2017年05月22日

『メッセージ』

メッセージ未知との遭遇でのコンタクトに必要なもの。それはメッセージを受け取る勇気。
さすがドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品だ。細部まで丁寧に描かれたその手腕は素晴らしいの一言。
ただオチに関しては中盤で読めてしまったうえに、ヒロインの背景が描かれぬままのあのオチはやはり勿体無いとしか言い様がなかったのが残念。

地球上12ヶ所に突如現れた「ばかうけ」型宇宙船。人類に対して敵意を見せる訳でもなければ、友好を示す訳でもない。なぜなら彼らの言語が分からないし、彼らも人類の言語が分からないのだから、当たり前といえば当たり前の話。

しかしそれはある意味とてもリアルな話。地球上でさえ数多ある言語で意思疎通がままならぬのに、そこに宇宙言語が来れば当然不安は増す、疑念も増す、恐怖も増す。

だからこそ選ばれた言語学者のルイーズ。彼女の才能と知識ならと現地に召集されるも、まずこの映画は彼女が娘を授かり、その成長を見守るも、やがて難病により娘を失うというエピソードを描いている。
ただこの恐らく過去であろうエピソードで描かれるルイーズに対し、宇宙人との対話という任務を与えられたルイーズが老けていないという風貌が個人的には引っ掛かってしまった。もしかして『インターステラー』の事例からも過去のエピソードではないのかも知れないと。

そんな疑念に引っ掛かりながらも流れていくストーリーでゆっくりと強調されていくのがルイーズの母性だ。本来なら数理学者のイアン・ドネリーの理数系ならではの活躍がもっと描かれてもいいはずが、この映画ではほぼ描かれない。常に彼は彼女のサポート役に留まっている。なのでルイーズの左薬指に嵌められた指輪を見ても、そのお相手もすぐに分かってしまった。

けれど中国のシャン上将やアメリカのウェバー大佐を始めとする男共が根気もなく武力行使を主張する一方で、本当の強さであり勇気である「相手を受け入れる」優しさを示すルイーズを見て思う。やはり男は女のサポート役であることが、もっとも事が上手く進む術ではないかと。

ヘプタポッドと名付けられた宇宙人には時間軸という概念がないという事実も、もし男が仕切る場であれば、果たしてこんなにもスムーズに受け入れられていただろうか。娘が死んでしまうという未来が分かっても、その娘を育てるという勇気を持てるだろうか。

でも現実を愛おしむ女性にはそんな勇気が備わっている。今を大切にする素晴らしさを知っているからこそ、子供を産むという能力が備わっているからこそ、どんな未来が来ようとも娘を産むという決断も出来るのだ。

つまりルイーズは人類を守るために、世界を守るために、危険を犯してまでシャン上将を説得したのではない。彼女は自分よりも先に死ぬと分かっていても逢いたい娘を産むために人類の暴走を止めたのだ。
ある意味酷く個人的な理由ではあるが、その理由こそが本来なら人類が最も大切にしなければならない「愛」なのだ。

深夜らじお@の映画館は「ばかうけ」型宇宙船がなぜに北海道に現れたのかも疑問です。やっぱり大阪には宇宙人を倒した過去があるからダメだったのかな〜。

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2017年05月21日

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

マンチェスター・バイ・ザ・シーこの冷たい風も、必ず温かい風になる。
実兄ベン・アフレックの影で密かに輝き続けていたケイシー・アフレックが第89回アカデミー主演男優賞を受賞したこの作品は、静かで地味な映画。でも保護者になるという決断をした者の強さを静かに描いた映画でもある。
だからこそ、弟という立場をよく理解しているケイシー・アフレックには相応しい映画なのかもしれない。

仕事は丁寧だが、他人との距離を置く便利屋のリーにある日届いた兄の訃報。とある理由で帰りたくなかった故郷:マンチェスター・バイ・ザ・シーでは人々がリーの顔を見ては腫物に触れるような扱いしかしない。
周囲からの信頼の厚かった兄と、性格的に問題があって故郷を離れたようではない弟。そこに残された甥のパトリックという存在が大きく関わる。

実父を亡くしても二股彼女たちとの情事、バンド活動、アイスホッケー部の友人たちとの時間を優先し、哀しき現実を直視せずに、でも自分なりのペースで、時に叔父とぶつかりながらも父が遺したボートは手放さないと頑固になりながら現実と向き合うパトリック。
一見すれば薄情にも強情にも見える少年も、叔父であるリーの過去を知ると、その薄情さも強情さもある意味少年なりの、甥なりの不器用な叔父への応援なのかも知れない。

