映画レビュー【ら行】

2016年03月23日

『リリーのすべて』

リリーのすべてどんなに頑張っても男は女にはなれない。そして敵わない。
世界で初めて性別適合手術を受けたデンマークの画家アイナー・ヴェイナーことリリー・エルベと、彼から彼女へと変わりつつある夫への愛を貫き通した妻ゲルダ・ヴェイナーを描いたこの作品を見て思うこと。
それは女性が持つ美しさと強さを男性は永遠に得ることが出来ないからこそ、そこに永遠に切ない物語が存在し続けるということ。

風景画家で草食系男子のアイナーと、人物画を得意とする社交性に富んだゲルダ。互いにその才能を尊敬し、浮気心など微塵も存在しない本当に仲のいい夫婦。

ところがゲルダがアイナーにモデルの代役を頼んだことをきっかけに、ドレスやストッキングを身に纏ったアイナーの中で眠らせていたものが徐々に目を覚ましていくと、さらに女装してパーティに参加してみるというお遊びが奇しくもアイナーの理性というタガを外してしまったが如く、一気にアイナーは女性になりたいという想いが膨れ上がってしまう。

一方でゲルダにとっては、トランジェンダーに理解のない時代であっても、人物画を専門にしてきたからこそ相手の真意を見抜く力もあったのでしょうけど、それ以上に愛する夫には自分らしく生きてほしいという想いからも彼の女性化を認めるという強さは尊敬に値するもの。

ただアイナーがリリーという女性になればなるほど、アイナーが消えていく。それはアイナーとゲルダという夫婦の関係がリリーとゲルダという親友の関係になってしまうということ。つまり夫の肉体はこの世に存在しても、夫の魂も愛もこの世には存在しなくなってしまうということ。
いくら夫が妻への愛は変わらないといっても、リリーがゲルダに向ける愛は夫が妻に向ける愛ではない。それでもゲルダが夫に向ける愛は変わらないなんて、本当に女性は何と強いことか。

ですから個人的にはエディ・レッドメインが繊細で切なささえも感じる見事な演技を見せてくれればくれるほど、この映画がリリーの苦しみよりもゲルダの愛と強さを描いた作品に見えてしまうのです。

もちろん私自身がトランジェンダーでないうえに、ウォシャウスキー姉妹の妻たちがどういう経緯で夫の性転換を受け入れたのかということにも興味があったのですが、それでも変わりゆく夫に複雑な想いを抱きつつも最後まで浮気一つもせず、それどころか願いが叶うもわずか数日で女性としての生涯をも終えてしまった夫を風に飛ばされるストールを眺めながら想うなんて…。あんなにも一人の異性への愛を貫く強さは男性にはどんなに頑張っても得ることの出来ないもの。男性が貫く愛の強さとは全然違うんですもん。

思えば男性なら誰しも一度は経験したであろう、女性体になってみたいという願望も突き詰めて考えてみると、それは女性が持つ美しさへの羨望。
ただでさえ形容しがたい美しさを持つフォルムを、さらに美しい様々な服装で飾り、メイクで染めていく。逆にいえば着飾った女性の美しさは脱がすとまた別の美しさへと変化する。そんな永遠に失われない女性ならではの美しさもまた男性にはどんなに頑張っても得ることの出来ないもの。

それでもその強さと美しさを得ようと奮闘している人たちが今もこの世界にいる。
そしてその先駆けがリリー・エルベであり、そのリリーが憧れた女性像こそがゲルダ・ヴェイナーだったのではないでしょうか。

アイナー・ヴェイナーにとっての全ては愛する妻ゲルダ・ヴェイナー。
リリー・エルベにとっての全ては憧れの女性ゲルダ・ヴェイナー。

そんなゲルダ・ヴェイナーを演じたアリシア・ヴィンキャンデルがオスカーを手にしたのもある意味納得でした。

深夜らじお@の映画館も女性の強さと美しさには感服してしまいます。だからおっぱい星人になってしまったのかも…。

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2015年11月25日

『ラスト・ナイツ』

ラスト・ナイツ騎士道で武士道を描く。これが世界を知る日本の魂。
日本映画界のしくじり先生こと紀里谷和明監督の実力がいよいよ発揮される時が近づいてきたのではないでしょうか。
もはやマスターベーションな映画を撮っていたのは遥か昔。モーガン・フリーマン殿下の優しき言葉に導かれた紀里谷和明監督の次回作が楽しみになってきましたよ。

ご自分の趣味嗜好ばかりを優先したがために日本映画界から嫌われ者となった紀里谷和明監督を救ったモーガン・フリーマン殿下の「LISTEN:他人の話を聞きなさい」という言葉がここまで作風を変えるのかと思うほど、紀里谷監督のいい部分が凄く目立っていたこの作品。

「忠臣蔵」をただのサムライ・リベンジ・ストーリーとして描いただけの『47RONIN』とは違い、騎士道と武士道の通ずる部分を核にしながら、随所に討ち入り時期と同じく静かに舞う雪、矢頭右衛門七教兼と同じく若さゆえにメンバー入りを躊躇われたガブリエル、犬公方により抱き犬として飼育された狆の登場、ソードアクションではなく殺陣として描くなど、「忠臣蔵」や元禄時代を学んだ日本人なら気付く細やかな演出も見事なこと。

そして出演者やスタッフにも「忠臣蔵」の真意を理解させたのか、討ち入りを復讐劇ではなく美徳を貫く男たちの美しき行為として描いているので、やはり自然とクライマックスの討ち入りシーンは興奮度も上がるもの。

ただ世界に「忠臣蔵」の魂を理解させるために噛み砕いて描いたことが逆に薄っぺらく感じられたりしたのは残念なところ。まぁ脚本家がカナダ人なので仕方ないのかも知れませんし、撮影や衣装なども含め全体的にスタッフも俳優陣ほどの実力者を揃えることが出来なかった弱さがあちらこちらで見えたのも、紀里谷監督の頑張りが見えるだけにちょっと残念でもありましたね。

それでもアン・ソンギ先生の静かな存在感もさることながら、クリフ・カーティスの印象深い副官ぶりといい、アクセル・ヘニーという新たなる悪役俳優の魅力といい、そしてクライヴ・オーウェンとの渋さ対決でも堂々と渡り歩いた伊原剛志さんの魅力といい、これまでの紀里谷和明監督作品にはなかった俳優陣の魅力をスクリーンに映し出すという紀里谷和明という映画監督の魅力もこの作品には詰まっていることが楽しいこと。

恐らくアメリカでアートを学んだものの、それが日本映画界批判に繋がってしまい、しくじり先生として辛い時期をも経験した紀里谷監督は、「忠臣蔵」のような世界にも通ずる魂を持った日本の作品を、元ネタを知らない世界の人々にも理解してもらえるようにアレンジする作品を撮った方が成功するのではないかと思うのです。

日本の魂を知る者にしか描けない日本の物語。
それを世界に発信し理解させることは世界を知っている者にしか出来ない。

ハリウッドでの評価が低かろうとも紀里谷監督はこれから大いに化ける可能性のある監督だと信じたい。
モーガン・フリーマン殿下もそう感じたからこそ、紀里谷監督に優しき言葉を投げ掛けたのではないでしょうか。

深夜らじお@の映画館は紀里谷和明監督の未来に幸あれと願います。

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2015年07月22日

『リアル鬼ごっこ』

リアル鬼ごっこ「リアル鬼ごっこ」ではない。「シュール・ランニング」だ!
鬼ごっこなんてこれっぽちもしていない。原作も完全無視しているらしい。でもこれが園子温監督作品。エロとグロを混ぜ合わせた先に大いなる皮肉と実験的成果をもたらす、エキセントリックな園子温監督らしい作品。
ただ園子温ファン以外には一切オススメ致しません。

女子高の修学旅行バスが鎌鼬のような謎の旋風によって上下真っ二つにされるグロ満載の導入から、懐かしい園子温ワールドと共に必死こいて走るトリンドル玲奈の頑張りが妙にリアルで面白いこの作品。

いったい何に追いかけられているのか分からない恐怖と辻褄の合わない世界観の急な変更がよりミツコの不安を掻き立てる一方で、ワカメちゃんパンツのような分かり易いパンチラ満載で女子高生たちのふてぶてしさを描く園子温監督はやはり女性を憎みながらも愛する恐妻家。可愛い女の子は好きだけどふてぶてしい娘にはお仕置きを!とばかりに、女子高生たちの笑顔と惨殺される姿をとにかく描く描く。

しかも三池崇史監督への遊び心も復活したのか、『神さまの言うとおり』を彷彿とさせるような女性教師によるマシンガン惨殺劇があれば、まるで戦争映画のように戦場と化した校庭で女子高生たちを走らせる面白さ。

さらにミツコが交番へ駈け込めば、ミツコは結婚式間近のケイコへと変更。トリンドル玲奈も篠田麻里子に変更。でも惨殺されたはずのアキが再登場で世界観の急な変更理由も納得。そうか、これは仮想現実なのね。

そうなればJKランナー・トリンドル玲奈・ミツコがウェディングファイター・篠田麻里子・ケイコになったのも、その後にまた世界観の変更でマラソンランナー・真野恵里菜・いづみになったのも、要はゲームキャラを変更したのと同じこと。

となると、どの世界でも表れてはミツコもケイコもいづみも助け、最後には赤と青の線を引っ張って自分を引き裂けと言ったアキはまさにトリニティーでありモーフィアスでもある存在。

そしてこの「リアル鬼ごっこ」が立体ゲームであると判明したラストで登場するのがNTR俳優として昨今騒がれているS藤工。しかもこの俳優さんにまさかの白ブーメランパンツ一丁で布団からお誘いを掛ける演技をさせるとは…。あまりにもシュールすぎるぜ!

ブタのお婿さんがいづみの世界でも無意味なバク転をしてから女子高生ランナーたちに横蹴りをかますとか、ケイコの結婚式でなぜか女性ばかりの参列者が全員下着姿になるなど、『愛のむきだし』のようなB級テイストで彩られたこの園子温監督らしい世界観。

まるで「オラオラ、気合入れて走らんかい!後ろを走るADに追い付かれたらスタッフ全員の前で恥ずかしいことさせるぞ!そのためにK本雅樹先生にも声掛けてんねんぞ!「高校教師」第3弾に出演決定か?どの役かは分かっとるやろな!」と言わんばかりにトリンドル玲奈さんに追い付かれたら私の人生終わる!という表情をさせながら、ひたすら走らせたその手腕。
さすが我らが園子温監督です!

深夜らじお@の映画館は実験的なこういう作品を撮る監督には敬意を表します。

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2015年07月01日

『ラブ&ピース』

ラブ&ピース愛を忘れた大人たちへ。夢を忘れた大人たちへ。人生のピースだけは忘れるな。
これが園子温マジックだ。ずっと求めていた園子温監督にしか描けない映画マジックだ。
愛を求める、夢を求める全てのダメ人間に贈るスローバラード。そこには大いなる反戦への魂と大いなる幸せへの希求が大きな愛として詰められている。

ロックミュージシャンを目指すも挫折し、「朝まで生討論」でもダメ人間として糾弾される鈴木良一、33歳。『新宿スワン』で変顔をさせた綾野剛に続き、長谷川博巳にも変顔をさせた園子温監督はこの鈴木良一という存在を用いて2つのことを描く。
一つは愛と夢を忘れたダメな大人。もう一つは愛と平和を忘れたダメな現代日本。

のろまな亀さんは急激な経済成長を経て平和国家を築いた現代日本への皮肉なのか、大切なものを忘れた現代には鈴木良一のようなダメ人間が平穏に暮らすことの出来る場所はない。
中学の修学旅行で長崎を訪れた際、被爆者の方が仰っていた「平和な社会は身近な戦争であるイジメをなくすところから始まる」という言葉を裏付けるかのように、ダメ人間はどこに行ってもバカにされる。
唯一、そのイジメという戦争から逃れる場所があるとすれば、それは夢を見る世界のみ。

そんな夢を自暴自棄になった鈴木良一によりトイレに流された亀のピカドンが謎の老人と出会ったことでご主人の夢を次々と叶えていく。
ピカドンへの謝罪と後悔と愛を込めた歌詞が反戦ソングとして世間に広まっていく。ダメサラリーマンが大ヒット・ロックミュージシャンへと出世していく。
ただ有頂天になった鈴木良一の「ラブ&ピース」というフレーズから大切なモノが抜けていく。大好きな寺島裕子ちゃんとの心の距離も離れていく。

一方でピカドンはどんどん大きくなる。ピカドンと共に暮らす捨てられて下水道世界にやってきた人形や動物たちの過去の悲しみもどんどん大きくなる。謎の老人の正体も分からないまま、なぜか観客の心の奥にあった、かつて共に暮らしたペットやヌイグルミの記憶もどんどん大きく蘇ってくる。

その理由はワイルド・リョウこと鈴木良一が憧れの日本スタジアムでクリスマスライブを行う日に明らかにされる。
謎の老人はサンタクロース。夢を配り、その捨てられた夢を集め、また新たな夢として届けるサンタクロース。夢見る子供に愛と一緒に人生のピースになる存在をクリスマスプレゼントという思い出として配っているサンタクロース。

子供は大人になると様々なものを忘れる。かつて大好きだったヌイグルミに注いだ愛。大切なペットにも話した夢。それらは全て今の自分の基礎となった人生のピース。

同様に現代日本も平和になると様々なものを忘れる。交戦国、ピカドンの意味、怪獣映画誕生の背景、「ラブ&ピース」の意味。それらは全て現代日本の基礎となった平和への想い。

国会で安保論争が激化するこの時期に巨大化したピカドンが都庁を壊してまで鈴木良一がライブを行っている日本スタジアムに向かう姿を見て、いったいどれだけの人が平和を希求する心が怪獣映画を誕生させたという背景を思い出すだろうか。

イジメやブラック企業による自殺が絶えないこの時代に言葉を話せるようになったピカドンが日本スタジアムで鈴木良一がかつて話してくれた言葉を復唱する姿を見て、いったいどれだけの人がかつて愛したヌイグルミやペットが話せたらという夢を思い出しただろうか。

「全力歯ぎしりLet's Go♪ギリギリ歯ぎしりLet's Fly♪」とライブ会場で歌っていた鈴木良一は日本スタジアムでピカドンが教えてくれた愛を、夢を思い出す。
もうピカドンという人生のピースも、寺島裕子ちゃんへの恋という人生のピースも永遠に失われたのかも知れない。それでも愛と夢を取り戻した鈴木良一はもうダメ人間ではない。

ただ忘れてはいないだろうか。今宵はクリスマス。サンタクロースが愛と夢を届けてくれる日。人生のピースになる存在を届けてくれる日。
ボロアパートに戻った鈴木良一の元に亀がやってくる。扉の外には寺島裕子ちゃんがやってくる。

RCサクセッションの忌野清志郎というサンタクロースがこの世に残した「スローバラード」という名曲が全てのダメ人間に愛と夢を届けてくれるこの作品。
改めて自分の人生のピースを思い出すと、思わず目頭が熱くなる。でもそれが凄く幸せにも感じる。そんな幸せを届けてくれた園子温監督もまたサンタクロースなのかも知れない。

深夜らじお@の映画館はあえてCGを使わず特撮として人形や巨大な亀さんを動かすことで全て観客にかつて大切にしていた人生のピースを思い出してもらう園子温監督の演出が大好きです!

