December 31, 2006
煩悩
大晦日です。
このblogも3ヶ月。早いものですね。
12/31と言ったら、
やっぱり除夜の鐘でしょう。
業やらエゴやら、
家の中に無駄に積み上がったものやら、
いろいろ降ろしてきた2006年後半でしたが、
最後に、
除夜の鐘を聞きつつ
残った煩悩を全部降ろしたいと思います。
108個。
もしそれが煩悩でしかないのなら、鐘の音と共に浄化滅却せんことを。
もしそこに誠の義があるのなら、昇華の結晶から新たな光が芽生えんことを。
合掌。
# このエントリをもって、しばらく不定更新にしようかと思います。
# また、どこかでお会いしましょう。
# 筆者の普通のblogもありますので
# よかったら訪問くださいませ。
Continue...
このblogも3ヶ月。早いものですね。
12/31と言ったら、
やっぱり除夜の鐘でしょう。
業やらエゴやら、
家の中に無駄に積み上がったものやら、
いろいろ降ろしてきた2006年後半でしたが、
最後に、
除夜の鐘を聞きつつ
残った煩悩を全部降ろしたいと思います。
108個。
もしそれが煩悩でしかないのなら、鐘の音と共に浄化滅却せんことを。
もしそこに誠の義があるのなら、昇華の結晶から新たな光が芽生えんことを。
合掌。
# このエントリをもって、しばらく不定更新にしようかと思います。
# また、どこかでお会いしましょう。
# 筆者の普通のblogもありますので
# よかったら訪問くださいませ。
Continue...
December 30, 2006
断食 その2
昨日挙げた断食は、
すべて自己利益の欲求に繋がるものだと、筆者は思います。
何かを体感すること、何かの覚醒に近づこうとすること、
それらもまた、自己利益の欲求の1つなのではないかと。
しかし、
実はもう1つあるのではないかと、筆者は思います。
自己の中にある幸せの1つを、他人に分け与えること。
相手に、幸せを伝えること。
もっとも、全てを投げうって奉仕とまで行ってしまうと、
それは虐げられているのと大差ありません。
あるいは、バランスを破壊してまで救おうなんて言うのも、
偽善的なエゴでしかないでしょう。
自分への恵みから1つ、困っている友に分け与える。
自分が置かれている豊かな環境からすれば、多少の減食断食など厭わない。
それこそが、
断食の真髄なんじゃないかと、筆者は思います。
すべて自己利益の欲求に繋がるものだと、筆者は思います。
何かを体感すること、何かの覚醒に近づこうとすること、
それらもまた、自己利益の欲求の1つなのではないかと。
しかし、
実はもう1つあるのではないかと、筆者は思います。
自己の中にある幸せの1つを、他人に分け与えること。
相手に、幸せを伝えること。
もっとも、全てを投げうって奉仕とまで行ってしまうと、
それは虐げられているのと大差ありません。
あるいは、バランスを破壊してまで救おうなんて言うのも、
偽善的なエゴでしかないでしょう。
自分への恵みから1つ、困っている友に分け与える。
自分が置かれている豊かな環境からすれば、多少の減食断食など厭わない。
それこそが、
断食の真髄なんじゃないかと、筆者は思います。
December 29, 2006
断食
断食、というと、
みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。
給料日前。
切実ですね…
というか、もっと節制を心がけましょう(汗)
ザ・ガマン。
古いですね(笑)かなり昔のTV番組。
パッとコレを思い出すヒトもほとんど居ないのでは。(汗)
限界に挑戦すると、もしかしたら脳内麻薬で恍惚感に浸れるかもしれませんが…
ダイエット。
危険ですね。体を壊さないように…
断食道場。
身体をリセットする…という話ですが、
別の見地では、食べた物は7年掛かって体中に巡る、なんて話もあります。
一朝一夕には行かないのではないかなぁと、筆者は思います。
苦行、瞑想。
食欲にすら束縛されずに、瞑想する。
苦行のその先で、何かが見えるのかもしれません。
ラマダン。
食事を我慢することによって、貧しい人々の気持ちや苦しみを知ること。
相手の立場になる、相手の気持ちに共感する、という、人と人の繋がりの想い。
みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。
