京王線は「本校の生命線」を確認
 朝始発から京王線が不通というニュースは流れていましたが、さすがに6時頃には開通するだろうと思っていました。新駅舎になって信号系統がコントロールできなくなったのですね。
20120906152556 それが6時半段階でも全面不通、更に午前7時とも成れば生徒達の多くが動き出しましからね、焦りました。本校ではフェアキャストという緊急連絡手段がありますが、京王線ストップで肝心の情報送信(「とりあえず待機して、次の連絡を待ちなさい」)まで、およそ20分ほどのタイムラグが生じました。京王線の回復が確認されて、登校と授業開始時刻を一斉に連絡できたのは,その直後です。
 結果的に、電車や道路の混雑状況がひどく、始業時刻を2時間繰り下げ3限目からの授業にしました。本校食堂の仕込み時間にも何とか間に合いました(マスターも7時には出勤して準備)。
 昨日の朝日夕刊には本校も登場しています、生徒の安全確保、更にがんばります。私の「ツイッター」には困惑した生徒達から何通ものツイッターが届いていましたが、確認はあくまでも公式HPとフェアキャストですよ。

尖閣と対比できる小笠原の離島「北硫黄島」〜 
 さて、日本の固有領土である尖閣諸島、魚釣島の映像を見ていて、北硫黄島を思い出しました。母島から更に百キロほど南、硫黄島との間にある島です。父島、母島、北硫黄島、硫黄島、南硫黄島の順。
2 今回から,何度かに分けて「北硫黄島」について写真を付けて紹介したいと思います。(漁船で島に接近し、北側から遠望しました。)
 私は、平成2年の7月下旬に一週間ほど北硫黄島の遺跡調査の一員として参加しました。私達がこの島に赴いた目的は、東京都の教育委員会(文化財担当)が行った先住民の遺跡調査,採集や発掘による本格調査でした。この絶海の孤島から戦前発見されたといわれる石器(磨製石斧)が東大に保管されており、その真偽や伝播経路を含めて調べようとしたのです。

200名もの島民が住んだ北硫黄島  
 戦前は200人からの住民が居住していて、サトウキビの栽培と製糖事業を行い、山岳部(榊ケ峰)では放牛を行い、海岸部ではそれこそ無尽蔵にあるサザエ(内地のようにトゲトゲが無いサザエです)を何十樽と出荷していました(海岸の裳礁から北の平野村方面を望む)。
 
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 一番の問題は,大きな水源が無いということで、平野村のやや北寄りの渋沢では、白濁した細い湧水があるだけでした。魚釣島には大きな滝もあり、飲料水の確保面でも問題なく、また平野村よりは平地にも恵まれているようです。
 亜熱帯の島ですから、島の周囲には裳礁が発達して魚の住み家になっています。駐在所も、学校もあり、太平洋戦争時には軍隊も駐在していたのです。これが島の東側にある平野村、島の西北側には西村があって、西村の子供達は5,6百辰發△襪という鞍部を超えて毎日通学していたと言います。この島の村長の平野さんの名前が村名になっています。(続きます)