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2015年05月16日

『ラン・オールナイト』

ラン・オールナイトチャンスは一度しかない。
その一度しかないチャンスを見事に仕留めるリーアム・ニーソンの最後の一撃は凄く格好いい!
ただそんなリーアム・ニーソンをエド・ハリスとヴィンセント・ドノフォリオが別々のルートで追い詰めるのか!と思いきや、まぁよくあるお話に落ち着いたことが残念でなりませぬ。せっかく悪役顔のヴィンセント・ドノフォリオを起用しているのに、もったいない!

眠らない街ブルックリンを裏で仕切る実業家という隠れ蓑を被ったマフィアのボス・ショーン。そのショーンと共に死線を潜り抜けてきたベテランで凄腕の殺し屋ジミー。そんなジミーを25年に渡って追いかけてきたハーディング刑事。

ショーンの息子ダニーが取引相手を殺した現場にたまたま居合わせたジミーの息子マイクまでを口封じ目的で狙うも、ジミーにより殺されてしてしまったところから、このオールナイトチェイスが始まるのですが、まずショーンがジミーを報復という名目で狙う理由が弱すぎること。

もちろん最愛の息子を殺されたという理由は納得出来るも、そもそもダニーは親父さんの命令を無視して暴挙に走り、しかも目撃者という新たな犠牲者まで増やそうとして返り撃ちに遭った自業自得な男。組織を牛耳るボスとしては、いくら息子であれ命令違反者の敵討ちって何かボスの器の小ささだけを目立ってしまうんですよね。

一方でマフィアとも通じる悪徳警官が蔓延る警察の筆頭格に悪役顔でお馴染みのヴィンセント・ドノフォリオがいるにも関わらず、まぁこのハーディング刑事が最初から最後まで悪役臭を一切醸し出さずに良識刑事として物語に絡んでくるのも、ちょっと期待外れでもあったのも事実。

だってリーアム・ニーソンが悪人と警察から追いかけられながらも悪を倒し、警察は正義を解明するために奔走していてくれたという映画なんて、今年の1月に映画館で見ましたもん。そう、『96時間/レクイエム』という映画を。

なので、工作員アクションがマフィアン・ガンファイトになっただけで、映画としてはほぼ同じストーリー。それで主役が同じ俳優なんですから、リーアム・ニーソンも仕事選べよって話ですよ。

凄腕の殺し屋だと言われている割にはプライスという同業者の存在を湖の別荘で襲われるまで忘れているわ、ニック・ノルティ演じるエディが何の理由もなくマイクの前でジミーの過去の悪行をバラすわ、オールナイトチェイスなのにブルックリンが眠らない街だけに全く一晩中逃げている感じがしないわなど、ストーリーは気にせずアクションだけ楽しむには全く問題のない映画ではあるんですけど、これだけよく似た映画を半年の間に見てしまうとねぇ〜。

本当に最近のリーアム・ニーソンも小銭稼ぎに走り過ぎてません?
「チャンスは一度しかない」なんて、少なくともこのオヤジさんの前では嘘ですやん!
いや、本当にそうなのか?もし同じ内容ながら別々の映画に立て続ける出演するチャンスは一度しかないということなら…。
それならこのオヤジさんは今まさに小銭稼ぎに開眼したのか。あぁ、そうだ!この御方はクワイ・ガン=ジンだった!現実でも小銭稼ぎのクワイ・ガン=ジンになられたのか〜って、そんなんで納得出来るか!!

深夜らじお@の映画館はリーアム・ニーソンが再び名優に戻ることを願っています。

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2015年04月27日

『龍三と七人の子分たち』

龍三と七人の子分たち龍三親分の一龍会だけに、龍頭蛇尾な映画でした。
これは北野武とビートたけしが混在してしまった映画ではないでしょうか。映画監督:北野武としての面白さと芸人:ビートたけしとしての面白さが両方詰まっているにも関わらず、最後まで化学変化も融合も起こらずに映画が終わってしまうのが何とももったいないです。

元ヤクザであっても時代が変われば家の中では疎まれる存在。昔の仲間と栄光の日々を懐かしんでも仕方ないので、いっちょこの腐れた現代に「喝ッ!」を入れんばかりに7人のおじいちゃんたちでヤクザ組を結成。8人目の仲間とも再会し、ヤクザ紛いのことをしている京浜連合とかいう企業型犯罪集団にヤキを入れてやる!
そんなストーリーを聞けば勧善懲悪な展開を期待し、また個性豊かな8人の元ヤクザの衰えぶりをコミカルに描く展開にも期待してしまうもの。

ところがこの北野作品、前半はそれらの期待を大いに膨らませてくれる展開が続くので楽しいのですが、いざ京浜連合とのいざこざが現実化し始める頃になると映画としての盛り上がりも笑いもトーンダウンしてしまうのが残念なんですよね。

例えば龍三親分と若頭マサを除く6人の個性豊かな子分たち。時代の変化と体力の衰えにかつての栄光を失っているようで変なところでその実力を発揮しているというシーンが少ないのも残念でならないんですよね。
洋式トイレでは隠れることも出来ない「はばかりのモキチ」や狙った的には当たらないのに9ダーツは達成してしまう「五寸釘のヒデ」はその面白さを描けていても、ただ銃をぶっ放すだけの「早撃ちのマック」、空振りが多すぎるだけの「ステッキのイチゾウ」、カミソリを脅し道具に使っただけの「カミソリのタカ」、米軍空母に着艦して終わりの「神風のヤス」はその面白さが消化不良のまま。

さらにキャバクラ萬田久子ママやマル暴の村上刑事との関係も不明なら、モキチの孫娘のその後も不明、乗ってきたはずの霊柩車が消えた理由も不明。
ついでに龍平が出社時に乗ってきた自家用車の左側にあるはずのモキチが剥がし忘れた宣伝テープが、会社のガラスには映らないというスクリプターの失敗もある。

つまり北野武監督としての映画的面白さと、ビートたけしとしての芸人的面白さで前半にたくさんの期待を膨らませていながら、その2つの面白さが後半に結実するという計算もなく、逆にどちらを重視するのかということもないままにクライマックスへとなだれ込んでいくんですよね。
なので、バスジャックでのハリウッド映画に対抗意識バリバリの露店を破壊しながらのカーチェイスの先に一つ見せ場を作ってということもなく「出所する頃にはみんなクタバってらぁ!」という唐突なオチを用意しなければならないのも残念。

映画監督:北野武と芸人:ビートたけし。両方の魅力が計算のないまま、ただ垂れ流されている。それでは「映画」としても「お笑い」としても不完全。ただの映画監督でも芸人でもない、「世界のキタノ」であり「殿」だからこそ、もっと高いレベルのコメディに仕上げて欲しかったですよ。

ただ藤竜也さんの了解も得ずに勝手に付け足したという、あの方々でぶっ放すオナラネタ。これが強面の藤竜也さんだからこそ似合うというのをしっかりと理解されているだけでなく、人をバンバン殴り、銃刀法違反お構いなしのシーンを続ける映画を文化庁の助成金である「文化芸術振興費補助金」で撮っているのもさすが「北野武監督」であり「風雲たけし城の殿」。
こんなことが出来るのは日本の映画界ではこの方だけかも知れませんね。

深夜らじお@の映画館は安田顕さんにはもっと弾けて欲しかったです。

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2014年11月20日

『6才のボクが、大人になるまで。』

6才のボク6才のボクが大人になるまでに必要なこと。それはたくさんの人たちからたくさんの愛を受けること。
劇的な展開がある訳でも、クライマックスに向けて何か大きな感動がある訳でもないのに、見終わった後に時間が経てば経つほど心に広がってくるこの不思議な感動はいったい何なんだろうか。
独身者にとっては、いつか親という立場になった時に改めて見直したいと心から思える映画でした。

エラー・コルトーレン、ローレライ・リンクレター、パトリシア・アークエイト、イーサン・ホークを1つの家族として毎年数日ずつ撮影すること12年。数人の俳優を用いて一人の人物を描くのではなく、本当に一人一役で12年の歳月を掛けて作りあげたこの作品。
しかも年齢毎にセクションを設ける訳でもなく、ただ淡々と6才のメイソン少年が18才のイケメンへと成長していく様を、姉サマンサ、母オリヴィア、父メイソンSr.と共に描いていくので、どこか親戚の立場のような不思議な感覚で見ることが出来るんですよね。

始めは近所の友達とエロ本で盛り上がり、別居中の父親との週末面会を楽しみにする、普通に可愛らしい少年だったメイソン。
ただ母親は急な引っ越しを切り出すわ、男を見る目がないばかりに酒呑みで暴力を振るう大学教授と再婚して新しい姉弟とも別れざるを得ないわ、またまた男を見る目がないばかりに教え子の元軍人と再婚しては子供に窮屈な想いをさせるわと、頼りないことばかり。

一方で父親になる覚悟も出来ぬままに子供を作ってしまったがゆえに父親になり切れていないメイソンSr.は、親というよりは年上の友達のような感覚で子供たちと付き合う、こちらも決して頼りになるとは言い切れない存在。

でもこの再婚とメイソンやサマンサにとっての異母弟の誕生により、ようやく父親としての自覚が出てきたメイソンSr.と、再婚と離婚を繰り返し娘と息子を振り回しながらも大学教授として頑張ってきたオリヴィアの言葉には、親として手探りでやってきた不安、子供を苦しめてしまった後悔、自分の道は自分で切り開く子供になってほしいという希望など、様々な親としての感情が詰まっているんですよね。
だからこそ本当にメイソンもサマンサも立派に育ってくれて良かったと心から思えてくるんですよね。

継父たちとの窮屈な時間を思えば、メイソンもサマンサもグレてしまってもおかしくなかったはず。
でもイケメンに成長したメイソンは写真という自分の道を見つけ、べっぴんさんに成長したサマンサは笑顔のステキな女性になってくれた。
そんな子供たちの姿を見ていると、特別な言葉や行動がなくても親が子供を本気で心配し愛している限り、親の愛は必ず子供に伝わるものだと分かるんですよね。
そして同時に自分の親も同じことをしてくれたことが分かり、いつかは自分もそういうことをする立場にならなければとも思えてくるのです。

子供の頃は誰でも目に映る世界は狭いもの。でもそれは親になったばかりの大人も同じ。狭い世界しか知らない者同士が家族としてスタートを切る。
ただ子供が成長するように、親も成長する。子供は未来を見ながら成長するが、大人は過去の過ちを後悔しながら成長する。

メイソンは両親から受けた愛を写真という形で表現していくのだろう。
サマンサはそのステキな笑顔で両親から受けた愛を次世代へと伝えていくのだろう。
オリヴィアは旅立つ子供に淋しさを覚えながら、次はおばあちゃんになるべく成長する準備に掛かるのだろう。
そしてメイソンSr.はサマンサやメイソンに十分に注ぐことの出来なかった愛を、新たな息子に注いでいくのだろう。

父親がくれると約束した車を売ってしまったことに、父が自分よりも異母弟を気に掛けていると分かった時の淋しさ。
母親が大学寮へと引っ越す当日になって淋しさをぶつけてきたことに、母がどれだけ必死に子育てをしてきたかが分かった時の有難味。

親の愛や想いは直接子供に伝える機会はそうはないもの。だからこそ何度も開かれるパーティ。そこに集えば、親戚や友人たちが教えてくれる。自分がどれだけ親の愛を受けているかということを。

この映画は165分で終わりますが、この家族の物語はこれからも続く、何年何十年と続く。観客もこの家族の関係者としてずっとこの家族を見守っていきたい。
そんなステキな体験が出来るこの映画。時間が経てば経つほど、そのステキさは増すばかりです。

