COJでHigh performance出したい人のブログ

何らかの個人、団体、企業とは何の関係もありません。

あけおめ(*´ω`*)
半年振りくらいですね、こんにちは。
前は「君の名は」のこと書いてるので、相当昔だなって感じしますけど、なかなかね。
JP始まってブログも活発化してますけど、プレイング論とか語れるタイプではないので、シーツ噛み締めながらブログ読んでました。



さて、COJPで発生した一連の「フォイルバグ」騒動(フォイルカードのDOBが一律1ptになっていたため、全てフォイルで統一するとどんなデッキもAデッキになるというもの) 。僕もちょうど昨日くらいから色々考えていたんですけど、結果「不具合」で落ち着いちゃいましたね。

僕は発覚時から「無い」派だったんですけど、どうして「無い」のか上手く説明できないなあと思ってぼんやり考えてました。

そしたら今日、ちょっさんがいい感じのこと書いてたんで、結果それに乗っかる形になるんですけど、書いてみますね。

以下はそれについての記述です。

COJPのゲームとしての直接的な話にならないのでその点だけご留意を。



◯ちょっさんの主張










◯内容の整理と反論

ここでは主に2つの主張が含意されてると思う。

一つは、「フォイルバグを利用するのは仕方ない」ということ。

もう一つは、「フォイルバグは回線切りとは違う」ということ。


「フォイルバグを利用するのは仕方ない」という主張を「しゃーない説」、

「フォイルバグは回線切りとは違う」という主張を「マシ説」としておきます。


しゃーない説」は、「一定良くないことだと把握はしているが、APを維持するためには仕方ない」的な内容。しかも、そのやり方は隠されてるのではなく万人に開かれていて、誰もが利用できる状態にあるから良いのだ、っていう感じ。


利用規約にはこう書いている。

image2
4.本サービスのいかなる不具合も、ゲーム内で不公正に優位に立つ目的で、これを使用しないでください。

だから、「不具合ではあるが、不公正ではないのだ」という言い方もできなくはないかもしれない。


ただし、オフィシャルに公表されてる「フォイル」についての情報は以下の通りで

image1

ここから「能力は通常と同じ。光るアニメーションとボイス変更はあり。でも、DOBについては別だよ」と解するのはかなり無理がある。

もっというと、これまでのCOJシリーズで「フォイルはDOBが別で設定される」なんてことは一度も無かったし。
 

「公正」というのは、みんなが利用できる状態にあるなら担保されるものでもなくて。

みんなドーピング剤を利用することができるということを理由に、ドーピング剤を使用してない奴が悪いのだと主張することはできないでしょ?そもそもルール違反だから。

「フォイルバグ」の件でいうと、明確に「フォイルはDOBもノーマルと一緒です」と書いてはいなかったけど、上にある公にされている情報と、これまでのDOBというシステムやフォイルカード登場の経緯を踏まえれば、「これは不具合である」という推論をするには充分な根拠が揃っていて。(あらゆるバグを想定してルールや規約を記載せよって無理な話だしね)

だから「フォイルバグ」の利用はルール違反だし、「公正」でもないと思う。というわけで「しゃーない説」はアカン。



次に「マシ説」について。

マシ説」は何を根拠にしているのか、その辺は明確に言及されてないのでめっちゃ想像ベースになりますが、恐らく、「他人に迷惑をかけているかどうか」が争点になるのだと思う。

「回線切り」は対戦相手に迷惑をかけている。試合内容に関わらず(多くはそれ以前の段階で)少なくとも対戦相手のAPは減るし、「回線切り」を使ってる側はAPが増える。けど、「フォイルバグ」は使ってる側が負けたら何もないし、勝ったからって相手の減るAP量が増えるわけではない。

そう考えると、「フォイルバグ」は「回線切り」よりかなりマイルド。

そもそも、APの価値は人によって異なる。

Q~ACEの間でず~~~~~~~~~~~~~~~っとウロウロしてる僕と、激しい上位争いに取り組むちょっさんとでは重みが違う。それはわかる。


ただ、ちょっさんにとってAPが価値あるものだとするならば、尚更ちょっさんは「フォイルバグ」を使ってはいけない。(ちょっさんに「何かをすることをしてはいけない」って言いすぎ)

