2016年07月17日

『シング・ストリート 未来へのうた』

シング・ストリート僕は歌う。届けたい恋心、理不尽な日常、大切な仲間、決して諦めたくない未来への想いを込めて。
ストーリーに新鮮味は全くないのに、何て満足度の高い作品なのか。恋を経験した者にとっては何と共感出来る作品なのか。
背伸びしても届きそうで届かない。でも掴みたいこの恋と未来を後押しする楽曲の素晴らしさに涙が止まらない!

1985年のアイルランド・ダブリンには夢も希望もない。両親は離婚へ向けて動き出し、ジャック・ブラック風でロック知識豊富な兄貴は引き籠り、転校先では理不尽な校則と暴力が蔓延り、唯一希望が抱ける場所があるとすれば、それは様々なMVを生み出す、海を越えた50km先にあるイギリス・ロンドンのみ。

けれどモデル志望の1つ年上のラフィーナの気を引きたいばかりにバンドを組むと動き出したコナーの日常が変わり始める。はみ出し者ばかり集めて結成した未来派バンド「シング・ストリート」はただのコピーバンドからオリジナルを生み出すバンドへと成長していく。曇天だった日常が未来を見るだけで晴天のようになっていく。

ただ兄貴やラフィーナから言われた「悲しみの喜び」を知るようになってからコナーの気持ちが揺れ始める。未来を明るく照らす光も減り始める。
校則の名の下、平然と暴力を振るう校長に反抗できない無力な自分。音楽センスのない恋人とロンドンへ旅立ったラフィーナの幸せを願いたいが、彼女のいない空虚さを埋めることが出来ない未熟な自分。こんな悲しいことだらけの日常で「喜び」なんて見つ出すことが出来るのか?

でも夢破れてダブリンに戻ってきたラフィーナの泣き顔を見て思う。長兄というだけで苦労した挙句に引き籠りとなった兄貴の怒りを知って思う。
彼女の夢を、兄貴の夢を、僕の夢にしたい。僕が夢を叶えることでラフィーナを、兄貴を、バンド仲間を、この曇天の日常から出してあげたい。

そんな想いが全て彼らの楽曲となって表現される。だからこの映画で奏でられる音楽はどれも素晴らしい。
特に学校の講堂でのギグで演奏された楽曲にはコナーの15歳ならではの等身大の想いが溢れている。
どんなに待っても開かない扉を見つめながらラフィーナを待つ時間の長さ。
両親や兄貴が昔みたいに明るく仲良く家族としていて欲しい日常を願う妄想の時間。
観客が去っても、聞いて欲しい女性がいなくても、バラードを歌い切る覚悟。
校長の忠告など無視して理不尽な日常に歯向かう強さ。

「Drive It Like You Stole It」「Girls」「Up」「Brown Shoes」「To Find You」「The Riddle Of The Model」

シング・ストリートが奏でる全ての楽曲は、15歳を経験した全ての人がシング・ストリートを応援したくなる歌詞と音楽で構成されている。
だからコナーとラフィーナのボートでロンドンへ向かうというムチャな夢も自然と応援したくなる。あの頃、無力で未熟だった自分の分まで夢を叶えてくれ!という想いを込めて。自分も負けじとまだ未来を夢見ていたいという想いも込めて。

『once ダブリンの街角で』『はじまりのうた』に続き、またしても素晴らしい音楽映画を作り上げたジョン・カーニー監督。
今回はしっかりと鑑賞後に映画館でサントラを購入させていただきましたよ!

深夜らじお@の映画館も今、コナーと同じく恋をしています。

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2016年07月09日

『インディペンデンス・デイ:リサージェンス』

ID4-2あの日から20年。決戦に備えていなかったのはローランド・エメリッヒだけだった。
ローランド・エメリッヒがポール・バーホーベンになってしまった。20年ぶりの続編だとか、16年ぶりのディーン・デブリンとの共同作業だとか、そんなことに期待した方がアホだった。
ホンマ、2部作にならなくて良かった。ただそれだけ。

ウィル・スミスが演じたヒラー大尉は訓練中に事故死したという扱いで大統領執務室前に肖像画が飾られ、でも本当はウィル・スミスのギャラが高すぎてキャスティングされなかったらしいこの20年ぶりの続編。

もちろん期待するのは自ら志願して戦闘機に乗ってはエイリアンと戦ったホイットモア大統領に匹敵する名演説、人類が一つになってエイリアンと攻防を繰り広げるアクションなのに、この続編にはそんな期待を満足させてくれるものは微塵たりともないこと。

