2018年07月20日

『未来のミライ』

未来のミライ細田守監督よ、映像作家に戻れ!
初夏の暑苦しさ、日没前の涼しげな淋しさ、これから始まる本格的な夏への期待感。細田守監督作品には欠かせない要素が帰ってきた!
それゆえにさりげない日常の大切さがまだ戻ってきていないことに淋しさを感じずにはいられない。
てな訳でここからは完全ネタバレで参ります!

4歳児のくんちゃんに妹が出来た。大好きな母親を始め、家族の愛情を新参者に奪われた第一子が「赤ちゃん返り」をするのはどこの家庭でもよくある話。
そんな嫉妬に狂う4歳児が建築家で子育てや家事には頼りない父親がリフォームした家の中庭で異世界に迷い込むことで少しずつ成長していくというお話は、とても心温まるものだ。

しかしラベンダーの匂いを嗅いでタイムリープするというような分かり易さがないため、中盤までくんちゃんがご機嫌斜めになった時に中庭に降り立つと異世界に迷い込むという法則になかなか気づくことが出来ない。

加えて中庭異世界で出逢った「ゆっこ王子様」「未来のミライちゃん」がお雛様お片付け大作戦でくんちゃんの世界に入り込んでしまうのに、子供の頃の母親や戦後の若かった曾祖父に出逢うくだりはくんちゃんがタイムリープするという統一感のなさも、どうしても作品のテーマを深掘り出来ていないのではないかという疑念と違和感を感じずにはいられないのだ。

要はくんちゃんが異世界に迷い込むたびに、何かしらを学んで帰ってくることで成長していくことがこの物語の主軸なのだから、お雛様お片付け大作戦はくんちゃんが父親をどうにかして動かすべきだ。
幼き母親と出逢って靴に願い事を入れる手法を覚えたことや、馬やバイクに乗せてくれた曾祖父の「遠くを見ろ」という言葉を信じて補助輪なしの自転車に乗れるようになったように、くんちゃんが自分の力で成長していくべきなのだから。

終盤での高校生になった自分との出会いから続く独りぼっち専用新幹線に幼き妹を乗せまいと奮闘する様も大きな成長のはずなのに、その結果が自分が未来ちゃんのお兄ちゃんであるというだけなのも少々淋しい。大事な家族の一員であり、大事な妹というところまで掘り下げて欲しかった。

だからなのか、やはり気になるのはくんちゃんが未来のミライちゃんと共に家族の成り立ちを上空から眺めるくだりでの、ミライちゃんのナレーションが蛇足に感じることだ。
自転車に乗ることに苦労した幼き頃の父親、命の大切さに心を痛めた幼き頃の母親、くんちゃんが生まれる前にもらわれてきた愛犬ゆっこ、そしてマトモに走ることも出来なかった曾祖父が曾祖母と徒競走をしたという馴れ初め。

そのどれもを言葉なしに音楽と映像だけで見せ切ることは細田守監督なら出来たはずだ。『時をかける少女』を見直しても分かることだが、さりげない日常や仕草に意味や心情を持たせるという演出をしてきた実力派監督だからこそ、ファンはそんな監督の復活を心から待ち望んでいるのだ。

スタジオ地図を立ち上げて以降、細田守監督作品から「さりげない日常や仕草に意味や心情を持たせるという演出」も「初夏だからこそ感じる淋しさや楽しさ」は影を潜めてきた。
だがこの作品で後者の「初夏だからこそ感じる淋しさや楽しさ」は戻ってきたからこそ、次こそは前者も復活し、細田守監督らしい細田守監督作品を是非見てみたい。

ちなみに私も長子なので赤ちゃん返りをしていたそうで、そのこともあってか妹夫婦に2人目の子供が生まれてからは、妹夫婦が下の娘に手が掛かっている時は叔父の私が上の姪っ子と遊び、妹夫婦が上の娘の勉強を見ている時は私が下の姪っ子とお勉強をするという臨機応変な子育て応援をしているが、いやはや子育てって本当に大変だなと思うと、改めて両親には感謝感謝であります。

深夜らじお@の映画館はスタジオ地図を設立する前の細田守監督作品の方が好きです。

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2018年07月13日

『ジュラシック・ワールド 炎の王国』

ジュラシック・ワールド原点回帰、単純明快、勧善懲悪。
ある意味、スティーブン・スピルバーグよりスティーブン・スピルバーグらしい映画だ。作品としての物足りなさは往々にしてあるが、それでもこのシリーズのこの感覚が懐かしいと思いながら映画を楽しむことが出来るとは予想外だった。
ただこの終わり方で次のシリーズ完結作はどうするの?

