2018年06月

2018年06月30日

7月戦線映画あり!

困った!困った!コマドリ姉妹…。まさに島木譲二兄貴のこの名セリフの如く、見たい映画が少なすぎる!夏映画の季節なのに少なすぎる!という異常事態に陥っている7月。
暑い時こそ映画館で涼みながらというのが贅沢なのに、見たい映画がなければ映画館に入る理由もなくなってしまうではあ〜りませんか!
てな訳でそんなチューイングボン♪な7月の注目作をピックアップです。

【7/6〜】
●『セラヴィ!』
『最強のふたり』の監督最新作だそうです。
●『バトル・オブ・セクシーズ』
テニスの女子チャンピオン、男子チャンピオンに挑戦す!という実話。

【7/7〜】
●『エヴァ』
イザベル・ユペール様、最近こんな役ばっかり?
●『菊とギロチン』
瀬々敬久監督最新作。大正末期の女相撲一座の青春群像劇。
●『REVENGE リベンジ』
女性監督がこんな恐ろしい映画を撮ったのか!
●『ルームロンダリング』
未練たらたらな幽霊のお悩み解決いたします。

【7/13〜】
●『ジュラシック・ワールド/炎の王国』
このシリーズ、まだまだ引っ張りますなぁ〜。

【7/20〜】
●『未来のミライ』
細田守監督、最新作。

【7/21〜】
●『悲しみに、こんにちは』
2018年アカデミー賞スペイン代表。

【7/27〜】
●『ウィンド・リバー』
テイラー・シェリダン、初の監督作品!


てな訳で7月の注目作は
『ジュラシック・ワールド/炎の王国』
『未来のミライ』
『ウィンド・リバー』

深夜らじお@の映画館は7月をどう過ごしましょうか?

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acideigakan at 17:02|PermalinkComments(2)clip!映画予告編 

2018年06月29日

『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』

ハン・ソロもっと冒険しようぜ!
ハン・ソロとチューバッカはどのように出会い、銀河一の「無法者・ならず者」と称されるようになったのか。それを期待した者にとっては、あまりにも地味すぎる作品だ。
やはりロン・ハワード監督では畑違いだったのではないだろうか。それとも『ローグ・ワン』が素晴らしすぎたのか…。

ハリソン・フォードの代名詞でもあるハン・ソロは、誰もが認めるアウトローでありながら、その心根はまさしく愛する者を守り抜くヒーローである。だからこそ、彼は世代を超えて、国境を越えて多くのファンから未だに愛されるキャラであり続けるのだ。

そんな彼が無二の相棒チューバッカとどのように出会い、また彼の愛機ミレニアム・ファルコン号をどのようにして手に入れたのかも、誰もが気になる歴史ではあるものの、当然そこには誰もが「冒険」という要素を期待しているはずだ。

しかしこの作品にはその「冒険」という要素がとてつもなく弱い。厳しい表現を用いるなら「ただ描いている」だけだ。
だからドキドキもなければ、ワクワクもない。危ない橋を何度も渡り、ハッタリと機転と友情と愛情で修羅場を何度も潜り抜けてきたというものが地味な演出でしか描かれていないので、ハン・ソロの映画を見ているはずなのに、ハン・ソロの映画を見ているように思えなくなることも何度もあるのだ。

またコレリアでの恋人キーラとの脱走シーンも暗く青みがかった映像で決して見易いとは言えない。帝国軍の歩兵として恩師ベケットと出逢うくだりも映像が暗くて見易いとは言えない。そしてミレニアム・ファルコン号でコクアシウムを掻っ攫いに行くシーンもやはり映像が暗いなど、冒険を描いた作品であるにも関わらず、ロン・ハワード監督の演出はそれにあたらずなのも残念なところ。

さらに義賊エンフィス・ネストとの協力関係や犯罪組織の親玉ドライデン・ヴォスへの裏切りなどでハン・ソロの活躍を見せるのも、「銀河一のパイロットになる」と何度も言葉にしていた彼の格好良さを描くなら、やはり操縦シーンでその活躍を見せて欲しかった。

ただこの作品はシリーズ化されるようなので、謎の過去がさらに気になるキーラがなぜにダース・モールとコネクトを持っているかなどは、これから明かされていくのだろう。

その時には今作では不発だったアンドロイドによるコメディ担当シーンも修正していただきたい。R2-D2やBB-8のような可愛らしいドロイドも登場してほしい。
そして何よりも「May the Force be with You.」を是非聞かせていただきたい。

やはり「スター・ウォーズ・ストーリー」と銘打つ以上、そこには宇宙を狭しと駆け回る冒険と個性豊かなアンドロイドに加え、「フォースと共にあらんことを…」のセリフがないと締まらないので。

てな訳でソロに撃ち殺されたベケットが言っていたタトゥーイン改めタトゥイーンにはいったい何があるのか。そしてキーラとの関係をどのように清算するのか。
今度こそハン・ソロとチューバッカとミレニアム・ファルコン号には「冒険」をさせて欲しい。

そのためにもロン・ハワード監督ではなく、J.J.エイブラムス監督の再登場を願います!

深夜らじお@の映画館はハン・ソロの銃の撃ち方をそのまま再現したオールデン・エアエンライクのハン・ソロ役は申し分ないと思いますが、ダース・モール役はレイ・パークのままなのかな?