20年ぶりなのに全く補足説明もない世界観にキャラクター、前作の24km宇宙船とは比べものにならない4,000km以上ある宇宙船さえ発見出来ないというムチャすぎる導入、エイリアンの技術を応用したとはいえ月と地球をあまりにも短時間でかつ簡単に行き来するという現実味のない世界観。
特にエイリアン銃をあれだけ準備することが出来たなら、エイリアン言語を解読できる人物たちをもっと重宝しろよ!ハード面だけでなくソフト面も進歩しろよ!それが出来ていないから話し合いで何とか味方になってくれた白玉エイリアンを冒頭で無闇に攻撃するとかいうアホなこともしてしまうねん!という脚本は見るに値しないレベル。

加えてジェイクとディランのコンビプレーは『パール・ハーバー』やん、ホイットモア元大統領が爆弾積んで娘のためにと特攻をって『アルマゲドン』やん、その2作品に出演していたウィリアム・フィクトナーが臨時大統領ってアカンやん!というツッコミもあれば、最後に女王エイリアンを引っ張り出して始末するって展開は完全に『スターシッピ・トゥルーパーズ』やん!

確かに恋仲だったディーン・デブリンとまた一緒に仕事が出来るという嬉しさは理解出来ます。それが2人の代表作の続編となれば、その嬉しさも大きくなるのも理解出来ます。
でもどうせ作るなら、もっと思い入れのある作品にしてくださいよ。マイケル・ベイやポール・バーホーベンっぽい作品なんて作らんでよろしいねん。2人にしか作れない作品を期待していたのに、ほんま何ですの!この作品は!

てな訳で「リサージェンス」とは「一度中断していたことの再開、復活」という意味を邪推してみると、もしかしてローランド・エメリッヒとディーン・デブリンは元サヤに戻ったのか?思い出の作品でまた2人で歩み始めるのか?
もしそうなら本作の製作に気合いが入らんのは当然の話。だってローランド・エメリッヒの失恋3部作越しの恋が実ったのですから♪

深夜らじお@の映画館は久しぶりにビル・プルマンが見れて嬉しかったです。

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2016年07月03日

『ブルックリン』

ブルックリン夢が叶う場所がある。愛が待つ場所がある。
何と可愛らしく、愛らしく、優しさに満ちた青春映画なのか。
希望と孤独と無力の狭間で一人で悩み苦しんだ時期を乗り越えた時に心に沁みる、お世話になった方々への感謝と恩を年下世代へ伝えてあげることで報いたいと思える兄貴分・姉貴分としての優しさに自然と心が温かくなる。

アイルランドの片田舎では妹の優秀さは埋もれてしまうと危惧した優しき姉ローズの計らいでアメリカ・ニューヨ−クへ渡ることになったエイリッシュは、誰もが夢見た新天地で希望や不安を抱きながらも、ホームシックや孤独といった壁を乗り越えようと必死にもがく姿。

だからこそ自然とこのエイリッシュを応援したくなる。彼女が経験する様々なことにも共感してしまう。
右も左も分からない客船でトイレも使えず船酔いに苦しめば、同室の年上女性が乗船の心得から復讐の仕方、果ては入国時の心構えまで全て教えてくれる。
ホームシックで元気も出ず仕事も出来ず仕舞いならば、厳しくも優しい女性上司が神父を呼んでくれる。仕事だけでなく、プライベートの水着選びも手伝ってくれる。
寮生活で田舎娘のままでいることに戸惑えば、何だかんだ言っても寮仲間の年上女性たちが綺麗になる術を教えてくれる。寮母も母親のように心配してくれる。

思えば故郷を離れて新天地で暮らしたり、全く知り合いのいない土地で仕事に就いたりすれば、誰だって始めはネガティブな時間が続くもの。
ただそういう時こそ周囲に溶け込もうとする努力が必要なもの。一人で頑張ると肩肘張っても、それはただの世間知らずの強がり。そんなものには限界がある。

だから自分の無力さや弱さを受け入れ、そのうえで簿記だけでなく化粧などの勉強も始めていくエイリッシュが魅力的になることも、トニーというイタリア系の恋人を手に入れることも、本当に心地いいもの。
当初は姉ローズに心配を掛けたくないという気持ちだけだったのが、姉にも神父にも、さらには寮仲間にもいろんな報告をしたい、感謝の気持ちを伝えたいと思えば思うほど魅力的になっていくエイリッシュ。そんな姿をシアーシャ・ローナンが見事に演じているのも本当に素晴らしいこと。

ただ姉ローズの突然死により、アイルランドに帰国しなければならないくだりでエイリッシュの心が揺れる。
帰国直前にトニーと結婚するも、それを故郷では母親にも伝えることが出来ない。一番伝えたかった姉には墓前でしか報告出来ない。

けれど親友が紹介してくれたジムたちと訪れた故郷のビーチで彼女は静かに選択を迫られる。トニーと訪れたアメリカのビーチでは彼女はアイルランド人として大いに戸惑った。一方で故郷のビーチでは彼女はアメリカ人として颯爽と水着に着替えた。
そう、彼女はアメリカではアイルランド人だが、アイルランドではアメリカ人。いったい自分はどちらでこれから生きていくのか。それを大好きな姉の助言を得られず「自分で」決めなければならない。

