屋根下あだちメモ

青白赤のトリコロールを基調とする横浜F・マリノスのサポーターグループ「横浜屋根下」に所属する、あだちのマリノスに関する事を中心とするblog。 気が向いた時に、自分の思っている事や考えている事を一方通行で配信していきます。 コメント欄はありますが、書きたいことを一方的に書くだけなので、返事は書きません。 もう1つのblogはこちら。 http://ameblo.jp/tabi-cham/

août 2011

リーグも残り10節。

すっかりblogを更新していなかった あだちです、こんばんは。

その間も毎日結構なアクセス数あり、恐縮です。

神戸戦の後にお盆で田舎帰ったり、その後3連戦だったりしているうちに、書くタイミングを逃していました。
田舎に行っていてネット環境にない間に、過去の記事にコメントまで頂戴していました!こちらの件は近日別途upします。


さてリーグ戦は今週はW杯予選の関係で1週間お休み。リーグ戦も残り10試合となりました。
ここで、ちょこっと、確認。
(PCからの方が見やすいかも知れません)

マリノスは現在、首位ガンバと勝ち点3差の3位。

1位 G大阪 勝ち点50 得失点+20
2位 名古屋 勝ち点49 得失点+21
3位 横浜 勝ち点47 得失点+13
4位 柏 勝ち点47 得失点+9
5位 鹿島 勝ち点38 得失点+11


上位4チームの残り10試合の対戦カード。

G:宮、横、甲、浦、名、山、鹿、新、仙、清
名:柏、鹿、神、清、G、宮、C、横、山、新
横:福、G、仙、新、広、浦、甲、名、川、鹿
柏:名、神、宮、鹿、山、広、新、清、C、浦 

上位4チーム同士の直接対決は、
G大阪は、横浜、名古屋と。
名古屋は、柏、G大阪、横浜と。
横浜は、G大阪、名古屋と。
柏は、名古屋と。

ここまで、マリノスは上位チーム相手に未勝利(名古屋1分、G大阪1敗、柏2敗)なので、名古屋、G大阪との直接対決は非常に重要なカードになりますね。
(有り難いのは、両方ともホームゲームで出来るという点でしょうか。)

また、上位4チームとも、新潟、鹿島と対戦カードがあります。
特に、前半戦調子の悪かった鹿島が、5位まで浮上し、ここ7試合で6勝1分け。僅か4失点(しかも1試合で最大1失点)。大半が下位チームとの対戦だったとはいえ、調子が良さそうなので、鹿島との対戦も明暗わけそうです。
(マリノスは鹿島とはホームで最終節なので、それまでにマリノスが決まっていれば若干話が変わりますが。)

そんなこんなで、残り10試合。
もうしばらく団子状態は続きそうですが、食らいついて、最後に一番上にいたいですね。

(つづき)

22:13

つづき、と書きながら書く時間がないです、また次回以降☆

松田直樹とプラス1シーズンとadd 8min.

昨日はお通夜と告別式のことを少し書きました。書きながら、自分の中で今回の事を少しずつ整理しようとしているのかもしれませんね。
消去ではなく、あくまで整理ですが。

さて、話は昨日のblogより遡り、2011.08.02。ちょうど10日前のお話です。

2日のAM1時頃の事だったと思います。
ちょうど直樹の事を思い出していました。直樹が倒れる9時間くらい前です。
急に決まった2日の私のスケジュールに書かれた予定が、かなり前にマッチデープログラムに出ていた直樹の関連記事と関係があったからです。
ふいに思い出したのでした。

それから、結局色々調べ物をしたりしていたら結局朝5時過ぎになっていて、2日の午後からの予定なので、早く寝なきゃ~、と思い、寝て、11時過ぎに起きた時、直樹が倒れた、という大分にいる友達のつぶやきを見てしりました。

それ以外ほとんどハッキリした情報はなし。当初、熱中症という情報があったり。しかし、その後心肺停止という事や、そして鼓動が微弱ながら蘇った話など。
気がつけば、すっかり夕方前、情報収集に明け暮れていました。

一瞬、夕方の予定、違う日にスライドしようかな?と弱気な自分。でも、直樹は結局元気に帰ってくるんだったら、予定スライドして自分バカじゃない?という気もして、多少の予定変更は加味しつつ、自分の予定をこなしていました。