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2018年06月28日

『オンリー・ザ・ブレイブ』

オンリー・ザ・ブレイブネタバレの構成でも良かったのでは?
森林火災に戦いを挑む消防の精鋭部隊を描く映画でありながら、重きを置いているのは若き隊員と頼れるリーダーの人間ドラマであって、山火事に対する消火活動ではない。
だからこそ、あの結末は衝撃的ではあるが、涙を流すほどではなかったのが残念無念。

端的にいえば、山火事版『バックドラフト』とも言えるこの作品で描かれるのは、大陸国なうえに乾燥した広大な土地を擁するアメリカで、森林火災といった山火事の消防活動に挑む男たちの話。

しかし消火活動ではなく消防活動。つまり火を消す作業ではなく、延焼を最小限に収めるための活動なので、溝を掘って炎の進路を塞いだり、こちらから木々を燃やして先に「燃料源」を枯渇させるといった、映画的には地味な活動ばかり。

しかも放火犯を追うというストーリーも兼ねていた『バックドラフト』や『リベラ・メ』とは違い、先の読めないエンターテインメント作品でもない人間ドラマの作品であることに加え、建物火災のように人やモノへの延焼といった直接的な被害が分かり易い形では描かれている作品でもないので、これまでの消防士を描いた作品と同じ様に見てしまうと、恐らく物足りなさを感じてしまうのではないだろうか。

さらに気になるのが、あの結末だろう。
ここからはネタバレになってしまうが、若き隊員であるブレンダン以外全員が帰らぬ人になってしまったという史実を、個人的にはOPで先に描いても良かったのでは?と思えてしまった。

要は『プライベート・ライアン』などのような回想録で語られるタイプの構成だ。
これならこの史実を知らない者でも、結末が分かっているだけに大いに泣けたのではないのかと。ベタな構成ではあるが、案外この手の話ならこれでも良かったのではないかと。

多くの方がこの映画に涙したという感想が溢れているようだが、個人的にはブレンダンの成長物語なのか、それともエリックを始めとする「ホットショット」の日常を描いた物語なのか、焦点をもう少し絞っても良かったのでは?と思えてしまった。

それは恐らく私が『バックドラフト』や『リベラ・メ』のような作品を期待したからだろう。まさかブレンダンが一人取り残されて全員殉職なんて想像もしていなかっただけに、その衝撃の大きさだけが逆に凄く印象に残ったこともあったかと思われる。

炎は怖くない。
恐れるのは、愛する人の涙だけ。

このキャッチコピーを見てら、やはりヒーローたちは全員帰還すると思っちゃいますよね。

深夜らじお@の映画館は改めてアメリカという国が大陸国であることを痛感しました。日本ではこんな広大な山火事は滅多にありませんから。

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2018年06月21日

『空飛ぶタイヤ』

空飛ぶタイヤ120分では物足りない!
さすが池井戸潤先生原作の面白さだ。少しずつしか進まない物語の展開といい、魅力的なキャラクターたちの掛け合いといい、どれも面白いうえに、赤松社長を演じる長瀬智也がとにかく男気溢れるほどに格好いい!
ただ熱のない演出と120分の尺では、物足りないという感想が強く残ってしまうのが残念無念。

とある主婦の命を奪ったトラックの脱輪事故は整備不良だったのか。経営の基本は社員を大事にすることを是とする赤松社長は悩む。
しかしどこまでも社員を信じる熱い男である彼は、この若き社長を慕う赤松運送の社員たちからの情報を基に一つの結論に辿り着く。これはトラックの構造上の欠陥による事故、いや事件ではないのかと。

製造元のホープ自動車はリコール隠しをしている。これに赤松運送からのクレーム担当にあたっていた販売部の沢田課長も気付き始める。小牧や杉本といった社内で信用の出来る仲間からの情報を集めるも、人命よりも利益を優先する大企業の内部には厚い壁が何枚も立ちはだかり、リコール隠しという事実を隠蔽しようとしている。

大企業に対し、外側から戦いを挑む熱き男・赤松社長と、内部から戦いを挑む冷静な男・沢田課長。先の展開も読めない、様々な登場人物も入り乱れる。そんな池井戸潤先生の世界観は、やはり「半沢直樹」などと同様にじっくりと見たくなるものだ。

だがこの映画の尺は120分。あまりにも短すぎる。
せめて180分。本音をいえば、連続ドラマで見せてほしい。

そう、池井戸潤作品は映像化すれば見応えのある作品に昇華するからこそ、逆に本木克英監督の冷静に見せる演出は120分で見せ切る映画には似合わない。この手の演出で見せるなら、やはり3時間越え、もしくは連続ドラマだ。

特にそれを強く感じるのは、整備不良を疑われ、仕事が激減していく赤松運送に倒産寸前という空気が全く感じられないうえに、赤松社長が調査のため社用車で全国を飛び回る資金もどこから捻出したのかも不明のままなことや、沢田課長が人事異動による村八分を受けても閉塞感が感じられないうえに、証拠集めのために犯罪スレスレのことをしてもスリリングな空気が流れないことといった、彼らが追い込まれていくという怖さがなかったことだろう。

また被害者遺族の柚木が、警察や国交省といった公的機関が赤松運送の整備不良を認めていない状況下で民事訴訟を起こすというのも、全てを描き切れていないこの映画においては逆に話の腰折りにも見えてしまう。