1993年から続くこのシリーズの面白さは、やはり恐竜という非日常的で巨大な生物の前では人類は所詮無力な生き物にしか過ぎないのに、科学技術の発達で高くなった鼻を結局はへし折られるという物語を、生きるか死ぬかの脱出劇の中にスティーブン・スピルバーグらしい笑いを含めつつ、最後の最後までエンターテインメントとして見せ切ることだろう。

ただ新たなシリーズとして始まった前作は良くも悪くも1993年の焼き直し。それではエンターテインメントとしてダメだという結論に達したのか、今作はいわばこれまでのシリーズのいいとこ取り。あとはそれをどう調理するのかは監督の手腕次第というなか、さすが我らがJ・A・バヨナ監督はやってくれました。

予告編でほぼ見せ切ったであろう前半のイスラ・ヌブラル島、つまりは旧ジュラシック・ワールド跡地での恐竜保護及び救出作戦は、まさに原点回帰。噴火活動という巨大な自然の前では人類がいかに小さな存在かを尽く見せてくれて、これはこれで楽しい。欲を言えば、予告編で見せ切って欲しくなかった。

そして恐竜を闇オークションにかけるロックウッド邸での恐竜救出及び悪人退治作戦は、まさに勧善懲悪。悪人が全て恐竜の餌食になる爽快さに加え、J・A・バヨナ監督らしく子供を物語のキーパーソンにするところがなかなか面白い。しかも今作でもやっぱりチャールズ・チャップリンの娘でもあるジェラルディン・チャップリンが出演しているのも嬉しい。

なので、エンターテインメントとしては楽しい。クライマックスを迎えるまでは常に火山島と御屋敷、オーウェン&クレアとクローン少女メイシーという風に、2つの話を同時進行で見せる演出もいい。
加えて恐竜の命運を自然に任すという選択肢を政府がイアン・マルコム博士の提案の下で行ったのに対し、クローン少女がクローン恐竜を生かすという選択をする最後に下すところもテーマがまた進化したと思えて面白い。

しかしブルーとオーウェンの絆がどうも弱いので、遺伝子組換新種恐竜インドラプトルとの戦いも思ったほどの緊張感も怖さもない。
悪玉イーライ・ミルズも小者すぎてティラノサウルスに喰われるという最期もオチとしてはインパクトに弱さを感じずにはいられない。

そして何よりも「いらんことしいネエチャン」であるブライス・ダラス・ハワードが何も「いらんこと」をしていないのが残念でならない。インドラプトルとの決着の場でも「いらんことしい」としての本領を発揮するのかと思いきや、マトモなことしかしないのが淋しくてならない。

それなのにオーウェンとは男女の関係に戻るかのようなシーンは一切ない。1993年のグラント博士とサトラー博士のように男女の見つめ合いくらいしなさいよ!と思えてしまったのは、恐らく私だけではないだろう。

てな訳でラスカルの如く、オーウェンとの別れを惜しみながら去って行ったブルーはどうなったのか?次の完結編ではどんな活躍をするのかと思いながらも、空飛ぶモノが大好きなジョー・ジョンストン監督の『ジュラシック・パーク掘戮里茲Δ僕穃気大空を駆け巡るだけではなく、他の恐竜も街中に散らばったり、ティラノサウルスがライオンと雄叫び合ったりするその先にどんな物語が存在出来るのかが興味と不安が半々なエンターテインメント映画でした。

深夜らじお@の映画館はブライス・ダラス・ハワードには「いらんことしいネエチャン」でいてほしいです。

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2018年06月30日

7月戦線映画あり!

