2019年06月22日

『泣くな赤鬼』

泣くな赤鬼赤鬼先生、また野球がしたいです…。
先生と生徒の絆が弱いせいか、予告編で期待したような「泣ける」感動はない。ただ堤真一の温度差のある演技、柳楽優弥の消えていく命を体現する演技、川栄李奈の絶望に涙を流す演技だけでも見応えのある作品だ。
そしてそれらを最後に竹原ピストルの重みのある歌声で締め括るというEDロールが夏を目の前にしたこの季節によく合う。

高校野球には様々な選手がいると同時に、様々な監督も存在する。熱血指導から選手の自主性を促す指導まで様々な教育方針が存在するが、事ある毎に選手が「自分達の野球が正しかったことを証明したかった」とインタビューで答えるように、選手はその監督を信頼し、遠き聖地・甲子園を目指している。

だからこそ、そんな先生と生徒の絆を予告編段階から期待してしまうが、残念ながらこの映画には描かれていない。そもそも原作にすら描かれていないのだろうし、物語の流れを見てもそんな絆は少なくても城南工業高校時代に出逢った2人の間には存在していない。
つまりこの作品において、赤鬼先生とゴルゴの関係は特別のようで、とりわけて特別でないのだ。

ただゴルゴのように才能溢れる選手も、同級生でライバルの和田のように地道に努力してレギュラーを勝ち取る選手も、そして小渕先生のように鬼のような熱血指導が生徒から慕われる監督も日本中にいるように、才能を活かせず去る者も、ここ一番で才能に恵まれなかったことに悔やむ者も、才能を活かす道を示すことが出来なかった者も日本中にいる。

だからこの作品においては、赤鬼先生とゴルゴの関係が特別であるのではなくて、赤鬼先生とゴルゴと和田の関係が特別なのだ。ハナからこの3人の関係で描かれていればいいところを、この作品は赤鬼先生とゴルゴにだけスポットライトを当てているから、期待違いという感想を持つ方も出てくるのだろう。

それでも「努力は報われる」という言葉の矛盾を指摘するゴルゴと「努力してから言え」と突っぱねる赤鬼先生は、行間を読まないゴルゴと行間を読むことをしてこなかった赤鬼先生という、僅かな差はあれど、基本的には似た者同士なのだろう。それ故に互いに心の中で他者よりも贔屓し、忘れることのない思い出として再会してもすぐに互いを意識し合う関係を築けたのだろう。

そんな鬼のように怖い過去と枯れ果てた現在を同一人物とは思えないほど見事に演じた堤真一、命という見えないモノが徐々に小さくなっていることが確かに感じられる演技を見せた柳楽優弥の演技合戦は素晴らしいし、さらにそんな2人の間に入り、泣くという演技だけで様々な感情を演じ分けた川栄李奈も一見の価値ありどころか、この映画の最大の魅力とも言えるだろう。

そんな映画のラストで小渕先生が元気のいい新入部員の挨拶に、遠き日のゴルゴの姿を重ね合わせながら見せる笑顔は、とても大人の優しさで溢れている。高校野球を愛する大人の優しさで溢れている。

そして「おーい!おーい!」という竹原ピストルの主題歌を聴いていると、もうすぐ夏の高校野球が始まるぞ。高校野球を愛する全ての者よ、甲子園に集まれ!と言われているようで、嗚呼、今年も甲子園に行かなくては!と思えてしまったのは、私だけではないだろう。

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acideigakan at 23:59│Comments(2)clip!映画レビュー【た行】 

この記事へのコメント

1. Posted by FREE TIME   2019年06月25日 23:55
こんばんは。
確かに絆が弱かった分、泣けるような感動はなかったですね。
それでも、出演者達の演技は見応えはありました。
それより赤鬼の胃はどうなったのかが気になりました。
あれだけ痛がっていたのに(謎)
2. Posted by にゃむばなな   2019年06月27日 23:53
FREE TIMEさんへ

そうそう、赤鬼先生の体調はどうなったんでしょうね?
先生と生徒の絆をもっと描いて欲しかったですね。

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