深夜らじお@の映画館も早く結婚して子供が欲しいです。

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2014年10月04日

『レッド・ファミリー』

レッド・ファミリーどちらが理想の家族なのか。
第26回東京国際映画祭で観客賞を受賞したこのキム・ギドク脚本・編集・製作作品。
息子も呆れるほど夫婦喧嘩の絶えない韓国人家族と、見た目は仲睦まじく暮らす北朝鮮工作員チームで結成された偽者家族のどちらが理想の家族なのか。
その答えこそ、ラストで繰り広げられる「切ない芝居」。

息子チャンスと祖母が呆れるほど夫婦で罵り合いを続ける韓国人一家の隣に引っ越してきたのは、美しい妻スンヘ、大人しい夫ジェホン、優しい祖父ミョンシク、可愛い娘ミンジという一家。
でも家の中に入ればスンヘを班長とする階級重視の北朝鮮工作員チーム。しかも全員北朝鮮に家族を残してきたまま韓国で偽家族を演じる、資本主義を嫌いながらも本当は韓国の生活に憧れている4人のチーム。

そんな偽家族の最大の弱点はやはり年齢・経験よりも階級重視の人間関係、つまりは最年長のミョンシクよりも若いスンヘが班長であること。なので、家に入るや否や年長者のスネをスンヘが蹴るシーンで既にこのチームは仲間への労いなどを重視しないスンヘの判断ミスによって崩壊する雰囲気が漂っているんですよね。

そうなるとどこでスンヘがミスをするのかが気になってくるところなんですが、ミョンシクは病状の悪化、ミンジは隣家の息子とお年頃の関係、ジェホンは北朝鮮に残した妻が脱北に失敗して逮捕と、判断ミスの危険個所はわんさか。

結局は妻へ手紙を書くことも出来なかったジェホンの件でスンヘがチームの名誉挽回のため、またジェホンの妻を救うためにも裏切者の大物を始末をしたら、その大物が実は北朝鮮への内通者ということが判明。予想通り、スンヘの判断ミスで偽家族が大ピンチに晒されるのですが、ここでさすがキム・ギドク脚本作品と思わせるのがこのタイミングで隣家から聞こえてくる夫婦喧嘩の罵声。しかもそれを4人が別々の部屋で静かに故郷の家族のことを想いながら聞いているという演出がたまらなく心に響いてくるんですよね。

理想の家族とは何かと問われれば、人は誰でも自分の家族に足りないものばかりを挙げるだけ。でも家族にとって必要なものは一緒にいること。喧嘩して仲直りして、また喧嘩しても最後は仲直りして一緒にいること。
写真で見たことしかない孫と手を繋いで歩きたい、亡くなった夫の分まで娘と暮らしたい、愛する妻と過ごしたい、まだまだ母親と一緒にいたい。そんな人間として当たり前のことが叶わぬのが北朝鮮工作員チームの現状。理想の社会を追い求めるも、本当の理想は憎き資本主義思想に染まった隣家にあると4人が痛感した現実。

そんな4人に下された、家族ぐるみで何度も食事までした隣家を全員暗殺せよという理不尽な指令に対して、視野が狭くなったスンヘに変わり年長者のミョンシクがジェホンやミンジと共に一計を講じるのですが、個人的にはこのくだりがちょっと物足りなかったのが残念なところ。

というのも、隣家の喧嘩をそのまま自分たちの偽家族に合わせてあの「切ない芝居」を打ったあとにミョンシクは病死し、スンヘは舌を噛み、ジェホンは頭部を打ち付けて自殺してしまうというのはあまりにも悲しすぎるのではないかと思うのです。
もちろん「恨の感情」というものが韓国文化にはあるのは承知の上ですが、それなら北朝鮮の家族を諦めて、4人で韓国での偽家族を本物の家族にするというラストでも良かったのでは?と思うんですよね。

ラストで立ち向かうことを覚えたチャンスの前に再び現れたミンジ。彼女がまだ工作員なのか、それとも逃げ延び自由の身となったのか。あの微妙な笑顔からは真実は見えないけれど、でもその笑顔を少しでも希望として見ていたい。

改めて家族が一緒にいることが出来る社会にいることを感謝する映画でもありました。

深夜らじお@の映画館は視点を変えると「ガキ」にも「聡明」にも見えるキム・ジョンウン第一書記評価が面白かったです。

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2014年09月13日

『るろうに剣心 伝説の最期編』

るろうに剣心後編進化するアクション、劣化する脚本。
まさか前作を超えるチャンバラアクションが見れるとは思いもしませんでした。そしてまさか前作以上に原作へのリスペクトなど微塵もなしにストーリーを大いに改悪するとも思いもしませんでした。
結果的に「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」の実写化は作を追うごとに劣化していっただけでした。

男前すぎる43歳:比古師匠を「これはこれであり」と思わせるほど福山雅治さんの役者としての魅力が味わえる前半は、あれのどこが修行やねん!というツッコミもさることながら、佐藤健さんの男前っぷりさえも霞める福山師匠の存在感が楽しめて面白いこと。

一方で、同時進行で行われるのは『パール・ハーバー』の屋外極秘会議を彷彿とさせるような志々雄一派と明治政府の浜辺でのお食事会。
しかも「人斬り抜刀斎の指名手配」という志々雄の要求を明治政府も飲んじゃうというのもビックリ。そもそも諸外国に内乱状態を悟られぬために裏稼業の亡霊を同じ裏稼業の剣心に始末させるはずだったのが、ここで裏歴史を表舞台に出してしまったら本末転倒ですやん。

さらに幕末志士の舞台である京都で完結させずにあっさりと舞台を東京に移してしまう歴史への敬意の無さも露呈すれば、浦賀沖で明治政府の茶番斬首刑が終わるまで停泊する志々雄戦艦:煉獄は砲台建設に勤しむ明治政府を一切攻撃しないという、まるで仮面ライダーが変身する間は攻撃しないショッカーのみなさんのような紳士ぶり。

そしていざ浜辺で戦いが始まれば取って付けたかのように「盲剣の宇水」と斎藤一との対決を描くのですが、これが亀甲楯の活躍もないまま牙突一撃で終わってしまう情けなさ。そこはせめてティンベーで弾かれてからの牙突零式で決着をつけさせろよ!

また取って付けたかのようといえば「明王の安慈」と左之助との直接対決。こちらも重量級K-1ファイターがライト級ボクサーのように劣化した破戒僧との決着がコメディって。
大した心理攻撃もなく急激に一人で頭を抱えて悩みだしては弱体化した瀬田宗次郎もあっさり負けてしまいますし、佐渡島方治に至っては志々雄真実の戦いを見守っているはずが左之助に殴られた後は完全に行方不明。

これだけでも酷いのに、さらにキツいのが志々雄vs.剣心・左之助・斎藤・四乃森蒼紫という戦隊ものヒーローのような単独の敵に集団で同時に襲い掛かる戦いっぷり。これで描いてしまうと斎藤や蒼紫が凄く弱く見えてしまうことに大友監督は気付きもしなかったのでしょうか。というか、それ以前になんで志々雄真実が同業の四乃森蒼紫のことを知らんねん!あれでも一応江戸城御庭番衆の御頭やで!

まぁそんな志々雄の無限刃が剣心の逆刃刀と同じ新井赤空の作品であるという説明もないただのファンタジック・ファイヤー・ソードに成り下がってるわ、仲間を見殺しにするような砲撃を行っておきながら最後に「侍に敬礼!」と伊藤博文は志々雄よりも極悪人に成り下がってるわ、翁が満身創痍で出歩いて途中退場する意味もないわ、お邪魔虫・四乃森蒼紫と剣心との戦いは完全に不要だったなど、もはや「原作の改悪」としか表現できない展開も多すぎるこの映画。

でも2つだけ素晴らしかったのは、見易さが一段と増したカメラワークで映し出されるチャンバラアクションと、役者としての凄さを感じずにはいられなかった藤原竜也さんの魅力。これだけ酷い脚本であるにも関わらず、映画を最後まで飽きさせずに見せたのはこの2つの魅力があったからでしょうね。

てな訳で茶番斬首刑のくだりで再び「清里明良」や「雪代巴」との過去を描いていましたから「人誅編」もシリーズ化するのかと思いきや、ラストであんなにもあっさりと剣心が薫にプロポーズするとは…。剣心がバツ1であることも、その結婚生活の結末が物凄く重いものであったことも、そして頬の十字傷に大いに関係あることも説明しないままのプロポーズって…薫が不幸になるだけ。大友監督の原作への読み込み不足がここまで来ると、もはや怒りを通り超えて呆れてしまうだけでしたよ。

深夜らじお@の映画館は飛天御剣流奥義「天翔龍閃」が抜刀術である理由をきちんと描いて欲しかったです。

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2014年09月02日

『LUCY/ルーシー』

ルーシークスリの大量摂取で神様になりました。
通常の人類は脳の10%しか機能していない。もしそれが100%機能するようになったらどうなるのか。答えは流体生物に変化してから砕け散って、あらゆるところに存在する八百万の神々を一人で担う神様になりました。それで納得出来るか!
これならルーシーが宇宙人という設定でも十分に成り立つ話じゃなイカ!

この映画にはキリスト教世界特有の宗教的描写が含まれているので、観客の知識量も問われる作品であると言われても、どうも腑に落ちない点が多いこの作品。

例えば一般女性が台湾で韓国マフィアに利用されたことで下腹部に埋め込まれたクスリが体内に流れ出たことで脳が覚醒したといっても、その割には血の付いた服装で歩けば目立つやん!病院を銃を片手に歩いたらすぐに通報されるやん!それでは警備員などの邪魔が入る分、目的の達成が遅れますやん!といった判断力の低下してまっせ!がえらい目立つので、これホンマに脳が覚醒してますの?と思ってしまうんですもん。

数時間で外国語をマスターする、触れただけで友人の体調が分かる、カルテなどを数分見れば患者の病状も理解出来る、ネットも超速読が出来ると凄い能力をたくさん見せてくれても、病院で患者を射殺すれば警察に追われて韓国マフィアを追うことに専念出来ませんやん!となれば、脳が覚醒してもこのお姉ちゃんアホになってますやんとしか言い様がないんですもん。

さらに脳が30%機能するようになるとフォースが使えるかの如く相手に触れずにマフィアを制圧していくのに、それならクスリの大量摂取で脳機能を100%にする前にフランス警察に韓国マフィアの相手をさせて時間稼ぎをさせず、アンタが直接出向いてこのフォースのパワーでマフィアを一時的でも制圧すればいいじゃない!動けないマフィアを警察が確保すれば、あとはゆっくりと時間を掛けて脳機能を100%にすればいいじゃない!と思っちゃうんですもん。

ですからもしこのルーシーが一般女性ではなく、仮に宇宙人という設定でもこの話は成り立っていたと思うのです。まぁ宇宙人が地球に来て活躍してから神様になったという設定は在り来たりですが、脳を100%機能させる魅力をさほど描かないのなら、こういう設定にした意味合いがなくなってしまいますからね。

確かに通信を支配する機能をさらに超え、時間をも支配するほど高速に動くことが出来るようになると、過去にも行っては最初の人類ルーシーと会う事も出来る設定も理解出来ます。高速に動くことが出来るようになると、もはや人類の動体視力では確認することが出来ないので存在していないようになるというのも理解出来ます。
そしてそれが宗教的意味合いを持っていることも多少なりとも理解出来ます。

でもそれならなぜ「I AM EVERYWHERE」になる前に流体生物になったのか。スーパーコンピュータに接続するなら触手一本で済むところを、なぜ『鉄男』みたいに得体の知れないものに埋もれていったのか。人類が脳を覚醒させると形状が保てなくなるくだりの説明が一切ないので、これで宗教的意味合いが云々と言われても…と思っちゃうんですよね。

結局、台湾を舞台に韓国マフィアという組み合わせでアジアでの興行戦略を狙っているのかよく分からない、チラッとダイソンの羽無し扇風機を見せてくるリュック・ベッソン監督は相変わらずカーチェイスシーンだけが素晴らしいのだから、いっそのこと自動車会社のTVCMを撮らせてもらったらいいのに…という感想が色濃く残っただけのこの作品。

韓国マフィア襲撃のくだりで『レオン』のセルフリメイクを入れるのもいいですが、その前にニキータ、マチルダ、リー・ルー、アンジェラに続く新たな魅力的なヒロインをそろそろ作りあげて欲しいものです。

深夜らじお@の映画館は昔のリュック・ベッソン作品のヒロインが好きでした。

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2014年09月01日

『ルパン三世』

ルパン三世またつまらぬものを見てしまった…。
この映画には軽快なテンポ、決め台詞、お色気など足りないものが多すぎます。逆にキャスティングやカメラワークなど意味不明なものが多すぎます。
かつてはハリウッド進出を周囲からも熱望されていた北村龍平監督なのに、その演出センスはまだ元に戻っていないのか!

