中川八洋・筑波大学名誉教授に学ぶ-文献目録と研究-BLOG版

── 真正保守主義の叡智が日本をよみがえらせる

本ブログは、中川八洋・筑波大学名誉教授「非公認」のサイトです。

したがいまして、本ブログは中川八洋教授ご自身が運営するものでも、中川八洋教授から依頼等を受けて運営されているものでもございません。

また、本ブログ管理人は、中川教授の公認サイトの管理人とも一切関係がありません。

くれぐれもお間違えなきよう、注意喚起申し上げます。

中川八洋教授のご高見を正確にお知りになりたい場合は、ご著作および公認サイトをご覧いただきますよう、お願い申し上げます。

(2016年05月04日記)

【ご案内】サイト運営の環境整備について

関係各位 様

平素は格別のご厚情をたまわりありがとうございます。

さて今般、管理人が運営するサイトについて、以下のとおり環境整備することといたしました。

1. 「文献目録と研究」のうち、資料集である「文献目録」に関してはWeb版に統一いたします。
https://nakagawayatsuhiro.jimdo.com/

ただし、コメント欄は有志の交流の場として存続することといたします。

2.「文献目録と研究」のうち、管理人のオピニオンである「研究」の発表はBLOG版にておこないます。

3.上掲の運用に不都合が生じた場合、またよりよい運用方法がある場合は、適宜改善をくわえることといたします。

以上、ご案内申し上げます。


平成29年(2017年)2月21日

管理人

【告知】サイトのリニュー​アル再開等にあたって

関係各位 殿


サイトをご愛顧いただいております関係各位におかれましては、格別のご厚情を賜り、厚くお礼申し上げます。


さて今般、「中川八洋文献目録(非公認)」管理人(以下、「当方」と称します)が開設・管理してまいりましたサイトをリニューアル・再開することといたしました。


仮タイトル:「中川八洋・筑波大学名誉教授に学ぶ-文献目録と研究-」


再開に先立ち、今後のサイト等の運営に関して、以下のとおりご案内申し上げます。


一、ツイッター中止勧告をめぐる当方の総括
一、ブログのリニューアル再開について
一、SNSの再開について



一、ツイッター中止勧告をめぐる当方の総括

近日、当方が管理運営していたツイッター「中川八洋botプラス」につき、吉田寿太郎様(以下、吉田様)から運営の中止・削除を勧告されました。当方としてはこれに応ずる形でアカウントを凍結・解約して現在に至りました。


当方といたしましては、中川八洋先生(以下、中川教授)のご高見を広く知らしめることのみを目的として、少なからぬ時間と費用とをかけてサイト・SNS運営をおこなってまいりましただけに、吉田様のご通告は、正直申し上げて戸惑いと徒労感を覚えるものでした。


しかし、冷静に考えてみる時、以下について当方にも至らなかった点もあったのではないかと結論するに至りました。



(1)「氏名権」について

ご承知のように、当方は中川教授の氏名を冠したWeb・blog・ツイッターをしてまいりました。このうち、「中川八洋botプラス」について申し上げます。


著名人・偉人の名言を自動的にツイッターのタイムラインに流すサービス・営為を「bot」(ボット)と申しますが、中川教授を現代日本が生んだ偉人と認識している当方としては、中川教授の名前を冠したbotを運営することに何ら違和感を感じていなかったというのが正直なところです。


ただし、botで開陳されている見解を広く知らしめるために、中川教授の意見を敷衍した私見を添えてリツイート・返信をすることもございました。この見解は中川教授のものではなく当方のものですので、ツイートの冒頭には必ず「+」(プラス)の記号を付して中川教授の意見との混同を防ぐ措置をとり、かつアカウント名(中川八洋botプラス)に「プラス」と添えておりました。しかしながら、これが必ずしもわかりやすいものではなかったようです。


また、上掲の運営によって、吉田様の予定していた営為を当方が横取りし・邪魔したと誤認されてしまったことも考えられます。この点について配慮が不足しておりました。


中川教授ならびに吉田様には深くお詫び申し上げます。



(2)「中川ライブ」のテキスト起こし掲載について

「中川ライブ」におけるご発信をテキスト起こしした記事については、引用の範囲を逸脱したため著作権の観点で不適切でした。


ライブ映像のテキスト起こしを公表いたしましたのも他意はなく、ひとえに教授の存在とその言論を広く周知せしめること、その一点においてなしたものでした。ライブで語られた内容は、映像をすべて見ないとわからないが、テキスト化すると検索にヒットする可能性が出てくるためです。


ただしこの営為は、引用に関して著作者と明示的あるいは暗黙の了解が得られていなかった以上、当方の勇み足であることはいうまでもありません。また、テキストを読んだ読者が映像を視聴しないことも考えられるため、結果として「検索妨害」となった可能性も否定できません。


映像そのものを視聴しなくてもテキストを読めば内容がわかるから、中川教授のご高見が広まることにもなる、したがって何も問題はないのではないか、と考えた当方の誤りでした。


よって当該記事については、ご承知のとおりすでに削除した次第でございます。


この点につきまして、中川教授および吉田様に衷心よりお詫び申し上げます。



一、ブログのリニューアル再開について

当方がサイト開設当時から一貫してイメージしておりましたのは、当方の運営サイト・SNSを「中川八洋掲示板/ライブ」に誘導する機能をもたせることであり、「中川八洋」という検索ワードの「面」を広くする展開でした。


したがいまして、当方の運営管理するサイト名に「中川八洋」の名称を使用することが、「掲示板」や「ライブ」へのアクセスを妨げることにはならないのではないか、と考えております。


ただし、「中川八洋文献目録」の名称は、「中川八洋掲示板」管理人と同一人物が運営していると誤認されるおそれもございますので、これを廃止し、別の名称に変更することといたしました。


さらに、再開にあたっては、運営が中川教授非公認であること、吉田様の管理ではないことをより明確にいたしてまいります。



一、SNSの再開について

当方がWebサイト・BLOG以外のソーシャルメディア(ツイッターなど)を再開ないし開始する予定は現時点ではございませんが、SNSの有益性に鑑みて再開することがあることを、あらかじめご了承ください。


ただし、再開するにあたっては、引用とオピニオンの混同がないよう留意しつつ運営してまいります。



以上、サイト再開にあたっての御案内といたします。


末筆ながら、関係各位におかれましては、倍旧のご指導ご鞭撻をいただけますとさいわいです。


今後ともよろしくお願い申し上げます。



平成29(2017)年1月20日 


「中川八洋・筑波大学名誉教授に学ぶ-文献目録と研究-」管理人

【今日は何の日?】日航機墜落事故(8/12)

東京発ー大阪行(羽田発伊丹着)の日本航空123便ボーイング747SR-100機が群馬県多野郡上野村高天原山の山中(御巣鷹の尾根)に墜落した航空機事故(1985年=昭和60年)


乗客乗員524名のうち、520名が死亡(生存者4名)し、航空機事故史上、最も多数の死者を出す事故となった。


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「「脱・原発」は科学技術の発展を阻害する“カルト宗教的信条”」



人類が産業革命以降に見せた、ここ数百年間の、科学技術の発展史において、実用化まで漕ぎ着けた発明の中で、廃棄されたものは一つも無い。たとえば、一九〇三年のライト兄弟の発明以来、飛行機は急速な発達を遂げたが、その発展史とは、数え切れない、墜落など航空機事故の“惨事の歴史”であった。だが、人類は臆することなく、ますます航空機に搭乗し続け、それこそが航空機の安全率を年々、向上させる原動力となった。


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【今日は何の日?】安倍晋三ら、ユネスコ世界遺産登録にあたり反日外交をなす(7/5)

ドイツのボンで開催されたユネスコ世界遺産委員会で、「明治日本の産業革命遺産」の登録が決定(2015年=平成27年)


河野一郎による“反日談合”「河野談話」に続いて、安倍晋三・岸田文雄・外務省のトリオにより、国益を毀損する歴史偽造を唯々諾々と受け入れる“負の遺産”を後世に残した。


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『国恥記念日』



 ユネスコから脱退すべきほど日本にとって重大な事態になっていたのに、首相の安倍晋三も外相の岸田文雄も、自虐的な屈辱・叩頭外交を唯々諾々と選択した。唖然とするほかなく、言葉が出ない。

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【今日は何の日?】日本海海戦でロシア軍に勝利(5/27)

(1905年=明治38年)



『武力なくして国家の悠久はない』



国家の要諦とは、国家が永続するか否かが、まずもって、すべてである。「国家の悠久」「国家の永遠の存続」という至高の命題に、民族の各世代がすべての知力と汗とを流す責務を果たさずして、国家は万が一にも生存できない。しかし、日本は、一九〇五年の日露戦争の勝利を境に、「国家の永続」という至高の命題を、突然、国民あげて弊履のごとくに棄て、省みるものがいなくなった。一九〇五年の奉天会戦と日本海海戦の勝利から、廃墟と敗北の一九四五年に至る、日本近代史の四十年間は、自らの国家に叛逆する道を爆走した“狂愚の四十年間”であった。


(中川八洋『地政学の論理』、徳間書店、354ページより引用)

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【今日は何の日?】沖縄、本土に復帰(5/15)

1971年の沖縄返還協定(正式名称「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」)に基づき、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還された<沖縄本土復帰記念日>


(1972年=昭和47年)



『沖縄の防衛線は、与那国島ではない』



迫りくる中共の脅威を迎え撃つに、まずは日本の「西の防衛ライン」を正しく認識する必要がある。日本の最西端は与那国島だからといって、ここが沖縄県防衛の前線にはならない。台湾が中共に落ちれば、石垣島、宮古島、尖閣諸島は同時に中共領となる。

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【今日は何の日?】五・一五事件(ご・いちご・じけん)(1932年)

武装した帝国海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した事件。


(1932年=昭和7年)



『"清潔な政治"への信仰は独裁の温床』

 
俵 ・・・・・・“逃げの政治改革論”“欲の政治改革論”“転覆の政治改革論”。
「政治改革」論のスローガンは一つだが、正体は三つ。私はこう見ている。(備考)
 

中川 政治改革ブームが生じた原因を三つに分析された俵先生の明快さには感服します。


そこで、この“逃げの政治改革論”“欲の政治改革論”“転覆の政治改革論”の三つともばっさりと批判することをさせて下さい。この三つを同時に切り捨てるのは難しいことではありません。いずれも、「清潔な政治」ということを要求することによって自己正当化しているから、この「清潔な政治」の偽善の仮面をひきはがすことをすればよいからです。とくに、「清潔な政治」の過剰要求は必ずデモクラシーを破壊する危険という大きな問題があるのですから、この問題は避けられません。


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【今日は何の日?】佐藤栄作、「核抜き沖縄返還」(5/15)

1971年の沖縄返還協定(正式名称「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」)に基づき、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還された<沖縄本土復帰記念日>


(1972年=昭和47年)



『核なき沖縄返還が呼び込んだ中共の暴走』



中共が今日ではロシア/米国に次ぐ第三の核大国として不動の地位にあることを、なぜか日本のマスコミは隠そうとばかりに報道しない。中共の核戦力に比すれば、英国のそれは今や限りなく弱小の水準である。ICBMをもたないフランスは、とうに中共に追い抜かれている。英仏は核中級国家でありつづけている。現在の世界五大国の核戦力は、ロシア>米国>中共>フランス>英国、の順となった。しかも、二十一世紀の初頭には中共が単なる核大国から米ロ並みへと核"超"大国にのしあがるだろう。それは「アジアの大国」日本の落日を決定づけるだろう。「経済大国・日本の終焉」と重なれば、それこそ日本は中共の「属国」へと転落する。

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ブログ管理人より皆様へ(2016年05月11日記)

平素より本ブログにご訪問いただき、誠にありがとうございます。

このたび、誠に勝手ながら、本ブログは一時お休みを頂戴することとなりました。

あわせて、ツイッターのアカウント「中川八洋botプラス」は凍結・削除いたしましたことをご報告申し上げます。

現時点でBLOGの再開時期は未定ですが、再びお目にかかるときにはさらに充実したコンテンツをアップできるよう、精進・研鑽を重ねてまいる所存です。

本ブログをご支援いただきました各位には個別にご挨拶申し上げるべきところ、はなはだ略儀ではございますが本記事をもって挨拶に代えさせていただきます。

皆様のますますのご活躍をお祈り申し上げます。


2016年05月11日

ブログ管理人

【今日は何の日?】ノモンハン戦争(5/11)

満州国軍とモンゴル人民共和国軍の衝突に端を発し、大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍がそれぞれの後ろ盾となって戦闘が展開されたこの戦いは、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の規模となった。(1939年=昭和14年)



『「ロシア脅威」忘却という、本当の“脅威”』



一九三三年頃よりスターリン[に]よってソ連の大軍拡が開始されたことは日本の軍部や政府の知るところであったが、いったん「ロシア脅威の消失」との判断が定着するなかで、「ソ連脅威の増大」という新事実への冷静な認識に転換されることはなかった。

