aikoのベストアルバム、二枚とも今amazonで予約できましたマツ(さん)です、の友達の あだちです、こんばんは。


名blog「マツの周り」の中の人から昨日頂戴したメールをほぼ転用しました。

さて、松田直樹選手に関して。
当初予定では、非更新やレンタル&完全移籍選手含め、一番最後に松田選手を持ってこようと思っていました。
しかし、まだ未決定の選手がいる事と、こちらの方が大きいのですが、今晩会う事になっている方々(特にあだち的2010年No,1名言のあの方)に読んで頂ければ・・・と思い。

また、先日かつおぶしの話題になったあの方もいらっしゃるとの事なので、一昨日撮った日本橋のかつおぶし専門店の写真も貼っておきます。
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そして、本題の前に断っておきます。ただでさえ長いあだちの文章が、いつも以上に長いです。それだけは事前に言っておきます。←ここの部分は、書き終わりが近づいてから思い出したように追加しました。

本題。

松田直樹選手。
基本的にあだちblogで登場する選手には、プロ選手であるという敬意として、「○○選手」と記載してきました(途中うっかりミスで「選手」の表記が抜けている所があるのも事実ですが。)
しかし、今回はあえて敬称略で「直樹」と書かせて頂きます。あだちの中では、この表現の方がしっくり来ますし、妙な言い回しですが、「選手」と付けるより、彼に限っては「直樹」の方が最大に称えている気がしてならないからです。


話は遡ること1994年。
ヒゲさんが直樹の話をする時に、何度もヒゲさんから聞いた話です。

何チームからもJチームからのお声掛けの噂がある前橋育英高の「松田直樹」が気になり、ヒゲさんは、前橋育英の試合をわざわざ見に行ったそうです。
ところが!試合会場に着いてみると、直樹の姿がありません。
なんと、世代代表に呼ばれて、直樹は不在だったそうです。
「え!松田直樹いないの!?」とヒゲさんが驚いていると、なんと偶然にも直樹のお母さんに試合会場で会えたそうです。
「マリノスのファンだけど、松田直樹が気になって試合見に来たのにいないなんて残念です。」という旨の話を直樹のお母さんに話した所、「わざわざ直樹を見に来て下さったなんてありがとうございます、直樹に伝えておきます。」と言って下さったそうです。
その後、マリノスへの入団発表。故に、ひげさんは、時たま自分が直樹を横浜に呼んだくらいの事を言う時があります。

入団以降の横浜の象徴を今更事細かに書く必要はないでしょう。
3度のリーグ優勝などの絶頂や、僅か勝ち点3差で最終節に残留を決めたどん底など、多くの時間を伴にしてきました。16年の歴史は非常に濃いです。

「生涯マリノス」宣言をしていた直樹。
激震が走ったのは、2010年11月28日。(本人には11月27日夜)。
朝にネットのニュースで直樹の契約非更新を知り、昼過ぎに本社で行われた説明会に、あだちも参加していました。

その時のblogはこちら。
http://blog.livedoor.jp/ada_chit/archives/1762217.html

上記のリンクは、なるべくblog用に、感情論などをカットして、説明で述べられた論点をまとめたものです。
実際会議室の空気は悲しみに包まれとても重く、常にすすり泣く声が響いていました。
あだちは、なるだけ冷静にいようと心がけていました。

あとは多くの方々がリアルタイムで怒濤の11月末~12月を迎えられた事と思います。

blogにもあげましたが、あだちが所属するサポーターズグループの横浜屋根下では、横浜の象徴である直樹を称え、最終節に2つの横断幕を用意しました。
その一部が書かれているblogがこちら。
http://blog.livedoor.jp/ada_chit/archives/1825909.html

その中でも記載していますが、決してこの幕は、「さよなら」系ではありません。どんな事があっても、直樹は俺達の直樹というメッセージでした。

その後は、嘆願書が2万名を越える署名を集め、試合後社長へと渡り、カンファレンスが開催され、その場でもフロントの方からは、改めて、再検討の結果、再契約はない、という話を受け。

そして、年が明け、1月9日に、松本山雅FCへの移籍が発表されました。

あだちblogを交えての時系列としてはそんな感じです。


ここで話の流れが変わり始めますが、あだちは非常にポジティブな思考の持ち主です。どんなに辛い事があっても前向きにすぐ捉えますし、誰かに嫌な事をされても(怒りはしますが)、「きっとこの人にもどこか良い所がある」と考え、人を嫌いになる事がありません。
反面、ポジティブ過ぎるので、資格試験などでも「ま、また次回受ければいいさ」と、ポジティブさが甘さを生んでしまう事もあります。

