2019年07月05日

『COLD WAR あの歌、2つの心』

COLDWARオヨヨ〜♪オヨヨ〜♪
2つの心と4つの瞳が織り成す15年にも及ぶ愛。亡命経験者でもあるというパヴェウ・パヴリコフスキ監督が1:1.33の限られたスクリーンに描き出す白黒映画に込められた男と女の「ただ一緒にいたいだけ」。
恋が始まると男は輝く。でも愛に成長すると女が輝く。それが大人の男と女、いや女と男。

この映画はわずか88分だが、行間を読むタイプの作品なので、見る人によっては長く感じられるし、また睡魔に負けることもあるだろう。それでもこの映画を見ると誰もが心と耳に「オヨヨ〜♪オヨヨ〜♪」が確実に残る。そこに男と女の愛が存分に詰まっているから。

ポーランドで国立の民謡舞踏団設立から始まるこの物語において、ヴィクトルはピアニストで、なおかつ劇団員を選ぶ立場でもある、自由を手にした自信に満ち溢れた男なのに対し、歌手としての成功を掴もうとやってきたズーラは勝ち気な性格とはいえ、選ばれる立場がゆえに自由のない女。
だからこそ、白黒映像において黒髪の男ははっきりと存在感を示し、逆に金髪が白く映る女はまだその存在感を示すことが出来ていない。

ところがベルリンでの公演中にヴィクトルは亡命するも、恋仲にあったズーラはその誘いには乗らなかった。理想を追う男に現実を見ている女がついていなかっただけか、それとも成功を捨てる男に成功を掴みかけた女が別れを選んだだけか。

けれど自由を得たはずの西側陣営のパリでヴィクトルはその輝きを少しずつ失っていく。成功を手に出来ていない以上に、白黒映像においてその存在感が徐々に薄れていくのだ。
逆に歌手としての成功を収めたズーラはその輝きを増していく。白く映る金髪など関係ない。彼女の表情がより自信に満ち溢れているのだ。

そして結婚により合法的にポーランドを出たズーラが、亡命という違法にポーランドを出たヴィクトルと再会するユーゴスラヴィアでは、女は舞台でより輝き、男は強制的に西側に送還されることでその輝きをまた失っていく。

それでもこの男と女は何度も逢瀬を重ねる。時には身体も重ねる。別に想いを言葉にはしない。愛も言葉にはしない。ただただ「一緒にいたい」という想いを重ね、心を重ね、2人の時間を言葉なく過ごしていく。

そんな2人の想いになぜ言葉がいらないのか。それは既に「心」という歌で語られているからだろう。「オヨヨ〜♪オヨヨ〜♪」が凄く耳と心に残っているおかげで、なぜスターになった女は落ちぶれていく男を見捨てないのかという疑問も愚問に思えてくる。大人の愛を知らない者の質問にしか思えなくなってくる。

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acideigakan at 23:59│Comments(3)clip!映画レビュー【か行】 

この記事へのコメント

1. Posted by ノラネコ   2019年07月10日 00:50
見終わっても「オーヨーヨイ」が無限リフレイン。
狭いはずのスタンダードスクリーンに描き出される、限りなく無限の心象風景が素晴らしい。
音楽性の豊かさも見どころでした。
2. Posted by にゃむばなな   2019年07月17日 01:05
ノラネコさんへ

そうなんですよね、狭いはずのスクリーンが全然気にならない。
同じようなサイズの映像を駆使した作品は多々あれど、これはちょっと違ってましたね。
3. Posted by ここなつ   2019年08月21日 12:41
こんにちは。
本作の感想に違う部分があって面白いな、と思い、コメントを書かせていただきます。
特に、
>なぜスターになった女は落ちぶれていく男を見捨てないのかという疑問も愚問に思えてくる。大人の愛を知らない者の質問にしか思えなくなってくる。
の部分ですが、ヴィクトルは決して落ちぶれてはいないと思っていて、彼なりの愛への殉じ方、もう一周回ってある種の諦観のような気がしております。
その諦観に互いに身を任せた、というのかな…それがラストシーンだったような…

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