給料日前。
切実ですね…
というか、もっと節制を心がけましょう(汗)
ザ・ガマン。
古いですね(笑)かなり昔のTV番組。
パッとコレを思い出すヒトもほとんど居ないのでは。(汗)
限界に挑戦すると、もしかしたら脳内麻薬で恍惚感に浸れるかもしれませんが…
ダイエット。
危険ですね。体を壊さないように…
断食道場。
身体をリセットする…という話ですが、
別の見地では、食べた物は7年掛かって体中に巡る、なんて話もあります。
一朝一夕には行かないのではないかなぁと、筆者は思います。
苦行、瞑想。
食欲にすら束縛されずに、瞑想する。
苦行のその先で、何かが見えるのかもしれません。
ラマダン。
食事を我慢することによって、貧しい人々の気持ちや苦しみを知ること。
相手の立場になる、相手の気持ちに共感する、という、人と人の繋がりの想い。
December 28, 2006
先駆者の言
ある世界を見てきた人が、
もしその全てを語ったとして。
聞き手には、それが糧となるだろうか。
あるいは、その世界における危機回避の知恵だけ教えて、
あとは自分で実体験してこい、と言ったとしたら。
これから行く人に対して、
期待感も、体験という貴重な経験も
伝えることが出来るのではないだろうか。
そして、危機に悩まされる時間を、
短縮してあげられるのではないだろうか。
多くを語らず、多くを聞かず。
その結論に辿り着くと思ったら、
それ以上は語らない。
不安がって、これから行くであろう場所のことを
あれこれと尋ねない。
お互いに、重要なことだと、筆者は思います。
そして、帰ってきたら、
お互いそこで何を見てきたか、
じっくり情報交換をしようではないか。
情報は新たな糧となり、
次へのエネルギーとして使われ、
さらにもう1歩、踏み出せるのではないかと、思います。
もしその全てを語ったとして。
聞き手には、それが糧となるだろうか。
あるいは、その世界における危機回避の知恵だけ教えて、
あとは自分で実体験してこい、と言ったとしたら。
これから行く人に対して、
期待感も、体験という貴重な経験も
伝えることが出来るのではないだろうか。
そして、危機に悩まされる時間を、
短縮してあげられるのではないだろうか。
多くを語らず、多くを聞かず。
その結論に辿り着くと思ったら、
それ以上は語らない。
不安がって、これから行くであろう場所のことを
あれこれと尋ねない。
お互いに、重要なことだと、筆者は思います。
そして、帰ってきたら、
お互いそこで何を見てきたか、
じっくり情報交換をしようではないか。
情報は新たな糧となり、
次へのエネルギーとして使われ、
さらにもう1歩、踏み出せるのではないかと、思います。
December 27, 2006
恐怖
恐怖。
それは、向こう側に何があるかわからない時の、感情。
襲いかかるものに対して、死の恐怖。
悪事を働くことに対して、神罰の恐怖。
あるいは、今の立場に対する、喪失の恐怖。
そして、
学びの扉を開くこと、
新しい世界への門を開くこと、
他の存在からのメッセージを受け容れる窓を開くこと、
自己の深淵の蓋を開けてみること、
そこにもまた、変革の恐怖がある。
恐怖心が強ければ強いほど、
越えた後の変革は、多分、大きい。
結果がプラスかマイナスかなんて、関係ない。
それをすべて教訓として昇華して、
次へのプラス要素にしていけばいい。
新しい事への、チャレンジ。
新年に向けて、助走を開始しよう。
それは、向こう側に何があるかわからない時の、感情。
襲いかかるものに対して、死の恐怖。
悪事を働くことに対して、神罰の恐怖。
あるいは、今の立場に対する、喪失の恐怖。
そして、
学びの扉を開くこと、
新しい世界への門を開くこと、
他の存在からのメッセージを受け容れる窓を開くこと、
自己の深淵の蓋を開けてみること、
そこにもまた、変革の恐怖がある。
恐怖心が強ければ強いほど、
越えた後の変革は、多分、大きい。
結果がプラスかマイナスかなんて、関係ない。
それをすべて教訓として昇華して、
次へのプラス要素にしていけばいい。
新しい事への、チャレンジ。
新年に向けて、助走を開始しよう。
December 26, 2006
泪
筆者、
最近涙腺が緩んできたのか、
ちょっと感動しては、すぐ涙が流れます。
今年の10月前半まで、7年ほどにわたり、
どちらかというと血も涙もないというか、
