2018年08月31日

『判決、ふたつの希望』

判決、ふたつの希望ふたつの希望、ひとつの未来。
第90回アカデミー外国語映画賞にもノミネートされたレバノン映画が示す希望。それは難民問題に揺れる世界が、憎しみ合いの歴史から抜け出せない世界が、心の奥底では望んでいるのに、言動に起こすことを躊躇っている未来。
謝罪が礼儀の一部になる社会。それは本当に実現困難な世界だろうか。いや、そうではないはずだ。

キリスト教徒のレバノン人トニーが違法建築のバルコニーで撒いた水が排水溝を伝って、階下で工事をしているパレスチナ難民で工事現場監督のヤーセルにかかる。
謝罪をしないトニーにヤーセルが部屋を訪ねるも拒まれる。対してヤーセルは排水溝を壊し、そこにトニーには無許可で排水パイプを設置する。
しかしトニーはその排水パイプを無言で破壊する。その愚行にヤーセルが「クズ野郎」と罵る。

一連の行動を見るに、最初に謝罪すべきは水をかけたトニーだ。でも無許可で他人の家の一部を変えたヤーセルも謝罪すべきだし、その無許可とはいえ相手の好意を破壊したトニーも大人気なければ、相手を罵る言葉を発するヤーセルも大人気ない。

しかも上司と共に謝罪に来たヤーセルに対し、トニーが民族を侮辱するような暴言をしたばかりに肋骨を折るほど暴力を振るわれると、今度は謝罪を要求するため裁判を起こすが、そこから見えてくるのはレバノン人のパレスチナ人に対する差別感情、妻の忠告を一切聞かない幼稚な男、当事者をひたすら焚き付ける無責任な外野共だ。

さらにトニーが有名弁護士を、ヤーセルが有能な女性弁護士を雇い、上告裁判が進むと、この2人の弁護士が父娘でもあったことも関係してか、相手に謝罪を求めるだけの裁判が徐々に民族問題や難民問題などの現代レバノンが抱える様々な社会問題を含んだ言い争いへと変わっていく。

それらは難民問題や宗教問題で戦争が絶えない中東に疎い我々にとっては、なぜあの地域で憎しみが絶えないのかがよく分かるエンターテインメント性に富んだ演出だ。さすがクエンティン・タランティーノの下で学んできた監督の作品であると納得出来る構成だ。

要は相手を思い遣る心に欠け、自分にこそ正義があると妄信している連中が、平穏に暮らせないのは自分達の努力不足ではなく、特定の誰かのせいだと責任転嫁している。相手を憎みたいからではなく、現状の鬱憤を晴らしたいがために暴れている。それが中東社会の現実なのだろう。

だからメディアは視聴率が稼げると中継する。政治家は票が増えると一方に肩入れする。自分の問題ではない連中はこの時とばかりに愚行を働き、時に無関係な人も勝手な理由で傷つける。理性の「り」の字もない、幼稚な行動ばかりが繰り返される。

けれど大統領から直接和解を提案された帰り道、ごく自然な形で2人の関係が変わり始める。

車に乗り込む際にヤーセルはトニーに先を譲る。そのヤーセルの車が故障しているのに気付くと、今度は車の修理工でもあるトニーが舞い戻って無償で修理をする。
本来なら憎しみ合っているはずの2人なのに、パレスチナ難民を嫌うレバノン人とレバノン人に恐怖心を抱くパレスチナ難民なのに、この時だけは2人とも大人として当たり前の行動を取っている。相手を思い遣るという誰にでも出来る行動を自然に取っている。

そして落し処を模索し続ける裁判は、トニーの出生地が絡む闇に葬られたレバノンの歴史が明るみになったことで収束への道を進み始める。

幼き頃に幸せな生活を奪われ、国内で難民となったレバノン人のトニー。憎むべき相手も具体的に分からず、ただ悲しみを押し殺すように前に進むしかなかった彼の人生は、幸せな生活を奪われ続けレバノンにやってきたパレスチナ難民のヤーセルと同じ境遇だ。

だからこの2人は互いに相手の気持ちも理解出来るはずなのだ。そう確信したヤーセルがある夜に起こした不器用だが勇気ある行動は、ヤーセルに殴られたトニーの痛みを、トニーに罵られたヤーセルの痛みを知らしめる。

そんな相手の痛みと気持ちを知った2人に下されたヤーセルへの無罪判決に、トニーは不満の表情を一切見せない。ヤーセルも安堵の表情しか見せない。騒ぐ周囲の反応を他所に、彼らは自分の努力で前に進むというそれぞれの希望を得たのだろう。

『スリー・ビルボード』でも描かれていたように愛は与えられるものではなく、与えるものだ。
そして謝罪も求めるものではなく、まずは自ら行うものだ。

そんなことが礼儀のように、誰もが当たり前に出来るような社会になれば、きっと我々が望む未来は必ず来るはずだ。

深夜らじお@の映画館はこのレバノン映画を強くオススメします。

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acideigakan at 23:59│Comments(4)clip!映画レビュー【は行】 

この記事へのコメント

1. Posted by ノルウェーまだ〜む   2018年09月01日 10:49
にゃむばななさん☆
凄いです!この、作品は素晴らしいのにどうしようもなく不評な邦題も、にゃむさんの「二つの希望、ひとつの未来」とすれば絶対高評価と思います!!
私はこの映画とっても気に入っているので、是非とも今からでも邦題をこれに変えてくれたらいいのに…と思ってしまいました。
2. Posted by にゃむばなな   2018年09月01日 23:06
ノルウェーまだ〜むさんへ

嬉しいお言葉、ありがとうございます。
原題云々の関係もあってのこの邦題だと思いますが、確かにこれでの集客は厳しいですよね。
社会派作品のようで、でもエンターテインメント性に優れた作品。
それでいて中東情勢の大いなる勉強にもなる。
一人でも多くの方に見ていただきたいですね。
3. Posted by ノラネコ   2018年09月16日 21:44
裁判の社会装置としての機能もよく描いているなあと感心しました。
二人のパーソナルな関係から始まった喧嘩は、二人の中では自然に治ってゆく。
しかし二人とも背中に民族や宗教を背負っちゃってるから、振り上げた拳を降ろすには一定の手続きがいる。
特にこう言う複雑な社会では、手打ちするのも裁判のプロセスを得ないと皆納得しないんでしょうね。
4. Posted by にゃむばなな   2018年09月18日 01:12
ノラネコさんへ

>振り上げた拳を降ろすには一定の手続きがいる

まさにこれですよね。
不器用な中年男2人ということもあって、そう簡単には和解したくても出来ない。
それを裁判を通すことで、より複雑に見せながらも、収まるべきところに収める構成も素晴らしいと思いましたよ。

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