映画レビュー【ま行】

2019年06月09日

『町田くんの世界』

町田くんの世界マジか、町田!ヤバイいぜ、青春!
普通の恋愛ドラマなら、既に孫が2人も出来ているぜ…なんて言える青春の甘酸っぱい世界観が凄く心地いい。恋をしている自分に気付かず地団駄を踏むモヤモヤが凄く可愛らしい。
だからこそ、あのファンタジックな終盤が実に勿体無い。例えそれが原作通りだとしても。

この世は悪意に満ちている。そんな言葉に誰もが共感するようなこのご時世に、全人類を家族のように思っているかのように、困っている人がいると見過ごせない男子高校生の町田くん。
勉強はダメ、運動もダメ、顎も太腿も上げて走るから凄く遅いうえに、自分のことは後回しにするくせに、他人の言葉を真に受けるきらいもあるから、どこか空気も読めない、ちょっとした変態にも見える。

けれど、そんな彼に恋をする女子高生が現れる。母親の不倫をきっかけに人間不信に陥った猪原さんは、保健室で町田くんの手当てを手伝ったことを機に、どうしても彼のことが気になるが、町田くんは所詮町田くん。
誰にでも優しい彼は猪原さんにも優しい。猪原さんにだけ優しいのではなく、猪原さんにも優しいのだ。

だから西野くんの猪原さんへの恋心もサポートしてしまう。困っている同級生たちには、肩車でも荷物運びでもしてしまう。バレー部のレギュラーになった同級生にもエールを送るし、氷室くんにフラれた高嶋さんにも恋心を抱かれてしまう。その氷室くんの猪原さんに対する心無いナンパのお手伝いもしてしまう。

恋をすれば、誰もが相手に自分にだけは特別扱いを望んでしまう。でも特別扱いって、自分にだけ優しいではないだろう。それを電車に乗れば誰もがスマホばかりを眺めている現代にこの作品は問い掛ける。

困っている人がいれば手を差し伸べるのも当たり前のはずなのに、それをしない者が困っている自分は助けてもらえないと愚痴り、他人の不幸を喜ぶ悲しき現代。
恩も仇も返ってくる我々の人間社会において、町田くんの善行は人としてあるべき姿の具現化なのだろうが、そんな彼も我々と何も変わらぬ一人の人間。普通に自分の知らない世界、ここでは恋愛に悩む。

そんな青春の甘酸っぱさと可愛らしさに満ちた町田くんと猪原さんのなかなかくっつかない色恋沙汰は、栄さんの毒っ気たっぷりのツッコミと共に西野くんや高嶋さん、氷室くんを内面から変えつつ、まるで雨上がりの晴れた空のように世界を清々しくしてくれていただけに、やはりどうしてもあの終盤の急激なファンタジック展開には眉をひそめてしまう。

もちろんファンタジックなキャスティングによる世界観ではあるが、急に風船に掴まって猪原さんを追いかけても町田くんの恋心は十二分に描けないのではと思えてしまう。
自転車を薙ぎ倒したことに戸惑うくだりでの恩返しもバレー部全員は多すぎるやろ!というツッコミ以降、原作がどうなのかは未読なので分からないが、町田くんは普通に自転車で追いかけて、電車内では吉高記者と猪原さんの偶然の出会いで足止めになったという展開ではダメだったのだろうか。

伏線の回収など、脚本の巧さが凄く感じられる作品で、なおかつ雨やプールといった水を青春の恋愛と巧く絡めた演出が凄く心地よかっただけに、個人的にはちょっと残念でした。

ただ今年で30歳の岩田剛典さん、28歳の高畑充希さんや前田敦子さん、26歳の太賀さんはどうしてこうも制服姿が似合うの?29歳の池松壮亮さんや31歳の戸田恵梨香さんは大人役なのにね。

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2019年02月03日

『メリー・ポピンズ リターンズ』

メリー・ポピンズリターンズメリー・ポピンズと2ペンス貯金は永遠に。
これぞ現代的なディズニー映画の王道を行くミュージカルだ。そしてメリー・ポピンズが永遠に古典にはならないと印象付ける楽しさ溢れる作品だ。
また20〜30年後にメリー・ポピンズに会いたくなる。そんな余韻がとても心地いい。
ただあ歌詞はどこへ行った?

厳格な銀行員だった父親ジョージとは違い、画家志望を諦め、何もかも亡き妻に頼りきりだったマイケルは、独身で低賃金労働者の待遇改善運動に勤しむ姉ジェーンと共に3人の子育てに奮闘しているとはいえ、あまり頼り甲斐のない父親。

そんな彼の元に傘ではなく、飛ばされた凧と共に空からやってきたメリー・ポピンズは20年という時を経ても、相も変わらず自分の流儀を貫く、凛とした美しき英国女性。
厳しくも優しく、楽しみながら学ぶことの大切さを体験させながら学ばせるその手法は、ジェーンやマイケルが幼き時と何ら変わらない。

ただジェーンやマイケルの時が悪者のいない楽しいことだらけの小旅行なら、アナベル、ジョン、ジョージーと共に過ごす今回は悪者も複数登場する、いわば冒険のようなもの。
だから前作とは違い、いかにも現代的ディズニー映画らしい要素が満載。

その象徴たるのが割れた器の中で繰り広げられる冒険だろう。CGではなく、あえてアニメーションとの融合であの楽しかったペンギンたちとのダンスもあれば、何でも屋のバートに代わりガス灯点灯職人ジャックとのタップダンスもあるという夢の世界を再びスクリーンに蘇らせるだけでなく、そこにメリー・ポピンズは最低限の助け舟しか出さないが姉弟3人で協力し合って悪者をやっつけるという冒険劇もある。

そしてメリー・ポピンズの従姉トプシーは特に冒険には加わらないが、想い出の我が家を守るために3姉弟が倒すべき相手というのが、マイケルが勤めるあの銀行の現頭取の守銭奴ウィリアムという構図も分かり易いが、その冒険の最後を飾るのがドースJr.を演じるディック・ヴァン・ダイクの登場と、あの2ペンスだというのも楽しい。

しかもドースJr.が義足ジョークを繰り出そうとしてやめるのも前作ネタとしては楽しかったが、出来れば「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」も出して欲しかった。この歌詞でマイケルが一念発起して欲しかった。

けれどガス灯点灯職人たちによるダンスやビックベンの時計を5分遅らせる大作戦も楽しければ、その大作戦に実は海軍大将から提督に代わったブーム閣下やビクナルも少々関わっていたりと、前作の世界観を受け継ぎながらも現代的にすべきところは変更する。その塩梅がこの映画の楽しさの骨格なのだろう。

だから映画を見終ると、ふと思ってしまう。また20〜30年後にメリー・ポピンズに会いたいと。
その時は「メリー・ポピンズ アゲイン」になるのかな?
ジェーンとジャックの恋はどうなっているのかな?
そして悪役ウィリアムも風船を持てば身体が浮かぶようになっているのかな?

深夜らじお@の映画館は続編タイトルが「アゲイン」でなければ、「フォーエバー」でも「メリー・ポピンズ&ジャック」でも「ビギンズ」でもいいと思います。

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2019年01月27日

『メリー・ポピンズ』

メリー・ポピンズスーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス。
まさに作品自体がディズニーランドという評価がよく分かるミュージカルの傑作。時代を越えて愛され続ける意味がよく分かる映画史に残る作品。多少ミュージカルシーンが長いけれど、子供心を思い出しながら楽しくなる。
ただこの歌詞が覚えらない…。

厳格な銀行員の父親ジョージが望むのは、子供たちが規則正しい生活を送ること。女性参政権獲得運動に勤しむ母親ウィニフレッドが望むのは、子供たちが子供らしい笑顔を忘れないこと。
そんな家庭で育つジェーンとマイケルの乳母として雇われた、空から傘を差してやってきた魔法が使えるメリー・ポピンズは、まさに子供の教育の何たるかをしっかりと分かっている大人像。

厳しいけれど、優しい。規則正しく、礼儀正しく、でもユーモアと楽しむ心を忘れない。どれもが子供を育てるうえで大切なことばかり。逆にいえば、どれか欠けると子供の発育、特に心の発育に支障をきたす。

それを十二分に弁えたのがメリー・ポピンズと思いきや、実は彼女の昔からの親友であるバートもそれをしっかりと弁えた好青年であり、この2人が常にジェーンとマイケルの目線に立って、共に様々なことを楽しんでいるのが、冷めた目で見ると子供騙しの連続かも知れないが、実際に子供と接する機会を持つ方なら誰もがとても大事なことだと気付くはずだろう。

だからアニメーションとの共演ともいえる様々なシーンは、どれもがまるで登場人物がアニメーションの世界に入り込んだような感覚で見ることが出来る。CGのない時代に仕方なくアニメーションを使ったという視覚効果ではなく、アニメーションでなければ意味がないと言わんばかりの見事な演出だ。

さらにウォルト・ディズニーが生きていた時代に製作されたということもあって、子供と一緒に大人も楽しめる作品ではなく、大人が子供に戻って、我が子と一緒に楽しむことが出来る、まさにディズニーランドのコンセプトと同じような世界観を作り上げていることが、この映画が長く愛され続けている理由なのだろう。

バートのペンギンとのタップダンスにしても、煙突掃除職人たちの夕闇に紛れても楽しさが隠せないダンスにしても、笑い上戸で常に身体が浮いてしまうアルバートとの天井でのお茶会にしても、子供心を刺激するような楽しさで溢れている。

加えて退役軍人でもあるブーム海軍大将が時報代わりに大砲をぶっ放すネタを繰り返し使うネタも、その大砲時報による揺れで家具に被害が及ばないようにバンクス家のメイドを含む女性陣がそれぞれの持ち場で身体を張るネタを繰り返すのも楽しい。

だからこそ、堅物親父のジョージが銀行取締役会で2ペンスを握りしめ、このスーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスを唱え、ジョークを残して銀行を去り、子供たちのために凧を直した姿は本当に心が温かくなる。大人が子供と接する際にあるべき姿に戻ったことに安堵を覚えてしまう。

けれど、それはメリー・ポピンズがジェーンとマイケルに別れを告げなければならない転換点でもあるのが、少々淋しいところ。所詮子供にとって、一番大切な大人は両親であって、それ以外は例え身内であってもその順序を間違えてはならないという意味でもあるのだろう。

だからこそ、54年ぶりにメリー・ポピンズが帰ってきてくれるのが嬉しく思えてくる。
そして続編公開前にこの作品をきちんと見れたことも嬉しく思う。

深夜らじお@の映画館にもこんな教育係さんがいて欲しかったです。

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2019年01月18日

『ミスター・ガラス』

ミスター・ガラスヒーローがいるからヴィランがいるのではない。ヴィランがいるからヒーローがいるのだ。
もしかして我々は『アンブレイカブル』の頃から19年間もM・ナイト・シャマラン監督に騙されていたのだろうか?ヒッチコックの再来または後継者と一時期だけでも称されたこのフィラデルフィアの恐妻家の不遇時代も全てこの映画のためのフリだったのだろうか?

『スプリット』のラストで「壊れない男」ダンが登場し、『アンブレイカブル』の後日譚であるこの作品のタイトルが「壊れやすい男」イライジャの異名であり、その後日譚に24人格のケヴィンがどう絡むのかと期待をしていたが、さすがは一度でもアルフレッド・ヒッチコックの後継者と称されたM・ナイト・シャマラン。

安易にダン、イライジャ、ケヴィンの3人の物語にはせず、そこに父親ダンをヒーローと思い込んでいるジョセフ、ケヴィンと同じ虐待の過去を持ちながらもビーストから逃げ延びたケイシー、そしてイライジャを優しく、時に厳しく育ててきた母親を含めた6人による3つの物語が精神科医エリーを主軸に交差するようで、でもそこに何かをずっと隠していることだけはきちんと匂わすテクニックが素晴らしいこと。

なので、ヒッチコック作品を彷彿とさせるような音楽で独自の世界観に引き込ませながらもネタふりを随所に散りばめる一方で、『アンブレイカブル』の記憶を徐々に蘇らせながら、今回はM・ナイト・シャマランの出演シーンは結構長いなぁ〜と思いつつ始まる物語は、単にダンがケヴィンと戦う勧善懲悪ストーリーではない。

キーパーソンのはずのイライジャが精神崩壊状態なのか全く反応を示さないが、だからと言ってこの精神科医エリーも善人には見えない、ダンもヒーローにしては少々描かれ方が薄いこともあってか、余計に随所に監視カメラ映像で見せてくるシーンが凄く気になる謎多きストーリーだ。

だから本当に彼らは自分をスーパーヒーローと思い込んでいるだけなのか?それで説明がつくものもあれば、つかないものもある。それらをM・ナイト・シャマランはどう処理するのか。また観客を裏切る形で映画を終わらせてしまうのか。そんな不安と期待が入り乱れる。

そして高度なIQを持つ94回骨折男イライジャが用意したラストは、ヒーローのダンが無念の死を迎え、ヴィランのケヴィンもケイシーの腕の中で死を迎え、そしてケヴィンの父親をもあの脱線事故に巻き込んだ黒幕イライジャも計画失敗の死を迎え、ヒーローの存在を否定する謎の集団が勝利する嫌な気持ちしか残らないもの…ではない。

ダンというヒーローがケヴィンというヴィランを倒し、特殊能力のない警察を始めとする人々を守った姿を、あの監視カメラ映像で見せたシーンを全世界に配信するという、イライジャがヒーローとヴィランの対決を隠れ蓑にしながら遂行したヒーローは実在するという事実の拡散。

ヒーローがいるからヴィランがいる。
多くの人々はそう考えてしまう。
けれどヴィランがいなければ、ヒーローは存在出来ない。
ヴィランが存在するからこそヒーローが存在出来る。