ソ連のジューコフ将軍(のち元帥)に完膚なきほどにたたかれたノモンハン事件(一九三九年)も教訓とせず、対ソ防衛力の根本的改善もしないままに、日本はあの一九四五年八月のソ連軍の奇襲・猛攻の前に未曾有の惨劇をともなう大敗北を喫したのである。



犯罪国家・ソ連邦が消えたからといって、その相続人のロシア連邦がこの犯罪的部分を放擲したと即断するのは誤りである。そのような即断には何らの根拠もないからだ。

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【今日は何の日?】ロシア、軍事パレード再開(5/9)

プーチンのロシア、軍事パレードを再開して”侵略国家ロシア”の復活をアピール。
1990年5月からして実に18年ぶり。


(2008年=平成20年)


『2008年から、東アジアで再び冷戦がはじまった』
 

 二〇〇〇年から八年間、新ロシア帝国の「初代ツァー(皇帝)」だったウラジミール・プーチンは、首相に格落ちした形で、「部下」メドヴェージェフ(大統領)従え、二〇〇八年五月九日、“侵略国家ロシアの復活”を、内外に高らかに宣言した。赤の広場で、(一九九〇年五月からして)十八年ぶりにソ連時代の軍事パレードを再開した。強大な軍事力をもつ強大なロシアの復活と“国境の再変更(侵略)”と国際法違反を辞さない伝統的な「南下」策を、メドベージェフの演説を通じて、(他国家を批判する形式をとるロシア特有の言い回しで)、ロシア民族にアッピールし鼓舞した。


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【今日は何の日?】ドイツ降伏(5/7)

(1945年=昭和20年)



『社会主義・共産主義イデオロギーの麻薬効果』


 
一九四五年三月、硫黄島が、栗林忠道中将の指揮下で世界が称讃するほどの勇敢な闘いを経て壮絶なる玉砕をもって陥落したとき、日本は直ちに米国に対して降伏(を申入れ)すべきであった。一九四二年二月のシンガポール陥落は勝者としての対英米講和の好機であったように、硫黄島陥落は敗者としての降伏の好機であった。

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【今日は何の日?】ブッシュ大統領、ラトビアの首都リガで演説(5/7)

ブッシュ(長男)米国大統領、ラトビアの首都リガで演説
(2005年=平成7年)


『ブッシュが創った対ロ“包囲”網』

 
ジョージ・ブッシュ大統領は、対独戦勝六十周年記念日に、”悲劇の小国”バルト三国を訪れ、その三ヶ国の首脳を含む聴衆の前で、ヤルタ協定を全否定し、ソ連を非難する演説をなした。


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【今日は何の日?】E・バーク、英国下院においてフランス革命批判を展開(5/6)

英国下院議員のエドマンド・バーク、英国内でも評価の分かれていたフランス革命について批判する演説をなす。

(1790年=寛政2年)


1789年7月のバスティーユ牢獄襲撃に触れてフランス革命への懐疑をより強くしたバークは、君主打倒を唱えてフランス国民が暴徒化した事件(ヴェルサイユ行進)で、フランス革命の思想が英国、ひいてはヨーロッパの自由と法を破壊すると洞察。以後、フランス革命政府を軍事的に打倒するよう主張しつづけた。



『「保守主義の勝利」なくして自由はない』
 
 
エドマンド・バーク(一七二九~九七年)は、一般には保守主義(真正自由主義)の開祖と言われるが、それは一七九〇年五月六日の英国下院におけるバークのフランス革命に対する激越な批判演説で始まった。そして同年十一月、『フランス革命の省察』を出版し、“自由の擁護”のため、死の直前までフランス革命を非難し、また軍事力を行使してでもこれを打倒すべきことを説き続けた。フランス革命を源流とする二十世紀の全体主義の跳梁を見るとき、これほどの炯眼の人物は歴史上ほかに例がない。

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【今日は何の日?】日本国憲法施行(5/3)

(1947年=昭和22年)


『左翼が日本国憲法をあがめる理由』
 

GHQ憲法に秘めた、GHQあるいはその民政局の意図には、「軍国主義の復活の芽をつぶす」など複数ある。が、宮沢俊義(東京大学教授)らの憲法学者を含めて当時の日本側の極左勢力は、GHQ憲法を日本が共産社会に至ることを正当化する天の賜物だと考えた。


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【今日は何の日?】ワシントン米初代大統領の就任宣誓式(4/30)

アメリカ合衆国憲法に基づき、ニューヨークフェデラル・ホールにおいて、初代大統領の就任宣誓式が開催(1789年=寛政元年)。



『王制派(monarchist)が建国した国・アメリカ』
 

保守主義の母国である英国と米国は、英国はルソー/フランス革命を排撃しそれを全否定した。米国はそれを無視して全否した。1789年4月の建国からすでに220年、今日もルソー/フンス革命思想は米国に匂いもない。


日本では、米国に関して、歪曲と嘘が罷り通っている。米国は「王制反対、デモクラシー万歳」で建国された国である、と。とんでもない。逆である。米国は、王室がない現実から王制を断念したが、思想においては君主制主義者が建国した国である。「米国建国の父たち」の代表といえば、初代大統領ジョージ・ワシントンと初代財務長官アレグザンダー・ハミルトンを指すが、両名は真情からの【王制派(モナーキスト)】であった。


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【今日は何の日?】昭和天皇御生誕(4/29=昭和の日)

迪宮裕仁親王(みちのみや・ひろひと、のちの昭和天皇)、皇太子・嘉仁親王(後の大正天皇)と節子妃(後の貞明皇后)の第一皇子として、東京府東京市赤坂区青山(現、東京都港区元赤坂)の青山御所(東宮御所)において御生誕(1901年=明治34年)。



『昭和天皇のご遺訓』

 

ところで、昭和天皇について、現在では、その研究がすっかり共産党系の学者に独占されているからか、日独伊三国同盟条約と日ソ中立条約を結んだ松岡洋右に対しても、親独・親ソの巨頭であったコミュニスト白鳥敏夫に対しても、昭和天皇は崩御に至るまで断じてお許しになることはなかったように、なぜ昭和天皇が「アジア主義」「海洋主義」「親露主義」に決して染まらず、徹底した「反共」「反独(ナチ)」「反ソ(露)」路線を基軸とする、いわば「脱亜」と「親英米」の国際政治観をお持ちであったかについて、今も研究はまったくない。

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【今日は何の日?】サンフランシスコ講和条約発効、主権回復(4/28)

アメリカ合衆国をはじめとする連合国諸国と日本国とが、第二次世界大戦の戦争状態を終結させるための講和条約である「サンフランシスコ平和条約」(正式名称は「日本国との平和条約 Treaty of Peace with Japan 」、全七章二七条)が発効。国際社会への復帰なる(1952年=昭和27年)。



『“真の主権回復”なき主権回復記念日』
 
 
昭和二七年四月に、六年有余の占領がとかれ、我が国は国家主権を回復し独立した。時の総理大臣は吉田茂であった。吉田は昭和二一年には外務大臣であったから日本国憲法がGHQ(マッカーサー)草案の翻訳であることとあの憲法制定の第九〇回帝国議会が八百長芝居であったことのいずれも熟知する、数少ない日本の政治家の一人であった。しかし、吉田茂は、この昭和二七年四月二八日の主権回復記念日にあっても、日本国憲法の出生の秘密を国民に公表することを拒んだ。その失効を宣言することを避けたのである。よって、正統性なき日本国憲法、ここに、日本の国歌一〇〇年の未来に甚大な禍根を残す最高法典として存続することとなった。

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【今日は何の日?】チェルノブイリ原発事故(4/26)

1986年(昭和61年)4月26日午前1時23分(モスクワ時間)に旧ソ連(現ウクライナ共和国)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故。<チェルノブイリ原発事故>


『原発事故さえも謀略宣伝に利用した菅直人/民主党/左翼・アナーキストたち』

 
        
 共産主義者は、悪の存在しない”悪ゼロ”の、善のみの社会=「共産社会」を妄想する。これと同じで、事故のない、"事故ゼロ"の社会=「共産社会」を妄想する。だが、悪が完全に消えれば善もまた完全に消える。

われわれ正常な人間は、善の満ちる社会を創るべく日々努力する。すなわち、悪の最小化を追求する健全な文明社会を築こうとする。が、善悪の消滅した悪魔の社会を理想とはしない。善悪がなくなれば、道徳も法的正義も存在しえず窒息し、文明の社会civil societyは自壊し、暗黒へと反転する。

善悪が消滅したディストピア(暗黒社会)をユートピア(理想社会)だと転倒妄想する、“悪魔の思想”社会主義が流入して祖国ロシアが破壊されていくのを阻止すべく、大文豪ドストエフスキーは小説「異端審問官」(『カラマーゾフの兄弟』)を書いた。

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【今日は何の日?】サンフランシスコ講和条約発効、主権回復(4/28)

アメリカ合衆国をはじめとする連合国諸国と日本国とが、第二次世界大戦の戦争状態を終結させるための講和条約である「サンフランシスコ平和条約」(正式名称は「日本国との平和条約 Treaty of Peace with Japan 」、全七章二七条)が発効。国際社会への復帰なる(1952年=昭和27年)。



『憲法を破棄しなかった吉田茂の大罪』

 

憲法九条について、「日本を亡国へと自壊せしめていくことを狙って米国が押しつけた」というのは、反米運動からの牽強付会的な謬説である。気をつけた方がよい。占領下の敗戦国は主権を喪失しているのであるから、それは物理的国防(軍隊)も、情報的国防(諜報・防諜の機関)も占領軍が代行する以上、第九条のような契約(協定)は締結されておかしくない。GHQが、この第九条とともに、日本が占領期間中は諜報・防諜機関をもてぬよう刑法第八十三~六条の削除も命じたとの話は事実かどうかはっきりしないが、もしそうなら主権喪失に伴う占領側の当然の措置といいうる。

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【今日は何の日?】英国、サウス・ジョージア島を奪還<フォークランド戦争>(4/25)

サッチャーの英国、アルゼンチンが侵略した英領サウス・ジョージア島を武力行使により即時奪還(4/25)
(1982年=昭和57年)


1982年3月19日にアルゼンチン海軍艦艇がフォークランド諸島の英領サウス・ジョージア島に2度にわたって寄航し、イギリスに無断で民間人を上陸させた(サウスジョージア侵攻)。イギリスはサウス・ジョージア島からのアルゼンチン民間人の強制退去命令を出すとともに3月28日に米国の支援を要請し、原子力潜水艦の派遣を決定した。4月2日にはアルゼンチン正規陸軍が同島に侵攻。4月25日にサウス・ジョージア島にイギリス軍が逆上陸、即日奪還した。アルゼンチン軍は航空攻撃でイギリス艦船を撃沈するなど当初は優位に戦いを進めたものの、イギリス軍は経験豊富な陸軍特殊部隊による陸戦や長距離爆撃機による空爆、また同盟国アメリカやEC及びNATO諸国の支援を受けた情報戦を有利に進め、アルゼンチンの戦力を徐々に削り、6月7日にはフォークランド諸島に地上部隊を上陸、6月14日にはアルゼンチン軍が正式に降伏。戦闘は終結した。


フォークランド紛争は、近代化された西側諸国の軍隊同士による初めての紛争であり、その後の軍事技術に様々な影響を及ぼした。両軍で使用された兵器のほとんどは実戦を経験していなかったが、この紛争で定量的に評価された。また、アルゼンチンはイギリスから兵器を一部輸入していた上、両軍ともアメリカやフランス、ベルギーなどの兵器体系を多数使用しており、同一の兵器を使用した軍同士の戦闘という特徴もあった。


両国の国交が再開され戦争状態が正式に終結したのは1990年2月5日だった。しかし、国交再開交渉でもフォークランド諸島の領有権は問題は棚上げされ、現在もアルゼンチンは領有権を主張している。


参考:「フリー百科事典ウィキペディア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%B4%9B%E4%BA%89



『フォークランド戦争の教訓』



領土・領海・領空(=領域、territory)は国家にとり神聖でありその不可侵性(integrity)を守りつづけるのが主権国家である。国民たるものすべてが国家の領域を守るに生命を棄てる価値があると考えてこそ、その国家が未来に向って世界に存在しつづけることが可能となる。一九八二年にサッチャー首相は英本土より一万三千キロメートルも遠隔の小島(フォークランド諸島)を守るため、アルゼンチンとのいっさいの外交交渉を拒絶して、断固たる武力奪還の道を選択した。かなりの数の英国の将兵が生命を落とした。しかし、国家の領土を守ることは血を流すに値する。

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【今日は何の日?】日本、子供の権利条約を批准(4/22)