出先でも携帯でニュースを確認すると、確かに嫌な感じのニュースばかり。
でも、帰ってくるんだろうなぁ~、なんて思いながら。

その日、マリノスタウン、三ツ沢、日産スタジアムを一望しました。だから何だ、って話かもしれませんが。

さて、翌3日、マツの周りサイトなどを見たりしながら。中村選手がすぐにお見舞いに駆けつけた話などを見たりしつつ。
ちょうどその時、1つ前の日記にupした「俺たちの松田直樹」段幕を、週末の柏戦に持っていこう、という話になっていました。
ニュースで出た「心筋梗塞」という名前。であるなら、復活するだろうけど、退院は週末にはさすがに厳しいだろう、来週以降に早くても退院じゃないか?
柏戦の後あたりに、直樹の病気回復を願って、試合に勝って、直樹のコールをするかもしれないから、幕を柏に持っていこうと。

柏戦は私は開門後の到着予定だったので、開門に間に合うメンバーがうちまで幕を引き取りに来て下さいました。

その時も、直樹大丈夫ですかね?の問いに対しても、「あれだけ報道騒いでいるのに1日半持っているという事は助かりますよ!」と言いました。
あれだけ危険な状態とかニュースに出ていながら1日半経ってもそれ以上の悪いニュースがないと言うのは、私は逆に、今が底なのではないか、後は回復しかないのではないか、と思ったわけです。

4日、私は、群馬にいました、桐生からほど近い高崎に。
駅ビルには高崎で有名な「だるま」が売っていました、大きいのから小さいのまで。
赤以外にも様々な色のだるまが。手のひらサイズの等は250円からあり、あ、これ帰りに買って帰って、回復した時に目玉塗ろうかな、とか思っていたわけです。
売店の表示曰く、緑のだるまが健康祈願。ほぅほぅ、でも、やっぱりマリノス好きとしては、青いだるまかな?なんて事を考えながら。
しかし、翌日買って帰ろうと思っていただるまを、私は買えませんでした。

14時よりは前だったと思います、直樹の訃報を知りました。高崎から移動した先から、再び高崎に戻る車内で。

「直樹亡くなった」
思わず呟いた言葉に、目の前の席に座っていた連れが「え。」と一言言ったっきり、沈黙。周りの音も一切耳に入らず、気付いたら終点高崎。

無言で、他のニュースソースを探しますが、やはり、どれも同じ内容。

良く分からない。

頭の中ではぐるぐる。高崎にいるものだから、このまま両毛線で直樹の実家がある桐生に行ってしまおうか、とか分け分からない考えが頭の中をぐるぐる。
それでも多少冷静でいる事ができたのは、その時の私が1人でなかったから。

なので、直樹に関する思考を停止し、元々の予定をこなす事にしました。

しかし、高崎駅を出て、目的地へ行くのに複合施設の中を通るとスポーツ用品店があって、そこで「前橋育英」のプリントの入ったシャツきた明らかにサッカーやっている学生2人組が目に飛び込んできたり、直樹の後輩の細貝選手のポスターが貼ってあったり。
街に出れば、まさかの「松田製菓」というお店。そしてすぐ近くに「マツダレンタカー」。
思考を停止したハズが、潜在意識が働くのか、そういったものに目が行ってしまいました。

翌5日は、大体の事はマツの周りサイトで確認できるので、群馬の地元紙「上毛新聞」を買いました。地元の英雄であった為、同じく群馬出身の、プロ野球選手、斎藤佑樹投手のコメントも出ていました。やはり地元の誇りとして応援されていた、という記事が。


・・・

さて、前置きをちょこっと書くつもりだったのに、なんだか分からない感じになってきました、いつもの事かもしれませんが。

以上が私の8月2日~5日頃の話。

結局何が言いたいのかというと、ここからが本題。

直樹は8月2日の9:58に倒れてから、4日の13:06に亡くなるまで、51時間と8分、戦い続けました。

この51時間という時間、サッカーの試合数に換算すると34試合。
そう、J1リーグ戦の1シーズンの試合数と同じです。

怪我をしたり、退場したり、累積警告で何試合か出られなかった事が多い直樹が、1度は心臓が止まりながらも、再び微弱ながらも鼓動させ、まるまるリーグ戦34試合と、アディショナルタイム8分に相当する時間を戦い続けたのです。

もちろん、その戦いは、直樹1人の力だけではありません。
その場で応急処置を施したスタッフ、現場に居合わせた看護士の方、多くの仲間、医師etc.多くのサポートを得ながら、世界中からの回復の祈りの中、直樹はリーグ戦1年分を戦ったわけです。