それこそがM・ナイト・シャマラン流のスーパーヒーロー論。

それを19年掛けてM・ナイト・シャマランが映画で証明した。
まるでこの19年間という不遇時代さえ、この映画のために用意されたネタふりかのように。

となると、我々は19年間もM・ナイト・シャマランに騙されてきたのだろうか。

深夜らじお@の映画館は懐かしさと面白さを同時に味わいながら、この映画を楽しませてもらいました。

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2018年08月28日

『マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー』

マンマ・ミーア2メリル・ストリープ不在では前作ほど盛り上がらない。
ハッピーなミュージカル映画のはずなのに、不思議と盛り上がらないのはなぜか。
誰もが知っているABBAの大ヒット曲がほとんど流れないせいか、メリル・ストリープが不在のせいか、それともミュージカルを繋ぐストーリーが薄いせいか。
10年ぶりの続編だったのに…。

メリル・ストリープ演じるドナは既に他界しているという設定により、ホテルのオープニングパーティに勤しむソフィの妊娠発覚と、若き日のドナがどのようにしてビル、サム、ハリーと出逢ったかを同時進行で描くこの映画は、どこか大きな存在感を放っていた大黒柱が抜け落ちたような物足りなさが充満している。

もちろんメリル・ストリープがインタビューで語っていたように、次世代へのバトンタッチは大事なこと。2つの物語を奏でるアマンダ・セイフライドとリリー・ジェームズの魅力も歌唱力も素晴らしい。もっと言うと若き日のドナの親友2人を演じたジェシカ・キーナン・ウィンとアレクサ・デイヴィーズも、クリスティーン・バランスキーとジェリー・ウォルターズそっくりで素晴らしい。

けれど前作とは違い、誰もが知っているABBAの大ヒット曲がほとんど流れない前半から、普通のミュージカル映画との違いが見出せない。

しかもメリル・ストリープが全然登場しない、3人の父親もなかなか揃わないので、映像的な物足りなさも加わるうえに、ソフィがいる現代劇は若き日のドナの前日談と比べても全然動かない。

さらに童貞卒業のハリー、ヨットで添い寝のビル、実は婚約者がいたサムがドナをそこまで愛した理由も深く描かれなければ、ドナが3人から誰かを選ばなかった理由も描かれない。つまりはソフィの父親が3人いるという理由が明かされないまま、いや明かしてはいけないのかも知れないが、物語が進んでも全くスッキリしないのだ。

せめて強引にでも何かしら理由付けをしてくれればまだしも、その理由付けをしないのであれば、別にこの前日談の3人の父親と出逢うくだりは別に描く必要性もなかったのではとも思えてくる。

結局のところ、メリル・ストリープがいない穴を埋めるほどの大人数で踊る豪勢なミュージカルシーンもなければ、そんなミュージカルを繋ぐドラマも薄いので、『マンマ・ミーア!』を見ているという気分になれない映画だ。

そしてやっぱりトム・ハンクスとリタ・ウィルソン夫妻は『月の輝く夜に』に思い入れがあったのだろうか、シェール様登場だけでなく、シェール様の単独ステージで全てを締め括ってしまうのもどうなのだろうか。そのためにアンディ・ガルシアにフェルナンド役を任せるというのもどうなのだろうか。
確かこの『マンマ・ミーア!』はABBAの楽曲で構成されたミュージカルだったはずなのに…。

てな訳で『月の輝く夜に』からほとんど変わっていないシェール様のエキゾチックな美貌を拝見するだけでも十分価値のある映画でした。

深夜らじお@の映画館は前作の方が好きです。

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2018年08月03日

『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』

M:i-6苦しみの後に平和が訪れる。ハラハラドキドキを越えた怖さの後に面白さが訪れる。
とても56歳のトム・クルーズが自ら生身で挑んでいるとは信じられないくらいに凄いアクションに次ぐアクションの連続だ。
ただそれ故に複雑な利害関係を捌き切れていない脚本は勿体無いの一言だが、カシミールでのクライマックスは凄すぎる!

1996年のブライアン・デ・パルマ作品から数えて23年。シリーズ6作目になっても衰えることのないトム・クルーズの若々しさと、逆に度肝を抜かされるほど凄くなっていくアクションの数々。

かつてはジョン・ウー作品がトム・クルーズのプロモーション作品とも揶揄されたこともあったものの、J.J.エイブラムスが関わるようになってからIMFチームの作品へと様変わりしたこの6作目もまたベンジーやルーサーに加え、ブラントは不在なものの、CIAの監視役ウォーカーや前作で逃がしたはずのMI-6のイルサが関わることで、奪われたプルトニウムを追うチームのスパイ活動としての面白さは大いに健在。

ただこの作品はそこにトム・クルーズの単独アクションをこれでもか!とばかりに詰め込んでくるのが凄いところであり、それが逆にアクションとアクションを繋ぐドラマの弱さを露呈してしまうことにはなっているものの、それでもカシミールでのクライマックスではまだまだ凄いものをお見せしますよ!というパワフルさに圧倒されてしまう。

特にウォーカーとの成層圏からの緊迫感溢れるスカイダイビングやトイレを壊しまくるジョン・ラークとの格闘、パリ市内でのバイクチェイスとソロモン・レーン奪還後のカーチェイスで満足されては困りますよ♪とばかりに繰り広げられる、裏切者のウォーカーをベンジーのナビゲーションで追うイーサン・ハントの綺麗なフォームで力強く走る!走る!走る!途中でお仕事中の方々にはごめんなさいね♪とばかりに飛び降りる!は、とても56歳が自ら挑んでいるとは思えないほどの凄さ。

しかもクライマックスのカシミールでは何とイーサン・ハントの最愛の元妻ジュリアとの突然の再会があるうえに、このジュリアがプルトニウム爆弾の解除を手伝うという展開にも驚きだが、ここはイーサン・ハントが愛した2人の女性:ジュリアとイルサがそれぞれの過去に自ら決着を付けるべく動いているという設定にもなっているため、ルーサーとジュリア、イルサとベンジーがそれぞれ爆弾解除のため時間との対決に挑む様もハラハラドキドキ。

でもそれ以上にハラハラドキドキを越えて怖ささえ感じさせてくれるのが解除キーを持ったまま逃げようとするウォーカーを追うイーサンのとんでもない行動の数々だろう。

そもそもヘリから吊るされた荷物やロープに捉まるということ自体が凄いのに、それをウォーカーが乗るヘリから遠目に見せることでどれだけ高所で凄いことやってんねん!という怖さを演出するだけでなく、そこから奪ったヘリでウォーカーの乗るヘリに体当たりしたり、岩間に挟まった機体から抜け出してウォーカーと取っ組み合ったり、極めつけは断崖絶壁で、しかも時間内にキーを解除しなければならない状況下で宿敵と決着を付けるなんて、もうどれだけ観客をハラハラドキドキさせたら気が済みますねん!というアクション:インポッシブルの連続。

作品を越えての兼任は違反ですよ♪とばかりにハンリー長官が退場されてしまったものの、イルサも新たに仲間に加わりそうなIMFチームが今後どんな活躍をするのか。
いやそれ以上に還暦を目の前にしたトム・クルーズが次にどんな生身のアクションをするのか。もう『007』との差別化が出来てませんやんというツッコミもどうでもいいですわ!

深夜らじお@の映画館はイルサはジュリアに「Thank You」と耳打ちしたように思えました。

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2018年07月20日

『未来のミライ』

未来のミライ細田守監督よ、映像作家に戻れ!
初夏の暑苦しさ、日没前の涼しげな淋しさ、これから始まる本格的な夏への期待感。細田守監督作品には欠かせない要素が帰ってきた!
それゆえにさりげない日常の大切さがまだ戻ってきていないことに淋しさを感じずにはいられない。
てな訳でここからは完全ネタバレで参ります!

4歳児のくんちゃんに妹が出来た。大好きな母親を始め、家族の愛情を新参者に奪われた第一子が「赤ちゃん返り」をするのはどこの家庭でもよくある話。
そんな嫉妬に狂う4歳児が建築家で子育てや家事には頼りない父親がリフォームした家の中庭で異世界に迷い込むことで少しずつ成長していくというお話は、とても心温まるものだ。

しかしラベンダーの匂いを嗅いでタイムリープするというような分かり易さがないため、中盤までくんちゃんがご機嫌斜めになった時に中庭に降り立つと異世界に迷い込むという法則になかなか気づくことが出来ない。

加えて中庭異世界で出逢った「ゆっこ王子様」「未来のミライちゃん」がお雛様お片付け大作戦でくんちゃんの世界に入り込んでしまうのに、子供の頃の母親や戦後の若かった曾祖父に出逢うくだりはくんちゃんがタイムリープするという統一感のなさも、どうしても作品のテーマを深掘り出来ていないのではないかという疑念と違和感を感じずにはいられないのだ。

要はくんちゃんが異世界に迷い込むたびに、何かしらを学んで帰ってくることで成長していくことがこの物語の主軸なのだから、お雛様お片付け大作戦はくんちゃんが父親をどうにかして動かすべきだ。
幼き母親と出逢って靴に願い事を入れる手法を覚えたことや、馬やバイクに乗せてくれた曾祖父の「遠くを見ろ」という言葉を信じて補助輪なしの自転車に乗れるようになったように、くんちゃんが自分の力で成長していくべきなのだから。

終盤での高校生になった自分との出会いから続く独りぼっち専用新幹線に幼き妹を乗せまいと奮闘する様も大きな成長のはずなのに、その結果が自分が未来ちゃんのお兄ちゃんであるというだけなのも少々淋しい。大事な家族の一員であり、大事な妹というところまで掘り下げて欲しかった。

だからなのか、やはり気になるのはくんちゃんが未来のミライちゃんと共に家族の成り立ちを上空から眺めるくだりでの、ミライちゃんのナレーションが蛇足に感じることだ。
自転車に乗ることに苦労した幼き頃の父親、命の大切さに心を痛めた幼き頃の母親、くんちゃんが生まれる前にもらわれてきた愛犬ゆっこ、そしてマトモに走ることも出来なかった曾祖父が曾祖母と徒競走をしたという馴れ初め。

そのどれもを言葉なしに音楽と映像だけで見せ切ることは細田守監督なら出来たはずだ。『時をかける少女』を見直しても分かることだが、さりげない日常や仕草に意味や心情を持たせるという演出をしてきた実力派監督だからこそ、ファンはそんな監督の復活を心から待ち望んでいるのだ。

スタジオ地図を立ち上げて以降、細田守監督作品から「さりげない日常や仕草に意味や心情を持たせるという演出」も「初夏だからこそ感じる淋しさや楽しさ」は影を潜めてきた。
だがこの作品で後者の「初夏だからこそ感じる淋しさや楽しさ」は戻ってきたからこそ、次こそは前者も復活し、細田守監督らしい細田守監督作品を是非見てみたい。

ちなみに私も長子なので赤ちゃん返りをしていたそうで、そのこともあってか妹夫婦に2人目の子供が生まれてからは、妹夫婦が下の娘に手が掛かっている時は叔父の私が上の姪っ子と遊び、妹夫婦が上の娘の勉強を見ている時は私が下の姪っ子とお勉強をするという臨機応変な子育て応援をしているが、いやはや子育てって本当に大変だなと思うと、改めて両親には感謝感謝であります。

深夜らじお@の映画館はスタジオ地図を設立する前の細田守監督作品の方が好きです。

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2018年06月03日

『万引き家族』

万引き家族家族の絆を繋ぐもの。
血の繋がらない家族と血の繋がった家族。心の繋がった家族と心の繋がらない家族。
第71回カンヌ国際映画祭にてパルムドールを日本映画として21年ぶりに受賞した是枝裕和監督作品が問う、家族のあるべき姿。
心が休まり、慈しみの笑顔が絶えない家族の絆を繋ぐものは血縁か、金銭か、それとも…。

初枝の年金を頼りにボロ家に5人で住む甲斐性なしの治、クリーニング店で働く信代、風俗店で働く亜紀、そして就学年齢になっても学校には行っていない祥太。
年金や給与では足りない分を万引きで補填するこの家族には、家族のはずなのに妙な違和感が随所に垣間見れる。治のことを「父ちゃん」とは呼ばない祥太。初枝を「おばあちゃん」と呼んで甘えるのに、治のことは「お義兄さん」とは呼ばない亜紀。でもその亜紀を妹のように大事にする信代。

そんな家族が寒さに震え、おなかをすかせ、虐待の痕だらけの少女・ゆりを迎え入れる。新しい家族として6人で過ごすようになる。
ただそこからこの家族が疑似家族であるということが少しずつ明かされる。家族のいない初枝。その初枝の亡夫が作った不倫相手との家族の孫娘である亜紀。夫婦ではなく共犯関係にある治と信代。そして拾われてきた祥太と、ゆり改め凛。

我々が生きているこの世界に存在する3つの基準。法律、常識、人情。
その法律や常識で測れば、この家族は存在すべきでない家族だ。ゆりを家族に迎え入れることも誘拐だ。万引きも未就学も祥太には不幸なことだ。

けれど人情で測ると、一人では死にたくない初枝の家に転がり込んだ治たちは、血は繋がっていなくても、心は繋がった立派な家族だ。一緒に暮らす相手に慈しみの笑顔を絶やさない、愛に満ちた家族だ。

だからこの家族の食事シーンは常に2人以上で描かれている。また男同士だから出来る性教育にも、虐待を受けた者同士の入浴にも、名前を複数持った者同士の鏡越しの会話にも、常に大人が子供に向ける愛情で溢れている。