「ルパン三世」のロゴに銃弾が撃ち込まれたではなく、ただ乗っかっているだけOPから、未だに『ゴジラ FINAL WARS』以降演出センスが狂ったままの北村龍平監督のハリウッド進出はさらに夢物語になったことを痛感せずにはいられないシーンばかり見せられるこの映画。

主要キャスト以外は韓国やタイなどの外国人俳優を起用しては唇の動きと合わぬ日本語吹き替えで微妙なズレを味あわせてくれるわ、原作アニメにある泥棒ならではの軽快なテンポは微塵も感じられないわ、近接戦闘というアクションシーンも全然見易くないわと、「ルパン三世」の実写化以前に、これが本当に北村龍平監督作品か?と思えるほど。

特に酷さを感じたのは小栗ルパンに飛行機内で接客にあたるCA役のとある女優さんの見せ方。そりゃお遊びでこの女優さんに出演してもらうのはいいとしても、接客後に去っていく姿を長く映し過ぎ。端役なんですから観客に気付かせる程度でいいものを所属事務所からの圧力でもあったのか?と思えるほどの長さなんですもん。
しかもEDロールを見ればカメオ出演でもなければ友情出演でも特別出演でもない有様。つまりは夫婦揃ってこの映画でお稼ぎになってらっしゃるんですよね。こりゃアカンわ。

さらにアカンわといえば、凹凸のないボディラインのメイサ不二子。
そもそも内面から色気を醸し出す峰不二子に対して、黒木メイサさんは外面から色気を出す女優さん。全く色気の質が違うのに、女の色気について不勉強なキャスティングによって出来上がったメイサ不二子は当然この作品においては色気がないと映ってしまうんですよね。事実、この映画を見て「花がないなぁ〜」と思えた理由もこれが要因でしょう。

またモノマネを必死に頑張る小栗ルパンも、やたら帽子を深く被らない玉鉄次元も、ふっくら剛五ェ門も、ルパンより身長が低い浅野とっつあんも、それぞれ俳優さんが頑張っているのは分かっても、キャラを活かす脚本になっていないのが余計に彼らをアカン状態に、特にクライマックスでアカン状態にしてしまっているのも残念なところ。

IQ300の頭脳を全く使わない小栗ルパンの「不〜二子ちゅわぁ〜ん」は実写で見るとイタイだけですし、浅野とっつあんもルパン絡みの連絡を聞いても「ぬわぁに、ルパンだとぉ!」というお馴染みのセリフもない。
玉鉄次元も残り2発の銃弾から逆転勝利を得ても悪態をつかず無言のままなら、剛五ェ門も「テヤァ!」という掛け声なしに無言で戦い、「またつまらぬものを斬ってしまった」という決め台詞を一番言うべきところで言わない始末。

テーマ曲もない、リズムも悪い、切り落とされた竹や倒れる兵士の銃の先につけたカメラという意味不明な映像も多い。海外向けに外国人俳優を多用したのか、子供向けに日本語吹き替えを起用したのかも不明ならば、ルパンが次元や五ェ門たちと組む原点を描ている割にはルパンと五ェ門がかつて不二子を取り合った恋敵というエピソードには一切触れない。

結局、俳優陣の頑張りは伝わってきても、脚本と演出以前の企画段階から「人気アニメを実写化する」という製作側の熱意が全く足りていなかったのに、シリーズ化だけはちゃっかり考えていることが如実に表れているだけのこの映画。
多くの方が映画館を出るときに「またつまらぬものを見てしまった…」と呟かれたことでしょう。

深夜らじお@の映画館は斬鉄剣とコンニャクのエピソードも描いて欲しかったです。

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2014年08月01日

『るろうに剣心 京都大火編』

るろうに剣心京都大火ムダなものは描いていないのでアクションは凄い。ただ大事なものも描いていないのでドラマは薄っぺらい。本当にこれでいいのか、和月先生!
前作同様、緋村抜刀斎を演じる佐藤健さんは素晴らしいが、これまた前作同様、志々雄真実と瀬田宗次郎以外の敵キャラに魅力がない!本当にこれでいいのか、「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」の実写化は!

学生時代に原作コミックを熟読した者として語られていただくと、この志々雄真実との戦いを描いた京都編は「神谷薫との別れ」「煉獄爆破」「志々雄真実との決着」を区切りとした3部作にして欲しかったと思えるほどの巨編。新キャラの登場も多い、主要キャラの心の葛藤も多い、そしてバトルも多い。

そんな巨編を2部作にすると当然どこを切るかが問題となるのですが、アクションを重視されたのか、大友啓史監督は原作ファンとして切って欲しくなかった要素を尽く切って下さっているのが残念でならないのです。

例えば「剣心と斎藤一の対決」を削ったがために「不殺の誓い」を捨てねば後輩に勝てないという圧倒的不利な立場に追いこまれた剣心の葛藤がなくなり、その葛藤がなくなったために後輩の手下・瀬田宗次郎にも勝てない、沢下条張にも苦戦を強いられる剣心が人斬りに戻らずに勝つにはどうすべきかとさらに悩むくだりもない。
また「相楽左之助の道中修行」を削ったがために十本刀・悠久山安慈和尚との出会いもなければ、左之助成長の証でもある「二重の極み」もない。当然これでは後編での直接対決も見込めない。

さらに十本刀・沢下条張の「薄刃乃太刀」を削ったがために張クンの見せ場がなくなり、その張クンからの情報を元に京都大火を囮に煉獄出港という志々雄真実の狙いを読み解くという「人斬りならではの頭脳戦」を削ったがためにクライマックスに緊迫感がなくなり、神谷薫を誘拐しておいて海に投げ捨てるという意味不明な展開にしか行き場がなくなってしまっている始末。

その他にも左之助の友人・月岡津南が登場しないので新型炸裂弾による煉獄爆破もない、悲哀を削ったがために身勝手な理由にしか映らない四乃森蒼紫は原作以上に京都編では完全に蚊帳の外状態で邪魔でしかないなど、まぁ原作通りに描いて欲しいとは思いませんが削ったらダメなものをこうも多く削られてしまうと、そりゃ十本刀もモブ扱いになるわと残念な気持ちが先行してしまうんですよね。
しかもその十本刀という敵キャラの魅力が削がれるということは宇水や不二と対決する斎藤一や比古清十郎といった人気キャラの見せ場もなくなる。それで後編をどう面白くするのか、不安と疑問だらけですよ。

てな訳で佐藤健さんの殺陣の美しさがさらに磨きが掛かっており、これを見るだけでも十二分に価値のあるけれども、伊勢谷友介さんと田中泯さんの御庭番衆対決も見応えたっぷりに仕上がっているこの作品。
「謎の男」と勿体ぶっている福山雅治さんは飛天御剣流の師匠・比古清十郎しかないでしょう!と思いつつも、この比古師匠の戦うシーンは後編には多分ないだろうなぁと思ってしまうのも何とも淋しく感じる映画でした。

深夜らじお@の映画館は大鎌の鎌足ちゃんが全然可愛くないのも残念でなりません!ちなみに鎌足ちゃんは女優さんが演じてますが、設定上はオカマちゃんです。

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2014年04月06日

『リベンジ・マッチ』

リベンジ・マッチボクシング映画界のレジェンド対決、イタリアの種馬vs.怒れる雄牛。
ボクシング映画としての面白さはそれほどない。ストーリーも予定調和。
でもこの映画を見れば誰でも分かる。シルベスタ・スタローンは永遠にロッキー・バルボアであり、ロバート・デ・ニーロも永遠にジェイク・ラモッタであることを!
いくら年老いてもこの2人は永遠にボクシング映画界のスターなのです。

67歳になったイタリアの種馬と70歳になった怒れる雄牛が30年ぶりに雌雄を決するため、年老いた身体を鍛え直しリングに上がる。
『ロッキー・ザ・ファイナル』に『レイジング・ブル』をゲスト参加させたような、このシルベスタ・スタローンの小銭稼ぎとしか思えない映画が、しかも本編を見ればスポーツ映画・ボクシング映画としてのマジメさよりも2大スターのセルフパロディを中心としたコメディ要素が目立つ映画が本当に面白いのかと思っていましたら、これが映画ファンのツボを見事に刺激してくれる映画に仕上がっていること。

例えば生卵の一気飲みや精肉工場での生肉サンドバッグトレーニングの肩透かしといった『ロッキー』のセルフパロディ、出っ張った腹は『レイジング・ブル』、バーの経営がマフィアの資金源のようにも見えるロバート・デ・ニーロのセルフパロディもしっかり見せてくれれば、この2大スターが全身黄緑色衣装で喧嘩をする様や総合格闘技会場での乱闘、上空からのスカイダイビングなどがYouTubeにアップされるなど時代に取り残された感も存分に見せてくれること。
ただ揉め事を起こすたびに注目度が高まって18000人収容の会場を抑えることが出来るというのは、ちょっと出来過ぎな展開にも思えるんですけどね。

でもヘンリー・レーザー・シャープは金のためが愛するサリーのために、ビリー・ザ・キッド・マクドネンはサリーとの間に生まれた息子BJと孫トレイのためにトレーニングを重ねていくと、徐々にレーザーはロッキーに、ザ・キッドはジェイクに見えてしまう独特の雰囲気がこの映画を包み始めると、もうこの映画はどこからどう見てもロッキー・バルボアとジェイク・ラモッタの伝説の対決を描いた作品へと昇華してしまっているんです。

そしてついに始まった30年分の遺恨を晴らす試合はやはり予想通りの年老いた2人が織り成す生温いものと思いきや、右目が見えないロッキーに対し正々堂々と戦うことを選んだレイジング・ブルによる真正面からの戦いが始まれば、もはやこのボクシング映画に生温さなどは一切存在しないのです。

それどころかボクシング映画では絶対にあり得ない、ダウンしたロッキーをレイジング・ブルが手を貸して起こすくだりがあれば、逆にダウンしたレイジング・ブルをロッキーが手を貸して起こすくだりまであるという、最後までリングに立って戦うレジェンド同士の熱き友情に目頭が熱くなるばかり。
最後は経済的に敗者であるシルベスタ・スタローンが勝者となって、ボクシングと経済的な両面で1勝1敗の引き分けとなったのかも知れませんが、いやはや勝敗なんてつけてほしくないほど、このレジェンド対決には楽しませてもらいましたよ。

そんな映画ファンへのサービス精神に溢れたこの作品ですが、EDロールでのもう一つの遺恨試合交渉も面白いこと。
だってあの「耳噛み事件」で有名なマイク・タイソンとイベンダー・ホリーフィールドへの遺恨試合交渉ですよ。しかもプロモーターであるダンテJr.が『ハングオーバー4』への出演を持ちかけた途端、それまで渋っていたホリーフィールドが快諾し、シリーズに出演したいた乗り気のタイソンが怒ってダンテJr.に殴りかかるんですもん。
最後の最後でどえらいネタを持ってくるなぁ〜と笑っちゃいましたよ。

てな訳でこの調子でいくと、シルベスタ・スタローンの次の対戦相手はラッセル・クロウかダニエル・デイ・ルイス、ウィル・スミス、デンゼル・ワシントン、もしくは赤井英和の誰かになるのでしょうかね。

深夜らじお@の映画館はキム・ベイシンガーの老け具合だけはちょっと驚きでした。

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2014年04月01日

『ローン・サバイバー』

ローン・サバイバー決して戦いから逃げない。
これはアメリカ賛歌の映画でもなければ、ネイビーシールズ賛歌の映画でもない。さらにレッド・ウィング作戦に失敗したアメリカ批判の映画でもなければ、タリバン批判の映画でもない。
ただ戦いから逃げなかった戦士たちの姿に敬意を示しただけの映画。それゆえにシンプルが故の感動だけに特化した映画でもありました。

瀕死直前になるまでの訓練を何度も受け、それでも強靭な精神力で最後まで耐え抜いた者だけがネイビーシールズに入隊できることを実際の写真や映像で見せるOPから異様な雰囲気を漂わせるこの作品。
そこには特定の組織を称賛する意図は全くなく、ただ愛国心で厳しい訓練に耐えてきた人々に対する敬意のみが存在しているだけなんですよね。

ですから正直なところ、この作品に物語性はあってないようなものです。要はレッド・ウィング作戦と名付けたタリバン幹部アフマド・シャー殺害のため偵察に出た4人が敵との不運な遭遇により過酷な銃撃戦を強いられるだけ。
戦争映画にありがちなハラハラドキドキもなければ、映画的に感動出来るようなシーンも一切ありません。

でも過酷な訓練を耐え抜いてきた猛者たちに対する敬意がしっかりと描かれているので、銃撃戦での負傷による意識朦朧で落命されたダニー・ディーツ二等兵や、命を投げ出してまでも衛星電話を繋いだマイケル・マーフィ大尉、息も絶え絶えになりながらも最後まで戦士として抵抗の意志を貫いたマシュー・アクセルソン二等兵、そして身の危険を顧みず仲間の救出に赴くも志半ばで命を落とされたエリック・クリステンセン少佐やシェーン・パットン新兵に、自然と兵士として立派に戦われた姿を最後まで見届けなければならないという気持ちにさせてくれるのです。

さらに一人生き残ることが出来たマーカス・ラトレル一等兵が逃亡先で命を救ってくれたパシュトーン族のグーラーブ親子の「戦地から逃げ延びた者を守る」という1000年以上続く村の掟を守る姿も、いわば立派な戦士の姿。

つまりこの作品には宗教解釈という建前で武力による制圧を試みる脆弱な精神力しか持たぬタリバンとは違い、国家や立場は違えど「決して戦いから逃げない」強靭な精神力で銃を握る戦士たちの立派な姿を永遠に残したいという思いしかないのです。

だからこそ、やっと来た仲間により救出される際にマーカスが言葉が通じなくともグーラーブに感謝を述べ、グーラーブの息子を優しく抱きしめるくだりは、人間としての崇高な感動であり、またEDロールで描かれる後日談でマーカスとグーラーブが再会したという史実に胸を撫で下ろす感動にも変わっていくんですよね。

