2005年04月16日

4月14日肌寒雲ちらちら雨

R30氏の文章で自分の考えていた事が整理されつつあることを実感する。

>つまり、世の中にいるのは信頼できる記者と信頼できないブロガーの2種類なのではなく、信頼できる書き手(記者orブロガー)と信頼できない書き手(記者orブロガー)の2種類なのである。海の向こうでは、記者とブロガーを差別するのを止めればいいと考える人が国民の半数を超えた。常識的に考えれば、個人としての発言に価値が見出せない人間が、新聞記者になったからといって突然その発言に価値が付くわけがないのだから、当然と言えば当然のことだ。

この一文が妙に希望格差社会と同調した言葉に感じるのは自分だけだろうか。

現在記者として働いている人間とそうでない人間が職業的な外見によらず、純粋に能力だけを逐次審査されればどうなるか。

そこに全体の発展が見られれば一番良いのだろうが、当分は歪んだ状態を一部の賢者(努力する能力のある少数派)だけがスーパーノーマルプロフィットを得る時代がマスコミにも訪れそうだ。
それはまた一部の収集能力のある人間だけが正しい情報を得られる時代ということだろう。であれば、やはり格差は広がるばかりか、、、

自分は社会主義者でもないが、世の中には埋められる格差と埋められない格差、また埋められるべき格差があると思っている。それらは残念ながら日本では未だ整理しきれていない、むしろ混沌といえるだろう。

情報は、マスメディアは埋められない格差なのだろうか。

今日は昨日より幸せだし、明日は今日より幸せなはずだ。こう感じられる人間の数が日本は極端に少ないんじゃないかと思う。新しいメディアはこれらの人々を少数派にすることが出来るんじゃないでしょうか。

何か感じるんですけど。筆力無く言葉にできません。ということは妄想です。

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