だが駄菓子屋の店主に「妹にはさせるな」と諭された祥太が万引きはいかなる理由があっても犯罪ではないかと疑い始めてから、この疑似家族は崩壊への道を歩み始める。祥太が凛を守るために自己犠牲の道を選んで捕まったことで疑似家族はバラバラになる。

ただこの家族には誰も祥太を責める者はいない。例え亜紀が空き家になった元我が家を訪れても、治が「普通のおじさんに戻ってもいい?」と淋しく呟いても、信代が服役しても、誰も血の繋がらない家族であるはずの祥太を責めない。

血の繋がりが余計な期待を生む。

家族の絆を繋ぐものは血縁でもなければ、金銭でもない。見えない花火をみんなで楽しんだ思い出と、相手を思い遣る慈しみの笑顔だ。自分のことよりも家族のことを優先する優しさだ。

それらを是枝監督は家族の中心である2人の母親:初枝と信代を通じて、様々な形で描き出す。
特に家族旅行で海へ出掛けたくだりでの、何か言いたげで、でも自分の中で静かに消化する死期を悟った初枝と、逮捕後に女性刑事から「産まなきゃ母親になれない」という言葉に静かに涙を流す信代は、実生活でも母親である樹木希林と安藤サクラの見事すぎる演技に圧倒されてしまう。

接見の場で祥太に拾った時の状況を話した信代は、ラムネを飲みながら祥太と歩いた時と同じように母親の顔をしていた。
祥太を見送ったバスをいつまでも追いかける治は、祥太と一緒にコロッケ入りラーメンを食べた時以上に父親の顔をしていた。

バスの中で振り返った祥太は何を思ったのだろう。
実母から虐待される日々に戻った凛改めじゅりが疑似家族に教えてもらった数え歌を歌いながらビー玉を集めていた時に見た先には、どんな未来が、希望がいるのだろう。

鑑賞中に涙が溢れる映画ではない。
けれど見終わって時間が経てば経つほど、じわじわと心に沁みてくる映画だ。
そして「スイミー」こそが家族の基本だと思い出すことが出来た映画だった。

深夜らじお@の映画館は松岡茉優さんが豊満さんであったことも忘れられませんが、膝枕をしてもらった4番さんを演じた池松壮亮さんが羨ましすぎる!

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2017年11月03日

『マイティ・ソー バトルロイヤル』

マイティ・ソーバトルロイヤルサプラ〜イズ…。
あれれ、このシリーズってこんなコミカル路線だったか?と思えるほど、いろんな意味でサプラ〜イズな映画だ。もはやここまで来たら、アクションは二の次か?と思えてしまうのも良かったのか、物足りなかったのか…。
「ヘルプ」が十八番ネタのソーとロキちゃんの兄弟漫才コンビ「神様家」も微妙だったなぁ〜。

OPから鎖の都合で宿敵の話もロクに聞いてあげられないソーのマイペースぶりから、これまでとは明らかにコミカル路線がより強調されているこのシリーズ第3弾。

しかも予告編でも登場していたドクター・ストレンジが戦いに参戦するのかと思いきや、「オヤジさん、見つけといたよ」と魔術師としての成長ぶりを見せつけただけで出番が終了。
そのオヤジさんことオーディンも全知全能の神だったはずなのに、ドクターに遊ばれてヘトヘトのソーとロキに遺言を残すとあっさり退場。

さてそれではここからは喧嘩を繰り返して、いつの間にか剛と礼二のような絆を作り上げたソーとロキが新たに現れたヘラお姉ちゃんとの姉兄弟喧嘩へと挑みましょうかと思わせておきながら、ワープ中に飛ばされましたのでしばらくは余談でお楽しみください路線へと走ってしまうのだから、「最凶最悪の敵」と銘打った予告編でアクションを楽しみにしていた身には、本当に「サプラ〜イズ」でしかない。

その余談なのか、リベンジャーズ結成ストーリーと捉えるべきなのか、中途半端な立ち位置にあるサカールでのくだりも実にコミカル路線まっしぐら。
本来なら再会したインクレディブル・ハルクとソーとの強烈な一戦を楽しみたいところを、そんなことよりも屈強な友人同士の半端ないじゃれ合いをご覧くださいで突っ切るだけでなく、ハエ男グランドマスターの前で感情表現豊かなロキちゃんもお楽しみください、ついでにビリビリやられたり、雷を全身に宿すソーもお楽しみくださいなど、楽しいんだけど、求めている楽しさじゃないのよね〜という時間が続く続く。

なので、ブルース・バナーの脳内混乱模様も、地味にトニー・スタークよりも下半身は立派ですよアピールも、都合よくヴァルキュリーもリベンジャーズに参加も、ロキちゃんがヒネクレたのも「神様家」の十八番ネタ「ヘルプ」のせいやろ!も、面白いことは面白いものの、その裏で世界のアサノが討ち死にし、千里眼の監視者ヘイムダルが一人でアスガルドの民を守っていることを思うと、コミカルな面白さは満載でも、アクションとしての盛り上がりには欠けるよなぁ〜と思ってしまったのも事実。

となると、ハルク再び登場で大型犬はお任せあれも、ソー・ヴァルキュリー・ロキちゃんによるリベンジャーズも雑魚の相手しかしてませんな…も、タイカ・ワイティティ監督が演じていたと聞いてビックリの岩男戦士コーグの地味な活躍も、ハンマーがなくても大丈夫な独眼竜ソーの雷アタックも、もう少し盛り上がっても良かったのにと思えてしまったのも事実。

そして直接戦っても勝てません、リベンジャーズでぶつかっても勝てません、だから故郷でもあるけどヘラお姉ちゃんの元気の源であるアスガルドを壊しますというのも、何だかリベンジャーズの努力不足にも見えてしまったのも事実。

だからデスとロイヤーで民を守り抜いた寝返り戦士スカージの末路も涙を誘わない。それよりもアスガルドの民って中型宇宙船一隻で運べるほど少なかったの?地球での難民申請もこの人数でも大変やで。ブルース・バナーもロキちゃんも地球ではお尋ね者なのに大丈夫?またドクター・ストレンジに遊ばれるのでは?と思えてならないこと。

とまぁ、あれこれツッコミどころも違和感も多いけれど、楽しめる作品には違いない。
ただここまでいろんなキャラを絡ませると、アベンジャーズの構成員は増える一方。仮面ライダー大集合よりもカオスな状態になってしまうのでは?とちょっと心配です。

深夜らじお@の映画館は原作者に散髪されたソーやんに続き、ロキちゃんもいつかは…と思うと、そんなシーンを早く見たいと願ってしまいます。

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2017年07月10日

『メアリと魔法の花』

メアリと魔法の花ジブリの看板が重ければ、新たにポノックの看板を背負えばいいじゃない。
スタジオジブリの製作部門が一旦解散になったとはいえ、まさにまんまスタジオジブリの作品どころか、既視感だらけの前半に萎えて欠伸まで出るも、EDロールではスタジオジブリの作品らしい「あの感情」が蘇ってくるとは…。
これは評価が分かれますな。

まるで『風の谷のナウシカ』を見ているような躍動感あるOPから感じる、純度100%とも言うべきスタジオジブリの世界観。登場人物の動きといい、燃え盛る火の手といい、勢いよく成長する木々といい、そのどれもがまさにジブリ作品。いや正確に言うと「ジブリ作品で見てきた」、まさに既視感だらけのシーンばかり。

しかもメイちゃんに似た髪型のメアリに、彼女が引っ越ししてきた家には老婦人とバーサさんと思えるようなシャーロット伯母様とバンクスさんコンビ。さらに目つきの悪いジジのような黒猫ティムに、ハクのような顔をしたトンボではなくピーター。加えて塩沢ときさんのような風貌ながら存在感は湯婆婆のようなマダム・マンブルチュークに、釜爺のようなドクター・デイ。
そう、キャラクターまでも既視感だらけなので、とにかく前半は新鮮味以上に監督の個性すら感じることが出来ない時間が続くこと。

また「いつモップにまたがるんやろ?」と思わせるメアリの魔女っぷりに加え、ラピュタのようなエンドア魔法大学、巨神兵を連想させるような木偶の坊たち、ヤックルのようなカモシカ、タタリ神のような変身魔法失敗で生まれたアメーバと、様々なシーンでも既視感は続く続く。

だからこそ、あまり印象が強くないストーリーもこんな既視感だらけの世界観ではさほど入って来ない。どこで盛り上げるかというシーンもこれまでのジブリ作品を見ている者にとっては簡単に読めるので、逆に盛り上がりにも欠けてしまう始末。

結局、ひょんなことから一時的にとはいえ魔女になれた少女が大切な人を守るために、最後は自分の力で生きていく素晴らしさを知る、ジブリ作品によくあるストーリー。

けれどEDロールでふと気付く。「物語を堪能して心が温かくなったと同時に、物語が終わる淋しさが主題歌をより印象的に感じさせる」というジブリ作品独特のこの感覚。あぁ、久しぶりだなぁ〜と。

そして、また気付く。
そうか、米林昌弘監督や西村義明Pには「ジブリ」という大きく重すぎる看板ではその素晴らしき才能は活かせないのだと。だから実質ジブリの看板をポノックに架け替えただけにしか過ぎないとはいえ、その重圧から彼らを解き放つことでこの作品は生まれたのだと。

そう思うとEDロールで一際目立った「感謝:高畑勲 宮崎駿 鈴木敏夫」という部分に様々なものを感じずにはいられない。
ジブリで培った世界観を新たなレーベルで残す決断をしてくれたこと、独立したばかりのスタジオに日テレや電通といった大手企業と組ませてくれたこと、自分たち若手アニメーターに様々な夢を与え続けてくれたこと。まさに色んな意味での「感謝」があったのだろう。

そう思うと感慨深い作品ではあるものの、やはりそれでもまだまだ米林昌弘監督や西村義明Pの個性が弱いこの作品を見て思う。メアリの泣くシーンをあまり重要視しないこの作品を見て思う。
メアリはツインテールよりもポニテが似合ってるのに、なぜそれが帰路につくシーンだけなのかと!もっと高畑勲先生、宮崎駿先生、鈴木敏夫先生のように自分たちの女性の好みを作品の投影させなはれ!

深夜らじお@の映画館はツインテールよりもポニーテール派です。

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2017年05月22日

『メッセージ』

メッセージ未知との遭遇でのコンタクトに必要なもの。それはメッセージを受け取る勇気。
さすがドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品だ。細部まで丁寧に描かれたその手腕は素晴らしいの一言。
ただオチに関しては中盤で読めてしまったうえに、ヒロインの背景が描かれぬままのあのオチはやはり勿体無いとしか言い様がなかったのが残念。

地球上12ヶ所に突如現れた「ばかうけ」型宇宙船。人類に対して敵意を見せる訳でもなければ、友好を示す訳でもない。なぜなら彼らの言語が分からないし、彼らも人類の言語が分からないのだから、当たり前といえば当たり前の話。

しかしそれはある意味とてもリアルな話。地球上でさえ数多ある言語で意思疎通がままならぬのに、そこに宇宙言語が来れば当然不安は増す、疑念も増す、恐怖も増す。

だからこそ選ばれた言語学者のルイーズ。彼女の才能と知識ならと現地に召集されるも、まずこの映画は彼女が娘を授かり、その成長を見守るも、やがて難病により娘を失うというエピソードを描いている。
ただこの恐らく過去であろうエピソードで描かれるルイーズに対し、宇宙人との対話という任務を与えられたルイーズが老けていないという風貌が個人的には引っ掛かってしまった。もしかして『インターステラー』の事例からも過去のエピソードではないのかも知れないと。

そんな疑念に引っ掛かりながらも流れていくストーリーでゆっくりと強調されていくのがルイーズの母性だ。本来なら数理学者のイアン・ドネリーの理数系ならではの活躍がもっと描かれてもいいはずが、この映画ではほぼ描かれない。常に彼は彼女のサポート役に留まっている。なのでルイーズの左薬指に嵌められた指輪を見ても、そのお相手もすぐに分かってしまった。

けれど中国のシャン上将やアメリカのウェバー大佐を始めとする男共が根気もなく武力行使を主張する一方で、本当の強さであり勇気である「相手を受け入れる」優しさを示すルイーズを見て思う。やはり男は女のサポート役であることが、もっとも事が上手く進む術ではないかと。

ヘプタポッドと名付けられた宇宙人には時間軸という概念がないという事実も、もし男が仕切る場であれば、果たしてこんなにもスムーズに受け入れられていただろうか。娘が死んでしまうという未来が分かっても、その娘を育てるという勇気を持てるだろうか。

でも現実を愛おしむ女性にはそんな勇気が備わっている。今を大切にする素晴らしさを知っているからこそ、子供を産むという能力が備わっているからこそ、どんな未来が来ようとも娘を産むという決断も出来るのだ。

つまりルイーズは人類を守るために、世界を守るために、危険を犯してまでシャン上将を説得したのではない。彼女は自分よりも先に死ぬと分かっていても逢いたい娘を産むために人類の暴走を止めたのだ。
ある意味酷く個人的な理由ではあるが、その理由こそが本来なら人類が最も大切にしなければならない「愛」なのだ。

深夜らじお@の映画館は「ばかうけ」型宇宙船がなぜに北海道に現れたのかも疑問です。やっぱり大阪には宇宙人を倒した過去があるからダメだったのかな〜。

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2017年05月21日

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

マンチェスター・バイ・ザ・シーこの冷たい風も、必ず温かい風になる。
実兄ベン・アフレックの影で密かに輝き続けていたケイシー・アフレックが第89回アカデミー主演男優賞を受賞したこの作品は、静かで地味な映画。でも保護者になるという決断をした者の強さを静かに描いた映画でもある。
だからこそ、弟という立場をよく理解しているケイシー・アフレックには相応しい映画なのかもしれない。

