退職金由来の企業年金

欧米の年金数理のテキストを見ると、最初の方に簡単な年金の計算方法が載っている。例えば、


 

最初の計算問題:勤続30年の加入者を考える。勤続一月あたり50ドルの年金を獲得する。この加入者の年金額を計算せよ。

簡単な計算問題である。年金額=50×12×30=18000ドル。毎年受け取る年金額は18000ドルとなる。このように、欧米のDB規約を見ると、年金額をダイレクトに規定している。

一方、日本のDB制度の場合、一時金額を規定し、それを年金に換算する、という方式で規定されている。その理由は、日本の企業年金の大半は退職金由来だからである。この意味を、具体例を用いてもう少し詳しく見てみたい。

以下のような退職金制度を考える。ポイント制と呼ばれるものだ。
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以下のケースについて、退職金額を計算してみてほしい。
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例えば、勤続1年の自己都合退職であれば、別表2の自己都合減額率が0なので、退職金額も0となる。一方、5番目の勤続20年で自己都合退職した場合、累積ポイントは5×10+5×20+5×30+5×40=500、ポイント単価は10000円、退職事由別乗率は1となり、退職金額は500万円となる。

次に、この退職金の100%を企業年金に移行したケースを考える。
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以下のケースについて、今度は脱退一時金額と年金額を計算してみてほしい。
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例えば、勤続1年の自己都合退職であれば、脱退一時金額は0となる。退職金と同じ理屈だ。一方、5番目のケースでは、累積ポイントは500、ポイント単価は10000円、退職事由別乗率は1となり、脱退一時金額は500万円となる。そして、年金額は500万円÷20=25万円。このように一度脱退一時金額を計算したうえで年金額への換算を行う。これは、日本の企業年金に特有の概念であり、退職金由来であることに起因する。

従業員の視点からすると、5番目のケースでは、一時金で受け取るか、年金で受け取るかを選択することができる。このように、企業年金を導入すると、受け取り方の選択肢が広がる、というメリットがある。また、単純化のために20で除して年金額を計算したが、実際は一定の利率を仮定した年金現価率で割り算を行う。これは20よりも小さい値となる。分母が小さいので、年金額は増える。単純に分割払いするのではなく、一定の利息を付与した年金額を計算する。低金利下の昨今、この利率を魅力に感じる人も多いのではないかと思う。

退職金由来の企業年金という事実は、将来、アクチュアリーの正会員になって、国際会議で日本の企業年金の発表を行う際に、知っておくと役立つ日本と海外の違いである。というのは、ずいぶん先の話かもしれないが、年金数理の問題を作っている人は、当然に上記のような退職金由来の年金制度を想定して問題を作成している。という事実を知っておいて損はないと思う。

企業年金のコントロール・サイクル

DB制度の主要な利害関係者は、「企業」、「従業員」、そして信託銀行や保険会社等の「受託機関」である。労使交渉の結果、DB制度の実施が固まると、次のステップは掛金計算だ。これを財政計算と呼ぶ。財政計算は、受託機関に所属しているアクチュアリーが行う。

(以下のスライドは簡略化したものであり、詳細を省いた説明です。単純化し過ぎという先輩アクチュアリーからのコメントはオフラインでお願いします)

掛金を計算するためには、企業の従業員データ等が必要となる。以下の図に簡略化したデータを載せている。入手したのは、5年間にわたる従業員、新規加入者、退職者の数という想定。実際は、年齢や性別等の詳細データが必要となる。退職率は概ね2%だが、2012年だけ12%と跳ね上がっている。ここで、考えるべきは、この異常値の取扱い。リストラの影響で退職者が多かったのかもしれない。それは一時的なものであり、将来発生する蓋然性は低いと判断できるかもしれない。企業との対話を通じて、その判断を正当化する根拠が見つかるかもしれない。合理的な理由がある場合、2012年のデータを除外し、概ね2%として将来予測を行うことが認められる。

スライド1 














データの取扱いは、アクチュアリー業務の基礎を為すものであり、かつ非常に重要な業務だ。国際アクチュアリー会は、データの品質を担保する上で、以下を推奨する。

  • 十分かつ信頼できるデータを用いること
  • 合理的な範囲でデータの検証を行うこと(上記の例で言うと、前年の従業員数+新規加入者-退職者=翌年の従業員数となっていることのチェック等)
  • 関連性の高いデータを用いること(上記の例で言うと、このDB制度を実施する企業のデータ。でも、人数が少ないと、信頼度が低いかもしれない。そのような場合、同業他社のデータを参照することで、少ない人数から計算した退職率を補強できる)
  • データを修正した場合、それを開示すること(上記の例で言うと、2012年のデータを異常値として除外した場合、それをレポートの中で開示する必要がある)
  • データに不備がある場合であって、その影響が大きい場合、当該数理計算を断る、依頼主と相談し追加のデータの入手等を行う、あるいは行動規範に準拠している範囲で当該不備を開示してレポーティングすること