また、小学校の時に、あゆみ(成績表)で全部「がんばりましょう」(オール1)を取った事ある位にベースの地頭が弱い為、自分で書く文章はまとめるのが苦手な上に、難しい話や複雑な答えは苦手です。故に、ロジカルな物を好みます、理路整然としていると分かりやすいので。

なので、このblogでも、長くダラダラと書きながらも、論理的な箇所は多目に埋め込んできたつもりです。

そんな前置きの上で、あだちが今回の件で思った事を書きます。
(前半部分と後半部分で流れが変わるので、駄文な上に長文ですが、最後まで宜しくお願いします。)

まず、非更新理由で言われた事など。論理的には結構あだちの中では頭では理解しています。
例えば、若手にチャンスを与える為にベテランを切るという話。
本来ならば、若手が実力でベテランを追い抜き、ポジションを勝ち取るのが勝負の世界でしょう。
ただし、ベテランがいる事が、若手にとって甘えを生み出している事に繋がっているなら、話は変わってくると思います。
組織改革を本気でやるならば、時としてマリノス云々に限らず、「血の入れ替え」は必要な時は訪れると思います。
特に、優勝から遠ざかり、監督の首を毎年のようにすげ替える。それなのに一向に結果は中位で停滞している。
未だに随分前の優勝、ACLを戦った選手がチームの中心に位置しているというのは、チームとして問題という事も理解できます。
事実、6シーズンもマリノスは無冠です。監督の首をすげ替えても一向に向上しない。
その間、若手がベテランを追い抜き、という事があまり無かったのは事実なので、この荒治療は選択肢の1つでは組織を運営する者としてありだと思います。

そして、改革をやる以上、中途半端な事をスタートにやるとその後が躓きます。2011シーズンからの3カ年計画(概要を知ったのは1月1日に出た社長の文章ですが。)をやると決めた以上、ハッキリとした改革を最初に示さなくてはいけません。
現場レベルの事で、チームが最初に取ったのは、監督の続投。ほぼ毎年代えていた監督を据え置いたという以上、現場で変える箇所は、選手になってしまうというのもあだちの中では理解できなくはないです。

また、嘆願書の件。
先に言っておきますが、あだちは嘆願書に署名をしました。再契約してもらえる事を願って。

但し、そういった私情を除いた時に、嘆願書は意味があるもの(また後述しますが)でありますが、組織として本気で改革を行うのであれば、2万名を越える署名がわずか1週間で集まった事実とは別の次元の所で判断しなくてはならないと思います。
改革を行うとし、話では現場に関しては一ヶ月くらい掛けて来期編成を究極に吟味した、という事であるならば、変えてはなりません。意地を張ると紙一重的な部分はあると思いますが、絶対の自信を持って、各人が責任を持って話し合い決めた事であるならば、どんな事があろうと、組織のトップはブレては行けません。
署名の重みは受け止めつつも、ここは組織として遂行するまでです。当然に、絶対の自信と、責任を持って約束した事の職務を全う、結果を残しながら。
なので、嘆願書の結果、再契約に進まないという事はあだちの中でも、覚悟していた事でした。

以上がフロントからの説明で「頭」で理解した部分。

事前に、本気でフロントがチーム改革をやる気でいるならば、嘆願書を受け取っても、再契約はならないと「頭」では覚悟していても、「心」では、直樹が2011年もトリコロールを身に纏い、全身でチームを鼓舞する姿を見たくて見たくて仕方なかったのです。
確かに「マツの周り」blogのマツさんのエントリー「松田直樹という存在」
http://blog.livedoor.jp/matsu_3/archives/51893142.html
の前半部分にもありますが、

・時に我を忘れて審判に抗議したり
・持ち場を離れて攻撃参加をしたり
・ベテランの域に達しながらもどこかプロフェッショナルに徹しきれない

のもそうですし、
面倒だからとオールスターをサボったり、
トルシエ監督とケンカして無断帰国したり、
また、ここ数年、怪我も多くなり、90分フルで戦う事が厳しかったり、スピードで負けたり、尻もちついたりetc。
そんな色々を含めて、直樹は直樹であり、彼がミスターマリノスなのです。
前述の論理立った理由なんて関係なく、彼が松田直樹であるだけで、あだちにとって嘆願書に署名するには十分過ぎる理由だったのです。