困った!困った!コマドリ姉妹…。まさに島木譲二兄貴のこの名セリフの如く、見たい映画が少なすぎる!夏映画の季節なのに少なすぎる!という異常事態に陥っている7月。
暑い時こそ映画館で涼みながらというのが贅沢なのに、見たい映画がなければ映画館に入る理由もなくなってしまうではあ〜りませんか!
てな訳でそんなチューイングボン♪な7月の注目作をピックアップです。

【7/6〜】
●『セラヴィ!』
『最強のふたり』の監督最新作だそうです。
●『バトル・オブ・セクシーズ』
テニスの女子チャンピオン、男子チャンピオンに挑戦す!という実話。

【7/7〜】
●『エヴァ』
イザベル・ユペール様、最近こんな役ばっかり?
●『菊とギロチン』
瀬々敬久監督最新作。大正末期の女相撲一座の青春群像劇。
●『REVENGE リベンジ』
女性監督がこんな恐ろしい映画を撮ったのか!
●『ルームロンダリング』
未練たらたらな幽霊のお悩み解決いたします。

【7/13〜】
●『ジュラシック・ワールド/炎の王国』
このシリーズ、まだまだ引っ張りますなぁ〜。

【7/20〜】
●『未来のミライ』
細田守監督、最新作。

【7/21〜】
●『悲しみに、こんにちは』
2018年アカデミー賞スペイン代表。

【7/27〜】
●『ウィンド・リバー』
テイラー・シェリダン、初の監督作品!


てな訳で7月の注目作は
『ジュラシック・ワールド/炎の王国』
『未来のミライ』
『ウィンド・リバー』

深夜らじお@の映画館は7月をどう過ごしましょうか?

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acideigakan at 17:02|PermalinkComments(2)clip!映画予告編 

2018年06月29日

『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』

ハン・ソロもっと冒険しようぜ!
ハン・ソロとチューバッカはどのように出会い、銀河一の「無法者・ならず者」と称されるようになったのか。それを期待した者にとっては、あまりにも地味すぎる作品だ。
やはりロン・ハワード監督では畑違いだったのではないだろうか。それとも『ローグ・ワン』が素晴らしすぎたのか…。

ハリソン・フォードの代名詞でもあるハン・ソロは、誰もが認めるアウトローでありながら、その心根はまさしく愛する者を守り抜くヒーローである。だからこそ、彼は世代を超えて、国境を越えて多くのファンから未だに愛されるキャラであり続けるのだ。

そんな彼が無二の相棒チューバッカとどのように出会い、また彼の愛機ミレニアム・ファルコン号をどのようにして手に入れたのかも、誰もが気になる歴史ではあるものの、当然そこには誰もが「冒険」という要素を期待しているはずだ。

しかしこの作品にはその「冒険」という要素がとてつもなく弱い。厳しい表現を用いるなら「ただ描いている」だけだ。
だからドキドキもなければ、ワクワクもない。危ない橋を何度も渡り、ハッタリと機転と友情と愛情で修羅場を何度も潜り抜けてきたというものが地味な演出でしか描かれていないので、ハン・ソロの映画を見ているはずなのに、ハン・ソロの映画を見ているように思えなくなることも何度もあるのだ。

またコレリアでの恋人キーラとの脱走シーンも暗く青みがかった映像で決して見易いとは言えない。帝国軍の歩兵として恩師ベケットと出逢うくだりも映像が暗くて見易いとは言えない。そしてミレニアム・ファルコン号でコクアシウムを掻っ攫いに行くシーンもやはり映像が暗いなど、冒険を描いた作品であるにも関わらず、ロン・ハワード監督の演出はそれにあたらずなのも残念なところ。

さらに義賊エンフィス・ネストとの協力関係や犯罪組織の親玉ドライデン・ヴォスへの裏切りなどでハン・ソロの活躍を見せるのも、「銀河一のパイロットになる」と何度も言葉にしていた彼の格好良さを描くなら、やはり操縦シーンでその活躍を見せて欲しかった。

ただこの作品はシリーズ化されるようなので、謎の過去がさらに気になるキーラがなぜにダース・モールとコネクトを持っているかなどは、これから明かされていくのだろう。

その時には今作では不発だったアンドロイドによるコメディ担当シーンも修正していただきたい。R2-D2やBB-8のような可愛らしいドロイドも登場してほしい。
そして何よりも「May the Force be with You.」を是非聞かせていただきたい。

やはり「スター・ウォーズ・ストーリー」と銘打つ以上、そこには宇宙を狭しと駆け回る冒険と個性豊かなアンドロイドに加え、「フォースと共にあらんことを…」のセリフがないと締まらないので。

てな訳でソロに撃ち殺されたベケットが言っていたタトゥーイン改めタトゥイーンにはいったい何があるのか。そしてキーラとの関係をどのように清算するのか。
今度こそハン・ソロとチューバッカとミレニアム・ファルコン号には「冒険」をさせて欲しい。

そのためにもロン・ハワード監督ではなく、J.J.エイブラムス監督の再登場を願います!

