2017年03月20日

『わたしは、ダニエル・ブレイク』

わたしはダニエル・ブレイク私はダニエル・ブレイク。ニューカッスルの一市民。それ以上でもそれ以下でもない。
引退を撤回してまで80歳の巨匠ケン・ローチが伝えたかったこと。第69回カンヌ国際映画祭ではパルムドールを、第70回英国アカデミー賞では英国作品賞を受賞したこの作品で伝えたかったこと。
それを世界は今忘れているという現状に気付いているだろうか。

恥ずかしながら映画ファンを20年もしていながら、ケン・ローチ監督作品を拝見するのは今回が初めて。

そんなケン・ローチ監督は長編映画デビューから50年もの間、一貫して社会派のテーマを描き続けてきたが、その作品は一見すると本当に地味。しかしそれはシンプルが故に本当に伝えたいことがストレートに伝わってくる構造でもあるのだろう。

この映画の主役でもあるダニエル・ブレイクは心臓の病が原因で大工の仕事にドクターストップが掛かったとはいえ、その存在はどこの国にもいる「コツコツとマジメに働いてきた古き良き隣人」そのもの。
そんな彼が困難な状況に陥った時、妻を亡くし一人で生きていかなくてなならないのに、失職した彼を救うことは誰の責務だろうか。私はそれこそ国家の責務ではないかと思う。

失業手当を不当に得る輩がどこの国でもいるこの時代において、彼は基本的には自分の力で生きていきたいという想いを貫こうとしている。
でも命に代用は効かないからこそ「仕方なく」国の援助を頼ろうとしているのに、そこに立ちはだかるのは福祉制度のややこしい手続き。いや正確にはややこしい手続きをさらにややこしくしている職員たちの給料泥棒的な職務態度。

民間企業に勤めていれば利益追求のために顧客サービスにまで磨きをかけるのは当然のことだが、利益追求を最重要課題に挙げないがために公共サービスの「サービス」という部分の意味合いをすっかり忘れてしまった者たちがいる職場では「顧客」の意味合いさえ忘れ去られてしまっている。

しかもそんな輩が手当支給の決定権まで握っているとなれば、もはやそれは市民を不幸にする悪職でしかない。
特にインターネット環境に疎い世代に対し、用語の説明もせずに使用方法を専門用語を連発して説明するくだりなどは、まさに「顧客」の存在も「サービス」の意味合いも理解していない愚者の行為でしかない。

対してダニエル・ブレイクは2人の子供を持つシングルマザーのケイティを自分が出来る範囲で精いっぱい助ける。生ゴミをいつも玄関前に置く隣人の黒人青年がシューズの輸入販売で成功したいという夢にも出来る範囲で協力してくれる。
それは仕事で言えば「顧客」を満足させる素晴らしき「サービス」であるが、日常生活においては実はそれはごく当たり前の「助け合い」そのもの。何も珍しいものでもなければ、専門用語もいらない誰にでも出来ることでもある。

だからこそ、ダニエル・ブレイクは地味でも格好いい。彼が困っているなら誰でも助けてあげたいと願うし、彼が壁にスプレーで主張を書くのも応援したくなる。そして彼の主張に激しく同調してしまう現状はイギリスも日本も変わらないと痛感してしまう。

私たちが出来ることは隣人に手を差し伸べること。国家が出来ることは弱者に手を差し伸べること。
けれど現実はどうだろう。私たちは隣人に手を差し伸べているだろうか。国家は弱者に手を差し伸べているだろうか。

前者は一人一人の想いを行動に移すだけで実現可能だが、後者はそこで働く一人一人が動かねば実現可能にはならない。
だが共に同じなのは、一人一人が「助け合い」の想いを実行に移すだけの話である。大きくは何も変わらない。

なのに、それが実現されていない現代社会。イギリスも日本も先進国なのに、このままで本当にいいのだろうか。80歳の巨匠が引退宣言を撤回してまで伝えたかったことが、どうか世界に広まりますように。

深夜らじお@の映画館も助け合いの精神を大事にしたいと思います。

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2017年03月19日

『哭声/コクソン』

哭声お前は何者だ?
何とも奇怪な映画だ。いったいこの映画をどのジャンルに分類すればいいのだろうか。『エクソシスト』のようなホラーか、それとも『チェイサー』のような猟奇的サスペンスか。
明確な答えもオチもない。いったい誰が正しくて誰が怪しいのか、それも定かではない。ただただ惑わされ続ける映画だ。