紛れもない真実として、直樹は心臓が止まってからも、これだけの時間、再度鼓動させ、戦ったのです。

そして、戦った分、鼓動を打っている間に大切な多くの盟友にも会えた事と思います。

少し前から、Jリーグでは、「ロスタイム」という言葉が「アディショナルタイム」という表現に変わりました。
でも、言いやすさからずっと「ロスタイム(失われた時間)」と呼んでいましたが、今回の件で、分かりました、やはり「アディショナルタイム(追加された時間)」だと。


それにしても何度考えても、あなたの死は早すぎる。
まだまだ大好きなサッカーでやり残した事あるだろうに。

でも私は、最後の51時間と8分間、あなたが全力を出して戦ったこの1シーズンにも匹敵する時間を、いつまでも忘れないだろう。

直樹と通夜と告別式と幕の事。(更新)

まずは、松田直樹選手のお通夜・告別式を、私達ファン、サポーターにも参列の機会を下さった直樹のご家族の皆様、厚く御礼申し上げます。

直樹に関しては呼称含め、1つ前(8/2)blogに掲載した過去(1/14)blogの通りです。
http://blog.livedoor.jp/ada_chit/archives/2320091.html

その直樹の訃報を受け、8/8のお通夜と8/9の告別式に参列してきました。

8日夕方、私は電車を乗り継いで、桐生市斎場へ到着しました。
開始前にも関わらず、非常に多くの参列者。
ファン、サポーターはもちろん、多くのサッカー仲間の盟友や著名人。
どれだけ直樹が慕われていたかが本当に分かります。
これが本当にお通夜なのか?こんなに多くの人が平日にも関わらず集まるなんて。報道陣も山のようにいて。
参列者の表情さえみなければ、それはJリーグアウォーズではないか?という位に。直樹がMVPでも獲るんじゃないか?その為の盛大などっきりなら、絶対に許してしまう。

そして18時。木魚の音とお経の声がかすかに聞こえ、現実を噛みしめます。

お通夜が営まれるホールの外側にファン、サポーター用の祭壇が設けられ、その奥ではホールの中の、きっと多くの方がニュース映像でご覧になられたと思う02年代表時のガッツポーズをする直樹の遺影がハッキリと目に飛び込んできました。

焼香を行い、直樹に対して心の中でメッセージを送り。

その後は少し会場敷地内で、他のファン、サポーター仲間と言葉を交わし、翌9日の告別式の話を伺ったりし、まだまだ夜遅くまで桐生市斎場へ向かっている仲間全てにお会いする事はできないまま、翌日の事もあるので、仲間の運転する車に乗車させて頂き、夜中、帰浜しました。

色々な準備等で、とんぼ返り状態でしたが、バタバタしつつ、9日は朝に仲間の車に乗せて頂き、再び斎場へ。

とにかく暑い。風もほとんど無風で、照りつける暑さを感じます。漢字は違いますが、熱い直樹をイメージするには前日のお通夜の雷と異なり、ピッタリな天気となりました。

告別式の列に参列し、昨日同様にホールの外からホールの中の直樹に心の中で、同じ事を呟きました。列を並びながら、一生懸命、昨日のお通夜で言い残した事はないか?と考えたりしましたが、やはり同じ言葉になりました。

その後しばらく経ち、告別式は終了し、直樹は併設されている火葬場の方へと移動し、その間に、喪主・松田正恵様より、喪主のご挨拶がありました。ニュース映像でご覧になられた方も多い事と思います。

私達はその時に、「俺たちの松田直樹」という幕を出しました。

ちょうどスポニチアネックスさんに記事が出ていました。

松田直樹さん葬儀・告別式

 喪主の母・正恵さんは「なぜ、あのような息子を熱狂的ファンが応援して下さるのか、不思議でございましたが、皆さまに愛されていることに気がつきました。直樹には本当に本当にありがとう、と言いたい」とあいさつ。斎場に集まったサポーターは「俺たちの松田直樹」などの横断幕を手に「直樹コール」を送った。

 松田さんは家族の見守る中、荼毘(だび)に付されたが、その雄姿はみんなの記憶の中で生き続けるに違いない。

出典:スポニチアネックス 11.08.10 9:04
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/08/10/kiji/K20110810001383990.html


画像URLはこちら。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/08/10/gazo/G20110810001382590.html

この幕に関しては、昨年12/6のblogに記載してあります。(1度ご覧頂いてから読み進めて頂けると幸いです。)
http://blog.livedoor.jp/ada_chit/archives/1825909.html