というのも故郷には住みたくないというよりも帰りたくないというリーの過去が徐々に描かれてくると、2つのことは分かってくる。
一つは兄を誰よりも信頼し、甥を誰よりも可愛がっていたこと。
もう一つは誰よりも大切にしていた3人の子供たちを自分が犯した暖炉での火の不始末から死なせてしまうも、それに対して法律上の罰を与えてもらえなかったこと。

つまり彼は誰からも責められなかったからこそ、誰からも赦されなかった。
だから自分で自分を責め続けた。誰もが彼を赦しても、彼が彼自身を赦さなかった。
そして近くで最も心配してくれていた兄にその感謝を十分に伝えきれぬまま、今日に至ってしまったのだ。

ただ兄が自分をパトリックの後見人にするという遺書から伝わる想いを知り、パトリックと故郷の冷たい風を全身で受けながら、友人たちの助けを素直に受けて考える。
自分はどうすべきなのかと。パトリックをどう扱うべきなのかと。

やがて彼は答えを出す。元妻ランディの幸せを知り、彼女の謝罪の言葉に自分も自分自身を赦すべきだという涙を流し、兄の想いを思い出して答えを出す。

マンチェスター・バイ・ザ・シーに留まりたいという甥の想いを尊重し、友人ジョージにパトリックを預ける。ボートも家も貸し出すが、決して手放さない。
そして自分はボストン郊外へ帰る。ただし甥が遊びに来るスペースのある新居に帰る。兄ジョーがソファーを複数置いてくれた優しさを今度は活かせる我が家へ帰る。

冷たい冬風が吹く故郷にもやがて温かな春風は吹く。ボストン郊外で雪かきをしなくてもいい季節がやってくる。
そして傷ついたリーの心にも、その傷がようやく癒される日がやってくる。今は亡き兄ジョーが最も待ちわびた日がやってくる。

だがこの映画ではその日は描かれない。春風が吹く日も描かれない。なぜなら誰もがもうその日が必ずやってくることを確信しているからだ。リーの生きる力が蘇ることを誰も疑わないからだ。そんな優しさがこの映画には詰まっている。

深夜らじお@の映画館はケイシー・アフレックにこの役を進めたプロデューサー:マット・デイモンの兄心にも深く感心しております。

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2017年05月20日

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス〇〇ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーへようこそ♪
笑って泣ける新たなるスペースオペラの誕生だ!前作のような映画ファン向けではない、いかにも一般ウケする内容満載でも、やっぱりウォークマン愛用者と姉妹ファイターと破壊王とアライグマと「I AM GROOT」が存在する限り、宇宙に平和はやってこない!
でもそれがいい!

偉大なるケビン・ベーコンへのダンス愛が全く語られなくなった時点で、本来ならこの映画は完全なる失敗作になっていたはず。
しかし「フットルース」どころかヴァンゲリスの楽曲さえ使わなくても、'70sや'80sをふんだんに、かつ絶妙なタイミングで流し続けるセンスが素晴らしいおかげで、この映画は間違いなく「面白い」と断言出来る映画に仕上がっているところが何とも素晴らしいこと。

しかもOPからベビー・グルートが一人ダンスに勤しむ後ろでガーディアンズが全員で協力して頑張っている温度差の違いも面白ければ、破壊王ドラックスの前ではお約束通りに動きが止まる前作ネタも見せる見事さ。

加えてファミリーとしての絆が深まったからこそ、全員で協力しての仕事ぶりも素晴らしければ、互いを思いやる姿も素晴らしいこと。
特にピーターとガモーラの恋模様には婚歴者としてのアドバイスを送り、ベビー・グルートの子守に奮闘するロケットには子持ち経験者としての意見を述べるも、毎度空気を読まぬ発言で〆るドラックスの優しき存在感はとても心地いいこと。

だからこそ、本物のファミリーを築くならネビュラとの姉妹ファイトも容赦しないガモーラの姉御ぶりといい、面倒臭がりなのにベビー・グルートへの教育には粘り腰を見せるロケットの優しさといい、血縁上の父親エゴと育ての父親ヨンドゥのどちらを選ぶかというピーターの決断といい、どれもが心温まるものばかり。

