2016年12月27日

『こころに剣士を』

こころに剣士をこころに勇気を。こころに希望を。そしてこころに剣士を。
これが実話の持つ静かな感動なのか。もう少し感情を高ぶらせてくれてもいいのにと追加注文をしてしまうくだりもあるが、それでもあの時代にこんなにも高貴な魂が存在していたことに、この見事な邦題と共に感動せざるを得ない。
いつの時代も剣士は勇気で希望を切り開くのだ。

1952年のエストニアではスターリンの圧政と共に、ナチスドイツに従軍していた者を容赦なく強制収容所に送り込む秘密警察が国民の生活に暗い影を落としていた時代。
だからハープサルという田舎町でさえ、父親のいない子供が溢れている。勇気を圧政に奪われ、希望さえも見出せない子供や大人で溢れている。

そんなハープサルに身分を偽り教師としてやってきたエンデルもまた秘密警察に追われる身。元フェンシング選手という経歴も必要のないはずの田舎町で静かに暮らすはずが、偶然にも剣を振るっていたところを少女マルタに目撃されたことから、希望のない町で週末だけのフェンシング部を立ち上げることになるのだから、運命とは騎士の魂を持つ者には自らの手で安息の地を勝ち得ない限りは休むことさえ許してくれないのだろう。

ただエンデルは子供が苦手。しかし同僚で恋人のカドリから子供たちの現状を聞かされると、父親のいない子供たちの父親代わりとして真っ直ぐに子供たちと向き合い、子供たちとの交流も深まり始める。個人的にはこのくだりのエピソード数が少なすぎたのが少々残念だったものの、それでも静かに心は温かくなる。

そして運命が動き出す時が来る。子供たちが見つけたレニングラードでのフェンシングの全国大会の記事。
父親代わりとしても教師としても子供たちを連れていきたい。けれど秘密警察に追われる身としては、また子供たちの父親代わりとしても教師としても、ここで子供たちの前から消える訳にはいかない。

そんなエンデルの葛藤にマルタが「挑戦してみたい」と背中を押す。騎士に必要な勇気。騎士が皆に与える希望。その2つを思い出したエンデルが決断する。レニングラードへ向かうと。小さな騎士4名と共にハープサルの夢と希望を背負って。

だが全国大会の会場ではハープサルは電気剣も持っていない田舎者。出場さえ危ぶまれるも、エンデルたちと同じく騎士の魂を持つ者の好意により電気剣を借りた小さな騎士たちが躍動する。次から次へと相手を撃破し、決勝の舞台へと勝ち残る。

ただこのくだりで描かれるのは子供たちの活躍よりもエンデルの葛藤。信念を貫いたという理由でエンデルを秘密警察に密告した校長の嫉妬も見苦しいだけに、もっと小さな騎士たちの活躍を見たかった。その小さな騎士たちを様々な言葉で鼓舞するエンデルの姿も見たかった。

だからこそ、祖父までも秘密警察に連行されたヤーンが足を挫き、補欠のマルタが急遽最終戦の舞台に立つことになると、自然とこの小さな小さな少女騎士を応援したくなる。
わずか15秒を守り抜けば優勝だったはずが、緊張により同点延長戦へとなだれ込むと、身体も大きな相手に押し込まれるマルタ。
そんなマルタがもう後には引けないところまで下がった時、彼女に宿った騎士の魂が目を覚ます。そして小さなエストニアが大きなソ連に向かって突進する。行け!行け!

しかし小国が大国に一矢を報いた瞬間、小さな騎士たちを育て上げた父親代わりのエンデルは秘密警察に連行されていく。だが彼の表情には後悔の様子はない。騎士が小さな騎士たちを一人前に認めた瞬間でもあるのだから。

そしてスターリンの死去により強制収容所から人々が解放され始めた頃、ハープサルの駅にカドリが待っている人が帰ってくる。マルタやヤーンが待ちわびていた先生が帰ってくる。勇気と希望を捨てなかった騎士の凱旋である。

そんな気高き騎士の魂は今もエンデルの開いたフェンシング部の活動継続という形で生き続けている。何十年というソ連の圧政にも負けず、ソ連崩壊によりエストニアが独立を勝ち得た時、ハープサルで誕生した騎士たちは万感の思いだったはず。

こころに剣士を。
侍の国、日本でも通ずるこの素晴らしき邦題にも敬意を示したい。そんないい映画でした。

深夜らじお@の映画館にとってこの作品が2016年最後の劇場鑑賞作品です。

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