さらにその陰の活躍がほとんど描かれていなかったホープ銀行の融資審査担当・井崎に関しては、元彼女でもある記者の榎本から情報を得ているとはいえ、最終的には上司である濱中の方が見事な根回しという陰の大活躍をしていたとしか見えなかったのも残念。

つまりこの映画は尺と演出のバランスがよろしくないのだ。確かに面白い作品ではあるが、それは原作が面白いのであって、映画はその面白さをどこまで引き出せているかという面において、やはりこの映画の場合は物足りないという答えにしか辿り着かないのだ。

短い尺には短い尺用の演出がある。あざとさ、熱のある演出、細かい編集、必要最小限の人物への焦点。それらが面白い作品を面白い映画にするのだ。

だがこの映画における演出は長い尺用のもの。じっくりと見せるという演出は、3時間越えの映画や連続ドラマでこそ、その威力が存分に発揮される。

赤松運送に対する銀行融資で2行が火花を散らすシーンも、もっと見たい。
群馬の野村や富山の相沢が赤松にその想いを託すというシーンも、もっと見たい。

外から戦う赤松、内から戦う沢田、陰から戦う井崎。その3者の想いが結実する一点を満を持して迎えるというよりも、唐突にホープ自動車への捜査で大逆転劇を迎えるというのも、何だか勿体無いというか、物足りない。

やはり池井戸潤作品は短い尺である単発映画には不向きなのだろう。

けれど、そんな映画の中で一際目立っていた熱き男を熱演した俳優・長瀬智也を見て思う。
見た目以上に中身が格好いい、まさに男が惚れる男。そんな社長と一緒に働ける人生を歩みたい!

深夜らじお@の映画館は先日の加計学園広報担当者の地元記者以外お断りの態度や昨今の日本大学の悪質タックル問題に対する態度を見ていると、どうしても彼らがホープ自動車社員のように見えてしまいます。

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2018年06月20日

『ワンダー 君は太陽』

ワンダー一歩踏み出す。その勇気が宇宙を変える。
他人と違う。それだけで悩む少年がいる。手の掛からない子。そんな親の期待で悩む姉がいる。過ちを犯した。そのことに悩む友人がいる。自分にはない魅力。それに気付いて悩む親友がいる。
これは難病モノでもなければ、一人の少年の成長物語でもない。正しさよりも優しさを選ぶ物語だ。

『スター・ウォーズ』をこよなく愛する10歳のオギーは学校に通ったことがない。その理由は遺伝子の先天性疾患による顔の変形で27回に及ぶ手術を経験してきたからだ。
本人曰く「マシになった」とはいえ、宇宙飛行士のヘルメットを脱げば好奇の目に晒される環境は、その小さな身体にはあまりにも過酷な現実だ。

だが彼は時に悲観しながらもユーモアは決して忘れない。周囲の悪意ある言葉よりも大好きな理科の授業を聞くことを優先する。
意志の強い母親と、ユーモアを忘れない父親、いつも隣にいてくれる姉と愛犬と暮してきた10年がそうさせるのか、彼は周囲の好奇や悪意の目と闘うというよりも、状況が好転するまで静かにいつも通りの生活をしているかのようだ。

一方でこの映画はオギーを物語の主軸に置きながら、弟優先の家庭で手の掛からない姉を演じてきたヴィア、オギーにとって初めての友達になったジャック・ウィル、ヴィアとの間に溝を作ってしまったミランダの視点でも語られる。

そこには言葉に出せない想い、行動に移すことに勇気が必要とされる想いが様々な形で描かれている。

例えば演劇部で出逢ったジャスティンに一人っ子だと嘘をついてしまったヴィアは決して弟を恥ずかしいとは思ったことなど一度もないはず。でも祖母がいない今、親の愛を求めてもいいのか。その答えに辿り着いた時、彼女はどれだけの勇気を振り絞って一歩を踏み出したのだろう。

また周囲の目など気にせず、オギーに手を差し伸べたジャック・ウィルも、どれだけの勇気を振り絞って一歩踏み出したのだろう。
ヴィアになり切ることで不遇な家庭環境から脱したことで親友に引け目を感じたミランダも、どれだけの勇気を振り絞って主役を譲るという一歩を踏み出したのだろう。

けれど実際にその立場にいると誰もが分かるはず。勇気を振り絞って一歩踏み出すことなど何も難しくはない。ただ「当たり前のことをしただけ」なのだからと。

見た目が他人と違う。それの何が悪い。
子供として親の愛を求める。それの何が悪い。
独りぼっちのクラスメイトに話し掛ける。それの何が悪い。
親友の家庭で本当の家族愛を知る。それの何が悪い。

人は誰でも過ちを犯す。卑屈になること、親に甘えないこと、悪口を言ってしまったこと、疎遠になったこと。
でもその過ちを認め、前に進む勇気を振り絞るタイミングさえ間違えなければ、人は誰だって楽しい人生を送ることが出来るはず。

そのタイミングを間違えると、ジュリアンのように人生で大きな後悔を経験してしまうのだ。
ただ彼の場合はあの両親に育てられたことが人生の一番の不幸でもあるが。

そういう意味では、付き合いの長いミランダだけでなく、ジャスティンもジャック・ウィルも足繁く通う温かな家庭を築き上げたこのイザベルとネートという夫婦は、これぞ親の鑑。
厳しさと優しさの意味を履き違えず、子供の成長を静かに見守り受け入れていく。

