                                                                                                                                                                                                                                                                     

 蓮舫代表が野田元首相を幹事長にしたとき、「意外としたたか人事やな」と思ったけど党内が収まらないようだ。中曽根内閣時の後藤田正晴型の番頭役としての活動を意識したものかと思ったが、単に蓮舫氏が党内での人脈や人望の欠如から生じた人事であることが判ってきた。
 彼女の名誉のためにこれまで言わなかったが、ハッキリ言うと民進党内部で人望のある人とは言えない。彼女を嫌っている議員は相当多い。国民的人気と党内人望のギャップが激しい人なのである。あの慇懃無礼な態度を快く思わない人が党内には多いのだ。しかし、ここは蓮舫人気に頼るのはやむなしという理由で多くが支持に回ったのだ。「土井旋風」蓮舫版を期待した人も多かったはずだ。
 まあ、ここはお手並み拝見だろう。中曽根氏も「田中曽根内閣」と言われながら、巧みな人事で成功を収めた。だが、第一次安倍内閣のように「お友達人事」という批判もある。結果次第である。
 
 

 民進党代表選挙で蓮舫氏が当選した。彼女は国民的人気も高いし発信力もあるから、期待したいところもあるが、民進党の位置づけに関して「大きなど真ん中」などと曖昧なことを言っている。中道政党なら中道政党とハッキリされたい。また、「対案路線」に踏み切るなら共産党や社民・生活とも大胆に政策論議を行ってほしい。その上で選挙共闘も成果をあげようというものだ。
 前原氏は「我々が目指すところは社会民主主義」という。玉木氏「保守リベラル」で蓮舫氏は「バリバリの保守」だがどれもあやふやな印象だ。理論・思想は政党の柱である。柱が脆い建物は大きくてもガタガタになってしまう。共産党がいくら議席を減らしても高い組織力があるのは柱がシッカリしているからだ。

 「フィリピンのトランプ」と言われるドゥテルテ大統領の麻薬犯殺害キャンペーンが国連で問題になっているが、意に介する様子がない。彼は下手をすると自分の身に危険が及ぶことをわかっているのだろうか? 欧米をはじめ国連加盟国が強引な取り締まりに反対するのは単に人権上の観点からではない。麻薬利権で資金を得ている政治家が欧米には多数存在するからだ。そういう連中はマフィアとも関連が深い。
 山口組からアメリカは麻薬利権を取り上げようとしているが、別に正義のためではない。アメリカで麻薬利権を独占したからだ。裏社会のヒットマンはドゥテルテ大統領のクビを狙っているはずだ。そのまた裏には首脳クラス欧米政治家が関与していたりするかもしれない。
 しかし、「国連を脱退しよう。国連が戦争を収めたのか」という主張はビートたけしが昔言っていたもので、こういう発言が支持を集めるのだろう。しかし、極めて危ない橋を渡っているのは間違いない。

 東京の友人には余り知られていないが、昔は熱烈な野球ファン(西武ライオンズ)だった。関西在住ながら強力な「アンチ阪神」(これは今でも変わらない)をポリシーにしていた。
 FAなどで西武の有力選手が離脱したころから野球に興ざめしたのだけれど、3年前に友達と野球観戦に行ったら昔のプロ野球知識の詳しさに驚愕され、尊敬された。その友人とは近々「また野球行こう」と言っているが、中々実現しない。自分からアクションが必要かな?
 今更西武ファンでもないし、かといって阪神は未だに嫌いだ。広島カープはどうか? と思った次第である。広島には親しい先輩が住んでいるし、広島の居酒屋さんなどに行くと広島グッズが沢山あった。阪神グッズが多い関西の居酒屋さんに似ているが、広島はカープ1球団しかないため阪神とは違う土着性を感じた(阪神ファンの熱狂性は未だに嫌いである)。カープ女子ならぬカープ男子も悪くないか。

 久々に広島カープが優勝した。最近は「カープ女子」ばやりもありすごく話題になっている。だけど、クライマックスシリーズを勝ち抜かなければ日本シリーズはパアになる。実に馬鹿馬鹿しいと思う。
 優勝したのに、2位や3位のチームに日本一の座を譲り渡すかもしれないなんて馬鹿らしい。リーグ優勝が日本シリーズへのパスポートでないと思うと優勝とはしゃいでも白けるではないか。
 かつてプレーオフはパリーグだけでやっていた。あんなものはセ・パどちらかだけでやれば良いのだ。でもそうでもしないと昔みたいに野球ファンが寄ってこないんだろうね。無理やり見せ場を作ってる感じだ。