なんでかっていうと、ちょっさんはAPという数字が増えれば満足なんでしょうかっていう話で。

例えばですけど、CPU戦でもAPが貰えるシステムになって(ただしランキング的なものは一切ない)延々「AP」という数字が増えれば、それでも良いのでしょうか。APがマリオでゴールしたときに貰えるポイント的なニュアンスになったとしても、良いのでしょうか。

多分それはよくなくて、というのもAPは「比較可能」であるところに意味があるんだと思っていて。

他人と比べられない「AP」には何の意味もないはずなんですよ。だから、「AP」は常に他者の存在を内包しているんですよ。

あなたのAPが不当に増えることは、他人のAPを不当に減退させているのと同義」なんだと。APの価値性を自分で貶めちゃってるってことなんですけど、これ伝わります?(俺もよくわかってない)


「回線切り」も「フォイルバグ」も「AP??それが何??何の意味があんの??」って奴がやるならよくわかる。だって彼にとってAPは無価値でどうでもいいものだから、彼が不正を働くことによって相対的に他人のAPの価値が減退したとしても何の意味もない。


でも、ちょっさんみたいに「APマジ大事、マジリスペクト」みたいなスタンスの人が他者のAPの価値を下げてしまったら、そもそもあなたが大事にしていた”AP”とはなんだったのか、みたいになっちゃう。

だからちょっさんは開き直らなければならなかった。「APの価値が」とか言わないほうがよかった。ただただ「何が何でも一位になりたかった」とかでよかった。

そんな気がしています。びくびく。


◯関係ない話


まああと、古参風吹かせて昔話をすると、その昔「第二回アルカナカップ」っていうのがありましてね。

イベントで☆集めて、その☆の獲得上位者が本戦大会に出場できるっていう稀にみるクソイベだったんですけど、

その時の頂上リプライに、本戦大会出場を狙ってるプレイヤーとそうでないランカーの対決が載りまして。

それがなんと、ランカーの側が勝ち確からユニット撤退して負けるっていうクソ頂上だったんですよ。

譲ったランカーの方、今は知り合い(といって差し支えないと僕は思ってる)だしすごく良い奴なんだけど、その件はやっぱり一種の不正行為だと思ってる。譲られた方はTwitterで感謝リプライしてたかな。意味不明だなと思いながら見てた。

でも、やっぱそういうのって当時の有名プレイヤー(出場狙ってる人達)みんなやってると全然盛り上がらないんだよね。これ、その辺の知らんやつがやってたらまあまあ叩かれてたと思うよ。この一連の流れを、「HANYU 譲る(られ)」っていいます。(クソ面白い)


いろいろ思う所ある人はいると思うんですけど、行為そのものではなくて「誰の」行為かによって反応って変わってしまうので。

まあそりゃあ羽生結弦が後ろから抱きしめるのと僕が後ろから抱きしめるのとでは、相手に与える快感/不快感が異なるのでそりゃそうだろって気はするものの、釈然としない気持ちはどこかであるんすよね。
今回のちょっさんでいうと、まあまあの身内というか知り合いからも一定の反発は喰らってると思うので、その点は健全な騒動というか催しかなと思いますが。 


◯おしまい


みたいな感じでさ、どうでしょう。

まあそもそもJに限らずアケゲーやスマフォゲーって、大前提となる試合数がプレイヤー毎に全く異なるので、その時点で公正性もへったくれもないんじゃないかって気はするんだけどね。


てなわけで、完全に公正な形で最強を決める「COJPリーグ戦」的なもの、やりたいなってすごく思ってるんですけど、全然何も進めてません。とりあえず、Wiki作るところから始めてみます。お手伝いしてくれる人がいたら嬉しいです。


という宣伝的な締めで全体をマイルドにしてみました。おっつ。


観ました『君の名は。』。

記述としては↑が正しいと思うんですけど、いかんせん句点がくどいですね。


渋谷の金曜のレイトショー、メガネのオタク2人(ちょもす、ジャン)に囲まれて観るので覚悟していったんですが、前後左右は男1人とか男2人のグループで思ったより割りと、って感じで。