ごく普通の田舎の村で起こる連続殺人事件。どの事件も犯人は正気を失った家族による惨殺事件ばかり。
しかし誰かが噂する。あの村の外れに住んでいる余所者の日本人が怪しいと。あの日本人には悪霊が取り憑いていると。どの犯人もその悪霊の仕業だと。

悪霊の仕業と聞いて誰がそれを信じるだろうか。不安を心に留めない状況下にいる者は誰しもそう思う。
けれど明日は我が身かという不安に苛まれると、自分の娘にその悪霊の恐ろしき手が忍び寄ると思い始めると、誰もがその疑念を確信へと変貌させていく。そうだ、みんなの言う通り、あの日本人が怪しいと。あの日本人は悪霊だと。

以前、取引先の社長からこんな言葉を聞いたことがある。人は誰か1人が噂していてもその内容を信じようとはしない。2人が噂しだすと聞く耳は持つが、それでも信じようとしない。ところが3人が噂しだすとそれを信じようとする。たった3人なのに、それを「みんなが」と解釈するようになる。それが「1人、2人、みんな」だと。

だからクライマックスはもう疑念が交錯しすぎて誰が真犯人なのかも分からなくなる。
あの祈祷師は高名だと言うが本当だろうか。それよりも祈祷で惨劇が解決するだろうか。
あの日本人も実は祈祷師ではないだろうか。ただなぜ瀕死状態から復活出来たのか。
あの若い女が実は悪霊ではないだろうか。しかし彼女の言葉も安易には無視できない。
娘が心配なジョングに情報を提供する者誰もが1人だけ。けれどその情報の真偽を判断できるものが何もない。

だから不安に苛まれると限られた周囲から得られる情報の真偽を確かめる前に、その情報が真実としてインプットされてしまう。「言っても信じないだろう」という日本人の言葉も忘れてしまう。韓国人が日本人に対して無意識に敵意を抱く民族的コンプレックスも無視されてしまう。自分が信じたらそれが真実になるということの恐ろしさも理解せずに。

そんな「これをどう解釈したらいいのか…」と迷う映画ですが、とある方の解説文を拝読すると、この映画の答えは全てOPで示されたルカの福音書第24章に載っているとか。
つまり國村隼さん演じるあの日本人がキリストで、あの手の傷はまさに聖痕。その神の子に異教の司祭でもある祈祷師が「殺」を打っちゃったからこんなことになってしまったのだとか。

キリスト教徒ならではのナ・ホンジン監督作品という訳ですねぇ。そういう予備知識も得ていなにゃあきませんな。

深夜らじお@の映画館はキリスト教に関しては勉強不足で疎いです。

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2017年03月08日

『ラビング〜愛という名前のふたり〜』

ラビングただ夫婦として生きていきたい。そう願った「愛」という名前のふたり。
何とも地味な映画だ。でも大人の味わい深い映画だ。既婚者の方がより深くこの映画を堪能出来るのではないかとも思える映画だ。
予告編で見たような劇的展開などは一切ない。けれどアメリカで6月12日が「Loving Day」と語り継がれている理由がここにはある。

わずが60年前。バージニア州では異人種間の結婚が違法とされていた時代に夫婦として生きていくことを貫いた白人男性のリチャードと黒人女性のミルドレッド。

ワシントンD.C.では許される結婚も、故郷であるバージニアでは保安官に逮捕された挙句に留置所に入れられただけでなく、裁判で離婚か25年間に及ぶ州外退去を迫られる。
そんな夫婦はどういう人生を選んだのか。

声高に訴えを起こすこともなければ、予告編で描かれているようなケネディ司法長官に手紙を書いたことで短い時間で劇的に展開が動いた訳でもない。
ただどこにでもいる夫婦のように愛を育み、笑顔で互いを想い、子供を作り、増えていく家族との時間を大切にする。夫は妻を守ると誓い、妻は夫を優しく抱きしめる。

だからこの映画には盛り上がるくだりはほとんどない。
ただ淡々と現状を粛々と受け止めては家族に迫り来る危機に時折肝を冷やしながらも、その現状に泣き叫ぶ姿などは描かない。
ただ普通の夫婦のようにテレビを見ながら笑い、自然と夫が妻の膝に頭を置く。その夫の頭を妻が優しく撫でる。そこにこの夫婦が特別である理由などは一切ない。