 『沿線格差』によると中央沿線は総じてミドル階級が多く、朝日新聞の購読者が多いという。朝日新聞を読むことがステータスのように思っている人が今時いること自体笑ってしまうが、まあ東京に住んでからそれは肌で感じる。
 というのは、関西ではあまり朝日がリベラルだからとか産経が保守とかいう理由で購読している訳ではないのだ。我が家は長年産経を購読し、自分自身も産経新聞の販売所に勤務していたが、産経の読者というのは「料金は安いし、読みやすいから」という程度のものだった。朝日の拡張員がサービス品でも出そうものならさっさとそっちに鞍替えされたものだ。
 だけど自分のライター仲間なんかを見渡せば判で押したように「購読紙は朝日新聞」と来る。「どいつもこいつも何だ?朝日教か?」と笑っていると、朝日の記者と一緒に仕事をしていたりする(ちなみに僕と親しい記者は朝日への愛社精神が希薄である)。
 それにしても何で未だに朝日がブランドなのかな? 読売でもいーじゃんとか思うのは僕だけかね? だけど、この前の高校生クイズに出場していた慶應女子の生徒が「毎日新聞読んでるになあ」と言ったとき、おそらく朝日に違いないとピンと来た。エリート高校生はまだ朝日を読む習慣が残っているのだ(ちなみにクイズの世界では朝日よりは読売・産経の方がネタがあると言われいた)。朝日を読んでる人って何となくわかるんだ。
 今の僕は日本経済新聞であるが(もう長いね)、一般ニュースの情報が不足してしまうときがある。今日の朝日では加藤紘一氏の訃報を報じると同時に保守について論じている。朝日は所詮「商業左翼」だと僕は思っているが、未だにある程度の層は「朝日を読むのはインテリの証」と思っているようだ(保証しておきますが、別に読売に変更しても何ら生活に変化ありません)。

 小林拓矢さんらが執筆した『沿線格差』読んで思ったけど、首都圏でも交通の便で格差があるくらいだから、地方はもっと深刻だ。「インターネットのお陰で地方との情報格差はなくなる」とか言っていた人がいたが、全然違う。むしろ、高校生クイズにも見られたように都市部の進学校中心に上位進出を決めるのは正に情報格差だ。
 地方ではパソコンやインターネットに詳しい人は都会よりずっと少ないという。「うちの婿に来る人は東大か京大卒の医者でなきゃダメ」と古い考え方を異常に振り回している人がある地方にいたが、情報が遅れている所為で古い考え方を信奉している人がいるという。僕の勘だが、昔はやった天中殺などの占いなどを信奉している人がまだ残っているのではないか? 昔の奇妙な占いブームの信奉者は案外いるものである。それもこれもちゃんとした情報がないからである。
 バブルの頃問題になっていたのは、情報格差による教育環境だった。東名京阪神は塾・予備校などが充実しており、進学などに有利だが、地方は民間教育機関が少ないので不利というものだった。この手の問題は地方を見る限り全く解消されていない。逆にインターネットの普及で都会の人間は、早い時期にネットの情報取得の限界性を悟ったが、地方の人間は「ネットで情報格差がなくなった」という言説を信じているという状況が続いたとも言える。
 

久々に高校生クイズに夢中になったこともあって(なんだかんだ言って慶應女子の子は可愛かった)、またも高校生クイズに関する話をしちゃいます。
 高校生クイズに関する意見を述べているブログを観ていると、高校生クイズが「マニア化路線」に走ったのは2008年頃かららしく、その頃から難問が目立ち始めたようだ。偏差値上位高校のマニア高校生ばかりが残るハズだ。昔の高校生クイズの攻略法は「小中学校の教科書をよく読み直せ。さほど難しい問題は出ない」とスタッフがアドバイスしていた。これは幅広い高校生に活躍してほしいという思いからだろう。だが今は作為的に有名進学校が残るようにして競わせる演出にしている。昔の高校生クイズファンからはかなり不満が漏れている。
 かと言って、参加者である高校生からは「コロコロ形式を変えるのは止めてほしい」という意見が強く、今更昔ながらの高校生クイズに戻すことも難しいという。
 だが、昔の高校生クイズを観てみると北は北海道から南は沖縄の辺境の高校に至るまで平等にチャンスがあることを売りにしていおり、ウルトラクイズと同じく特殊なクイズマニアだけの世界を避けようとしている。
 大体、高校生が超難問をスラスラ答えてもクイズ経験者からすれば、ある程度クイズ界で流行している定番問題を解答していることがすぐにわかってしまうので白けるものだ。同時に「あんな難しい問題答えられない」と一般参加者を遠ざけてしまう。高校生クイズに超難問はいらないのだ。