頭に触角の生えたマンティスや姉への対抗心で暴走するネビュラがそんなファミリーに入りたいと憧れるのも納得ならば、そんなガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにようこそという言葉を餞に送られるヨンドゥの格好良さも何とも言えない温かさを感じること。

エンタープライズ号プロテクター号と比べるとその見た目のまとまりのなさは突出しているのに、競い合えるピーターとロケットを叱るガモーラの後ろでドラックスが笑い、ベビー・グルートが不思議そうな顔をしているその光景は、どこのクルーよりも絆が深く、そして仲間意識も強いと断言出来る。

そんなファミリーを守るべく、いや正式にはエゴよりも息子想いのヨンドゥの父親ぶりに涙腺を刺激され、旧友シルベスター・スタローンが亡き友を花火で送り、エゴによって握り潰されたウォークマンがiPodへ変わり、ゲーセンのような感覚で戦闘ドローンを動かしていたソヴリン星のアイーシャが新たなる計画を立て、EDロールで「I AM GROOT」が8ヶ所で登場し、スタン・リーが話も聞いてもらえず置いてけぼりにされたその続編はどうなるのか。

出来れば今度こそ偉大なるケビン・ベーコンへのダンス愛を大いに語り、是非そのケビン・ベーコンの出演を実現させていただきたい!その際には是非「Awesome Mix Vol. 3」にヴァンゲリスの楽曲もよろしくお願いします!

深夜らじお@の映画館は反抗期を迎えたグルートにファミリーがどう対処するのか楽しみにしています。案外ネビュラ辺りがいい教育係になっているかも?

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2017年05月15日

『スプリット』

スプリットM・ナイト・シャマランが帰ってきた!
かつてアルフレッド・ヒッチコックの後継者とまで称されるも、稀代の一発屋として長年多くのファンのマトモな期待を裏切り続けてきた、あのM・ナイト・シャマラン監督。
しかしそんな不遇の時代はこの映画を以て、少なくとも一時的には終わりを告げるのだ!

6週連続2000万ドル越えというトンデモない記録を打ち立てた『シックス・センス』により「私はヒットする映画の作り方を知っている」と豪語したものの、その後は膨らみ過ぎた期待に応えられず、さらにファンタジー好きとしての長年の夢でもあった『ハリー・ポッター』シリーズの監督にとワーナーブラザーズに直訴するも断られ、あまりにも長い不遇の時代を過ごしてきた、かつては地元フィラデルフィアでの撮影しか許されていなかった恐妻家のM・ナイト・シャマラン。

しかしそんな監督が全米3週連続1位を獲得して復活したと聞けば、やはり人格分裂や監禁モノ、そしてあのアルフレッド・ヒッチコック作品を意識したようなOPから高まる期待は多重人格スリラーの名作『サイコ』。
そう、この作品は監禁モノの面白さを追求するのではなく、『サイコ』のような面白さを追求する作品なのではないだろうか。

だからこそ、23人格を有する割には潔癖症のデニス、穏やかなパトリシア、ガキンチョのヘドウィグ、元リーダー格のハリー、大元のケヴィンとオマケの2人格以外は全然描かれてないやん!というツッコミもどうでもいい。
動物園という環境とデニス、パトリシア、ヘドウィグがケヴィン内部での人格集会で爪はじきにされていたことがビーストという24人目の人格を生み出したという無理矢理感のあるクライマックスの辻褄合わせもどうでもいい。

要は多重人格の犯罪者という先読みの出来ない恐怖要素に、監禁という情報制限が為された閉鎖環境で物語がどう進んでいくのかが、アルフレッド・ヒッチコック作品を再び意識し始めたM・ナイト・シャマラン監督作品としては大事なのだ。

どの人格を味方にするのか、どの人格を出し抜くのか、どの人格が真犯人なのか。
それは3人の女子高生が全員助かるのか、それとも犠牲を払いつつも真犯人を倒すのかという期待を膨らませる。

そして案の定、M・ナイト・シャマラン監督はその期待を裏切る。ただこれまでの悪い方向ではなく、まさかのダン役のブルース・ウィリス登場に車椅子云々という驚愕のラストシーンと本編終了後の急告で、長年の映画ファンだけを喜ばせる。これが『アンブレイカブル』の興行及び評価の両面で大失敗を喫した史実をリアルタイムで知っている者にとってはたまらなく楽しくて仕方ないのだ。

だって過去の失敗を現在の成功と繋ぎ合わせるなんて、そんなこと誰が考えますねん!って話なんだもん!