マーティン・ルーサー・キングJr.は非暴力不服従の行進をした。マルコムXはその方針に従わない手段を選んだ。それが公民権運動に沸いた1960年代。
だがラビング夫妻にとっては、ケネディ司法長官からの依頼でACLUの資金援助で弁護士と共に連邦裁に訴えを起こすも、連邦最高裁で案件が取り上げられてもその出席を遠慮した時代。

ラビング夫妻は異人種間の結婚を認めてくれとは声高には言わない。ただリチャードは妻を愛している、それを理解してくれと言うだけ。ミルドレッドは夫を愛している、それを理解してほしいと言うだけ。ただそれだけ。

不器用な夫を演じるジョエル・エドガートンの堅物顔がいい。優しい妻を演じるルース・ネッガの澄んだ瞳がいい。
ラストで明かされるライフ誌のカメラマンが撮った写真に収められた本物のラビング夫妻。その笑顔を見事に演じ切ったこの2人だからこそ成り立った映画だ。

そして最後に語られるミルドレッドの「夫は最後まで私を守ってくれた」という言葉に思わず目頭が熱くなる。これが本物の夫婦愛なんだと。
まさに独身者にとっては目標にしたいほどに美しき夫婦愛だ。

深夜らじお@の映画館もいつかは結婚生活を送ってみたいです。

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2017年03月06日

『お嬢さん』

お嬢さんこれは異様か、それとも異常か。いやこれもまた愛か。
さすがパク・チャヌク監督だ。アジアでは韓国でしか、しかもパク・チャヌク作品でしか撮れない美しさに加え、今回はそこに大胆なエロティズム、もといヘンタイ文化まで過激に投入しているとあっては、もはやこれは日本人が最も楽しむべき映画。
ただし免疫のあるファン限定で!

「復讐3部作」に代表されるように、パク・チャヌク監督作品にはどこか精神的に病んだ状況下が生み出す独特の美しさを映像だけでなく、ストーリーとしてもスクリーンに映し出す巧さがある。

今回もイギリス文学作品「荊の城」を日本統治下の朝鮮半島に舞台を変えているとはいえ、日本のヘンタイ文化を大いに取り入れているため、普通に見ればただのエロティズム映画。
しかし韓国人俳優にヘタックソな日本語を喋らせていることで、逆にこれがこの世界観に異様なファンタジー感を醸し出すため、不思議とエロティズムが芸術的美しさを纏い出すのだから、こりゃたまったもんじゃない。

しかも3部構成で描かれる二転三転するストーリーも実に面白いこと。

侍女目線で描かれる第一部では薄幸な富豪令嬢・秀子の侍女として潜り込んだスッキこと珠子が詐欺師・藤原伯爵に協力して財産を奪い取るはずが、秀子に恋愛感情を抱いてしまったスッキ。
「傷物語」の阿良々木兄妹の歯ブラシ対決にも通ずる、スッキが秀子の歯を削るくだりから荒れる息遣いが何とも官能的で、初夜を教えるはずが組んず解れつになるベッドシーンからレズビアン的恋の逃避行が始まるのかと思っていたら、最後の最後で精神病院に放り込まれるのは秀子ではなくスッキという大逆転劇が発生。

続いて令嬢目線で描かれる第二部では秀子と藤原伯爵はハナから詐欺を計画し、その駒としてスッキを用立てたという真実が判明。さらに秀子が官能ヘンタイ小説を読まされ、それを伯爵共が聞きながら甘美な一時を過ごすというヘンタイ朗読会も判明。
ただスッキとの恋を選んだ秀子は、同時にスッキに自分が望む男共への復讐も手伝わせる「クムジャさん」のような女。そう、ある意味この作品もパク・チャヌクお得意の「復讐劇」。だから第一部でも見せたベッドシーンに新たな意味合いが追加される。身体だけでなく心も組んず解れつになっているのだと。

そして藤原伯爵目線で描かれる第三部はまさに女の復讐劇であり、女たちの愛撫劇。いかにして秀子との打ち合わせのうえでスッキは精神病院から抜け出したのか、いかにして秀子は藤原伯爵を騙して、金で日本人になった伯父の上月の元へと送ったのか。
その復讐劇に「ち※ぽを守れて死ねる」といったブラックな笑いが加わると、その反動としてロシアへと逃避行を計る女たちの船室での全裸での「玉玉玉玉」を使った絡み合いも妙に見入ってしまう。女優陣の身体を張った演技に見入ってしまう。

