"すなわち、クローンと言うわけです"



 アゼルの補足に、室内は何の声も上がらなかった。納得できる部分と、常識の範囲外の部分が、両方押し寄せてくる。その結果、何も口に出来ない、と言った感じだった。

"と言うのは流石に嘘ですが、「双子」の弟、ですね"

 アゼルはさらにおどけた調子で付け加える。その顔つきは、精悍な青年のものから、純粋な少年のものへと変化しているように見えた。

"そんな話は、聞いたことがない"

 「入口」のシェイドは、疑念を隠さず、声を張り上げる。
 ここに来てようやく、大統領「らしさ」が前面に出てくるようになっていた。

"それが、事実なのだよ、トーマス"

「ベッド」のシェイドは、諭すかのように「入口」へと伝える。


"……センジュアは、昔から政界との繋がりが強かったですからね。政治を行う上で、優秀な人材を送り続けた一方、ワケありの「子供」達も、積極的に引き取ってきました"

 アゼルはさも当然、と言った感じで再び語り始める。

"当時のシェイド家は、跡取り問題で随分もめていたようでしてね。代々一人の子を儲け、徹底的な英才教育を施すのが習慣のようですが、なかなか子に恵まれなかったようです。しかしようやく子宝を授かったと思ったら、今度はまさかの双子だった、と言うわけです"


"それで、間引かれたのが私、と言うわけだ"


"――!?"


 「入口」のシェイドはその事実に絶句していた。
 嘘だと断言しようとしても、眼の前にいるのはあきらかに「自分」だったからである。

 血の繋がり以前、の問題に感じていた。

 しかしそんなことも構わず、アゼルは話を続ける。

"センジュアは、実質的な「処分」を願われたわけですが。……そこは人材の企業です。秘密裏に彼は育てられていきました。――そう、トーマス・シェイドの、名も無き「影」として"

 センジュアが彼を育てたことは、、、彼が大統領にまで、昇り詰めることまでを想定していたわけではなかった。しかし少なからず、彼の才能を見出していたことが育てられた理由としては充分に考えられることでもあった。

"そして今回。表裏が入れ替わったわけです。偉大なる『マザー』の成果を再認識するためにね"

 アゼルは手に持つトランクを掲げ、さも気高さを強調するように天を仰ぐ。そんな中、奥笹が押さえつけられながらも、その疑問を口にし始めた。

"では、今回の爆破事件との関連は何が? つながりが、よく見えませんが"

"それはですね、ドクター奥笹。この中に「ユダ」がいたのですよ"

 アゼルがそう言うと、何人かのSPが一斉に銃を抜いた。
 またも、異様な光景が展開される。SP対SPの構図が生まれたからである。その動きは素早く、人間業ではないかのような速度であった。銃口を向けた者は、いずれもアデルを背にしていた。

"我々の成果の実現、に恐れをなし、抵抗した、最後の人間、なのですよ"

 映像に映っていた、爆破犯らしき人物を取り押さえようとしていた、SPこそが、事件の発端、であったと語る。

"いくら強大なる国家とは言えど、いえ、強大だからこそ、この国の中枢に、私達が入り込む「小さな変化」には気付かないものです。貴方達を制している、彼らのようにね"

 アデルを取り巻くSP、彼の尖兵達の銃口が鈍く光る。

"だか、彼らも完璧ではない。だからこそ、揺らぎ、進化する。ですから、「ユダ」となった彼を責める気はありません。その混乱に乗じて、これが容易く手に入ったのですから"

 彼は愛でるように、トランクを優しくさすっていた。まるで子供が収まりのつかない宝物を、可能な限り多く抱えるように。そんな中、奥笹は押さえ込みを振りほどいたが、もうそのSPは再び手を出すことはなかった。彼にも狂気の銃口が向けられていたからである。

"では、『マザー』とは、一体何者なのです?"

 奥笹の問いに、淀みなく話し続けていたアゼルが、一瞬その口を閉じた。
 やがて眼を閉じ、瞑想するかのように押し黙る。

 そして再び眼を開けると――そう、別人のように。
 激昂した人格へと、変貌を遂げる。


"『マザー』とは、真理! この世の全てなのだよ、ドクター……奥笹!!"


 手大きく広げ、その眼が赤く染まる。相当な興奮状態なのか、全身の血管が浮き上がってくる。

"古い身体を捨て、新しい身体を、手に入れる! 腐った大地を捨て、何層もの上の空へと向かう! その道を、『マザー』が示す、の、だ!!"

