2020年02月08日

『マリッジ・ストーリー』

マリッジ・ストーリー別に離婚をしなくても良かったのに…。
NYに住む舞台監督の夫とLA出身で映画女優の妻が離婚を選択しないで済む解決方法はなかったのだろうか。所詮は違う生き物である男と女。でも所詮は性別では測り切れない能力を持つ女と男。
願うことは同じなのに、どうして離婚という選択肢しか選べなかったのか。個人的には結婚前に見て本当に良かった。

妻のいいところを挙げるとキリがない。同じく夫のいいところを挙げるとキリがない。互いに自分に欠けているところを補っているこの夫婦は、負けず嫌いとヘンリーという一人息子を溺愛している以外で共通点があるとすれば、それは心の奥底では相手のことを大切にしたいと思っているということ。

けれどそれを邪魔するものが世の中にはたくさんある。単に素直になれないといった子供染みたことではなく、NYを拠点にしたい夫とLAで働きたい妻の間にある距離という問題。女優だけでなく舞台監督としても活躍したい妻とブロードウェイ進出を果たした注目株の舞台監督を続けたい夫の間にある仕事や自己実現という問題。これらはどれも解決するならどちらかが犠牲に、いや我慢しなければならないことばかり。

だから我慢した方がストレスとして心の奥底に蓄積してしまう。我慢させた方が相手に甘えてしまう。
そもそも愛し合った夫婦といえども、所詮は育ってきた環境も違う異性の他人なのだから、ちょっとした気遣いをすべきなのに、それが日々の生活で何もかもが「当たり前」になってしまう。
その結果、「約束」が「話し合った」になってしまう。不満を抱いた方は約束が果たされていないと感じ、甘えた方はそんな約束などしていないと思ってしまう。

ただこれらはどれも当事者たちの中では言葉にする以前に、自分自身で認識さえも出来ていないことばかり。だから弁護士や友人といった第三者が、いや他人が明確な言葉にしてくれるが、その外野が言葉にしてくれたものはどれも当事者からすれば、「いや〜そこまでキツいことは思っていないねんけど」「えっ、そんなこと思ってたん?」というものばかり。外野が騒げば騒ぐほど、当事者はより一層自分の気持ちが分からなくなってしまうからこそ、長引く離婚調停は相当疲れる。そして疲れるからこそ、いっそのこと相手を憎めば楽になると泥沼にハマっていくのだろう。

しかしこの夫婦はそんな泥沼にだけはハマろうとせず、必死に足掻いている。その理由はやはり一人息子ヘンリーの善き父親でいたい、善き母親でいたいという想いだけではなく、相手にも善き母親でいてほしい、善き父親でいてほしいという想いもあるからだろう。

もしこの夫婦が坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに争っていたら、恐らく顔を合わせる度に言い争いばかりしていただろうが、この夫婦の言い争いは所詮話し合いの延長線、つまりはただ単にヒートアップしているだけ。普段から不満に思っていることを相手に伝え、互いに気遣って生活していれば離婚になど至ることもなかったのに、それを怠ってきた積み重ねが結果として外野が男と女の性別の話にまで膨張させて面倒臭くなっているだけ。一人息子に嫌な想いをさせていると分かっているのに、それをまだ一人で解決しようとしているだけ。

だからノア・バームバック監督は夫婦が本来あるべき姿、つまりは互いを思い遣るシーンにだけ優しい音楽を流す。そこに取り戻せない過去とか、修復できない夫婦像は一切見せず、今のこの気持ちを大事にするだけで離婚は避けることが出来るだろうと言わんばかりに。

一人息子を元妻から預かる元夫と、元夫の解けた靴紐を結んであげる元妻。友人という気遣いが必要な関係なら仲のいいままでいられた二人。それを夫婦という関係でも続けることが出来ていたら、別に離婚なんてしなくても良かったのに…。
※お知らせとお願い
【元町映画館】へ行こう!


acideigakan at 01:54│Comments(0)clip!映画レビュー【ま行】 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
昨日の訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

※オススメです♪※
『KANO~1931海の向こうの甲子園〜』主題歌
ぷろふぃ〜る

にゃむばなな

Twitter始めますた
nyamu_bananaをフォローしましょう
livedoor 天気
ちょいとした広告掲載