もしこの映画が流暢な日本語を話すキャストによって映画化されていたら、きっと幼い少女に「ち※こ、ま※こ」と復唱させる悪趣味もただの卑猥で終わっていただろう。
もしこの映画が全編韓国語で描かれていたら、きっとそんな卑猥なセリフにはピー音が被せられていただろう。
ただそれではこの映画が描く本当のエロティズムも、そのエロティズムが醸し出す美しさも描けなくなってしまう。

だからこそ思うのは、この映画を最も堪能できるのは日本語が話せる者、つまり我々日本人である。
女性に卑猥な単語を、文章を音読させることで生まれる、女たちの男のヘンタイ世界への復讐劇。その復讐劇を果たすために心も身体も組んず解れつになる全裸の女たち。

あれほど田舎臭い表情だったスッキが秀子との愛を身体に刻み込むことで美しき女へと変わっていたことに気付いた時、改めて思う。女たちに復讐されることは絶対に回避せねばならないことが、男として「ち※ぽを守れて死ねる」ことがいかに重要であるかということを。

深夜らじお@の映画館は春画の偉大さを改めて知りました。冷静に考えると当時の日本人の想像力と性欲は凄すぎるじゃなイカ!

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2017年02月28日

3月戦線映画あり!

世界中が前代未聞の大失態に驚いたアカデミー賞の余韻が冷めやらぬ3月。ウォーレン・ベイティもフェイ・ダナウェイもちゃんと責任を感じてよ!と思いながら、とにかく自分自身が落ち着いて様々な映画を楽しむいつもの生活に戻らねばと思う今日この頃です。
てな訳でそんな3月公開の注目作をピックアップしたいと思います。

【3/3〜】
●『ラビング 愛という名前のふたり』
白人と黒人が結婚することが許されなかった時代の実話です。
●『アサシン クリード』
マイケル・ファスベンダーはこういう作品も相変わらず似合いますな。
●『お嬢さん』
パク・チャヌク監督最新作。

【3/4〜】
●『ハルチカ』
まさかこの作品まで実写化されるとは…。

【3/10〜】
●『ボヤージュ・オブ・タイム』
テレンス・マリック監督の哲学の世界が映像に!
●『モアナと伝説の海』
今度の舞台はハワイですか。

【3/11〜】
●『哭声/コクソン』
ナ・ホンジン監督最新作!またしても得体の知れないスリラ−なのか!
●『チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話〜』
広瀬すずは仕事を選ばんなぁ〜。

【3/17〜】
●『SING/シング』
これは見るなら字幕のみ!

【3/18〜】
●『3月のライオン【前編】』
アニメ版は途中までしか見てないよ…。
●『ひるね姫〜知らないワタシの物語〜』
神山健治監督最新作!
●『わたしは、ダニエル・ブレイク』
ケン・ローチ監督はこれで本当に引退するのか?

【3/21〜】
●『楊貴妃 Lady Of The Dynasty』
張芸謀監督が楊貴妃を描くのか!

【3/24〜】
●『パッセンジャー』
「眠りの森の美女」を宇宙で描いちゃうのか?

【3/25〜】
●『キングコング 髑髏島の巨神』
「Youは何しに日本へ?」でインタビューされた新鋭監督版のキングコングです。
●『サラエヴォの銃声』
サラエヴォの問題をボスニア・ヘルツェゴビナで唯一のオスカー監督が描きます。

【3/31〜】
●『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』
ジャクリーン・ケネディの知られざる姿とは?
●『光をくれた人』
マイケル・ファスベンダーとアリシア・ヴィンキャンデルが恋仲になった作品。

てな訳で3月の注目作は
『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』
『ラビング 愛という名前のふたり』
『哭声/コクソン』
『アサシン クリード』

深夜らじお@の映画館はオスカー関連作品が多数公開される4月に向けて準備を始めます。

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acideigakan at 23:32|PermalinkComments(3)TrackBack(2)clip!映画予告編 

