「信なくば立たず!」ピープルネット

ゲバラ

 ピープルは「人々・人民」の直訳です。大衆の視点から訴えるブログがモットーです。 「私を導くものは、真実への情熱だけだ。 あらゆる問題について、私はこの点から考える。」(エルネスト・チェ・ゲバラ)

戦後教育の方が画一的?

 鈴木敏文会長と比較するため、松下幸之助、本田宗一郎、井深大、盛田昭夫・・・といった伝説の経営者に関することを調べている。それで気が付いたことだが、こうした経営者に学校優等生タイプが少ないことだ。盛田氏が大阪帝国大学理学部出身でエリートだが、本田宗一郎さんなんか「勉強大嫌い、本も大嫌い。経営事務は藤沢君任せ」なんて言っている。親友だった井深さんも「本田さんと私は社長失格だった」などと言う。
 彼らの企業が今凋落しつつある。ソニーに関する本を読んで気付いたことだが、ソニーが段々大きくなり、80年代あたりから就職人気企業になると学校優等生タイプの社員が増加してくることだ。「ソニーは出る杭は伸ばす」と言っても、そもそも出ない杭が増えて来るのだからどうしようもない。事実、学歴無用と言っても大企業には有名大卒業生が集まる。東大出身者には元々官僚志望だったという人も少なくない。こうなると、企業は官僚化していく・・・。
 しかし、吉田茂などは東大法学部出身だが、「ワンマン宰相」と言われる辣腕をふるい、角栄を見出した。いい子ちゃんのエリート官僚のイメージではない。これはなんだろうか? と思った。
 ある左翼系新聞の創刊者が、戦前の教育について「戦前は皇国史観とか変なところもあったけど、良い面もあった。例えば数学や物理の授業は、どうして科学は発展するのかという歴史について教えられて面白かったよ」と述べていた。数学者の遠山啓氏も同じようなことを言っている。財界人とか保守派とかリベラルとか無関係に戦前の教育の長所を言う人はいる。共産党の不破氏も旧制一高を評価している。
 確かに戦時中は右傾化したが、戦前の教育の方が自立的な思考を出来る人が多かったのではないか。戦後民主化され日教組が主導権を握った(?)筈の戦後教育世代の経営者や政治家になると、どんどん個性が薄れてくるのだ。それも受験戦争が激化する60年代以降に中学・高校生活を送った人にそれが顕著だ。鈴木会長は新制中学・高校、つまり6・3・3・4制の第一世代である。セブン−イレブンの社風の画一制と無関係ではないだろう。
 受験戦争を批判したのは、本田氏や井深氏のような財界人や、あるいは戦前入学派の学者たちだった。梅原猛教授などが典型で京大文学部哲学科に入学した時は、法学部ではないから無試験同様で入れた。その代り、本当に学問意欲に燃えている学生が多かったいう。しかも、教授陣には西田幾多郎など世界に名だたる大物学者が健在だった。
 それが、受験戦争の激化と共に、「取り敢えず入れる大学」に学生は入学してくる。東大理三(医学部)には、単に成績が良いからという理由で入学し、バブルの頃は医学部を卒業するというのに外資系金融機関の就職説明会に押しかけたという。就活の要領を心得た学生は受験をクリアするみたいに、そうした大企業に入社していった。
 最近は少子化と大学の定員割ればかりが問題になり、受験戦争の弊害は忘れられているが、ここに来て受験戦争世代が各界の指導者になることによって、質が低下しているのではないか。特に学問、東大アカデミズムは酷い。「学生一流、教授三流」はかつて早稲田に言われたが、今や東大のためにあるような言葉になった。個人的には東大教授には親しく、尊敬している方もいるので、悪口は言いにくいのだが、事実なのだから仕方がない。
 それでも救いなのはやはり、東大の学生は時代を読む力があるのか、「もう東大ブランドだけで通用する時代ではない」と感じ、成長中のベンチャー企業に入社するなど創意工夫をしていることだ。
 話を戻すと、戦後教育は進めば進むほど画一的な人間ばかりが量産された。中退ではあるが東大出身でホリエモンみたいな人物が表れたのは、奇跡に近いものがある。彼の感性は松下さん本田さんに近いものなのだ。特に逮捕されるまで、「本は殆ど読まない」というのは本田さんに近いし、「小さい頃はファミコンをはじめ、あらゆるゲームに夢中になった」というエピソードは戦前、20円(当時の大卒初任給は50円)もの小遣いを叩いて小学生の頃からレコードを買い集めた盛田さんと相通じる。
 
 政治の世界を見ていても東大官僚が出世する時代は終わっている。民進党の岡田克也さんは例外的だ。首相に近かった町村氏は死去した。岡田さんも町村さんも、ここ一番という勝負どころに弱い。大先輩の東大官僚出身である吉田茂や佐藤栄作とは大違いだ。後、東大ではなく京大だが、池田勇人のような大蔵官僚次官などもう期待すべくもないだろう。
 右は政策は優等生官僚に頼り、小林よしのりや2ちゃんねるや産経新聞で「保守主義」を勉強している政治家、左を向けばマルクスもレーニンもロクに読んだことだがなく、『赤旗』と『朝日新聞』を読んで事足れりとするリベラル革新系の政治家。公明党・創価学会員はまともに日蓮の勉強などしていない。
 教科書や参考書を丸暗記したらそれで良いという発想からまるで抜け出していない。
 こんな日本に誰がした? と思うが難しい問題なのだ。アメリカの陰謀とは言えないし、受験戦争は高度成長などに伴いホワイトカラー労働者の需要が急増したことで起こった出来事だし、謎である。
 
 

海外に逃亡する学生

 バブルの頃、授業料・学費に本当の意味で苦労した人はいなかったと思う。国公立大学の学費も跳ねあがった時代だが、普通のサラリーマン家庭なら大学費用は難なく支払えたと思う。おまけに新聞奨学生などの待遇も良かった。家が裕福なのに新聞奨学生をやって「苦労人」を演じている奴も多かった。本当に貧困から新聞奨学生をやっていた人はいたのだろうか?
 