最後の「当該数理計算を断る」というのは究極の選択である。行動規範とは何かも含め、もう少し詳しい説明は、プロフェッショナリズムの講義の中で行う予定。

30歳加入、60歳定年の場合、加入期間は30年。退職率を一律2%とすると、1年後に在職する確率は0.98、2年後に在職する確率は0.98×0.98、・・・30年後に在職する、つまり定年に到達する確率は0.98^30と約50%程度となる(少し丸めすぎだけど)。1000万円を年金原資とすると、この30年間にわたって定期的に掛金を拠出し、60歳時点で1000万円を確保できるように財政計画を考える。以下の図では平準的な掛金となっているが、財政方式によっては平準的でないものもある。どんなペースで掛金を拠出していくのかに関わらず共通するのは、60歳時点で1000万円になるという点である。

そして、年金受給のフェーズでは、年金原資と等価になるように年金額を支払う。ここで等価という言葉を無定義で用いたが、この具体的な手法は指定テキストの第2章で勉強することとなる。

日本の企業年金の多くは退職金を由来としている。退職金は外部積立の資産を持たない。したがって、退職金を企業年金に移行した場合、最初は資産ゼロの状態からスタートする。そして、一定期間経過後にフルファンディング、すなわち資産=負債となる状態を目指す。

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企業年金の財政運営は、生命保険よりも柔軟だ。決算で不足が生じた場合を考える。不足が生じた場合、それを穴埋めするために掛け金を引き上げることが認められている。この掛金も税制上の優遇措置の対象なので、一定の制約はあるが。このように弾力的に保険料を変更する取扱いは生命保険では認められていない。ちなみに、この不足は、予定していた資産や負債の推移と、実際の推移の差異によって発生する。この仕組みの詳細は、年金数理の講義の最後の方で登場する。

スライド10














最後に財政再計算。時は2020年。DB制度をスタートしてから5年経過した。企業を取り巻く環境も大きく変わっている。当初から掛金の変更は行っていない。この掛金を使い続けることは、果たして妥当だろうか。

ここで、国際アクチュアリー会のデータの品質に関する記述を思い返してほしい。3つ目の「関連性の高いデータを用いること」。現在の掛金は2010年~2014年のデータを用いて計算している。少し古い気がする。現在の企業の状況を描写するには関連性が低いかもしれない。そう思う人もいると思う。

2015年~2019年のデータを貰うと、今度は異常値はなく、退職率は3%程度であった。0.97^30で、30歳加入の人が定年に到達する確率は40%程度となった。それを掛金に反映する。そうすると、負債も変動する。剰余が発生するか、不足が発生するかは制度設計次第である。不足が生じると、それを穴埋めするための掛金を設定する必要がある。

この一連の作業を再計算と呼ぶ。繰り返しになるが、企業年金の財政運営は生命保険よりも柔軟である。

スライド11














以上が、企業年金に関するアクチュアリアル・コントロール・サイクルの概説である。年金数理の細部の議論に入ると、なぜそんな計算をする必要があるのかと、不思議に思う場面もあるかもしれない。初めて目にするアクチュアリー記号を前に、途方に暮れる場面もあるかもしれない。そんな時、上記のサイクルを思い出してほしい。年金数理で登場する議論は、上記のサイクルの一部のパーツを為す。複雑なアクチュアリー記号に圧倒されそうなときは、一歩引いてみて、自分はどこの部分を勉強しているのかを俯瞰してほしい。その立ち位置がわかるだけでも、愁眉が開くかもしれない。

年金数理と生保数理の違い

年金数理と生保数理の違いを語る前に、企業年金と生命保険の違いを知ってほしい。生命保険数学の基礎では、生命保険を以下のように説明している。

  • 生命保険は人の生命やその健康状態に関する将来の確率事象を扱う契約である。
  • 生命保険契約は当事者の一方(保険者)が人の生存又は死亡に関し一定の金銭を支払うことを約し、相手方(保険契約者)がこれに対して保険料(共済掛金を含む)を支払うことを約する契約をいう。



この説明と対比する形で企業年金を表現すると、
  • 企業年金は人の生命に関する将来の確率事象を扱う契約である。
  • 企業年金契約は当事者の一方が人の生存又は死亡に関し一定の金銭を支払うことを約し、相手方(企業)がこれに対して保険料(掛金と呼ぶこともある)を支払うことを約する契約をいう。

似ていて違いがわからない、という声が聞こえてきそうな気が・・・。

大きな違いは、相手方に相当するのが企業である点である。従業員拠出の制度もあるが、主に企業が掛金を拠出する。これが企業年金の大きな特徴である。

生命保険を購入するか否かは個人の判断である。一方、企業年金を導入するか否かは企業の判断となる。では、なぜ企業は企業年金を導入するのか。これには諸説ある。

「税制上の優遇措置があるから」と答える人が多いかもしれない。企業年金に拠出する掛金は税制上の費用として全額損金算入される。これは、経営者視点での導入理由である。

従業員の視点からすると、「外部積立によって退職給付が保全される」という点が挙げられる。掛金は、信託銀行や保険会社等、企業の外部に年金資産として積み立てられる。この資産は、企業が倒産した場合であっても保全される。退職金との大きな違いである。