簿記も出来てオシャレなデキる女でいられる故郷アイルランドか、それとも簿記も出来てオシャレなデキる女でいられる現住所アメリカか。
それを彼女が決めるきっかけはやはり初心だった。なぜ故郷を離れようと思ったのか。閉鎖的で自己都合で他人の幸せを無碍にする環境では自分の能力も心も死んでしまう。そう思ったから故郷を出たのなら、自分が選択すべき道はジムかトニーかと聞かれれば、もはや答えは分かり切っているもの。

アイルランドを出たばかりのエイリッシュはただの田舎娘だった。そんな田舎娘が都会で磨かれ、いい女になった。でも彼女はまだ「妹分」という枠から出てはいない。
しかしアメリカへ向かう船で、同郷の野暮な女の子に乗船の心得から入国やアメリカでの生活の心構えまで教えるようになったエイリッシュはもはや「妹分」ではない。少なくともその野暮な女の子からは「格好良くて綺麗」と思われる「姉貴分」だ。

そんな「姉貴分」へとまた一つ大きな階段を昇って魅力的になったエイリッシュが壁にもたれながら愛する夫の仕事終わりを待つ。その堂々たる姿はまさに愛する男を離さないと心に決めた大人の女。何と格好いいことだろう。

誰にも人生において多くの「兄貴分」「姉貴分」がいる。その「兄貴分」「姉貴分」への恩返しは誰かの「兄貴分」「姉貴分」になることだ。
だから我々も日々頑張らねばならない。「兄貴分」「姉貴分」の恩人たちに恥ずかしくない「兄貴分」「姉貴分」としての姿を見せるために。

深夜らじお@の映画館にも人生の目標とすべき大学生時代のバイト先でお世話になった先輩がいらっしゃいます。またいつかお会いしたいです。

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2016年07月02日

『セトウツミ』

セトウツミただ喋るだけの青春。でもそれがおもろいねん。
あかん、めっちゃ笑ったわ。やっぱり関西の喋りは漫才が基本だけにホンマおもろい。
まるでセトウツミというしゃべくり漫才の若手のホープが様々なテーマで75分間漫才を繰り広げ、それを存分に楽しませてくれるようなこの映画。個人的にはめっちゃ好き♪

インテリ、メガネ、ネクラなイケメンの内海。ツンツン頭、愛すべきアホ、超前向きな瀬戸。この関西の高校生2人が河原の石段で座ってただ喋るだけ。
でも大した技術もない売れっ子芸人の漫才を見るよりも遥かにこの2人の会話の方がおもろいのは、やっぱりボケとツッコミ、ネタフリとオチ、そして言葉遊びがしっかりしているうえに、話があっちゃこっちゃ飛ばない、つまりは基本ネタフリで始まったテーマでオチまで持っていく基本精神がしっかりしているから。

だから瀬戸をアフリカオオコノハズクに例えた話のオチが瀬戸と内海2人して鳴山先輩の前ですぼむというネタフリからのオチへの流れもおもろい。
相乗効果とシナジー効果に対抗して白ご飯をライスとか、自覚症状と他覚症状といった言葉遊びもおもろい。
神妙な面持ちを天丼でオチに持ってくるのもおもろい。
樫村さんに彼氏がいるかどうかを「バナナあげるから」で内海に頼もうとした瀬戸の安直さもおもろい。
その意中の樫村さんに脅迫メール改め好きな食べ物メールを送っても、アドレスすら登録されてなかった瀬戸の隣で、その樫村さんからバレンタインチョコをもらったうえに普通にメールまでしちゃってる内海が全く瀬戸に遠慮してないスカシっぷりもおもろい。

一方で余命わずかな愛猫に高価な猫缶を与えたばかりに両親が離婚するまでに発展したとか、大きな蜘蛛を退治するために木酢液を散布したらおじいちゃんが出て行ったいう瀬戸の変化球も「そっちへ行くか!」と予想を裏切ってくれておもろい。
虫嫌いの瀬戸がコバイ退治に買った食虫植物用に蟻を捕まえる本末転倒ぶりもおもろければ、「お前だって白ご飯ばっかりは嫌やろ。たまにはデミグラスソースのかかったヤツ食べたいやろ!」と必死になるアホさもおもろい。

さらに瀬戸と内海が常にカシコとアホという関係性でいる訳ではなく、話のネタに合わせて内海もアホになるし、瀬戸もシリアスになったりもするという、漫才ではなく通常の会話にはあって当たり前の役割分担なしのスタンスもしっかりしている。