2017年02月27日

第89回アカデミー賞

反トランプ色が予想以上に濃い結果、とんでもない大失態まで起こすという、まさに前代未聞の授賞式だった第89回アカデミー賞。その受賞結果はイカの通りでゲソ。

【作品賞】
『ムーンライト』

【監督賞】
デイミアン・チャゼル『ラ・ラ・ランド』

【主演男優賞】
ケイシー・アフレック『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

【主演女優賞】
エマ・ストーン『ラ・ラ・ランド』

【助演男優賞】
マハーシャラ・アリ『ムーンライト』

【助演女優賞】
ヴィオラ・デイヴィス『Fences』

【脚本賞】
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

【脚色賞】
『ムーンライト』

【撮影賞】
『ラ・ラ・ランド』

【編集賞】
『ハクソー・リッジ』

【録音賞(音響調整賞・音響賞)】
『ハクソー・リッジ』

【美術賞】
『ラ・ラ・ランド』

【衣裳デザイン賞】
『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』

【メイクアップ賞】
『スーサイド・スクワット』

【音響編集賞】
『メッセージ』

【視覚効果賞】
『ジャングル・ブック』

【作曲賞】
『ラ・ラ・ランド』

【主題歌賞】
『ラ・ラ・ランド』

【アニメ作品賞】
『ズートピア』

【長編ドキュメンタリー賞】
『O.J.:Made in America』

【外国語映画賞】
『セールスマン』(イラン)

もうショックです!『ラ・ラ・ランド』が作品賞を逃したことも、その作品賞発表で大失態が起きたことも、そして予想以上に映画界がドナルド・トランプを嫌っていることをここまで如実に示したことも。

時代が悪くなればミュージカル作品が作品賞に輝くという流れを止めた作品が黒人のゲイ映画なら、外国語映画部門でも監督4作目にして、わずか5年の間に2度目の受賞となるアスガー・ファルハディ作品。
さらにアニメ作品賞も本来のアメリカの美徳を描いた『ズートピア』に加え、助演は男女共に有色人種と、これでもか!と言わんばかりに反トランプ色を濃くした結果に、本当に驚きでした。

ただ昨年の『レヴェナント 蘇えりし者』と同様に、実質の作品賞はやはり監督・撮影の2部門を確実に抑えた『ラ・ラ・ランド』ということなのでしょう。
昨年は同監督の同監督作品が連続で作品賞も監督賞も撮影賞も受賞するのは…という裏の理由で、評価が同じレベルだった『スポットライト 世紀のスクープ』が受賞したと考えている私にとっては、もし昨年の大統領選挙でヒラリー・クリントン候補が勝利していたら…と考えてしまいますね。だって私は『ラ・ラ・ランド』推しなんだもん!

てな訳で誰や!プレゼンターに主演女優賞のウィナーカードを渡したヤツは!と怒る一方で、ウォーレン・ベイティも文字が見えてへんやろ!フェイ・ダナウェイも相方に任せっ放しで全然確認してへんやん!これからはプレゼンターの年齢も考えんとあかんのとちゃう!とあれこれ思うところが多かった第89回アカデミー賞。
前哨戦とは全然違う結果になる傾向がここ数年続き、もう予想するのがどんどん難しくなってますわ!

深夜らじお@の映画館の予想は21部門中9部門的中でした。去年は16部門的中だったのに…。

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2017年02月26日

第89回アカデミー賞予想

いよいよ明日に迫った第89回アカデミー賞。今年も例年通り授賞式直前予想をやってみたいと思います。

【作品賞】
『ラ・ラ・ランド』

【監督賞】
バリー・ジェンキンス『ムーンライト』

【主演男優賞】
ケイシー・アフレック『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

【主演女優賞】
エマ・ストーン『ラ・ラ・ランド』

【助演男優賞】
デヴ・パテル『LION/ライオン〜25年目のただいま〜』

【助演女優賞】
ヴィオラ・デイヴィス『Fences』

【脚本賞】
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

【脚色賞】
『LION/ライオン〜25年目のただいま〜』

【撮影賞】
『ラ・ラ・ランド』

【編集賞】
『ラ・ラ・ランド』

【録音賞(音響調整賞・音響賞)】
『ラ・ラ・ランド』

【美術賞】
『ラ・ラ・ランド』

【衣裳デザイン賞】』
『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』

【メイクアップ賞】
『スーサイド・スクワット』

【音響編集賞】
『ラ・ラ・ランド』

【視覚効果賞】
『ドクター・ストレンジ』

【作曲賞】
『ラ・ラ・ランド』

【主題歌賞】
『ラ・ラ・ランド』

【アニメ作品賞】
『ズートピア』

【長編ドキュメンタリー賞】
『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』

【外国語映画賞】
『ありがとう、トニ・エルドマン』(ドイツ)