日本政府、「子どもの権利に関する条約 Convention on the Rights of the Child」を批准(1994年=平成2年)。


なお、同条約は1989年11月20日国連総会で採択された。



『国連の中の“世界共産化”運動』



国連とは、米国のフロント組織とソ連の準・フロント組織という矛盾対立する二重の特性をもって発足した国際機関である。第一の特性は、「世界の警察官(World Police)」である米国がなす自由社会と世界平和の擁護のための軍事活動を賛助し協力するために、米国のフロント組織として米国によって設立されたからである。国連の本質はあくまでも米国がリーダーであった第二次世界大戦時の軍事同盟機構の連合国(United Nations)なのであり、一般通念上の国際機関ではない。中立国の都市ジュネーブでもなくウィーンでもなく、米国のニューヨークに国連が設置されているのはその名残りである。一九九〇年代、イラク制裁に対して米国がいつも国連の対米無条件協力を求めるのは、国連の設立趣旨からすると間違っていない。


第二の特性は、国連の設立時に主に米国の国務省に巣喰っていた(スターリン指揮下の)共産主義者たちが大量にもぐりこみ、またこれに加えてソ連を初め各国から多くの共産主義者が国連職員として採用されたために、国連は世界共産化を狙うソ連の準・フロント組織的な機能を偶然にもってしまったことである。あのマッカーシー上院議員らによる「赤狩り」は一九五〇年から始まり、 一九四五年の国連設立時にはまだなく間に合わなかった。国連による世界人権宣言や「子供の権利」条約が、自由社会の原理に反するドグマに満ちた世界共産化マニフェストとなっているのは、これらの共産主義者によってそれが作文されたからである。日本共産党がこの条約などを全面的にバックアップし、宗教上の教典の如くに扱う理由もこれである。

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【今日は何の日?】在ペルー日本大使公邸人質事件(4/22)

ペルー(フジモリ大統領)、1996(平成8)年12月17日からトゥパク・アマル革命運動(MRTA)メンバー14名が占拠していた日本大使公邸に、日本政府に通告がないまま武力突入。



『主権国家の義務と責任を放棄した日本』
 
あのルース・ベネディクトが『菊と刀』で日本の文化は「恥の文化」だときめつけて、日本はだから「後れている」「前近代的だ」というイメージをつくったことも、戦後日本から「恥」という美徳が消されていった原因の一つになりました。


「恥」は日本だけの文化ではなく世界共通の徳性の基本です。『論語』や『孟子』も、恥、恥、恥、と洪水みたいに言及しています。

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【今日は何の日?】シナに蒋介石政権が樹立(4/18)

蒋介石を中心として南京国民政府(蒋介石政権)が樹立され、中国共産党が排除される(国共分裂)(1927年=昭和2年)。


『蒋介石政権の殲滅ー日本の誤った対支外交』

・・・・・・日本の一九二八年から一九四五年の対支外交は、日本という国家のすべての財産と三百万人の男性の命を提供してまで、ロシアと支那のカップリング、すなわち「拡大ハートランド」づくりに全面協力した愚行の外交だった。


一九二八〔ママ〕年四月、国民政府といわれる、蒋介石政権が支那に誕生した。辛亥革命から十七年間の“アナーキーな支那”を経て、支那にとって秩序の回復が期待できる久々にまともな政府が産声をあげた。これをもって日本は、一九一五年の対支二十一ヶ条要求などの強面の外交を、外務大臣・幣原喜重郎(一九二四年六月~七年四月、一九二九年七月~三一年十二月)がなしたように、賢明で先見のある「軟弱外交」へと転換すべきであった。


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【今日は何の日?】日ソ中立条約に調印(4/13)

日本政府、スターリン・ソ連邦との「日ソ中立条約」*に調印 (1941年=昭和16年)


* 正式名称は「大日本帝國及「ソヴイエト」社會主義共和國聯邦間中立條約」。1941年4月25日発効。



『ソ連(=ロシア)の微笑は侵略の前兆』


昭和二十年八月、日本がソ連からあれほど無防備のままに侵略されたのは、いうまでもなく、あの日ソ中立条約をソ連が遵守するだろう、というソ連の誠意を信じたためであり、スターリンの奸計にひっかかったからである。ソ連は、侵略をしようと狙いを定めた国に対しては油断をさせて、その間じっくり侵略の準備をして、より確実な侵略の成功をかちとろうとする。ソ連がかつてフィンランド、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ポーランドとの間に次々に結んだ不可侵条約はその典型であった。これらの国はことごとくソ連に侵略されることになった。ソ連が、蒋介石の中華民国政府と中ソ友好同盟条約(一九四五年八月)を結んだケースも、この結果として、米・華両国が、中国共産党に対して“大油断”することになった点において、全く同じやり口であった。四年後の一九四九年、蒋介石は共産党に油断し中国全土から追い出された。


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【今日は何の日?】ソ連、日ソ中立条約を更新しない旨を通告(4/5)

ソ連が日本に対し、昭和21年4月で期限切れとなる「日ソ中立条約」を延長しない旨通告(1945年=昭和20年)。


この年の8月8日ソ連は満洲、朝鮮北部、南樺太および千島(「クリル諸島」=得撫島より北の諸島)への侵攻を開始した。


なおソ連の通告は、再延長をしない旨の通告であったにもかかわらず、条約が有効であった時に対日侵攻した事実を糊塗するためにこれを「破棄」と表現しており、“歴史修正”をなしている。



『“外交オンチ”は亡国に直結する』


ソ連の対日戦争への意図が理解されうる事実は、数多くあった

一九四四年十一月七日の革命記念日のスターリンの「日本はドイツとともに侵略国である」との公開の演説があった。


また、同年の十二月四日に、ソ連が「敵国日本」という言葉を使用していることを日本は傍受さえしている。さらに、一九四五年四月五日には、次のような日ソ中立条約の破棄通告も受けている。特に、この破棄通告の覚書は、どう読んでもソ連は日本と敵対関係にあることを十分に表明しており、ソ連が条約の規定に基づき、その後一年間も中立を保つ、と考えるほうが無理であろう。


「・・・・・・以来事態は根本的に変化し日本は其の同盟国たる独逸の対ソ戦争を援助し且ソ連の同盟国たる米英と交戦中なり・・・・・・」(『日本外交史・第二十五巻』)

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【今日は何の日?】キング牧師暗殺(4/4)

マイティン・ルーサー・キング牧師暗殺(1968年=昭和43年)



『「平等の否定」こそ憲法原理』
 
”正しい自由”は価値であり、憲法はこれに奉仕する手段である。しかし、「平等」は「法(法律)の前の平等」を除いて)”自由”を侵害するから憲法原理ではない。むしろ米国憲法のように、「平等の否定」こそは、憲法原理である。


「自由の王国」である米国には「平等主義の平等」思想は、建国から永く存在しなかったが、一九六〇年代に入り、キング牧師らの公民権運動のたかまりの中で初めて発生した。それでも、この「平等主義の平等」が、米国民の過半に受容されることはなかった。
 

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はてなブログ「中川八洋掲示板」

はてなブログ「中川八洋掲示板」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/

※管理人・吉田寿太郎


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中川八洋年譜(四)2000年~2009年

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2000・平成12年  55歳
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01月25日 国際総合学類長・綾部裕子教授と匿名電子メール発信者を刑事告訴す(20000208『筑波大学学生新聞』号外)

01月        谷村秀彦・第三学群長(国際総合学類が所属)に対して、五百五万円の損害賠償を求める民事訴訟を提起(20000331『週刊朝日』105(14)4374)

○            谷村秀彦・第三学群長らを名誉棄損の罪で水戸地検に告訴(20000210『毎日新聞』地方版/茨城)
○            綾部国際総合学類長を民事提訴(20000331『週刊朝日』105(14)4374)

02月09日 谷村秀彦・第三学群長に対し505万円の損害賠償と謝罪を求めた民事訴訟の第一回口頭弁論が水戸地裁土浦支部(日野忠裁判官)で開廷(20000210『毎日新聞』地方版/茨城、20000410『筑波学生新聞』新入生歓迎号)

02月18日 「綾部・谷村両教授を支援する会」が自然学類長・佐々木建昭教授らを中心に結成、三月二三日までに筑波大学教職員130名が加盟、ほかにも自称市民団体による「中川発言に怒る女達の連絡会」「中川発言を許さない茨城の会」などが結成(20000331『週刊朝日』105(14)4374、20000410『筑波学生新聞』新入生歓迎号)

▽ 03月  週刊朝日・太田啓之からの取材申込に質問表の事前通告を要求、八項目の質問に対して配達証明付郵便で回答謝絶文を返信
  《「太田様 此の度は太田様からの『質問表』につき拝読させて頂きました。率直に申し上げますことを御海容頂きたくまずもって御願い致します。さて、太田様が私に対する中傷誹謗をまさか企図されているとは決して信じてはおりませんが、この『質問表』は余りにも公正さを欠き事実の歪曲や転倒あるいは偽情報その他の諸問題が多々あるように見受けられますと申し上げねばならないことを大変遺憾に存じます。
   回答につきましては、上記の事由によりそうならないものと信じておりますが太田様の記事に対する今後の対応のなかでさせて頂くことがあるかも知れませんので、今の所はさし控えさせて頂きますこと、何分とも御了解のほどよろしく御願い致します。草々
  中川 拝》(20000331『週刊朝日』105(14)4374)

03月         筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第28号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

05月25日 谷村秀彦・第三学群長に対する民事裁判の第二回口頭弁論が水戸地裁土浦支部で開廷、中川教授側の弁護士出廷せず裁判休止宣言さる(20000510『筑波学生新聞』164)

06月        国際総合学類長・綾部裕子教授に対する請求棄却(20010110『筑波学生新聞』170)

06月20日 国際総合学類教員会議(中川教授欠席)開催、「中川教授が教員会議の運営に影響を及ぼさないように、教員会議、人事懇談会、その他の学類運営に関する委員会への出席を一年間停止する」決議採択(199909『筑波大学新聞』、20001110『筑波学生新聞』168)

○            谷村秀彦・第三学群長らを名誉棄損の罪で水戸地検に告訴(20000210『毎日新聞』地方版/茨城)

○            綾部国際総合学類長を民事提訴(20000331『週刊朝日』105(14)4374)

09月08日付『朝日新聞』夕刊に海自三佐機密漏洩事件についてのコメントが掲載さる(該紙)

11月07日 綾部裕子・国際総合学類長と同学類クライン・シュミット教授が中川教授に対して名誉毀損の民事裁判を提起、それぞれ約六百万円の尊倍賠償請求と謝罪文提出を要求(20010110『筑波学生新聞』170)

○      民事訴訟の第一回口頭弁論が東京地裁で開廷(20010110『筑波学生新聞』170)

○         「新しい教科書をつくる会」西尾幹二より、教科書採択に関心がないことを聞く
《西尾はまた、二〇〇〇年、私にこう語った。「(自分が作った教科書について)採択など僕はまったく関心はないよ!」と。西尾がつくった扶桑社版教科書が、五万冊ではなく、たった五二一冊(〇・〇三九%、二〇〇一年九月文部省発表)しか採択されなかった。教科書づくりにおける大敗北、しかし西尾はしらっとして落ち込まなかった。採択などどうでもいいという、西尾の真意・深層意向とは矛盾していなかったからだ。》「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)──「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」」
http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-6.html※リンク切れ
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140626

○           谷沢永一にルソー『人間不平等起源論』の精読を依頼する
《「ルソー=偉大な哲学者/教育学の先駆者」という"毒ある逆さ神話"に呪縛された日本人を覚醒すべく、一人から始めようと、一九九〇年代の末、谷沢永一氏に『人間不平等起源論』を精読して欲しいと依頼したところ快く引き受けていただき、自著『妄想の人権 平等』(二〇〇一年、注4)に読後感を書いてくれた。しかし、日本で正しい客観的なルソー論は、それ以上広まることはなかった。》「
歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅳ)──ルソーの分裂病思考に酷似する、西尾を蝕む分裂症幻覚“ 」

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2001・平成13年  56歳
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03月         筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第29号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

秋             韓国・京畿道南楊州市金谷洞の御陵「英園」およびソウル市内の宗廟に参詣
《ソウルから東に約100キロの金谷洞にある御陵「英園」に、「最後の皇太子」李●〔土+艮〕殿下が眠られている。私は、墓参りする度に、韓国に王制を再興できないものかと語りかけている。》(200704『力の意志』85)