仕事は丁寧だが、他人との距離を置く便利屋のリーにある日届いた兄の訃報。とある理由で帰りたくなかった故郷:マンチェスター・バイ・ザ・シーでは人々がリーの顔を見ては腫物に触れるような扱いしかしない。
周囲からの信頼の厚かった兄と、性格的に問題があって故郷を離れたようではない弟。そこに残された甥のパトリックという存在が大きく関わる。

実父を亡くしても二股彼女たちとの情事、バンド活動、アイスホッケー部の友人たちとの時間を優先し、哀しき現実を直視せずに、でも自分なりのペースで、時に叔父とぶつかりながらも父が遺したボートは手放さないと頑固になりながら現実と向き合うパトリック。
一見すれば薄情にも強情にも見える少年も、叔父であるリーの過去を知ると、その薄情さも強情さもある意味少年なりの、甥なりの不器用な叔父への応援なのかも知れない。

というのも故郷には住みたくないというよりも帰りたくないというリーの過去が徐々に描かれてくると、2つのことは分かってくる。
一つは兄を誰よりも信頼し、甥を誰よりも可愛がっていたこと。
もう一つは誰よりも大切にしていた3人の子供たちを自分が犯した暖炉での火の不始末から死なせてしまうも、それに対して法律上の罰を与えてもらえなかったこと。

つまり彼は誰からも責められなかったからこそ、誰からも赦されなかった。
だから自分で自分を責め続けた。誰もが彼を赦しても、彼が彼自身を赦さなかった。
そして近くで最も心配してくれていた兄にその感謝を十分に伝えきれぬまま、今日に至ってしまったのだ。

ただ兄が自分をパトリックの後見人にするという遺書から伝わる想いを知り、パトリックと故郷の冷たい風を全身で受けながら、友人たちの助けを素直に受けて考える。
自分はどうすべきなのかと。パトリックをどう扱うべきなのかと。

やがて彼は答えを出す。元妻ランディの幸せを知り、彼女の謝罪の言葉に自分も自分自身を赦すべきだという涙を流し、兄の想いを思い出して答えを出す。

マンチェスター・バイ・ザ・シーに留まりたいという甥の想いを尊重し、友人ジョージにパトリックを預ける。ボートも家も貸し出すが、決して手放さない。
そして自分はボストン郊外へ帰る。ただし甥が遊びに来るスペースのある新居に帰る。兄ジョーがソファーを複数置いてくれた優しさを今度は活かせる我が家へ帰る。

冷たい冬風が吹く故郷にもやがて温かな春風は吹く。ボストン郊外で雪かきをしなくてもいい季節がやってくる。
そして傷ついたリーの心にも、その傷がようやく癒される日がやってくる。今は亡き兄ジョーが最も待ちわびた日がやってくる。

だがこの映画ではその日は描かれない。春風が吹く日も描かれない。なぜなら誰もがもうその日が必ずやってくることを確信しているからだ。リーの生きる力が蘇ることを誰も疑わないからだ。そんな優しさがこの映画には詰まっている。

深夜らじお@の映画館はケイシー・アフレックにこの役を進めたプロデューサー:マット・デイモンの兄心にも深く感心しております。

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2017年04月03日

『ムーンライト』

ムーンライトムーンライトに照らされると、黒人の少年も青色に見える。
これは黒人のゲイ映画。誰もが共感する青春映画。でも最後に気付かされるのは、これがその詩的映像美に言葉を失う愛の映画だということ。
『ラ・ラ・ランド』とは真逆の静かさと力強さがずっと心に残る。それが第89回アカデミー作品賞に輝いた映画である。

マイアミの貧困地域、母の麻薬中毒、同級生からのイジメ、そして自分はゲイ。常に怯えながら生きている一人の少年:シャロンは、リトルと呼ばれ、シャロンと呼ばれ、ブラックと呼ばれながら成長していく。
しかしその成長していく姿は何も特別ではない。誰の人生にでも起こりることばかり。生活や家庭環境、人間関係、恋愛感情。それらが3幕に分けられて描かれていく。

フアンと出逢った第1幕「リトル」では、他人でありながら、兄貴分であり、親父代わりであり、子供好きの近所のおじさんでもあるフアンを演じるマハーシャラ・アリを見れば、誰もが彼のオスカー受賞に納得してしまう。
海で泳ぎを教えるシーンがまるで洗礼の如く美しさを放ち、少年に生きていくべき道を示そうとする大人の優しさ。そこに過酷な現実が交差する時、苦しむ少年を導くことの出来ない大人としての悔しさと淋しさが静かにスクリーンに残る。

親友のケヴィンに恋心を抱き始める第2幕「シャロン」では、孤独な思春期に苦しむ青年の姿に思わず心が苦しくなる。フアンは既に何らかの理由で他界しており、母親の麻薬中毒は進み、学校でのイジメも過酷さを増すばかり。
常に「フアンさえいれば」という言葉にならない青年の表情が、ケヴィンと接する時だけは心の奥底に潜む力強さを垣間見せる。
だから青年は親友の殴打に無言で耐え、その親友を苦しませた同級生を椅子で殴り倒した。全ては海辺で結ばれたこの想いだけは誰にも汚されまいという力強さがあったからだろう。

そしてマッチョな売人となってしまった第3幕「ブラック」では、フアンが歩ませたくなかった人生を歩み、麻薬中毒だった母親とも距離を置く大人の男がより孤独に見えるはずなのに、一本の電話がそんな彼を孤独という世界から引き摺り出す。

料理人となった親友ケヴィンからの電話は、シャロンにとっては忘れられない初恋の相手からの再会の約束。だが「ククルクク・パロマ」と共に車を走らせる彼の表情を見て、親友のために料理を作ると言ってくれたケヴィンの表情を見て気付かされる。
あぁ、これは青春映画ではない。ゲイの映画でもない。愛の映画だと。月の光に照らされ青色に見える少年が大人になるために注がれた様々な愛が描かれた映画だと。

フアンはずっと自分と同じ道を進むなと人生を諭してくれた。母親は自分のような弱い人間になるなと涙を流してくれた。そしてケヴィンは俯く癖も売人という仕事も否定せず、今もなおこんな自分を受け入れてくれる。

だからシャロンが親友に打ち明ける。初恋の相手に打ち明ける。あの海辺での情事以降、誰にも自分を触れさせていないと。
それはストイックな愛の告白。ピュアな愛を守り続けた告白。どんなに見た目が代わっても、フアンから教えられ、母親を反面教師にし、ケヴィンを想い続けた、今も変わらぬシャロンの強き想い。

それが美しい映像で力強く、でも静かな余韻を残しながら語られる。何とも心地いいラストではないだろうか。

深夜らじお@の映画館はこの作品のオスカー受賞に納得です。

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2016年11月02日

『湯を沸かすほどの熱い愛』

湯を沸かすほどの熱い愛誰の心にも「お母ちゃん」が必要だ!
人生に迷った時、前に進みたくても進めない時、いつも我々の背中を押してくれるのは血の繋がりを越えた「お母ちゃん」と呼びたくなる女性。
本気で心配してくれて、包み込むように優しく抱きしめてくれて、いつも味方になってくれる「お母ちゃん」に涙が止まらない。

「湯気のごとく亭主が蒸発しました。しばらくお湯は沸きません」という張り紙を張って銭湯・幸の湯を1年間も閉めていた幸野双葉。誰からも好かれるというよりは、誰にでも自分の子供のように世話してくれる彼女の大きな優しさに触れると、自然とこの「お母ちゃん」にいい報告をしたくなる。

学校でイジメに遭っても反抗も認知もしてこなかった安澄が体操服を脱いでお母ちゃんが買ってくれた下着姿になってまで制服奪還を成し遂げる。
誕生日に実母が迎えに来ると信じても叶わずお漏らしまでしちゃった鮎子が泣きながらこの家に置いて欲しいと懇願しながら強い子になると心を決める。
北海道出身と嘘をついたバックパッカーの拓海が日本の最北端を目指すという目標を通して自分の歩む道を照らしてくれたお礼の報告に来る。

これは実母に限らず、職場などでも出逢う母親世代の女性たちに、特に精神面でお世話になった若い世代が自然と抱く気持ち。時に実母以上に親しみを感じる「お母ちゃん」的存在に対し、自分が出来ることなら何でもやります!恩返しをしたいんです!と思える気持ち。

でも「お母ちゃん」は決して恩返しを望んでいる訳ではない。自分の子供のような若者や頼りないダンナのことが心配なだけ。
特に末期がんと診断された双葉にとっては、その心配というのはあまりにも大きすぎるもの。本当に私がいなくてもダンナ・一浩の前妻の娘・安澄は、一浩の愛人の娘・鮎子は、人生に迷った拓海は、娘を育てるという現実から逃げ出した酒巻君江は、片親での子育てと探偵業で忙しい滝本は、そしてピラミッドを見せてくれると約束するも果たしてくれないダンナは大丈夫なのかと。

だから安澄に実母の君江と逢わせる旅に出る。安澄に手話を学ばせていたのもこの時のため。いやこの時から始める大切な時間のため。
鮎子やダンナには家族4人でしゃぶしゃぶを楽しみ、家族4人で毎日銭湯の掃除をする。家族がバラバラにならないように。

そんな双葉もまた実は母親に捨てられた過去を持つからこそ、実母が幸せに生きているという現実に複雑な気持ちを抱く。双葉にも「お母ちゃん」が必要なのに、その「お母ちゃん」は天国にはいない。私は大切な子供たちを残して一人で旅立たねばならないのかという悔しさがより彼女を孤独にする。

けれど双葉には血の繋がりはなくても心が繋がっている大切な家族がいる。そんな家族が夜の病院敷地内で人間ピラミッドを作る。発案者のダンナと共に拓海と滝本が土台になり、安澄と君江が中段に、鮎子が頂上に、そして滝本娘がスフィンクスに。
実物のピラミッドには敵わないかも知れないけれど、世界に二つとない幸野双葉にとっては人生最高のピラミッドに観客の涙が止まらなくなる。

ただ個人的にはあのラストがどうも気になる。人間ピラミッドのくだりで終わらせず双葉の臨終直前のシーンを入れたかと思えば、最後は双葉を幸の湯で火葬するというのは、ちょっとこれまでの流れを考えるとベタから急に奇を衒った展開になったかのようにも思えて仕方ないこと。
確かにこれで「湯を沸かすほどの熱い愛」という妙なタイトルの意味も理解は出来たけれども、そこまで双葉が望んでいたシーンもなかっただけに、ちょっと複雑な気持ちになったまま劇場を出るハメになったのは少々残念。最後までベタを押し通しても良かったのに…。

てな訳でやっぱり男は女には敵わない。特に母になった女性には敵わない。だって「お母ちゃん」なんだから!ということを改めて痛感した良き映画でした。

深夜らじお@の映画館にも「お母ちゃん」と呼ぶに相応しいほど、お世話になった女性がたくさんいます。

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2016年06月10日

『マネーモンスター』

マネーモンスター男を動かすのは金ではない、女だ。
さすがフェミニストでメンサ会員で12歳から女優業をこなし、オスカーを2度も受賞した才女ジョディ・フォスター監督。劇場型犯罪を扱った作品なのに、過去の名作とは明らかに違う面白さを兼ね備え、かつ男性監督には撮れない面白さが目立たずに、でもしっかりと描かれているではないか!

人気財テク番組を生放送中にジャックする。そんな『狼たちの午後』に代表されるような劇場型犯罪を扱ったこの映画は、2014年に映画化されていない優れた脚本のブラックリストにも載っていたという、観客を全く以て飽きさせない様々な面白さが詰まった作品。

しかもフェミニストで同性愛結婚をしているジョディ・フォスター監督だからこそなのか、男性監督作品ならこうなるだろうと思われるところが尽く裏切られる様が実に笑いをも誘って面白いこと。

例えば見ているだけでも恥ずかしいダンスを毎回披露するジョージ・クルーニーのヘタレ司会者リーを人質にしたカイルの恋人を警察が連れてくるくだり。本来なら泣き落としなどで犯人説得に協力してもらうのかと思いきや、この恋人が生放送もお構いなしに「アンタはクズよ!」とカイルを罵倒すれば、凹むカイルにちょっと同情しちゃうリーの男の情けない哀愁も面白いこと。

一方でヘタレ男を情けない男が人質に取るという場をインカムで仕切るのが番組ディレクターのフェン。彼女が戸惑う男性部下たちにテキパキと指示を送ってはアイビス社の疑惑をハッカーを使って調べると同時に、キャンビー社長の黒い噂をアイビス社の広報にも調べてもらう。その広報ダイアンもまた女性であるのが面白いこと。

つまりこの映画で右往左往しているのは男ばかり。四方八方動いているのは女ばかり。だから警察の狙撃を回避したリーがカイルと共にスタジオの外に出ても、フェンの冷静さは変わらない。レスターのしたたかさも変わらない。
それが面白さの安定を生むと同時に、奇を衒った面白さは追求せずに、けれど男目線では描けない他の作品にはない面白さで最後まで見せてくれるのが楽しいこと。

振り返ればアドリブで無責任なことを言う司会者も男ならば、株で6万ドルを損して8億ドルを要求するもベストに装着した爆弾は実は粘土でしたという犯人も男。閉所恐怖症でもディレクターに命じられれば最後まで撮影を続けるカメラマンも、南アフリカで鉱山ストで一儲けしようとして失敗したうえに、ビビり姿がネットで遊ばれた社長も、何だかんだで結局活躍しなかった警察幹部も全員男。