 それが今や違う。サラリーマン家庭にとって、私立などの学費は安くない。おまけに新聞の部数も減り、新聞奨学生の待遇は劣悪だ。新聞配達でなくともブラックバイトがはびこり、学生が自力で卒業するのは困難なのだ。
 私の友人にも私大に通って卒業した時、奨学金を試算したら1000万円にもなっていた。今の時代となっては最早「学生残酷物語」である。知り合いの新聞販売店にも奨学生を終えたものの、良い就職先がなく(昔は新聞奨学生は嫌でも良い就職先があった)、精神的に滅入ったと思われる人の話を聴いた。
 アメリカなどは奨学金が充実している大学がかなりある。おそらくこれからは、元々勉強が出来る人が留学するのではなくて、日本の大学は高いからという理由で英語を猛勉強して海外留学する人がこれから出るだろう。
 日本教育機関は劣化していくのだ。だけど、海外で学んだ人々が将来改革に乗り出すだろう。日本の高等教育機関は遅れていたのだ、と。

「スタンフォード大に三人の息子を合格させた 50の教育法」を読む

 アグネスチャンさん出した教育本『スタンフォード大に三人の息子を合格させた 50の教育法 』をオムニセブンで購入して読んだ(笑)。読んでみて、自分と教育見解が類似しているので驚いた。「先生の偏った教えから守るのは親の役目」とか「体罰はいけない」というのは、僕の持論と同じなので思わず彼女の事務所に電話をかけ、マネージャーに「自分の見解とピッタリや!」と興奮して伝えてしまった(アグネスさんがこれから仕事でアメリカに向かうというのに失礼しました)。
 「東大はもはやすべり止め!」と嫌味なことが、帯に書かれていますが、東大とスタンフォードでは入試問題の傾向が異なるので、内容は殊更東大をはじめ日本の大学を悪く言っている訳ではない。だが、アグネスさんは日本とアメリカ、更に中国の大学事情をよく知っているので日本の大学が遅れているということは、肌身で感じているのではないかと思う。
 
 アグネスさんと僕の見解の違いは「高校生までゲームや漫画は禁止」というもの。もっともに思えるが、実はゲーム好き、漫画好きの人間には勉強も得意な人間が多い。特に受験自体がゲームだから、「ドラクエ」などのRPGが得意な人は受験にも強い傾向があるようだ。漫画というのは読むだけ読めばある時期から、読書好きになるものだ。僕がそうである。死ぬほど漫画を読んだ後は物足りなくなり、活字本を読むようになって今に至るのだ。
 今度、本人と会って色々話をしよう、


リベラル左派は経済政策を練り直せ

 かつて、資本主義に対抗する政策は何だかんだ言って、「ソ連型社会主義」だった。例えば、大企業を国有化すると言った政策を日本共産党などは掲げていた。しかし、ソ連の崩壊で国有化指令経済の限界が判明してしまった。
 しかし、ソ連型経済の全てが捨てたものではないと思うし、資本主義を相変わらず否定するが、代替案が見つからないと言うのでは話にならない。「マルクス経済学の大きな欠陥は財政学がないこと」という説があるが、事実そうだと思う。
 自民党は経済運営政策を長年行って来た。その中には社共からの主張を飲み込んだ政策も多い。何より、現実にソ連や中国と言った社会主義国首脳とも交流し、交易や意見交換を行い、アメリカとは異なる経済運営政策を学んで来た。ソ連型社会主義の欠点も長所も自民党はよく理解しているはずだ。それなのに、左翼系の人々は「スターリン以降の一国社会主義論が間違いだった」とか言う理屈を繰り返すばかり。いい加減にしろ! と言いたくなるのは私だけであろうか?
 民主党政権時代、経済は低迷した。福祉政策を充実させたのは良いが、「子ども手当」など財源を混乱させる政策も多くあった。税収と支出のバランスを取るという当たり前の発想がなかった。
 税収を向上させるためには産業の発展と納税者のモラルが必要だ。当然だが、「税金を支払っても無駄遣いばかりされる」と国民が思えば脱税されるのは当然だ。高度成長時代のような公共工事の乱発ばかりでは、都市部の金持ちはアホらしくて税金を払う気を失くしてしまう。脱税する方が絶対悪とは言えない。脱税者が出るのは政治家や官僚にも責任がある。
 例えば、今問題になっている奨学金や授業料に財源を大幅に充てるなどしたら、誰もが納税意識を持つだろう。そのためには首都の知事たる者が、意味不明な「温泉旅行」に税金を流用したりすることを即刻止めるべきである。政治家のこの手の不祥事が納税意欲を削ぎ、隠し部屋を作ってまで脱税する人が後を絶たないんです。「せっかく、儲けた金をいくら収めても、政治家に遊ばれるんじゃばからしいわい」と誰もが思うに決まってます。
 リベラル左派の長所はその辺はクリーンで来たところだ。私は親しい議員・秘書とも飲み食いは絶対割り勘にしている程だ。だが、クリーンを訴えるだけでも駄目。どういう産業を発展させるとか、所得再配分はどうするのかとか、色々知恵を絞って経済政策を練ってもらいたい。
 例えば、田中角栄は国債をどうしたら売れるかということについて、「妻子に相続する時には無税にする。それなら売れる」という絶妙な案を言ったことがある。経済学の教科書を読むだけではなく、こういうセンスも必要なのだ。

