2019年03月19日

『ウトヤ島、7月22日』

ウトヤ島、7月22日緊張感が続かない、ワンカット72分間。
2011年7月22日、ノルウェーのウトヤ島で起きた32歳の過激派極右青年たった1人により77人の若き命が失われた無差別銃乱射事件。
実際に事件が起きた72分間をワンカットで描いているが、意図が見えにくいカメラワークがそのあるべき恐怖と緊張感を奪っているのが残念でならない。

世界中で報道されたこの事件は、まず首都オスロの政府庁舎爆破事件から始まっており、それが実際の映像で語られると、映画はすぐにオスロから40km離れたウトヤ島へと舞台を移す。
そのウトヤ島は労働党青年部のサマーキャンプを行っている場所であり、72分間ワンカットシーンはここでカヤという一人の少女を追いかけることで始まる。

ただこの映画はそもそもワンカットで描く以前に、サマーキャンプに集う若者たちの不安や恐怖というものをあまりスクリーンに映し出せていないので、当然のことながら『クローバーフィールド』に代表されるような得体の知れない恐怖や先の見えない展開がもたらす緊張感というものが始めの10分くらいまでしかないのだ。

さらにカヤをドキュメンタリー風に追いかけたいのか、それともカヤと同じ場にいた者の視点で見せたいのかがハッキリしないカメラワークが観客の興味を削いでしまっているのも残念なところ。
特に建物から抜け出し、森の中の茂みに這いつくばって隠れるシーンではカメラが犯人を探す素振りを見せる意図が分からない。自由意志のないはずのカメラワークに自由意志が存在している時点で、これはこの悲劇が起きた場にいた者の視点なのに、それを明確にしないようでは、当然製作側が観客にどう見せたいのかという意図も伝わってこない。

だから緊張感も不安も奪われたなかで見せられるカヤの逃げながら妹エミリアの捜索と共に描かれる、いろんな人と逃げ延びた先で出逢い、別れ、また出逢い、別れの繰り返しは演出が単調なこともあって退屈にも思える。
あの時の少年や少女とここでまた出逢うのかという驚きもなければ、逆に皮肉めいた悲しい別れもない。

もちろんこれはテロリストから逃げる恐怖は、戦場を移動する恐怖と同じという意図なのだろう。テロ事件が現代の戦争ということなのだろう。
だからこれがあの悲劇が起きた現場だと言われればそれまでだが、それならこの意図不明なカメラワークはやはり邪魔に思えて仕方ない。

また犯人が全く見えない恐怖、ふとシルエットだけが見えた時の恐ろしさは、単調な銃声が近づいてもこなければ離れてもいかない怖さと相俟って、とても臨場感のある演出だが、如何せんこれが逆にカヤの行動の不可解さをより強調する結果となってしまっている。

例えば妹の安否を思って電話を掛けるのも、もし妹が犯人から隠れていたなら着信音でバレて命を落とす原因になるとか考えないのか。その妹の捜索時に木陰に隠れるのも中途半端すぎないか。妹の捜索を一旦は諦めたのなら友人や他の人たちと行動を共にする選択をしないのか。単独行動するならもっと生き延びたいという想いを出さないのかなど、ここでも立ち位置がハッキリしないカメラワークが邪魔になっているのだ。

結局、製作側があの悲劇の場にいた者の視点で映画を見せたいのか、あの日命を落とした名も無き若者たちをカヤを通して見せたかったのか、それとも観客にあなたならどうしますかと問い掛けたかったのか、その辺りが全て中途半端だったように思えて仕方ない。

将来を夢見た出来のいい姉カヤが犠牲になり、姉と比べて卑屈になっていた妹が他人を助けながらボートで生き延びるラストも、カメラワークは自由意志を持ったシーンを見せたり見せなかったりの繰り返し。
最後の最後まで意図の分からないカメラワークに振り回されただけの作品に見えてしまったのが残念でならない。

深夜らじお@の映画館にはこの作品は今年のワースト候補になるかも知れません。出逢うタイミングが悪かったのかな。

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acideigakan at 23:59│Comments(0)clip!映画レビュー【あ行】 

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