《韓国のソウルから二十四㌔ほど東、京畿道南楊州市金谷洞に御陵「英園」がある。ここに最後の皇太子・李垠殿下が埋葬されて眠られておられる。私は、二〇〇一年の秋、『歴史を偽造する韓国』の出版(二〇〇二年四月刊)を控えて、垠殿下の墓参だけを目的に韓国を訪れた。
  線香ほか仏式の祭具一揃いは持参していたし、菊の花はホテルで買った。墓を訪れる朝鮮の観光客は全くおらず、静寂な空間の中でたった一人、私は一時間ほど数珠を片手に墓前にて正座して手を合わせた。むろん、この後、隣に眠られておられる(梨本宮女王で世界最高の女性)方子(まさこ)妃殿下の墓にも詣でた。
  その後、永寧殿第十六室に垠殿下を祀るソウル市内の宗廟にも、「英園」から車で直行してお参りした。朝鮮式の礼法を知らないし、神道形式でするのも変だから、ただ跪いて手をつき数回叩頭した。私の背中側では、朝鮮人の観光客数名が不思議そうな顔をして立ち止まって見ていた。
・・・・・・
私が垠殿下の墓参りをした理由は、二つ。第一は、一九一〇年の韓国併合で李朝の王制を廃した日本の罪を詫びるため。第二は、一九二六年に最後の国王・純宗(李垢)が崩御された時、韓国併合を終了し韓国を独立させ、ソウルにて垠皇太子の盛大な即位の大礼を挙行すべきであったのにそれをしなかった日本の罪を詫びるためである。》
「安倍総理よ、「河野談話」破棄を直ちに世界に宣せよ!──米国の了解は、中川八洋を派遣すれば、いとも簡単なこと」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/04/14/142218

12月       「女性天皇」論が組織的に大キャンペーンされ始める(『皇統断絶』269)

○          西尾幹二より『新しい歴史教科書』(扶桑社、2001年6月10日初版)を献本されて一読、「反人間」「反文明」のニーチェ同様の狂気の情念を看取す
《中学生用の西尾版『新しい歴史教科書』(扶桑社刊)を、二〇〇一年、西尾幹二から贈呈されて一読した時、その余りのひどさ、つまり洪水のような歴史事実の歪曲と改竄、そして共産党と変らぬ極左一色の立ち位置に、思わず絶句した。》
「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅰ)──「東京裁判史観」より百万倍有害な「西尾史観」」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140626

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2002・平成14年  57歳
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01月10日 『正統の憲法 バークの哲学』を中央公論新社<中公叢書>)より刊行。
《“正しい憲法思想入門”というべき『正統の憲法 バークの哲学』を2001年末に出版したのは、日本の大学で狂った憲法学の致死性ウィルスを伝染させられる前に、18歳になった学生が先に飲んでおく、殺菌力確かな抗生物質が必要だと考えたからであった。
そして、『正統の憲法 バークの哲学』の姉妹版『〈法の支配〉と立憲主義』を直ぐにも執筆することを予定していたが、皇位継承三部作『皇統断絶』『女性天皇は皇室廃絶』『悠仁天皇と皇室典範』の執筆に追われて、いつしか忘れてしまっていた。今般、“反・立憲主義”一色の、長谷部恭男のトンデモ“逆(エセ)憲法学”書を偶然に読む羽目になって、十五年前に『〈法の支配〉と立憲主義』を執筆計画していたことを思い出した。頑張って書くべきか否か、今、思案している。》
「“ガラパゴスの赤い奇獣”長谷部恭男の“逆・憲法学” ──警官の制服を着た強盗が「強盗を捕まえろ!」と大声で騒ぐに同じく、“反・立憲主義者”は、「立憲主義!」を連呼する」
〔引用者注〕『正統の憲法 バークの哲学』(中央公論新社<中公叢書>)は2001年12月20日初版印刷。


03月         筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第30号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

04月30日 『歴史を偽造する韓国──韓国併合と搾取された日本』徳間書店より刊行(該書)http://amzn.to/1j530YD

《私がこの本を書いたのは、そういう国際政治学者としての疑問だけではないんです。私が子供の頃というのは、大人から、韓国の禿げ山は日本人が木を植えて全部緑にしたとか、韓国の学校はみんな日本が造ったんだとか、朝鮮に金を送るために内地では増税になって大変だったとか・・・・・・、そういった正しい常識がごくふつうの世話話として存在していました。
ところが、今は逆で、日本が韓国の木を全部切って禿げ山にしたとか、土地や田んぼを取り上げさんざん搾取したとか、差別・弾圧したとか、とんでもない話になっている。
これはやはり一人の日本国民として放ってはおけない。このようなウソはきちんと正した上で、歴史の真実というものを次の世代に伝えるのは国民としての、また大人としての義務だとも思いました。それがこの本を書いたもう一つの理由です。》(「巻頭インタビュー 歴史を偽造する韓国の歴史教科書」、200206『明日への選択』197)

05月13日 日本政治文化研究所の雑誌『明日への選択』編集部の求めによりインタビュー「歴史を偽造する韓国歴史教科書」を受ける(200206『明日への選択』197)

08月  櫻井よしこ『<真相箱>の呪縛を解く』(小学館文庫)刊、該書の寄贈を受ける
《2002年、『<真相箱>の呪縛を解く』という本が送られてきた。櫻井よしこ氏とは交流がまったく無いので、おそらく出版元の小学館からの贈呈であろう。1946年8月に刊行された活字版『真相箱』の再刊だが、一読して、江藤淳『閉された言語空間』(文庫版1994年、273~4頁)に触発された事は明らかで、「江藤淳が病原となった民族系カルト宗教が、いよいよ伝染力を発揮し始めたな」が、私の率直な印象だった。》
「昭和天皇への叛逆に民族系論客を洗脳した、“反GHQ教の開祖”江藤淳と“悪の教典”『閉された言語空間』 ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(22)」
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/05/09/090228

09月09日 『絵解き ルソーの哲学』刊
《さて、本書出版のいきさつは、筑波大学の中川八洋教授に紹介されて一読し感嘆、すぐ出版しなくてはならないと決心したことに始まりました。ルソーを客観的に批判する良書をまず一冊だけでも世に送り先鞭をつけたいとかねてから考えていましたので、日本の中・高校生にも読める挿画に紙幅の過半を割くロビンソン氏の本書はまさしくその一冊だと直感したからです。
  中川教授はソ連邦の崩壊と同時に「逆転の発想」的に日本の共産化もしくは日本社会の溶解的自壊を予測し、直ちにバーク研究とルソー研究に取り組んだ稀有な学者ですが、本書の出版に際しても、解説を快く書いて下さいました。フランス革命勃発に際してのバークの熱情を彷彿とさせる内容の解説で、またロビンソン氏の論旨の延長上で、的確に補強してくれています。ここに深く御礼申し上げます。》渡部昇一「序文 私の「ルソー排撃宣言」」、デイブ・ロビンソン、オスカー・ザラット著、渡部昇一監訳『絵解き ルソーの哲学』9

《また、英国が米国に次ぎ健全な国だといえるが、それは、ルソー批判・糾弾の分厚い専門書が、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』(一七九〇年)以来、数え切れないほど出版されている事実から即座に理解できよう。私と渡部昇一氏は、英国において出版されたルソー批判の無数の(多くは大著の)著作の中で、最も薄いブックレットを見つけ、翻訳出版した(注2)。》
「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅲ)──“天皇制廃止の畸形バイブル”西尾著『皇太子さまへの御忠言』」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140715

引用者注:文中、「ルソー批判の無数の(多くは大著の)著作の中で、最も薄いブックレット」とは、デイブ・ロビンソン、オスカー・ザラット著、渡部昇一監訳『絵解き ルソーの哲学』のこと。

10月     日本人拉致被害者の帰国を見て『日本核武装の選択』の着想をえる
《本書は、私の核戦略三部作の三番目にあたる。前二作は、『核軍縮と平和―SDI時代の軍備管理と核兵器』(中公新書)と『現代核戦略論』(原書房)である。また本書は、二〇〇二年十月、北朝鮮に拉致された被害者の五名――蓮池夫妻、地村夫妻、曽我さん――の方々が羽田空港に到着してタラップを降りてくる光景をテレビでみた瞬間、執筆の決意と構想が浮かんだものである。すぐに執筆すべきが同胞の義務であったのに、二年も遅れてしまった。このことについて、多くの拉致被害者とその家族に深くお詫びしたい。》『日本核武装の選択』250


11月 ”ポスト・モダン建築家”磯崎新が「未来の廃墟」をコンセプトとした展示会「EXPOSE 二〇〇二」横浜展を見に行く。
《磯崎のモチーフ“廃墟”が端的に表現された作品として、「つくばセンタービル」に次ぐものは、一九六八年の「ミラノ・トリエンナーレ」で展示予定であった「エレクトリック・ラビリンス(電気的迷宮)」であろう。それは、二〇〇二年に復元され、{EXPOSE 二〇〇二」として、大阪と横浜で展示された(二〇〇二年十一月~翌一月)。
私は、横浜のを見にいった。》『福田和也と《魔の思想》』42-43


12月25日 「日本李登輝友の会」設立発起人に名を連ねる。平成14年11月13日現在で425名、事務局所在地:〒173-0011 東京都板橋区双葉町7-10 台湾研究フォーラム気付(当時)
http://www.emaga.com/bn/?2002110077213470017534.3407 ※リンク切れ
http://www.asyura2.com/0505/asia1/msg/977.html

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2003・平成15年  58歳
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03月     筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第31号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

▽               少子化社会対策基本法をはじめとする“共産革命三法”の洗脳から自民党国会議員を解き放つべく、奮闘する
《少子化社会対策基本法は、厚生省の共産党官僚が、自民党議員を回って、これで出生率がアップしますよと騙して制定したもので、その目的は出生率を低下させることと家族解体である。家族解体については、前文で公然とそう書いている。しかし、自民党国会議員は、法案を読むことはないし、読んでも全く理解できない。 
私事だが、かつてたった一人で、この厚生省官僚が洗脳して歩いた自民党国会議員を一人ひとり尋ねて洗浄してまわった。多勢に無勢で負けたというより、国会議員にとって内容ではなく、「官僚の方が学者より良心と専門学識がある」との先入観が固定していることをいやというほどに知らされた。霞ヶ関を制するものが、天下を制するは、真理であった。》
「経団連よ、“フェミニズム狂”安倍晋三と闘え! ──日本経済の発展には、赤い霞ヶ関官僚排除こそ最優先」

▽              バーク研究を本格的に開始する
《なお、本書の第三章と終章のバーク哲学の部分は、バーク研究に関して一年ほどしか時間が経っておらず、前著『正統の哲学 異端の思想』の第二章と第六章から一部転用している。》『保守主義の哲学』あとがき(平成十六年二月十一日)、p.389

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2004・平成16年  59歳
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03月         筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第32号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

10月31日 徳間書店より『日本核武装の選択』刊(奥付)
《なお、1960年に核実験に成功し核保有国となったフランスが、この核武装に急いだ理由は、1956年にアイゼンハワーに裏切られた、米国の“核の傘extended deterrenceの信頼性credibility”の低さに愕然としたからだけではない。(米国に見捨てられないよう)米国との同盟関係をより緊密化するに核武装こそ接着剤的な効果があるとの理論(ボーフル将軍)に負うところも大きい。この後者の戦略理論を、私(中川八洋)は、「同盟国間の核カップリング効果nuclear-coupling effect」と名付けた。》
「“戦争の21世紀”を誘爆したオバマ大統領の広島訪問 ──「米国の核による平和」に矜持なきオバマは、“非・米”の野蛮人」

《どんな素人でも、もし日本核武装を真剣に興味をもつ日本人は、必ず日本のトップ専門家で当該分野の唯一の専門家である中川八洋の、そのかなりの数の著作や学術論文を集めて、まずはその精読から始める。例外は一人もいない。

 また、諸外国の政府機関で、日本の核武装の動向を調査するに際して、真っ先に中川八洋の著作が分析される。これが現実である。

(備考)例えば米国政府では、中川八洋の核兵器・核戦略理論・核軍備管理論等の各関連分野の論文・著作は、すべて国務省が翻訳し、国防総省・CIA等の米国の政府機関内に限って自由に閲覧に供されている、と聞く。》
「“詐言師”伊藤貫の真赤な嘘話が大好きな、“精神分裂病作家”西尾幹二──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史32」

12月01日放送の日本文化チャンネル桜「渡部昇一の「大道無門」 #010」にゲスト出演
http://www.so-tv.jp/channel/title/channel_number_cd/00001/program_regist_no/00001030220070510-1178791505327※全映像視聴には要メンバー登録

12月        皇位継承学の概論となる著書の執筆を開始
《しかし、コミュニストの園部逸夫が、"天皇制二〇四五年廃絶学"ともいうべき、共産党の新しい天皇制廃止の公式理論を『皇室法概論』という名で出版した二〇〇二年四月、そのひどさに、その洗脳力の高さに、学なかばでも剣を抜く時と覚悟して『皇位継承学概論』の執筆を決意しました。ただ、本格的に開始したのは、二〇〇四年十一月〔原文のママ〕、奇しくも、この園部逸夫が座長代理を務める「皇室典範有識者会議」が設置された、その一ヶ月前でした。》『悠仁<天皇>と皇室典範』331