契約非更新問題の時に作った直樹に対する12/4の最終節大宮戦用の一発幕でした。

その後、カンファレンスがあり、年が明け、JFLの松本山雅FCに新天地をうつしました。

そういった中で、当初残留を望む一発幕であったこの幕は、私達の中で、直樹が帰ってくる日に出す幕となりました。
直樹には、私達から直接ではありませんでしたが、ある方経由でこの幕と幕に書かれたメッセージの写真を直樹に渡して頂きました。幕は、直樹が帰ってきた時にスタジアムに出す旨を書いたメッセージを添えて。

なので、本来であれば、1月14日記載のblogの通り、山雅でのキャリアを終え、現役であったり、はたまたOB戦であったり、場合によっては、監督として再びトリコロールの旗の下に帰ってきた時に掲げる為の幕として、保存していました。

そういう目的であったが為、最後は結果、松本山雅FCになりましたが「俺たちの松田直樹」幕であった理由です。

話は喪主挨拶に戻り。

既にニュース映像で喪主の松田正恵さんの挨拶は流れているのでご覧になられた方も多いかと思います。

私は、8月2日の直樹が倒れた、というニュースを知った昼前以降、訃報後のキクマリの正治さんの涙に危うくもらい泣きしかけましたが、訃報を聞いた以後も、お通夜、告別式で焼香を上げて直樹にメッセージを伝えた時も、一切涙は出ませんでした。

それはやはり、既述の通り、直樹はいつか、どんな形であれ再びトリコロールの旗の下に帰ってくると思っていたので、どこか現実味に欠けていた事もあります。

また、必ず帰ってくると思っていたので、私が直樹を最後に見たのは12月4日の大宮戦のセレモニーでした。
松本山雅が近くで試合をやっていて行ける所でも、行かず。
非契約発表以降、様々なニュース番組や山雅に入る迄のドキュメンタリーや、山雅に入って以降のテレビやネットでの松田直樹特集も、ほとんど目を通す事はありませんでした。

それは、直樹だったから。
彼は年齢を重ねても様々な事を吸収し、プレーの幅を広げ、選手としてもどんどん大きくなっていきました。
CBで頂点に上り詰めた男が、ボランチを任せられ、最初はまったく機能せず。しかし、持ち前の負けん気で、ボランチとしても主力になったり。

チームが残留争いをしている時、あまりの連敗続きに、直樹は1度、耳を両手でふさぎながらゴール裏の挨拶を通過した事がありました、あり得ない位追い詰められた形相で。
それほどまでに精神的に追い詰められる残留争い。
しかし、振り返ってみれば、シーズン途中に川口選手がポーツマスへ移籍し、小村主将も怪我をしたり。そんな逆境の中、チームを鼓舞して支えたのは直樹でした。

どんな状況でも、常にその壁を越え、一回りも二回りも成長するのが松田直樹。
だからこそ、私は、松本山雅での途中経過を見ず、横浜に帰ってきた時に、更に大きくなって帰ってきた姿に、驚きや喜びを爆発させたいと思っていました。
なので、あの12月4日以降、生はもちろん、メディアを通しても直樹を見る事はほとんどありませんでした。

だから、亡くなった、と言っても、なんだかピンと来ないのです。まだ横浜に戻ってきていない時間なだけな気もして。

そんな私も、喪主・松田正恵さんの挨拶を聞き、だめでした。
涙が止まりません、もう、この灼熱の桐生による汗なんだか、涙なんだか分からない程。

サッカーで悔し涙を流したのなんて、10年前の残留争い最終戦で残留した試合後以来です。試合後、残留できた喜びはまったくなく、1年間の悔しさがこみ上げて涙が止まらなかったあの時、二度と悔し涙は流すものか、と心に決めたハズなのに。
直樹が引っ張ってくれたシーズンに立てた誓いは、たった10年で、直樹のお母さんによって崩されました。

直樹のお母さんは、精神的に一番ツライ状況にも関わらず、気丈にも喪主の挨拶を立派にこなされ、さらに、その場に集まった皆に、丁寧にお辞儀をして回られました。相手の目をしっかり見ながら。