そんな男たちが動いているようで、実際はフェンやレスターといった「しっかりした女たち」によって動かされていた物語の結末は、カイルの射殺という女の仕切りが存在しない場で起こってしまった悲劇。それもまたフェミニストの女性監督ならではの皮肉と思うと、改めてこの映画は男性監督には撮れない作品にも思えるものでした。

深夜らじお@の映画館は女性の掌の上で転がされてナンボが男の人生だと思います。

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2016年03月05日

『マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章』

マリーゴールドホテル2平均年齢70.4歳、マリーゴールドの花言葉のように信頼・愛・嫉妬・勇気・生命の輝きと多種多様に花開く。
相変わらず何とも言えない温かさに包まれた作品です。余生を過ごすために集まったはずの5人が逆に青春を謳歌しているようにも見える、何とも言えないほっこりとした映画です。
特に実年齢でも19日違いの81歳コンビ:ジュディ・デンチとマギー・スミスの内面の若々しさには感服です。

前作では人生経験豊かなブリティッシュ・シニアのイヴリン(81)、ダグラス(66)、ミュリエル(81)、ノーマン(75)、マッジ(63)がインド人青年ソニー(26)の夢と恋を応援する物語から個々のエピソードが描かれていましたが、今回は完全なるオムニバス・ストーリー。

イヴリンとダグラスの恋は学生のように互いを意識するところで停滞中。ミュリエルは資金繰りのため訪れたアメリカで紅茶について厳しく講義。ノーマンは妻キャロルの浮気が気になり、2人の殿方から求婚されているマッジは決め切れずに逃げる一方で、ソニーはスナイナとの結婚や新館計画にクシャルという存在がうっとおしくて何事もうまくいかない。

加えてソニーが勝手に鑑定人とみた謎の宿泊客ガイ・チェンバース(66)とソニーの母親でもあるカプール夫人(61)の恋物語やもう一人の謎の女性宿泊客の存在など、エピソードは盛り沢山。

しかもこれら7人で平均年齢70.4歳のシニア群像劇がソニーとスナイナの若者エピソードと同じ温度で描かれているにも関わらず、全く違和感なく見れてしまうのは、やはりジョン・マッデン監督の温かさを重視した演出以上に、シニア名優たちによるアンサンブルのおかげなんでしょうね。

特にジュディ・デンチとマギー・スミスというイギリスどころか世界の映画界を代表する名女優が2人きりで共演するシ−ンなど、まさにローマ法王とロシア総主教が共に並ぶくらい、夢の共演を超えた奇跡の共演ですよ。恐らくこれが最初で最後になるんでしょうけど、映画ファンとしてはある意味興奮するほどでしたよ。

ただこの映画には分かり易い恋物語の結末は用意されていませんし、何なら第3弾も作っちゃうよ♪出演者の誰かが本当に天国に召されるまでいくらでも続編を作っちゃうよ♪的な含みも凄く感じられます。

イブリンがインド人店主の協力を得て布の買い付けに成功した後にどんな営業展開を見せるのか、マッジの専属化したインド人運転手とのほっこりエピソードがどうなるかとか、ミュリエルの体調がどうなのかなど、いくらでも今後の展開を膨らませる余地を残すどころか、何ならイブリン、マッジ、カプール夫人に続き、ミュリエルも恋をしなさいよ♪という平均年齢71.5歳のガールズトークが始まりそうな雰囲気さえあるほど。

ミュリエルを除くシニア組がインド映画よろしく大人数で踊るラストは絵的にどやねん!というツッコミもありましたが、それでもどこか『釣りバカ日誌』や『男はつらいよ』シリーズのような、長期のシリーズ作品が持つ独特の温かさをこの作品も有している以上、これからもマリーゴールド・ホテルの新館は増えていくんでしょうね。

そうなるとソニーのような相手によって態度を変えるよう接客を矯正するためにも、日本からも誰か送り込まないと。マギー・スミスとの衝突回避不可も計算に入れると、やはり富司純子さんあたりですかね。

深夜らじお@の映画館はこのシリーズはまだまだ続けてほしいです。

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2016年03月04日

『マネー・ショート 華麗なる大逆転』

マネー・ショートリーマン・ショックの仕組みが分かるだけでも十分面白い。だがやはり難しい。
2008年に起きたアメリカの住宅ローン市場の崩壊から始まった世界規模の金融危機。その兆候をいち早く察知したトレーダーたちを通してリーマン・ショックの仕組みを分かり易く描いたこの作品。
なるほど、アカデミー脚色賞受賞も納得。ただそれでも難しい。

「世紀の空売り」が原題なのに、「金が足りん」という邦題を付けるだけでは飽き足らず、「華麗」でもなければ「大逆転」もないのに不要な副題までつけてくれた、この本年度屈指のセンスのない邦題タイトルに惑わされることなく、リーマン・ショックの仕組みがわずか2時間程度で勉強出来るこの作品。

ただ住宅ローンを集めたものを証券化することが出来るという金融知識もないので、MBSやCDSの中身までは理解出来ません。
でも金融商品をお米に置き換えて自分なりに解釈してみると、これが大枠だけでも理解出来るようになってくるんですよね。

例えばコシヒカリとタイ米しかない地域があったとします。その地域で商売をする利伊万兄弟米穀店【銀行、証券会社】は80%以上魚沼産【AAA】と謳ったコシヒカリ【MBS】を販売していたものの、実際は半分近くが外国米【サブプライムローン】を混ぜていた。
ところが老舗で信頼もあったので誰もそれに気付かなかったものの、その米穀店が卸している飲食店の米料理の評価が落ちている【債権の焦げ付き】ことに気付いたのが短パン投資家マイケル。

本来なら不正を正すべきですが、同業者として考えるのはコシヒカリ【MBS】がダメになれば補填商品のタイ米【CDS】に注目が集まる。ならば誰も気付かないうちにタイ米【CDS】を買い占めておこうと動き、その話を又聞きした銀行家ジャレッドがファンドマネージャー・マークを巻き込み、またその話を偶然知った若者2人から隣人のよしみで協力を求められたのが伝説のトレーダー・ベン。

そして当初はタイ米【CDS】の買い占めなどバカげていると思っていた人たちを他所に、米料理の評価が落ちていた飲食店の閉店【金融崩壊】が始まると、当然の如くタイ米【CDS】は売れるが地域の飲食産業はダメになる。それがリーマン・ショックの仕組みということだと思うのです。

ただベンが若者2人を叱ったように、マークがCDSの売りに躊躇ったように、ジャレッドが最低限の報酬しか得なかったように、そしてマイケルが淋しそうに「+489%」と書いたように、彼らは「世紀の空売り」によって成功した訳ではなく、むしろ自分の身を守っただけ。アメリカ経済の負けを予測して賭けなければ、自分たちが職も家も失うことになっていたのを避けただけ。

ですからこの映画では誰も喜ぶ結末を用意はしていないのです。もちろん「華麗なる大逆転」など微塵もないのです。ただただ犬の名前でもローンが通るほどザル審査しかしない金融業界と、ライバル企業に仕事を取られたくないという理由だけで評価を下げない格付け業界から誰も責任を取る人間が現れない狂ったマネーゲームを憐れむだけ。
一番の悪者は税金投入で助けられ、金融システムなど理解しようともしなかった末端の人間が一番の貧乏くじを引く。そんな理不尽な世界に身を置いていることに淋しさを覚えるだけ。

リーマン・ショックとは鮮度の落ちた魚介類をシチューにするシェフや賭け事に勢いで挑むカジノ客の如く、業界人が真実を有耶無耶にし、業界に興味のない一般人が見逃したがゆえに起こるべくして起こった愚行。恐らく数十年したらまた起こるのでしょう。

深夜らじお@の映画館は金融のいい勉強をさせていただきました。

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2015年10月14日

『マイ・インターン』

マイ・インターンハンカチは紳士の必需品。ただし己が使用するにあらず。
人生経験値に勝る才能などあらず。それをソツなく示す男はいくつになっても異性からも同性からも好かれることに異論などあらず。だからこそ一人の男として残念なのは、火遊びする男への対処法を示してくれなかったこと。
ここが女性目線作品の欠点。これさえなければねぇ〜。

どんな職場でも組織でも必要なのは様々な世代が持つ情報や知識。特に若い世代ばかりの組織にとってはベテランの現場で培ってきた人生経験という名の情報や知識は、己が時間を掛けて様々な経験をしたとしても必ずしも得ることが出来るとは限らないもの。
つまりベテランの知識や経験というものは人間関係を通じて代々受け継がれ、かつ蓄積されていく「老舗の継ぎ足しタレ」みたいなものだと思うのです。

だからこそ創業1年半で従業員数220名にも達したジュールズにとって一番必要なものはベテランとの人間関係なのに、働く女性への無理解に対抗する意地と社員の手本であるべきという自負が独りよがりを優先させてしまう。
己の小さな視野で見れば「私はこんなにも頑張っているのに」なのに、組織全体という大きな視野で見れば「人間力の低いダメ社長」以外の何者でもない。

そんな時にジュールズの直属部下として雇われたシニア・インターンのベン・ウィテカーはまさに人間関係のプロとも言うべき、誰からも愛される行動が出来る人生の大先輩。
自分の経験を自慢することもなければ、若者の意見を否定することもない。ただ必要なことは相手の話をきちんと聞き、必要なアドバイスだけを送り、あとは黙って笑顔で送り出すだけ。

でもこれが迷うことが人生でもある若い世代にとって、自分を受け入れ、認め、そして信じてくれることと同じように凄く心強いこと。
この人のためにも頑張ろう、この人に喜んでもらえるようにしよう、この人みたいなろうと思えることほどステキなことはありませんからね。

ただそんな名アドバイスの宝庫で、かつ男性にとっては人生において憧れるべき存在でもあるベン・ウィテカーという70歳の紳士が、ジュールズの夫マットの浮気に関して黙り込んでしまうのは凄く残念なところ。
こういう時こそ人生の先輩として、会社専属のマッサージ師のアプローチに新聞で膨らみを隠した男の先輩として「火遊びは早めに終わるのが一番」とか言って欲しかった。ここで男としての人生経験値の豊かさを示して欲しかった。なのにそれが描かれていないのは、やはり女性目線作品の欠点とも言うべきところ。

ですからこの浮気発覚以降のサンフランシスコへのくだりも、またジュールズが己の信念に従うという選択をするくだりも、そしてマットとの夫婦関係を取り戻すラストでも、残念なことにベン・ウィテカーというステキな老紳士の存在感が凄く薄れてしまったんですよね。
フランク・シナトラの名前を一切出さずに若い同僚スタッフと共に『オーシャンズ11』が如くメール削除作戦で走り回ったあのチャーミングな魅力が、ハンカチは女性の涙を拭くために持ち歩くものだと教えてくれた魅力が、もう後半では完全に薄れてしまってはベン・ウィテカー先生の紳士講座も空回り。

てな訳でジャック・ニコルソンやハリソン・フォード以降はロクな男性が出てこないと嘆いていたジュールズ社長に一人の男性として一言申し上げます。あなたの仰っていることは…まさにその通りでございます!老紳士たちの立ち居振る舞いを勉強致します!!

深夜らじお@の映画館が目指す男性像はリチャード・ギアやショーン・コネリーです。決してショーン・コネコネ先生ではありません。

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2015年09月04日

『映画みんな!エスパーだよ!』

みんな!エスパーだよ!オナニスト魂を理解する園子温監督の愛だけが詰まった、本当のくだらなさがここにある!
これは本当に園子温監督の作風が好きな方にだけしかオススメしません。出演俳優に興味があるだけなら見ない方がいいと思います。
なぜならこの映画には園子温ファンだけが楽しめる本当のくだらなさとエロしか存在していないんですもん!

とある条件が揃った夜に自慰行為に励んでいた未経験者たちが様々なエスパーとしての能力を発揮することとなった愛知県の東三河にある豊橋市。
主人公でもある鴨川嘉郎と幼馴染の平野美由紀はテレパシー、喫茶「シーホース」の店主はエロ限定のテレキネシス、ガタイのいい榎本洋介は裸限定の瞬間移動、前髪の長い矢部直也は処女膜と臓器限定の透視。
こんな中途半端なエスパーたちが団結してトヨッキーでお馴染みの豊橋市を守るのかと思いきや、特に彼らが活躍することもなく、アメリカ・ダルースからやってきた黒髪美女のジュリーさんが活躍しているだけというのがこの映画のくだらないところ。

しかも生まれる前に母体からテレパシーで通じ合っていた運命の人を探すために、相棒でもある箱ティッシュとの共同作業をも凍結して頑張る鴨川嘉郎が憧れのクラスメイト浅見紗英と平野美由紀の間で心が揺れ動くのかと思いきや、そんな甘酸っぱい青春ドラマもない。

ではこの映画には何があるのかといえば、それはグロ、ヲタク魂と並ぶ園子温監督作品を構成する要素の一つでもあるエロだけ。
パンチラはもちろんブラチラどころか、モロに下着を見せることなんて当たり前のようにスクリーンに並ぶ綺麗な女性陣の、可愛らしい女性陣の「いや〜ん♪」な姿。

そう、それらはまさにオナニストとして日々の激務に勤しむ中高生男子の理想郷でもあり、決して現実では見ることの叶わない妄想世界。
そんなオナニストの理想郷でもある妄想世界を園子温監督は見事に映像としてこの現実世界に降臨させてくれているんですよね。

ですからこの映画はいい意味でも悪い意味でも本当にくだらない。でもそれが園子温監督作品を愛するファンとしては嬉しい。ただそれだけの映画なんです。
だからこそ一般ウケしないでしょうから、世間の評価も低いのも当たり前。

それでも神楽坂恵さんの谷間を凝視しながらエスパー論を熱く語る安田顕さんのあの熱く真面目な表情を見て、記者タエコを演じる星名美津紀さんを始めとする下着美女に囲まれるラビットさんのあのいやらしい手つきを見て、イジリー岡田さんの気持ち悪い舌技を見て、ポルナレフ愛子の純愛を「僕は色んな女性でオナニーしたいんだ!」という叫びで打ち崩す鴨川嘉郎の男らしさを見て、マキタスポーツさんがTENGAを強く、そして熱く握りしめる姿を見て、園子温監督作品を楽しんできた映画ファンなら、このくだらなさも園子温監督作品の魅力と気付いて下さることでしょう。

板野友美さんの棒読み演技も恐らく計算済み、岡村靖幸さんの楽曲を主題化に起用しているのもイジリー岡田さん繋がり。そんな邪推をさせつつ、個人的には三井ミツコ刑事の水着姿が一番の好みでした♪と現役・休業を問わずあらゆるオナニストの好みを満たしてくれた園子温監督。
やはりこの監督のエロは気持ちいいほどくだらなくて楽しいです!