《「有識者会議」の名簿が発表になった二〇〇四年十二月に、その『報告書』は、完全に想定できましたので、この十二月に私は、初級入門書(『皇統断絶』)、中級解説書〔『女性天皇は皇室廃絶』〕、上級専門書〔『悠仁<天皇>と皇室典範』〕の三冊、計千枚の「皇位継承学」(仮称)を出版する計画を立て、すぐ執筆を開始しました。今はこの三作目に入っています。》『皇室消滅』143・144。〔〕は引用者による

《私の『皇位継承学概論』は、入門編(初級)、基礎編(中級)、専門編(上級)の、三部作構成にすることとして、それを順次、出版することにしました。合わせて一一〇〇枚程度を計画しました。
  約二年弱を経て、今般、初級のが『皇統断絶』(ビジネス社、二〇〇五年四月)、中級のが『女性天皇は皇統廃絶』(徳間書店、二〇〇六年二月)、上級のが本書の『悠仁<天皇>と皇室典範』(清流出版)として、一応の完結を見たわけです。これら三冊合計の分量は、ほぼこの計画どおりでした。》『悠仁<天皇>と皇室典範』332

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2005・平成17年  60歳
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03月         筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻の紀要『歴史人類』(第33号)の編集委員に名を連ねる、今号より発行者変更(該誌)

08月         清流出版・加登屋陽一、フリー編集者・松崎之貞と『福田和也と《魔の思想》』出版の打ち合わせ
《 僕は長年、稀代の論客として名高い中川八洋さんには注目していた。そんな折、かつて徳間書店の編集局長を務めていた松崎さんから、中川さんの単行本の企画提案があったのだ。渡りに船とはこのこととばかりにすぐにオーケーを出した。
松崎さんは中川さんの名著『正統の哲学 異端の思想――「人権」「平等」「民主」の禍毒』(徳間書店 1996年)を編集した方だ。今回、わが社から出す本のタイトルは、『福田和也と《魔の思想》――日本呪詛(ポスト・モダン)のテロル文藝』となる予定。当代随一の人気評論家・福田和也氏を、放蕩、虐殺(テロル)、祖国廃滅(ポスト・モダン)の「幻像の文藝」の「危険な思想家」として断じることで、いまわが国を覆っている文芸、思想の潮流を分析し、バッサリと斬る狙いだ。福田氏のほかにも、氏の友人や「師」の、建築家の磯崎新、作家の保田與重郎、哲学者の浅田彰などを俎上に乗せ、「文人・福田和也」の真像をより深く解剖している。
ここで中川さんの経歴を少し述べておこう。東京大学工学部航空学科宇宙工学コースを卒業し、大学院を修了され、そのあと一転してジャンルを変える。スタンフォード大学大学院で比較政治学を専攻、修士課程を修了し、科学技術庁を経て、1980年より筑波大学助教授、1987年より同大教授になられた。いわば理系から文系に移られたユニークな学者である。
そんな中川さんが満を持して世に問うのが今回の『福田和也と《魔の思想》――日本呪詛(ポスト・モダン)のテロル文藝』である。いつの間にか、日本のアカデミックな世界をはじめ、ジャーナリズムの第一線に立つ人々が多く依拠するポスト・モダン思想を日本で初めて総括、批判する書として長く記憶に留められ読みつがれる本だと思う。是非、お読みいただきたい。》 http://www.seiryupub.co.jp/blog/2005/08/

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2006・平成18年  61歳
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02月08日 秋篠宮紀子妃殿下の御懐妊報道
《紀子妃殿下のご懐妊報道(二〇〇六年二月八日)が、国中の慶祝の歓喜に包んだとき、私は、皇祖神が威をもって日本の国中をご加護され守っていると、かつて山上憶良が遣唐使となって発つ友に餞として贈った「好去好来の歌」にある「大和の国は 皇神の厳しき国 言霊の幸はふ国・・・・・・」(『万葉集』巻五)を思い出していた。皇神は、不可思議ではあるが本当に今も、日本を包んでいる。》(『女性天皇は皇室廃絶』3)

03月        筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻の紀要『歴史人類』(第34号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

11月10日 日本テレビ系バラエティー番組『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。 2時間スペシャル』にゲスト出演、日本の核武装がテーマ

○ 八木秀次から、氏の学問に対する”本音”を聞かされる
《「参議院議員になるためのステップとして教科書運動をやっている」とか「憲法学であれ何であれ、学問など権力にも名声に繋がらないからバカバカしく全然する気はありません」と、2006年に私に漏らした本心を正直にカミングアウトすべきだろう。》
「北朝鮮人化する“無学輩”八木秀次──日本を救ったポツダム宣言を貶める“新・国賊”」

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2007・平成19年  62歳
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01月      『悠仁<天皇>と皇室典範』刊
《『悠仁〈天皇〉と皇室典範』(二〇〇七年一月)は、主に井上毅が書いた『皇室典範義解』(一八八九年)を、一一八年の時を経て、二十一世紀日本が活用できるよう書き直したものです。『悠仁〈天皇〉と皇室典範』と『皇室典範義解』が、双子のようにそっくりなのは、当然です。
また、『悠仁〈天皇〉と皇室典範』は、『皇室法概論』を全面的に否定する視点で論が展開されています。園部逸夫(の名前で某組織)がこれに慌てて『悠仁〈天皇〉と皇室典範』への反論を緊急に出版しました。それが『皇室制度を考える』(中央公論新社、二〇〇七年九月)です。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』142

《民族系・男系派の論客、あるいは日本会議や神社本庁など民族系団体が不可解できわめて異様なのは、「有識者会議」がその『報告書』を出してすでに五年以上が経過したが、この『報告書』に対して反論(カウンター)する『逆・報告書』を書かないし、書こうともしないことである。
例えば、二〇〇六年秋、秋篠宮悠仁殿下がご誕生になられてはいたが、私は、必ず再燃する将来の天皇制廃止運動を予測し、その際の皇室典範改悪を阻止すべく、法哲学を含めた法律学での皇室典範論を出版した。『悠仁〈天皇〉と皇室典範』で、二〇〇七年一月である。園部逸夫の著『皇室法概論』を根底から否定しておく法理論を提示するためだった。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』185

(参考)
《民族系・男系派の論客の中で、中川教授のように、皇位継承に関する天皇制廃止勢力の新しいバイブル、(園部逸夫著『皇室法概論』を、正々堂々と真っ正面から純学問で批判したものは一人もいませんね。)》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』137

《「女系論」を排撃するには、保守主義の皇位継承学の専門家を養成すると同時に、「ジェンダー思想」を排撃・洗浄する理論の専門家の養成も不可欠です。しかし、保守系で皇位継承の理論家・学問化に取り組んでいるのは、私ひとりしかいません。
「ジェンダー」を排撃する、保守主義の現代思想の構築も、私ひとりがその途次にあって、私以外は誰もいません。「保守」が、崩壊・溶解(メルトダウン)しつつある日本の惨状は、もはや絶望そのものです。民族系に運動家や売文業的な評論家は少しいますが、保守主義的な憲法思想を専門とはしていません。日本での"保守の終焉"は、保守主義者が、私を除き、完全に枯渇し払底し絶滅した現状において、もはや不可逆の過程に入りました。》『小林よしのり『新天皇論』の禍毒』178

《日本国は、天皇を奉戴し皇室への尊崇なしには滅びます。そして、皇統を護持せんとするならば、これからは中川教授の学説にしたがって、日本の国論が『中川皇位継承学三部作』と一致するほかありません。
不世出の法制官僚であった井上毅が遺した現・皇室典範の第一条/第九条/第十二条は、万が一にも触ってはなりません。これをわずかでもいじったら、その瞬間、皇統断絶/皇室消滅は不可避です。“「井上毅→中川八洋」皇室典範学”だけが、女性天皇の擁立/女性宮家の創設を旗に掲げた"反・天皇"革命の大津波に抗して、皇統を護持する唯一の理論的防波堤です。》『小林よしのり『新天皇論』の禍毒』178-179。太文字は原文による。

《『皇室典範義解』は井上毅の作で、それをそっくり継承した、その二十一世紀版が『悠仁〈天皇〉と皇室典範』で中川八洋の作。すなわち、『悠仁〈天皇〉と皇室典範』は、『皇室典範義解』のクローンである。
井上と中川が、憲法思想における親子関係にあるのは、ルソー批判においてもはっきりしている。日本で最初のルソー批判者は井上毅で、戦後日本でのルソーの本格的批判者は中川である。そして、両名以外、(井上の股肱で明治憲法の起草に携わった金子堅太郎を除けば)日本でルソーを批判した知識人は不在である。》『小林よしのり『新天皇論』の禍毒』264

引用者注:ルソーを批判したE・バークの著書を金子堅太郎が抄訳した『政治論略』は一八八一年の刊行でルソーの間接的批判、井上毅は一八八二年にルソーの直接批判する言辞をなした。ロェスレル『仏国革命論』は一八八四年。
なお、金子訳本に対して植木枝盛は反バークを展開(『勃爾咢ヲ殺す』一八八二年三月刊)、ロェスレルに対抗して中江兆民は『革命前フランス二世紀事』を出版した(一八八六年)。中江兆民は『民約論』(ルソー『社会契約論』の最終訳稿で抄訳)や『非開化論』(ルソー『学問・芸術論』の翻訳)を一八八三年に出版してルソーブームを招来した。

《男系男子の皇位と皇統とを堅持する方法は、ただ一つ。コークやバークの学説でもって極左革命に現代語版に増補再刊した、中川八洋の『悠仁〈天皇〉と皇室典範』は、"男系男子"という、皇位の伝統を堅持させる法思想を体系づけたことによって、極左の憲法学界に激震を与えて皇室典範改悪阻止の大きな防波堤となっている。この事実は、英米系保守主義のみが日本の皇統を死守することの証だろう。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』298・299

《反ルソー/反フランス革命のバーク保守主義そのものを思想背景にしていなければ、女性天皇/女性宮家を排撃する法理論『悠仁〈天皇〉と皇室典範』も完成してはいない。
女性天皇・女性宮家を排撃するに、またそのような考えを皇位・皇統問題に微塵も侵入させないためには、「男系!」「男系!」とただ喚いても、無力である。日本の古来から井上毅にいたる、皇位継承にかかわる二千年にわたる法制史──古代史ではない──に精通し、それをコークの『英国法提要』の法理論とバーク保守主義の哲学理論で武装しない限り、ルソーを淵源とする「男女共同参画」という天皇制廃止/皇室解体の大津波に対抗することは、万が一にも不可能である。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』267-268

《憲法第一条の「国民の総意」に関して、左翼憲法学者の説に抗して、皇室典範は法律でなく“法”であるから、国会において多数決の対象にはならないことを、拙著『悠仁〈天皇〉と皇室典範』は、コークの「法の支配」を基軸に詳述した。憲法学に対しては憲法学で対抗するのが、極左革命勢力との戦いの王道であり常識である。特に、天皇制度の擁護と護持にかかわるすべての智慧と理論は、コークとバークが大成しているから、コークとバークの助けを求めないとすれば、わが日本国の皇室を守り抜くことはできない。》『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』308

《そもそも西尾幹二は、奥平康弘のような人権思想を排除したいなど、かつて一度として考えたことはない。もし考えたとしたら、天皇制廃止に誘導する奥平康弘らの共産党系の理論を完膚なきまでに学術的に論破している中川八洋「皇位継承学三部作+2」を読め、と主張しているはずだからだ。西尾幹二は、かつて一度として、中川八洋「皇位継承学三部作+2」を読めと主張したことはない。中川八洋「皇位継承学三部作+2」に言及したことすらない。しかも、中川八洋「皇位継承学三部作+2」は、皇位継承すなわち悠久の皇室を考えるならば、北畠親房『神皇正統記』と井上毅(伊藤博文名)『皇室典範義解』と並んで、日本史上の必読三大書の一つである。》※太字は原文のママ。なお「+2」とは『皇室消滅』(渡部昇一氏との対談)および『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』の二冊のこと。
「不敬罪四ヶ条の復活を急がねば、皇室の安泰は赤信号 ──“皇室讒謗の狂犬”西尾幹二を起訴し、懲役三年の実刑を科せ!」

01月        仮題『新・東京裁判論』を執筆開始、2008年秋脱稿(のちに『昭和天皇と靖国神社』として有料ブログにアップ)
《本書は、二〇〇七年一月、のち『山本五十六の大罪』(弓立社)として出版される、山本五十六の研究書と同時に執筆を開始した。『山本五十六の大罪』が、当初予定の出版社からの無理難題(「緊急出版するので、ゲラ校正は一回限りとする」など)で出版社を変更せざるを得ず、半年も遅れてしまった。これが、本書の脱稿が大幅に遅れた理由であった。
 