悲しいであろうことがあっても感動するようなことがあっても、
涙なんか流れなかったのですが。
そういえば、その昔は、
人生相談とか持ちかけてきた相手が泣いていると
「泪は心を洗い流す、浄化の水」
なんて事を言ってたっけ。
出典がどこかにあるのか、自分で言い出したのか、
いまいち定かではないんですが…
乾ききっていた筆者の心にも
ようやく水が流れる程度の潤いが戻ってきたのでしょうか。
そして…
筆者は最近、その改バージョンに思い至りました。
泪。
それは、心の氷雪が溶けた、雪解けの水。
凝り固まった氷は溶け、汚れた心を洗い流す、浄化の水。
そして、渇いた心を潤してくれる、癒しの水。
雨が降った後の快晴が清々しいのと同じように、
泪から晴れた心もまた、清々しい。
大いに泣くが良い。
スッキリした心で、明日を迎えようではないか。
どこかで今泣いているかもしれない人に、
このblogを読んだ後にどこかで泣くかもしれない人に、
以前、筆者の近くで、あるいは遠くで、涙を流した人に。
この言葉を捧げたいと思います。
最近涙腺が緩んできたのか、
ちょっと感動しては、すぐ涙が流れます。
今年の10月前半まで、7年ほどにわたり、
どちらかというと血も涙もないというか、
悲しいであろうことがあっても感動するようなことがあっても、
涙なんか流れなかったのですが。
そういえば、その昔は、
人生相談とか持ちかけてきた相手が泣いていると
「泪は心を洗い流す、浄化の水」
なんて事を言ってたっけ。
出典がどこかにあるのか、自分で言い出したのか、
いまいち定かではないんですが…
乾ききっていた筆者の心にも
ようやく水が流れる程度の潤いが戻ってきたのでしょうか。
そして…
筆者は最近、その改バージョンに思い至りました。
泪。
それは、心の氷雪が溶けた、雪解けの水。
凝り固まった氷は溶け、汚れた心を洗い流す、浄化の水。
そして、渇いた心を潤してくれる、癒しの水。
雨が降った後の快晴が清々しいのと同じように、
泪から晴れた心もまた、清々しい。
大いに泣くが良い。
スッキリした心で、明日を迎えようではないか。
どこかで今泣いているかもしれない人に、
このblogを読んだ後にどこかで泣くかもしれない人に、
以前、筆者の近くで、あるいは遠くで、涙を流した人に。
この言葉を捧げたいと思います。
December 25, 2006
グレーゾーンと天使と悪魔
混沌としたグレーゾーンにいる人に対して、
天使と悪魔はどう働きかけてくるのでしょう。
悪魔のささやき。
グレーゾーンを白と黒に分離して、
白い部分に縋らせ、黒い部分を忘れさせる。
それは、停滞への勧誘。黒を育てるための、黒き術。
忘れ、保留となった黒き部分は、やがて、抗えない強大なものとなって噴出する。
そして、縋っていた白き部分すら駆逐した黒によって、暗黒に支配される。
天使のささやき。
グレーゾーンを白と黒に分離して、
白い部分を祝福し、黒い部分に目を向ける心構えをさせる。
それは、成長への一歩。白を育てるための、白き術。
見つめ、懺悔に行き着いた黒き部分は、浄化され、新たな白き結晶に昇華する。
浄化によって得られた白き結晶は、グレーから分離された白よりも、光り輝く。
いずれのささやきも、
まず見せるのは、白。
でも、白を見せるための術は、白魔術であるとは限らないのです。
筆者は、
読者のみなさまが悪魔のささやきにフラフラと付いていかないよう、お祈りします。
天使と悪魔はどう働きかけてくるのでしょう。
悪魔のささやき。
グレーゾーンを白と黒に分離して、
白い部分に縋らせ、黒い部分を忘れさせる。
それは、停滞への勧誘。黒を育てるための、黒き術。
忘れ、保留となった黒き部分は、やがて、抗えない強大なものとなって噴出する。
そして、縋っていた白き部分すら駆逐した黒によって、暗黒に支配される。
天使のささやき。
グレーゾーンを白と黒に分離して、
白い部分を祝福し、黒い部分に目を向ける心構えをさせる。
それは、成長への一歩。白を育てるための、白き術。
見つめ、懺悔に行き着いた黒き部分は、浄化され、新たな白き結晶に昇華する。
浄化によって得られた白き結晶は、グレーから分離された白よりも、光り輝く。
いずれのささやきも、
まず見せるのは、白。
でも、白を見せるための術は、白魔術であるとは限らないのです。
筆者は、
読者のみなさまが悪魔のささやきにフラフラと付いていかないよう、お祈りします。