段幕を持つ私とも目が合い、深々とお辞儀されました。その目は、やはり直樹のお母さんらしく、しっかりしたものでした。


直樹のお母さんが奥へ戻られ、斎場の方から、終了のアナウンスがありました。


引き上げていく多くの方々。報道陣もその場の人にコメントを求めたりしつつ、ある程度時間が経った段階で撤収していきました。

でも、私たちには、最後にもう1つ、やるべき事があります。
その時が来るまで待っています。

告別式は終わりましたが、まだまだ駆けつけてくるサポーターも一杯いました。

最後に私達に出来る事の前に、サポーターの仲間が熱中症にならないようにと飲み物を差し入れで買ってきて下さったり。本当に感謝です。

時間まで私達は直樹がマリノスで戦ってた頃の話などをしながら、その時を待ちます、本当なら訪れては欲しくない時だという事と葛藤しながら。


そして、火葬が終わり、いよいよ直樹が実家に戻る時間になりました。


色々と調整して下さったサポーターやスタッフのお陰もあり、私達は最後に、幕と共に直樹を応援歌にて送り出す機会を頂けました。

直樹に対して直接、皆で応援歌を届ける最後の機会です。


報道陣は既に2時間半前の喪主の挨拶が終わって残務をこなした後、帰路についています。

そこに残っているのは、報道陣もいない、ファン、サポーターだけの、直樹への最後のコールの空間となるのです。


私達の幕も、多くの方が協力して持って下さいました、この場を借りてお礼申し上げます。


先ほどは不覚にも喪主挨拶の時に泣いてしまいましたが、直樹に直接捧げる本当のラスト。


見上げる空は限りなく青く広がっています。


勝利した試合後がいつもそうであったように。
嬉しい時のあなたがいつもそうであったように。

元気に自宅へ帰らせてあげたい。
そう心の底から思いました。


16時頃。

いよいよ、直樹が大好きだったサッカー人生を終え、実家に帰る時。

連覇の頃のコールリーダーから、直樹のお母さんからの伝言が伝えられます。

「サポーターの皆さんに直樹を元気に送り出して欲しい」と。


そして直樹を乗せた車は、遺影を抱える直樹のお母さんとともに、ホールの前を出ました。


私達は、長きに渡り歌い慣れたあの歌を、胸を張って澄み切った青空の下、歌い続けました。


その前を、直樹を乗せた車が走っていきます。

ほんの一瞬、しかし、コマ送りのように。


とても短くとても長い時間。


やがて下り坂のカーブですぐに見えなくなりました。


直樹コールで締め、私達の「儀式」は終了しました。



直樹がこの世を去った事。
これはどんなに歳月が経っても、悲しみが薄れる事はないでしょう。
ただ、稀代のサッカー小僧が横浜で16年もの歳月をプレーし、私達に多くのものを残していった事も、決して薄れる事はありません。


横浜とつながる桐生の空は相変わらず綺麗に澄み切っていました。

***


横浜Mへ同期で入団し、親友だった安永聡太郎氏(35)らが弔辞を読み上げ、安永氏が涙ながらに「オレは、まだまだ逝かないぞ。オマエの3人の子供は、オレが一生面倒みる。心配するな」と遺影に向かって呼びかけると、会場からは、すすり泣く声が漏れた。

出典:夕刊フジ 11/08/09 17:12「松田直樹さん告別式…チームのシャツまとい、穏やかな笑み」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110809-00000000-ykf-spo


***



※8/2からの流れで、本文との兼ね合いから、やまさんから頂戴しましたコメントに返信をするタイミングを逸しました。コメントを下さった事に対するお礼とともに、返信できないずに申し訳ありません。

また、このblogの他に、直樹に関してもう1本blogを上げる予定の為、コメントを頂戴できる事はブログを書く身としては非常にありがたい事なのですが、コメントに関しては返信しませんので、ご了承下さい。

まだまだ終わらないよ

私が松田直樹選手の事をblogで書いたのが、たかだか半年ちょっと前の今年1月14日。

http://blog.livedoor.jp/ada_chit/archives/2320091.html

昨年最終節、大観衆の中、直樹の言葉。

「俺、マジでサッカー好きなんすよ。マジでもっとサッカーやりたいっす。」

まだまだやり残した事だらけじゃないの?もっと大好きなサッカーやりたいでしょ。

直樹が元気な姿でピッチに戻る事を信じている。

本日、後半戦日程発表。+ちょこっとパラソル+おまけ

最近セブンイレブンの「ちぎりパン」をちぎらず食べる事にハマっている あだちです、こんばんは。

贅沢気分なのか、捻くれているのか(多分後者)。

さてさて本日8月2日は25節福岡戦以降最終節までの10試合分の日程発表です。
既に試合日と会場は発表されていますので、キックオフ時間の発表のみですが、時間が決まらない事にはそのうち4試合を占めるアウェイ遠征の計画も立てづらいと思うので、非常に重要です。