加えて、定年退官直後の二〇〇八年四月一日に開始すると決めていた、二十年ほど延び延びになっていた地政学の教科書(『地政学の論理』徳間書店)の執筆計画を変更したくなく、結局この後に回したので、本書を書き終えたのは、二〇〇八年も秋深まる頃だった。この二冊の出版で多少疲れて、本書『昭和天皇と靖国神社』(当初の仮題は『新・東京裁判論』)を出版するのを、いつしか忘れてしまった》http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-15.html※リンク切れ

03月         筑波大学歴史・人類学系の紀要『歴史人類』(第35号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

平成19年度のNクラス会(航空会)の幹事を依頼される(航空会だより第21号<平成19年>)
http://www.aerospace.t.u-tokyo.ac.jp/alumni/letter/resources/21.pdf

04月15日 日本テレビ系バラエティー番組『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。 2時間スペシャル』にゲスト出演、テーマ「アメリカとの同盟関係を一旦白紙にします」に反対票

06月28日 『亡国の「東アジア共同体」』(北星堂書店)刊
《それから十五年、二〇一〇年の「戦後六十五年」を迎えて学界を鳥瞰すれば、モスクワのSVR(旧KGB第一総局が名称変更)が背後で操る評論を除き、近衞文麿に関するコミュニスト勢力からの偽イメージ工作はようやく消えた。幼稚な海軍マニアと一緒になって、民族系が支えてきた山本五十六「神格化」キャンペーンも、どうやら終息した。
  この意味で、近衞文麿と山本五十六の二人の開戦責任に焦点あて〔原文のママ〕、『近衞文麿とルーズヴェルト』、『亡国の「東アジア共同体」』(北星堂書店、二〇〇七年)の第II部、『山本五十六の大罪』(弓立社、二〇〇八年)の三冊でまとめあげた、新しい視点からの私の大東亜戦争論は、それなりの役割を果たしたと自負している。》「再刊にあたって」『近衞文麿の戦争責任』202ページ

07月18日 mixiコミュニティ「保守言論人の実態ー西尾幹二論」を開設
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2419077

08月10日 日本テレビ系バラエティー番組『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。』にゲスト出演、テーマ「アメリカに原爆被害の賠償金を請求します」に反対票

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2008・平成20年  63歳
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03月        筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻の紀要『歴史人類』(第36号)の編集委員に名を連ねる(該誌)

03月        筑波大学を定年退官

03月28日 「mixiコミュニティ」にアカウントを開設、同年04月22日より「中西輝政研究」を投稿(以後2011年02月02日まで継続)http://mixi.jp/view_community.pl?id=3205302

04月01日 地政学の教科書として『地政学の論理』の執筆を開始す
《加えて、定年退官直後の二〇〇八年四月一日に開始すると決めていた、二十年ほど延び延びになっていた地政学の教科書(『地政学の論理』徳間書店)の執筆計画を変更したくなく、》
「あとがき 安倍靖国参拝への米国「失望した」の教訓」http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-15.html ※リンク切れ

05月19日 筑波大学名誉教授に就任、筑波大学名誉教授称号授与式に列席(『速報つくば』2008年11月号)

06月10日 弓立社より『山本五十六の大罪』刊
《旧海軍関係者が、戦後もし何かを書くとすれば、(1)追悼と鎮魂の書と、(2)“敗因の研究”と、(3)天皇と国民へのお詫び、であるべきだろう。だが、旧海軍関係者は、数百冊を越える著書を出版しながら、(前述の千早/池田などに、若干の言及があるのみで)“敗因の研究”を書かなかった。国民へのお詫びの書も、一冊もない。
  私のこの拙著が、“敗因”の基本を総括的に提示する、戦後初めてのものとなるのは、実におかしなことである。戦後六十三年も経っているからである。》『山本五十六の大罪』133

《それから十五年、二〇一〇年の「戦後六十五年」を迎えて学界を鳥瞰すれば、モスクワのSVR(旧KGB第一総局が名称変更)が背後で操る評論を除き、近衞文麿に関するコミュニスト勢力からの偽イメージ工作はようやく消えた。幼稚な海軍マニアと一緒になって、民族系が支えてきた山本五十六「神格化」キャンペーンも、どうやら終息した。
  この意味で、近衞文麿と山本五十六の二人の開戦責任に焦点あて〔原文のママ〕、『近衞文麿とルーズヴェルト』、『亡国の「東アジア共同体」』(北星堂書店、二〇〇七年)の第II部、『山本五十六の大罪』(弓立社、二〇〇八年)の三冊でまとめあげた、新しい視点からの私の大東亜戦争論は、それなりの役割を果たしたと自負している。》「再刊にあたって」『近衞文麿の戦争責任』202ページ

《たとえば、近衛文麿や山本五十六についても、日本の歴史学界では、その真像に迫ることはタブーであった。終戦と同時に直ちにソ連や朝日新聞が創った虚像しか、許されなかった。
私の『近衛文麿とルーズベルト』(PHP)や『山本五十六の大罪』(弓立社)が実際に現代史学界に大激震を起こしたのは、このタブーの一角であっても風穴を開けたからである。特に、『山本五十六の大罪』は、大津波のパニックを起こし、ある学会の活動は閉店状態になったし、対抗宣伝のため急ぎ映画まで製作されるという事態へと発展した。》
「“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅳ)──ルソーの分裂病思考に酷似する、西尾を蝕む分裂症幻覚“」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140805

《尚、私は『連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像』で、「海軍善玉」論は間違っているとしたが、陸軍を「善玉」とは言っていない。基本的には、同書は「海軍は無能 陸軍は凶悪な赤軍」と、学術的な分析をしたもの。どうやら、『連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像』の姉妹本『帝国陸軍論』(仮称)を早く出版しなければならない、と今の私は痛感している。》
「信者を凶暴化する"西尾《歴史偽造狂》教団"坦々塾 ──"歴史の偽造屋"西尾幹二の妄言狂史(27)」http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2016/04/13/180853

06月11日 ネパールのギャネンドラ国王が宮殿から追放されていくことを知り、ネパールの大不幸を確信する
《人口2600万人のネパールが、毛沢東主義の共産主義者たちの跳梁跋扈によって、王制を廃止したのは2008年5月28日。つまり、今から、ちょうど七年前。このとき、ギャネンドラ国王が退位し、「ネパール王国」が終焉し、「ネパール連邦民主共和国」という新しい共和国の国名に変わった。そして、二週間後の6月11日、国王が宮殿を追われていくことを知った私は、ネパールは、そう遠からず連続した大不幸に見舞われるだろうと確信した。》
「ネパール国の大地震は、王制廃止への神仏の怒りでは?──日本政府の復興支援は王制復活を条件とせよ 」

08月         「真正保守の会」設立、ホームページを立ち上げる

08月         「「真正保守の会」の設立と『保守主義』の創刊について」寄稿 

08月        「皇室学講座」を開設、「真正保守の会」事務局が受講生を募集 http://homepage3.nifty.com/yukoku/bosyu.html※募集停止中

秋              のちに『昭和天皇と靖国神社』として有料ブログにアップされる仮題『新・東京裁判論』を脱稿
《加えて、定年退官直後の二〇〇八年四月一日に開始すると決めていた、二十年ほど延び延びになっていた地政学の教科書(『地政学の論理』徳間書店)の執筆計画を変更したくなく、結局この後に回したので、本書を書き終えたのは、二〇〇八年も秋深まる頃だった。この二冊の出版で多少疲れて、本書『昭和天皇と靖国神社』(当初の仮題は『新・東京裁判論』)を出版するのを、いつしか忘れてしまった》

《二〇〇八年秋に脱稿した『昭和天皇と靖国神社』は、確かに二〇〇六年七月以前に出版しておくのは無理。だが、丸五年間も私のパソコンで眠らせず、二〇〇九年年頭に出版していたら、遅まきながら、多少の対策を靖国神社もしただろうから、靖国神社をどう護って温存してゆくかの問題と日米同盟をどう円滑に堅持していくかの問題の乖離部分を丸く治める妙案が静かに実施されていたかも知れない。
二〇一三年の年の暮れ、急いでパソコンから取り出し、推敲し直し出版準備をしたのは、こう考えたからである。》「あとがき 安倍靖国参拝への米国「失望した」の教訓 」http://nihonhosyusyugi.blog.fc2.com/blog-entry-15.html ※リンク切れ

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2009・平成21年  64歳
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05月31日 『地政学の論理』刊
《マッキンダーの『デモクラシーの理想と現実』と拙著『地政学の論理』とは、中国の世界の海洋に対する覇権戦略を理解するうえで、精読を省いてはならない。》『尖閣防衛戦争論』117

《「チャーチル外交」の理論が日本で流布するのを、左翼が支配する学界が怖れて徹底排除した理由は、全体主義体制やその思想を断固として許さない、チャーチルの“自由の精神”や“自由のイデオロギー”だけではなかった。「チャーチル外交」をもし日本が学べば、日本政府が「ソ連の打倒」「共産中国の打倒」に直結する外交を採る公算が高くなるのを怖れたからである。
  私が、1980年代、外交政策の研究者だった頃、座右の書のひとつは、対ヒットラー防衛の喫緊性と国際連盟の無力・有害性を英国民に訴えた、チャーチルの(1932~38年の)下院演説集『英国の眠れる間に』であった。また、私の軍備管理の理論は、主にチャーチルのを基本にしている。私の英米系地政学は、マッキンダー/スパイクマン/チャーチルのを各三分の一ずつ構成したもので、チャーチルなしには完成しなかった。
  チャーチルとは、政治家でありながら、それらを学者以上に、学問的に理論家した天才であった。「国際政治学の泰斗」チャーチルの外交理論を、1980年代、一冊の本に纏めておくべきだったと、私は今、いたく反省している。》200705『力の意思』86

《ソ連共産党第一書記フルシチョフが、ニューヨークとワシントンを核攻撃する中距離弾道ミサイルSS4とロスアンジェルスとサンフランシスコを核攻撃するSS5をキューバに運び込もうとした(一部は運び込んだ)1962年10月、ケネディは「核戦争してもいいよ」と、フルシチョフにそれらの即時撤去を要求した。フルシチョフは、米国と核戦争をすれば一方的にモスクワとレニングラードが灰燼に帰すソ連大敗北となるのを理解していたから、即座にケネディに屈した。

 「米ソ核戦争の瀬戸際だった」とか「人類滅亡の危機だった」とかの“キューバ危機”論はすべて、ソ連側が「ロシア人とは、実は世界で最も重症の核戦争恐怖症民族」との事実を知られないようにするため、モスクワが流した偽情報である。「危機」とは程遠い、緊張はしたが単なるソ連のSS4/SS5撤去外交に過ぎなかったのに、“大仰しい語彙”「キューバ危機」は国際政治史の学術用語になった。なお、1962年10月の米ソ核恫喝合戦を、米ソの核兵器から客観的に分析した視点と正確さは、(米国国防省などの省内専門分析を除けば)私のがおそらく世界トップだろう(注4)。》
「“戦争の21世紀”を誘爆したオバマ大統領の広島訪問 ──「米国の核による平和」に矜持なきオバマは、“非・米”の野蛮人」

07月14日 17時半、赤坂にて約4時間半にわたり、中川、宇野県議、滝田県議の3人による勉強会(中川八洋ゼミ(1))

10月13日 14時、ホテル菜の花プラザで大志塾(塾長・矢野光正県議、事務局長・滝田敏幸県議、塾生・10名)の勉強会でゼミナール形式の集中講義(中川八洋ゼミ(2))

11月20日 13時~15時、三井ガーデンホテル千葉にて 自民党本部事務局、関東・1都7県(山梨含む)青年局長・部長ほか約40名に対し「政権奪還への「知」と闘う精神」と題し基調講演 http://takinowa.exblog.jp/12356972/
 
12月27日 静岡県伊東市にて保守政治研究会の合宿、15時~23時まで(18~19時は休憩)約7時間、「保守政治の闘う精神」についてゼミナール形式の勉強会、千葉県議有志9名参加(中川八洋ゼミ(4))http://takinowa.exblog.jp/12573257/

【今日は何の日?】聖徳太子(厩戸皇子)「十七条憲法」を定める(4/3)

推古天皇の摂政・聖徳太子によって十七条の憲法が定められる(推古天皇12年=604年5月6日)。


なお、十七条憲法については、成立年、製作者等に諸説があるものの、ここでは『日本書記』の識語によった。



『不文憲法の国・日本の“憲法的基本文書”』



日本書紀によれば、六〇四年、推古天皇の摂政であった聖徳太子は、日本政治の基本的理念とその方針を定めた。これを「憲法十七条」という。


これは、わが国の(広義の)「憲法コンスティチューション」の一つを構成するとしても何ら差し支えはない。

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【今日は何の日?】米スワード国務長官、アラスカを買収(3/30)