てな訳で目力が凄かったケイシー役のアニャ・テイラー=ジョイ、ハゲ頭で女装も似合っていたジェームズ・マカヴォイに加え、ブルース・ウィリスとサミュエル・L・ジャクソンの出演も決まった続編『Glass』。

果たしてこの映画ではあえて描かなかったケイシーを虐待した叔父との関係はどうなるのか、殺されてしまったフレッチャー先生の持論は活かされるのか、そして先生の助手役として登場したM・ナイト・シャマラン監督はいったいどんな役で登場するのか。もう今から楽しみだ!

深夜らじお@の映画館はこういう作品が妙に好きです。

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2017年04月30日

5月戦線映画あり!

映画界発祥のGWという言葉は、放送業界では「春の大型連休」と言わなければならないそうで、あらあら、それも大変やね〜と思える今日この頃。そのGWに至ってはこれと言って注目作がないのが残念なところ。
ちょっと前まではGWは映画三昧だったのになぁ〜。
てな訳でそんな5月公開の注目作をピックアップしたいと思います。

【5/5〜】
●『カフェ・ソサエティ』
80歳を越えたウディ・アレン監督最新作。

【5/6〜】
●『赤毛のアン』
アンまで実写映画化されちゃう時代なのね。
●『台北ストーリー』
没後10年、エドワード・ヤン監督が1985年に手掛けた幻の長編第2作。
●『追憶('17)』
木村大作監督with降旗康男監督最新作。

【5/12〜】
●『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』
最凶チームが宇宙を守るために帰ってきた!
●『スプリット』
M・ナイト・シャマランのスリラーが帰ってきた!

【5/13〜】
●『潜入者』
コロンビアの麻薬王パブロ・エスコバルの帝国を潜入捜査で撲滅させよ!
●『マンチェスター・バイ・ザ・シー』
本年度アカデミー主演男優賞受賞作品。

【5/19〜】
●『メッセージ』
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督最新作。本年度アカデミー音響編集賞受賞作品。

【5/20〜】
●『ピーチガール』
原作者は兵庫県加古郡稲美町出身だそうです。
●『夜に生きる』
ベン・アフレック監督・主演最新作。

【5/26〜】
●『美しい星』
三島由紀夫x吉田大八xリリー・フランキー。
●『光をくれた人』
3月31日の公開予定から遅れること約2ヶ月。

【5/27〜】
●『おじいちゃんはデブゴン』
サモ・ハン・キンポーが帰ってきた!
●『ちょっと今から仕事やめてくる』
でも失業保険がもらえるのは3ヶ月間だけ。その間に新しい仕事を見つけないと!
●『光』
河鹹照監督最新作。


てな訳で5月の注目作は
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』
『メッセージ』
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』

深夜らじお@の映画館は5月から貯金に回す金額を多くする生活に入ります。

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acideigakan at 00:16|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!映画予告編 

2017年04月28日

『SING/シング』

SINGシング家族のために歌え!
ミュージカルの面白味が詰まっているアニメーション作品だ。次々と披露される歌声に心まで踊る作品だ。でも物語の中心にいるコアラがどうしても邪魔に思えて仕方ない作品だ。
既に続編の製作も進んでいるのも納得の面白さが全て主役でない動物たちによってもたらされているのがちょっぴり勿体無い作品だ。

ポイントカードの有効期限云々の問題解消のために急遽拝見させていただくことになったこの映画は、まさに評判通りの『ズートピア』の世界観にミュージカルを当てはめたような、これぞ多人種国家アメリカならではの作品。

しかも窃盗団ボスをパパに持つ内気な青年ゴリラ、25匹の子育てと構ってくれない旦那との生活を変えたいママブタ、才能のない彼氏にフラれたハリネズミ女子高生、自分の実力を見せつけたいだけの傲慢ネズミ、自分でも嫌になるほど消極的な乙女ゾウのそれぞれの悩みを描きつつ、彼らが決して現実逃避から歌を好むのではなく、現実を変えたいがために歌に賭けるという設定も面白いこと。

だからこそ、きちんと青年ゴリラにはパパと向き合ってほしいと思う。主婦業に専念するママブタなんて見たくないと思う。ハリネズミ女子高生の才能が開花してほしいと思う。傲慢ネズミのご自慢の実力を見せてみろと思う。乙女ゾウが殻を破る瞬間を見たいと思う。
そう、この映画には歌に人生を賭ける動物たちがどれも魅力的で応援したくなるのだ。

