2014年02月28日

軍師官兵衛第8回と川並衆

岐阜城で織田信長及び家臣一同と対面する官兵衛。毛利氏との対決に備えて大将一人を播磨に遣わして欲しい。そうすれば播磨の豪族たちは織田氏に付くと説く。

信長は備えの刀を掴んで立ち上がり、それを官兵衛に与えた。へし切り長谷部と呼ばれる名刀である。そして、秀吉を遣わすことを約束した。

帰路、官兵衛主従は秀吉に長浜の居城に招待され、接待を受ける。蜂須賀小六や石田三成らによる饗応を受けることとなった。

一方、官兵衛不在の播磨では、毛利氏の調略の手が、主君の小寺政職にも伸びていた。それに対し、官兵衛の父の職隆と妻の光姫の才覚で阻止される。

織田氏と毛利氏という二つの大国の間で、生き残るために思案する官兵衛の主君の小寺政職役の片岡鶴太郎の演技が目を引く。

史実では織田氏は毛利氏と対立は翌年のことで、まだ三好氏や武田氏たち織田包囲網が織田氏により衰退していくのを見て、官兵衛たちが織田氏に属することを決めた時期である。

しかし、織田信長に属することで利益を得る中央政府に協力的な勢力と、それらにより損失を出す自主独立勢力に別れることになる。前者が山中鹿介ら尼子遺臣団や官兵衛の妹の嫁ぎ先であった浦上氏、後者が毛利氏や宇喜多氏や石山本願寺だった。

その後者と信長に追放された足利義昭が結びつくこととなる。

秀吉の家臣としては、賤ヶ岳の戦いの後に加藤清正、福島正則、石田三成、大谷吉継と言った人物が頭角を現してくる。それ以前は竹中半兵衛や川並衆と呼ばれる蜂須賀小六や前野長康と言った人物であり、それぞれ岐阜県の垂井町(大野町生まれ)、笠松町、各務原市の土豪(国人)たちだった。

西美濃三人衆や明智光秀や池田恒興たちの力を借りた織田信長以上に、秀吉も岐阜の土豪たちの力を借りて伸びていったと言えるかと思われる。


秀吉は播磨を勢力圏とし、川並衆もそこに領地を与えられることとなる。


トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
記事検索
livedoor 天気