そして多くの犠牲を払ってまでアメリカが世界各地に軍隊を送る理由の中に、わずかながらも同じように「決して戦いから逃げない」戦士を手助けしたいという想いもあるような気がしましたよ。

何度も岩場の山を転げ落ちる骨折どころか打ち所が悪ければ死ぬかも知れない痛々しいシーンに嫌なリアルさがある一方で、銃撃戦には臨場感よりもリアルな史実描写が目立ったこの作品。
海軍マニアの父親の英才教育により海軍博物館に通い詰めたピーター・バーグ監督らしい海軍特殊部隊にも敬意と愛を多いに示した映画でした。

深夜らじお@の映画館も立派な戦士には敬意を示します。

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2014年03月27日

『ワン チャンス』

ワンチャンスありふれた石炭がダイヤモンドになることもある。
素人からスターを発掘するイギリスの人気TV番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」への出演を機に、一夜にして携帯販売員から世界的オペラ歌手へと変貌したポール・ポッツ氏の半生を映画化したこの作品。サクセスストーリーとしては十分面白いものの、音楽映画としてはちょっと盛り上げ方が足りないとも感じる作品でした。

スーザン・ボイルさんを輩出したことでも知られる人気オーディション番組の初代優勝者としても世界的に有名なポール・ポッツ氏。
子供の頃から歌うこととオペラを聞くことが好きで、「好きこそモノの上手なれ」の如く、ヲタクがいつの間にか素人レベルを大きく逸脱した実力をつけていたにも関わらず、引っ込み思案な性格にパッとしない容姿、子供の頃からのイジメ、そして不運に次ぐ不運でなかなかその実力を大舞台で発揮できない小心男。

ただ小心者だからこその優しい性格が歌声と同じくらい彼の魅力でもあるので、彼が何かと一歩踏み出す勇気を持てなくなった時には、必ず家族なり友人なりが彼を支え、優しく背中を押してくれるんですよね。
オペラを勉強したけどと迷っていた時にはメールでの文通からトントン拍子で結婚にまで至ったジュルズが彼の背中を押し、傷心やら事故やらで無職になった時にはいい加減そうなブランドン店長が携帯ショップを任せると仕事を与えてくれ、無気力になった時には父親や母親が厳しい言葉を浴びせてくれたりなど、とにかくオーディション番組に出演するその直前まで彼はたくさんの優しさに包まれていることがよく分かること。

ですからジュルズの「当たって砕けろ。パヴァロッティはバカだ」のメールで覚悟を決めてマイクの前に立つ彼が歌声を披露した途端にとてつもない拍手喝采を浴びるサクセスストーリーとしては十分面白いのですが、ただこのオーディションシーンが意外とあっさりしすぎて、逆に彼の歌声の凄さが伝え切れていないんですよね。

本来ならクライマックスに向け盛り上がり、ブラッド・ピットには似ても似つかない彼が歌うオペラ曲「誰も寝てはならぬ」で鳥肌が立つ感動が待っているはずが、史実通りに描いてみました的な、どこかサクセスストーリーとしての感動だけで音楽映画としての感動がないように感じてしまうんです。
出来れば有名なオペラ歌手の成功談ではなく、冴えない男が勝ち得た成功談として描いて欲しかった。そうすれば音楽映画としてももっと感動出来たのでは?と思えてしまったのです。

てな訳でオペラ学校で出逢ったイタリアの美人同級生アレッサンドラとあれだけ仲良くなれたり、ジュルズに何度も歌で愛を伝えたりなど、「歌える男」っていうのもいいなぁ〜と思いつつも、『フルモンティ』『リトル・ダンサー』『ブラス!』など炭鉱と芸術的成功の組み合わせはイギリス映画の十八番だなと改めて思えた映画でした。

深夜らじお@の映画館はイギリスの音楽映画なら『リトル・ヴォイス』も好きです。

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2014年03月19日

『LIFE!』

LIFE!リアルを楽しむ。それが人生だ!
「人生は美しい」。この使い古されたフレーズを妄想癖のある凡庸な主人公を介して描く試みは面白いものの、どうも妄想過多な前半、世界を旅する中盤、人生の「真髄」を理解した終盤のバランスが悪いこと。
映画としては決して悪くないものの、ベン・スティラー作品でありながらショーン・ペンの渋さが最も印象に残ってしまうのは、何かもったいないです。

駅に隣接するビルに飛び込み犬を救出する。冒険家となって気になる女性シェリルを誘う。ムカつくヒゲ上司と取っ組み合いになりながらビルから飛び降りる。
事細かに家計簿をつけるウォルターのこんな様々な妄想が登場するたびに進む話も全く進まない前半。妄想シーンがどれも少々長いからか、どうもテンポがあまりよろしくないこと。

しかも会員制出会い系サイトの担当者トッドは軽いノリで何度も電話を掛けてくるわ、写真家ショーン・オコンネルからの25番ネガが存在せずネガの管理という仕事も順調にいかないわ、シェリルにスケボーが出来るところを見てもらいたいのになぜか技を披露した直後ばかりに振り返ってくるわと、明るい未来など全く見えない状態。

ところが写真の中のショーン・ペンが手招きしたことにより、写真家探しのためにグリーンランドやアイスランドへ旅立てば、これが妄想以上に冒険心をくすぐる面白さばかり。

殴りかかってきた男がヒントになるヘリ操縦士だったり、いざ勇気を出してヘリに乗り込んだり、再び勇気を出してヘリから海に飛び降りれば方向を間違えたり、イルカと戯れるはずがサメとの格闘になったりと苦難もあれば、アメリカ人というだけで船員と仲良くなったり、物々交換で手に入れたスケボーで山からの長い道のりを滑走したり、車で助けてくれたアイスランド人と共に火山の噴火から逃げ延びたりとステキな出会いもたくさん。そして壮大な風景も素晴らしいこと。

ただ一度帰国するも解雇や失恋を経て再び写真家探しにアフガニスタンへ飛ぶくだりでもそうですが、一歩踏み出す勇気でリアルを楽しむ素晴らしさは壮大な風景と共にしっかりと描かれてはいるものの、前半の妄想は結局何のフリにもなっていないうえに、これだけの旅費はどうやって工面しただの、ヒマラヤの高地で普通に携帯電話が繋がるなど、説明不足でご都合主義な点も数多かったのは残念なところ。

しかしその残念さを一気に振り払ったのが電話での印象とは違い身元引受人にもなってくれた優しきトッドよりも凄く渋くて格好良すぎるショーン・ペン演じる写真家の登場ですよ。
もうこの芸術を語らせれば絵になる男がユキヒョウを撮りに来たのに「今を楽しみたい」と撮影を中断したり、ウォルターに贈った財布の話をしたりなどするたびに、彼が言うからこそ「人生は美しい」と思えてくるんですよね。

そんな写真家ショーン・オコンネルがウォルターに贈った財布の中に隠していた25番ネガ。「ライフ誌の最終刊の表紙に」と指定した写真がこれまた素晴らしいこと。これぞ人生の美しさを知る人間が語る「真髄」そのもの。

確かに雑誌のオンライン化は妄想と同じく苦労も少なく楽しさも多いのに対して、雑誌の製作はリアルな人生経験と同じで時間もお金も掛かるうえに苦労も多いもの。
でも紙媒体にはオンライン化にはない魅力がある。それが購入者が自然と持ってしまう製作者の苦労と熱意を敬意を込めて永遠に残したいというファン心理。「I'm Lovin It」のマクドナルドのように購入後すぐに消えてしまう消耗商品とは違う商品にしかない魅力。

ウォルターが日光に照らしながらネガの確認をする様子を隠し撮りした写真と、ライフ誌に関わった全ての人々を讃えるコメントが表紙になったライフ誌の最終刊。こういう雑誌こそ永遠に残したいもの。正直グッズとして売り出してくれたなら、是非購入したうえで額に入れて飾りたいくらいでしたよ。

てな訳で前半の妄想シーンがもう少し短ければ、もっとバランスのいい作品になっていたのにと思える、ちょっともったいない映画でしたが、でもこの映画を見てもっとリアルな係わり合いを持ちたいとも思える映画でした。

深夜らじお@の映画館はリアルな係わり合いを求めて・・・婚活でもしてみますか。

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2014年02月24日

『ロボコップ(1987)』

ロボコップ(1987)目的は逮捕ではない。悪の殲滅だ!
B級映画における正義の味方の絶対条件は、例え法を順守する警察であっても、最後は法を無視して敵を殺してしまうこと。そしてその代表格こそ、このロボコップでしょう。
オランダが生んだ変態監督としても知られるポール・バーホーベン監督の代表作とも評されるこの作品。やっぱり何度見てもこのB級臭がいいですなぁ〜。

近未来のデトロイトが舞台とはいえ、とにかく前半から人間的にドライなシーンが多いこの作品。
例えばオムニ社でディック・ジョーンズが開発した二足歩行ロボが暴走し役員を1名射殺しても、役員会議が荒れるだけで人命が失われたことなど無視して、早速モートンがロボコップ企画を社長に提案するという超未来志向。

そんな人命よりも利益という超未来志向で作られたのが、デトロイトで暗躍するクレランス一味によって命を奪われたアレックス・マーフィ巡査をロボコップへと蘇らせるという、これまた遺族のことなど完全無視の超未来志向プロジェクト。

でもこの超未来志向プロジェクトで誕生したロボコップが理想的な無敵の正義の味方という感じでいいんですよね。
鋼鉄のボディが銃弾を弾き、PCによって認識及び計算された方法で犯人をコテンパンにし、「逮捕する」と警告しておきながら、失神した犯人を放置したまま現場を去る。
まさに正義の鉄槌を下したらそれで終わりの、逮捕シーンを描いてしまうと生々しさが残ってしまうのを嫌うように余分なものをカットした、これぞシンプルな正義の味方。

しかしそんなシンプルな正義の味方を単純に描くのではなく、ロボコップがマーフィだった頃の記憶を徐々に取り戻していくことで、このB級ヒーロー映画に哀愁を漂わせるのも憎いところ。

ですからそんな哀愁が漂っていたからこそ、終盤におけるクレランス一味との戦いは完全に逮捕する気なしやん!というバトルものになっても、あまり違和感を感じずにいられるんですよね。

もちろんこの終盤に至るまでにも、ロボコップがクレランス一味のアジトに踏み込んだ時も逮捕する気など微塵もなく敵を次々と地獄送りにしていたのも、普通に考えれば警官がすべき行動ではないのですが、ただ悪役をしっかりと極悪に描いている分、もうロボコップが警官であろうと殺戮マシーンであろうと、どうでも良くなってしまうんです。
肝心なのは、正義の味方であるロボコップが復讐心のためであろうとなかろうと、クレランス一味に正義の鉄槌を下すこと。

廃工場に何でまだ有毒廃液が大量に残っているねん!というツッコミも忘れ、皮膚がただれた敵を車で木端微塵にする変態監督らしい演出も、アン・ルイス巡査もロボコップ同様に逮捕を忘れて軍用大型銃でクレーン操縦室にいた敵を木端微塵にしてるやん!というツッコミも、もうどうでもいいんです。
要は最後に正義が勝てばいいんです。

その正義が勝つためには、役員会議室で黒幕ディック・ジョーンズが社長から「クビだ!」と言われた途端にロボコップに銃殺されてもいいんです。
それが例え「法令絶対順守」のコード3は破っているのに、「オムニ社役員には逆らえない」というコード4はしっかり守っているロボコップによる都合のいい幕引きであってもいいんです。
彼が最後に自分をロボコップではなく「マーフィ」と名乗る。それでB級映画はきれいにEDロールを迎えることが出来るのですから。

てな訳でリブート版はロボコップがシルバーボディからブラックボディに変化するなど色々と新しくなっていますが、果たして本編もどうなっているのか。楽しみでなりませんよ。

深夜らじお@の映画館はB級映画のこのいい加減さが好きです。

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2014年02月03日

『ラッシュ/プライドと友情』

ラッシュ好敵手は呪うべき敵ではない、感謝すべき神の恵みである。
毎年25人中2人が命を落とすと言われるなか、伝説のレースとまで呼ばれた1976年のF1グランプリ。異次元の戦いを繰り広げたジェームズ・ハントとニキ・ラウダの友情には心が熱くなるものの、肝心のF1シーンには物足りなさだけが残る映画でした。
やっぱり製作陣がF1にもっと興味を持ってもらわないと。

度胸とドライブテクニックで表彰台に上がってきたジェームズ・ハント。女性関係も性格も奔放ながら、一度ハンドルを握れば貫禄を見せつけるスーパースター。
類稀なるメカニックセンスと交渉術で数々のレースを制してきたニキ・ラウダ。多少強引な手法を用いようとも、マジメさと計算高さで1975年のグランプリを制した世界王者。

そんな2人がF3の頃からライバル関係にあり、数々のマッチレースを経て成長していくのかと思いきや、ジェームズ・ハントは肝っ玉が小さいのを隠すために大口を叩き、ニキ・ラウダは仲間への敬意など示さずにワガママばかりと、全く成長の兆しさえ見せない阿呆ども。

一方で肝心のレースシーンも迫力ある映像はほとんど皆無で、特に2人が他のレーサーを寄せ付けないほど異次元の戦いを繰り広げた1976年グランプリでさえ、スポーツニュースの映像よりも迫力のないダイジェスト映像だけという、この手の映画で一番やってはいけない製作陣のF1への関心の低さがまざまざと映画に出てしまっているんですよね。