なのに、ストーリーテラーでもある劇場主コアラと来たら、これがとにかく魅力に欠けること。
もちろん劇場復活のためにあれこれ企画するバイタリティも、あちらこちらに出向く行動力も、隣家から電気を盗む度胸も凄いとは思うものの、やはり彼の行動には劇場に対する本物の愛が見えてこないのが淋しいところ。

幼き頃に経験した感動を!と言っている割にはトト少年のような愛がないので、父親への感謝の気持ちも言葉だけに聞こえて残念なこと。
だから劇場が崩壊しても空き地を野外ステージにしてという展開になってしまったのも、物語としては盛り上がるものの、やはりトト少年のような劇場愛がないのは残念でならない。

加えて家事をダンスに見立ててダンサーブタと共に見事なステージを披露したママブタだけが洋楽で、後は全員邦楽かい!というのも残念。吹替版なんだから、せめて全員邦楽でいいやんと思うんですけどね〜。

そしてブタのコンビネーションダンス、立ち上がれゴリラと脱獄パパの親子愛再構築、オリジナル曲で恋のリベンジ完了のハリネズミの針針フラッシュと来て、実力派歌手ネズミもとい山寺宏一先生の熱唱でボルテージが最高潮に達してしまったがために、自分を開放した乙女ゾウの熱唱であまり盛り上がれなかったのも残念。歌が上手すぎるっていうのも罪なのね、山寺宏一先生…。

てな訳で賞金額でダマした動物たちに助けられ、パトロンにと口説き続けたマダムに劇場用地の再取得で助けられと、カメレオンおばあちゃん助手の世話以外はただ助けられてばかりのコアラ支配人。
中でも彼が一番感謝しなくてはならないのは、やっぱり羊の親友でしょう。洗車の乾燥作業を手伝ってくれただけでなく、劇場崩壊後は政界の世話までしてくれた挙句、劇場再開のためにAD作業まで全てこなす親友。彼無くしてこの野外ステージの成功はありえませんで!

深夜らじお@の映画館は傲慢ネズミの山寺宏一先生の熱唱だけは何度も聞きたいと思いました。

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2017年04月25日

『美女と野獣』

美女と野獣これぞディズニーの語り継がれるラブロマンス映画だ。贅沢なまでに楽しませてくれる愛のエンターテイメントだ。
何と満足度の高い映画なんだろうか。1991年のアニメ版の完全実写化などはどうでもいいと思えるほど、一本の映画にここまで酔いしれたのはいつ以来だろうか。
これぞ本当に語り継がれるべき愛の映画だ。

アニメーション映画史上初めてアカデミー作品賞にもノミネートされた1991年の『美女と野獣』を完全実写映画化したと言っても、そのアニメ版を未見の者にはさほど興味のない宣伝文句。

ただジョディ・フォスター、ナタリー・ポートマンに続き、才女としても女優としてもの道を模索しているエマ・ワトソンの頑張りを見に行くという軽い気持ちで映画館へ足を運んだのが大間違い。こんなにもデート映画に相応しい作品に仕上がっていたのなら、一人で見に行くんじゃなかった…と。

特にそう強く感じさせてくれたのがベルと野獣との2人の時間が始まってからクライマックスに至るまで一切音楽を途切れさせることなく、逆にその音楽とミュージカルシーンで見事なまでにベルと野獣の恋が愛へと成長していく様を描く丁寧さ。

しかもこれがアニメ版の実写化ということで、下手すれば単純にアニメをそのまま実写化して雰囲気台無しになってしまうところを、実写化するということは細かな設定を丁寧に描くことでよりリアルさをスクリーンに映し出すという、最も重要なのに最も忘れ去られている事項を完璧にこなしていること。
これがしっかりしていると、ミュージカルシーンもさすがビル・コンドン監督と言わんばかりの華やかさと見事なカメラワークで、より映画に酔いしれてしまう。

だからこそ、ベルと野獣の愛もまるで結婚前の男女に見えてくる。恋を楽しむ若い2人ではなく、人生の伴侶を見つけ出した2人に見えてくる。

さらにハーマイオニー時代からその成長を見守ってきた映画ファンとしては、今度は大人の女性となったエマ・ワトソンがまるで親戚の娘のようで、「色々苦労してきたけど、ようやく結婚したいと思える人に出逢えたんやね」「幸せになるんやで。結婚式には必ず行くからね」「何?スピーチをお願いしたい?任しとき!」と言いたくなるような、本当に心から彼女の幸せを応援したいと思えるような温かさが心を包んでくれること。