社民党は民進党に合流すべきか

 社民党の吉田忠智党首が「夏の参議院選挙に向けて、民進党への合流も考える」と言いだした。吉田氏としても残念至極だろうが、仕方ないと思う。数年前まで「社民党は民進党に合流せよ」という人に対して「社民党は民主党と共産党のパイプである。失くしてはならない。小さいがリベラル革新勢力のまとめ役なのだ」と言ってきた。
 ところが、今回共産党が「社民化」してしまったことで、社民党の存在理由が一気に損なわれたのである。「野党共闘の接着剤になった」と又吉氏が言っていたが、これで社民党の仕事は終わったと思った。
 社民党がこうなった理由の一つは、民進党とも共産党とも違うイデオロギーを確立できなかったことにあると思う。同じ社会党の流れを汲む新社会党は旧来型の「マルクスレーニン主義」を総括していない。政策面に於いては共産党の二番煎じのような内容になっていた。
 まあ、こうなるのも歴史の流れだ。仕方あるまい。私は「卒マルクス主義」という理論研究をこれから発表していきたいと思う。リベラル・左翼革新勢力はマルクス・エンゲルスを師匠と仰ぐばかりの時代は終わった。もっと視野を広くし、マルクスの評価点・欠点を整理し、他の思想家からも理論摂取し、新しい変革思想を創造することが必要なのだ。


 例えば私はシュムペーターに近いのだ。

菅義偉官房長官は手強い

 地味な印象しかないので、皆どう見ているかわからないけど、菅義偉官房長官は相当手強い相手だ。閣内を彼が取り仕切っているそうだ。安倍首相が「皆、菅野顔色を窺がう」とぼやいているらしいが、こんな力量の官房長官は後藤田正晴以来ではないか。
 だが、菅氏と後藤田氏は明らかに異なるタイプの政治家だ。菅氏は苦労人、叩き上げ。後藤田氏はエリート官僚出身である。菅氏と良くに似たタイプとして連想するのが、鈴木善幸元首相である。鈴木氏は首相時代パッとしなかったが、自民党の総務会時代は「寝技の善幸」と呼ばれる程、各派閥の意見を集約するノウハウに長けていた。
 経歴も菅氏と良く似ている。どちらも東北出身で善幸氏は東京水産講習所(現東京海洋大学)卒業。菅氏は法政大学夜間部出身だ。普通の四年生大学卒の人間には後一歩及ばないという経歴だが、角栄程の底辺もない。中間層の出身だ。
 両者とも人情の機微をわきまえ、人間関係を調整するという苦労人独特の知恵や経験を持っている。これは角栄とも共通する。それと、菅氏と善幸氏は「自分は裏方」と公言している人間だ。番頭役は滅法得意なのである。安定した地盤の持ち主の安倍首相とは違って、菅氏の発言を見ていると選挙に敏感だ。東北出身ながら、落下傘で横浜市議から叩き上げた菅氏は選挙にシビアなのだ。善幸氏は地元岩手選出だったが、自他ともに認める選挙上手だった(意外と知られていない)。
 菅氏が官房長官から降りても、党内の重職などにいる限り、安倍政権は手強いと考えていい。私はもしかすると本人も思っていないだろうが、菅氏に総理ポストが回ってくる可能性があると思っている。尤もNO1で力を発揮するタイプではなく、やはり善幸型の首相だろう。安倍内閣の強さは彼にある。
 
 

『資本論』続編は聖書を越える?

 タレントのオリラジ中田さんが「しくじり先生」でマルクスを題材にしていた。「世界で靴を履けない子供がまだいる。『資本論』続編が書ける天才がいたら聖書を越えると思う」と言ってた。彼はどの程度『資本論』を理解しているのか? と疑問に思った。続編的なものとして『剰余価値学説史』があり、そこでマルクスは生産労働での搾取を終えた資本家はサービス労働での搾取に移行すると述べている。スーパー・コンビニ等が氾濫する現在の日本の状態がそうである。
 また宇野弘蔵の『恐慌論』で『資本論」は完成されたという意見もある。それ以外に、マルクス経済学には財政学が欠如しているという指摘もあり、ソ連が崩壊した理由の一つとして考える研究者もいる。
 「靴が履けない子供」を失くすためには、富の再配分が必要なのだが、中々そうはいかない。税金を上げると税金の安い国に逃亡する富裕層が少なからずいる。日本累進課税などが高く、「隠れた社会主義」とまで言われるが、それでも格差や貧困が問題になっているのはご存知の通り。しかし、金持ち側からは「日本は金持ちというのが実感しにくい。だから。富裕層専門施設などがあるシンガポールに移住した」という人もいるのだ。所得の再配分と言うのなら、ピケティなどが述べている通り。
 『資本論』続編という理論経済学書よりは、格差などを解決出来る政治力の持ち主が必要だろう。あるいは、格差をなくすために「物は分かち合う」という道徳的教育が必要かもしれない。しかし、貧困になる人には少なからず怠け者も多いのだ。釜ヶ崎を丹念に取材してきた人には「釜ヶ崎の多くは怠け者」と言いきった人もいる。決してその人は差別主義者では無い人だ。
 かと言って富裕層が勤勉という訳ではない。株や土地などの管理や、節税術に長けている人など、決して働き者ばかりではない。孫正義氏などは24時間働けますかタイプだが、それでもあそこまでの金持ちになるには、相当汚いこともしている。正当に勤勉な人間が金持ちになるのも難しいのである。
 えーとなんだっけ、第一『資本論』と聖書は根本的に違う。『資本論』は経済に特化した本だ。聖書は宗教書であると同時に多様性に富む。政治・軍事・文学・哲学・詩・芸術・科学etcに至るまで幅広い要素を持った本だ。
 比較すること自体が間違えている。


サルでもわかる『資本論』でも書こうかな?