■きょうの出来事
米国スワード国務長官、アラスカ586,412平方マイル(1,518,800平方キロ)の土地を720万ドルでロシアから購入。購入価格は1エーカー(約4000平方メートル)当たり約2セント。広さはテキサス州の2倍以上に相当。
(1867年=慶応3年)

この辺境の地購入については、「スワードの愚行」とか「スワードの冷蔵庫」とか「ホッキョクグマ庭園」(アンドリュー・ジョンソン)などと嘲られたが、今日アラスカ州では3月の最後の月曜日を「スワードの日」として購入を祝賀している。


『アラスカ買収の地政学的戦略性』
 
米国のスワード国務長官は、日本領土を防衛に協力した“日本国の恩人”である。なぜなら、スワードが、一八六七年、ロシアからアリューシャン列島とアラスカを購入したことが、ロシアの対日侵略基地のひとつダッチ・ハーバー(ウスラスカ島)を閉鎖させたからである。

・・・・・・

一九七八年頃、ソ連の核弾頭弾道ミサイルSS-20と核爆弾搭載バックファイヤー爆撃機の脅威に、欧州と日本はパニックに陥った。いずれも日欧を核攻撃しても、米国には届かず、米国を核戦争から安全圏内に置く核兵器で、ソ連は米欧同盟分断、日米同盟分断の特効兵器だと自画自賛していた。


一九七九年末のソ連のアフガニスタン侵略は、日欧をSS-20とバックファイヤーで押さえ込んだ軍事的優位(superiority)の軍事態勢(military posture)なしには、決行されていない。


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【今日は何の日?】クリミア戦争(1853=嘉永5年)

『”ロシア狂”がもたらす日本の阿鼻叫喚』



山縣有朋の奇怪を極める言動は、「黄人(黄色人種)に対する、白人(白色人種)連合の戦争」という、物の怪の妄想に憑かれた非在の国際感覚だろう。数千年の人類の歴史で、「人種間戦争」などありえもしない。しかも、この意見書は、「英仏露」対「独墺」の「白人間戦争」の第一次世界大戦中に書かれている。白人と黄人の間で「人種間戦争」が起きるというのなら、白人のロシアと黄人の日本は、敵対関係で、同盟してはならないはず。山縣の頭はすでに狂っていた。


一八五三年のクリミア戦争をもって、宗教とか民族とかを超え国家の利害が戦争の要因となる時代に入った。それは、白人の英仏と黄人のトルコが同盟し、白人のロシアとの戦争だった。日露戦争も、白人の英国が黄人の日本の同盟国として、白人のロシアと敵対した。

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【今日は何の日?】硫黄島の戦い(2/19-3/26)で玉砕陥落(1945=昭和20年)

『ソ連(ロシア)に日本を貢ぐための降伏拒否』

 
一九四五年三月、硫黄島が、栗林忠道中将の指揮下で世界が称讃するほどの勇敢な闘いを経て壮絶なる玉砕をもって陥落したとき、日本は直ちに米国に対して降伏(を申し入れ)すべきであった。一九四二年二月のシンガポール陥落は勝者としての対英米講和の好機であったように、硫黄島陥落は敗者としての降伏の好機であった。


しかし、日本は、「本土決戦」「一億玉砕」と絶叫する徹底抗戦と自国滅亡の道をつっ走り、和平(降伏)の選択を自らかたくなに拒否しつづけた。かくして日本は五月七日のドイツ降伏ののち、単独で英米を相手とする文字どおりの孤軍となり、世界に"包囲"されることとなった。とりわけドイツの降伏は、ヨーロッパ戦線に集中していた、巨大の膨張したソ連の軍事力が、狂暴な牙をむいて日本にふりむけられる最悪の危機の発生だから、日本の賢明な降伏としてはこの五月が最後のチャンスであった。

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【今日は何の日?】レーガン米国大統領、SDI演説(3/23)

レーガン大統領、SDI(戦略防衛構想)演説において、MAD(相互確証破壊)ドクトリンの棄却を宣言

(1983年=昭和58年)



『アメリカを目覚めさせたレーガン大統領』

核戦略理論及びドクトリンに関する米国の″壮大な誤診″は、米国の立脚する戦後の「抑止戦略」そのもののもつ欠陥でもある。また、米国は「抑止」のみに執着するが故に、抑止崩壊後に(ソ連に降伏しない限り)不可避的に開始せざるを得ない「防衛」戦争遂行とを事実上忘却した。


このため、米国の核戦略理論には、合理的な軍事戦略からすれば次のような三つの奇妙な特性がある。一九八三年三月のレーガン大統領のSDI演説が、このうち二の(一)に対する画期的な反省とめざめであったが、これを例外として、今でもそのほとんどはソ連の核戦略ドクトリンと百八十度異なるほどに対照的であり、誤謬のままである。

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【今日は何の日?】「フクシマの英雄たち」福島第一原発三号機へ決死の放水活動(2011年=平成23年)

『非科学に踊る、知的劣化の進む日本人』


東日本大震災における地震・津波・原発事故の大災害は、被災した多くの人々には、筆舌に尽くしがたい最悪の悲劇であった。死者への悼みはむろん、生者もまた、この大災害の悲しみがすぐに癒えるわけではなく、これからも永く耐えていかねばならない。


しかし、かくも深い悲しみと重い苦しみの陰で、ほのかな香気を漂わせて、小さくとも実に美しい道徳の桜の花や、清冽な倫理の梅の花が、これら被災地のあちこちに咲いたことは、今も、日本や世界の人々の胸を打ち、われわれの心から消え去ろうとはしない。


大津波の危険が迫りながら、隣人や職場の同僚を助けるべく、海側に引き返して落命した美徳の話は、いくたも耳にする。殉職した警官たちとは、彼らの職務遂行を越えた倫理性の発露であった。津波で三県合わせて二五三名の消防団員がなくなったが、これも自己犠牲の高雅な倫理にほかならない。国内外からの義捐金も、優しい暖かな人間の美徳の最たるものの一つであろうことは言うまでもない。


その中でも、陸上自衛隊のヘリコプターが、高放射線量かもしれない福島第一原発の第三号機の上空から、CH-47ヘリコプター二機で三十トンを放水した光景は(三月十七日)、テレビ報道を通じて世界を感動させた。のち、スペイン皇太子殿下より「フクシマの英雄たち」として、(三月十九日に)遠距離大量送水装置で一気に二千四百三十トンの海水を放水したハイパーレスキュー隊の東京消防庁などとともに、賞が贈られた(十月二十一日)。これこそは、日本の軍人/公務員の自己犠牲を厭わぬ真の勇者という美徳への、世界が贈った、鳴り止まぬ称讃と敬意の拍手の一端であろう。

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【今日は何の日?】ニコライエフスク港で日本人大量虐殺事件<尼港事件>(3/13)

ニコライエフスク港(尼港)で日本人大量虐殺事件<尼港事件>
(1920年=大正9年)



日本国にとって、日本固有の領土である樺太を奪い、ニコライエフスク港で日本の一般邦人七百名を虐殺し(一九二〇年三月)、満洲で(一九四五年八月~四六年四月)日本人婦女子二十万人を殺害した"永遠の敵性国家"ロシアとは、日本は万が一にも仲良くなってはいけない。


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【今日は何の日?】ドイツ、オーストリアを併合(アンシュルス)(3/13)

3月13日 オーストリア、ドイツに併合され消滅(独墺合邦〈アンシュルス〉)
(1938年=昭和13年)



『宥和外交(アピーズメント)は戦争を呼ぶ』


オーストリアが、ドイツ第三帝国に併呑されて消滅したのは、一九三八年三月十三日だった。翌十四日チャーチルは、英国下院議会において、危機意識ゼロで無為無策のチェンバレン英国首相に対して、強盗レイプ犯的なドイツの澳(オーストリア)合邦という野蛮行為が、なぜヨーロッパの平和を破壊するに至るかを、ウイーンとドナウ河の、地政学的な包囲(encirclement)と地形(topography)と位置(location)から諄々と説いた。

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自称「憲政史家」倉山満の”思想的本籍”

「憲政史家」を自称する倉山満氏(以下、倉山)のブログ「倉山満の砦」に目を通してみた。

「国連如きが内政干渉」2016年3月10日記事
https://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=1554


軽佻浮薄を通り越して、倉山の思想的立ち位置が透けて見える記事となっている。「天網恢恢疎にして漏らさず」といったところか。

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【今日は何の日?】チャーチル、「鉄のカーテン演説」(3/5)

■きょうの出来事

第61代首相を退任後の英国ウィンストン・チャーチル、米国大統領ハリー・S・トルーマンに招かれて訪米中のミズーリ州フルトンのウェストミンスター大学で演説。
(1946年=昭和21年)



『平和に胚胎する“大戦争”の時代』



戦争の芽は平和時にヒドラのように成長する。“甘い退屈な平和”な時代は、大戦争の子宮である。一九二〇年から一九三九年にかけ、甘い平和の美酒に、英仏も東欧諸国も酔い痴れた。その結果、英仏は視力を失い、ドイツとロシアが東欧めがけて戦争の牙を磨くのが見えなかった。

しかも、第二次世界大戦後、あろうことか再び、東欧諸国の独立を考えず、それを(搾取し放題の)植民地としてソ連に貢ぐという、「マッキンダー地政学」の一八〇度逆をやってしまった。スターリンに惚れた“社会主義の虜囚”米国大統領ルーズベルトが、自由という米国建国の理念に坂逆して、愚行のきわみヤルタ協定に合意したからである。第二次世界大戦は、ユーラシア大陸を一つの国家(もしくは、 一つにまとまった少数の同盟国家群)に独占的に掌握をさせないために、米国も英国も戦った。ヤルタ協定は、この第二次大戦の“大義”に違背していた。

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【今日は何の日?】レーニン、ブレスト・リトフスク条約を締結(3/3)

【今日の出来事】

レーニンのボリシャヴィキ政府、ブレスト・リトフスク条約を締結
(1918年=大正7年)

中央同盟国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国)とロシア共和国およびウクライナ人民共和国のボリシェヴィキ政府(ソ連の前身)とが講和。


この条約により、ロシアが第一次世界大戦から離脱することとなった。




『ポスト“ポスト・ゴルバチョフ”時代の到来~ゴルバチョフの次の次~

ゴルバチョフが、もしかしたら、レーニンを凌ぐ大戦略家である可能性があるのは、①国内経済の「資本主義化」と、②資本主義国との貿易促進を二大柱とするレーニンの″ネップ″の方法に加えて、三番目の新しい柱を導入しているからである。


それは、さる七月のストラスプールの欧州議会でのゴルバチョフ演説で最も協調した「ヨーロッパの共通の家」構想であり、全ヨーロッパを一たんソ連に奉仕する一大経済圏に改造するゴルバチョフの大構想である。


一九九二年に統合されるECをもってソ連の経済(=軍需生産力)の再建と強化に奉仕させるには、現在のソ連に搾取されすぎて経済破綻した東欧など足手まとい以外の何物でもない。東西の鉄のカーテンなど不要であるし邪魔である。そればかりか、東欧六か国が共産党支配を脱して複数政党制になり西欧と融合できるような国となった方が望ましいはずである。


かくして、ハンガリーに対しては中立化、ポーランドに対しては「連帯」政権の樹立、などをゴルバチョフ自身(ソ連側)が命じ指導したと考えた方が実態に近いのではないだろうか。ポーランドやハンガリー、あるいはソ連から分離したハルト三国が、統合されたECと経済的な結び付きを強めれば強めるほど、これらの旧植民地との間に太い経済搾取のパイプを有するソ連は自動的に経済的に潤っていく。ソ連も努力せずして西側の経済に間接的につながっていく。ソ連の経済は、特にその遅れているハイテク部門は一気に西側によって改善されることになる。


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【今日は何の日?】プーチンのロシア、ウクライナに派兵(2014年=平成26年)

[キエフ 28日 ロイター] -インタファクス通信は、ウクライナ南部クリミアのセバストポリで、軍用空港の周辺にロシア軍部隊や装甲車が配備されたと伝えた。
 
同通信は、「武装集団」が押し入らないようにするため、ベルベック軍用空港に向かったとする軍関係者発言を引用した。

ロイター 2014年2月28日(金)16時5分配信



『“双頭の鷲”ロシアのウクライナ(西)侵攻と“外交音痴”安倍晋三の対ロ<北方領土(東)>売国外交』



世界最大規模のランド・パワーで「第一ハートランド」の新ロシアは、プーチンとKGBの共同的独裁のもと、石油・天然ガス等の資源輸出からの厖大な利益をすべて軍拡に投入している。その侵略の牙は、二〇〇八年八月のグルジアだけで済むはずもない。ウクライナと日本が、その次の標的であろうことは、自明に過ぎよう。だが、ウクライナは、陸続きのポーランド/チェコ/ルーマニアに米軍力が控えている“米ロの緩衝地帯”だから、日本より安全かも知れず、そうすると「第二のグルジア」が日本だろうことは間違いない。