なのでガストンに撃たれ命を落としかける野獣に涙を流しながら唇を重ねるベルにもはやハーマイオニーの影はなく、逆にユアン・マクレガーやイアン・マッケラン、エマ・トンプソンといったイギリスの名優たちが作り上げてくれた舞台で、この作品に合うベルとしての輝きを放つエマ・ワトソンもまぁ魅力的なこと。

そしてエマ・トンプソンが歌う主題歌の「美女と野獣」の「語り継がれる、歌い継がれる」というフレーズもすんなりと心に入ってくる。主要キャラクターを一人一人丁寧に紹介するEDロールを贅沢なくらいに丁寧に作品の世界観を最後の最後まで味あわせてくれるなぁと思えてくる。
だから自然と思えてくる。あぁ、これはアニメ版とか実写版とか関係なく、一本の映画として何度も見たい。何度も見て語り継ぎたいと。

そんな映画に出逢えたのは果たしていつ以来だろうか。

深夜らじお@の映画館はこの映画を一人で見に行ったことを少し後悔してます…。

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2017年04月16日

『トレインスポッティング2』

トレインスポッティング2未来を選べ、人生を選べ…なんて言っている歳じゃないやろ!
ミニシアターの大傑作『トレインスポッティング』から20年。未だに「ラスト・フォー・ライフ」を聞いたら走り出したくなる者としては、この何も変わらない、けれど何かが確実に変わった20年後のこの続編が何とも嬉しいことか。
あぁ〜、こんな歳の取り方も決して悪くはないじゃなイカ!

1990年代のミニシアター作品の代表格であり、ダニー・ボイルやユアン・マクレガーの出世作としても名高い『トレインスポッティング』は、映画ファンなら誰しもがそのセンスの素晴らしさに度肝を抜かれたはず。

ヤク漬けの青年たちのトンデモ日常を様々な音楽やド汚いトイレに潜り込む強烈なシーンで描きながら、かつ「ユアン・マクレガーが女の子になっている!」と言わんばかりの極小モザイクにも衝撃を受けたあの日から20年。

そう、映画を見る我々も彼らと同じように20年の歳月を経ている。彼らと同じように歳を重ね、人生経験を重ね、そしてこの映画に「再会」しているからこそ、変わらない懐かしさと嬉しさに加え、そこは成長してろよ!と言いたくなる笑える情けなさも何とも味わい深いことか。

ベグビーという荒くれ者一人に束になっても叶わないレントン、スパッド、シック・ボーイの3人それぞれの個性豊かな情けなさを醸し出すのも、本音を言うと変わっていてほしかったけれど、これが変わらぬのが人生の苦みとも言うべきか、これまた変わっていないのが実は嬉しかったりもするのだから、20年という歳月は本当に色んな味わいを我々に教えてくれる。

また何だかんだで一番頼りなさそうなスパッドが人生大逆転の文才を発揮したり、実は何だかんだでレントンもシック・ボーイも中身は多少なりともしっかりし始めていたりと、成長しているところが垣間見れるのも、それはそれで嬉しいもの。

つまりこの映画はまさに20年ぶりに同級生に再会した感覚をそのままスクリーンに残してくれた作品。相手の変わらぬところ、変わってしまったところを鏡写しに、自分の変わらぬところ、変わってしまったところを見つめ直した時、その人生の苦みと甘みを改めて知る作品。

なので、前作を最近見た方や若い世代にはまだまだこの面白さは分からないかも知れないが、もし10年後でもこの続編を改めて見たら、その時に歳を重ねる苦みと甘みの意味が分かるかも知れない。この映画の素晴らしさを感じることが出来るかも知れない。

この映画のラストで部屋に戻ったレントンが静かに音楽に乗りながら踊り出す。そして部屋が疾走するように動き出す。その時にスクリーンに流れている曲は「ラスト・フォー・ライフ」。
あぁ、今でもこの曲を聞いたら走り出したくなる感覚がまた20年後の彼ら4人との再会を心待ちにさせる。20年後、つまりは1作目から40年経っても変わらぬ4人でいてくれ。でも変わっているところが何もない4人にはならないでくれ。

そんなことを思いながら、やっぱり「ラスト・フォー・ライフ」を聞いたら走り出したくなる。息がすぐ上がるのも承知で走り出したくなる。

未来を選べ。人生を選べ。

私もまだまだ若輩者。言い換えれば、まだまだ若いのだ!

