2011年09月11日

『エッセンシャル・キリング』

エッセンシャル・キリングただ生きるために逃げる。ただ生きるために殺す。
ただそれだけのシンプルな映画なのに、逃げる男ムハンマドに関する情報はほとんど明かされない映画なのに、人間の「ただ生きるため」の執着心が溢れんばかりに満ち溢れている映画でした。

逃げるムハマンドを遠巻きに撮るなど、時折黒澤映画を見ているかのような感覚に陥るこの映画。
一言も話さずに逃げる主人公を演じて見事に第67回ヴェネチア国際映画祭で主演男優賞を受賞したヴィンセント・ギャロの演技や、イエジー・スコリモフスキ監督の演出に何か特別なメッセージを感じる訳ではないのですが、ただ人間の「生きること」に対する研ぎ澄まされた執着心が凄まじいのが、時に滑稽に、時に恐ろしく見てくることが異様に印象に残るんですよね。

例えばこのムハンマドはOPでの死んだ仲間の武器を奪い、息を整えることもできない精神状態のままでアメリカ兵を殺し、隠れながら逃げることもせずに敵兵に捕まる様子や、雪山で人を殺し車を奪う時の今にも泣きそうな表情を見る限りでは、別にランボーのように特殊部隊で訓練を積んできたような人物ではない、ごく普通の一兵士に見えます。

ですから彼が車両事故をきっかけに雪山を逃亡するなかで、空腹を紛らわすために蟻塚から掘り出した蟻を食べたり、木の皮を剥いでは食べたりするのも、恐らく普段の生活でも蟻を食べたり、どの木の皮なら食べられるかを知っているからなのでしょう。
計算して逃げているというよりは、研ぎ澄まされた「生きるための執着心」で呼び起こされたこれまでの経験や知識だけで生き続けている。
途中、授乳している女性の母乳を貪るくだりも本能で今の自分には母乳が一番栄養価が高いと判断して選んだようにも思えましたよ。

また盗んだ生魚に噛り付いたり、追手の軍用犬や伐採業者をナイフやチェーンソーで殺したりしながら逃げ続ける彼が空腹を満たすだけの木の実を食べている時にブルカを被った妻の幻がスクリーンに映るシーンや、耳の聞こえない女性に助けられた後に馬の背中で血を吐くシーンも、彼の「ただ生きるための執着心」が研ぎ澄まされていることを如実に現した演出なのでしょう。

本来なら回想録で描かれた妻子の元に帰りたいから逃げるはずなのに、彼にはその想い以前の、人間としての「ただ生きるため」の想いしかなかった。
空腹を満たす食事や命を繋ぐ治療により精神的に安心という緩みが出来た途端に、研ぎ澄まされた「生きるための執着心」が影を潜めたのかも知れませんね。

戦争を回避するために言葉の力を信じている現代社会に対して、まるで「言葉が戦争を生み、沈黙が平和を呼ぶ」と皮肉っているようにも思えたこの映画。
雄弁な沈黙が「言語・人種・宗教・国籍に関係なく、どの世界にいても人間は人間である。ただ生きるためならどんな人間も皆同じことをするだけのこと」と語っているような気がしましたよ。

深夜らじお@の映画館はこういう読み取る映画が大好きです。

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acideigakan at 21:50│Comments(8)clip!映画レビュー【あ行】 

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この記事へのコメント

1. Posted by にいな   2011年09月12日 18:42
凄まじい映画でした。

無用な殺生は避ける。しかし、自分の身を守るためには殺す。

ムハンマドの無言の逃亡劇。セリフはなくとも訴えるテーマと、タイトルそのものがひしひしと伝わりました。
2. Posted by にゃむばなな   2011年09月12日 22:16
にいなさんへ

人間が「ただ生きる」ことに徹すると、ここまで凄まじいことになるんですね。
そして無用な殺生を避ける姿にも、戦争の無意味さを沈黙で語っているようにも見えましたよ。
3. Posted by KLY   2011年09月13日 02:18
人間も動物なのだなと。生きる本能とは正にこのことなんだなと思いました。
そうして考えると、私たちって随分余計な(といってはナンですけど)ものを身にまとって生きているんですねぇ。
4. Posted by mezzotint   2011年09月13日 10:20
にゃむばななさん

こんにちは♪
ご無沙汰しています!
無言の逃亡劇、あっぱれでした。
情報が無いだけに、自分の中で想像が
膨らみ。面白いですね。
突然ラストを迎えるところもナイスでした。

8月のオフ会、参加出来ず残念でした。
次回は是非参加したいと思います。
5. Posted by にゃむばなな   2011年09月14日 11:25
KLYさんへ

生きるということを研ぎ澄ますと、誰もがこんな感じになるんでしょうね。
単なる逃亡劇というよりは、「ただ生きる」を通して「無駄な死」に対する皮肉が込められているようでしたよ。
6. Posted by にゃむばなな   2011年09月14日 11:28
mezzotintさんへ

観客の想像力が物語をより面白いものにする。
こういう映画もいいですよね。

オフ会はまた開催できれば、その時は是非ご参加を。
楽しみにしてます。
7. Posted by yukarin   2012年02月08日 12:59
確かに台詞がないから創造が膨らみますよね。
劇場鑑賞だったらまた違ったかなと思います。
8. Posted by にゃむばなな   2012年02月08日 14:01
yukarinさんへ

この手の映画は大きな映画館では敬遠されてしまいましからね。
でもこういう映画こそ、映画の醍醐味を味わえる作品でもあるんですけどね。

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