2009年04月26日
1249年・引付衆設置
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<引付衆の設置>
人によく引き継ぎしとき、より早く。
ひとによく、ひきつぎしとき、
よりはやく。
ひとによく=1249年
ひきつぎし=ひきつけしゅう=引付衆
とき、より=(北条)時頼
はやく=(裁判を)はやく、するように努めた
◆1249年、5代執権北条時頼が引付衆を設置し、裁判の迅速化・公平化を進めました。
北条泰時の後を継いだ経時が早世し、時頼が20才で5代執権となりました。
時頼は、評定衆を助け、訴訟など公平裁決をはかる引付衆を置き、引付会議(直接審理)→評定会議(間接審理)の形で、裁判の迅速・公平化を進めました。
引付衆は、初め年貢や土地に関する訴訟だけを扱っていました。引付衆になってから評定衆になる経歴の人が多く、幕府の出世コースといえます。のちに六波羅にも設置されています。
評定衆と引付衆の制度は、執権政治を支える柱であったともいえます。
また、この時頼の時代には、北条氏の嫡流(ちゃくりゅう)=得宗(とくそう)の勢いが、一族や有力御家人の勢いをしのぐことになり、得宗の地位はいっそう強まりました。