来季ACL出場などを考えると、今年から遠征費は切り詰めて貯金しておきたい所ですね。
特に本日発表分には、福岡、新潟、祝日の甲府(翌日平日)があります。

試合時間によっては日帰りにして出費を抑えたり、泊まりの場合は良い宿泊ツアー探したりと、色々動き出しがある事かと思います。

「シーズンまだ半分強の段階で」、という意見もあると思いますが、ACLはリアルにお金がかかるので、本日発表の後半戦日程は、今年のみならず来年のACLも想定して予定を立てるのに有効活用される事をオススメします。

(ちなみに、前回2年連続ACLに出た頃は貧乏学生で、お金はなくて時間はあったのですが、車の免許取得用に貯めていたお金がACLで2年連続消えました。以後、今度は時間の都合が付かず、結局未だに無免許です。なので、身をもって(笑)早めのACL貯金をオススメします。)

◎先日

土曜の大宮戦にて。
試合の事ではなく、ちょこっと別件を。

東神奈川から横浜線に揺られながら新横浜へ向かっていた所、菊名駅から、久々にお子さん連れのTさんにお会いしました。
前にお会いした時はまだまだお子さん小さかったイメージなのに、もうすっかり大きくなって、年齢を伺って、時が経つのは早いなぁ~、と思いました。
いかにもサッカー少年っぽい格好をしているお子さま☆
なんでも、お子さんが見に来ると(以前のシーズン含め)ほとんど負けないとの事。今年に限れば3敗しかしていないのですが、昨年以前も含めとの事なので巡り合わせが良いのでしょう。

さて、知り合いにスタジアムへ向かう途中ばったりという事はよくある事なのですが、なんでこの事をピックアップしたかと言うと。

話は、ちょこっとズレてトリパラの歴史。

詳しいことはまた別の機会に書く事があるのかもしれないですが(そして、ないのかもしれないですが(笑))、某氏と一緒にある試合を見ていた時、某氏が私に「パラソルやろうよ」と言い、「いいですね、やりましょう!」と相づちを打ったところ、ここで某氏からまさかのキラーパス。
「じゃ、あだち君、準備ヨロシク」。

そんなわけで良く分からないままパラソルを用意する事を1人任された2003年の私。
色々な人に「トリコロールなパラソルないですか?」と聞いて回ったわけですが、誰も持っていなく。さらに、季節も秋なので、ホームセンターにもなければ、海の家などやっていない頃。

そんな時にあったサポーターグループ間の飲み会の席にて。
たまたまTさん近くの席になった私。ダメもとで「トリコロールのパラソルないですよね?」と伺って見た所。「面白そうじゃん、用意できると思うよ。」と有り難いお言葉。

その直近の豊田スタジアムでの試合にて、Tさんは本当にトリコロールなビーチパラソルを持ってきて下さいました。

あの時、某氏の発案はもちろんの事、Tさんが実際にパラソルを用意して下さらなければ、今、横浜にトリパラの歴史はなかったのかもしれません。
(ここらへんに関連する事が、昨年のhamatra paper vol.65に載っています。)

(先ほど地震がありました、結構揺れましたが皆様大丈夫でしょうか?)

さて時を戻し先週末の大宮戦。

今まで大宮にはリーグ戦では1勝のみ。その1勝は三ツ沢での勝利でした。
そして土曜ついに大宮に日産で初勝利。大観衆、とは言えませんが2万人を越える観衆の中、試合後に沢山のパラソルが咲いていました。

Tさんのお子さん、お父さんが尽力された事が今スタジアム中にトリパラが開いている事と繋がっているだなんて知らないだろうけど、試合後にパラソルが咲き乱れる様子を見て喜んでいるのかなぁ~、なんて考えると、日産でやっと掴んだ大宮戦の勝利と共に、なんだかとても感慨深くなりました。

(おまけ)AM3:58 

なんだかんだで眠れないので、追記してみる。

さて、本日は8月2日。
03年の1stステージ優勝から早8年経ちました。
IMG_5746

あの試合は、日産関連の方々総動員で6万弱という観客動員数。

ゴールが入る度に2階からトリコロールの紙テープが舞っていました。

今年のシーズン末、超満員の中(なるだけ動員とかではなく)同じような光景が見られると良いなぁ~、と思うわけです。

(追記)12:29
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2011080200368
時事通信。
松田直樹選手が練習中に倒れ、緊急搬送。搬送時には意識がない模様。

必ず意識を取り戻して下さい!!

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