深夜らじお@の映画館は浅見教授のように谷間を凝視しながら熱く語る男を尊敬します。

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2015年08月07日

『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』

M:i-5これは『ミッション:インポッシブル』か?それとも『007』か?
イーサン・ハントだけならまだしも、ついに作品自体もイギリスの某スパイ映画みたいになっているじゃなイカ!
このシリーズに必要な面白さは「スパイ大作戦」なのに『007』の面白さも取り入れすぎたら主役がイーサン・ハントかジェームズ・ボンドか分からなくなるよ!

「IMFは運任せ作戦ばかり、イーサン・ハントもギャンブラー。そんな組織は解体すべき」と主張するイギリスでは新M、アメリカではCIA長官の申し出で政府からの支援もなく謎のシンジケートを追うIMFのイーサン・ハント。
ならず者国家「ローグ・ネイション」の真相とソロモン・レーンという謎の男の正体を暴くため、世界のあちこちを訪れてはほぼ必ず出会うMI6の潜入女性捜査官、イルサ・ファウスト。

イーサン・ハントはメカニック担当のベンジー、政治担当のブラント、古参ハッカーのルーサーと共にチームを組むが、このイルサはそのチームには合流しない。つまり彼女は前作のカーターとは違い、敵でもあり、味方でもあり、恋のお相手にもなるかも知れないヒロイン。
そう、彼女の立ち位置ってまさに「ボンドガール」そのものなんですよね。

なので、正直なところ、このヒロインがウィーンのオペラ座に現れてからはどうも作品の雰囲気が『007』っぽくなるので、ちょっと居心地がよろしくないこと。
もちろん作品としては面白いですし、知略戦メインのストーリーなので先の読めない展開は飽きることもなく存分に楽しめます。

またベンジーのスベリ具合といい、ブラントの頭の固さといい、ルーサーの出番が意外と長いことといい、チームとしての面白さも楽しめれば、ジョン・ウーも真っ青になるほどのバイクチェイスシーンの強烈なスピード体感シーンも凄く楽しめます。

ただベンジーの使うオペラパンフレットがPCになるなどのメカニックがQっぽいとか、イギリス首相も巻き込んでの大事になるとかって、どうしても『ミッション:インポッシブル』ぽくないなぁ〜と思えてしまうんですよね。
特にヒロインが完全にボンドガール化しているので余計にそう感じるからかも知れませんが、全体的にイーサン・ハントもスマートに身のこなしをしていないか?とも思えてしまうのです。

個人的なイメージでは、イーサン・ハントといえばあのOPでの時速400kmで高度1500mに上昇する軍用機のドアにへばり付くような不可能なミッションに果敢に挑戦する汗臭さも魅力に感じるスパイであって、何でもかんでもスマートにやり遂げるイギリス人スパイとは明らかに違うアメリカ人ヒーローの一人だと思うのです。
なのに、そんなイーサン・ハントが格好良く「これからは自由だ」と言ってイルサを逃がすのも、そのイルサから「捜し出せるでしょ?」と言われるのも、どこかジェームズ・ボンドっぽいなぁ〜と思えて仕方ないんですよね。

てな訳でUSBの下に忍ばせるだけで膨大な情報を消すことが出来るあのメカはやはりQおじいちゃんの逸品なのか?と思いつつも、53歳にして数々のスタントなし演技をやってのけるトム・クルーズに改めて驚かされたこの作品。
彼には不可能な演技はないのか。まさに「アクション:インポッシブル」じゃなイカ!

深夜らじお@の映画館は「非常事態には非常手段を」というセリフをこれからの人生で使いたいと思います。

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2015年06月20日

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

マッド・マックス4ハイテンションなマッド・ジョージ、喜びのビッグバジェット・ロード!
70歳にしてまだ中二病的固有結界を有するジョージ・ミラー監督の願望が全て詰まっている!爆音、カーチェイス、美女、カルト白塗り軍団、火炎放射、砂煙、そして荒廃した世界。
ストーリーもマックスの狂気もないに等しい。でもジョージ・ミラーのマッドは30年の時を経てさらに進化、いやどうかしてるぜ!

『マッドマックス2』が「北斗の拳」の元ネタであることを改めて思い出させる果てしない荒野と、縦横無尽に爆音で走行する様々なクレイジーな車体。
懐かしいはずなのに、きれいな映像といかにも資金を掛けたという車体の数々が物語る、もうこのシリーズは低予算で作られたオーストラリア映画じゃないだぜ!というジョージ・ミラー監督の喜び。

かつてジョージ・ルーカス監督が技術の進歩を待って『スター・ウォーズ』の新シリーズに着手したように、ジョージ・ミラー監督も己のアイデアと資金が十分に満ち足りるまで待ち続けたのでしょう。そんな「ようやく俺が思い描いた世界が現実化出来るぜ!」という男の子特有の想いがもう映画全体に溢れ出ているように思えてならないのです。

本来ならトム・ハーディを2代目マックスとしてもっと活躍させたり、メル・ギブソンをどこかでカメオ出演させたりしてもいいところを、「そんなことをして喜ぶのは誰だ?少なくとも俺じゃないだろう」という想いでもあるかのように、ひたすらマックスをフュリオサを助ける男としてしか描かない一貫性。

加えて「30年も時間を掛けたんだ。資金も集まったんだ。俺の好きなように作らせてもらうぜ!」とばかりに、「ヒャッホ〜!俺がマッドマックスだ!」というテンションでほぼ全編走りまくっている勢いがもはや狂気の世界。

でもその狂気が物語るんですよね。本物のマッド・アクションを見せてやると。俺を映画界の救世主と呼んでいいぞと。映画界のイモータン・ジョーでももいいぞと。何なら「マッドマックス あるいは(狂気がもたらすリアルなイモータン・ジョー)」でもいいぞ!と。

ですから正直なところ、単体の映画としては中身のない映画という感想にもなり兼ねない程度です。
ただこの狂気の世界を楽しむことが出来れば、ジョージ・ミラー監督と共に狂気の世界を堪能しようと思えば、もはやこれは爆音、カーチェイス、美女、カルト白塗り軍団、火炎放射、砂煙の荒野が全て心地よく思える世界。個人的には実現お断りだが、母乳で顔を洗うのも無問題な世界。

やはりジョージ・ミラーはマッドマックスに始まりマッドマックスで終わるべき男。もう他の作品なんて撮らなくていい。これからはマッドな世界一本でヒ〜ハ〜してくれ!

深夜らじお@の映画館はトム・ハーディにはハイヒールで酒を飲むような狂気沙汰は避けてほしいです。

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2015年05月05日

『Mommy/マミー』

マミー社会の枠には嵌らない。映画の枠にも嵌らない。
ケベックの美しき天才:グザヴィエ・ドラン。若干26歳でこんな凄い映画を撮ってしまうなんて…。「こいつ、映画、変えそうだ」と称賛されるのも納得です!
もはや私もグザヴィエ・ドランの虜。ケベック映画への苦手意識などは忘れて過去4作品も見ることにします!

一般的に映画のスクリーン構図は16対9。しかしこの作品は1対1の正方形。つまり登場人物以外の周りの景色が見えないだけでなく、必然的に登場人物の精神的閉塞感も観客に伝わってくるこの面白さ。

加えて全てのシーンのカメラワークから音楽の使い方まで計算されているからこそ、16対9を無理矢理1対1にしたという違和感もなければ、正方形の構図だからこその美しいシーンもある。特にスティーヴがショッピングカートに乗りながら青い空を見上げるシーンなどは、この正方形の構図だからこその無駄なモノがない美しさを感じましたよ。

しかもこのグザヴィエ・ドラン監督が素晴らしいのは、そんな奇を衒った構図に頼るのではなく、ストーリーもしっかりと描いているところ。
架空の世界のカナダで成立した強制養育放棄を促す法律に抗う経済的弱者でシングルマザーのダイアンと注意欠如・多動性障害のスティーヴ親子の母子愛を基本軸に、心因性吃音で休職中の隣人カイラを一つのフィルターとして様々な角度から「無償の愛」とその副産物でもある「家族としての憎悪」を描いているんですもん。

落ち着きがなく、興奮すれば暴力的にもなるスティーヴに対し、「母の愛」だけで真正面からぶつかっていくダイアン。互いに互いを世界で最も大切な存在と愛するからこそ、この2人は後ろを向かず前だけを見ている力強さ。
息子は私が守ると必死に働くダイアンに対して、そんな母親にとって誇れる息子であるために教師でもあるカイラから教育を受けるスティーヴ。そんな3人の関係はまるで母親が2人いる3人家族。

そんな厳しいビッグマミー・ダイアン、優しいリトルマミー・カイラ、自由と愛を全身で感じるスティーヴがショッピングカートと自転車で道路を走るシーンで、この美しき天才監督は構図を16対9に戻す演出がとにかく素晴らしいこと。
社会の枠、精神的な枠など、人が生きていくうえで自然に、または必然的に設けられる枷のような様々な枠。それらが一瞬でも消えた時、人は自由を感じる、大いなる愛を感じる。それをスクリーンの構図の変化で見せる。何て凄いんだ!

さらにスティーヴの入所時代の放火による賠償請求に対してダイアンが自分に気がある近所の弁護士と、スティーヴと共にデートに行くくだりでもこの監督の演出は素晴らしいこと。
母親に自分の方を見て欲しいという想いを必死に我慢しようとするスティーヴと、息子のために必死に「女」を演じるダイアン。互いを大切に想う気持ちは同じなのに、微妙にズレたその方向性が2人に問いかける。「愛と希望、どちらを捨てるのか」と。

スティーヴを愛するダイアン。大切な息子との時間が自分が生きる希望。
ダイアンを愛するスティーヴ。大切な母親を喜ばせることが自分の希望。

ダイアンは母親としての無償の愛をもって断言する。私には希望があると。スティーヴと一緒に暮らす日を彼女は母親として決して諦めていない。
例え息子を自らの判断で再入所させようとも、カイラがトロントに引っ越すと逃げるようなトーンで話そうとも、彼女は決して愛も希望も捨てない。

そんな強い母親に育てられたスティーヴがラストで走る。拘束着から解放された一瞬のスキをついて走る。その行き先は彼の笑顔が物語る。彼もまた愛も希望も捨てる気がない。
だからスティーヴが向かう先は間違いなくダイアンと一緒に過ごす未来。そう、ダイアンが16対9の広がった構図で夢見たあの幸せな未来。

その未来が訪れるまではしばらくこの正方形の構図に付き合おうじゃなイカ。そう思えるのもこの美しき天才:グザヴィエ・ドランの魅力なんでしょう!

深夜らじお@の映画館はグザヴィエ・ドランこそ唯一無二の天才だと思います。

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2015年04月18日

『マジック・イン・ムーンライト』

マジック・イン・ムーンライトエマ・ストーンよりもコリン・ファースが可愛らしすぎて困っちゃいます。
最近のウディ・アレン監督作品と比べると、どうも物足りなく感じてしまうのはなぜ?ダイアン・キートンもミア・ファローもスカーレット・ヨハンソンも出演していないから?
いや、違う。答えは恐らく新たなるミューズ:エマ・ストーンよりも魅力的な存在がこの映画にはいるから。それがまさか54歳のおじさまだなんて…。

舞台の上ではウェイ・リン・スーという中国人奇術師、舞台を降りればタップリンジャーという実業家を演じるイギリス人魔術師で皮肉屋のスタンリーが友人の頼みでイカサマを暴きに来たのは、霊界との交信が出来ると大富豪に取り入ったアメリカ人の占い師ソフィ。

霊界との交信なんて出来るはずがない。タネを暴けばいいんだろう。そんなのはプロである私がちょちょいとやればすぐに解決だ…のはずが、タネも仕掛けも分からんと天敵に苦戦する魔術師。
もしかしてこの小娘、本当に霊界と交信が出来るのか。そんなアホな…のはずが、自分の親代わりでもある叔母の過去の恋を当てやがった!ま、まさか、これはホンモノなのか!す、凄いじゃなイカ!と完全にソフィにのめり込む皮肉屋。

特にソフィが叔母の忘れられない恋を当ててしまうくだりでの、スタンリーがソフィの実力を完全に信じ込んでしまう表情や狼狽ぶり。これがスタンリーのキャラが口を開けば皮肉しか出てこないものに加え、堅物顔のコリン・ファースがそんな皮肉屋を演じていることもあって、まぁこの54歳のおじさまが実に可愛らしいこと。

しかもクラシックカーが故障しても直せると豪語しては「部品が2つも余った!」と失敗するわ、雷雨から避難するために天文台へ行けばソフィの隣で一人可愛らしい寝顔で横になるわ、そんなソフィのドレス姿を見ても安易に褒めずにただ「言葉を失った」という最高の褒め言葉を用意してるわ、でもソフィからどんなにアプローチされても全くその想いに応えないわと、これまたどこを取ってもスタンリーの可愛らしいキャラは存在しているので、悲しいことに本来はミューズであるはずのエマ・ストーンの可愛らしさがあまり目立たなくなってしまっているんですよね。