まさに「この親にしてこの子あり」の作品でした。

深夜らじお@の映画館は現実的厳しさの少ない世界観でもこの映画が好きです。

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2018年06月18日

『私はあなたのニグロではない』

私はあなたのニグロではない人種差別はなくならないのか。
アメリカが建国以来抱えている人種問題。特に白人による黒人差別問題はどうして解決への道を歩めないのか。
ジェームズ・ボールドウィンの30頁に及ぶ未完の原稿を基に作られたこのドキュメンタリー映画を見て思う。我々日本人が思っている以上に、アメリカの人種問題は解決など期待出来ないと。

「Remenber this House」というジェームズ・ボールドウィンの未完の作品は、彼の友人でもある3人の公民権運動家をテーマにしている。
メドガー・エヴァーズ、マーティン・ルーサー・キングJr.、そしてマルコムX。

奴隷としてアフリカから強制連行され、その奴隷制度が終わると白人とは区分けされる生活を強制され、法律の上では自由と平等が保証されていても、実生活においては、例えバラク・オバマ氏が黒人初の大統領に就任したといえども、その差別は根絶されることのないアメリカという先進国。

そのアメリカで黒人の地位向上を目指して闘っていた彼らを通して、ジェームズ・ボールドウィンが様々な疑問を投げ掛ける。様々な無知と無関心が生んだ無意識の差別を露にしていく。怒りを静かに知的な手法で表現していく。
だからこの映画には我々が気付いていなかった様々な事実が描かれている。

例えば過去の映画を例に出したものでいえば、『夜の大走査線』でのシドニー・ポワチエは白人から見た理想の黒人を演じている。『駅馬車』では先住民族が野蛮な悪党として殺されている。夢のような恋愛映画の主役は白人である。
これらは全て我々が接してきたアメリカ映画の当たり前に隠されていた差別。

また「多くの白人はニグロを敵視していない」「黒人である前に人間だ」「アメリカはもはや奴隷として使えない黒人をどうしたらいいのか分からないのだ」「黒人が必要な理由は?」といった、ジェームズ・ボールドウィンの数々の言葉が様々なニュース映像と共に映し出されると、自然と疑問に思えてくるアメリカ社会における黒人の存在意義。
白人と同じアメリカ国民であるはずなのに、白人はなぜ黒人を同胞として扱わないのか。

差別する方が悪い。これだけでは問題は何も解決しない。差別する白人側の意見がピックアップされたうえで、問題の本質がいつの間にかすり替えられてしまうからだ。

ではどうすれば差別はなくなるのか。ジェームズ・ボールドウィンは無知と無関心が問題の本質だと主張する。無知と無関心が白人に「恐怖」を生むと分析する。

確かに黒人の少女が白人ばかりの高校に登校するだけのことに、白人たちが彼女に唾を吐き掛ける意味を考えると、最終的には無知と無関心が生む恐怖に辿り着くだろう。
白人だらけの自分たちの生活に黒人という余所者が入ってくる。その余所者を理解しようとしない連中が「恐怖」を「暴力・暴言」にすり替える。それも無意識のうちに。

メドガー・エヴァーズも、マーティン・ルーサー・キングJr.も、マルコムXも、白人を駆逐して黒人だけのアメリカを目指してはいない。黒人が白人を差別する社会も目指していない。
ただ「我々は黒人である前に人間だ」と訴えているだけであり、それを白人が理解出来ていないだけ。そして互いを憎しみ合う時間の長さが、やがて黒人側にも無知と無関心が生む恐怖をもたらしている。

無知と無関心が生む恐怖は人類の歴史において、常に悲劇しか生み出してこなかった。
ナチスによるユダヤ民族の大量虐殺も、日本社会における部落問題も、現代世界における自国ファースト主義も。

そんな時代だからこそ、改めてジェームズ・ボールドウィンの投げ掛けた言葉が意味を持つ。

向き合っても変わらないこともある。
だが向き合わずに変えることはできない。

この言葉をアメリカの全国民が、地球上に住まう全人類が理解出来る日など、果たして来るのだろうか。

深夜らじお@の映画館には目から鱗の映画でした。

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2018年06月17日

『ニンジャバットマン』

ニンジャバットマンこの素晴らしき暴走ぶり。さあ、どう評価する?
よくぞDCコミックがこんな企画を許可したものだ!よくぞワーナーブラザーズがこんな映画を製作したものだ!そしてよくぞ神風動画がこのような素晴らしき映画を撮ってくれたものだ!
荒唐無稽でクレイジーな展開が怒涛の勢いで咲き乱れる。たったそれだけの85分。でも傑作なのだ!