今回のアカデミー賞の裏テーマを予測すると、ズバリ「反トランプ」ではないでしょうか。元々ユダヤとLGBTの世界でもあり、時代が悪くなるとミュージカル作品が受賞するという歴史から見ても、『ラ・ラ・ランド』が圧勝するでしょう。
ただ史上4作目となる11部門獲得はまずありえない。ピアノだけでなくタップダンスまで会得したライアン・ゴズリングにもオスカーをとは願いたいも、そうなるとエマ・ストーンの輝きに水を差してしまうのでありえないなどと計算していくと、7〜8部門が妥当かと思うのですが、個人的な応援も含めて9部門獲得と予想してみました。

そしてアニメ作品賞も「反トランプ」と考えると、やはり『ズートピア』一択。逆に言うとこの部門でこの作品が受賞すれば、アカデミー協会が発するメッセージは間違いなく「反トランプ」と言ってもいいのではないかとも思えます。

まぁ、何はともあれ昨年以上に楽しみな第89回アカデミー賞の受賞結果発表は日本時間では明日です!
仕事をしている場合じゃないけど、仕事はせなあかんしなぁ〜。

深夜らじお@の映画館はエマ・ストーンがオスカー女優になる日を心待ちにしています。

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2017年02月25日

『トリプルX:再起動』

トリプルX再起動再起動したら、メインアプリがドニー・イェンになっちゃったよ!
あれ〜?トリプルXってこんなヤツでした?確か単独プレイで滅茶苦茶暴れながらも荒くれ者たちを叩きのめす、アメリカ版ワイルド・ボンドだったはずなのに、再起動したらチーム活動重視のワイルドなイーサン・ハントになってますやん!
でもドニー・イェンがメインなら再起動のシリーズ化も十分ありかも?

2002年に前作『トリプルX』が公開された当時はヴィン・ディーゼルも次世代を担うアクションスターの筆頭格として君臨していたものの、コメディ路線への挑戦が失敗したこともあってか、その後シリーズ化に主演することもなく、それどころかアイス・キューブ主演で2005年に2作目が作られていたことも、その続編が興行的に失敗していたこともすっかり記憶から消えていた、この11年ぶりのシリーズ3作目。

とはいえ、ヴィン・ディーゼルも車がなければスマートなアクションも出来なくなってしまったのか、とにかくアクションのキレがよろしくないうえに、本物のアクションスターであるドニー・イェンとトニー・ジャーが出演していることもあってか、重量感を示す以外にこれといった見せ場もなくなってしまっているのが残念なこと。

加えてエクストリームスポーツを駆使したスパイのはずがOPで山肌をスキーで滑り降りるくだり以外は特に「スゲ〜!」という見せ場もなく、そういえば前作ではモーターバイクで飛びまくっていたはずなのに…と思えることが淋しくて仕方ないこと。

ただそんなヴィン・ディーゼルとは違い、さすが本物のアクションスターであるドニー・イェンの53歳とは思えない素晴らしきアクションと、いつの間にこんな若造スタイルになったんだ?と少々淋しく思えても、そのムエタイマスターぶりは衰えないトニー・ジャーの気合い一発空中回転蹴りは見応え十分。

というか、ヴィン・ディーゼルの肉の塊アクションよりもこのアジアン・アクションスターたちの共演をもっと見せてくれよ!というのが正直な感想。だってヴィン・ディーゼルのアクションって何だかスティーブン・セガールみたいなんだもん。アンタ、言うほどそないに動いてないのに大活躍してますやん!というところがね。

まぁ、そんな感じで本物のアクションとハッタリのアクションが融合した映画なので、それなりには楽しめる作品です。主犯も予想通りの展開を迎えるだけのアクション映画です。ダイヤル9を回せば11年間も待っていたと自虐ネタを挟んでくる2005年のトリプルXも助太刀にやってくるのも、何だか愛すべきバカ映画みたいで楽しいです。

けれど一つだけ気になるのは、そもそも敵対していたはずのチーム:ヴィン・ディーゼルとチーム:ドニー・イェンが巨悪に対抗するために手を組むという設定が、世代的にはどうも「とんちんかん」と「あんぽんたん」にしか見えないんですよね。
何のこと?と思われた方は是非「抜作先生:ぬけさくせんせい」で検索してみてくださいね。