深夜らじお@の映画館はハン・ソロの銃の撃ち方をそのまま再現したオールデン・エアエンライクのハン・ソロ役は申し分ないと思いますが、ダース・モール役はレイ・パークのままなのかな?

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2018年06月28日

『オンリー・ザ・ブレイブ』

オンリー・ザ・ブレイブネタバレの構成でも良かったのでは?
森林火災に戦いを挑む消防の精鋭部隊を描く映画でありながら、重きを置いているのは若き隊員と頼れるリーダーの人間ドラマであって、山火事に対する消火活動ではない。
だからこそ、あの結末は衝撃的ではあるが、涙を流すほどではなかったのが残念無念。

端的にいえば、山火事版『バックドラフト』とも言えるこの作品で描かれるのは、大陸国なうえに乾燥した広大な土地を擁するアメリカで、森林火災といった山火事の消防活動に挑む男たちの話。

しかし消火活動ではなく消防活動。つまり火を消す作業ではなく、延焼を最小限に収めるための活動なので、溝を掘って炎の進路を塞いだり、こちらから木々を燃やして先に「燃料源」を枯渇させるといった、映画的には地味な活動ばかり。

しかも放火犯を追うというストーリーも兼ねていた『バックドラフト』や『リベラ・メ』とは違い、先の読めないエンターテインメント作品でもない人間ドラマの作品であることに加え、建物火災のように人やモノへの延焼といった直接的な被害が分かり易い形では描かれている作品でもないので、これまでの消防士を描いた作品と同じ様に見てしまうと、恐らく物足りなさを感じてしまうのではないだろうか。

さらに気になるのが、あの結末だろう。
ここからはネタバレになってしまうが、若き隊員であるブレンダン以外全員が帰らぬ人になってしまったという史実を、個人的にはOPで先に描いても良かったのでは?と思えてしまった。

要は『プライベート・ライアン』などのような回想録で語られるタイプの構成だ。
これならこの史実を知らない者でも、結末が分かっているだけに大いに泣けたのではないのかと。ベタな構成ではあるが、案外この手の話ならこれでも良かったのではないかと。

多くの方がこの映画に涙したという感想が溢れているようだが、個人的にはブレンダンの成長物語なのか、それともエリックを始めとする「ホットショット」の日常を描いた物語なのか、焦点をもう少し絞っても良かったのでは?と思えてしまった。

それは恐らく私が『バックドラフト』や『リベラ・メ』のような作品を期待したからだろう。まさかブレンダンが一人取り残されて全員殉職なんて想像もしていなかっただけに、その衝撃の大きさだけが逆に凄く印象に残ったこともあったかと思われる。

炎は怖くない。
恐れるのは、愛する人の涙だけ。

このキャッチコピーを見てら、やはりヒーローたちは全員帰還すると思っちゃいますよね。

深夜らじお@の映画館は改めてアメリカという国が大陸国であることを痛感しました。日本ではこんな広大な山火事は滅多にありませんから。

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2018年06月21日

『空飛ぶタイヤ』

空飛ぶタイヤ120分では物足りない!
さすが池井戸潤先生原作の面白さだ。少しずつしか進まない物語の展開といい、魅力的なキャラクターたちの掛け合いといい、どれも面白いうえに、赤松社長を演じる長瀬智也がとにかく男気溢れるほどに格好いい!
ただ熱のない演出と120分の尺では、物足りないという感想が強く残ってしまうのが残念無念。

とある主婦の命を奪ったトラックの脱輪事故は整備不良だったのか。経営の基本は社員を大事にすることを是とする赤松社長は悩む。
しかしどこまでも社員を信じる熱い男である彼は、この若き社長を慕う赤松運送の社員たちからの情報を基に一つの結論に辿り着く。これはトラックの構造上の欠陥による事故、いや事件ではないのかと。

製造元のホープ自動車はリコール隠しをしている。これに赤松運送からのクレーム担当にあたっていた販売部の沢田課長も気付き始める。小牧や杉本といった社内で信用の出来る仲間からの情報を集めるも、人命よりも利益を優先する大企業の内部には厚い壁が何枚も立ちはだかり、リコール隠しという事実を隠蔽しようとしている。

