2020年03月20日

『ジュディ 虹の彼方に』

ジュディ特別なスター女優と普通の母親。
子役時代から世間を知らずに生きてきた女優ジュディ・ガーランド。2人の子供の幸せを何よりも願う母親ジュディ・ガーランド。自分を特別な存在と思えば思うほど、世間との間に広がる溝がより彼女を孤独に追い込む。でもロンドンで初めて知った彼女に注がれる多くの愛。それを知って旅立てたことは幸せだっただろう。

『オズの魔法使い』などで知られるジュディ・ガーランドは、子役時代から自分は特別な存在だと刷り込まれてきた女優だが、一方で人並みの幸せを手に入れたいと子役時代から望んでいた女性でもある。

ただ彼女も古今東西、不器用にしか生きられずに人生を終えていったスターの一人。売れっ子となればプライドが邪魔をし始め、唯一無二の存在だと思えば思うほど、我儘が、遅刻が、無断欠勤が多くなる。それが悪いと分かっていても、酒や煙草、睡眠薬に頼る術しか知らなければ、悪態も多くなる。自分に注がれる愛の真偽も分からなくなる。

けれど自分で自分を特別な存在だと思うことは悪いことではない。自分の可能性や能力を高めるには有効な手段ではあるが、でもそれは基本的に自分の中で思っていればいいこと。外に出すことではない。
逆に周りにいる人、例えば仕事仲間や長年のファンが特別な存在だと扱ってくれれば、それは素直に受け入れればいいこと。それが出来ていなかったジュディ・ガーランドは、一言で言うと謙虚に生きることが出来なかった人物だ。

だから彼女に共感出来るところは、ほとんどない。愛する子供と寝る場所も確保出来ない生活を一変させるためにロンドン公演に挑むも、これが最後のチャンスだという危機感もなければ、子供のことよりも自分のことばかり優先してしまう。終いにはアメリカで出会った年下男性のミッキーと結婚するもすぐに破談してしまい、何かと世話をしてくれるロザリンへの感謝の想いも表さない。

つまり世間知らずで淋しく人生を終えた他のスターと同様、どんなに年齢を重ねても子供のまま。ロンドンでゲイカップルのファンに出逢い、彼らの苦悩や苦労を知ってもなお一念発起出来ないのも、大人になりきれていない証なのだろう。

そんな彼女がロンドンの劇場から契約を切られ、それでもなお周囲の優しさで最後のステージを楽しむ姿は素晴らしいというよりも、どこか哀愁が漂う。これだけ多くの愛が以前から彼女に注がれていたのに、それに向き合おうとしなかった彼女が大人として、母親として、とても小さく見えたからだ。「虹の彼方に」をあれだけ歌っていながら、その歌詞の意味を全く考えてきたことがなかった人生が淋しく見えたからだ。

アメリカではジュディ・ガーランドの人生は有名らしいので、彼女の人生が多く語られることはないこの内容でもいいのだろうが、むしろ子役時代の苦悩を多少リンクさせながら、借金返済と人生立て直しのために挑んだ1968年のロンドン公演しか描かれていないこの作品が、アメリカ以外で高く評価されるかどうかは微妙に思えるところも多々あったのは残念。

しかし昔はあれだけふっくらしていたレネー・ゼルヴィガーが痩せこけてまで、微妙に震え続けるジュディ・ガーランドを歌唱のシーンまで演じ切った姿だけは素晴らしい。是非そのダイエット法を教えていただきたい!

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acideigakan at 15:42│Comments(0)clip!映画レビュー【さ行】 

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