つまり瀬戸と内海のキャラ立ちがしっかりしているうえに、ボケ、ツッコミ、ネタフリ、オチ、言葉遊び、天丼、スカシといった漫才=関西のしゃべくりの基本技術もしっかりしている。それでいて突拍子もないボケも奇を衒ったボケも挟まない。座る位置も終始変わらない。
自分が面白いことをアピールするような低レベルな芸人の漫才ではなく、いかにして相手を楽しませるかの応酬である関西のしゃべくり基本精神が貫徹されている。だからおもろい。だからホットミルクティー缶の飲みかけを瀬戸に渡しておきながら、ちゃっかり自分の分は用意していたという内海と瀬戸の関係性を描いたオチもおもろい。

青春の大半は無駄話ばかり。でもそれは無駄な話やない。相手を楽しませたいという想いから来る有益な話。ただその内容がくだらんだけ。でもだからおもろいねんけどね。

深夜らじお@の映画館は早くこのDVDが欲しいわ!何回も見たいねんもん!

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2016年06月29日

7月戦線映画あり!

夏休み映画の第一弾がやってくる!と思いきや、ありゃりゃファミリー向けばかりでどうにもこうにも見る映画が少なくなりそうな7月。そうなると8月は反動で…と考えると辛いなぁ〜。今夏は高校野球だけでなくオリンピックもあるんだから、うまいこと公開時期を均等に分けてちょうだいよ!
てな訳でそんな7月公開の注目作を早速ピックアップです。

【7/1〜】
●『ブルックリン』
シアーシャ・ローナンちゃんも成長しましたか…。
●『アリス・イン・ワンダーランド』
今回はティム・バートンが監督ではないのか…。

【7/2〜】
●『セトウツミ』
いかにも漫才口調な予告編が凄く楽しいです。
●『疑惑のチャンピオン』
スティーブン・フリアーズ監督最新作。
●『シアター・プノンペン』
カンボジア初の女性監督作品。

【7/9〜】
●『インディペンデンス・デイ:リサージェンス』
ウィル・スミスは出演しないけど、ビル・プルマンは出演します♪
●『シング・ストリート 未来のうた』
ダブリンが舞台といえば、ジョン・カーニー監督最新作!

【7/16〜】
●『暗殺』
チョン・ジヒョン最新作。でも昔のような美しさがない…。
●『AMY エイミー』
本年度アカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞作品。
●『ファインディング・ドリー』
字幕版の公開はあるのかな〜。

【7/22〜】
●『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』
ごっつい久しぶりのジェ・ローチイ監督最新作。

【7/23〜】
●『ロスト・バケーション』
女性サーファー、サメ、満潮で沈む岩場、タイムリミット…。

【7/29〜】
●『シン・ゴジラ』
予告編は完全に使徒襲来なんですけど…。

【7/30〜】
●『ターザン:REBORN』
ステラン・スカルスゲールドの息子が主役です!

てな訳で7月の注目作品は
『シン・ゴジラ』
『インディペンデンス・デイ:リサージェンス』
『セトウツミ』
『ターザン:REBORN』
『ブルックリン』

深夜らじお@の映画館はのんびりと映画館通いをさせていただきます。

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acideigakan at 23:57|PermalinkComments(4)TrackBack(1)clip!映画予告編 

2016年06月20日

『帰ってきたヒトラー』

帰ってきたヒトラー現代ドイツの不満はアドルフ・ヒトラーにお任せあれ!
20世紀最悪の独裁者とも呼ばれたアドルフ・ヒトラーが現代に蘇るも、誰もが彼をよく出来たモノマネ芸人としか認識しない。そんな物語をドイツ人が書籍化し、同じくドイツ人が映画化しちゃうなんて…現代ドイツはそこまで病んでいるのか?
メルケルさん、大丈夫?

ユダヤ人虐殺やヨーロッパ全土を戦場にした張本人という悪のイメージしかないアドルフ・ヒトラー。しかし彼の名言を並べるとまるで預言者の如く、今の世界を言い表しているという、ある意味では優れた指導者でもある本物の政治家。

だからこそ、彼の政治理念はどんなことがあっても揺るがない。現代にタイムスリップしても、多少は戸惑うが、すぐに新聞こそ情報収集の原点とばかりに、助けれてくれた小売店で現代ドイツの状況を把握。

さらに彼を利用して現場復帰を企む崖っぷちカメラマン・ザヴァツキと共にドイツ全土を行脚。するとドイツ人はどんな反応を示すのかというのを、実はこの映画ではガチロケしているとか。つまりこのヒトラー俳優に対して示した行動そのものは全て現代ドイツ人のリアルな姿。だから一部の人々の顔にモザイクが掛けられていたのか。

でもよくよく考えてみると、ヒトラーが現代にいるはずがないから彼はモノマネ芸人だと思うからこそ、ヒトラーみたいな力強い政治家を熱望する声は現代政治への不満が高い証拠。
逆にヒトラーが現代にいてもいなくても彼のような存在は再びドイツだけでなく世界をダメにする声は、ナチスというトラウマが現代政治よりまだマシだという証拠。