大企業に対し、外側から戦いを挑む熱き男・赤松社長と、内部から戦いを挑む冷静な男・沢田課長。先の展開も読めない、様々な登場人物も入り乱れる。そんな池井戸潤先生の世界観は、やはり「半沢直樹」などと同様にじっくりと見たくなるものだ。

だがこの映画の尺は120分。あまりにも短すぎる。
せめて180分。本音をいえば、連続ドラマで見せてほしい。

そう、池井戸潤作品は映像化すれば見応えのある作品に昇華するからこそ、逆に本木克英監督の冷静に見せる演出は120分で見せ切る映画には似合わない。この手の演出で見せるなら、やはり3時間越え、もしくは連続ドラマだ。

特にそれを強く感じるのは、整備不良を疑われ、仕事が激減していく赤松運送に倒産寸前という空気が全く感じられないうえに、赤松社長が調査のため社用車で全国を飛び回る資金もどこから捻出したのかも不明のままなことや、沢田課長が人事異動による村八分を受けても閉塞感が感じられないうえに、証拠集めのために犯罪スレスレのことをしてもスリリングな空気が流れないことといった、彼らが追い込まれていくという怖さがなかったことだろう。

また被害者遺族の柚木が、警察や国交省といった公的機関が赤松運送の整備不良を認めていない状況下で民事訴訟を起こすというのも、全てを描き切れていないこの映画においては逆に話の腰折りにも見えてしまう。

さらにその陰の活躍がほとんど描かれていなかったホープ銀行の融資審査担当・井崎に関しては、元彼女でもある記者の榎本から情報を得ているとはいえ、最終的には上司である濱中の方が見事な根回しという陰の大活躍をしていたとしか見えなかったのも残念。

つまりこの映画は尺と演出のバランスがよろしくないのだ。確かに面白い作品ではあるが、それは原作が面白いのであって、映画はその面白さをどこまで引き出せているかという面において、やはりこの映画の場合は物足りないという答えにしか辿り着かないのだ。

短い尺には短い尺用の演出がある。あざとさ、熱のある演出、細かい編集、必要最小限の人物への焦点。それらが面白い作品を面白い映画にするのだ。

だがこの映画における演出は長い尺用のもの。じっくりと見せるという演出は、3時間越えの映画や連続ドラマでこそ、その威力が存分に発揮される。

赤松運送に対する銀行融資で2行が火花を散らすシーンも、もっと見たい。
群馬の野村や富山の相沢が赤松にその想いを託すというシーンも、もっと見たい。

外から戦う赤松、内から戦う沢田、陰から戦う井崎。その3者の想いが結実する一点を満を持して迎えるというよりも、唐突にホープ自動車への捜査で大逆転劇を迎えるというのも、何だか勿体無いというか、物足りない。

やはり池井戸潤作品は短い尺である単発映画には不向きなのだろう。

けれど、そんな映画の中で一際目立っていた熱き男を熱演した俳優・長瀬智也を見て思う。
見た目以上に中身が格好いい、まさに男が惚れる男。そんな社長と一緒に働ける人生を歩みたい!

深夜らじお@の映画館は先日の加計学園広報担当者の地元記者以外お断りの態度や昨今の日本大学の悪質タックル問題に対する態度を見ていると、どうしても彼らがホープ自動車社員のように見えてしまいます。

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2018年06月20日

『ワンダー 君は太陽』

ワンダー一歩踏み出す。その勇気が宇宙を変える。
他人と違う。それだけで悩む少年がいる。手の掛からない子。そんな親の期待で悩む姉がいる。過ちを犯した。そのことに悩む友人がいる。自分にはない魅力。それに気付いて悩む親友がいる。
これは難病モノでもなければ、一人の少年の成長物語でもない。正しさよりも優しさを選ぶ物語だ。

『スター・ウォーズ』をこよなく愛する10歳のオギーは学校に通ったことがない。その理由は遺伝子の先天性疾患による顔の変形で27回に及ぶ手術を経験してきたからだ。
本人曰く「マシになった」とはいえ、宇宙飛行士のヘルメットを脱げば好奇の目に晒される環境は、その小さな身体にはあまりにも過酷な現実だ。

だが彼は時に悲観しながらもユーモアは決して忘れない。周囲の悪意ある言葉よりも大好きな理科の授業を聞くことを優先する。
意志の強い母親と、ユーモアを忘れない父親、いつも隣にいてくれる姉と愛犬と暮してきた10年がそうさせるのか、彼は周囲の好奇や悪意の目と闘うというよりも、状況が好転するまで静かにいつも通りの生活をしているかのようだ。