深夜らじお@の映画館は抜作先生vs天地くんの対決が好きでした。

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2017年02月24日

『ラ・ラ・ランド』

ラ・ラ・ランド嗚呼、これが映画だ。これこそが「映画」だ。
ロマンティック、テクニカラー、ミュージカル、アメリカンドリーム、ジャズが口々に語る。これが「映画」だと。こんな恋が羨ましい、こんな愛が美しいと思える余韻が残ってこその「映画」だと。
夢を追い、恋をし、夢を叶え、無言で愛を語る。ラスト15分にその全てが詰まっている。

渋滞で苛立ちが募るハイウェイが人種や性別を問わず大きなミュージカルステージへと変わるOPから、このテクニカラーの映像が様々なミュージカルの名作へのリスペクトを語りながらも綴るガール・ミーツ・ボーイ。

恋の種が蒔かれた冬。偶然の出会いが女優志望のミアの心に忘れられない感動を生む。売れないジャズピアニストのセブへのアーティストとしての尊敬だけではない感動を生む。2人の出会いはまさに本物の感動を知った瞬間だ。

恋の種が芽吹いた春。偶然の再会が互いの想いをタップダンスで語る。自分の店を持ちたいセブは彼女にジャズの魅力を語り、オーディションに落ちてばかりのミアは彼から夢を追い続ける強さを知る。2人の距離が縮まる全ての時間が重なる瞬間を尽く逃すキスではなく、夢のようなミュージカルで描かれる。

恋の芽が育った夏。大人になるという言葉がセブからジャズへの愛を見失わせる一方で、ミアには新たな挑戦という目標を与える。金になる成功を手にした男と金にならない自己満足に気付いた女は、夢を諦めた男と夢を叶え始めた女。プラネタリウムでのロマンティックな恋がその現実を忘れさせようとする。

恋が別の実をつけた秋。一人芝居の失敗に落ち込むミアに夢を叶える好機がセブを介して訪れる。ミアの夢が叶う未来はセブが一人取り残される未来でもあるのに、彼は車を何度も走らせて彼女を立つべき場所に立たせる。彼女を行くべき場所に行かせる。オーディションで歌った彼女の夢の原点を大切にするためだけに。

そして5年後の冬。恋の芽は枯れていた。女優として成功したミアは別の男性と結婚し、幸せな家庭を築いている。そんな彼女が偶然立ち寄ったジャズの店。自分がデザインした「SEB'S」の看板が掲げられた店で彼女は知る。自分が知らないところで、かつて愛した男が夢を叶えていたことに。

そんなミアを舞台の上から偶然見つけたセブが静かにピアノを弾き始める。言葉の通じない者同士の会話がジャズの始まりだと語った彼が彼女に向けてピアノで語り出す、もしかしたら叶っていたかも知れない恋という名の「もう一つの世界」。

その世界では夢も恋も叶えたセブとミアが幸せそうに暮らしている。女優の夢を叶えた彼女の隣には一番のファンである夫がやまない拍手を送り続けている。ジャズピアニストとしての夢を叶えた彼の隣には共にジャズを楽しむ妻が微笑み続けている。

けれど、それはセブが奏でるジャズピアノの音色という魔法が見せる世界。弾き語りの終わりは現実を知らしめる瞬間でもある。恋が温かくした心を現実が冷たくする瞬間でもある。だからミアは去り際にセブを見つめる。かつて愛した男の成功を静かに喜びたいと思いながら。

しかしミアの視線に気づいたセブが彼女を見つめながら静かに微笑む。彼女の成功を誰よりも喜んでくれた彼が微笑む。
その笑みにミアが微笑み返す。彼の成功を誰よりも喜んでいる彼女が微笑み返す。それは枯れたはずの恋が愛へと生まれ変わった瞬間でもある。

チャーリー・パーカーをこよなく愛する32歳のデイミアン・チャゼル監督が愛する映画。それは見終わるとその魔法の余韻がなかなか解けずに幸せな時間がずっと続く夢のような芸術。思い返すだけで幸せになる、ただ歩いているだけなのに「Someone In The Crowd」のリズムに合わせて歩いてしまうような幸せな気持ちになる。そんな観る者全てを恋する者へと変える魔法の芸術。

それが「映画」だ。それこそが「映画」なのだ。そう思える作品に出逢えたのはいつ以来だろうと思えたこともまた幸せな余韻だった。

深夜らじお@の映画館は鑑賞後にどうしてもフォークとスプーンで食事がしたくなりました。嗚呼、これがアメリカ映画に毒された時の快感だ!