僕、新海誠の作品観たこと無くて、前評判というか一般に流布するイメージが自分の中で先行してしまってちゃんと観れていないのではないかという不安もあるんですが、少し感想書きます。

COJとの関連性は皆さんがご自身の中で創造してください。
 

Ⅰ.その前に

まあ、このブログを読んでるような人は既に読んでいる人ばかりだとは思うのですが、まずはご多忙の中お時間を割いていただき、映画を一緒に観ていただいたシャドウバース・トッププレイヤー ちょもすさんの『君の名は。』についての感想ブログをご覧ください。


【ネタバレ】『君の名は。』ぼくは生まれ変わっても神木隆之介にはならない


以後、このエントリを適宜引用しながら感想を書いていくことになります。

『君の名は。』を始めとするいくつかの新海誠作品(と、少しだけ『シン・ゴジラ』)のネタバレを多分に含むので、その点はご注意ください。(あと、一部万人に開かれていない表現があるのと、他人の「嫌い」という発言がどうしようもなく許せない人にも)
 

Ⅱ.『君の名は。』以前

前述のとおり、『君の名は。』で初めて新海誠作品を観ました。かねがね噂は聞いていたのですが観る機会もなく。

ただ、『君の名は。』を見終わった後にオタク2人と感想言い合ってる時、少しくらい観とかないとなと思って。それで先のちょもすのブログが更新されたので、その日に一念発起して夜中に観ました。

まだ全部は観れていなくて、『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』『ほしのこえ』だけ。多分ですけど、『君の名は。』以前の新海誠を考えるには充分な気はしています。


さて、『秒速5センチメートル』ですが、はっきり言って好きじゃありませんでした。

山崎まさよしは好きです。もっとも、この曲を一番最初に知ったのはお笑いコンビ・チュートリアルのチリンチリンのネタなんですけど。




何が好きじゃなかったかっていうと、よくわからないことが多すぎる。

なぜ手紙、メールを送らなくなったのか、っていうのがまず一つ。(多分、WEB・紙の媒体問わず腐るほどその手の考察はあるんでしょうけど、敢えてそういうのは読まずに書き続けます。)

その情緒を推し量れる人がどれくらい実在するのか、それは本当に気になる。


そこの情緒を無視して、単に「寝取られ鬱展開」の延長でブヒブヒ言ってるとしたら浅い。

だいたい、3話のラストで2人の高校生時代が描かれているけど(ポストの存在を気にしながら歩くシーン)、2人とも別の連れと歩いてるわけですよ。

てめえは明らかに自分に好意のある花苗との距離感を一定に保つことで明里に勝手に義理立ててるつもりかもしんねえけど、てめえが何もしねえでグダグダ送らないメールを書いてる間にも向こうの人生はあるわけで、何勝手に打ちひしがれとんじゃボケ、っていう。

(小説版だと、2人が岩舟で落ち合ったときに渡せなかった、明里は「渡さなかった」手紙の中身も書いてあるらしいので、そこは見てみたいなと思う)


『言の葉の庭』は良かった。普通に良かった。見終わった午前5時、思わず新宿御苑に走り出しそうになった。

ただ一つ気になる点があるとしたら、雪野の部屋を出た孝雄は雪野が追いかけてくることをわかっていたように見えた(階段の踊場で後ろを振り向くときの余裕さから)ので、それがちょもすのいう


    『言の葉の庭』の主人公は冴えない坊主だった

なのかは凄く疑問があるけど。


『ほしのこえ』は、「これが、かの<ゼロ年代>における「セカイ系論争」において悉く引用されていたやつかー」っていう歴史的な何かを見た時の気持ちで、特にこれといって感想はないです。

ただ、『君の名は。』との関連性でいうと、上2つより直接的な気はしている。(2人の物理的な距離、時間のズレ)


