2008年12月21日

901年・菅原道真の左遷

菅原道真の左遷>

左遷され、

暗い道真、ダサイ時。

 

させんされ、

くらいみちざね、ダサイとき。

 

太宰府天満宮

←太宰府天満宮です。

菅原道真公を祀(まつ)る太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)。福岡県太宰府市にあります。藤原時平によって左遷され、政治的不遇を被(こうむ)った彼の怒りを静めるためにつくられた神社です。

道真が亡くなった後、平安京で雷などの天変が相次ぎ、清涼殿への落雷で多くの貴族が死傷したことから、道真は雷の神である天神とみなされるようになりました。

道真が生前、優れた学者であったことから、天神は「学問の神様」ともされ、今なお多くの受験生が合格祈願に詣でています。参拝して筆を買うと受験に利益があるともいわれています。

道真が梅を愛し、庭の梅の木に「東風(こち)吹かば匂ひ起こせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と和歌を詠み、その梅が大宰府に移動したという飛梅伝説ができたことから、梅がシンボルになっていることが多いとのこと。

太宰府天満宮は北野天満宮・防府天満宮とならぶ「三天神」のひとつで、全国から毎年200万近くの参詣客が訪れています・・・・。

くらい901年

みちざね菅原道真

ダサイ=だざいふ=大宰府(太宰府)

とき藤原時平

◆901年、菅原道真が藤原時平の讒言により大宰府に左遷されました。

宇多天皇は、藤原基経の死後、みずから政務を積極的に行うとともに、菅原道真を重用して藤原時平に対抗させ、藤原氏の勢力をおさえようとしました。

つぎの醍醐天皇のとき、時平は左大臣、道真は右大臣となりますが、藤原氏・源氏以外からの右大臣の起用は藤原氏にとっては衝撃的な出来事でした。

時平らは、道真が自分の娘婿を天皇にするという野心があると天皇に讒言し、道真は突如として大宰権師(だざいごんのそち)として左遷されました。

この事件もまた、藤原氏による他氏排斥の一例です。

 

▼菅原道真の生涯。雷神から学問の神へ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F



ac5562aozora8 at 15:03│Comments(0)TrackBack(0)日本史・10世紀 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
日本史ゴロ合わせ最新50