2013年09月18日

『無言歌』

無言歌言葉が無くても聞こえてくる悲しみの、苦しみの、絶望の歌がある。
この世の中に「恐ろしい」という感情を超えた世界があることを初めて知りました。本当の意味での絶望がどういうものかを初めて知りました。
この映画にはBGMも感動的なシーンも希望も存在しませんが、ただこの絶望を無にすることだけは絶対に避けねばならないという王兵監督の熱い思いは確実に存在していました。

1956年、後にアドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリンと共に世界三大大量殺戮者と呼ばれるようになった毛沢東が推奨した自由な発言を歓迎する「百花斉放百家争鳴」運動。
翌1957年、掌を返したように自由発言を弾圧し、一党独裁に批判的な知識人を「右派分子」と呼び、「労働改造」という名目で強制収容所に送還してきた中国共産党。

この映画で描かれるのはそんな中国共産党の横暴により、農場とは名ばかりのゴビ砂漠に送還された男たち。
しかも小説「告別夾辺溝」と過酷な強制収容所から生き延びた生存者たちの証言を元に描かれているので、どのエピソードもまるでドキュメンタリーを見ているかのような生々しさがあるんですよね。

特にそれを感じるのが食事シーン。昼は強制労働、夜は砂埃が舞う穴蔵という生活で唯一の楽しみであるはずの食事がほぼ水状態の粥。なので食事シーンにも関わらず粥をすする音しかしないんですよね。

さらに食料が乏しいからといって収容者に独自で食料調達を命じても砂漠地域で食べられるものなどわずかな草程度。飢えと寒さで毎朝誰かが死んでいる日々を送る中で、食料品の調達までままならないと人間はどういう行動を取るのか。
それが他人の嘔吐物をその場で食べる。毎日出る死人の服や布団をどこかで売ってくる。そして砂地に埋めたはずの死体を掘り起こして人肉を食べるといった、もはや人権どころか人としての尊厳すら完全に捨てた行為の数々。

しかも毎朝誰かが死んでいても泣く者はおらず、淡々と布団に包まれ運ばれていくだけ。騒ぎらしい騒ぎが起こるのは飢えのあまり死体を食べたとして罰せられる者が捕まる時だけ。

青空と砂漠の間に見える白い空が映像的には美しく見えるのに、映画的には絶望の色としか見えないそんな世界で、中盤から登場する夫を訪ねて来た妻が夫の死を知るも埋葬場所さえ記録されていない酷さに泣き叫ぶことさえも異質に感じるのは、まさにこの世界が絶望に完全支配されている何よりもの証拠。

真夜中に師匠を見捨てねばならず脱走した男、全員解放決定後に所長から自分の下で働かないかと誘われた男、そしてこの絶望の地で命を落としていった男たち。
生き延びても死んでも希望がない。それが1960年代の中国の姿。

その中国では今もなお史実を題材に人間の尊厳を問う作品をタブー。
「恐ろしい」を通り越した「悲惨」や「絶望」といった言葉を並べても言い表せない史実に対して目を背けている以上、中国に流れる歌は悲しみや苦しみを内包した無言歌だけでしょう。

深夜らじお@の映画館は思いやりのない中国が好きにはなれません。

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acideigakan at 23:25│Comments(0)clip!映画レビュー【ま行】 

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