Ⅲ.「セカイ系」とは何か

ちなみにエヴァや新海誠、ハルヒ等のアニメを語る時にちょくちょく出てくる「セカイ系」という頻出ワード、メガネクイッってできるので覚えておいたほうがいいです。

おおよその定義としては、「<キミ>と<ボク>の関係のあり方によって、この<セカイ>の全てが規定されており、その中間項としての<社会>や<政治>といったものが全く描かれない作品」を総称して「セカイ系」って言われてます。(多分)


例えば『ほしのこえ』は美加子が何故「トレーサー」に乗らなければならないのか、あの組織は何なのかということについてほとんど語られていない。なんかそれっぽい軍隊的な何かがあるのだろうというのはわかるけど、それ以上のことはわからない。エヴァの「NERV」、ハルヒでいえば「機関」とか朝比奈みくるの組織とかがそんな感じ。何かめちゃくちゃ<世界>がやばいことになっているのに、美加子と昇、綾波とシンジ(ユイとゲンドウかもしんないけど)、ハルヒとキョンという2人の<セカイ>によって<世界>のあり方が決められていく、的なね。(って書いてて思ったけど、『ほしのこえ』は言うほどそういうニュアンス無い気もしてきた。中間項としての<社会>がすっぽり抜けてるっていうのは確かにそうなんだけど、別に昇は美加子に干渉できないし。実家に帰りたい。)

それで、この手の作品の批判ポイントは男の側=作品を観てるオタクの側に対して向けられていて、「結局オタクは自分で何も決められなくて、好みの女にブヒブヒ言ってるとその女が受け入れてくれるってだけじゃん」みたいなことを(もっと知的な表現で)言われています。※1




その点、『シン・ゴジラ』は凄い。あの謎の旧エヴァを作った人と同じ監督とは思えないくらい凄い。先のセカイ系の説明でいうところの、「中間項としての<社会>、<政治>」”だけ”を描ききったところが凄い。『シン・ゴジラ』の真逆が「セカイ系」、「セカイ系」の真逆が『シン・ゴジラ』、これで覚えましょう。※2



Ⅲ.「期待に沿わないことをする」こと

というような寄り道をしながら『君の名は。』に戻ると。

『秒速5センチメートル』は決して先の定義でいうところの「セカイ系」ではなかったんだけど、ただ「オタクのどうしようもなさ」「ダメ男のこじらせさ」を受け止めてくれていたものではあった。新海誠が「うんうん、わかるよ」と言ってくれているような気にさせてくれる何かがあった。

ところが『君の名は。』は違う。最終的には成就する(してしまう)し、瀧くんのスペックも


    放課後に男三人でカフェに行って店のデザインをどうこう語るような、あるいはオシャレ係数が爆発しそうなレストランで働いているような東京のイケメン高校生

というように、これまでの新海作品の中ではスタイリッシュだ。(全部観てないから断言できないんだけど)

冒頭に三葉が「東京のイケメンの男子高校生に生まれ変わりたい」って言っていたけど、実際彼はそれに足る存在で。

それでも彼はあの作品中の男の中では相対的に「ダメ男」(彼女いない/いたことない?し、三葉と入れ替わる前までは奥寺先輩(めっちゃ付き合いたい)からもモブの一人としてしか認知されてなかったし、内定貰えてないし)なんだけど、多分そのくらいのダメさでは全然ダメで。

休み時間は屋上で友達と飯を食うのではなく、自席で弁当を隠れるように食べて突っ伏して寝る、みたいな。そういう奴でなければオタクは納得しない。

でも、それだとストーリーは全然進まなくて、進めるとしたら「結局オタクは自分で何も決められなくて、好みの女にブヒブヒ言ってるとその女が受け入れてくれるってだけじゃん」っていうこれまでの「セカイ系」批判を受けそうな内容にするしかない。

新海誠「君の名は。」に抱く違和感 過去作の価値観を全否定している

本人のインタビューじゃなくて恐縮なんだけど、新海誠が「名刺代わりの作品」を作りたいと思うのであればそんなストーリーではダメで、恐らく一定の批判は覚悟で方針転換したんだと思う。