深夜らじお@の映画館もある意味こんな歳の取り方をしたいです。これは男ならではかも?

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2017年04月15日

『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』

ジャッキージャクリーン・ケネディ、ファーストレディとしての最後の意地。
ジョン・フランクリン・ケネディを伝説の大統領にまで仕立て上げたのは誰か。それは彼を支え、彼を最大限に活用した若き妻。JFKの功績は彼の功績以上に彼女の功績が大きかったのだろう。
そしてその影には彼女のファーストレディにまで上り詰めた意地があったのだろう。

1963年11月22日。世界の注目が、ジャクリーン・ケネディが着こなすピンクのシャネルスーツにピルボックス帽から、彼女の衣装を真っ赤に染めた夫であり大統領であるジョン・フランクリン・ケネディが暗殺されたその瞬間に集まった日。

その日からの出来事をインタビュー形式で振り返るというこの映画は、とにかく淡々と話が進むうえに、ナタリー・ポートマンの演技とオスカーにもノミネートされた衣装デザイン以外に興味を掻き立ててくれる要素があまり明るみにはならない作品。

ただジャクリーン・ケネディという一人の女性の気持ちを考えると、彼女が自分の夫の葬儀をリンカーン大統領の葬儀に似せようとする想い、でも直前になってその意思を変えようとする想いなどが、何となくではあるが理解出来ないこともない。

例えば想像していただきたい。最愛の夫がオープンカーの隣席で脳みそを飛び散らせ、その命を無残にも奪われただけでなく、その数時間後には国家のシステムとはいえ、エアホースワンの中でジョンソンがもう次の大統領に就任している現実。

さっきまで夫が勤めていた国家で唯一無二の職に別の人間が就くもどかしさと悔しさ。きちんと選挙で勝つという流れのうえでなら気持ちの整理もつくが、それもないまま周囲に流され、その現実を受け入れるしかない現実。しかも自分のファーストレディという地位も、ホワイトハウスでの生活も、大統領夫人としての衣装を身に纏う生活も全てその流れの中で理不尽に奪われるという現実。
そんな現実を仕方ないという言い聞かせる理性の奥には誰しもが絶対に「悔しい」という想いも抱くはずだ。

だから彼女が夫の葬儀に固執する気持ちは、まさに彼女にとっては理不尽なこの現実に対する彼女なりの抵抗劇であり、また夫を伝説化させることで多少なりともの復讐劇も含んでいるのだろう。

考えてみれば、アメリカ史に残る4人の暗殺された大統領を並べても、正直リンカーンとケネディ以外はすぐに名前は出てこない。それどころか、その暗殺された大統領の功績と聞かれれば、奴隷制度廃止のリンカーンに対し、ケネディの場合はこちらもまたすぐには出てこないのが一般的ではないだろうか。

キューバ危機の回避やアポロ計画など功績は多数あるが、リンカーンの奴隷制度廃止ほどのインパクトはないケネディ。そんな最年少で当選したイケメン大統領がなぜ今もなおこれだけ有名なままでいるのか。

それこそが妻ジャクリーン・ケネディの最後の功績だったのではないだろうか。彼女が妻としての意地ではなく、ファーストレディにまで上り詰めたのにその座を奪われた女としての意地で成し遂げた功績だったのではないだろうか。

夫の後を継いだジョンソン、あなたは私の夫ほど歴史に名前の残ることが出来ますか?
世界中の首脳が私の夫の国葬のために街中を歩くという敬意を示してくれますか?

唯一無二の席を射止めた女の意地は怖い。ましてやファーストレディという座にまで上り詰めた女の意地はまさにプライドが為せる業。
居酒屋をオープンさせる前に学ぶべきファーストレディがいるこの国では考えられないほどの女性だ。

深夜らじお@の映画館はナタリー・ポートマンの演技にも驚かされました。もう彼女にマチルダのイメージを思い返すことさえも難しくなったのでは?

