2018年10月21日

『エンジェル、見えない恋人』

エンジェル、見えない恋人見えない姿、感じる愛。
君の目が見えるようになったら、僕は消えてしまう。そんなセリフが切なく感じるのは、透明人間の少年と盲目の少女が織り成す小さな恋物語がステキに思えるからだろうか。マドレーヌを演じた3人の女優の美しさが忘れられないからだろうか。それともフランス語の響きがこの作品をオシャレに感じさせるからだろうか。

姿を消したマジシャンと恋した女性が産み落とした少年:エンジェルは生まれた時から姿が見えない。鏡にも映らない。彼の声しか聞こえない。

そんな透明人間の視点で描かれるこの作品の映像は、時にハッキリと描かれ、時に彼の感情にリンクするようにボヤけている。けれど常に優しい光が彼の視界には届いている。

ただ優しいのは光だけではない。彼の人生に多大な影響を与える2人の女性から注がれる愛もまた優しく、そしてフランス語の美しい響きと共にその愛もまた美しく見えるのだ。

特に精神病院に隔離されている母ルイーズとの生活には、母親が我が子に注ぐ愛に満ち溢れてることがエンジェル少年の視点からダイレクトに伝わってくるものの、同時に息子が透明人間であるが故の、また母親として自分が他界した後の息子の将来に対する不安も感じられる。

一方で隣の家に住む盲目の少女マドレーヌとの小さな恋物語は、とても可愛らしく、少年の視点とはいえ、ずっと見守っていたい気持ちにさせてくれる。
お互い友達のいない者同士という共通点が2人を出逢わせ、匂いや声で相手を感じるという形での愛を育む先に待つ、成長した少女が視力を取り戻す手術を受けることで2人の間に生まれる不安。

本来なら愛に姿形がないと分かっていても、見えないから生まれる不安。でもこの2人に限っては見えることで生まれる不安がエンジェルとマドレーヌに愛の意味を問う。
視力を取り戻して見えるようになったのに愛する人が見えないマドレーヌと、愛する人が見えるのに自分が透明人間であるが故に彼女への愛が見えなくなったエンジェル。

だが見えるのに見えないは、視点を変えれば、見えなければ見なければいいに置き換えることも出来る。
なぜなら、マドレーヌはエンジェルの容姿に惚れた訳ではない。彼の匂いに、声に、優しさに恋心を抱き、その想いを支えに手術を受け、そして彼に逢うために帰ってきたのだから、エンジェルを感じるのに別に視力に頼る必要はないのだ。

だからマドレーヌにとって、そこにエンジェルがいてくれる限り、彼女は見えようが見えまいが常に愛を感じている。
思い出の湖畔に溺れた彼を助け出した彼女の目の前には確実に愛する人がいた。それだけで十分なのだろう。それがマドレーヌとエンジェルが育んできた愛なのだから。

見えない息子を母親が優しく見つめてくる。
盲目の少女が恋する少女の目で見つめてくる。
愛を注いでくれる女性がクローズアップの映像で描かれる。
目隠しという小道具が官能的な愛を描く。
かくれんぼという遊びが小さな恋心を思い出させる。

この映画には言葉でも行為でもない、様々な形で愛が描かれている。
透明人間の少年と盲目の少女の恋物語なのに、ファンタジーではなく、どこにでもあるような小さな恋のメロディーとして描かれている。

それはフランス語の美しき響きが似合う、日本語や英語では真似出来ない世界。フランス語圏のセンスがあらゆる場面で感じられる世界。
そしてマドレーヌを演じた3人の女優:ハンナ・ブードロー(幼少期)、マヤ・ドリー(思春期)、フルール・ジフリエ(成人後)の美しさが忘れられない世界だ。

深夜らじお@の映画館は透明人間であるが故にエンジェルが常に全裸では?疑惑に関しては、あえて何も突っ込みません。

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acideigakan at 23:59│Comments(0)clip!映画レビュー【あ行】 

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