もちろんエマ・ストーンは可愛らしい女優さんですし、ソフィの正体がスタンリーの実力に嫉妬した友人ハワードの友人騙しの片棒を担がされたただの詐欺師まがいだとバレた後の恋に悩む姿もいい演技をされてます。

でもこの映画を見てやっぱり印象に残ってしまうのは、どうしてもエマ・ストーンではなくコリン・ファースなんですよね。皮肉ばっかりで肝心なことには気付いているのかどうかも分からないうえに、皮肉が肝心な時に相手の心に傷をつけたのではないかと悩んでしまうあの「どないしようもない」っぷり。
これが情けない以上に可愛らしく見えてしまうのは、やはりコリン・ファースという名優の実力なんでしょう。

ただそのオスカー俳優の実力今回はミューズの魅力まで霞んでしまうほどだったのは、ウディ・アレン監督も計算外だったのではないでしょうか。

深夜らじお@の映画館は54歳になってもチャーミングなコリン・ファースを見習いたいと思います。

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2015年03月01日

『幕が上がる』

幕が上がる幕が上がる。舞台に人生を賭けた猛者たちの時間が始まる。
これはアイドル映画というよりも、直球ど真ん中の青春映画です。「ももいろクローバーZ主演」という看板がなくても十分楽しめる「ザ・本広克之コラボシリーズ」映画です。そしてムロツヨシ・志賀廣太郎といった怪優・名優を差し置いて、黒木華という女優の魅力に酔いしれる映画です。

個人的には全く興味がないのでメンバーの名前どころか顔さえも全く分からない「ももクロ」というアイドルグループ。
でもOPから燃やされる台本のタイトルを「ウィンタータイムマシーン・ブルース」と遊んでくる本広克之監督&ロボットがヨーロッパ企画に続いて劇作家・平田オリザ先生とコラボしたと聞けば、当然主演が誰であろうと、映画ファンとしては楽しみになるもの。

そんな映画ファンの期待を背負ったこの作品が描くものは、演劇部に青春を捧げる女子高生たちのお話。一年に一度しかない、しかも審査員の感性任せの審査で決まる予選会を勝ち抜きたいけど、具体的に何をすればいいのか分からない乙女たちのお話。恋愛要素を一切排除し、人生が狂ってもいいから高校演劇に打ち込みたいという熱意だけを描いたお話。

ですからこの映画には「ももクロを見せとけ」というシーンがとにかく少ないこと。あくまでも青春を演劇に費やす高校生たちの悩んで悩んで何かが見えて、あとは笑顔で最後まで突っ走っていく姿を描くことに重点が置かれているので、「ももクロ」のことを全然知らない方でも十分に楽しむことが出来ます。

それどころか逆にアイドルではなく役者として頑張っている彼女たちに好感さえ感じるほど。中盤とEDロールに「ももクロ」の曲を挿入することでアイドル映画化しているのは大いなる蛇足で残念ではあったものの、それ以外では個性的な顔をした新人女優が5人ほど出てきたと思えるほどでしたもん。

ただこの映画を見てやはり印象に残るのは学生演劇の女王にて新任教師の吉岡先生を演じる黒木華さんの名演ぶりでしょう。
脇役として「ももクロ」を輝かせるだけでなく、あの存在自体が面白いムロツヨシさんの魅力を打ち消し、美声の持ち主である志賀廣太郎先生と演技で対等に渡り歩き、そして中盤以降はスクリーンに映っていなくても強烈な存在感を残す。

しかも『小さいおうち』での線の細いお手伝いさんや『銀の匙 Silver Spoon』での高飛車なお嬢様とは全然違う魅力も見せてくれるので、まさにこれぞ作品が変われば見せてくれる魅力も変わる名優の称号:カメレオン俳優だ!もう蒼井優さんに似た女優さんだなんて言わせないよ!これからはこの女優さんの魅力をもっと味わっていくよ!そう思わせる魅力がこの映画では存分に味わえるんですもん。

なので出来ればそんな黒木華さん演じる吉岡先生が教えてくれた演劇というものをクライマックスだけでも通しで見たかったというのも正直な気持ち。
天龍パパに鶴瓶おじいちゃん、白い歯・黒い顔の松崎しげるパパを見せてくれるお遊びもいいですが、吉岡先生と富士ケ丘高校演劇部が作り上げたオリジナル版「銀河鉄道の夜」がどんな作品なのかを見せて欲しかったというのが正直な気持ち。

でもこれは「ももクロ」にも演劇にも興味がない人ほど楽しめる映画。何かに夢中になって楽しいからずっと続けていたい猛者たち誰もが共感する映画。そして人生の全てを一つのことに賭けたいと思えることがどれだけ幸せなことかを等身大の言葉と演技で見せてくれる青春映画。

やはり本広克之監督が演劇の才能とコラボする作品はどれも面白い。タイムマシーン超能力も出てこない普通の映画でも面白い。そう思える楽しい青春映画でした。

深夜らじお@の映画館は不思議そうな表情と「ももクロ」タオルで何気に存在感を放つフジテレビ三宅正治アナもいい味を出していたと思います。

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2015年02月08日

『ミュータント・タートルズ』

ミュータント・タートルズトランスフォーマーがニンジャ・タートルズに変わりました。
本当に中身のないスカスカな映画です。続編製作に色めき立って、この本編から集中力が削がれ始めているのもよく分かる映画です。
でも本編を見ている間だけは存分に楽しめる映画です。これぞマイケル・ベイ印と言い切れるくらいに映画館を出るまでは楽しめる映画です。
なのでこの映画の内容を忘れないうちに続編製作を是非お願いします。

NYPDの存在感が完全に薄れた大都会を裏どころか正々堂々表でも牛耳る謎の犯罪組織フット軍団。当然NYの街は荒れているのかと思いきや、街中でのダイエット特集がTV中継されるほど平和なこと。

そんなNYで特ダネを狙うエイプリルが出逢ったのは、かつて科学者の父親とその雇い主でもある大企業の社長サックスが研究していたミュータント化したカメの4兄弟レオナルド、ラファエロ、ミケランジェロ、ドナテロ。
しかもその4兄弟に下水道に落ちていた本を元に忍術を教えたのは、これまたミュータント化したネズミのスプリンター先生で、このネズミ先生とカメ兄弟を燃え盛る研究所から救ったのがエイプリルという、本当にどんだけ狭くて都合のいい世界やねん!なこの映画。

さらに登場時点から悪役顔やん!なウィリアム・フィッシュナーは「9世紀の日本では世の中が乱れて…」と説明してましたがその時代の日本は藤原氏が基盤を作り始めた平安時代初期なんですけど…とツッコミを入れたり、フット軍団のボス・シュレッダーが日本語で話しているのに部下は英語って『アンドロメディア』か!と呆れたり、キャラクター配置からストーリー展開まで『トランスフォーマー』と全く同じレシピですし、サックスは死んでも捕まってもいない・顔を見せない瀕死状態のはずのシュレッダーはミュータジェンを指に絡ませ隠していたなど続編製作ばかりを考えているシーンが多いなど、凄く粗も目立ちます。

でもまるでジェダイとシスのようなネズミ先生と全身鎧ボスの直接対決といい、ジェームズ・ボンドも真っ青な甲羅をスノボー代わりにした雪山での滑降及びバトルといい、楽しませるところは存分に楽しませてくれるエンタメパワーは相変わらず素晴らしいこと。

特に二刀流で青鉢巻のリーダー・レオ、釵と我の強さを持つ赤鉢巻のラファ、ヌンチャクとナンパを愛する橙鉢巻のマイキー、頭脳と棒術を得意とする紫鉢巻のドナがバケツ落としのくだりになるまで全く4人で協力する戦術を用いない未熟さ、満身創痍のラファだけアドレナリン注入されてないけど他の兄弟と同じように戦っているって実は一番強いのは彼じゃないの?といったことはマイケル・ベイ印だからと無問題と忘れても楽しめるラストのご都合主義バトル。
まさか最後はエイプリルが志願して体当たりでシュレッダーを落下させるって…あんな細い身体で鋼鉄の塊にぶつかったら大怪我しまっせ!

てな訳で低い魅力的な声でエイプリルにアプローチを掛けるヴァーンのお約束通りのアッシー君として使われては最後には新車も破壊される不幸体質に笑いつつも、曾孫までいるウーピー・ゴールドバーグが子供にウケがいいという理由でこの映画に出演している裏事情には笑えない、いかにもマイケル・ベイ印な映画でした。

深夜らじお@の映画館は邦題は「ニンジャ・タートルズ」のままでも良かったと思います。

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2015年02月02日

『マエストロ!』

マエストロ!音楽は素晴らしいが、ドラマが少なすぎる。
この世で一番美しいのは音楽である。これは佐渡裕氏が指揮するオーケストラの音楽や辻井伸行さんが奏でるピアノ曲を聞けば素人でも理解できます。
ただ誰かと響き合えば一瞬が永遠になる。これはドラマが少なすぎて伝わってこない。それが残念でならない作品でした。

一度は解散した中央交響楽団が再結集し、工事業者のような格好をした謎の毒舌マエストロと共に演奏会を目指していく物語となれば、やはり期待してしまうのは『オーケストラ!』のように心がバラバラだった楽団員たちが最後には想いを一つに素晴らしい音楽を奏でるというラストシーン。

この映画でも池田鉄洋さんやモロ師岡さんを始め、古館寛治さん、濱田マリさん、斉藤暁さん、嶋田久作さん、松重豊さん、綾田俊樹さん、石井正則さん、そしてでんでん親方とフルオーケストラ張りに脇役陣は豪華なんですけど、これが残念なことにこの豪華な脇役陣には各々のドラマというのが全く用意されていない。過去が云々とか、現在の想いがどうなのかとか、その辺りはほとんど描かれず。

代わりにドラマが用意されているのはポスターを飾るコンマスの香坂、フルートのあまね、マエストロの天道の3人だけ。しかもこのドラマもそんなに掘り下げたものでもなければ、新鮮味のあるものでもない、本当によくある話ばかり。

なので正直この映画にはグランドホテル方式による感動は全くありません。オーケストラを描いていながら、コンサートマスターの香坂だけの物語と言っても過言ではないほどの、本当に豪華な脇役陣を無駄遣いしている映画です。

ただ西田局長演じる天道が言っていた「指揮者とオーケストラの決闘や!」という意味は凄くよく分かる映画です。
指揮者は単に音楽に合わせてタクトを振っているだけではない。オーケストラを構成する様々な楽器が弾けなくても各々の「いい音」だけはしっかり理解し、そのうえで演奏者にその音を出させなければならない。そんな職業に就く人はまさに音楽における才能と努力の結晶そのもの。
そんな相手に演奏者は自分の分野で一対一の勝負を音楽で挑む。ヤルかヤラれるか。そんな生死を賭けたかのような真剣な眼差しと共に。

「天籟」は音楽に真剣な心で向かい合った者にしか奏でることの出来ないもの。プロの報酬はお金である前に観客の感動であることを十分に理解している者にしか奏でる機会は訪れないもの。

船で暮らすフルートのあまねが震災で亡くなった両親を想って奏でるソロパートに対して、豪華なマンションに一人で優雅に暮らすボンボンで金にも困ったいない様子の香坂は病室でのソロ演奏まで音楽の大切さを理解出来ていないって本当に贅沢な音楽人生を送っているなぁ〜と思いながらも、なぜか松坂桃李さんのきれいな顔立ちでそれが許せてしまうこの映画。

改めて西田局長のリズムセンスと怪演ぶりに、音楽でも演技でもこの方は一流だなと思えた作品でもありました。

深夜らじお@の映画館は松重豊vs.石井正則のホワイトボード対決をもっと見たかったです。

※平野秀朗センセの「関西ウォーカー」のコラムによると、この小林監督は上岡龍太郎前局長の息子さんだとか。その作品に現局長が出演されているとは…まさに鋭いメスを入れるべき複雑に入り組んだ現代社会だ!

