2014年05月28日

『ディス/コネクト』

ディスコネクト人は痛みを伴わないと繋がることが出来ないのか。
SNSへの依存度が高い現代社会の歪を4つのエピソードを通して描くこのオムニバス映画。ネットでは繋がる心も現実では繋がらない。ネットでは伝わらない想いも言葉にすれば伝わる。
ソーシャル・ネットワーク・システムはその名の通りシステムでしかないことを改めて痛感します。

同級生のイタズラとも気付かず、全裸写真をネットに公開してしまったがために自殺未遂をする内気な少年ベン。仕事一辺倒の弁護士の父親リッチは息子の自殺未遂の理由さえ見当がつかない。
ベンを自殺未遂に追い込んでしまったジェイソン。元刑事でネット犯罪専門の探偵でもある厳格な父親マイクへは何も言い返せず鬱憤だけが日に日に溜まる。
ポルノサイトで働くカイルに興味を持ったレポーターのニーナ。彼女は少年を取材対象として見るも、少年は将来を心配してくれる年上女性の言葉に徐々に心が揺れ動く。
子供を亡くしたことで触れ合いさえもなくなったデレックとシンディ。しかしネット詐欺犯への復讐を誓うことで夫婦の溝が埋まり始める。

私たち30代にとってネットとは世の中を便利にしてくれた通信ツールでしかないものの、物心がついた頃からネット環境が当たり前にある世代にとってSNSとは言葉と同じ伝達ツールなのでしょうか。
でもどんなに世の中が進歩しても通信ツールが伝達ツールになることは一切ありません。ただ伝達ツールと通信ツールの区別がつかなくなっていることは往々にしてあるんですよね。それが現代の歪なネット社会ではないかと思うのです。

特にそれを象徴していたのがアビーが弟ベンの状況を重々しく話しているにも関わらず隣に座る友人がいきなり彼からの連絡に色めくくだり。辛い状況に置かれた友人の言葉と愛しの彼からのメール。どちらがより気持ちの入ったものかを彼女に区別する能力がなかったのでしょうか。場を弁えないその不謹慎ぶりにアビーから罵倒の唾を吐き掛けられるのも当然の話。

SNSで相手に伝えることが出来るのは自分の「気持ち」ではなく「考え」です。「気持ち」はその「考え」から読み取ることしか出来ないもの。それがSNS利用の大原則。

ですからリッチとジェシカと名乗るジェイソンのSNSでの会話で存在していたのは互いの「考え」。観客は物語の背景から彼らの「気持ち」を読み取っているだけ。
同様にニーナとカイルの連絡にも各々の「考え」が記されているだけ。だからこそ互いの「気持ち」は直接会った時には既に完全にすれ違っている。
逆にマイクとジェイソンの親子の会話には厳格な父親の「考え」しか存在しないため、本当に必要な父親の「気持ち」や息子の「気持ち」は全く読み取れない。
そしてSNSという通信ツールではなく直接会話という伝達ツールによってデレックとシンディには互いの「気持ち」が伝わるようになった。これが本当に繋がるということ。

そんな4つのエピソードのクライマックスに共通する「痛みを伴わなければ人は繋がることが出来ないのか」という問い掛けを投げかけるような静止画シーン。
互いに愛する息子を傷つけられた父親になってしまったリッチとマイク。結果として双方とも大切な家族を強く抱きしめる。
ポルノサイトのボスに叩かれ倒れたニーナ。その痛みをもって初めて知るカイルの心の痛み。
犯人違いと分かっていながら怒りを抑えきれなかったデレックの心の痛みを知って、自分の心の痛みも吐露するシンディ。互いの痛みが互いの痛みを癒す。

本当に誰かと繋がりたいのなら、SNSという通信ツールを使って機会を作り、言葉という伝達ツールで自分の気持ちを伝えるのみ。本当の気持ちは言葉でしか伝わらないのだから。

深夜らじお@の映画館はネットでの会合よりもオフ会の方が断然好きです。

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acideigakan at 23:49│Comments(6)clip!映画レビュー【た行】 

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1. 『ディス/コネクト』  [ ラムの大通り ]   2014年06月03日 12:11
(原題:Disconnect) ----『ディス・コネクト』? ニャんだか香港のカ―アクション映画あたりにありそうなタイトルだニャ。 「そうだね。 ぼくも観るまでこれはウェルメイドなアクション映画かと…。 ところが思っていたのとは全く違う。 アレハンドロ・ゴンサレス・イニ..
2. 本当の繋がりは、  [ 笑う社会人の生活 ]   2014年11月11日 06:24
15日のことですが、試写会「ディス/コネクト」を鑑賞しました。 SNS上での嫌がらせを原因に自殺未遂をした少年、原因を突き止めようとする父、嫌がらせをしていた少年と元刑事の父 エロチャットで働く若者と取材を試みる記者、カード情報抜き取られた夫婦・・・ SNS...

この記事へのコメント

1. Posted by RYU   2014年05月29日 08:29
お久です〜。

あの、映画観ていないのにどうかと想いますが、SNSを使いこなせないコミュ力であるならば、手を出さない方がいいですね。だから、僕はやってないんですが、こうした親密な関係には愛があって好きです。
2. Posted by にゃむばなな   2014年05月30日 17:19
RYUさんへ

お久しぶりです。
SNSは基本的に遠くにいる方との連絡手段としか考えていない世代にとっては、仰るように不必要ならば手を出さない方がいいですよね。
実際私もFacebookは必要性を全く感じないので、一切手を出してません。
3. Posted by 氷雨@竜兄   2014年06月05日 13:02
にゃむさん、お久しぶりですー。いろいろなことが重なって、住み慣れた岡山を放れ20年ぶり位に故郷高知に帰ってきました。
俺も昔からブログや掲示板サイトをやっていて、思っていたのは「会う」ってのはとても大切だということ。文字ではなく、ちゃんと言葉で繋がるってことはとても大事なことなんだって思ってます。
Facebookに関しては賛否両論ありますが、SNSは便利な反面、そこにだけつながりを求めていくのは危険だとも思いますな。
やっぱり会いに行ってなんぼ!だと思います(笑)。
4. Posted by にゃむばなな   2014年06月07日 01:02
氷雨@竜兄さんへ

高知とはまた岡山から遠く離れたところへ。でも太平洋を臨むその景色はよろしいのでしょうね。
さてこの映画ですが、やっぱり何だかんだ言っても人間同士の付き合い。最後は会ってナンボですもんね。
それを理解したうえで利用しないとって改めて思いますよ。
5. Posted by えい   2014年06月23日 22:23
こんばんは。

>SNSで相手に伝えることが出来るのは自分の「気持ち」ではなく「考え」です。

なるほど。

この一文を読んで、それでもネット(SNS)の世界では「伝える」ことができるんだな…と思いました。
(リアルの世界においては「喋ること」と「伝える」ことは違うという話をよく聞くもので…。)

まだ、文章化されるだけ、そこに一拍置いているのかもしれませんね。
6. Posted by にゃむばなな   2014年06月23日 23:07
えいさんへ

>リアルの世界においては「喋ること」と「伝える」ことは違う

これはネットの世界でも同じだと思うのです。
要は「書くこと」と「伝える」ことは違う。
でも「書くこと」で「伝える」ことも出来る。
ただそれには文章力やら行間・一拍を読む能力がいるのが難しいところだと思いましたよ。

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