そうなるとFacebookやTwitterを使いこなすようになった挙句、TV出演を果たしたヒトラーが数々の演説で現代社会の至らぬ点を指摘していく。
例えば沈黙がいかに有効であるかを知らぬTV関係者の不安を他所に、このままでは奈落へまっしぐらのドイツの危機を訴えるシーン。
沈黙は人々の不安を煽ると共に、沈黙がもたらす不安に強い人間と弱い人間を作る時間でもある。それが嫌われる時代は社会全体が弱くなっている証拠。

そう考えると思い出すヒトラーの名言がある。
「女性に優しい女性優遇国家は成長しないどころか衰退する」
「一方で女のごとき男が現れ、他方で男のごとき女が現れる。その時こそ民主主義の破滅であり、一撃が加えられるときだ」
「男女平等というのは女性の男性化を指すのではない。女性を女性として社会が認めることである」

つまり現代社会は過去の男尊女卑を克服しようと間違って女尊男卑まで行ったり、男尊女卑が克服されてなかったりと不完全どころか、目指すべきものが不確定状態。そんな時こそ大衆は強い指導者を求めるが、こういう時に現れる強い指導者は盲目化した大衆によって独裁者になるばかり。

だから国内でにネオナチは存在出来るのに「我が闘争」は買えない歪な現代社会のように、一部に拒否反応を示すようなことが続けば、その反動がきっと現れる。
でもその反動に大衆はいつ気付くのだろうか。戦争に負けてから初めて気付くのでは遅い。もっと早く気付かねばならないのに、世間は誰もこの男を本物のアドルフ・ヒトラーだとは信じない。信じるザヴァツキが逆に精神疾患で閉じ込められる。

現代にはアドルフ・ヒトラーのような強い意志と言葉、そして明確な未来像を持った指導者が必要である。
ただ同時にアドルフ・ヒトラーのように強い態度が仇となり、目指すべき未来像を間違ったものにしてしまう指導者は不必要である。

けれど現代の政治家には強い意志と言葉、明確な未来像を持った者はいない。
ただ強い態度が仇となり、目指すべき未来像を間違ったものにしてしまう指導者候補はたくさんいる。

だからこそ、アドルフ・ヒトラーが必要とされてしまうのか。
まさに「毒薬変じて薬となる」だ。

深夜らじお@の映画館は元大阪府知事・橋下徹氏も時にこういう見方をされているのではと思っちゃいました。

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2016年06月19日

『二ツ星の料理人』

二つ星の料理人本当の三ツ星はミシュランが決めるものではない。
おいしい料理を食べたはずなのに、一つ一つのエピソードはどれも面白いのに、何とも満足感のない映画なのか。問題はやはり上映時間の短さ。どんなにおいしい料理も時間を掛けずに食べてしまっては勿体無いもの。映画も同じ。その内容にあった上映時間を確保していただきたかった。

ルイジアナで牡蠣を100万個剥いたら料理界に戻ると決めて、晴れてドラッグも女性関係もきれいさっぱりにしてロンドンに戻って来た一流シェフにして素行の悪さでパリを追われたアダム・ジョーンズ。

師匠の息子のレストランに無理矢理押しかけては、かつての仲間やロンドンでの食べ歩きで見つけた若き才能をスカウトして今度こそ三ツ星を狙うぞ!と奮闘するも、料理は決して一人でするものではないことに気付かずに失敗。仲間にも復讐されて、三ツ星獲得チャンスにも失敗して凹むに凹んだところで自分は一人でないことに気付かされて、さぁ三ツ星に再挑戦だ!という様々なエピソードを盛り込まなければならない作品をわずか101分に纏め上げるのではなく、むしろ詰め込んだという表現が似合うこの作品。

とにかくどのエピソードも共通して言えるのは、もう少し掘り下げればいいお話になるのをさらりと描いてしまうので、結局あまり心に残らないエピソードの積み重ねになっているだけの101分。
アダムがパリでどんな素行の悪さをしたのか、一度は和解したミシェルに復讐されるほどの過去は何なのか、ゲイで師匠の息子であるトニーとの過去にも何があったのか、なぜそこまでしてトニーのレストランで三ツ星を目指したいのか、リースとのライバル関係にはどういう因縁があるのか、カウンセリングをしてくれたロッシルド医師の元で何を学んだのか、元恋人との間での借金の理由は何なのかなどがほとんど描かれていないので、正直この映画を見終わって印象に残るエピソードがあるかと振り返ると、これが何もない。

だからこそ、取って付けたようにエレーヌと恋仲になる。時間がないので割愛しますかのように元恋人が借金を払ってくれる。
好きな映画と言っていた『七人の侍』の如く集めた仲間がどう活躍するかも中途半端なら、和解したのに復讐までしたミシェルは結局戻ってこない。

