2011年07月20日

『名前のない女たち』

名前のない女たち淋しがり屋たちのループ。それがアダルトビデオに関わる人たち。
AV業界で企画女優と呼ばれる女性たちにインタビューを敢行し話題になった中村淳彦先生の同名ノンフィクションを鬼才・佐藤寿保監督が映画化し、現在海外の様々な映画祭で注目を浴びているこの作品。日本ではあまり注目されていない作品ですが、これは隠れた佳作と評していい映画だと思います。

毎年2万タイトル、推定で3〜4万人の女性が働いていると言われているAV業界。一般的には廃れた仕事というイメージを持っている方が多いようですが、実際にAV女優を経験された女性たちが口にするのは「AVという仕事をやって良かった。精神的に凄く強くなった」という言葉。

その言葉の意味はこの映画を見ると凄くよく分かります。もちろんAV女優という仕事は単体女優・企画女優を問わず体力的にもハードな仕事ですし、人前で裸体を晒すことで精神的にもタフになると思われます。

しかしそれ以上にこの世界に飛び込んでくる女性のほとんどが普段の生活に夢も希望も持てず、ただ淋しがり屋な自分を認められずに生きている人間ばかりという現実に加え、そんな淋しがり屋ばかりが集まる世界での女性同士の嫉妬、世間からの差別的な眼差し、人気が下降線を辿ればハードな内容の仕事を受けるしかない厳しさ、そして使い捨てにされたと感じると自殺していく同業者たち。
こんなハードな世界で生きていれば精神的に強くなれるのは凄く納得です。

ただ普通に考えると「別にそんな世界で働かなくても…」と思われるかも知れませんが、この世界に飛び込んでくるのは「自分でない誰かになれたら面白いって思わない?」と聞かれて頷いてしまう女性たち。
自分というものを持てていなければ、その自分というものを誰にも認めてもらえていない、淋しがり屋な女性たち。

そんな女性たちを取り巻く環境、例えば桜沢ルルという芸名を持つOLの小倉純子や元ヤンの栗原綾乃を取り巻く環境を見ても、そこにいるのは夫に逃げられたアバズレな母親やAVのスカウトをしている彼氏など、淋しがり屋な人間ばかり。
そしてそんな環境で生きてきた淋しがり屋な女性たちが出演するAVを見ている男性たちも淋しがり屋な人間ばかり。

そんな淋しがり屋たちのループから逃げ出すにはどうすればいいのか。その答えは強くなること。淋しがり屋な自分でなくなること。
ゴムボートに寝転がっていても知っている人が誰もいない遠い所へは行けない。知っている人が誰もいない遠い所に行くには、心も体も全て曝け出せる仲間を見つけ、自分の足で走り出すしかない。

殺人まで犯すストーカーのヲタクファンに罵声を浴びせる純子。金目当てだと分かっていても別れられない彼氏のために金属バットを持って助けに行く綾乃。
居場所のなかった2人がビールを掛け合いながら服を下着まで全部脱ぎ捨てるあのシーン。それはまるで「何も守るものなどない」「もう何も隠すこともない」「裸一貫から頑張るしかない」という強さを身に纏った女性たちの最後の晩餐かのようでした。

時代が変われば、その仕事に就く人たちの事情も変わってくる。
なのに、営業の仕事を知らない人間が営業さんに冷たいように、販売の仕事を知らない客が販売員さんに冷たいように、AV女優の仕事を知らない人間がAV女優さんたちにまだまだ差別的な眼差しを向けているこの現実世界。
それは淋しがり屋が自分が淋しがり屋であることすら認めようとしないことから起こってしまう負のループ。

お互いの温もりを求める性行為に携わる人たちがその温もりを知らない淋しがり屋という、あまりにも皮肉なこの世界。
この淋しがり屋のループはいつか無くなるのでしょうか。

深夜らじお@の映画館もこの淋しがり屋のループに入ってしまっている一人です。

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acideigakan at 22:22│Comments(0)clip!映画レビュー【た行】 

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