人事部からすると、人材マネジメント。これを、3つのRと呼ぶ人もいる。Recruit(就職)、Retention(定着)、Retirement(引退)。この3つのRを促進するのが企業年金の役割でもある。長期勤続者を優遇する制度なのか、中途入社者にフレンドリーな制度なのか、何歳で満額の年金が貰えるのか。企業年金は企業の人事戦略を色濃く反映している。留学時代の年金数理の授業では、教授が「就活の際、初任給だけでなく、どんな企業年金を実施しているのかを面接で聞くように」と促していた。企業の人事戦略を端的に聞き出すことができる質問だと思う。

他にも列挙すると、以下のような理由が考えられる。
  • 労働組合からのプレッシャー
  • 賃金の後払い
  • 退職給付にかかる資金負担の平準化
  • 退職給付会計上の課題への対処
  • パターナリズム

ようやくここから本題の生保数理と年金数理の違いの説明に移る。アクチュアリアル・コントロール・サイクルという概念を用いて説明したい。この概念は、日本の試験では登場しないが、先進国の試験では基礎科目の最初の方に登場する概念である。




アクチュアリアル・コントロール・サイクルとは、「課題の特定」「解決策の策定」「経験値のモニタリング」から構成されるサイクルのことである。

生保数理
  • 課題:社会保障制度等の外部環境を踏まえ、個人が不安に思っているリスクを特定
  • 解決策:特定したリスクに対して、保険料を計算し、保険商品を設計
  • モニタリング:決算等を通じて、販売した保険商品の経験値をモニタリング
年金数理
  • 課題:企業の利害関係者との対話を通じ、企業の退職給付制度の課題を特定
  • 解決策:特定した課題に対して、掛金を計算し、企業年金の運営を支援
  • モニタリング:決算等を通じて、企業年金の経験値をモニタリング

アクチュアリアル・コントロール・サイクルは、サイクルなので、モニタリングして終わりではなく、モニタリングで課題が見つかれば、その解決策を新たに策定する必要がある。これを、フィードバック・ループと呼ぶ。例えば、当初設定した保険料・掛金が低すぎて、決算で不足が生じることもあり得る。生保数理では、一度決めた保険料を販売後に変更するのは非常に困難であるのに対し、企業年金の場合、不足が生じても穴埋めするための掛金を別途設定することができる。企業年金の財政運営の方が、生命保険よりも柔軟である。このことが保険料と掛金の設定時にも言える。企業年金には財政方式という概念が存在する。イメージで言うと、加入~引退まで、どのようなペースで掛金を積み立てていくのか(財政計画)を定めた方式のことであり、年金数理では複数の財政方式が登場する。

課題の特定を行う際、「企業の利害関係者との対話を通じ」と書いたが、アクチュアリーには、多角的な視点が求められる。例えば、年金コンサルを行っている企業から給与の引き上げの提案があった場合、どのような思考を行うべきか。

  • 従業員にとってはグッドニュースである。給与比例の退職給付制度であれば、給与だけでなく、退職金や年金も増えるかもしれない。
  • 経営者からすると、費用が増えるので、収益減少要因となる。給与比例の退職給付制度であれば、退職給付費用も増える。
  • 人事部からすると、優秀な中途入社者を確保できる可能性が高まるので、グッドニュースかもしれない。
  • 政府からすると、所得税が増えるので、ウェルカムな話である。

様々な利害関係者の立場に立って、メリット・デメリットを論じる。先進国の試験では、このような回答が求められる。

ちなみに、指定テキストの3頁では、以下の3つの相違点が挙げられている。
  1. 集団全体で収支相等するよう算出された保険料率が一律適用される
  2. 外部積立
  3. 保険料の見直しが定期的に行われる

この表現は、平成7年に発行された年金数理の指定テキストから変更されていない。平成7年といえば、退職給付会計導入前の頃である。一点目の、保険料が一律適用という表現は、当時の実務で用いられていた加入年齢方式や開放基金方式と呼ばれる財政方式を想定した話であり、例えば退職給付会計で用いられている(予測)単位積立方式では、保険料に相当する費用は個人別に算出される。指定テキストには、この点が明記されていないが、テキストを読み進める中で疑問に思う読者もいるかもしれないので、ここで補足したい。
プロフィール

actuaryjp

九大数学科卒業後、東京で就職。年金アクチュアリーを目指す。3年目でアクチュアリー会正会員に。

28歳の時、国際アクチュアリー大会で論文発表。当時の英語力はTOEIC400点程度。当然、撃沈。でも、海外アクチュアリーの論文発表に魅せられ、必死に英語を勉強。

29歳の時、再び国際大会での論文発表に挑む。僕の論文に対してコメントをくれた人-それが、米国アクチュアリー会の元会長のRob Brown。

30歳の時、Robのいるウォータールー大学アクチュアリー学科の大学院に入学。32歳で帰国。

※このブログは個人的なものです。

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