オールコンビニ戦線へ

 野党共闘をシールズなどが仕掛けたと話題になっているけど、実際はコンビニ加盟店ユニオンが元祖だと思っている。何しろ、結成時には連合の労組ながら、民主・社民党は勿論、現在は消滅した国民新党・新党日本、更には共産党最高幹部議員まで、連帯メッセージを寄せてくれたのだ。連合以外のナショナルセンター、全労連、全労協、全商連は勿論、中核派系の「全国労組交流センター」や革マル系のJR労組も支持してくれた。新左翼各派も支持でまとまっていた。個人的に創価学会・公明党員のメンバーもおり、正に昨年の安保法制法案反対運動の雛形と言えるものを作ったのだった。
 前原さんと共産党の小池さんが、北海道補選で肩を並べて応援演説を行ったのが話題になっているが、実はこの両者はコンビニ加盟店ユニオン結成時にも連帯メッセージをくれていたから、既に下地は2009年度に出来上がっていたのだ。
 次の選挙は「オールコンビニ」の時だ。加盟店オーナー、店員、OFCやSV・会計担当者などの本部社員を含めたコンビニ労働者の大統一戦線だ。そうすると消費者(お客様)も自然と乗っかってくる。戦いはこれからなのだ。

セブン−イレブンいい気分♪

 鈴木会長退任後、ブログ以外ではセブン記事を雑誌などで書いていない。これは何故かと言うと・・・、まあ、今は説明止めとくか。
 それにしてもセブン−イレブンでコンビニ取材を始めてから随分買い物をした。上等客の一人だろう。(それなのに、「マスコミ関係者はお客様ではない」とか「角田さんはジャーナリストとして話している。お客様としてではない」とか何度も冷たいことを言われた)。
 僕たちの世代は基本的にコンビニ好きである。昔、ローソンで「からあげ君」が販売されたら、一番手で食べた友達は自慢のタネにしていたものだ。最初の就職でも、昼食時はコンビニに同僚とこぞって買い物に行ったものだ。
 弁当の味などは本当に向上したし、髭剃りなどは必ずセブンイレブンでと決めている。一番剃り心地が良いのだ。僕の肌は剃刀負けし易いのが悩みだったが、セブンのクリームと髭剃りを使用してから、剃刀負けは少なくなった。どちらもセブンのPB(プライベートブランド)で大した商品力である。
 僕は客としてはセブンをはじめ、コンビニの大ファンなのだ。それなのに、それなのに・・・。コンビニ本部経営人は分かってくれないんだよなあ。片思いやね。

セブン店舗写真

こらからは労・消同盟の時代

 第三次産業がこれだけ発展した日本で、労働者と言えば旧来型の建築土木作業員や工場労働者など肉体労働者ではなく、事務系や営業系のホワイトカラーサラリーマンやスーパー・デパート・コンビニなどの販売員といったサービス系労働者が主流となっている。
 かつては「労農同盟」と言われたが、その農業もビジネス化が進むなどサービス化が進んでいる。こうなると、労働者の味方とは誰なのか? それはお客様=消費者だ。消費者の多くは、オフィシャルでは労働者階級である。他にも学生・主婦・中小自営業者といった様々な市民大衆が存在する。僅かだが、大企業経営陣もいる。
 勿論、地方では農民漁民も多い。消費者も立場が変われば多くは労働者だ。過労死するほど24時間365日働いて欲しいなどと思っていない。
 「お客様の立場は売り手(労働者)の不都合。お客様は神様、王様。私はレジに立ったことがないから、お客様の気持ちがわかる」などと独裁経営者が言うのなら、消費者が労働者を支援する形態で同盟を結べば良いのである。
 独裁経営者は傲慢にも自分が消費者代表の顔をして、労働者をこき使いまくっている。本物の消費者がそんなことは望んでいないと労働者を後押しすれば良いのだ。消費者団体は何も商品の粗探しばかりが能ではないだろう。
 サービス系労働者の集会には消費者団体も招聘するなどして、連携を進めていけば「神様」である消費者が労働者の見方をするほど心強いものはない。そうすれば独裁経営者の大義名分など成り立たなくなる。
 そもそも独裁者程、「自分は労働者人民の代表」とか「国民の代表者」を強調する者だ。かの独裁経営者は、それを消費者に置き換えたのだ。しかし、如何に消費者と労働者が今や近しい関係にあり、独裁経営者の戯言など粉砕すれば良いのだ。

チェ39歳別れの手紙

 『チェ39歳別れの手紙』をレンタルして観た。実は前作の『チェ28歳の革命』を放映当時、映画館で観たけれど余り面白くなかったので、続編を見る気がしなかった。スピルバーグ監督というから、どうしても『ジュラシックパーク』のような刺激的でワイルドなものを期待してしまう。でもこれは映画館で見るよりDVDでジックリみるタイプだな。
 観てて思ったのはゲバラが追及したのは、侍精神や武士道ではなかったのか、ということ。彼は龍馬に憧れ尊敬していた。花と散ったのは本望だったのかもしれない。事実、「自分の死で一人でも多くの人々が帝国主義に立ち向かうのなら、喜んで死を受け入れよう」と彼は言っている。
 「武士道と言うは死ぬことと見つけたり」という言葉が似つかわしいというか、ジョンレノンの言うように「ゲバラは世界一カッコイイ男さ」とはスバリである。格好良すぎるのだ。 
 哲学的でロマンチスト、理想家。かし今日も崩壊せず存続する盟友カストロと建設したキューバという国の国際政治舞台でのリアリズム! 遂先ごろはアメリカ合衆国とも遂に国交を回復し、「無視論」とレッテルを貼られた来た社会主義国ながらローマ法王と正教会総主事との歴史的会談の場を提供した宗教界に於ける多大なる功績!
 ゲバラとは直接関係ないかもしれないが、彼が居たから現在のキューバは国際政治に置いて安定感をもたらす役割を果たしている。そもそも、ゲバラは左右を超越した人間だったのかもしれない。
 ゲバラは侍だったのだ。彼こそが武士だったのだ。