「ジョジョの奇妙な冒険」のOPを手掛けた水崎淳平氏が監督を務めた本作は、バットマンやジョーカーといったゴッサムシティでお馴染みの面々が戦国時代の日本にタイムスリップするというストーリーながらも、そこから予想されるストーリーには決して収まらない展開が次々と繰り広げられる。

例えば尾張を拠点にするジョーカーに対し、ペンギンは甲斐、ポイズンアイビーは越後、デスストロークは陸奥、トゥーフェイスは近江に拠点を置くとなれば、それぞれに当てはまる戦国大名を日本人なら誰もが思い浮かべるはず。
特になぜトゥーフェイスが近江なのかは、歴史とトゥーフェイスのキャラクターを思い浮かべると確かにピッタリなのだから、これはまさに日本人にこそ楽しめる作品でもあるのだ。

また21世紀の便利グッズが使えなくなったバットマンを支える飛騨の蝙蝠忍者衆と共に行動するレッドロビンやナイトウィングは誰が見ても赤影や青影である一方で、レッドフードは虚無僧で2丁拳銃、ロビンと子猿モン吉との友情が最後にちょっと泣けるなど、キャラクター造形にも手抜きが一切ない。

さらに極めつけは、やはりゴッサムの悪党どもが各地に築いた城が変形して大型ロボットになって戦いを繰り広げるうえに最後は合体するというクレイジーな展開に対し、バットマン陣営はゴリラグロッドの猿部隊が連携して巨大猿を構成するわ、そこに蝙蝠部隊が加勢して巨大バットマンを構成するといった、もはや常識無視で奇想天外、荒唐無稽の一言では表現出来ないほどの驚愕シーンがてんこ盛りなのだ。

つまりこの映画は、何の説明もなくゴリラグロッドのタイムスリップが発動されるOPから、観客にあれこれ考える暇も、また休む暇も与えることなく、最初から最後まで怒涛の勢いで、ともすれば暴走一歩手前の勢いで突っ走る作品なのだ。

だから荒唐無稽を受け入れることが出来ず、説明を求めてしまう方には向かない作品だが、アメリカの本家がシリーズ化に成功したマーベルに対し劣勢にあるなか、続編など作る気なしでの一本勝負だ!と言わんばかりの勢いで、ベインの扱いも「どすこい!」だけで十分やねん!の潔さを携え、マーベルどころか、アメリカでも絶対に作れない領域へと昇華させたこの素晴らしさは、映画好きやアニメ好きには必見の作品だと断言出来るだろう。

バットマンシリーズをかじっている者が作った作品ではない。バットマンシリーズを知っている者が作り上げた作品だ。

ハーレイ・クイーンとキャットウーマンの対決もいい、いつの時代でも変わらぬアルフレッドの執事ぶりがいい、皆に支えてもらっているだけで主役に収まっているバットマンの隠れた情けなさも本家と変わらずでいい、そしてジョーカーがバットマンを「バッツ」と呼ぶ壊れぶりもいい。

劇画風に見せるだけでなく、唐突に絵巻物風に見せる演出など、一切の無駄がない85分に驚き、見入り、笑ってしまう。

これがジャパニメーションだ。これが日本の才能だ。これが日本映画の魅力だ。

そんな言葉を並べても言い尽くせないこの面白さ。是非劇場にてご覧あれ!

深夜らじお@の映画館は八手観音に変形する双面城がバカバカしくて好きです。

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2018年06月13日

『Vision』

Visionお帰り、河鹹照監督。
やはり河鹹照監督といえば、この手の映画だ。様々な映画サイトがその代表作を『あん』『光』ではなく、“あえて”『萌の朱雀』や『殯の森』を選んでいることに気付けば、もうお分かりだろう。
この映画は見る人を選ぶ作品だと。フランス映画のような芸術性に長けた映画だと。そして難解な映画だと。

奈良を舞台にした映画を数多く撮り、また奈良国際映画祭の主催者としても活躍されている河鹹照監督といえば、カンヌ国際映画祭の常連であり、自分の確固たる意志を持った力強さを感じる女性監督だ。

そんな河鹹照監督作品にポンヌフ橋といえばでお馴染みのフランス人女優であり、またオスカー女優でもあるジュリエット・ビノシュがなせ出演しているのかという理由は、物語を追うだけでは分からない。むしろ物語の展開上、特にフランス人である理由もないので、恐らくカンヌ国際映画祭で映画人として共鳴された結果、出演されたのではないかと思われる。

一方で、その物語は難解の一言に尽きる。幻の薬草Visionはどうなった?とか、謎の老女アキは何者?とか、時間軸が違うのか同じなのか分からない編集は何?とか、智とジャンヌと鈴はどういう関係?とか、『あん』『光』を楽しんだ感覚で見ると、もう何が何だか分からなくなるはず。

だからこの作品は『萌の朱雀』や『殯の森』の河鹹照監督作品が好きな方に向いているのだろう。理解するよりも感じると表現した方がいいのか、頭ではなく心の奥底に眠る魂で共鳴するタイプだ。

様々な方のレビューを拝読していると、物語としては輪廻転生を描いたものではないかというご意見も多い。岳とジャンヌが産み落とした子供である鈴との再会に必要だったのがジャンヌと智のベッドシーンだとか、素数は誰とも被らない「個」を表現するものだとか、1,000℃は火葬の際の温度だとか、メタファーが多い作品だけに、ご覧になられた方の数だけ解釈も多いようだ。

個人的にはアキや岳、ジャンヌの大木の前での舞を、同じ奈良でも神秘的で雨量も多く生命力に溢れる吉野を舞台に撮っていることからも、命が生まれし場所に戻ってくる物語のように思えたが、それ以上感じたこともなければ、何かしら共鳴したこともない。
最終的には難解だったの一言に尽きてしまう作品だった。