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2017年04月07日

『LION/ライオン〜25年目のただいま〜』

LION/ライオン大好きな兄ちゃんへ、25年目のただいま。
オーストラリアへ養子に出された青年が、インドで生き別れた家族をグーグルアースを使って25年ぶりに再会するという実話。その影にある家族に纏わる様々な覚悟。
事実は小説より奇なりなストーリーに涙するのではない。覚悟を決めた2つで1つの家族の姿に涙するのだ。

面倒見のいい兄と過ごす時間が何よりも大好きな、インドのとあるスラム街で育った5歳のサルー。丸い顔とつぶらな瞳で必死に走る姿がとにかく可愛いくて仕方ないサニー・パワール少年が好演すればするほど気になるのが、ふとしたことから停車中の電車で眠ってしまい、1,600km離れたカルカッタの街で迷子になったはずなのに、なぜか彼は一切泣かないということ。

普通の5歳ならその場で泣き叫び、悲観するもの。けれどスラム街で育ったという点を差し引いても、時に人身売買の魔の手から逃げ延び、時にストリートチルドレン収容の大人たちから逃げ延びても、彼は誰かに助けを求めるでもなく、ただただ大都会で生き続ける。

そんな「強い子」という言葉だけでは説明のつかないサルーが孤児院で5歳にして大きな選択を迫られる。オーストラリアへの養子話を受けるかどうかは、裏を返せばインドの家族とはもう会えないという現実を受け入れること。僅かな希望を自らの手で摘み取るということ。そんな選択を迫られた5歳児の背中がどんなに可哀想なことか。

しかも新しい家族の元でも彼は必死にその現実を受け入れようとする。義弟のマントッシュが精神的に病んでしまうのとは対照的に、彼はインドの家族に会いたいという想いを必死に抑えて、新しいオーストラリアの家族を大切にしようとするその覚悟。何て凄いんだ。

さらに大学に通うようになったメルボルンの友人宅で、兄ちゃんとの思い出の焼き菓子を見て遠い過去の記憶が蘇ると再び迫られる人生の選択。
電車の速度などが分かれば、あとはグーグルアースを使って該当する給水塔のある駅を探せばいいと友人やルーシーは言うけれど、果たしてインドの家族に自分が生きている姿を見せるだけで物事が済むだろうか。

恐らくインドの家族に会えば心が揺れる。インドに住むか、それともオーストラリアに住むか。それはどちらの母親を選ぶかという選択と同じ。せっかく覚悟を決めて養父母と円満な家族になれたのに、大切な家族の気持ちを想うとその覚悟が揺らぐ。5歳にして決めた覚悟が大人になった今、大いに揺らぐ。

でも養母スーの話を聞いてサルーは決心する。偶然が重なりようやく見つけた生まれ故郷に行って母ちゃんに逢いたい、兄ちゃんに逢いたい。インドの家族もオーストラリアの家族も大切にすると覚悟を決めた男が生まれ故郷へ向かう。

しかし生家は今や羊小屋。もう母も兄も妹もこの村を去ったのかと悲観するサルーに救いの手が差し伸べられる。英語が通じるおじさんが案内してくれた先で彼は25年間待ち続けた母との再会を果たす。

ヒンドゥー語と英語で言葉の通じない母子の再会。でも想いは確実に通じている。25年間逢いたいと願い、方々を探し回り、もう会えないと覚悟を決めたはずの母子の再会に言葉はいらない。それを観客の止まらない涙が雄弁に語る。

ただ大好きな兄は既に他界していた。サルーが迷子になった直後に他の列車に轢かれて神のところへ召されていた。
サルーが最も「ただいま」と言いたかった相手がいないという現実。でも覚悟を決めた彼は知っている。兄はいつも自分の目の前で微笑んでいてくれると。だから彼は笑顔で静かに心の中で兄に「ただいま」と言っているはず。

そんな2つの家族を大切にする覚悟を決めた実物のサルーがEDロール前で紹介されると、この小説より奇なりな実話に再び止まらぬ涙を流しながらも、ラストで衝撃の、でも納得の事実を知らされる。
何とサルーは生まれ故郷だけでなく自分の名前すら間違って覚えていたとか。彼の本当の名前はシェルゥ。その意味は「LION/ライオン」。

そうか、だからこそ彼は泣かなかったのだ。親の愛をふんだん受けた名前が彼を獅子のように強い男にして守り続けてくれていたからこそ、彼は泣かなかったのだ。

深夜らじお@の映画館はサニー・パワール少年の愛くるしさを生涯忘れません!

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