ですから2人の関係が一転する、事故多発サーキットとしても知られるニュルブルクリンクでのドイツグランプリでようやくレースシーンに面白味が出て来ても、ちょっと盛り上がりが遅いという物足りなさも残ってしまうのです。

ただこのジェームズ・ハントによるゴリ押しでの雨天決行が決まったドイツグランプリで、ニキ・ラウダがクラッシュにより大火傷を負ったことで2人のライバル関係が敵対から友情に変わっていく様は良かったと思いますが、しかしここでもジェームズ・ハントの苦悩するくだりといい、ニキ・ラウダの復帰への執念といい、描く時間がちょっと短いと感じてしまうのはやはり残念なところ。

また負傷からわずか42日でニキ・ラウダが舞い戻ってきたイタリアグランプリも、やはりレースシーンが短すぎるせいか、ニキ・ラウダが復帰戦で4位に入賞しても思ったほどの感動もないんですよね。
出来れば「ニキ・ラウダが来た!来た!来た〜!」と徐々に興奮を上げていって欲しかったのですが、やはり製作陣にF1への興味が低いせいか、あっさりしてましたね。

そして最後だけは盛り上げてと期待したファイナルレースとなった、日本グランプリ。奇しくもニュルブルクリンクと同じく雨天決行となった富士の地でジェームズ・ハントとニキ・ラウダによる世界王者を決めるレースは、迫力ある映像と意外なレース展開で結構楽しめました。

妻を想い、友人にこれ以上危険なレースをさせないためか、途中棄権を選択したニキ・ラウダ。
そんな友人の想いに対し、ジェームズ・ハントは「人として」ムチャをしないレース展開をするのか、それとも「男として」友人の分まで結果に拘るのか。
ここは凄く見応えがありましたし、そんなレースを経た後だからこそ、互いを「チャンプ」と呼び合うラストも心が熱くなるものを感じましたよ。

てな訳でニキ・ラウダの火傷顔メイクにお金を掛けるのもいいですが、それ以前にF1を扱った映画なんですから肝心要のレースシーンに、車体カメラや観客目線などの映画でしか見れないアングルに、もっとお金を掛けるべきでしょう!
F1レースの感動なくして、「あなたの生涯の1本を塗り替える」などはあり得ません!GAGAもハッタリかまし過ぎです!

深夜らじお@の映画館は公道を走るモナコグランプリが一番好きです。

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2013年12月11日

『利休にたずねよ』

利休にたずねよ己を汚れと認めた者だけが、美を追求することが出来る。
第140回直木賞受賞作を映画化し、第37回モントリオール国際映画祭では最優秀芸術貢献賞を受賞したこの作品。
茶人・千利休の人生には全てにおいて美しさを感じられるも、その美を追求する原点となった恋物語が意外と長く感じただけに、全体的には美しさに欠けた作品に思えてしまいました。

水を張った重箱に満月を浮かべては織田信長を満足させたり、その織田信長の怒りを買って落ち込む羽柴秀吉に原点を思い出せと言わんばかりに稗湯と梅干を差し出した上でリフレッシュのために茶の湯を振舞うなど、時に芸術家のように、時に人生相談に乗る和尚のように、されど茶人としての道を踏み外さない千利休。

茶を単なる飲み物ではなく、茶室に入れば湯が沸くまでの待ち時間さえも心を落ち着かせるための時間と捉え、十二分に自分自身と向き合った客人に対し、最後に一服の茶で背中を優しく押す。
なので必要な言葉は極力少なく、ただ客人に自分で感じ取ってもらうように控え目に振舞う。

そんな本質を見抜き、その上で美を追求する茶人・千利休の所作もまた一つ一つが美しいんですよね。その辺りはさすが梨園の人間である市川海老蔵さん。まさに文字通り日本の美を体現していたという感じでしたよ。

ただこの映画が美しく、その美しさを興味深く見れたのは、正直なところ織田信長が生きていた頃まで。いざ美しき伊勢谷信長が途中退場してしまうと、豊臣秀吉が美を理解出来ていない愚者であることも加味してか、千利休からは美しさが、映画からは面白さが消えてしまったように思えて仕方ないんですよね。

もちろん千利休の人生をなぞる上で豊臣秀吉との関係は絶対に描かなければならないものです。しかし天下人がその人間的な汚さを露呈していくのなら、茶人・千利休の美しさは逆に増すべきではないでしょうか。
その天下人と茶人を対称的に見せる演出がないおかげで、千利休から美しさが奪われた状態で肝心要の美を追求する原点を見せられても説得力に欠けてしまうのですよ。

しかもその高麗の女性との恋物語が意外と長いこと。もう少しあの恋物語を短く描けば、彼女と過ごした浜小屋をモチーフにあの狭い茶室を作り上げたとか、朝鮮出兵に批判的だったとかだけでなく、あの小壺を大事にしていた想いも、愛しの女性と心中出来なかった弱さも、その女性が残してくれた言葉も、そして形見の品である小壺を割るに割れない妻・宗恩の複雑な女心も際立っていたと思うのです。

てな訳で茶人・千利休ではなく、茶人であり人間・千利休で描いていたら、この映画には最後まで映像的な美しさだけでなく精神的な美しさも残っていたように感じてしまいました。

深夜らじお@の映画館は冬になると日本茶が恋しくなります。

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2013年08月11日

『ワールド・ウォーZ』

ワールド・ウォーZ主人公はワールド・疫病神・Z級じゃなイカ!
ブラッド・ピットが自ら製作し、マーク・フォスターを監督に迎えておきながら、この脚本の酷さには幻滅です。主人公の正体が判明するまでのアメリカ国内でのゾンビからの逃亡劇は面白かったものの、いざアメリカを離れて世界を旅するくだりになるとツッコミどころの連続。なぜにこんな映画になってしまったのでしょうね〜。

アシッドリスナー的に言うところの前戯のないセッ○スが如く、いきなりゾンビが襲ってくるという本編に入るこの作品。映画的には多少唐突に感じようとも、リアルな恐怖を演出するには十二分に素晴らしいこの演出のおかげで、前半はとにかく逃げ惑うスリリングさで面白いこと。

ところが長女の喘息が何の伏線にもならないどころか、避難所の軍艦にゾンビが押し寄せてくる訳でもない中休みがちょっと長いかな?と感じ始めると、元国連捜査官だと判明した主人公ジェリーがゾンビ発生原因解明のために世界中を飛び回るにも関わらず、スリリングな展開は一気にどこ吹く風。残るのは中弛みしかないんですよね。

特に最初に降り立った韓国の米軍基地では「希望の星」だった若きウィルス博士が足を滑らせての銃の暴発であっさり途中退場したかと思えば、ジェリーはゾンビが音に反応すると聞かされておきながら携帯電話の電源を切っていないというマナーの悪さで多くの兵士をゾンビの餌食にする始末。

さらに次に訪れたイスラエルでもジェリーは韓国での「携帯電話の電源はお切りください」の失敗をロクに反省していないのか、ゾンビが壁を昇ってくるまで盛り上がる群衆の大音量に気がつかないという大失態で、安全地帯であったイスラエルは壊滅。

しかも運良く女性兵士セガンと一緒に逃げ出した飛行機内でもいくらゾンビの増殖を止めるためとはいえ、機内で手榴弾を爆破させ、まだ感染していなかった操縦士たちを死に至らしめる暴挙の数々。

もはやこのジェリーはワールドクラスの疫病神。彼が訪れるところは必ず彼のミスや暴挙で被害が大きくなるんですもん。そんな映画を見ていて何が面白いっちゅうねん!

そして韓国でゾンビに襲われなかった兵士にもっときちんと話を聞いていれば、わざわざ遠回りすることもなく訪れることの出来たはずのWHO研究機関でも病気を偽装することでゾンビには襲われないという空想理論で職員を危険な目に遭わす始末。
中でもジェリーが囮になる作戦は、ハナから目的施設から遠く離れた場所で音を鳴らしておけばゾンビを一ヶ所に足止め出来るやろ!と突っ込まずにはいられないほど、「え〜、今更その作戦ですか」という幻滅ぶり。

結局地獄で蜘蛛の糸を求める餓鬼が如く重なりながら壁を昇ろうとするゾンビの映像以外は、「ワールド疫病神ジェリーの世界破滅旅行記」としか思えないほど酷かったこの作品。
普通にゾンビから逃げ惑いながら家族を守る男を描く映画で良かったのでは?と思ったのは私だけでしょうか。

深夜らじお@の映画館はこのゾンビを倒すならユニバーサル・ソルジャーを派遣すればいいだけだと思っちゃいました。

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2013年08月02日

『ローン・レンジャー』

ローン・レンジャー陸に上がった『パイレーツ・オブ・カリビアン』じゃなイカ!
コスプレを楽しむジョニー・デップ、ストーリーよりもリズムを重視するゴア・ヴァービンスキー、シリーズ化を企むジェリー・ブラッカイマー、そして次世代を担う若手俳優。まるで『パイレーツ・オブ・カリビアン』と同じレシピで作っているかのように新鮮味皆無なこの王道作品。そりゃ、アメリカでコケたのも納得ですわ。

ジェリー・ブラカイマー・フィルムのロゴが道路から線路に変えられている遊びでさえあまり目立たないOPから面白くない訳ではないのですが、どうにもノリ切れない何かがあるこの映画。
結局何の伏線にもならなかった老トントの語り部シーンは妙に邪魔ですし、意識を取り戻したジョンはどうやってあの崖の上にあった櫓から降りたのか、いつの間にジョンとトントは敵を先回りして銀採掘現場にいたのかといったご都合主義による編集の違和感が多すぎるなど、問題点は山積。
さらに一番問題なのは映画のキャラクターからストーリーまで全てがまんま『パイレーツ・オブ・カリビアン』と同じということ。

ただ舞台を大海原から西部に変えても面白いものは面白いはず。なのにノリ切れない理由は何か。それは全てにおいて瑞々しさに欠けているからだと思うのです。
例えば舞台が大海原から荒野に変わったことで瑞々しさが欠けてしまうことは仕方ないのですが、ジョニー・デップの相棒役であるオーランド・ブルームとアーミー・ハマー、ヒロイン役のキーナ・ナイトレイとルース・ウィルソンをそれぞれ比べてしまうと、明らかに『パイレーツ・オブ・カリビアン』組に対して『ローン・レンジャー』組は瑞々しさで負けてしまっているんですよね。

しかもストーリーは王道で新鮮味は皆無。悪役のトム・ウィルキンソンも『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジェフリー・ラッシュとは真逆でマトモな悪役ぶりで存在感が薄い。なのに展開からリズムまで全て『パイレーツ・オブ・カリビアン』と一緒。そうなると劣っている部分が目立たない訳がない。

それでも運動会の定番メロディーでもある「ウィリアム・テル序曲」に乗せてリズムよく展開される蒸気機関車でのラストバトルは結構面白かったです。
ジョニー・デップは相変わらず子供に好かれるような子煩悩ぶりを発揮しながらもマイペースで大活躍してますし、アーミー・ハマーも投げ縄で敵を撹乱する姿といい、銃の連射で敵を倒す姿といい、どれも格好良いこと。ただこの面白さがやってくるまでの時間があまりにも長すぎましたね。

てな訳でヘレナ・ボトム=カーターは相変わらずなのに、悪党キャヴェンディッシュ役のウィリアム・フィッシュナーと能無し将校役のバリー・ペッパーがこういう役を演じるのはどこかしら淋しさを感じてしまったこの作品。
あの遊園地での少年は結局誰やねん!?に対する答えは続編でとなるのでしょうか。自作品の二番煎じを作るゴア・ヴァービンブキーとジェリー・ブラッカイマーの未来が心配です。

深夜らじお@の映画館もアーミー・ハマーはマスクをつけた方が男前だと思いました。

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2013年04月30日

『ラストスタンド』

ラスト・スタンドアーノルド・シュワルツェネッガーにはショットガンが似合う。
カリフォルニア州知事退任後では初となる、自身10年ぶりの主演映画となったこの作品。このアクションスターの出演作へのオマージュもなければアメリカへの愛国心もない映画ですが、年老いたアクションスターの復帰作としてはこんな単純明快な作品で十分。やはりアクションスター主演作はシンプルストーリーでないと。

移送中の麻薬王をあっさり奪還されるだけでなく、次々とガンパワーで検問を突破されるマヌケなFBIといい、ヘリの追跡さえも振り切るスーパーカーでメキシコ国境を目指す麻薬王といい、その麻薬王の脱走を手助けするために田舎町で悪行三昧を働くチンピラといい、有望な若手が命を落とし、その親友が敵討と意気込みながら最後は元サヤに戻って幸せになる展開といい、全てがどこか懐かしいこの作品。

西部劇の王道パターンをほぼ詰め込んでいるからか、新鮮味は皆無なんですけど、でも往年のような激しい動きを期待できないスターの復帰作としてはこのような安心して見ていられる作品の方が逆に楽しめるんですよね。

もちろん「俺も歳だな」とか「移民の面汚しめ!」といった個人ネタよりも「I'll be Back.」などのセルフパロディの方が往年のシュワルツェネッガー主演作を期待していた私にとっては見たかったシーンでしたが、でも10年という歳月により体力が衰え、単独で無敵だった往年の強さが影を潜めたというマイナスを、リーダーシップを発揮しながら4人の仲間と共に街中で銃撃戦を繰り広げるという形で見事にシフトチェンジしてくれたのは嬉しいこと。