  

不良と優等生の混在した少年時代から現在

 それにしても、最近の子は大人しくなったな、と思う。僕が育った神戸市は山口組もあれば、日本最高クラスの進学校灘高もあれば、「西の学習院」と言われるお坊ちゃん学校甲南大学グループもあった。公立でも神戸高校いなどがある。
 僕は喧嘩自慢だったが、一匹狼タイプで子分はいなかった。ガキ大将タイプのH君というのがいたが、彼は兄が灘高生だった。ネットを検索したら現在はビジネスマンとして活躍しているようだ。僕と親友のO君はヤクザになりかけたが思い止まり、トラック運転手になっている。成績はまあまあで、僕と息が合うので「将来吉本に行け」と先生や友達からよく言われた。実際に高校まで同じ学校だったら彼とコンビで吉本入りしていた可能性はある。
 最終的に神戸市中の中学の番長として鳴らしたK君は、社会科好きだった。田舎の方から転校してきたので、社会科の授業で農業などについての講師を行ったし、僕と勉強会もした。小学校の頃はいつも『社会科自由自在』の参考書を持ち歩いていた。
 S君も中々の喧嘩自慢だったが、報徳学園中学に進学した。灘中受験を挫折し、定時制高校に行った私はどういう訳か、K君と同様に喧嘩が強いと思われ、他校生の番長クラスのヤンキーどもから「番長」というあだ名を頂いた。時効かだから告白するが、連中から「バイク競争をしよう」とせがまれ、止む無く帰り道で行ったことがある。意外と僕はすばしこいので、暴走族系の彼らから「角田は結構速い!」と奇妙な尊敬をされた。
 ところで、絵に描いたような優等生で殆どオール5だったF君はフェイスブックで消息を調べたら、最終学歴が無名大学なっているので驚いた。神戸高校に進学した後、テッキリ、東大・京大クラスの大学に行っているとばかり思っていた。
 実は僕は彼らに多大な心配をかけることをしてしまい、後悔している。本当にいい奴らだったのだ。特にK君は僕を気遣うことをしていたのを後で知ったが、彼は阪神大震災で短い生涯を閉じてしまった。「有難う。俺たち喧嘩もするけど友達やな」って言えなかった。
 思い返すと、「殆どオール5」のF君以外、喧嘩早い連中が多かった。僕はある時期から喧嘩を控えるようになったけど、変に「強い」という印象が後々まで残っていた。小学五年生の時に転校したM君と8年前に知り合いが経営する店で再開したが、「角田は物凄く勉強が出来る」という記憶を話していたそうだ。彼と同じクラスの頃はそれ程、1・2位を争う成績ではなかったはず。算数の計算が公文式のお蔭で異常に早かった所為かもしれないが、他にも公文組はいたので、自分だけが特別だったのではない(ただし算数は日能研でも、クラスの誰もが解けない問題を解くなど、思考力が必要な問題も解いていた。滅多に褒めない先生から褒められたの を記憶している。東大受験数学の焼き直しを解いていたのだ)。
 果たして、同級生の僕のイメージは「喧嘩に強い」のか? 「優等生」なのか? はたまた「熱狂的西武ファン」(これは記憶しているだろう)なのだろうか? まあ、超有名人になって週刊誌が取材してもそんなに恥ずかしくはない。むしろ、客観的に同級生は自分をどう見ていたのか興味がある。
 それにしても不良とも「オール5」の優等生とも机を並べていたものだ。そういや、同じ日能研仲間の優等生Sさん(女の子)は、卒業文集に「ピアノの先生になりたい」と書いていた。彼女がそう願っても、あんな優等生は東大クラスの大学に行ってキャリアウーマンの道を歩まされることになるだろうと子供心にも思っていたが、大阪音楽大学を卒業して、音楽の世界で活躍している。ピアノは勿論、色々極めているようだ。初志貫徹したのは偉いと思っている。おそらく、周囲から「せっかく勉強が出来るんだから、東大・京大に行ってエリート女子を目指せ」とも言われたはず。子供の頃の夢を叶えた訳だ。
 よく考えたら、自分以外にも変わった奴が多い。成績が良くてストレートに一流大学に行ったパターンの人間は一人しか確認出来なかった。それでも僕は特異らしく、中学時代の英語の先生が僕と某代議士と親しいことを知って、「中学以降どんな人生があったん?」と怪訝な声で訊いてきた。神戸っ子は政治意識が希薄だ。灘高クラスの連中でも、官僚になっても政治家を志向する者は少ない(僕の知る限り、鈴木寛氏位だ)。ましてや公立校出身者は政治に縁がない人が多い。だから、神戸市議や神戸選出の兵庫県議には落下傘候補が矢鱈と多い。
 それにしても懐かしい仲間の顔を浮かべると、同窓会を開いてみたいが、個人情報の都合などで開きにくい今日この頃なのだ。
 
 
 
 
 
 
 