でもそれが河鹹照監督作品。これが河鹹照監督の世界。
けれど『あん』『光』ような作品も河鹹照監督の世界であって欲しいとも思えた映画でした。

深夜らじお@の映画館が撮る吉野の山奥は塵や埃さえも凄く神秘的でした。

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2018年06月11日

『羊と鋼の森』

羊と鋼の森柔らかい羊と硬い鋼が豊かな森を奏でる。
第13回本屋大賞を受賞した宮下奈都先生の原作を映画化したこの作品は、ピアノの調律師として成長していく青年を通して描かれる、その道で生きていくと覚悟を決めた者たちの静かな感動の物語。
ただ物語の展開や映画の印象が同じく本屋大賞受賞作品『舟を編む』と似ているのが残念無念。

6,000以上あるパーツを全て覚えては、ピアノ演奏者の要望に応えるべく、地道にコツコツとピアノを整えていくという、ピアノ調律師のお仕事。
とは言っても、具体的に数値で表される訳ではない音の世界の仕事なのだから、当然のことながらクライアントも感覚頼りの言葉で要望を出してくる。
だから寡黙な主人公である外村クンが悪戦苦闘するのは、仕事をしている人なら誰しもが容易に想像出来ること。

ただどんな仕事でも、そこに誰かと関わることがあれば、もちろん大事になってくるのはコミュニケーションであり、そのコミュニケーションで最も大事なのは、ニュアンスが相手に伝わるということ。
言葉では全てを言い表すことは出来ないけれど、これだけは相手には伝わって欲しいと願う、微妙な違いや感情。
それらを汲み取るにはもちろん経験が何よりも必要となってくるが、同時に必要なものは、やはり相手を理解したいと思えてくる前向きな姿勢。その姿勢を貫くことで生まれてくるのが、仕事の楽しさではないだろうか。

高校生の頃に偶然出会った板鳥さんに感銘を受けて調律師の道を歩み始めた外村クンも、親には「世界と繋がりたい」と言っていたが、実際のところは調律師になって何をしたいのかは自分でもよく分かっていなかったはず。

でも引き籠り青年の「家族の絆」だったピアノを調律し、静かな姉と活発な妹がそれぞれ違う演奏をする佐倉姉妹との出会いにより、外村クンが勘違いしてしまったのは、調律師の仕事が直接誰かを幸せにするということ。

調律師というのは、ある意味ピアノのお医者さんといったところだろう。
ならば、病気を治すのは医者ではなく患者本人であるように、最終的にピアノの音色を調整するのは調律師ではなく演奏者のはず。
つまり医者も調律師も患者や演奏者のために土台を作り上げるのが仕事。だから必要以上に出しゃばってはいけないのだ。

しかし、そうは言っても出しゃばってしまうのが、若さというもの。仕事の大変さも楽しさもまだ分かっていない若年社会人というもの。
だからこそ、若人は諸先輩方に色々と教えを乞うというよりも、色々と話を聞かなければならない。色々と話をしなければならない。

一人の人間が一生のうちに出来る失敗などは限られている。その限られた失敗だけを糧に成長していくのは限界がある。
だが人が違えば失敗の数も苦悩の数も増えるが、同時にそこから立ち直った経験も一人の時とは比べものにならないほど多くなる。
だから我々の生きる世界にはコミュニケーションが必要なのだ。ニュアンスを伝え、汲み取ることが大切なのだ。
そしてそれらを活発に行うための、前向きな姿勢も大切になってくるのだ。

恐らく特別な才能もないがマジメな外村クンは、佐倉姉ちゃんと同じく、毎日仕事に真摯に向き合っているからこそ、日々実力は上がっているが同時に目標も上がっていることに気付いていなかったのだろう。自分の視野を狭くしたことで遥か上にある自由な空に向かうことを諦め始めていたのだろう。

けれどマジメすぎるのは玉に瑕だ。時には視点を変えれば、時に真摯に向き合うことをちょっとだけやめてみれば、思いの外、視野は広くなる。そうすれば、自由な空がとても近く、しかも思った以上に大きいことにも気付くだろう。あれもこれもやってみたいという前向きな欲望で満たされる喜びを知るだろう。

辞書を編纂する人々に焦点を当てた、同じく本屋大賞受賞作品『舟を編む』と物語の構成も似ていれば、映画を見終わった感想も似ているところがあまりにも勿体無い作品だったが、抑揚のない物語と暗い映像も、大海原を撮るようにピアノ演奏者を見せるシーンと様々なピアノ楽曲で、抑揚と明るい映像を観客に想像させる演出は素晴らしいと思える映画でした。

深夜らじお@の映画館はやっぱり上白石姉妹では姉の萌音さん派です。

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2018年06月03日

『万引き家族』

万引き家族家族の絆を繋ぐもの。
血の繋がらない家族と血の繋がった家族。心の繋がった家族と心の繋がらない家族。
第71回カンヌ国際映画祭にてパルムドールを日本映画として21年ぶりに受賞した是枝裕和監督作品が問う、家族のあるべき姿。
心が休まり、慈しみの笑顔が絶えない家族の絆を繋ぐものは血縁か、金銭か、それとも…。

初枝の年金を頼りにボロ家に5人で住む甲斐性なしの治、クリーニング店で働く信代、風俗店で働く亜紀、そして就学年齢になっても学校には行っていない祥太。
年金や給与では足りない分を万引きで補填するこの家族には、家族のはずなのに妙な違和感が随所に垣間見れる。治のことを「父ちゃん」とは呼ばない祥太。初枝を「おばあちゃん」と呼んで甘えるのに、治のことは「お義兄さん」とは呼ばない亜紀。でもその亜紀を妹のように大事にする信代。