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2017年02月18日

『たかが世界の終わり』

たかが世界の終わり家族はあなたが望む港ではない。
親しき中にも礼儀あり。例え家族であってもその例外に漏れないはずなのに、誰もが望む。家族だから分かってくれるだろうと。その甘えが家族をまとまりのない集団へと変えることも理解せずに。
だがそれでも愛する家族には変わりない。例え私が死ぬとしても、それはたかが私の世界が終わるだけだから。

ケベックの美しき天才:グザヴィエ・ドランが描く、とある家族。その物語の中心にいるのは劇作家として成功したルイ。12年ぶりに自分の死が近いことを家族に伝えるために帰郷したルイ。

冒頭、ルイがタクシーで帰郷するシーンで彼が見た様々な人たちの表情が描かれる。談笑する者、余所者に警戒心を強める者、走るタクシーさえ気に留めない者。その誰もに家族がいる。帰るべきはずの家がある。

けれど「家族」という言葉を聞いて好意的な印象を持つ者もいれば、そうでない者もいる。
幼少期に会って以来の再会となる妹シュザンヌは次兄ルイを有名人として、騒がしい母マルティーヌは息子ルイを成功者として、天邪鬼な長兄アントワーヌは弟ルイを嫉妬の対象として、アントワーヌの妻カトリーヌは義弟ルイを初対面の他人として接する彼らは恐らく本心では前者でも、その言動は外からは後者にしか見えない。

ではなぜこの家族には言い争いが絶えないのか。それはここに父親がいないからではないだろうか。
恐らくこの家族の言い争いは昔からあったもの。それを父親が一喝して収めていたのだろうが、その重しがなくなった途端、家族だから分かってくれるはずという甘えが素直になる心を忘れさせ、こんな家族へと変貌させたのではないだろうか。

だからルイも家を出たのではないだろうか。だから彼にとって12年ぶりの帰郷で最も話し易かったのは元は他人でもある義姉カトリーヌではなかったのではないだろうか。

人は誰でも相手を想い、言葉を選び、会話をする。特に相手が他人であれば、人は誰でも無闇に言葉を選ばない会話はしない。礼儀を弁えた言動をとる。
でも相手が家族となると、相手を想う優しさを忘れる。言葉を選ぶ慎重さを忘れる。会話をするという大切さを忘れる。ただただ相手が「家族だからという理由だけで」自分の話を聞いてくれると思い込んで。

この家族が言い争いをすることで絆を保てるのなら、間違いなくその輪に入ろうとしないルイは「他人」である。
けれど、そんな言い争いが絶えない家族でも大切にしたいという想いを優先させるルイは間違いなくここの「家族」でもある。

彼がデザートの時間に兄アントワーヌの妄言に付き合い、急に帰ると言い出したのも、彼なりにどの選択をすれば家族が傷つかないで済むかを一人で悩み抜いた結果だろう。
兄一人を悪者にするよりも、ここで自分が身を引けば少なくとも現状より家族の関係性が悪くなることはないだろうと。

しかしそこにはルイの意志が存在していない。12年ぶりに帰郷して、自分の死期を伝えて、その後家族にどうして欲しかったのかというのが彼の望みだったはず。
なのに、その望みさえも言葉にせず、彼は言い争いの絶えない家族を残して実家を去る。まるで外に出られずに死んだ小鳥のように、自分一人が死んだところで誰も気に留めないだろう。たかが私の世界が終わるだけではないかという悲しい背中を見せながら。

けれどそれは彼なりのこの家族への愛情表現。12年ぶりの帰郷により他人のような状態でもこの家族と共に育った人生。そこに家族に対する愛がないはずがない。
でもその愛情表現がこんなにも切ないのは、天邪鬼な兄が、浮き立つ妹が、騒がしい母が、何も関わろうとしない義姉が、ルイが大切にしている「家族であっても親しき中にも礼儀あり」という大切な心を忘れてしまっているからだろう。

昔のゲイの恋人がガンで死んだ。その恋人に逢いに行ける。もしルイがそう思ってしまっていたのなら、「たかが世界の終わり」は彼なりの強がりでもあるが、そんな悲しい強がりなんて家族には必要ない…。

深夜らじお@の映画館はグザヴィエ・ドランの登場人物の表情を上下左右多角的に撮るカメラワークも選曲センスと同じく凄い才能だと思います。

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