日本は社会主義国家なのか

 先日、野口悠紀雄教授にインタビューさせて頂いたのは、既に報告した通り。インタビューで野口教授は、
 「1940年体制はソ連型社会主義、現在の安倍政権もそう」
 と述べておられた。よく一般的に言われることだが、非礼は承知で敢えて野口教授に異を唱えたいと思う。
 岸信介・池田勇人などが、社会主義的な統制経済を目指したのは、彼がケインズ主義者だからではないかと思う。大恐慌を経験したケインズが目指したのは、恐慌の影響を免れたソ連型計画経済からノウハウを盗むことであった。彼は時にはレーニンを賞賛することも辞さなかった(何故かウィキペディアでは、ソ連を訪問したケインズは『社会主義には興味がない』と言ったことになっている)。
 マルクス経済学の理論を取り入れ、資本主義を延命するための処方箋をこしらえた。だから、教科書的には修正資本主義と現在の日本は説明されることが多い。
 私が「日本=社会主義論」を否定するのには、きちんとした根拠がある。マルクス経済学者の大家、宇野弘蔵教授の『恐慌論』が現在再読ブームになっているが、これは宇野理論がバブル崩壊やリーマンショックなのどの原因を作る資本主義独特の体質をしているからだ。例えば、金融機関の過剰融資が異常な好況を生むことや、過剰生産の結果、物が余り消費が鈍っていくことを指摘しているのである。『恐慌論』が執筆されたのは、まだ日本に物不足だった終戦直後である。だが、宇野教授は冷静に日本も資本主義特有の罠から抜け出せないことを指摘していたのだ。『恐慌論』の面白いのは、野口教授の『バブルの経済学』と視点が似ており、過去に起こったバブル事件、所謂「チューリップバブル」や「南海泡沫事件」を取り上げていることである。
 これらのバブル現象を検証して、幾度もバブルが繰り返されることに野口教授は「皮肉にも歴史からは何も学べない」と述懐しているが、宇野教授はこうしたバブル現象(宇野教授はバブルという用語を使っていないが)が、何故起きるのかということの解明に取り組んでいる。
 野口教授に失礼を承知で言うが、バブル現象の見解については宇野教授に軍配が上がるのではないだろうか。好不況の循環を克服できないのは資本主義経済特有の矛盾である。「修正」された資本主義だが、29年型恐慌とはことなる長期不況を引き起こした。日本が確立された社会主義ならこんなことは起こらない。

 というのが大雑把な私の見解だ。それにしても不思議なのが、日本の左翼陣営は何故、「日本=社会主義説」に反論しないのだろうか? 旧社会党も日本共産党もしない。新左翼に至っては「日本帝国主義」を繰り返すばかりで、「日本=資本主義」という経済と言うよりは政治的なレッテル貼りに終始するだけだ。だから理論的発展がないのである。「宇野経済学を批判的に摂取する」と言いながら、何を摂取したのか? と言いたい。

 野口教授とのインタビューでも話題にしたが、高度経済成長政策を「昭和元禄」と批判した福田赳夫氏の見解が、当時の共産党の文献(『日本共産党の50年』か『日本経済への提言』だったかな?)を読むと福田氏の高度経済成長批判と良く似ていることに気付いた。
 岸信介の愛弟子で、タカ派と言われた福田氏と当時の共産党は対局の立場にあったが、経済見解は良く似ているのである。これは福田氏が大恐慌時のイギリスに大蔵官僚時代に派遣されたので、自然と安定志向の強い社会主義計画経済的な考えが出来上がったのではないかと思う。・・・少し話は逸れるが、これまたどういう訳か現在の共産党は高度経済成長を批判したことを忘れてる。「党が国政議会で躍進た良き時代。ついでに日本人の生活も向上した」と暗に高度経済成長を認めてすらいる。
 
 野口教授も高度経済成長は世界稀にみる成功という見解である。だがしかし、少し当時を思い出してほしい。公害問題やら、農村から都市への人口集中とか、学園紛争の次は中高生の校内暴力、高学歴化によるホワイトカラー労働者の急増、それに伴う肉体労働者への蔑視や、激化する受験戦争など多くの問題をもたらしたではないか。それは現在に至るも解決されていない。
 そうした社会不安から、『ノストラダムスの大予言』がブームになったのである。驚くべきことだが『ノストラダムスの大予言』は映画化された際、文部省推薦映画だったのである。
 当時の日本人は急激過ぎる経済成長の中にある矛盾に不安を常に抱えていたのだ。現にブームの最中は日本のアジア圏への「経済侵略」が問題となり、「東アジア反日武装戦線」の三菱重工爆破事件が起こっている。彼らの行動を正当化することは出来ないが、高度経済成長が資本主義の矛盾を露呈した故に起きた事件だろう(藤子不二雄A氏の漫画にもそうした当時の日本の海外でのエコノミックアニマルぶりを風刺するテーマの漫画がある)。

 繰り返すが以上のような理由から、「日本は社会主義ではない」と私は結論する。「修正」されたかもしれないが、やはり資本主義の域を出なかったのだ。

バブル本


 
 

この期に及んで鈴木会長を礼賛する財界人(ブジョワジー)諸君へ

 この期に及んで「偉大なるかな鈴木敏文」とか言ってる著名財界人が多いのには恐れ入る。その一人は、SBI証券の北尾吉孝会長。北尾氏と言えばライブドアVSフジテレビ問題で「資本主義の清流を汚す行為は許せない」とか何とか言ってフジテレビの「ホワイトナイト」に名乗りを上げ有名となり、孫正義氏からSBI証券を独立させた。ホリエモン曰く、「北尾氏は最初、『株式百分割とは君は天才! 一緒に事業しよう』という話を持ちかけてきた。嫌な奴」という一癖も二癖もあるオッサンである。そのホリエモンまで「老人への嫉妬は良くない。鈴木会長は偉大」とか言っているからどうなっているのか。
 その他にも鈴木会長の子分格の財界人には孫正義、柳井正、渡邊美樹etc・・・ブラック系経営者などが目白押し。サービス産業のみならず、製造業にも信奉者がいるのは呆れる他はない。フランチャイズ事業という他人資本で成功しただけで、イトーヨーカ堂やデパート経営は軌道に乗せていないという「一発屋」で稲森和夫さんみたいに異業種を再建出来るような力量はない。
 その稲盛さんも鈴木会長との対談で「私はセブンイレブンが大好きです。散歩がてらよくおにぎりなんかをよく買うんです」等とおべんちゃらを述べている。著名なブルジョワジー諸君は皆どうかしてるよ。
 資本主義諸国にも受けがよくソ連から自立したようなスタンスを採っていたけど、国を私物化した情けない独裁者だったことがばれたチャウセスクにソックリだね。表面的な繕いは良かったんだ。
 まあ、これから「人民裁判」になる。井阪社長(彼はフルシチョフか華国鋒役をせざるを得ない)による「セブン版スターリン批判」も起きるだろう。この意味は時期にわかる。

