2019年03月16日

『運び屋』

運び屋人生最後の大仕事。それは無様な自分の失敗を若者に伝えること。
御年88歳のクリント・イーストウッドがその老いた細身の体で贈るメッセージ。それは次世代へではなく、自分と同じく人生を終えようとしている世代へ、生きた証を残せと。成功体験ではなく、失敗体験を伝えることで。
それが新たな才能ブラッドリー・クーパーへと伝えられていく。

スティーブン・スピルバーグと同じく、残りの人生で何本映画が撮れるか。その数本で何を後世に残すべきなのかをテーマに映画を作り続けるクリント・イーストウッドにとって、11年ぶりとなる監督と主演を兼ねるこの作品は、実際に起きた90歳の麻薬運び屋の記事から発想を得たものらしいが、予告編段階から異様に気になる彼の痩せた細い身体と腕に、改めて残された時間の短さというものを痛感させられる。

そんなクリント・イーストウッドが描く本作の主人公は、まさにどの国にも、どの地域にも存在する、いわば時代に取り残された古き世代の男たち。
家庭を顧みずに仕事に没頭する一方で、インターネットという新しい波を毛嫌いするも、その時代の変化についていけずに廃業した時に初めて家族を疎かにしていた罪深さに気付く。日本でいえば、団塊の世代ではないだろうか。

そんな彼が孫娘の結婚式前パーティで紹介された「運転するだけで金が貰える仕事」にのめり込んでいく様は、ある意味奇怪でもあり、現実的でもあり、また可愛らしくもある。

なぜなら明らかに怪しげな人物と接触し、明らかに怪しげな行動を求められることで大金を手にすることは、普通に考えるとすぐに犯罪関連だと気付くはず。
だが金が必要な彼にとっては、運ぶブツが何であるかなどはどうでもいい。これまでユリ栽培の仕事を頑張りに頑張ってきたのに報われない人生だったことに比べれば、これだけ楽な仕事で大金が手に入るのは楽しくて仕方なかったのだろう。

しかも手にした大金で孫娘の結婚パーティーの会場を借りることが出来たり、退役軍人店舗のリニューアルを手伝うことで喝采と名声を得ることで懐だけでなく心まで潤い始めると、あれだけ毛嫌いしていたインターネットの世界、ここではメールの打ち方にも興味津々。怪しげな兄ちゃんたちに教えてもらうほど仲良くなるうえに、運送先を間違えて組織の連中がモメても自分は素知らぬ顔でリップクリームを塗るほど周りに一切の興味を持たない始末。

またマフィアのボスから招待を受けたり、若い女性と夜な夜な楽しんだりと人生を謳歌する一方で、パンクで困っている黒人家族に平気でニグロと差別用語を使うが、それを指摘されても謝らない。でも逆ギレもしない。
そう、まさにこの老人は完全にマイペースで人生を歩んでいるのだ。

だが麻薬が身体を蝕むように犯罪に絡むことで心が蝕まれると、彼は自分の犯した罪に向き合うようになる。そして知らずとはいえ、麻薬捜査官であるベイツに告白してしまう。自分が家族を疎かにしたがために自分は惨めな人生を送っているということを。

けれど人生は死ぬまでは終わらない。罪滅ぼしをする機会は生きている限り永遠にあり続ける。それを孫娘からの電話で気付いた老人が、死を迎えようとしている元妻のところへと走る。相当な麻薬を運ぶという重要任務を保留し、組織にも一切連絡をせず単独行動をし、愛した女の最後に寄り添うために。

人生をやり直す機会を得た老人は、自らを勝手に除隊した兵士だと言い切る。戦争を経験した者が死を覚悟した者としての姿を見せる。
だから彼は何の抵抗もせずに麻薬捜査局の逮捕に応じる。裁判でも弁護士を押しのけ、自ら有罪だと言い切る。

ただ思い出してほしい。彼は組織のフリオに新しい仕事に就けとアドバイスをしていた。パンクで困っていた黒人男性に父親に教わらなかったのかと問いただした。警官から職務質問される組織の連中にも助け舟を出した。
彼は常に若い連中に対し、時代の流れの中で失われてしまった本質的に正しいことを伝え続けてきた。

家族や国のためにと思って働いてきた老齢の男たちは、無様な自分を認めず、逆に自分が正しいという観念の下で若い世代に伝えようとしてきたが、それで伝わることなどあるだろうか。
若い世代からの教わることはある。それを知れば、自ずと自分が伝えるべきことが何かは分かってくるはず。