一方でこの映画はオギーを物語の主軸に置きながら、弟優先の家庭で手の掛からない姉を演じてきたヴィア、オギーにとって初めての友達になったジャック・ウィル、ヴィアとの間に溝を作ってしまったミランダの視点でも語られる。

そこには言葉に出せない想い、行動に移すことに勇気が必要とされる想いが様々な形で描かれている。

例えば演劇部で出逢ったジャスティンに一人っ子だと嘘をついてしまったヴィアは決して弟を恥ずかしいとは思ったことなど一度もないはず。でも祖母がいない今、親の愛を求めてもいいのか。その答えに辿り着いた時、彼女はどれだけの勇気を振り絞って一歩を踏み出したのだろう。

また周囲の目など気にせず、オギーに手を差し伸べたジャック・ウィルも、どれだけの勇気を振り絞って一歩踏み出したのだろう。
ヴィアになり切ることで不遇な家庭環境から脱したことで親友に引け目を感じたミランダも、どれだけの勇気を振り絞って主役を譲るという一歩を踏み出したのだろう。

けれど実際にその立場にいると誰もが分かるはず。勇気を振り絞って一歩踏み出すことなど何も難しくはない。ただ「当たり前のことをしただけ」なのだからと。

見た目が他人と違う。それの何が悪い。
子供として親の愛を求める。それの何が悪い。
独りぼっちのクラスメイトに話し掛ける。それの何が悪い。
親友の家庭で本当の家族愛を知る。それの何が悪い。

人は誰でも過ちを犯す。卑屈になること、親に甘えないこと、悪口を言ってしまったこと、疎遠になったこと。
でもその過ちを認め、前に進む勇気を振り絞るタイミングさえ間違えなければ、人は誰だって楽しい人生を送ることが出来るはず。

そのタイミングを間違えると、ジュリアンのように人生で大きな後悔を経験してしまうのだ。
ただ彼の場合はあの両親に育てられたことが人生の一番の不幸でもあるが。

そういう意味では、付き合いの長いミランダだけでなく、ジャスティンもジャック・ウィルも足繁く通う温かな家庭を築き上げたこのイザベルとネートという夫婦は、これぞ親の鑑。
厳しさと優しさの意味を履き違えず、子供の成長を静かに見守り受け入れていく。

まさに「この親にしてこの子あり」の作品でした。

深夜らじお@の映画館は現実的厳しさの少ない世界観でもこの映画が好きです。

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2018年06月18日

『私はあなたのニグロではない』

私はあなたのニグロではない人種差別はなくならないのか。
アメリカが建国以来抱えている人種問題。特に白人による黒人差別問題はどうして解決への道を歩めないのか。
ジェームズ・ボールドウィンの30頁に及ぶ未完の原稿を基に作られたこのドキュメンタリー映画を見て思う。我々日本人が思っている以上に、アメリカの人種問題は解決など期待出来ないと。

「Remenber this House」というジェームズ・ボールドウィンの未完の作品は、彼の友人でもある3人の公民権運動家をテーマにしている。
メドガー・エヴァーズ、マーティン・ルーサー・キングJr.、そしてマルコムX。

奴隷としてアフリカから強制連行され、その奴隷制度が終わると白人とは区分けされる生活を強制され、法律の上では自由と平等が保証されていても、実生活においては、例えバラク・オバマ氏が黒人初の大統領に就任したといえども、その差別は根絶されることのないアメリカという先進国。

そのアメリカで黒人の地位向上を目指して闘っていた彼らを通して、ジェームズ・ボールドウィンが様々な疑問を投げ掛ける。様々な無知と無関心が生んだ無意識の差別を露にしていく。怒りを静かに知的な手法で表現していく。
だからこの映画には我々が気付いていなかった様々な事実が描かれている。

例えば過去の映画を例に出したものでいえば、『夜の大走査線』でのシドニー・ポワチエは白人から見た理想の黒人を演じている。『駅馬車』では先住民族が野蛮な悪党として殺されている。夢のような恋愛映画の主役は白人である。
これらは全て我々が接してきたアメリカ映画の当たり前に隠されていた差別。

