2012年09月
2012年09月26日
「悪の教典」とモンティ・ホール問題
「悪の教典」とモンティ・ホール問題
2012年春にドラマ化された「鍵のかかった部屋」3部作を読んだ後、原作者(貴志祐介氏)の代表作は?といえば、2011年「このミス1位」のこの作品(「悪の教典」)に辿り着き、文庫化されたのを機に読んでみました。生徒にも人気で生活指導もしている英語の高校教師(蓮見ことハスミン)が、実はサイコパス(反社会的犯罪者)という設定で、その主人公が学校を支配しようとするピカレスク小説です。
出た当初に敬して遠ざけたのは、こういうジャンルが苦手だからですが、読み始めて気づいたのは、これも一種の倒叙法 ミステリになっていることです。最初から犯人がわかっていて、次々と事件を起こしていくのですが、どこかで足がつくわけで、それは何かというわけです。そういう観点でも読みすすめられます。
そこで、犯人の失脚に関係してくるのが、作中、この高校の夏期の補習で出された数学の(確率の)問題である、モンティ・ホール問題です(8章)。これをクラスの女子生徒が分からなくて、友人に携帯のメールで聞いて解くシ―ンがあるのですが、その意味するところが後の危機の場面で活きてきます。ああなるほど、布石だったのね、と思いました。
11月に映画化されて公開のようです。 映画化されるなら、ハスミンは誰が演る?かで話題になったとか。
*モンティ・ホール問題)
モンティ・ホールは90年代のテレビのクイズ番組の司会者の名前。小説では、ニホンならみのもんたみたいなものね。"みのもんてぃ問題"なんだ、と揶揄されている。
クイズ番組で、回答者はA,B,Cの3つのドアの1つを選び、当てれば、宝を取れる可能性がある。
回答者がAを選んだとする。司会者は正解を知っていて、ここで不正解のCの扉をあける。そしてここで、回答者に「Aのままでいいですか。それともBに変えますか」,ファイナルアンサーと聞く。変えたほうがいいのか、そのままでも同じか(即ち確率に変化があるか)という問題。
ふつうに考えたら、確率は1/2で同じなので変える必要はないようにみえるが、監修にもかかわっていた天才女性マリリン・V・サヴァントが「変えるのが正解」と答えたので、のちに数学者や経済学者を巻き込み話題騒然になったという問題である。
ちなみにCを見せる前の確率はどれも33,3% いったんCをみせた後は、Aが33,3%,Bが66,6%になる。これは、Aのままならはじめと変わらないが、いったん条件をつけた後だと、このBは(BとCの両方を選んだ(1/3+1/3)ことになるからである。
詳しくは「偶然のチカラ」(植島啓司著、集英社新書)など。
2012年09月14日
「言語小説集」
学者なんかが「言語ゲーム」というような言い方で追究しているのも、その故でしょうが、ここではそういう小難しいことは横においておいて、そういう曖昧なものだから、使い方次第では、とんでもないことにもなるだろうね位の認識をもって「言語小説集」を読んでみました。そして予想に反せず、そういう掌編でした。言語(というか日本語)のもつ特殊性をテーマにしたものです。小説、芝居づくりで言語にこだわってきた著者ならではの短編集だといえるでしょう。
1本目の「括弧の恋」はワープロのカギ括弧の記号が、他の記号に恋をして、文章作成者の変換が旨くいかなくなる話です。ワープロを使っているというだけあって92年発表の話。こういう特殊な事態でなくても、旨く出したい記号や漢字がでなくて、苦労した覚えは当時誰しもあるはずです。そういえば、パスティーシュ作家で有名になった清水義則氏にも、ワープロの変換を題材にした似た話があったと思いだしました。
ほかに文法的に意味をなさない台詞に役者が振り回される「極刑」。きわみつきは、舌がもつれて「大変ながらくお待たせしました」が、「大便ながらくお待たせしました」に変わる駅員の悲劇を描いた「言語生涯」でしょうか。1字違いで大違い。日本語の特性でしょうか?ほかもそうかな?