二〇〇〇年から八年間、新ロシア帝国の「初代ツァー(皇帝)」だったウラジミール・プーチンは、首相に格落ちした形で、「部下」メドベージェフ(大統領)を従え、二〇〇八年五月九日、“侵略国家ロシアの復活”を、内外に高らかに宣言した。赤の広場で、(一九九〇年五月からして)十八年ぶりにソ連時代の軍事パレードを再開した。強大な軍事力をもつ強大なロシアの復活と“国境の再変更(侵略)”と国際法違反を辞さない伝統的な「南下」策を、メドベージェフの演説を通じて、(他国家を批判する形式をとるロシア特有の言い回しで)ロシア民族にアッピールし鼓舞した。


新ロシアについて、日本では、ロシアからの情報工作のなすがままに、ロシアの軍事と対日謀略の実態を「検閲」し報道しない異常国家らしく、極度な虚像を弄ぶ。


新ロシアは、共産主義を棄てたが、平和愛好の国家に変貌したのではない。白い帝政ロシアと赤いソヴィエト共産帝国の、その悪い部分はすべて、転倒した矜持において相続した。このため、新ロシアの“悪の帝国(The Empire of Evil)”性は変わっていない。侵略した日本の北方領土をいまだ返還せず、この“日本国内”に駐兵しているのも、悪の帝国の健在ぶりを端的に表徴している。新ロシアの国章は「双頭の鷲」で、帝政ロシアのそれを継承した。新ロシアの国家の旋律はスターリン作のソヴィエトのそれで、傲然の拳を誇示してソ連を継承した。



徳間書店:『地政学の論理』、一五~六ページより引用



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徹頭徹尾ロシアの国益に日本人を奉仕させる"ロシア正狂徒"茂木誠

2016年2月14日(日)、フジテレビ系で放送の報道番組(?)「新報道2001」(7:30~8:55)にゲスト出演していた駿台予備校講師・茂木誠氏(以下、敬称略)がなしていた、「ロシアの基地を誘致して北方領土問題を解決せよ」(取意)とのアジテーションには、あきれた。このような見解が、全国ネットで、しかも「地政学」を冠して語られたことには、黙視にたえない。


これが予備校の世界史講師だというのだから、大学受験生への"洗脳教育効果"は抜群であろう。寒心にたえない。なお、番組テーマは「北ミサイル発射の衝撃各国のホンネと戦略&アベノミクス正念場 円高株安で暮らしは?」。


そこで本稿では、茂木の著書『世界史で学べ!地政学』(祥伝社、2015年)を俎上にのせ、前掲番組での"提案"がいかにロシアを利し、我が国を売る所業であるかを剔出していく。

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【今日は何の日?】二・二六クーデター事件(1936年)

マルクス主義思想の影響を受けた青年将校らが「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件。<二・二六事件>(1936年=昭和11年)


二・二六事件の真実を知るためには、明治初期からのルソー流入、大正時代に胚胎し・昭和初期にはすでにがマルクス・レーニン主義思想にかぶれた教授・学生が掃いて捨てるほどいたという歴史的事実に対する認識が重要である。


マルクス・レーニン主義に狂奔する知識層の隆盛は、敗戦後の日本のみの現象ではなく、もっと根深いものである。だから、ソ連崩壊により日本から雲散霧消したかのような認識はあやまりであり、そのような理解に立っているかぎり、今日もなお続く“共産主義革命=天皇制度廃絶運動”は正しく理解できない。



『“共産革命”の胎動いまだ終わらず』
 
 
日本の二千年の歴史において、人為的な皇統断絶、つまり天皇制度の消滅を強制せんとした事態の発生は、六回あった。

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【今日は何の日?】竹島の日(2/22)

竹島を島根県に編入する閣議決定を受け、島根県知事が所属所管を明らかにする告示(明治38年島根県告示第40号)をおこなう


(1905年=明治38年)


「竹島の日を定める条例」(平成17年3月25日島根県条例第36号)により「竹島の日」制定


(2005年=平成17年)



『竹島を不法占拠する“侵略現役国”韓国』


 
 韓国は、自らをいつも被害者として他国を侵略者!とすぐなじるが、実は韓国も侵略する。

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【今日は何の日?】ヤルタ秘密協定(2/11=紀元節・建国記念の日)

クリミア半島の避暑地・ヤルタで、2/4~11まで英米ソ三カ国の首脳会談が開催され、ドイツ及び中欧・東欧の利害調整が話し合われた。

(1945年=昭和20年)


併せてアメリカ・ルーズベルトとソ連・スターリンは「ヤルタ秘密協定」(ヤルタ協定とは別の密約)を締結し、ドイツ敗戦後90日後のソ連の対日参戦およびクリル諸島・南樺太などの日本領土の処遇も決定した。

なお、ヤルタ秘密協定に日本は参加も合意もしておらず、したがってその決定が日本を拘束することはない。また、サンフランシスコ講和条約は、「北方領土」(南樺太、クリル諸島)はソ連に帰属するものとしていない事実は、米国が「ヤルタ秘密協定」を完全否定したことを意味する。




『“戦後レジーム”ヤルタ体制から脱却せよ』


一九四五年二月十一日の「ヤルタ秘密協定」は、このソ連に対して、日本の固有の領土である南樺太と「クリル諸島」、ならびに中国の満州の旅順港と東清鉄道とを貢ぐ約束をルーズヴェルト大統領がなして、自らが署名したあの大西洋憲章やカイロ宣言の精神に自ら違反した。ソ連だけを例外とする、ソ連の領土的膨張にルーズヴェルトはお墨付きを与えて協力したのであった。とすれば、「ハル・ノート」は″ソ連を防衛する″ためであり、「ヤルタ秘密協定」は″ソ連の侵略(膨張)を支援する″ためであるから、米国にとっての太平洋戦争のすべては、ひとえにソ連に奉仕するためのものであったことになる。

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【今日は何の日?】大日本帝国憲法発布(2/11=紀元節/建国記念の日)

欽定憲法として大日本帝国憲法上諭が発布される、議院法、貴族院令、衆議院議員選挙法、会計法なども同日に発布。<明治憲法発布>


(1889年=明治22年)



『「国あっての憲法」なのか、「憲法あっての国」なのか』



 明治憲法(一八八九年)は、日本にとって数少ない知的財産の一つである。明治日本の叡智が、子孫に遺してくれたかけがえのない偉大なる古典でもある。それ以上に、英国の権利章典(一六八九年)や米国憲法(一七八八年)に匹敵する、世界的な成文憲法である。「ジャパニーズ・マインド(日本精神)」の高貴な自由が薫る、正統な憲法原理に立つ「憲法のなかの憲法」である。

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【今日は何の日?】日露戦争開戦(2/8)

旅順港を奇襲、日露戦争が開戦

(1904年=明治37年)



『ロシア抜きは“アジアの平和”、ロシア入亜は“阿鼻叫喚”』

 
日清戦争や日露戦争の歴史は、一九四五年八月に始まる「戦後日本」では、共産党やその傘下の『朝日新聞』などの執拗な情報操作によってだけでなく、民族系の論客・団体とりわけ靖国神社によって抹殺された。後者は、大東亜戦争を美化すべく、英霊を祀っていることも忘れて、聖性と神秘性とが保全されるべき靖国神社を、反米イデオロギー闘争の政治拠点に改造した。ともあれ、あの美しかった日清戦争や日露戦争の歴史が、日本人の思考から消え去ってしまった。いまでは、日本のどこにも存在しない。

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【今日は何の日?】北方領土の日(2/7)

1855年2月7日(安政元年12月21日)に日本とロシア帝国の間で締結された条約。伊豆の下田・長楽寺で締結されたことから「下田条約」と呼ばれる。


条約の正式名称は「日本国魯西亜国通好条約」、江戸幕府(日本)側全権は筒井政憲と川路聖謨、ロシア側全権は提督プチャーチン。


(1855年=安政元年)



本条約における、


1. 「日本国と魯西亜国との境、ヱトロプ島とウルップ島との間に在るへし。ヱトロプ全島は日本に属し、ウルップ全島夫より北の方クリル諸島は魯西亜に属す」
2. 「カラフト島に至りては日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす」


との領土規定を、北方領土の主張に類推適用したものと思料されるが、サンフランシスコ講和条約における「樺太放棄」は、対ソ連(ロシア)については適用されず、かつソ連の侵略行為を是認するものだから、これを受け入れてはならない。日露間において締結された、道義国家に悖る各種宣言の類は、破棄されるべきである。



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『北方領土奪還を遠ざける、「領土の神聖性」に無知な政治家・官僚』



固有の領土とは、妥協することをわずかでも許さない神聖なものであり、これの無条件返還を要求し続けることが主権国家の立脚点である。


樺太はかつて日本の固有の領土であった。この樺太がロシア(ソ連)領へと奪われていくその始まりは、下田条約でこれを“共同統治”、つまり「日露雑居の地」と定めたことに始まる。

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【今日は何の日?】北方領土の日(2/7)

1855年2月7日(安政元年12月21日)に日本とロシア帝国の間で締結された条約。伊豆の下田・長楽寺で締結されたことから「下田条約」と呼ばれる。


条約の正式名称は「日本国魯西亜国通好条約」、江戸幕府(日本)側全権は筒井政憲と川路聖謨、ロシア側全権は提督プチャーチン。


(1855年=安政元年)



本条約における、

1. 「日本国と魯西亜国との境、ヱトロプ島とウルップ島との間に在るへし。ヱトロプ全島は日本に属し、ウルップ全島夫より北の方クリル諸島は魯西亜に属す」
2. 「カラフト島に至りては日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす」

との領土規定を、北方領土の主張に類推適用したものと思料されるが、サンフランシスコ講和条約における「樺太放棄」は、対ソ連(ロシア)については適用されず、かつソ連の侵略行為を是認するものだから、これを受け入れてはならない。日露間において締結された、道義国家に悖る各種宣言の類は、破棄されるべきである。



『下田条約締結の日は「北方領土の日」にふさわしいのだろうか』
 
・・・・・・日本の親ロシア路線は、「社会主義の祖国」としてソ連への奉仕を命じる社会主義(マルクス主義)という疑似宗教が蔓延する以前から、歴史的に存在してきて、日本の外交をたえず混乱と混沌とに陥れてきた。つまり、マルクス主義が最大の元凶だが、日本の「親ロシア」はこのほかに次のような三つの背景があるからであろうか。


第一の背景は、ロシアの脅威に対する恐怖が「恐露病」的な対ロシア敗北主義となり、それがロシア宥和政策として結実していくのである。たとえば、下田条約における日本の固有の領土である樺太を共同統治とする一大譲歩はその代表であろう。・・・・・・


第二の背景は、英米(アングロサクソン)に対して日本は甘え坊な依存と反発の心理がサイクル的に生じるが、このことにある。この英米に対する日本の心理が反発のサイクルにきたときに、反動としてロシアへの接近が生じるのである。


第三の背景は、わが国における明治時代に形成された根強い親ドイツ・ブームがもたらすドイツ固有の反英・親露感情がそのまま輸入されたからであろう。“親ドイツ”の延長としての“親ロシア”である。


 


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【今日は何の日?】日英同盟締結(1/30)

日英同盟締結(1902年=明治35年)



『英国との同盟を結実させた“日本の小チャーチル”』

日本が極東に浮かぶ“東洋の小国”から、旭日のごとくに“世界の大国”へと上昇したのは、アジア制覇目前の「ハートランド」ロシアの満州・韓半島への野望と慣性を、一時的であれ挫き、半分ほど後退させた、(マッキンダーの登場以前に)「マッキンダー地政学」に先駆的に従った、国益に沿った健康な外交・戦争を惜しまず果敢に展開したからである。

・・・・・・

このマッキンダー系の中でも、際立ってマッキンダー的なのは、小村寿太郎だろう。外務大臣として、日露戦争の開戦と勝利を導いた小村寿太郎がなした八面六臂の外交手腕は、マッキンダーの方が“小村寿太郎の愛弟子”かのように見える。マッキンダーと天才チャーチルとは、双子の兄弟のように酷似した対露政策を共有するから、小村寿太郎とは“日本の小チャーチル”と称されるに値する。

小村の功績は、第一に、開戦すべき情勢判断における、「ハートランド」ロシアの対リムランド浸蝕を的確に見通した炯眼。第二に、「ハートランド」ロシアの支那籠絡の策謀に対して、その“分断”を迅速かつ完璧に実行し、支那が「ハートランド」に併吞されて、アジア“新モンゴル大帝国”というべき「拡大ハートランド」誕生の阻止に成功したこと。それはまた、「ハートランド」の侵略から「リムランド」日本を守った偉大な事跡であっただけでなく、後代の日本に、マッキンダー地政学の外交手法を遺すこととなった。

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