また「多くの白人はニグロを敵視していない」「黒人である前に人間だ」「アメリカはもはや奴隷として使えない黒人をどうしたらいいのか分からないのだ」「黒人が必要な理由は?」といった、ジェームズ・ボールドウィンの数々の言葉が様々なニュース映像と共に映し出されると、自然と疑問に思えてくるアメリカ社会における黒人の存在意義。
白人と同じアメリカ国民であるはずなのに、白人はなぜ黒人を同胞として扱わないのか。

差別する方が悪い。これだけでは問題は何も解決しない。差別する白人側の意見がピックアップされたうえで、問題の本質がいつの間にかすり替えられてしまうからだ。

ではどうすれば差別はなくなるのか。ジェームズ・ボールドウィンは無知と無関心が問題の本質だと主張する。無知と無関心が白人に「恐怖」を生むと分析する。

確かに黒人の少女が白人ばかりの高校に登校するだけのことに、白人たちが彼女に唾を吐き掛ける意味を考えると、最終的には無知と無関心が生む恐怖に辿り着くだろう。
白人だらけの自分たちの生活に黒人という余所者が入ってくる。その余所者を理解しようとしない連中が「恐怖」を「暴力・暴言」にすり替える。それも無意識のうちに。

メドガー・エヴァーズも、マーティン・ルーサー・キングJr.も、マルコムXも、白人を駆逐して黒人だけのアメリカを目指してはいない。黒人が白人を差別する社会も目指していない。
ただ「我々は黒人である前に人間だ」と訴えているだけであり、それを白人が理解出来ていないだけ。そして互いを憎しみ合う時間の長さが、やがて黒人側にも無知と無関心が生む恐怖をもたらしている。

無知と無関心が生む恐怖は人類の歴史において、常に悲劇しか生み出してこなかった。
ナチスによるユダヤ民族の大量虐殺も、日本社会における部落問題も、現代世界における自国ファースト主義も。

そんな時代だからこそ、改めてジェームズ・ボールドウィンの投げ掛けた言葉が意味を持つ。

向き合っても変わらないこともある。
だが向き合わずに変えることはできない。

この言葉をアメリカの全国民が、地球上に住まう全人類が理解出来る日など、果たして来るのだろうか。

深夜らじお@の映画館には目から鱗の映画でした。

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2018年06月17日

『ニンジャバットマン』

ニンジャバットマンこの素晴らしき暴走ぶり。さあ、どう評価する?
よくぞDCコミックがこんな企画を許可したものだ!よくぞワーナーブラザーズがこんな映画を製作したものだ!そしてよくぞ神風動画がこのような素晴らしき映画を撮ってくれたものだ!
荒唐無稽でクレイジーな展開が怒涛の勢いで咲き乱れる。たったそれだけの85分。でも傑作なのだ!

「ジョジョの奇妙な冒険」のOPを手掛けた水崎淳平氏が監督を務めた本作は、バットマンやジョーカーといったゴッサムシティでお馴染みの面々が戦国時代の日本にタイムスリップするというストーリーながらも、そこから予想されるストーリーには決して収まらない展開が次々と繰り広げられる。

例えば尾張を拠点にするジョーカーに対し、ペンギンは甲斐、ポイズンアイビーは越後、デスストロークは陸奥、トゥーフェイスは近江に拠点を置くとなれば、それぞれに当てはまる戦国大名を日本人なら誰もが思い浮かべるはず。
特になぜトゥーフェイスが近江なのかは、歴史とトゥーフェイスのキャラクターを思い浮かべると確かにピッタリなのだから、これはまさに日本人にこそ楽しめる作品でもあるのだ。

また21世紀の便利グッズが使えなくなったバットマンを支える飛騨の蝙蝠忍者衆と共に行動するレッドロビンやナイトウィングは誰が見ても赤影や青影である一方で、レッドフードは虚無僧で2丁拳銃、ロビンと子猿モン吉との友情が最後にちょっと泣けるなど、キャラクター造形にも手抜きが一切ない。

さらに極めつけは、やはりゴッサムの悪党どもが各地に築いた城が変形して大型ロボットになって戦いを繰り広げるうえに最後は合体するというクレイジーな展開に対し、バットマン陣営はゴリラグロッドの猿部隊が連携して巨大猿を構成するわ、そこに蝙蝠部隊が加勢して巨大バットマンを構成するといった、もはや常識無視で奇想天外、荒唐無稽の一言では表現出来ないほどの驚愕シーンがてんこ盛りなのだ。