そんな家族が寒さに震え、おなかをすかせ、虐待の痕だらけの少女・ゆりを迎え入れる。新しい家族として6人で過ごすようになる。
ただそこからこの家族が疑似家族であるということが少しずつ明かされる。家族のいない初枝。その初枝の亡夫が作った不倫相手との家族の孫娘である亜紀。夫婦ではなく共犯関係にある治と信代。そして拾われてきた祥太と、ゆり改め凛。

我々が生きているこの世界に存在する3つの基準。法律、常識、人情。
その法律や常識で測れば、この家族は存在すべきでない家族だ。ゆりを家族に迎え入れることも誘拐だ。万引きも未就学も祥太には不幸なことだ。

けれど人情で測ると、一人では死にたくない初枝の家に転がり込んだ治たちは、血は繋がっていなくても、心は繋がった立派な家族だ。一緒に暮らす相手に慈しみの笑顔を絶やさない、愛に満ちた家族だ。

だからこの家族の食事シーンは常に2人以上で描かれている。また男同士だから出来る性教育にも、虐待を受けた者同士の入浴にも、名前を複数持った者同士の鏡越しの会話にも、常に大人が子供に向ける愛情で溢れている。

だが駄菓子屋の店主に「妹にはさせるな」と諭された祥太が万引きはいかなる理由があっても犯罪ではないかと疑い始めてから、この疑似家族は崩壊への道を歩み始める。祥太が凛を守るために自己犠牲の道を選んで捕まったことで疑似家族はバラバラになる。

ただこの家族には誰も祥太を責める者はいない。例え亜紀が空き家になった元我が家を訪れても、治が「普通のおじさんに戻ってもいい?」と淋しく呟いても、信代が服役しても、誰も血の繋がらない家族であるはずの祥太を責めない。

血の繋がりが余計な期待を生む。

家族の絆を繋ぐものは血縁でもなければ、金銭でもない。見えない花火をみんなで楽しんだ思い出と、相手を思い遣る慈しみの笑顔だ。自分のことよりも家族のことを優先する優しさだ。

それらを是枝監督は家族の中心である2人の母親:初枝と信代を通じて、様々な形で描き出す。
特に家族旅行で海へ出掛けたくだりでの、何か言いたげで、でも自分の中で静かに消化する死期を悟った初枝と、逮捕後に女性刑事から「産まなきゃ母親になれない」という言葉に静かに涙を流す信代は、実生活でも母親である樹木希林と安藤サクラの見事すぎる演技に圧倒されてしまう。

接見の場で祥太に拾った時の状況を話した信代は、ラムネを飲みながら祥太と歩いた時と同じように母親の顔をしていた。
祥太を見送ったバスをいつまでも追いかける治は、祥太と一緒にコロッケ入りラーメンを食べた時以上に父親の顔をしていた。

バスの中で振り返った祥太は何を思ったのだろう。
実母から虐待される日々に戻った凛改めじゅりが疑似家族に教えてもらった数え歌を歌いながらビー玉を集めていた時に見た先には、どんな未来が、希望がいるのだろう。

鑑賞中に涙が溢れる映画ではない。
けれど見終わって時間が経てば経つほど、じわじわと心に沁みてくる映画だ。
そして「スイミー」こそが家族の基本だと思い出すことが出来た映画だった。

深夜らじお@の映画館は松岡茉優さんが豊満さんであったことも忘れられませんが、膝枕をしてもらった4番さんを演じた池松壮亮さんが羨ましすぎる!

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2018年06月02日

『レディ・バード』

レディ・バード親の心、子知らず。子の心、親知らず。
特にこれといったものもない平凡な10代なのに、退屈な故郷を捨てて新天地で輝きたい。その時、親はどう思っているのかなんて、親元を離れてみなきゃ分からない。
同様に親も子と離れてみなきゃ分からない。自分の子がどれだけ物事をしっかりと考え、行動しているかなんて。

女流監督グレタ・ガーウィグの自伝的要素が満載なこの作品で描かれる女子高生クリスティンは、赤く染めた髪を振り乱し、周囲には自分のことを「レディ・バード」と呼ばせながらも、決してモテ組には属している訳でもなければ、特別成績がいい訳でもない、所謂イタい女の子だ。

でも彼女は単に背伸びしたいだけ。10代を経験した方なら誰でもが懐かしくもあり、恥ずかしくもある、特に親にこそ自分を大きく見せたいと張る見栄もないのに見栄を張り続ける、あの痛々しさを伴って青春を謳歌しているだけなのだから。

だからこそ、小気味いいテンポで進んでいく映画を見ながら思うのは、このレディ・バードという女の子は本当に中身のない高校生だと、後先考えずに行動する人間だということ。
特にOP早々から母親と喧嘩した挙句に走行中の車の助手席から飛び降りて右手にギプスを嵌めるも、それをピンク色に染めるなど、お世辞にもセンスがあるとは言い難い。

ただ故郷のサクラメントを退屈な街と決めつけ、金銭問題優先で進学先を選ぶ母親と衝突し、男選びもヘタクソなら、大事なプロムでさえも結局は親友ジュリーと過ごすことを選ぶレディ・バードは、理想通りの充実した青春時代を過ごしたと断言出来ない大人なら、大人になった今だからこそ分かることが沢山あるはず。

故郷の素晴らしさ、親の子を想う心、周囲の目を気にして選んでいた人間関係、本来の目的を見失って後悔が残ったイベント事のどれもが、自分が未熟だったがために起こるべくして起きたことだということを。