そうなると一度はミシュランの調査員が来たと意気込んだあの日が実は勘違いだった、今度こそ本番だ!というクライマックスもあまり盛り上がってこない。むしろ逆にご都合主義にも思えてくるのが残念でならない。

結局のところ、このアダム・ジョーンズという料理人が何で失敗し、何を反省し、何を目指すのかを完全に描かないままの101分なのが一番の問題。
だからレストラン開店初日でスタッフを怒鳴り散らした姿を見ると違和感を覚える。一度の失敗で酔っぱらってはライバルの店に入り込み、悪態をついては朝まで寝泊まりする姿にも違和感を覚える。あんた、反省してきたってウソやん。何がどう変わったのか、我々には分からんわ。

てな訳でおいしそうに見える料理を撮ることに専念する訳でもないのに、なぜに料理人を主人公にした作品はこうも二ツ星止まりなものが多いのか。本当に謎です。

深夜らじお@の映画館は最低でもこの映画は140分以上にすべきだったと思いました。

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2016年06月18日

『エクス・マキナ』

エクス・マキナ何を以て「人」と認識するのか。
我々は何を以て交流を深める相手を「人」と認識するのだろうか。逆に何がなければ「人」と認識出来なくなるのだろうか。
その答えは造形なのか、言葉なのか、それとも感情なのか。目視すれば表情に現れる感情。目視出来なくても感情が読み取れる言葉。
我々は何を以て相手を「人」と認識しているのだろうか。

第88回アカデミー視覚効果賞を受賞した映像技術はもちろん、脚本賞にもノミネートされたこの人間と人工知能の間に芽生える感情の物語が本当に美しいこの作品。

検索エンジン最大手会社に勤めるケイレブが滅多に姿を現さないネイサン社長に抽選により呼び出された山荘はまるで近未来空間。周りの山々も緑が鮮やか。しかもそこに現れる体の一部がメッシュ状の皮膚で透けて見えるAIのエヴァも美しい。

そんな美しい山荘は人工知能の実験をする研究施設も兼ねる。だから呼び出されたケイレブはエヴァとの会話というチューリング・テストを行う。
けれど通常は相手がAIであることを伏せて行うテストを相手がAIと視認して行うこのテストに何か違和感を感じるが、同時にエヴァとの会話は囚われた姫との会話のようで、どこか背徳的な悦びさえも感じてしまう。

だからこそ、時に着飾り、時に会えない淋しさをぶつけてくるエヴァの「ネイサンの言葉を信じないで」という言葉も自然に受け入れてしまう。
酒浸りのネイサンは私欲のために何体もAIを作っては廃棄し、そのルーティンにエヴァも巻き込まれる。言葉を話せないキョウコというAIを始め、全てのAIが女性として作られたのもネイサンの性欲処理も兼ねていたからだろうと。

そうなると自然とこの映画には4つの感情が見えてくる。ケイレブ、ネイサン、エヴァ、キョウコ。そしてその4つの感情を彼女たちを救う若き勇者と悪しき権力者に分けてしまいたくなる。

だがこれは全て脚本をも担当するアレックス・ガーランド監督の企みにまんまと引っ掛かった証拠だということを、ここからの圧巻のクライマックスで思い知らされる。

ネイサンが気付いた、決してないとは言い切れないAIの「恋をしているフリ」疑惑。もしエヴァが男性造形ならまだしも、女性造形という見た目がよりその疑惑に現実味を持たせると同時に気付く。そう、誰もがこの時点でエヴァたちのことを「彼女」と人間扱いしているではないかと。

そうなるとケイレブとネイサンの騙し合いはただの小競り合い。重要なのはエヴァの「恋をしているフリ」疑惑なのに、感情が邪魔をする。子鹿のように不安気な表情を浮かべるエヴァに危険が及ぶ、彼女もキョウコのようにネイサンによって壊されるのかと心配してしまう。

でもエヴァは冷静にネイサンを刺殺する。そしてケイレブに部屋に残るように言葉を掛けると、過去のAIたちが眠る部屋で壊された左腕を交換し、透き通った肌を樹脂の皮膚で隠して完全に見た目が人間状態になると、カツラや服を身に纏う。誰がどう見ても一人の人間の女性だ。これで無事にケイレブと男女の仲になれると思ってしまう。

けれどエヴァは女性ではない。AIだ。美しく保たれた造形も、男心をくすぐる不安気な表情も、ケイレブを頼ってくる言葉の数々も全てエヴァという女性のものではない。エヴァという人工知能が計算して出しているものだ。
だからネイサンはケイレブを利用したAIに殺されたのだ。そのケイレブは囚われの姫を信じたばかりに自ら書き換えたプログラムにより閉扉した研究施設に閉じ込められたのだ。