ですから銃を構え、ショットガンをブチかまし、ガトリングガンもお見舞いする姿に懐かしさを覚えると同時に、4人の副保安官の活躍も、「ガツンとやっておしまい」おばあちゃんのナイスアシストにも自然と楽しさと嬉しさを覚えてしまうんですよね。

しかも仲間との共闘にシフトチェンジしてもやはりこのスターの肉弾戦が見たいというファンの期待に応え、ラストは殴り合いではないぶつかり合いで大いに楽しませてくれるところも嬉しいこと。同じパワーファイトでもパワー重視の殴り合いとテクニックも要するぶつかり合いでは全然違うことを十分理解したあのラストを見る限り、この作品はアーノルド・シュワルツェネッガーの新章開幕作として十分に相応しいものだったと思います。

てな訳でフォレスト・ウィテカー捜査官が最後にシュワルツェネッガー保安官に敬礼をしないところにアメリカ人が監督していないが故に愛国心を感じられないなぁ〜と思いつつも、エドゥアルド・ノリエガやピーター・ストーメアの悪役非道ぶりといい、ルイス・ガスマン副保安官とジョニー・ノックスヴィル臨時副保安官が銃傷を見せ合うくだりといい、親友の死がきっかけで紅一点ジェイミー・アレクサンダーと仮出所フランク・マルチネスが元サヤに戻るオチといい、西部劇の王道パターンから見事に逸脱しないこの映画。

今後アーノルド・シュワルツェネッガーだけでなく往年のアクションスターにはこのような安心して見ていられるアクション映画に出演していただきたいですね。

深夜らじお@の映画館は抱きついてきたジェネシス・ロドリゲスに手錠を嵌めるフォレスト・ウィテカーがちょっと羨ましかったです。

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2013年04月29日

『藁の楯』

藁の楯日本の安全神話はモラルで成り立っている。ゆえにモラルの崩壊こそが日本の安全神話の崩壊。
10億円の懸賞金を掛けられたクズを守ることに意味があるのかという問いよりも、誰も信用できない緊迫した状況下で福岡から新神戸までの護送が凄く面白かったこの三池崇史監督作品。でも新神戸駅でない新神戸駅から東京までの護送は残念でしたね。

亀岡暴走事件を始め、ルールを守らないクズが人命を無残に奪う事件を見ると誰もがそんなクズを殺してやりたいと思うものです。しかも10億円の懸賞金が掛けられれば自分が遺族でなくてもクズを仕留めてやりたいと思うものです。
でもこの法治国家ではそれはただのエセ正義。法律という公共の正義以外はいくら倫理的に正義であっても正義ではないんですよね。それは法律が例外を認めないことで予想外の事態が起こらないように計算されているから。

ですから蜷川会長がこんな殺人教唆をしなければ神箸も白岩も命を落とすことはなかったはず。新神戸駅で少女を殺した殺人犯を殺すために少女を人質に取るという本末転倒な事件も起こらなかったはず。
だからこそ現行の法律に満足がいかなかったら、その法律を変えるしかない。間違ってもエセ正義を許してしまうと予想外の事態が連鎖的に起こり、収拾がつかなくなってしまう。そう、法治国家とは国民の正義に対するモラルで成り立っているのです。

そんなモラルが崩壊しつつある昨今の日本社会に相応しく、この映画では前半から民間人だけでなくモラルを失った警察官も次々と清丸国秀を襲う襲う。しかも蜷川の条件が民間人ではなく警察官をピンポイントで狙ったものだけに、護送車を守る機動隊員が増えれば増えるほど危険が増し、同時に護送班5人の間でも疑心暗鬼が蔓延。

ところがトンネルとトンネルの間を切り取ったような上下線別々の狭いホームでお馴染みの新神戸駅とは似ても似つかない偽新神戸駅で福岡県警の関谷が包丁男を射殺したことで途中退場してからは、熱血漢の神箸も既に殉職したこともあり、一気に展開が厳しいものに。

特に静岡でジャックした新幹線を降りて徒歩と車で東京を目指すようになると、それまでの「いつ、誰が、どこから狙ってくるか」という緊迫感は一切なくなり、あとは奥村がマイクロチップを腕に埋め込んでいただの、通りすがりの女性タクシー運転手の登場は完全に展開に困ったからとしか思えないだの、反省のない清丸を白岩が二度も逃がしてしまうだのと面白さも半減。銘刈や白岩がもう少し10億円に色目を使ってくれると面白かったのですが、ここまで綺麗三昧というのはちょっと残念でしたね。

そして東京での銘刈と蜷川の対峙も思ったほど盛り上がることもなく、最後はあの新聞広告を出した時点で殺人教唆罪が成立してるやん!というツッコミをしてしまうような蜷川逮捕と、白岩息子を引き取る銘刈という綺麗な王道展開と、反省の色なしの清丸に心底怒りを感じない盛り上がりのないオチ。

全体的には面白い映画でしたが、変態役を熱演した藤原竜也さんの頑張りを考えると、もう少し社会派な映画にしても良かったのでは?と思いました。でも三池崇史作品だから仕方ないか。

深夜らじお@の映画館は現行の刑法をもっと厳しくするべきだと思います。

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2013年04月19日

『リンカーン』

リンカーンアメリカ合衆国憲法第13条の修正。それが達成されない限り、奴隷解放宣言さえ無意味なものになる。
「人民の、人民による、人民のために政府」という有名な演説も、南北戦争最大の激戦・ゲティスバ−グの戦いも描かれない。この映画が描いているのは人間の尊厳を守るため、下院で修正案が可決されるように根回しをしたエイブラハム・リンカーンという大統領の執念。それゆえに期待するところを間違えると退屈な映画になると思います。

世界史で学んだ知識では解放宣言により奴隷制度がなくなったと思っていましたが、よくよく考えるとそんな単純ではないのが政治の世界。絶対権力の国王ではない民主主義で選ばれた大統領の言葉だけで全てが解決するなら、先日銃規制強化法案を否決した上院に対してオバマ大統領も「アメリカの恥ずべき日」なんて皮肉を言わずに済んだはず。

だからこそ奴隷解放という自由を求める戦いで命を落としていった兵士達のためにも、奴隷制度を永遠に葬り去る合衆国憲法第13条修正案を下院で可決しなければならない。
しかしリンカーン大統領の目の前には制度廃止に賛成の共和党の取りまとめ、制度廃止に反対の民主党から切り崩し、政治利用されないように進めなければならない南部軍との和平交渉に加え、戦争を終結させる前に3分の2以上の票を集めて可決しないと修正案そのものが骨抜き案になってしまうと問題が山積。
そのうえ、息子は愛国心から出兵志願、妻は家族愛からそれに猛反対と全く気を休めることができない状態。

そんな孤独と重責で押し潰されそうになるなかで、票集めのため自由の尊厳よりも自分の利益確保を優先する議員へ根回しに動く大統領の執念。それをこの映画は「同じものと等しいものは互いに等しい」というセリフなどで描いているため、映画的にはそれほど熱いものを感じることが出来ないのが残念なところ。終盤の採決もさほど緊張感というものが感じれなかったんですよね。

でもスティーブン・スピルバーグ閣下が描きたかったのはリンカーン大統領が残した政治的実績よりも、タデウス・スティーブンス議員が有色人種の妻に修正案が可決したその日に原本を土産に持って帰ってきたように、偉大な大統領が残した愛という名の歴史的実績だと思うので、こういう描き方で良かったのでしょうね。

それにしても史上初の3度目のオスカーを手にしたダニエル・デイ=ルイスの演技は素晴らしいの一言でしたね。終始ダニエル・デイ=ルイスでない俳優がこの映画で主演を張り、終盤ではグラント将軍の言葉にもあったように一気に老け込んでいたというのには驚かされましたもん。本当に靴職人を辞めて良かったと思いましたよ。

てな訳で世界で一番自由を声高に叫んでいる割には間違った自由に酔いしれ、奴隷制度廃止に反対だった民主党から出た黒人大統領肝入りの銃規制強化法案で成立しない現代アメリカ。まさに銃規制強化法案を否決した上院議員がこの映画を見るべきなのは今でしょ!

深夜らじお@の映画館は日本の政治家さんたちにもこの映画を是非見ていただきたいです。

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2013年04月16日

『ライジング・ドラゴン』

ライジング・ドラゴンジャッキー・チェン、最後のアクション超大作。でもアクションを辞めるとは一言も言っていないんですよね。これがこの映画のミソ。
来年で還暦を迎えるにも関わらず、相変わらずスタントなしで超人的なアクションをこなしてきたジャッキー・チェン。そのアジアの大スターに「お疲れ様」なんて言っている諸君、その労いの言葉はまだ早いのではないか?

まずアジアの大スターの去就を言及する前にこの映画の感想を述べるとしたら、「ジャッキー・チェンの単品アクション以外は面白くない」「中華思想が強すぎるストーリーから愛国心を感じ取るのは難しい」「キャットファイトが中途半端」「クォン・サンウの存在意義が不明」「結局中盤は中国版「ワンピース」でも作りたかったのだろうか?」といったところ。

要は中国人的には愛国心を謳った映画に見えても、中国人以外からは「愛国心を謳えば何をしてもいいという愛国無罪って恐ろしい」としか感じれない作品なんですよね。
ですからジャッキー・チェン演じるJCも一応オークションディーラー会社から依頼を受けたトレジャーハンターと名乗ってますが、その実は誰がどう見ても骨董品泥棒を中華思想というフィルターで言い換えただけのもの。
ラストでディーラー会社がオークションに掛からなかった龍頭像を火山に捨てようとするくだりも常識ではありえない、まさに中国を美化するためなら何でもありの具体例でしょう。

ただ全身ローラーで坂道を下りながら逃げるOPアクションといい、終盤での地下工場での単独アクションといい、ジャッキー・チェンが一人で見せ切るアクションシーンは相変わらず「凄すぎるわ!」の一言。
逆に年齢的に先輩後輩の上下関係もないことに半端ない違和感を感じる泥棒チームで海賊と戦う中盤のトレジャーハンティングシーンは蛇足と言ってもいいほど。
そして最後の最後で空中アクションまでやりますか…なラストも目が血走るほどの地面に激突アクションをするなんて、やっぱりこの人は究極のドMでしょ!としか思えませんでしたね。

そんなジャッキー・チェンがEDロールで自ら「これが最後のアクション超大作」と言っておられましたが、恐らく全身ローラーとか空中アクションとか地面激突アクションといった「超大作的な大掛かりなセットとビッグバジェットの掛かるアクション」はこれで最後だと思います。
ただ複数の敵と阿吽の呼吸でコミカルにこなす、いわゆるジャッキー・チェンの代名詞的なアクションに関しては『ラッシュアワー』でこなした程度の量で続けていかれるでしょう。あの程度なら「アクション超大作」ではなく「アクション大作」もしくは「アクション映画」としても十分見れますからね。

てな訳で『海洋天堂』でのジェット・リーのように演技派に転向するとは思えないアジアの大スターがアクションから完全引退される日はまだまだ遠いような気がします。

深夜らじお@の映画館はクォン・サンウがあんなに上手く北京語を話せるとは…と思ったら吹替でしたか。

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2013年01月25日

『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』

ライフ・オブ・パイトラと漂流した227日に及ぶ神秘の世界。
ブッカー賞に輝いたヤン・マーテルの小説を映画化したこの作品は、あのラストをどう解釈するかで評価も別れてくるものの、宗教という神秘な世界と人間という現実世界を見事な映像とファンタジックな世界観で描き切った、アン・リー監督の実力を存分に味わうことが出来る映画だと思います。

トラと漂流した227日でほぼ一本の映画になっているのかと思いきや、前半は原作のタイトル通り、少年パイの人生が描かれているだけで少々退屈。動物園を営む父親のトラは友ではないという教え、ヒンドゥー教・キリスト教・イスラム教を同時に信仰するパイの宗教観など、なかなかトラと漂流するくだりに到達しないんですよね。

でもあのアン・リー監督だけに、この父親の教えやパイの宗教観が絶対何かしらの意味を持ってくるはずだと思って見ていましたら、カナダへの日本籍移住船が沈没するくだりから驚異の映像がオンパレード。

まずパイがボートと共に荒れ狂う太平洋に投げ出されるシーンでは『キャスト・アウェイ』以上に全身が鳥肌になってしまうほどの恐怖を感じ、次にシマウマやオラウータンに危害を加えるハイエナをボートに隠れていたトラが襲撃するシーンでは心臓が止まるかと思うほどの驚きを感じる一方で、クリスチャン・ラッセンの絵画の如くクジラが空高く舞い上がる様やトビウオやイルカの大群に遭遇するなど、その場にいた者にしか体験できない自然界の神秘も盛り沢山。

特に空と海を鏡写しにするように描かれる極楽浄土のような風景、深夜の海に母親の表情を思い浮かべる精神世界のような不思議な体験などは、もはや単に美しい映像という表現では言い表せないほどの感動があり、しかも事前にパイの宗教観を見ているだけに何かしら神秘的なものも感じずにはいられないんですよね。

また父親の教えがあったからこそ生き残れたパイがリチャード・パーカーと名付けられたトラと争うもそのトラを手懐け、仰向けになった釈迦のような形をした人を喰らう植物島での生活を諦め、トラと共にまた漂流するくだりも、かつて犬を飼っていた者としては言葉は通じなくとも目を見れば心が通じるというあの絆を思い出さずにはいられないこと。
嵐という神の為す偉業を共に見たいと思い、でもその神の為す荒業からトラを守りたいと思う。そのパイの思いには確実にリチャード・パーカーを家族として愛する心がある。それが私の心に響いてくるんですよ。