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2014年11月06日

『マダム・マロリーと魔法のスパイス』

マダム・マロリーと魔法のスパイス革新とは交流なり。衰退とは対決なり。
頑固支配人のヘレン・ミレンと頑固パパのオム・プリの対決から交流までがとにかく心地よく素晴らしい!ハッサンとマルグリットの本来なら主軸になるはずの若い2人の恋物語が邪魔になるほど素晴らしい!
ただどの料理も全然おいしそうに見えなかったのが残念でした。

大臣も通うほどの伝統を重んじるミシュラン一つ星フレンチレストランの前に出来たのは、大音量でワイワイ騒ぎながら食事を楽しむことを重んじるインド料理のレストラン。
本来ならジャンルの違う店同士争う必要もないのに、これが歴史あるフランス人とインド人のプライドのなせる業なのか、とにかく意地を張り合うこと。

でも意地を張り合っているのは格式を重んじるばかりに石頭になった頑固者支配人マダム・マロリーと、フランスでもインド流を曲げない頑固者パパの2人だけ。互いに必要な食材を市場で買い漁って邪魔をしたり、何かと敵視したりと、まぁあれでは子供たちや若手スタッフたちも呆れるのも当たり前。

ところが絶対的味覚を持つ次男坊ハッサンの腕前をマダム・マロリーが知ったことと同時期にフレンチレストラン従業員によるインドレストラン放火騒動が起きたことから、壁の落書きを消したり、傘を差し出したりと互いに交流が始まると、徐々に仲良くなっていくマダムとパパのやりとりも実に面白いこと。

ただその一方で料理の天才でもあるハッサンとシェフを目指すマグリットの若き男女の交流にあまり魅力もフレッシュさもなかったのが残念なところ。
しかもインド風味をフランス料理に取り入れることでマダムのレストランがミシュラン二つ星獲得に成功したを皮切りに、ハッサンが様々な名店でフランス料理にインドのスパイスを取り入れて新しい料理を完成させたといっても、あまり実感がないんですよね。

恐らくそれは日本料理自体が日々様々な海外料理の要素を取り入れては進化しているのを日本人として当たり前のように間近で見聞きしているからだと思うのです。
フランス料理やインド料理にとっては異文化との交流が革新に繋がる大事件であっても、「和食界の異端児」とまで呼ばれた鉄人・道場六三郎さんの雄姿を「料理の鉄人」で見てきた世代にとっては大事件でもなんでもない、ただの日常茶飯事。

さらにその異文化との交流で革新した新たなフランス料理も特別おいしそうに見えなかったので、余計にハッサンとマルグリットの関係にも、そして肝心の料理にもインパクトが感じることが出来なかったんですよね。

ですから結局のところ、この映画の面白味はやはりマダムとパパの交流のみ。ミシュラン二つ星獲得の電話を切ったマダムの隣で祝宴前に開けたシャンパンを戻そうかと言い出すパパに笑ったり、パパに直接お手製の一品を「あ〜ん」するマダムに恋する乙女の姿を感じたりと、このくっつきそうでくっつくのかどうか分からない男女を見る方がはるかに面白いこと。
本来ならこの男女の魅力は若いハッサンとマルグリットで見せるべきなんですけどね…。

てな訳で本編を見ずにつけたのか?と思えるほどセンスのない邦題に少々淋しさを覚えつつも、ラッセ・ハルストレム監督もミラマックスが本気でオスカーを獲りに行って見事に失敗した『シッピング・ニュース』以降、アカデミーの常連になれていないことにもどこか淋しさを覚えてしまう映画でもありました。

深夜らじお@の映画館は20世紀に撮られたラッセ・ハルストレム作品が好きです。

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2014年10月05日

『ミリオンダラー・アーム』

ミリオンダラー・アームインド人初のメジャーリーガーを誕生させよ!
実在するインド人野球選手リンク・シン投手とディネシュ・パテル投手がピッツバーグ・パイレーツと契約を結ぶまでのサクセス・ストーリーを彼らのエージェントでもあるJB・バーンスタインの視点から描いたこの作品。
ディズニーらしく悪人ゼロの安心感が生むラストの感動は、何だかんだ言っても素直に感動しちゃいましたよ。

スーザン・ボイルとクリケットからインスパイアされて野球未開の地でもあるインドでクリケット選手から未来のメジャーリーガ−になる逸材を探そうと奇想天外な作戦に打って出る、もう後がないほど追い詰められたエージェントのJB。
ストライクで、しかも速球を投げることが出来れば100万ドルというキャンペーンでインド中から2人の若者をピックアップするも、まぁこのエージェントがジェリー・マグワイア同様、いやもしかしたら彼以上に選手に対するケアを怠る男なので、物事が巧くいかないこと。

そもそもインドを離れる際に現地スタッフから「彼らはこんな田舎しか知らないから、よろしく頼む」と言われていたのも、国境を越えればすぐに忘れてビジネス優先。
しかもこのインド人青年に対しては食事・メンタル・ケガのケアなど一切しないどころか、ビジネスの優先順位もアメフトのポポ・バヌアツ選手を最重要視するなど、とにかくエージェントとしては完全に失格なのに、本人がそれに全く気付いていないという状態。

それでも小柄な体格のため選手になる夢は諦めてもスポーツコーチになる夢は諦めないインド人アミトのおかげで、リンクもディネシュも真面目に練習に取り組んでいるんですから、いかにJBが無能で、逆にアミトが有能かがよく分かるんですよね。

ですから初めての入団テストもショッピングモールの駐車場で即席ブルペンを作って行うのもエージェントとしては最低の仕事です。投手にとってマウンドの硬さや高さなどがいかに大きな影響を及ぼすかも分かっていないどころか、プレートの重要性すらも理解していない状態でプロのスカウトを大勢集めて入団テストを行うなんて、ド素人極まりない愚行。

結局、患者の気持ちを知ることも医者の仕事だと理解している裏庭の美女ことブレンダの忠告のおかげでJBもリンクやディネシュに寄り添うことの大切さに気付いてましたが、それ以前にそんな大切な基本中の基本も知らずによく独立なんてしたな!と思わせるJBへの恩を返したい、アミトの夢も叶えたい、そしてインド中の子供たちに夢を与えたいと2度目の入団テストに挑むリンクとディネシュの姿は実に清々しく、彼らが剛速球でストライクを投げ込むたびに思わず頬を涙が伝ってしまいましたよ。

やはり人を育てるために必要なものはアミトやブレンダのように親心を持つこと。スカウトのレイがパイレーツの現役スカウトを紹介してくれたのも親心なら、トレーナーのトム・ハウスが1年で野球を全く知らないド素人を入団テストを受けることが出来る状態にまで育て上げたのも親心。
インド人スタッフから「彼らをよろしく頼む」と言われていたJBだけがその親心に気付くのが遅かっただけ。

そんなディズニー映画らしく悪人が全く出てこないがゆえに安心してクライマックスの感動を大いに味わうことの出来るこの作品を見終わってから、リンク・シン投手とディネシュ・パテル投手について調べてみたのですが、何とこの2人…メジャーリーガーにはなれてませんでした!
2人ともピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだものの、1Aでの活躍のみ。しかもリンク投手は故障で現在所属チームなし状態、ディネシュ選手は契約更新にならず引退してはるとか。

でも彼らがインドの子供たちに与えた夢は、メジャーリーガーがアメリカの子供たちに与えた夢よりもはるかに大きなもの。いつの日か、インド人初のメジャーリーガーが、しかもアミトの教え子から誕生することを夢見たいと思います。

深夜らじお@の映画館は久しぶりにスクリーンでビル・パクストンを見て、懐かしく思いました。そういえばビル・プルマンはどうしたのかな〜?

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2014年09月17日

『舞妓はレディ』

舞妓はレディおおきに、すみまへん、おたのもうします。
周防正行監督が20年前から温め続けてきた企画を、約800人のオーディションを勝ち抜いた新人・上白石萌音さんを主演に作り上げたこの和風ミュージカル映画。ミュージカル映画としての面白味はないものの、少女の成長物語としては心温まるものでした。

家庭の事情で鹿児島弁と津軽弁が混ざり合った訛りが強い春子が舞妓になりたいと京都の花街・下八軒でお茶屋を営む万寿楽の門を叩く。その春子の訛りに興味を持った言語学者のゴキブリはんこと京野センセが「京言葉を教え込む」を条件に仕込みさんになることを女将さんに了承させる。あとは春子が厳しくも優しい女将さんやお姐さん方に支えながら一人前の舞妓として成長していく。ただそれだけの王道物語。

でもこの春子が里芋みたいな田舎娘であるがゆえに、まるで里芋が京料理の一品へと変わっていくかのように、里芋娘が舞妓へと綺麗に成長していく物語は自然と応援したくなる温かなものが映画全体に流れているのが何とも心地いいこと。

そもそも関西という風土は「元祖・首都圏」としてのプライドもあってか、他所の影響を受けつけないが、いったん他所さんが関西に溶け込めば「同じ関西人」として認識してくれる独特なもの。そしてこの傾向がさらに強いのが「元祖・首都」である京都なんですよね。

だからこそ大阪芸術大学の桑原征平教授も仰るように「元・標準語」であり「お公家さん言葉」でもある京言葉には人をほっこりさせる曲線のような優しさがある一方で、その角のない言葉の裏には他所からの影響お断りの頑なさもある。
そんな京言葉ををマスターするために必要なのはやはり練習よりも実践。言葉はそもそも生活の一部なんですから、「京都に馴染む」ことが出来れば発音の微妙な違和感などすぐになくなり、誰がどこの出身なんてことも気にならない。これが現代標準語を話せないとバカにされるという噂も立つ東京とは大きく違うところ。

ですから花街を外から見た「華やか」な印象のまま過ごしていては春子はいつまでも他所さんのまま。逆に百春姐さんが三十路の舞妓になってしまうまであと少しという舞妓不足の現実を春子自身が受け入れてお稽古にも性根を入れれば、その時点で春子は他所さんではなく立派な京都人。

イップスにより声が出なくなったのも春子が「他所さん」から「京都人」へと変わろうと焦った代償。京都に馴染むことよりもイントネーションという形に拘ったがための代償。だから解決方法も単純に京都に馴染めばいいだけ。そのために必要なことが日々の挨拶なんですよね。

舞妓としてデビューする顔見世もある意味立派な京都人の端くれになったお披露目。そりゃ仕込みや舞妓には給料は出ないとかあれこれありますが、そこに拘っているようではいつまで経っても他所さんのまま。心まで京都に馴染むことこそ、舞妓さんになるということなのでしょう。

そんな里芋娘が女将さんや里春姐さんが慕った一春姐さんのように立派な「舞妓:小春」としてデビューするまでのストーリーはいいのですが、ただ時折挟むミュージカルの描き方に難ありなのが残念なところ。ミュージカルなのに定点カメラ中心で躍動感のないカメラワーク、映画的に見せるのか舞台的に見せるのかも定まっていないカット割りなど、正直言いまして周防正行監督にミュージカルを撮るセンスはありまへん!周防組と呼ばれる名優たちの頑張りに助けられているおかげでここまでいい映画になっているだけでおます。

てな訳で豆春姐さんこと渡辺えりさんと富さんこと竹中直人さんにラストの「お化け」でダンスさせるくらいなら、この2人にミュージカルシーンを用意せなあきまへん!EDロール終わりの一春姐さんのデビュー写真も瀬戸朝香さんで見せなあきまへん!と思えた、ちょっともったいない映画でした。

深夜らじお@の映画館はゴキブリはんの教授室など『マイ・フェア・レディ』とあれこれ見比べたくなりました。

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2014年09月03日

『めぐり逢わせのお弁当』

めぐり逢わせのお弁当600万分の1のミスが繋ぐ明日への希望。
第66回カンヌ映画祭において観客賞を受賞したこのインド映画。お弁当の誤配をきっかけにメールでも電話でもない手紙で交流を深めていく男女を、安易に恋愛関係に持っていくようなことはせず、大人の距離を保ったまま絆を深めていく姿を見せていく心地よさが素敵な映画でした。

インドには各家庭で調理した温かいお弁当を奥様から預かり、昼休み前に旦那が働くオフィスに届け、昼休み後には空になったお弁当箱をまた各家庭に送り届けるというダッバーワーラーという職業があるそうで、ハーバード大学による現地での調査によると5,000人近いダッバーワーラーが誤配する確率は年間で600万分の1だとか。

そんな奇跡に近い、別の見方をすればパーフェクトを拒んだ恥ずべき数字に着目して作り上げられたこの作品が描くのは、家庭に関心のない夫に不満を抱く一時の母イラと、妻に先立たれ定年退職目前の孤独に暮らすサージャンの文通を通して各々が孤独から解放されていく姿。
なので恋愛感情を多少抱くことはあっても、男女関係に陥ることもなければ、インド映画特有の突然集団ダンスもない、正統派で大人の映画に仕上がっているんですよね。

しかもイラの料理から悩みまで全ての相談に乗ってくれるマンションの上の階に住む声だけの出演のおばさんと、サージャンの後任としてやってきた孤児院出身のシャイクという2人の脇役が凄くいい味を出しているので、イラが浮気夫を見限り人生を前に進もうとする姿も、サージャンがシャイクの結婚式に出席するなど久しぶりに家族体験をしたことで心に潤いが戻り始めている姿も凄くステキに見えてくること。

ナンと一緒に来る手紙と相手を想って作られたお弁当を楽しみに待つサージャン。愛というスパイスで味付けされたお弁当を時に一人で味わい、時にシャイクと2人で味わう。そしてシャイクの家族とも交流を持つようになる。それらはサージャンにとって小さな家族団欒のような時間。

空のお弁当箱と一緒に返ってくる返事の手紙に悩みの解決を期待するイラ。無関心な夫とは違い、お弁当を全て残さず食べてくれたうえにおばさんと同じように相談にまで乗ってくれる文通相手は、イラにとって自分の存在を認めてくれる家族のような存在。

だからこそ、まだ見ぬ文通相手を恋愛対象として勘違いしないようにと、サージャンは直接逢う機会にもイラの前に名乗り出ることはない。自分がイラと共にブータンに行ってみたいと書いたことが単なる妻を亡くした淋しさを埋めたいだけの妄言と気付いたから。

イラもサージャンと逢えなかったことと夫の浮気発覚、父の死をきっかけにブータンに移り住む決心をする。いつまでも誰かを頼るだけの存在から、ナーシクに移り住んだと聞かされたサージャンのように自分の足で新しい人生を歩むために。

人は間違った電車に乗っても正しい場所に着く。

1ルピーの価値が5倍になるという国民総幸福量が世界でもトップクラスのブータンに向かうイラと、ダッバーワーラーを通してイラの家を探すサージャンが出会うこともないまま終わるこの映画。
この2人がムンバイで出会うのか、ブータンで出会うのか、それとも出会うことのないままなのか。
その結末は全てこの映画を楽しんだ観客に委ねる。なぜならこの映画はイラとサージャンが孤独から解放される姿を描いた作品。お弁当の誤配送という間違った電車の行く先を描くような野暮なことはしないのだから。

深夜らじお@の映画館はインドのお弁当を食べてみたくなりました。

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