己の失敗を若い世代に伝えよ。見栄を張らずに。そして人生を終えよ。それが人生最後の大仕事だろうと。

刑務所で再びユリを育て始めた老人の顔は生き生きとしている。またこの場所で自分の経験を若い奴らに伝えることが出来る。成功した体験も、失敗した体験も。

ブラッドリー・クーパーを代表に、若い世代である我々はそんなクリント・イーストウッドの想いを受けて生きていかねばならない。自分が人生を終えようとする時にも、彼の想いを次の世代に伝えるために。

深夜らじお@の映画館はクリント・イーストウッドにはそろそろ引退して静かに余生を過ごして欲しいです。彼の作品が見れないのは凄く淋しいですけど。

※お知らせとお願い
【元町映画館】へ行こう!

この記事へのコメント

1. Posted by ノルウェーまだ〜む   2019年03月17日 01:00
にゃむばななさん☆こちらにも
イーストウッドの痩せた身体が年齢を感じさせましたね。
まさにこの役ができるのは彼しかいないです。
自分本位に生きてきた男でありながら、どこか憎めないチャーミングさがあって、それがこの物語を強く引っ張ってくれていた様に思いました。
2. Posted by BROOK   2019年03月17日 06:23
イーストウッドが久しぶりに主演した作品ですが、彼しかこの役を演じることが出来ないと言えるくらい、役にハマっていたと思います♪
後世へ残すメッセージもしっかりと描かれていましたね。
3. Posted by にゃむばなな   2019年03月18日 01:02
ノルウェーまだ〜むさんへ

多分こういう老齢の男たちを私たちの世代はずっと見てきたからこそ、どこか親近感を持つんでしょうね。
日本にも団塊の世代という似たような男たちがいますからね。
4. Posted by にゃむばなな   2019年03月18日 01:03
BROOKさんへ

やっぱりブラッドリー・クーパーを自身の後継者と見ているんでしょうね。
彼に託す想いが、映画と現実とにリンクしているように思えましたよ。
5. Posted by FREE TIME   2019年03月18日 21:05
俳優としてのイーストウッドも健在である事を示した作品になりましたね。
家族を蔑ろにしてきて娘からも嫌われる有り様でしたが、最後に妻の死をきっかけに失われた時間を取り戻せたようでした。
6. Posted by ノラネコ   2019年03月22日 17:09
イーストウッド自身が私生活で色々やらかしているので、これは半分自分自身の懺悔なんでしょうね。
実の娘にこの役やらせてるのなんて、ドキュメンタリーかよと思いましたw
まさに、これだけは言っとかないと死ねないということなんでしょうけど。
7. Posted by にゃむばなな   2019年03月25日 23:37
FREE TIMEさんへ

個人的にはクリント・イーストウッドにはもうそろそろゆっくりしてほしいんですよね。
ただ彼はまだまだ死ぬまで現役であり続けるのでしょう。
8. Posted by にゃむばなな   2019年03月25日 23:41
ノラネコさんへ

そうですよね〜、実の娘に娘役をさせているあたり、自分のことを描いている部分は否めないですよね。
歳を重ねると反省するのはいいですが、こういう形で反省するとはねぇ〜。
9. Posted by 隆   2019年03月27日 20:13
イーストウッドは走り続けるのではないでしょうかね。アメリカ人の古き良き理想の男は、悔いのない人生を送って、その最後もまた、かっこ良く幕を引くと思います。

西部時代さながらの、昔気質なのでしょうが、映画の映画らしさは、現場から生まれ、彼が演じるにつれて、どんどん人も物語も洗練されて行くような風に、妄想します。

日本人らしさで、老人を立てるのではなく、自分から立って来るし、若者に譲らない処もご愛嬌で、老人の我がままを、理解出来るかという事は、子供を可愛いと思えるか、という余裕に通じると思いました。

ベイビードライバーですよ。
10. Posted by にゃむばなな   2019年03月31日 00:53
隆さんへ

確かにこの御仁は死ぬまで現役、しかもそう簡単に若いヤツにこの席は譲らんという態度を示し続けるでしょうね。
でもそれこそがクリント・イーストウッドなのでしょう。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
昨日の訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

※オススメです♪※
『KANO~1931海の向こうの甲子園〜』主題歌
ぷろふぃ〜る

にゃむばなな

Twitter始めますた
nyamu_bananaをフォローしましょう
livedoor 天気
ちょいとした広告掲載