■揺れを吸収するスネーク・ダンス

 新緑と色鮮やかなツツジに覆われる世界遺産・東寺(京都市南区)の境内。そこには京都のランドマークとして、古都の景観を保つ基準とされてきた国宝・五重塔がそびえる。空海が手がけた初代は元慶7(883)年に完成、5代目にあたる現在の塔は寛永21(1644)年に徳川幕府3代将軍の家光が造営した。春期特別公開の一環として25日まで初層(1階)が特別公開されているが、見どころは塔内部に広がる極彩色の曼荼羅や、金色の如来像だけではない。

 如来像に囲まれた塔の中央には、木造建築物としては国内最高の約55メートルの塔の中心を貫く「心柱(しんばしら)」があり、根元がのぞける窓が設けられている。この心柱は、入場者に配布される解説書では宗教的な遺物というより、五重塔の耐震構造とあわせて紹介されているのだ。

 五重塔の耐震構造をめぐっては、類似性が話題になった東京スカイツリーの開業をきっかけに、あらためて注目を集めているらしい。東京駅前の新丸の内ビルの設計の際も、阪神大震災級の揺れに耐えうるものとして応用されている。

 このように最先端の巨大構造物の設計思想にも重ね合わされている五重塔なのだが、その謎がすべて解明されているわけではない。ただ確かなのは、最古である法隆寺(奈良県斑鳩町)を筆頭として、明治維新以前に造営され現存する22の五重塔(国宝9、重文13)が地震で倒壊した記録はない、ということだ。

 これらの22塔について、過去の地震との関係を調査した結果をみると、震度6以上の地震に遭遇した頻度は平均1・3回。380年に1回の確率で、最多は醍醐寺五重塔(京都市伏見区)の4回だという。寛永寺五重塔(東京都台東区)は大正12(1923)年の関東大震災でも倒壊しなかった。その2年前には、東京帝国大の地震研究者が実験結果として「五重塔を倒すほどの地震は存在しない」と発表。また東寺五重塔は、文禄5(1596)年に起きたマグニチュード7・5の「慶長伏見地震」で伏見城の天守が崩れ、東寺の境内でも他の建造物が倒壊したにもかかわらず、被害がなかったという。

 それでは、こうした大地震にも耐えてきた五重塔の耐震構造とはどのようなものなのか。引用されることが多い、建築学者の上田篤氏の編著『五重塔はなぜ倒れないか』(新潮選書)をみる。

 まず冒頭で紹介した心柱だが、外観上は五重塔の初層から最上層の屋根にたつ「相輪」の下まで伸びており、地中に根ざして塔を支える中心的な役割を果たしていそうだが、そうではない。東寺五重塔で公開されている根元をみれば分かるが、礎石の上にのっているだけだ。揺れが起きない限り、相輪を支えているだけのようである。

 しかしながら、上田氏らの実験や考察によれば、五重塔の各層は、上下層が強固につながれて耐震性を維持している現代の高層建築とは異なり、独立したつくりになっているという。初層から順番に各層が積み上げられたようになっており、地震や大風による揺れに見舞われると、上下の各層がおのおの左右に交互に動くことで、横倒しになることを防ぐ。これを上田氏の著作では、蛇が蛇行するようだとして「スネーク・ダンス」と名付けている。

 そして、さらに大きな振幅が加わった場合には、心柱が本領を発揮する。各層の横ずれが過剰にならないように「閂(かんぬき)」のような役割を果たすのだという。

 千年以上もの間、幾多の地震を乗り越えてきた五重塔。だが、木造ゆえに天敵はむしろ落雷や火災であり、東寺の五重塔も100~300年ごとに再建を繰り返してきた。それでも静かにたたずむ現在の五重塔を眺めていると、後世に知恵と希望を残そうとした地震大国・日本に住む先人のメッセージを感じざるを得ないのだ。(編集委員 北村理) 
(この記事は社会(産経新聞)から引用させて頂きました)