慶應女子 
昔はこんなタイプのクイズプレイヤーはいなかったなあ

 それにしても昨日の高校生クイズの偏差値通りの決勝戦は今の時代を象徴しているようだった。中でも慶應女子コンビは「可愛くて賢い、人生楽勝」とか言われている。昔のクイズの強豪は必ずしもエリートではなかった。早稲田・慶應、一ツ橋などエリート大学生も多かったが、強かったのは断トツで立命館大学だったし、無名大学や高卒主婦で強い人もいた。
 東大クイズ研究会などは弱くはなかったが5番手、6番手が定位置で「クイズは偏差値じゃない」というのが面白さだった。そもそもクイズに強い連中は学業や仕事をおろそかにする連中が多く、何年も留年したり仕事をそっちのけにしている人が多かった。ただし、高校生プレイヤーはクイズで鍛えた記憶力が受験に役立つことが多かったようだ。別に名門高校が中心ではなかったと記憶している。進学校で高校生クイズで強かったのは、奈良の東大寺学園ぐらいだった。
 何故今は偏差値通りに高校生クイズの強豪が残るかと言うと、灘は勿論、慶應女子などはゆとり時代を経ても学力的な変化はないのではないかという印象だった。慶應女子チームが「新聞毎日読んでるのにな〜」というセリフをこぼした時、それを感じた。高校生にもなれば新聞を普通に読むのが当たり前のように思うかもしれないが、最近ではマスコミ志望の学生でも新聞を読んでいない人が多いのだ(しかも有名大生)。だけど昔からのエリート高校の生徒はきちんと新聞を読む習慣が残っていて、知的劣化していないということだろう。それに対して、底辺高校の生徒は新聞なんてまるで読まないのではないか。昔の高校生はネットがなかったこともあって、どんなレベルの高校生でも新聞やニュースをそれなりにちゃんと見ていた。偏差値上位高と底辺高との差は少なかったのだろう。
 だけど今クイズに興味を持つ高校生はエリート高校生が中心なのだ。20数年前のクイズブームの頃には幅広い高校生や大学生、社会人(失業中の人なんてのもちょくちょくいた)のクイズマニアがいたことを思うと、「格差社会」を感じざるを得ない。
 

 それにしても、高校生クイズの決勝で見せた高校生たちの英会話力はなんだろうか? 英検2級以上のレベルが殆どだろう。おそらく彼の中の少なくない人が海外留学を考えているのだと思われる。東大官僚などを目指している昔ながらのエリートとは違う印象を受けた。
 おそらく、灘・早稲田・慶應クラスの高校生は「東大はじめ、日本の大学はダサい。海外の大学に行こう」と考えているのだろう。ここにも格差が開く原因があるだろう。彼らの親も多分エリートだから、そういう人ほど日本の大学の現状に関する情報が早いだろうから、「海外に行くのも選択肢」と教え込んでいるのだろう。
 一方、「叩き上げ」を目指す中流以下の階級は相変わらず東大を頂点にした学歴志向が頭から抜けない。東大や一ツ橋などの官立大学の教授のレベルが落ちたという情報もないし、そんなことは理解できない。差は開く一方だ。
 これはある地方公務員の知り合いだが、僕が大学教授と酒飲み会の席での話題をすると、
 「大学教授と飲んだりするの? すごい!」
 と驚いていた。別に一般の人でも市民集会などで大学教授と友人関係になることは可能なのだが、未だ「学者は雲の上」と思っている人が多いようだ。医師・弁護士そして自らが学者というエリート系の人々は、海外と日本の大学の差が開く現状を知っている。だから、自分の子供は留学させようとする。中流以下の師弟は下手をすれば定員割れを起こした大学に通うことになる。上と下の差が開くばかりである。田中角栄のような叩き上げの首相がいたというのは本当に遠い昔話になるかもしれない。あるいは、高卒者で代議士や大企業役員になる人がいるという現在の時代も過去の話になるかもしれない。
 おそらく叩き上げが割と簡単に出来たのは僕の世代が最後ではないか。