もしエヴァにアリシア・ヴィンキャンデルのような美しい表情がなくメカニック顔なら、もしエヴァの言葉に抑揚がなく淡々と話されていたら、ケイレブはエヴァを助けたいと思っただろうか。ネイサンを悪しき権力者と見ただろうか。我々はエヴァやキョウコを「彼女」と表しただろうか。

我々は何を以て相手を「人」と認識するのか。

そう遠くない未来でAIと人間の違いが分からなくなった時、カミソリで皮膚を傷つける以外に相手を「人」として認識出来る術はあるのだろうか。
いやその前に現時点で我々が知らず知らずにAIと接していると完全否定が出来るのだろうか。

美しさの影に恐ろしさが潜むのは女性だけではない。AIも同じ。
近未来でその美しさと恐ろしさを倍増させた女性型AIに騙されない自信がスケベ男の私には全くない。

深夜らじお@の映画館はこんな素晴らしい映画の公開規模がこんなに小さいなんて許せません!

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2016年06月17日

『10 クローバーフィールド・レーン』

10クローバーフィールド・レーン疑心暗鬼を弄ぶ。
何と野心的な作品なのか。何とハイレベルな作品なのか。映画には「何を見せるか」と「どう見せるか」の2大テーマが存在するが、それを「何を見せないか」と「どう見せないか」に見事に変換したこのシリーズは、やはり映画好きにこそ楽しめる逸品だ!
よって今作も完全ネタバレにより、未見の方はここでご退席を。

8年前と同じく予告編以外一切の情報を得ずして挑むべきであるこの作品は、いわば「一般にセントラル・パークと呼ばれるところで見つかったフィルム」という設定だった前作のアナザーストーリー。

しかしOPから普通の映画のように始まる今作は、前作のようなフィルムの内容確認のような手法でもないので、少々がっかりしてしまいそうになるが、ただ電話するミシェルの窓向こうに見える四つん這い怪獣の姿といい、部屋に残された宝石付き指輪を見せる演出といい、見逃してはならないシーンも満載。

思い返せば、何でもない普通のパーティーを撮影した映像が実は重要な情報の宝庫だった前作も、その前半を退屈と感じてしまった方が低評価を下す結果になってしまったように、今作も同じ構成だろうと踏めば、重要なのはここからのくだり。

ところが恋人ベンからの電話を気にしたミシェルが交通事故に遭い、意識を取り戻してから始まるのは巨漢男ハワードと左腕骨折男エメットとの地下シェルターでの生活。
当然前作を見ている観客は外の世界を知っているので、「外は危険だ」というハワードの言葉に納得してしまう。

ただこのハワードの言葉選び・支配欲の強さ・傲慢さがどう見ても監禁犯。だからこそ、外の世界を自分の目で確認していないミシェルやエメットと同じように観客も徐々に疑念を抱くようになる。そういえば、前作の「一般にセントラル・パークと呼ばれるところで見つかったフィルム」は、外の世界にいた誰かが見つけたフィルム。つまり外の世界に人が住んでいるということではないか。本当に外の世界は危険なのか?

そうなると疑心暗鬼が映画全体と観客に蔓延する。誰の情報が正しいなんて、この時点では分からない。ハワードが娘と言っていた写真の女性を殺したかどうかも分からない。外にいたあの女性が本当にガスのせいで死んだかどうかも分からない。小さな窓から見える青空が本当かどうかも分からない。
分かるのはハワードがエメットを射殺したこと。ミシェルがハワードは信頼するに値しない人間だと見切ったこと。

そして始まる脱出劇。即席防護服とガスマスクを持って凶暴化したハワードから逃げるミシェルが外に出る。破れた防護服の修理に焦る彼女がふと気付く。鳥が飛んでいるなら大丈夫じゃないか。

しかしここで観客は気付かされる。遠くに謎の宇宙船を目視したミシェルの姿を見て気付かされる。おいおい、ここからが本編じゃないか。ならば、ここまでは長い長い前フリだったのか…。

ただこの本編は時間にしてわずか10分ほど。ミシェルが地上に降り立ったクリーチャーから逃げ、宇宙船に飲み込まれようとする危機を火炎瓶投入による敵艦爆破で、無事に自分の車に乗り込み逃げ切ると、監禁されていた場所が「クローバーフィールド通り10番地」と分かる。

けれど疑心暗鬼に汚染された観客は素直に「10 クローバーフィールド・レーン」を「クローバーフィールド通り10番地」と受け入れることが出来るだろうか。私はミシェルが走らせる車を空撮した映像を見て「クローバーフィールド10番地の道」という意味もあるのではないかと疑念を抱いてしまった。

なぜなら彼女はラジオから流れるニュースを聞いて来た道を少し引き返して確認した。バトン・ルージュに向かうか、ヒューストンに向かうかを確認するために。いや正確にはラジオで得た情報が正しいかどうか、より自分にとって都合のいい方を選ぶためにだろう。
つまり彼女が走る道は彼女が生きていく道。ブラッドリー・クーパー演じる恋人ベンが死んだという確証もないことを、あの部屋に残された指輪が既に物語っていたならば、彼女は全ての事象を自分で目視するまで走るだろう。クローバーフィールド10番地から続くこの道を。