Ⅳ.お前は神木隆之介ではないが新海誠ではある

僕がちょもすに言いたいのはこれに尽きる。

どういうことか 。
 

人を不愉快にさせるような不細工ではないが、どことなくファニーな顔と(めっちゃ褒めてる)文章、喋りのセンスから、昔のちょもすは「オタクの憧れ」だったはずだ。

それこそ君が『言の葉の庭』の孝雄を「冴えない坊主」と表現するように、「冴えない眉毛」であるところのちょもすを、オタクは支持してきた。<キミ>(=ちょもす)と<ボク>(=オタク)という<セカイ系>的感性の中で、ちょもすは支持されてきた。

それがCOJでものすごく有名になり、公式生放送や電アケに出たり記事を書く度に「癒着」と言われはじめ、その後シャドウバースでもその名を馳せれば「COJを捨てた男」と揶揄される。

それは、普通の「冴えない眉毛」は声優と同じ画面上に現れないからだ。でも君は、声優と同じ画面に現れ「ちょもすさん」と名前を呼んでもらってしまっている。それは「冴えない眉毛」ではありえないことであり、オタクからすると「手のひらに『すきだ』と書くこと」と同じなのだ。 


ちょもすの変化は、先のブログからも見て取れる。


    高校生の爆弾だし停電させるくらいのものだからそこまで大規模じゃないと思っていたのに、いざ爆発したらラピュタの雷みたいな爆発の仕方をするから思わず噴き出してしまった。そのことを上映後に知り合いに話してみたら、「あそこで笑う奴はさすがにサイコパス」とか言われて非常に不服でした。 


この部分、今までのちょもすのブログなら「知り合い」ではなく「ジャンさん」って書いていたと思う。けどここで固有名詞を省くのは、ちょもすの転換期であることを示している。

ちょもすは、もはや「COJの有名プレイヤー」という枠組みでは語れない。「COJの有名プレイヤー」であれば「ジャンさん」と書いていたっていい。最近では電アケでもブイブイ言わせてるわけだし、共通語として「ジャンさん」は通じるはずだ。

しかし、「COJの有名プレイヤー」の「ちょもす」から脱却するには(もうしている説もある)こういう固有名詞は省かなければならない。より万人に開かれた表現でなければならない。


ちょもすは今、新海誠と同じフェーズにある。これまでの環境、支持されてきた母体から脱却するかどうかを問われている。

ちょもすが「新海誠に見放された」と言うのは、オタクが「ちょもすはCOJを捨てた」と揶揄することと同義である。ちょもすがその苦しみを理解しているのであれば、ちょもすもまた新海誠に対して理解を示さなければならないのではないだろうか。


だからちょもすは、新海誠に文句を垂れるべきではない。

オタクの期待を一身に背負ってきたものの、その期待を超克しようとしつつある同じ立場の人間として、共感しなければならない。

ちょもすは、瀧くんでも神木隆之介でもないが、新海誠ではあるのだ。





(ちなみに僕の一番好きな「自分の恋愛エピソード」は、「19の僕の誕生日に、当時付き合ってた1個上の人と、まだ誰も足を踏み入れてない一面雪が積もった河川敷で一緒に雪だるまを作った」です。理由は、一番絵になると思うからです。それではさようなら)




(9/5 追記)
これ最初に「『君の名は。』の感想書きます」って言っておいて、よく見たら一言も『君の名は。』の感想書いてなかったので、備忘録的に書いておきます。最後が言いたすぎて、正直『君の名は。』の僕の感想自体は途中どうでもよくなってしまって。

泣いた/泣いてないの基準で言うと、「泣いた」んですけど。山のところでお互いの名前呼び合って再会するシーンで。
「はいはい、どうせこれから会うんでしょ」って心のなかで突っ込んでいたにも関わらず。
ただ、その後の蛇足感っていうか。過去を改変して(ると思うんだけど)その後よくわからんけど電車のなかで目があったから走って探したら偶然街中で会うってなんじゃそらとか(この辺って『秒速』の踏切の件と対比させてんのかもしれないけど)、お前ら入れ替わってる間に一回も日付確認しなかったんかいとか、「岐阜 山岳」で検索して山の風景見る過程で絶対昔のニュース記事出てくるし、検索ワードも工夫すりゃピンポイントで場所特定できただろとか、ストーリーを成立させるために都合の良いことは忘れちゃう/思いつかないっていうのが、めっちゃご都合主義的やん!みたいに思うところがあって。
「それは『東京のイケメン男子高校生』にとっては普通のネットリテラシーなんだよ」ってオタクに言われたけど、 この辺の理屈付けってこれからの創作にすごく問われてる気がする。それかもう丸っきり書かないかね。