今年の『高校生クイズ』で故郷の灘高がめでたく初優勝を決めた。今年の高校生クイズの問題は割と良問が多かったように思う。昨年の決勝問題などは、明かに草クイズ界で定番になっていると思われる超難問が多く見るのも嫌になったが、準決勝までは高校生に相応しい基本問題が多かった。とはいえ、最後に灘高が正解した「終わりよければすべてよし」の問題は、最近の草クイズ界の定番問題だろう。あんな問題を軽々と答えられる訳がない。
 だけど、ビックリしたのはニューヨークでの英会話問題。有名高生とは言え最近の高校生のヒアリング能力の高さには驚いた。最近の英語教育は実用英会話にシフトしているのだろう。昔は、「ヒアリングなんて入試にでないから」とか言って、東大生でも片言の英会話も出来ない人がワンサカいた時代を思うと、隔世の感があった。英語を勉強しなおそうと思っていた矢先だけに刺激になった。
 それにしてもアメリカ横断風になっているのはずるいよなあ、と思う。高校生クイズであれだけ出来るんだから、普通のウルトラクイズも復活させる予算あるだろうよ。
 あと気になったのは上位進出校は全て有名進学校だということ。格差社会の反映かと心配になった。昔も決勝クラスには有名進学校も多かったが、高専や工業高校などもあり、レベルにバラつきがあった。ウルトラクイズでも無名大生や高卒者が決勝で東大・早慶クラスの大学生と争うことも多かったが、今は本当に偏差値上位校と底辺校の学力差が凄くあるのかもしれない。
 

 僕はまだ読んでいないのですが、あの小林拓矢さんが執筆参加している『沿線格差 首都圏鉄道路線の知られざる通信簿 (SB新書) 』がベストセラーになっています。
 住んでいる路線や交通の便で学力や経済格差が出来るのは神戸市出身の私にとっては実感する話です。芦屋界隈に灘中・灘高や甲南などの名門があり、経済・学力共に高いのは交通の便と無関係ではありません。塾なども盛んです。僕の住んでいた東灘区では成績ビリの人間でも学年遅れになる人はいませんでしたが、これはレアケースらしい。
 職場も大阪の中心街梅田に25分、神戸三ノ宮に10分でしたから職場環境も良かったのです。
 首都圏や大阪となるとこうはいかない。地域によって当たりはずれは大きいハズ。その一つは交通の便なのです。鉄道マニアの小林さんならではの視点が生きています。


 私は「マルクス・エンゲルスはヘーゲルを越えられなかった」と書いたが、ではヘーゲルを越えた人は誰なのだろう? 社会科学・人文科学・自然科学等々全ての学問を総合化する体系哲学はまだ表れていないと思う。
 これも「マルクスレーニン主義」が20世紀に幅を利かせたことが原因だろう。レーニンはマルクスを絶対化した。スターリンは両者を絶対化し、『唯物論と経験批判論』を「哲学のレーニン的段階」などと賞賛したことから哲学の停滞が始まったと言える。
 ソ連崩壊後、「マルクスレーニン主義」なる単一思想が批判されたことで、哲学界は大混乱に陥ったと言える。何も「マルクスレーニン主義」を賞賛していたのは左翼陣営のみではない。ある時期まで保守派も一目置いていたからだ。保守思想の大家である安岡正篤氏も若き日はマルクス・レーニンを読み漁ったという話は有名だ。
 「マルクスレーニン主義は唯一志向のイデオロギー」などと左翼陣営は奢ったため、現在のリベラル左派の恐るべき理論的組織的後退を齎したのである。結果として、軽薄な「ネット右翼」が幅を利かせているが、それらを論駁する術を持ち合わせていない。彼らを論駁するにはエドモンドバークや安岡氏などの「保守本流思想」をぶつけてやるのが一番効果的だが、それがわからない。右も左も軽薄化した思想になったのが現状である。
 ああ、弁証法はヘーゲルで停滞するのか!?

 中核派(中央派)の若手同盟員の洞口朋子さんが、めちゃ可愛いので話題になっている。テレビのインタビューで、
 「革命のために人を殺すか?」
 と聞かれても、
 「うーん、そうですね。殺るか殺られるかだと思うんですよ」
 と言ってるけど可愛い。かつての中核派のように、
 「機動隊、革マル殲滅!」
 とかいう恐怖感がない。可愛いのである。「革マルを殲滅して来い」とか言われれても彼女に出来やしないよ。
 マルクスもレーニンもほとんど読んでないんだろうな。精々、『共産党宣言』と『国家と革命』ぐらいで『資本論』は挫折しただろう。そういうところが可愛いのである。だけど、デモは一所懸命やる。これまた可愛い。
 そこら中にアイドルが溢れてるから、中核派もアイドルで売る時代なんて・・・。

