2009年03月13日

CLANNAD〜AFTER STORY〜第21話

CLANNAD21サブタイトルは「世界の終わり」
なぜに岡崎汐まで失わなければならないのでしょうか。岡崎朋也にとって、古河秋生・早苗夫婦にとって、明るい未来への希望だった岡崎渚を失って、さらに愛娘の汐まで失うなんて悲しすぎます。どうすれば朋也は幸せな家族生活を送れるのでしょうか。どうすればこれ以上悲しいことが起こらなくなるのでしょうか。神様がいるならどうか教えてください。今回もそんな想いで感極まって、またしても号泣してしまいました。

原因不明の病で衰弱していく汐が徐々に自分に時間がないことを幼いながらも悟っている様子を見るだけでも凄く心が締め付けられます。
一人娘のたった一つの願いさえ叶えてやれないと苦悩する朋也を見ているだけで、悲しさで目を背けたくなります。
芳野裕介が仕事を辞めて汐の看病に専念する朋也とドライバーを交換して復帰を待つ姿を見るだけで、秋生が朋也を「小僧」ではなく「朋也」と呼んで勇気付ける姿を見るだけで、徐々に薄れていく希望にさえ藁をも掴む想いで祈りたくなります。

渚を亡くしたあの日のようにまた降り積もる雪。雨が天の涙なら、雪はいったい何なのでしょうか?
悲しみさえも覆い隠すものでしょうか。希望さえも凍りつかせてしまうものでしょうか。それとも人を足止めして過去を降り返さようとするものでしょうか。

幼い時に瀕死状態だった渚が奇跡の生還を果たしたあの空き地が開発されたのが原因で渚が命を落としたのなら、丘がまた一つ開発され消えていくことで汐の命の灯が消えてしまうのなら、きっと開発を止めればいいだけなのかも知れません。渚や汐が光坂の街と繋がっているのなら、街を傷つけずそのままにしておけばいいだけなのかも知れません。

でもその開発でできたのは病院やショッピングモールといった人の命を紡ぐ大切な施設であり、それらができることによって助かる命がたくさんあるという事実が存在する以上、誰もその開発を止めることなどできないんですよね。命にどちらが重いなんてことはない。だからこそ消え行く命を目に前にしても自分の無力感を感じることしかできない朋也の悲しみと苦しみが私の涙腺をまたしても容赦なく崩壊させるくれるんですよ。

朋也が渚と初めて出会った時に聞いた言葉。「変わらないものなんて何もない。」
それは「大切な存在を失う」という悲しみに対しての覚悟を促すものだったのでしょうか。
「この街は好きですか?」という言葉は、渚のことだけでなく、渚を取り巻く全ての人のこと、つまりは絆を大切に思えますか?という意味だったのでしょうか。
だとしたら秋生の「この街と住人に幸あれ。」も悲しみのうえに必死に見出そうとするわずかな希望にも思えてしまいます。

大切な絆。それを理解するのに悲しみが必要というならば、どうかそんな悲しみはこれで終わりにしてほしいです。そして秋生が、早苗が、渚が、汐が願った幸せがどうか朋也に訪れることを心から願います。

深夜らじお@の映画館は大切なものを失う悲しみを一度経験しました。

acideigakan at 18:14│Comments(0)clip!京都アニメーション 

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