ですからパイがトラと漂流したという話を信じれない日本人調査員の気持ちも分かりますし、ジェラール・ドパルデュー料理人をハイエナに、船内で出会った仏教徒をシマウマに、優しき母親をオラウータンに、パイ自身をトラに例えたとする悲惨ですけど現実味のある話こそが真実だと解釈される方の気持ちも分かります。その方が人間の理解の範囲内のため、納得もしやすいでしょうからね。

でもこの世界にはその場にいた者にしか体験できない世界があるのです。トラと漂流することも現実には無きにしも非ずなことです。ただ一般知識という理解の範囲内からは逸脱しているために、信じることが多少困難なだけ。

最後にメキシコのジャングルへと入っていくパーカーがパイに顔向けさえしなかったのは、住む世界は違えどこれからも「生き抜く」戦友に対して背中で覚悟の強さを示したものだと思うのです。なぜなら人間と動物の最大の共通点は「生き抜くこと」なのですから。

深夜らじお@の映画館もトラの頭をなでなでしたいです。ただし噛まないトラ限定で。

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2012年12月22日

『レ・ミゼラブル』

レ・ミゼラブルはためくトリコロールがより美しく見える映画。
原作を基に物語を追うビレ・アウグスト版とは違い、舞台版を基に感情を追う作品となったこのトム・フーパー版。なので比較してしまうと、このトム・フーパー版にはミュージカル映画としての魅力しか感じないのですが、でもそのミュージカル映画としての魅力だけでも十分素晴らしい映画だったと思います。

まず個人的にはこの映画で泣くどころか涙腺が緩むことも全くありませんでした。そもそも14年前に映画館で見たビレ・アウグスト版で物語も知っていますし、また『英国王のスピーチ』でも思いましたがトム・フーパー作品には感情移入しやすいきっかけとなるシーンも見つけにくい。そして私自身が全編ミュージカル映画には感情移入しにくい性格であることも大いに関係していたと思います。

でも一番の理由は恐らく私の両隣で鑑賞しておられたお姉様方の嗚咽のおかげでしょうね。エポニーヌの戦死あたりから鼻水をすする音が絶え間なく続くので、私の両耳には中盤からラストまでずっと嗚咽交じりの歌声が入ってくるんですもん。この状態で泣きに出遅れた私は当然の如く置いてけぼり。いい映画だと分かっているのに様々な要因で泣けないのは不幸ってことなんでしょうかね〜。

さてそんな不幸話は置いときまして、この映画を振り返ると正直なところファンテーヌの病死までは普通の映画という感じでしたが、ジャン・バルジャンとジャベールが戦いながら歌い合うくだりからは、面白く思えるようになりました。

特に愛を歌い合うコゼットとマリウスを眺めながら片思い乙女心を歌い、そして雨の中で失恋乙女心を歌うエポニーヌのくだりから、蜂起前日のパートを分けて全員で歌うくだりは鳥肌モノ。若者の色恋沙汰を中心に置きながら、様々な人間模様も一気に見せるこの演出。この映画で最も心を奮わされたくだりでした。

ですから終盤に掛けてはあまり盛り上がることもなかったというのが私自身の感想でもあるんですよね。ヘレナ・ボナム=カーターとサシャ・バロン・コーエンの出番も終盤までは必要だったのかな?とか、ラストの教会シーンで死を迎えるバルジャンの隣にフォンテーヌの霊が現れるのも読めてしまった…とか、そのフォンテーヌが蜂起した若者たちと共に歌うラストはいかがなものか?とかあれこれ思いましたが、それでも最後の最後で若者たちがトリコロールをはためかせる姿が美しく見えたというのは、素直にこの映画が素晴らしく、そして私自身も楽しめたという証拠であったと思うのです。

てな訳でラッセル・クロウの低音な歌声をもっと聴きたかったという思いを凌駕するほど、エポニーヌ役のサマンサ・バークスをもっと見たい!と思えた映画でした。彼女の今後からは目が離せないですね。

深夜らじお@の映画館は近年映画化された『レ・ミゼラブル』はオーストラリア率が高いような気がします。

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acideigakan at 20:55|PermalinkComments(36)clip!

2012年09月21日

『ロック・オブ・エイジズ』

ロック・オブ・エイジズこれぞロック・オブ・80'sライヴコンピレーションアルバム。80'sを聞くと自然に身体と魂が疼く30〜40代は必見のロックミュージカル。
やはり音楽といえば80'sのロックンロールに限る!と言わんばかりに、映画を彩る名曲の数々。洋楽に詳しくなくても一度は耳にしたことのある世代ならOPからEDまで、まるでライヴ会場にいるかの如く楽しめる、これはたまらん映画ですたい!

解体されたワーナーブラザーズのロゴがニューラインシネマのロゴに変形するOPから「ワーナーがロゴで遊ぶ作品は面白い」という期待通りに最後まで80's世代の心を鷲掴みにしてくれるこの作品。
若い世代には馴染みのない楽曲ばかりかも知れませんが、昨今とある外国人音楽評論家がアイドル音楽が日本の音楽レベルを下げているという評論を出されたように、キャッチーなだけの生ヌルい音楽とは違い、身体と命と魂で奏でる80'sこそが音楽。心にではなく魂にまで響く80'sこそが音楽なんですよね。

ですからストーリーがあってないようなものでもいいんです。どうせ田舎から夢を追いかけてLAに出てきた男女が出会い、恋をして別れ、そして元鞘に戻り性交、いや成功するだけの単純ストーリーなんですから、どうでもいいんです。

それよりもほぼ休憩なしに次から次へと流れる名曲の歌詞がそのままストーリーになっているので、映画としてもきちんと成立しているだけでなく、ロックミュージカルシーンは全てPV仕立てかライヴ仕立てになっているので、全ての楽曲シーンにおいて興奮必至。
歌詞の意味を知ることで再認識する80'sの素晴らしさと新たなに生まれる感動。もう80'sドンピシャ世代にはまたりませんよ。

またロックの神様ステイシー・ジャックスを演じるトム・クルーズもこれぞ酒とドラッグと女に溺れ堕落するも、ひとたびマイクを握りステージに立てば魂で音楽を奏で、さらに愛を知ることで音楽にキレが戻る古き良きロックミュージシャンを好演していて、めちゃくちゃ格好いいこと。

その他にもキャサリン・ゼタ・ジョーンズの卑猥さ、ポール・ジアマッティの胡散臭さ、アレック・ボールドウィンのコミカルさなど全てがとにかく楽しいこの映画。
特にラッセル・ブランド演じるロニーは最高に面白かったですね。アレック・ボールドウィンとキスをし、アレック・ボールドウィンと愛を80'sに乗せて語り合い、キャスターには舐め回して股間に擦り付けたマイクを返し、キャサリン・ゼタ・ジョーンズのグルーピーだった過去を暴く。その活躍ぶりもロックンロールだぜ!

深夜らじお@の映画館はZ・ガイ〜ズだけは二度と見たくないです。

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2012年08月25日

『るろうに剣心』

るろうに剣心人斬り抜刀斎こと緋村剣心を演じる佐藤健が見事なまでに美しい。でも詰め込みすぎた敵キャラが魅力不足のこの脚本は全くもって美しくない。
あの「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」の実写映画化と聞いて、原作ファンの「1/2」どころか「1/3の純情な感情」さえも踏みにじられるのではないかと危惧していましたが、悲哀を見事に演じた佐藤健さんの美しさに何とか助けられた映画になっていましたね。

高校生時代にコミックを熟読した原作ファンにとって、この実写映画化は正直実現してほしくない企画でした。しかも予告編を見れば武田観柳の用心棒が隠密御庭番衆ではなく人誅編の外印と戌亥番神。あぁ〜世に言う原作○○プってヤツか…と思いながらも見てきましたが、佐藤健さんの好演が「逆刃刀に込めた不殺の誓い」を巧く醸し出し、単なる時代劇アクション作品に成り下がっていなかったのは良かったです。

ただこういう作品でいつも不安に思うのは敵キャラの魅力がきちんと出ているかどうかということ。吉川晃司さん演じる鵜堂刃衛は期待通り薄気味悪くて良かったのですが、他のキャラに関しては原作の様々なキャラを詰め込みすぎなんですよね。
例えば香川照之さん好演の武田観柳に関しては「ブタまんじゅう」こと谷十三郎のキャラも詰め込んでましたし、戌亥番神に至っては観柳邸での登場シーンからも分かるように御庭番衆の式尉を詰め込む始末。

そして一番酷いのは外印。名前は人誅編の外印、面を被り顔を変える様は御庭番衆の般若、いざ戦いを始めれば使用する武器は人誅編の乙和瓢湖かと思えば御庭番衆御頭・四乃森蒼紫のように小太刀を使用、さらにあの衣装で使えなくなった右腕を抑える姿は人誅編の八ツ目無名異、そして武士として死に切れなかったことを悔やむ姿は人誅編の鯨波兵庫と、一つのキャラに原作の複数のキャラを詰め込みすぎなんですよね。

また左之助の斬刃刀が破壊されるシーンがない、斎藤一が使う牙突が参式しかない、鵜堂刃衛の背車刀という技がすんなり描かれすぎ、刃衛が心の一方影技・憑鬼の術を使うくだりがないと原作ファンだからこそ、これは描いて欲しかったという不満もたらたら。
特に一番の不満は神谷薫が心の一方を解く時のセリフ。肺機能が麻痺するくらいまでの催眠術を掛けられているにも関わらず「剣心、やめて〜!」の長いセリフは言えないでしょ!そこは原作通り「だめェ〜!」でいいじゃないですか。
あと薫が心の一方を掛けられて2分以内という時間制限があるにも関わらず、決着をつけるまでの時間も長すぎる!

てな訳で緋村抜刀斎に十字傷をつけた清里明良やその亡骸にすがる雪代巴の後ろ姿を印象的に描き、外印や戌亥番神が逮捕された様子は描かず、斎藤一が回転式機関銃の出所を問い詰めるように武田観柳を睨むくだりからも、これは志々雄真実の京都編をすっ飛ばして雪代縁の人誅編を続編にする気満々ですな。
まぁ十本刀は実写化しにくいキャラクターばかりですから仕方ないですけど、人誅編は雪代巴の配役で成否がほぼ決まるので、「そばかす」があってもおかしくないような若い女優なんぞは使うなよ!と思えた、鑑賞後に「the Forth Avenue Cafe」あたりで談義するのも悪くはない映画でした。

深夜らじお@の映画館にはこのレビュー内に「Tactics」を入れ込む文章力はなかったでござる。おろろ〜。

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acideigakan at 20:19|PermalinkComments(32)clip!

2012年07月23日

『リンカーン弁護士』

リンカーン弁護士無実の人間を有罪にしてしまうのも、有罪の人間を無罪にしてしまうのも、どちらも恐ろしい。
リンカーン・コンチネンタルを事務所にするこのちょいワル弁護士のキャラクターも面白い、秘匿特権を用いた弁護士を嵌めるという展開も面白い。なのに映画としてはそこそこ面白い止まりになっているのがもったいない。全ては監督の技量なのか。

既にシリーズ化が決定しているらしいマイクル・コナリーの同名小説を映画化したこの作品ですが、『評決のとき』の弁護士役とは正反対なのに、こちらも見応えのあるキャラクターを作り上げたマシュー・マコノヒーが実に素晴らしいこと。

大手事務所に属さず高級車を事務所とする、おいしい話ばかりに飛び付く弁護士なのに、常に最後まで勝利への拘りは捨てない。
しかも言葉巧みに陪審員を丸め込むような姑息なことはせず、正義感があるのかないのかよく分からない弁護士なのに、「無実の人間を有罪にしない」という信念だけは必死に守ろうとする。
このちょいワルなのに憎めない、離婚した妻も元刑事の私立探偵も走り屋兄ちゃんたちもみんながこのミック・ハラーという男に協力するのも納得できるキャラは本当に何度でも見たくなる魅力あるものです。

そんなミックが担当することになった不動産会社の御曹司ルイスの娼婦暴行事件。当初はルイスが嵌められてミックがいかに助けるかという展開になるかと思っていたのですが、早々にルイスが4年前にミックが担当した事件を利用してミックを嵌めていたことが判明してからは先の読めない展開になると凄く期待してました。

ただ個人的に情報屋でもある私立探偵のフランクが殺されなくても話の展開は面白くなっていたのではないか?逆に言うとフランクといういいキャラをここで退場させるのはもったいないと思ってしまってからは、どうもこの映画から決め手となるような面白さを感じられなくなってしまったんですよね。

もちろん秘匿特権を利用したルイスをミックがどう逆襲していくかは全く読めませんでした。でもあの裁判での展開に「おぉ〜そう来たか!」という映画的なインパクトがないんですよね。

ミックを始めとするどのキャラクターもいい、ミックがルイスの担当弁護士になったがために4年前の彼の有罪を直接立証できないという展開もいい、今回の事件を無罪にするための証人が4年前のルイスの悪行を立証するというトリックもいい、なのに…となると、やはり監督の腕前なんでしょうかね。

てな訳で等身大のアメリカの弁護士を描いているような面白さが今後シリーズ化でどう化けてくれるかを楽しみにしたいと思える映画でした。
あとマリサ・トメイのお色気シーンがあることも期待したいです。

深夜らじお@の映画館はやっぱり金持ちドラ息子が嫌いです。

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acideigakan at 21:43|PermalinkComments(10)clip!
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