洞口さん

 今 『ソフィーの世界』を読んでいるのだけど、ルターは紹介されるもカルヴァンが紹介されていないことに違和感を感じた。だが、マルクスの紹介となると意外と公正に書かれていた。レーニンははしょられている。哲学者と見なされなかったのだろう。
 ところで、労働者を神聖化する考えはカルヴァン主義の影響ではないかと思った。現にカルヴァン派の家庭で生まれ育ったエンゲルスは『イギリスにおける労働者階級の状態』をまだマルクスと交流する前に残している。マルクスは生涯この書籍を評価していた。
 職業は天から与えられたものであり尊いという考えが、エンゲルスが労働者階級の劣悪な待遇に眼を向けることになったのだと思われる。
 『ソフィーの世界』は自体は良書だが、個人的に「おいおいそこを飛ばすなよ」という突っ込みを入れたくなった。だけど純真な15歳の女の子の哲学的思惟を物語にした『ソフィーの世界』は一読の価値があります。


 レイアウトを変更しました。ゲバラの肖像に代わって私がもっとも尊敬する宗教家(牧師)兼政治家であり、日本社会党結党や協同組合運動の功労者である賀川豊彦先生の肖像を掲げました。
 賀川先生が偉大なのは、左翼革新系の政治家はほぼ全て、保守系政治家にも三木武夫、二階堂進、大平正芳、鈴木善幸・・・と錚々たる大物政治家たちに影響を与えたということです。しかし、今や政界では旧社会党ローカル的な存在感であり、宗教界ではキリスト教会でも知る人は少なくなってしまいました。賀川先生が創業した「コープ神戸」発祥の地だる神戸でも若い人は知りません。
 ある旧日本社会党員は、
 「天皇陛下万歳なんて左右統一大会でやるから・・・」
 なんて批判をしていましたが、そうやって賀川先生の功績を矮小化してはならないと考えます。彼は共産党や新左翼からも尊敬された左翼運動のカリスマでした。キリスト教社会主義という左翼内では傍流と言える潮流ながら、労働運動や農民運動、市民運動の発展にも寄与し、その功績を賞賛された人です。リベラル派の政治家はもっと賀川先生から学ぶべきです。
 イザヤ書からの引用した聖句は、私を執拗にインターネットで誹謗中傷しながら居直った人物や、労働者やフランチャイズ加盟店を搾取しながら、のし上がったブラック企業経営者などに向けれられた言葉です。彼らには裁きがいずれまもなく下るでしょう。

賀川豊彦

「マルクス、マルクスってみんないつまでマルクスやってるの? マルクスを神様にするな!」
 と昔、ある集会で向坂逸郎(社会党左派のイデオローグ)の右腕だった老闘志が言っていたが、私も最近ようやくその気分がわかる次第である。この発言は確か15年前に聞いたと記憶しているが、当時はソ連が崩壊して10年目、左翼系の連中は「ソ連崩壊はスターリン主義の誤りでマルクス主義が否定されるものではない」と言って躍起になっていた。また、マルクスの再評価も進んでいた時期だった。
 しかし、もうマルクス・エンゲルスを神聖化する時代ではないだろう。と言うよりは、それしか知らないのでは余りにも視野が狭い。私が幾度も紹介しているようにローレンツ・フォン・シュタインのような優れた社会主義者が当時のヨーロッパには沢山いたのだ。マルクスは社会主義の元祖でも何でもない。一人の社会主義思想家として第1インタナショナルや『資本論』などの業績をあげたというだけだ。革命指導者としても成功していない。
 それなのに下記のような本が出ており、そこそこ人気のようだ。こりゃマルクスビジネスやな。俺もやってみようかな(真面目な活動家や学者から怒られそうですが)。



 それにしても「保守」ってなんだろうか? 政治的には「改憲派」で外交・安全保障に関して国防軍を持つべきという持論の人らしいが、全然イデオロギーと関係ない。マルクスもエンゲルスもレーニンも軍隊を否定したことなんかない。侵略のための軍隊(帝国軍)は否定したが。
 大ざっぱに言うと、資本主義社会における保守とは、財界人などの富裕層や高級官僚などの資本家と言われる特権階級の代弁者であり、左翼とは労働者や農民をはじめ広範囲な大衆の代弁者ということである。憲法擁護・平和主義と言うのは階級や左右を問わず、どちらにも存在しうる。
 保守主義を知らずに「保守」と言う人々。何となく「リベラル」な人。そういう政治家は見ていて不快な気分になるのである。民進党の政策がぶれまくるのはその所為だ。自民党は「大企業優先」と言われながらも、資本主義・保守主義という立場は鮮明だから、結果として政策は派閥が違えどまとまるのだ。

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