鈴木敏文会長退任について今はまだ言えないこと

 実を言うと取締役会での鈴木敏文会長退任を事前に察知していた。しかし、結果が見えなかったし、何より裏付けに乏しい情報だったので断言する記事などは書けなかった。だが、ごく一部の友人・知人には話していたので、私の予見は正しかったことは証明出来る。
 鈴木敏文会長を「カルト教団的指導者」「独裁者」と批判し、既存メディアで報道したのは多分私が最初である。24時間営業を強いられるオーナーたちの過労死・自殺が後を絶えないことは、時折報道されることはあったが、鈴木会長の異常な独裁ぶりを報道するメディアは一部のネットを除いて皆無だったのだ。
 また、オーナーのみならず、OFC(店舗経営相談員)と言われる本部社員の待遇の劣悪さを報道したのも私が最初だろう。密かに私の記事や本を読ん現役・元OFCたちが「よくああいう記事を書いてくれた」と感謝の言葉を伝えてくれた時はジーンと来たものだ。
 セブンイレブンには本部社員の労働組合がない。組合がない以上、自分がOFCの声を代弁する必要がある。
 私は井阪社長に「OFCは管理職なのか!? 労働法が適用除外される管理職とは考えられない」と言ってかなり意見がぶつかった。井阪社長は立場上はぐらかすばかりだった。今だから言えるが、本当は鈴木会長に詰め寄りたかったのであって、温厚で情のある井阪社長に物申すのは心が少し痛んだ。
 それと同時に汚れ仕事は部下に押し付け、手柄は自分の物にする鈴木会長のやり方は、本当に卑怯・卑劣だと心から思った。井阪社長は野村証券副社長の御曹司で所謂「ブルジョワ」であるが、入社した時から店舗勤務を経験し、OFCを経て商品部などで力を発揮した。有名エピソードは「冷やし中華」の試食品を鈴木会長から11回もNGを出されながらも、挫折せず美味しい冷やし中華の開発に成功したエピソードだ。決して、ぬるま湯育ちのボンボンではない。サラリーマンとして一通りの経験はしてきた人だ。
 だから、叩き上げに近い人で、加盟店や後輩社員、役員クラスの同僚からも人望が厚い人なのである。鈴木会長にしてみればその井阪社長の人望が脅威だったのだろう。難癖を付けて井阪社長の首を取ろうとしたら、返り討ちにあったという訳だ。かつて、チャウセスクが政権末期に民衆を動員して、いつものように演説を行ったら、大ブーイングが起こり、「チャウセスクは辞めろ!」と民衆の怒号が飛び交う結果となり、そのまま失脚→処刑となった光景と何処となく重なる。
 その点、鈴木会長は「意外とあっさりしてるな」と思ったことも事実だ。三越の岡田茂社長のように自分以外の出席者全員が解任動議に賛成したのに衝撃を受け「何故だ! 俺が議長だ! こんなものは無効だ! 何故だ!」と喚きちらすかと思ったら、そうでもなかった。
 しかし、井阪社長を罵る下品さは醜悪としか言いようがなかった。井阪体制が確立されてから、OFCやオーナーに無理なノルマが課されなくなったり、待遇が改善されたり、セブンカフェなど新しい試みや新規出店も「飽和状態」と呼ばれながら工夫を凝らして良い立地を押さえるなど、明らかにセブンイレブンの経営体質は改善されていたからだ。お膝元のセブン社員たちも「鈴木教」の洗脳から解放されつつあるのは明白だった。それどころか、昔ならどんなに鈴木会長に批判的な社員でも絶対にオーナーの前で批判を口にしなかったが、最近はオーナーに鈴木会長の批判を口にするOFCが珍しくなくなっていたのである。彼らは先輩OFCでもある井阪社長の人格に魅かれはじめていたようだ。
 当然だが、「私は一度もレジに立ったことがないからお客様の立場がわかる」などという理屈を振り回す鈴木会長の嫌味な持論には、もうウンザリしただろう。それにこの理論は、今の時代は適応されない。コンビニ初期は確かにコンビニ店員を経験した人は少数派だったろうが、現在では私自身も含め、長期・短期の差はあるが、多くの人々がコンビニ店員経験者なのである。当然、店員を経験した者のコンビニで買い物する時の目線は、店員の接客態度や品ぞろえ、清潔感(クレンリネス)を厳しく見ると同時に、同業者として店員への労いもするし、品揃えや接客が悪かったりすると助言的なクレームを行ったりする(私も接客経験者なので時折、新人店員さんに仕事を教えることがある)。
 今回はこの辺までにしておくが、鈴木会長なき後のセブン&アイ・HDはどうなるのだろう。私には国家を膨張させ過ぎて自滅したナチス・ドイツ第三国帝国と同社が重なって見えるのだが・・・。