 そう吼えるアゼルの身体が、何倍も大きくなっていくように感じる。ただ、感じているだけ、に過ぎないはずである。だが、頭では分かっていても、身体が抗うことを許さない。

 ――彼は一体「何」なのか。

 誰もが、その疑問から逃れることは出来なかった。
 誰もが、彼の呪縛から逃れることは出来なかった。

 ただの一人、を除いて。

"悲しいな"

 驚愕の表情が消え、そこはかとない憂いだけが沸き起こるように。その兄たるシェイドだけが、ゆっくりとその口から、言霊をはらんだ言葉を出した。

"私はこの国の為を想い、その身を尽くしてきたつもりだが……君達のような存在を、知ることすらなかった。極めて、無念に思う"

"フフフ、贖罪、ですか。名も無き、弟のために"


 いつの間にか、元のように冷静を取り戻したアゼルがシェイドに向かっている。しかしその瞳は、燃えるような赤のままだった。

"そうだな、そうかもしれない。しかしそれを償う術を、私は知らない"

 シェイドは一度は俯く。完全に、アゼルの術中に嵌っているように見える。しかし俯くも、再びその視線を前に起こした。

"だが。だが、その身を全て供物として捧げるわけにはいかん!"

 シェイドはその眼に、アゼルとは違った力を宿す。それは一国の長として、全てを覆い付くさんとする勢いがあった。

"素晴らしい、それでこそ勝者の風格に相応しい!"

 アゼルが再び叫びを上げる。

 と同時に、白煙が視界を支配する。



 刹那。



 シェイドの身体に、表現しがたい痛みが走った。赤いものが、終わりを知らないように流れる。

 二人の、シェイドから。

 熱と光を圧縮し、拡散した爆裂が、二人を無残に打ち砕いていた。

"しかし、勝者は一人でいい。そうは思いませんか?"

 アゼルはもう興味が無いかのようにその言葉を吐き捨て、今度は奥笹の元へと向かった。

 彼は、彼のために空けられたような破片散らばる道を、悠々と歩き出す。

 周囲の、正規のSP達も、すぐには動けないようだった。


"ドクター奥笹。貴方には、一つ言いたいことがあるんです"

 直接の被弾を免れていた奥笹ではあったが、衝撃でまだ焦点が合っていなかった。

"こればかりは私にも分からないのですが。貴方を見ていると、どうしようもなく、イライラする!"

 アゼルはそう言いながら、奥笹の髪を掴み、床へと叩きつけた。額が割れ、視界が赤く染まっていく。
 一瞥をくれ、去ろうとするアゼルに、

"……そんなに、怖いのですか"


"……何?"


"人が――自分が、怖いのですね"

 奥笹は何とか立ち上がり、まっすぐアゼルの方を向く。するとアゼルの表情が再び、険しさを増した。

"――その眼、その眼だ! 僕を、イライラさせて、惑わす眼は! 何か……何かを、思い出させる!"

 アゼルはよろめきながら、後退する。目まぐるしく変わる彼の様子

"……まぁいい。貴方は、これからも人を救い続けるがいいでしょう。どんな人で、あってもね。その果てに何があるのか、精々思い知るがいいでしょう"

 アゼルはまた元に戻ったような仕草で、じりじりと後退する。あらゆる人間を屈服し、その頂点に立とうかと言う彼の能力は、誰もが抗えないものだった。

 しかし、彼だけを見ると、極めて小さい『箱』の中に閉じ込められている、そんな感じがした。

 姿がもう消える間際。
 アゼルは何かに気付いたように呟く。その表情は、今までのものとは、全く違うものであった。

"そうか、貴方は――"

 何か懐かしいものに会ったかのような、その表情。

 何かを求めるような、遠くを見つめるその眼。

 さらに何か言葉を続けようとしたが、結局そのまま、煙の中へと、一切の存在をかき消した。


"(……)"


 奥笹も何かを感じかけたが、その瞬間に現実を意識する。

 横には、奥笹がとっさに庇ったローガンベリーが、肩を震わしている。さすがに、このような場面を経験したことはなかったようだった。

"ウェレナさん"

 奥笹が触れようとすると、彼女は反射的に抵抗する仕草をした。唇も震わし、顔面も蒼白だった。奥笹は再び、肩に手をかける。

 ゆっくり、ゆっくりと。

 そうすると、ようやく彼女は我に帰ったかのように、大きく息を吸い込んだ。

"奥笹先生? 私――"

 ローガンベリーはまだ上の空、と言った感じではあったが、その膝に力をいれて立ち上がろうとする。しかし、力がうまく入らず、奥笹の方によろけてしまった。
 奥笹はそんな彼女を、優しく支えていた。

"もう、大丈夫です。しかし、脚の方を気をつけてください。むやみに動かすと、傷口が広がります"


"え……"
 

 戸惑いながら下を向き、彼女はようやく自分の状況を把握し始める。飛散した破片らしきものが、脚に食い込み、骨にまで達しそうなことに。さらに煙が晴れてくると、彼女が元いた場所はぽっかりと大きな穴が開いているのが見えた。

 奥笹の左手が焼き焦げているのを見て、「助けられた」ことに気付く。
 その手、から終わりが無いかのように、何か温かいものが流れてくるようだった。数多くの、何かを起こしてきた、その手から。

 脚の痛みが、ほんの少し和らぐ。

 

"ドクター! 大統領が!"

 SPが叫んだ声の先――二人のシェイドの元には、傷つきながらもSP達が集まっていた。その焦燥からだけで、危険な状況が伝わってくる。



 奥笹は反射的に、その場へと駆け出していた。 

 

>>続く

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