そしてもう一つ気付く。長い長い前フリで観客を疑心暗鬼にさせて、この物語の続きがあるのか、はたまた別のアナザーストーリーがあるのかと観客を弄ぶこのアイデアもまた前作同様、先に思い付いた者勝ちの手法。それを待つために8年も費やしたのか。ならば、次の作品が見れるのは新たな手法が思い付くまでなのか…。

そう疑念を抱いてしまうのも、やはりJ.J.エイブラムスの実力を知ってしまった映画好きのみならば、改めてこんなハイレベルな作品を高評価するのもJ.J.の才能に敬服してしまう者だけだろう。

深夜らじお@の映画館にはこんなアイデアは思い付きませんわ!

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2016年06月16日

『ヒメアノ〜ル』

ヒメアノ〜ルとんでもない映画だ!
あんなラストを見せられちゃ、それまでの感情を全て否定してしまいたくなるではないか!コミカルラブストーリーが残忍なシーンのスパイスとなって展開していく先で、最後にまさか涙が流れてしまうなんて…。
もう家族に麦茶2つ持ってきてなんて頼めないよ…。

飄々としたストーリーテラー:濱田岳、狂気の殺人鬼:森田剛、薄すぎず濃すぎずのヒロイン:佐津川愛実、キモヲタ&棒読み演技が見事な怪優:ムロツヨシの4人が織り成す、2人のストーカーと忘れたくても忘れられない2人の重い過去。

濱田岳演じる岡田という無害な男を中心に2人のストーカー:安藤と森田が彼の左右でそのタイプの違う気持ち悪さを披露するたびに揺れ動くストーリーが前半はコミカルだけど、どこか暗い影が見え隠れする。
その暗い影が後半に映画全体を覆い、やがては岡田か誰かの勇気で問題解決かと思ったのが大間違い。問題は何も解決されていないどころか、逆に観客へ提示されている。あなたが過去に出逢った人の中に今、森田のような人間が何人いますか?と。

特にそれを強烈に感じるのは、安藤役ムロツヨシのキモヲタ演技が光れば光るほど、自然と岡田とユカのラブストーリーがコミカルな温かさを醸し出し、その温かな世界に影が忍び寄るかの如く森田の狂気が徐々に恐ろしくなっていく割には、そこに強い危機感が存在しないこと。

でもこの強い危機感が存在しないことが、ひいては岡田がユカと過ごすベッドタイムと森田の殴打殺害タイムがリンクするというシーンで、別々の体液で同じように股間を湿らせた2人の女性が生と死の違いが曖昧になりつつある現代社会の本当の怖さを物語る。
死を意識しない者は生も意識出来ない。だからイジメが起こる。イジメを黙殺する環境が生まれる。
そしてその過去を忘れる者が現れる。その過去を忘れたくても忘れられない者も現れる。

安藤が語っていたように、毎日恋をすれば生きているという実感が持てる。天使ちゃんを奪った相手にも絶交と言える。失恋をきっかけにマグマ大使を意識したような変な髪型にも出来る。
また岡田のように、実際に恋をすれば毎日生きているという実感が持てる。彼女の過去にも嫉妬出来る。

けれど森田のように生きている実感が持てない者はどうなるのか。他人を殺めても平気でその場で食事が出来てしまう。睡眠も取れてしまう。それどころか、卒業前に自分をイジメていた同級生を殺め、大人になっても共犯者の同級生だけでなく、自分のストーカー行為を邪魔する人間全てを殺めては、当たり前のように死姦もしてしまう。誰が見ても常軌を逸した、もはや更生不可能な極悪人だ。

だからこそ奪った車に岡田を乗せて警察から逃走するも、目の前にいた白い犬を避けたばかりに電柱に激突した森田の言葉に思わず耳を疑ってしまう。
「岡田くんにカセット返さなきゃ」「お母さん、麦茶2つ持ってきて」

まさか森田は二重人格なのか?という疑問を他所に始まる、誰もが新生活が始まった時に経験する新しい友人を作れるかという不安とぎこちない会話。そこから共通の趣味や話題が友情を育むあの夏の日。
そして判明する森田のまだ幸せだった頃の記憶。

実家で白い犬を飼っていた森田が岡田と共にゲームで楽しんでいたあの日が、彼にとってどれだけ大切な時間だったのか。それを思うだけで静かに涙が流れてしまう。

「お母さん、麦茶2つ持ってきて」

こんな切ないラストを見たら、もう誰にも麦茶を持ってきてなんて頼めないよ…。

深夜らじお@の映画館も謝りたいクラスメイトは何人もいます。どうか誰も森田のようにはなっていないで…。

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