あと、これは『君の名は。』だけじゃないし、僕が単に苦手ってだけの話なんだけど、「苦手なシーン」が2つ。
1つは序盤。観客である僕はこの映画がどんな映画であるかを知って見に来ているので、「入れ替わったことに対する驚き、それに伴うドタバタ」みたいなのを観てるのがすごく苦痛で、さっさと話を初めて欲しいっていう気分になる。『君の名は。』にかぎらず、こういう「キャラクターが今起こっている事象に対して理解できていない」っていうシーンは、当然あるべきなんだけどイマイチ好きではない。
『シン・ゴジラ』はその手のストレスが少なくて、 

矢口「あれは正体不明の生物」
その他「妄想乙」

正体不明の生物でしたーw

尾頭「動力は核」
安田「ありえませんよ」 

核でしたーw

の矢印のスパンがすごい短くて、要は「現実的に考えるとあり得る反応なんだけど、映画のテンポ的に不要なところ」がカットされているように思っていて。まあそういう好みの話。

あともう一つは、三葉(瀧くん)が「このままじゃ彗星が落ちるからみんな逃げて!」って町内に言いまくって怪訝な感じになるところ。
(ここでばーちゃんの反応がイマイチだったのが気になるけど、それはまた別の話) 
「タイムリープ/未来予知などでこの先のことが分かっている人間が、それを伝えるんだけど理解してもらえない」っていうシーン。
ちょっと前にバズった「共感性羞恥」とも絡むのかもしれないけど、「お前、突然そんなこと言ったって分かってくれるわけねえだろ」って 思っちゃって、イライラというかなんというか。
『君の名は。』に関する感想っていうとこんなもんかなあ。Twitterで書くには長いけど、ブログにするには短くて浅い、帯に短し襷に長し的な感じで、まあこういう風にひっそりと追記しておくくらいでちょうどいい気はする。 



注釈

※1 まあこの辺の定義、かなり怪しいです。元々がネット上のスラングだったこともあり、「セカイ系」とは斯く斯く然々であり、これは「セカイ系」だがあれは「セカイ系」ではないという判別も若干揺れが有ります。

もしその辺興味あればこれ読んでください。


 
※2 僕の嫌いな批評家が、Twitterで「シン・ゴジラは2つのフェーズに分かれていると思った。ヘリがゴジラによって落とされる前が3.11の現実の日本、落とされた後が3.11以後の日本にこのように復興して欲しかったという願望」というような趣旨のことを言ってて、なんかちょっと分かる気もした。ちなみに分かる気がしたようになったのは、3.11当時総理補佐官だった議員のブログを読んだから。『シン・ゴジラ』が面白かった人はかなり興味深く読めると思うので是非

【5年前の記憶の全て】

まずは告知から。

【5/4(水)予定】COJ界 大富豪最強を決めるバトルトーナメント


是非、参加を。


にわかに流行の兆しを見せる大富豪。

元々COJ界隈で大富豪が認知されることになった(当然ゲームとしてはみんな昔から知ってるわけだけど)きっかけは、この記事(イベント)だと思う。


そっからラグはかなりあるんだけど、ぼちぼちやってる人達が集まってきて、今に至ってると。J関係のTLを見ていても、ほぼ毎夜誰かが卓を作ってるので、興味がある人はやってみて欲しい。


さて、別に僕は大富豪の第一人者でもなんでもないわけだけど、最近やっていて思ったこと、気付いたことがあるので少し共有したい。


◆都落ちについて

都落ちは大富豪の公式ルールにも採用されるルールだ。(ちなみに上の大会のルールは公式ルールに準拠していない)