鈴木敏文会長辞任で事態は仁義なき社内派閥抗争へ

  昨日の鈴木敏文セブン&アイ・ホールディングス会長辞任で思ったことは、
 「意外とあっさりしてるなあ」
 ということだった。自信なさげに話すので声が小さく、
 「会長聞こえへんねん!」
 と幾度か言ったが、鈴木会長は苦笑気味に、
 「カメラの音がうるさいから・・・」
 とか何とか言っていた。
 実を言うと新体制は読みがつかないのである。鈴木会長は後継者に成り得る優秀な人材を次から次へと潰してきたので、後継者がまるで育っていないのだ。鈴木会長に散々批判され、解任決議までされた井阪社長(解任決議案は否決・だから鈴木会長が辞めた)が、有力という説が多いが、セブン&アイ・ホールディングス全体をまとめあれるかどうかは良くわからない。
 粛清に次ぐ粛清で後継者が困難を極めたヒトラーやスターリンに良くにているが、井阪社長がしばらくしたら、フルシチョフの「スターリン批判」みたく「鈴木敏文批判」を行うかもしれない。
 井阪社長は、インタビューで過去2回会っているが良識的な人だ。「私は学生時代『蟹工船』を読んで、『こんな会社にすまい』と思って入社した」と話していたのが、印象的だ。鈴木会長の評価や彼の決めた路線の話になるとどうしても、ぶつかってしまい口論にもなったが、加盟店が不当な眼に遭っている現状を説明すると、謙虚に耳を傾ける方で「悪い人ではないけど、鈴木会長に逆らえないんだな」と思い、社長という地位にありながら、サラリーマンを抜け出せない立場を気の毒にも思った。
 しかし、昨日の退任記者会見では、「全て井阪君が悪い」という論調。井阪社長がカンカンになるのは当然だ。言っておくが、井阪社長は私と口論になっても怒鳴り声をあげることなどなかったのに、辞任勧告に怒鳴り声で反論してきたというのだから、相当頭に来たのだろう。井阪社長は辞任するか否かを「伊藤名誉会長相談する」と言い放ったという。
 反鈴木派は鈴木会長の専横に腸が煮えくり返っている。現場のオーナー・社員は勿論、幹部社員までそうだ。何より反鈴木派の急先鋒は今回の黒幕的に名前があがった創業者の伊藤雅俊名誉会長である。社内を二分した派閥抗争に発展することも予想される。

予告! アグネスチャン女史がニュースソクラコラムニストデビュー!

 さて、野口教授に続いて学者さんの話なんですけど、世間では未だに「ひなげしのアイドル」のイメージが強い、アグネスチャンさんがニュースソクラのコラムニストとして今月からデビューすることになりました。
 昨年の「ネット事件」の取材で知り合ってからソクラに好意を抱いて下さり、タレントとしてではなく教育学者・エッセイストとして記事を書いて下さることになりました。
 硬派な報道媒体に記事が書けるのは名誉だそうで、彼女も張り切っています。
 そう言えば、故人となった渡辺仁さんがこの話を知った時、「アグネスが何を書くんだ? ひなげしのナントカでもやるのか?」と冷やかしてきましたが、まあ、渡辺さん、どうなるかは天国で見ていてくださいよ。渡辺さんの世代(享年64)だと芸能界への偏見が強いんでしょうけど、そんな偏見には負けず知性を発揮してくださいな。期待してます。アグネスさん! ソクラの看板娘になって下さい!


野口悠紀雄教授にインタビューしました

 先週、『超整理法』や『バブルの経済学』や『1940年体制』などの著書で有名な経済学者の野口由紀雄教授にお会いしました。詳細は記事を見てのお楽しみですが、質問を丁寧に整理しながらお答えになる方でした。
 野口教授は東大工学部出身→大蔵省→学者という経歴です。華々しいように見えますが、実は法学部でもないのに官僚になったり、途中で大学教授に転身したりしているから、エリートの間では傍流なんですね。事実、野口教授を科学研究者として残したかった恩師の教授が官僚になると知って大激怒し、同級生を差し向けて説得したそうです。しかし、それが良かったと言えます。理系的な論理的思考と官僚として経済政策に関与した経験が上手く調和された感じの雰囲気でした。これが、経済学部出身で経済学畑一筋という職業学者だと野口先生のキャラは産れなかったと思う。
 とても謙虚な方で、僕の持論にも丁寧に答えてくれました。僕の持論とは、
 「野口先生のいう1940年体制が現在の経済の混迷に繋がっているというのには共感するが、高度成長も批判的に見直せねばならない。福田赳夫氏が、『急激な経済繁栄政策は、経済の混迷をもたらす。我輩は大恐慌時のイギリスに大蔵官僚時代に行っているからよくわかる』と指摘したのは正論ではないか。彼以外にも政治的には対局の立場にある日本共産党が似たような視点で高度成長を当時批判している(あくまで当時である。現在の共産党は高度成長時代を懐かしむ平均的日本人と変わらない)。高度成長がバブルを誘発し、その反動で今日の大不況を招いた。高度成長を再検証すべきだ」
 と言うと、野口教授は少し首を傾げ、
 「高度成長自体は世界経済史上、稀に見る成功だと思う。しかし、1940年体制が継続したのでバブルを引き起こし、現在の経済の混迷を招いた。高度成長自体は成功だと思う」
 とお答えになった。僕の指摘に何か思うことがあったのか、「高度成長は成功」と言いつつも野口教授の中に何か引っかかったとも思える話し方だった。野口教授と言えば、日本屈指の経済学者で自分如きが持論を述べるのは失礼なのかもしれないが、冷静に謙虚に答えて下さった。
 取材を終えると、
 「今はねスマホの音声文字化機能で原稿を書いているんですよ」
 新しいゲームを手にした小学生のような無邪気さを見せる野口先生は、若々しく好奇心の強い方だと感じ、好感を持つことが出来た。実は私「隠れ野口ゼミ生」と言える程、野口教授の本を読破している。今後も何かとご教示頂きたい次第である。


                                      
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