2011年04月20日

『劇場版“文学少女”』

文学少女宮沢賢治作品の世界観を現代風に翻訳した作品。それが人気ライトノベル「“文学少女”」シリーズ。
「銀河鉄道の夜」をモチーフにした第5巻「“文学少女”と慟哭の巡礼者」をベースに映画化されたこの作品は、宮沢賢治作品を深く読解し、そしてその世界観を愛した人が「作家にして読者」の立場で作り上げた人間味のある美しさと切なさを兼ね備えた作品だと思いました。

元々はeufoniusの「遥かな日々」という曲が好きで、この曲が主題歌に使われているということで見てみたのですが、学園モノという定番設定の中にファンタジー要素でコーティングされた人間の温かさとえげつなさが見事なバランスで散りばめられたそのセンスは、かつて宮沢賢治作品を読んだ時に感じたある違和感を丁寧に説明してくれているかのようでした。

そもそも宮沢賢治作品といえば子供向けの童話としてのイメージが強いですが、ただ「注文の多い料理店」にしろ「銀河鉄道の夜」にしろ、温かみのあるファンタジーでありながら、子供心にグサッと刺さるような「えげつない切なさ」みたいな違和感があるんですよね。
まるで子供向けでありながら子供向けでないような、「何でここで切ない展開になってしまうの?」と思うような切なさ。
そしてその「えげつない切なさ」の世界観を代表した作品が「よだかの星」だと思うのです。

この映画の天野遠子のセリフでもありましたが、宮沢賢治という人は実は人との付き合いが苦手な人だったそうで、私もかつて人との付き合いが得意ではなかった頃のことを思い出すと、ふとこういう人の心の中には3つの心があるような気がしました。

1つは好きなものを深く愛する心。それは物語を愛するがゆえに文字通り紙ごと食べてしまう風変わりな天野遠子のような心。

1つは誰かのためにと思う心。それは朝倉美羽のために作家デビューし、悩み苦しみながらも天野遠子のために再び作家井上ミウとして舞い戻った井上心葉のような心。

1つは他人に嫉妬し自分の汚さを知ってしまう心。それは物語を盗み、屋上から飛び降り、井上心葉のトラウマとして存在し続ける朝倉美羽のような心。

つまり好きな世界観を書きたいから「注文の多い料理店」を書く。
誰かに楽しんでもらいたいから「銀河鉄道の夜」を書く。
でも誰かに嫉妬してしまう弱い自分がそれらの作品の中に「えげつない切なさ」という違和感を残す。
その弱い自分が「よだかの星」という作品を書いてしまう。
ただその弱い自分に立ち向かうかのように「雨ニモ負ケズ」を書く自分もいる。
それが宮沢賢治という人なのでしょう。

ですからこの映画を見てから改めて「雨ニモ負ケズ」という作品の全文読むと、宮沢賢治の自分自身との壮絶なら戦いが見えてくるような気がしました。
純粋であるがゆえに悩み苦しんでしまい、そして自分の弱さや汚さが自分の好きな世界観を汚してしまうことを人一倍恐れ、嫌う。

心葉の書く「おやつ」を絶ち、彼の好意を止めた遠子もまた自分の弱さや誰にも見せていない自分の汚さが「大好きな心葉の作品」を汚すことを嫌ったからこそ、彼の作家としての復活だけを望んだのでしょうね。
その決断は少し淋しくも感じますが、でもそれは宮沢賢治の作品だけでなく、彼の心も含めた宮沢賢治作品の世界観を愛した人だけが出きる大いなる決断だと思いました。

てな訳で宮沢賢治作品だけでなく、eufoniusの「遥かな日々」も改めて好きになってしまう温かさと切なさを感じる映画でした。

深夜らじお@の映画館はeufoniusの楽曲が大好きです。

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