2010年12月09日

『評決』

評決もしかしたら…。そのわずかな正義に全てを託すポール・ニューマンが渋くて格好いい映画でした。
裁判映画としては迫力に欠ける部分は多少あれど、酔いどれ弁護士がカメラ越しに見た依頼主に一念発起して最後まで正義を貫き通す姿、そして陪審員の良心に語りかけるあの最終弁論は、まるで老ボクサーのリターンマッチを見ているかのようでした。

まず巻き添えで法律事務所を追い出された過去を持つ、今は葬儀に紛れ込んで訴訟依頼を受けようとするまでに落ちぶれたフランク・ギャルビン弁護士の、葬儀屋から疎まれ、酒に溺れ、事務所を荒らし、弁護士師匠にも見放される寸前という落ちぶれぶりをあんな短時間で見事に描き切っているところが素晴らしいです。

しかしそれ以上に素晴らしいのは彼が病院で依頼主をポラロイドカメラ越しに見て、彼の中の正義がゆっくりと再燃し始める様子を彼の表情ではなく、ポラロイド写真が出来上がっていく様だけで見せるシーン。ここには言葉にはならない、いや言葉にするまでもない「人としての正義」が詰まっているんですよね。

そしてその後のシャーロット・ランプリング演じる謎の女性ローラとの会話でもあるように、陪審員が「もしかしたら…」という正義を信じて陪審員席に座るように彼もまた「もしかしたら…」というわずかな希望とこの貫かねばならない正義に自分の復活を掛けて戦う姿がとにかく格好いいこと、渋いこと。

特に被告が教会が経営する大手病院だったり、相手弁護士が組織的に動いてきたり、頼みの綱の証言をしてくれる医師が雲隠れしたり、担当判事も好意的ではないなど劣勢に劣勢を重ねるような状況の中で、示談などの結果的勝利ではなく、正義を最後まで貫く勝利に師匠とローラとのたった3人だけで挑むあたりが何となく『ロッキー』と重なってくる部分があるんですよね。これを最後に引退するかの覚悟で、勝利よりも最後まで自分が信じたものを貫き通すというその姿が。

ただ黒人の老医師の証言やNYまで行って見つけてきた元看護士の問診票コピーが証拠採用されずに、ギャルビン弁護士の最終弁論だけで陪審員が原告勝訴を選んだのは、裁判映画として見るとちょっと説得力に欠けると思います。

でもギャルビン弁護士が信じたのは証拠採用されなくとも、判事が陪審員に証人の証言を忘れるようにと忠告しても、陪審員たちが「もしかしたら…採用されなかった証拠は病院側の圧力によって隠蔽されてしまったものではないか」と一人の人間として最後まで正義について自問自答してくれることだったのでしょう。

限りなく黒に近いものでもお金や権力によって白だと決め付けられてしまうような正義が行方不明になりかけの世の中で、最後に信じられるのは「黒じゃないなら白だろう」ではなく「白でないものは白ではない」と言い切れる「人としての」正義。
これに全てを掛けて陪審員の心に静かに訴えかけるギャルビン弁護士の最終弁論は本当に格好よかったです。

そして被告側のコンキャノン弁護士の関係者だったローラからの電話を受け取らないまま映画が終わるのもまたギャルビン弁護士が勝利ではなく正義を貫いたからこそ。
自分はこの戦いを最後に引退してもいいという覚悟で戦ったのだから、その他のことやこれからのことなど今はどうでもいい。今はただゆっくりと休みたい。
そんな彼の声が聞こえてきそうな、目先の名声や利益に惑わされずに自分の信じたものを最後まで貫き通した男の渋すぎる姿でした。

本当にポール・ニューマンの渋さが思う存分味わえる映画でした。

深夜らじお@の映画館も渋い男を目指したいです。

※お知らせとお願い
【元町映画館】に行こう!■【シネマグランプリ】受付は12/23まで!

acideigakan at 21:35│Comments(0)clip!映画レビュー【は行】 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
昨日の訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

※オススメです♪※
『KANO~1931海の向こうの甲子園〜』主題歌
ぷろふぃ〜る

にゃむばなな

Twitter始めますた
nyamu_bananaをフォローしましょう
livedoor 天気
ちょいとした広告掲載