つまりこの映画は、何の説明もなくゴリラグロッドのタイムスリップが発動されるOPから、観客にあれこれ考える暇も、また休む暇も与えることなく、最初から最後まで怒涛の勢いで、ともすれば暴走一歩手前の勢いで突っ走る作品なのだ。

だから荒唐無稽を受け入れることが出来ず、説明を求めてしまう方には向かない作品だが、アメリカの本家がシリーズ化に成功したマーベルに対し劣勢にあるなか、続編など作る気なしでの一本勝負だ!と言わんばかりの勢いで、ベインの扱いも「どすこい!」だけで十分やねん!の潔さを携え、マーベルどころか、アメリカでも絶対に作れない領域へと昇華させたこの素晴らしさは、映画好きやアニメ好きには必見の作品だと断言出来るだろう。

バットマンシリーズをかじっている者が作った作品ではない。バットマンシリーズを知っている者が作り上げた作品だ。

ハーレイ・クイーンとキャットウーマンの対決もいい、いつの時代でも変わらぬアルフレッドの執事ぶりがいい、皆に支えてもらっているだけで主役に収まっているバットマンの隠れた情けなさも本家と変わらずでいい、そしてジョーカーがバットマンを「バッツ」と呼ぶ壊れぶりもいい。

劇画風に見せるだけでなく、唐突に絵巻物風に見せる演出など、一切の無駄がない85分に驚き、見入り、笑ってしまう。

これがジャパニメーションだ。これが日本の才能だ。これが日本映画の魅力だ。

そんな言葉を並べても言い尽くせないこの面白さ。是非劇場にてご覧あれ!

深夜らじお@の映画館は八手観音に変形する双面城がバカバカしくて好きです。

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2018年06月13日

『Vision』

Visionお帰り、河鹹照監督。
やはり河鹹照監督といえば、この手の映画だ。様々な映画サイトがその代表作を『あん』『光』ではなく、“あえて”『萌の朱雀』や『殯の森』を選んでいることに気付けば、もうお分かりだろう。
この映画は見る人を選ぶ作品だと。フランス映画のような芸術性に長けた映画だと。そして難解な映画だと。

奈良を舞台にした映画を数多く撮り、また奈良国際映画祭の主催者としても活躍されている河鹹照監督といえば、カンヌ国際映画祭の常連であり、自分の確固たる意志を持った力強さを感じる女性監督だ。

そんな河鹹照監督作品にポンヌフ橋といえばでお馴染みのフランス人女優であり、またオスカー女優でもあるジュリエット・ビノシュがなせ出演しているのかという理由は、物語を追うだけでは分からない。むしろ物語の展開上、特にフランス人である理由もないので、恐らくカンヌ国際映画祭で映画人として共鳴された結果、出演されたのではないかと思われる。

一方で、その物語は難解の一言に尽きる。幻の薬草Visionはどうなった?とか、謎の老女アキは何者?とか、時間軸が違うのか同じなのか分からない編集は何?とか、智とジャンヌと鈴はどういう関係?とか、『あん』『光』を楽しんだ感覚で見ると、もう何が何だか分からなくなるはず。

だからこの作品は『萌の朱雀』や『殯の森』の河鹹照監督作品が好きな方に向いているのだろう。理解するよりも感じると表現した方がいいのか、頭ではなく心の奥底に眠る魂で共鳴するタイプだ。

様々な方のレビューを拝読していると、物語としては輪廻転生を描いたものではないかというご意見も多い。岳とジャンヌが産み落とした子供である鈴との再会に必要だったのがジャンヌと智のベッドシーンだとか、素数は誰とも被らない「個」を表現するものだとか、1,000℃は火葬の際の温度だとか、メタファーが多い作品だけに、ご覧になられた方の数だけ解釈も多いようだ。

個人的にはアキや岳、ジャンヌの大木の前での舞を、同じ奈良でも神秘的で雨量も多く生命力に溢れる吉野を舞台に撮っていることからも、命が生まれし場所に戻ってくる物語のように思えたが、それ以上感じたこともなければ、何かしら共鳴したこともない。
最終的には難解だったの一言に尽きてしまう作品だった。

でもそれが河鹹照監督作品。これが河鹹照監督の世界。
けれど『あん』『光』ような作品も河鹹照監督の世界であって欲しいとも思えた映画でした。

深夜らじお@の映画館が撮る吉野の山奥は塵や埃さえも凄く神秘的でした。

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