大富豪は圧倒的なアドバンテージがあるので、都落ちは一連のゲームの流れを通した時にその差を埋める役割を持つ。初っ端一回たまさか大富豪になった(なられた)だけで一生差が開き続けるようでは、ゲームとして楽しくもないしね。

一方で、当たり前ではあるが大富豪側からすればたまったものではない。都落ちしないためには勝ち続けるしかないけど、大富豪だからといって毎回毎回強い手札ではないし、革命一発で覆されることもある。

都落ちルールを前提として、トータルでゲームに勝つために留意したいこととして、2つ挙げたい。(たくさんあるけど)


●弱いカード

大富豪において最も弱いカードは何か、という議論は流石に昔からあるようだ。当然ルールにより差はあるので、一概には言えないところでもあるんだけど。

私が見た中で一番説得的だったのは「大富豪で一番弱いカード”6”説」である。(どこで見たかを失念してしまった)

以下はそこで記載されていた内容の記憶に加えて、私自身の考えもあるので誤りも多いかもしれない。そこは念頭に置いて欲しいのだけど。

3や4というのはイレブンバックや革命を考慮すると弱くない。スペ3返しやその他のローカルルールによっては使い所もある。

7,9,10は通常時・革命時共に中途半端な強さで微妙に見えるが、9・10については下手の8切りを避けれるという意味で相対的に強い。7もイレブンバックや革命時には対8切りにおいて9・10と同様の働きをする。

また、7に関しては数字縛りがある場合の序盤で、6の次に出せると下手に8を要求できる。極力序盤に8は使いたくないので、流れることがままある。

一方で6はこれらのような使い方もできないしあらゆるローカルルールの中でも使い所が無い(らしい)。

革命・イレブンバック時でも通常時のQ相当の強さしかないのですごく微妙。というわけで6が一番弱い、という説。

だから自分が大富豪になって大貧民にカードを渡す時、これらの強弱を考慮して渡すと良いかもしれない。もちろん実際はダブル・トリプルがあるので、それらも考慮するとなると簡単ではないんだけど。

そしてそれだけ色々考えて渡したカードによって革命が起こった時の悲惨さったらね(´ε` )


●都落ちしたとき

都落ちした時、まず最初に考えるべきは「どうやって貧民にあがるか」だと思う。

上述の通り、おおよそ大富豪のカードアドバンテージは強力であり、大貧民は悲惨である。そこでまともに上位陣と渡り合おうとしては負けてしまう。大事なのはコツコツとあがっていくこと。

大会で用いるアプリのルールでは、大富豪+2p、富豪+1、平民0p、貧民-1p、大貧民-2pである。ラウンド数にもよるが、大貧民に2連続でなってしまうと-4p。3連続なら-6p。これが大貧民→貧民なら-3p。その後も貧民だったとしても-4p。また当たり前のことしか言ってないけど、ラウンドが伸びれば伸びるほどこの差は広がっていく。せっかく富豪側で稼いだポイントもすぐに消えてしまう。

まずは貧民にあがってカードアドバンテージの差を埋める。貧民であれば初期手札によっては大富豪、富豪と充分渡り合える。

だから大貧民になってしまったとき、その時点での直接的な敵は大富豪ではなく貧民なのだ。この構造、とっても”リアル”。

だからそこを意識した立ち回りをする必要があるんだけど(ここから先は課金してください)



てな感じでおしまい。昔からトランプゲームの中では一番好き(次点はスピード)だったんだけど、カードゲームオタク達に揉まれてすごい色々意識するようになってより楽しくなった。
今回こういう記事を書いたのは、大会告知と大会でカードゲームオタクに負けたくないので、あんまりやり込んでない人達に幾ばくか良い影響を与えることで打倒カードゲームオタクの一助になれば、というところから。 

大会を継続してやっていくつもりはない(かといってやめるつもりもない)ので、誰かがいろんなルールでやってみれば良いと思う。そのきっかけとしてまずはこの大会、いかがですか?という珍しく誰の悪口も書いていないほのぼの告知エントリでした。


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