そして同時に思うのは、大人として冷静に、かつ不器用に振る舞わずに気持ちを伝えることがいかに大切かということ。片意地さえ張らなければ、新天地に向かう娘の見送りをしなかったことを後悔して空港に舞い戻る母親マリオンの姿を見てそう思ってしまう。

けれど、そんなクリスティンとマリオンという不器用な母娘だからこそ、離れてみて分かる親への感謝が、車を走らせるクリスティンとマリオンを重ね合わせるラストシーンがちょっと寂しく切なくも、でも温かく美しく見えてくる。

後先考えずに処女喪失をしちゃったレディ・バードを生き生きと、かつ痛々しくも演じ切ったシアーシャ・ローナンは間違いなく、この手の役柄では右に出る者がいないほど素晴らしい女優だろう。
そんなシアーシャ・ローナンを見るだけでも十二分に価値のある映画だ。

深夜らじお@の映画館も故郷を離れてと思い描いていた時代がありました。でも不便な片田舎も捨て難いのは、不便が逆に楽しくもあるからなんですよね〜。

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2018年06月01日

『デッドプール2』

デッドプール2ツウなネタが多すぎるよ!
無責任ヒーローを描くよりも、ミュータントたちの活躍を描くよりも、あちらこちらに散りばめられたツウなネタを楽しむだけでも十分すぎる映画じゃなイカ!
もう最初から最後までコアな映画ファンなら笑いが止まらない!でも映画ファンじゃない方はどこまで楽しめたのか。う〜ん、評価が分かれてしまうなぁ〜。

棒で体を貫通されたウルヴァリンのフィギュアで遊ぶOPから、やたらと正統派ミュータントヒーローやアベンジャーズに対抗心を燃やすかと思えば、完全なる『007』のパロディOPシーンに『フラッシュダンス』の名シーンまで混ぜ合わせたうえに、監督の紹介を「ジョン・ウィックの犬を殺した男の一人」と皮肉るという、映画ファンだけを狙ったようなコアな笑いを散りばめてくれているこの作品。

しかも未来からやってきたマシーン人間ケーブルからラッセルという小デブなミュータント少年を守るために、それが亡きヴァネッサへの愛と心に誓ったデッドプールがマトモになるのかと思いきや、そんな真っ当な期待を遠慮のない年齢制限シーンとツウなネタで見事に裏切ってくれるのがこの異色ヒーロー作品のいいところ。

特に『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のキルスティン・ダンストで遊んだかと思えば、特殊能力を持ったミュータントをオーディションして結成した「Xフォース」は落下傘降下でほぼ全滅という悪趣味な笑いでお払い箱にする始末。
ちなみに透明人間バニッシャーが電線に引っ掛かり感電したら、ありゃま!ブラッド・ピットではありませんか!というオマケつきにはビックリ!

さらに「恵まれし子らの学園」へ行けば、プロフェッサーが使用していた車椅子やらを無断使用するし、悪態をつけば隣の部屋で会議をしていたビーストやサイクロプスが扉を閉めるし、何かと「X-MEN」と名乗っても「見習い」と揶揄されるうえに、いざ戦いが始まればウルヴァリンの絵が描かれた箱に「ライアン・レイノルズ」のサインをするなど、本家『X-MEN』シリーズへの強烈でコアな皮肉ネタがやたら多いこと。

また幸運に恵まれたヒロイン:ドミノにアクションの見せ場を一任したうえで、ジャガー・ノートに身体を真っ二つにされたデッドプールが『氷の微笑』の如く、シャロン・ストーンにはない第3の足をちらほら見せながら、その再生途中の短い両足を組み替える悪趣味なシーンを見せたかと思えば、ジョシュ・ブローリン繋がりとはいえ、ケーブルをサノスと呼ぶ始末。

これだけでも十分面白いのに、ラッセル少年を救って感動的な結末を迎えるはずが、ケーブルの恩義に応えるべくタイムマシーンを修理したデッドプールが行ったのは、自分の恥ずべき過去の修正という、これまたコアなネタのオンパレード。

まさかのウルヴァリン本人が登場!で観客のテンションを上げれば、『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』の一言も話せない自分自身を葬り、レーベルは違えどヒーロー映画『グリーンランタン』に出演が決まった頃のライアン・レイノルズも葬りと、もう何でもあり。

また全身鋼鉄ロシアンミュータントへのアプローチに『セイ・エニシング』のシーンをパロったり、恋人への遅刻の言い訳にジャスティス・リーグ2大ヒーローのマザコンネタを用いたり、『アナと雪の女王』も何度もネタにしたりと分かり易いものもあれば、ケーブルが未来から現代にやって来たシーンでの田舎者男の一人が何とマット・デイモンだったという、そんなもん分かるか!というネタまで盛り沢山。

ちなみに忽那汐里がユキオ役を演じていた一方で、お馴染みのスタン・リーは今回は予告編での出演のみ。その予告編ではデッドプールに悪態つかれてましたけどね〜♪これもまたお遊びなんでしょうけど、そのスタン・リーも早く肺炎を治してね♪

深夜らじお@の映画館の鑑賞回では、私と一席空いた隣に座っていた外国人男性の笑い声だけが館内に響いていたシーンが結構ありました。

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『KANO~1931海の向こうの甲子園〜』主題歌
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