あだちが一昨年読んだ本の中に、「戦後世界経済史(猪木武徳著・09年)」という本があります。
戦後の世界経済史を、政治の流れ、経済の流れを踏まえて、どのように戦後経済の歴史が流れてきたかが非常にロジカルに説明なされている本です。
その中の「経済統合とグローバリズム」という章の中に、「憲法のない国家」という項目があります。
内容としては、EUの話です。ヨーロッパ連合として発足したEUは規模を拡大し、通貨統合も行い、では、最終的にどのような国家を目指すのか、という内容の書き出しで始まります。
そして、一般的に考えて、どのような国家を目指すかは、その国の論理の集約である「憲法」が形作る、と前半では述べています。
しかし、EUは06年にEU憲法の発効を目指していましたが頓挫します。
そして再出発として、07年に「改革条約」というものが合意されます。
著者は、この「改革条約」の内容で、一番重要な箇所は合意文章の冒頭で「憲法の概念は放棄された」と宣言されている所であると書いています。
あだちが気に入っている文章はその後に続くところです。そのまま内容を抜き出します。
「憲法をめざさない国家」としてのEUが再出発を始めたという点では、この「新基本条約」の意味するところは大きい。筆者は、この「憲法のない国家」の意味を何人かのヨーロッパの識者に尋ねたことがある。返ってきた答えの中に意外なものがあった。「憲法がなぜそれほど重要なのだ。歴史的に見ても、憲法が重要だったのは、専制君主の権力を制約する必要があった時代だ。現代のヨーロッパには専制君主は存在しない。それに憲法があっても、独裁者が出現しないと誰が保障してくれるのだ。ヒトラーをごらん。」憲法に論理と首尾一貫性があるのは当然であり、あらゆる法律は憲法から演繹されると思い込んでいた筆者には、虚をつかれるような考えであった。
(戦後世界経済史 自由と平等の視点から:中公新書2000 猪木武徳 2009年:P346L2~9)

結局の所、何が言いたいのかというと、いくらあだちが論理的に頭で理解しようとも、時として、物事は論理を越える事があります。前述の通り、今回の一連のフロントの考えは頭では理解しました。しかし、やはり心では、論理を飛び越え、直樹が直樹であり、ミスターマリノスである、というだけで、嘆願書に署名を書き込む理由には十分過ぎたのでした。 


ここでまた話は若干方向転換をし。
随分前の箇所になってしまいましたが、あだちは非常にポジティブな思考の持ち主です。
カンファレンスの場に置いて改めて、再契約はない、と回答を頂きました。
また、最終節で直樹の口からも、
「俺、マジでサッカー好きなんすよ。マジでもっとサッカーやりたいっす。」と。
そして松本山雅FCへの移籍発表。

たぶん、どんなに時が経っても、代表ユニの時ですら違和感を感じていたあだちなのでトリコロールのユニホーム以外の直樹に違和感を感じ続けることでしょう。

そして、少し前に後述すると書いた嘆願書の話。
嘆願書で再契約にはならなかったけど、皆の直樹に対する気持ちは、ファン、サポーターが再確認するとともに、フロント、選手、そして直樹本人に届いたと信じています。決して無駄だった、という事はないと思っています。


そして最後に。

今回の移籍に関して、「お疲れ様」や「今までありがとう」は言わないよ。
それは最終節の横断幕で出した通り、どんな事があっても、直樹はミスターマリノスで、俺達の松田直樹だから。

どんな形になるか分からないけど、それが現役であったり、はたまた監督であったり。コーチであったりスタッフであったり。もしかしたらOB戦なのかもしれない。
直樹は必ず横浜に帰ってきてくれる、そう信じている。まだ、直樹の横浜での歴史は書き途中に過ぎない。
だから、絶対に「さよなら」なんて言わないよ。

曲に対する思い入れは人それぞれだから、リンク入れるか迷ったけど、入れちゃいます。この歌の一番最後の節が、あだちの気持ちを一番表していると思うので。ぜひ聴いてから読み進めて頂けると幸いです。

B’z 「さよならなんかは言わせない」




直樹が移籍コメントの中で「横浜F・マリノスのことを、これからもずっと応援していきます。」と。

松田直樹が愛した横浜F・マリノス。

そして、俺らも愛し続ける横浜F・マリノス。

一ファン・サポーターの力は微力かもしれないけど、7万人の仲間を味方に出来る日本最大のスタジアムがあり、400万人のホームタウン、そして日本、世界中の横浜F・マリノスを愛する仲間たち。
皆で協力して、前へ突き進んでいきたいと思う。

いつか直樹が横浜に帰ってきた時、クラブ全体を巻き込んだ進化した最高の応援の中、横浜での「松田直樹・第2章」のスタートを祝福したい。
そして、第1章以上の思い出を一緒に作って行こうよ。

直樹、行ってらっしゃい。