まずは、松田直樹選手のお通夜・告別式を、私達ファン、サポーターにも参列の機会を下さった直樹のご家族の皆様、厚く御礼申し上げます。

直樹に関しては呼称含め、1つ前(8/2)blogに掲載した過去(1/14)blogの通りです。
http://blog.livedoor.jp/ada_chit/archives/2320091.html

その直樹の訃報を受け、8/8のお通夜と8/9の告別式に参列してきました。

8日夕方、私は電車を乗り継いで、桐生市斎場へ到着しました。
開始前にも関わらず、非常に多くの参列者。
ファン、サポーターはもちろん、多くのサッカー仲間の盟友や著名人。
どれだけ直樹が慕われていたかが本当に分かります。
これが本当にお通夜なのか?こんなに多くの人が平日にも関わらず集まるなんて。報道陣も山のようにいて。
参列者の表情さえみなければ、それはJリーグアウォーズではないか?という位に。直樹がMVPでも獲るんじゃないか?その為の盛大などっきりなら、絶対に許してしまう。

そして18時。木魚の音とお経の声がかすかに聞こえ、現実を噛みしめます。

お通夜が営まれるホールの外側にファン、サポーター用の祭壇が設けられ、その奥ではホールの中の、きっと多くの方がニュース映像でご覧になられたと思う02年代表時のガッツポーズをする直樹の遺影がハッキリと目に飛び込んできました。

焼香を行い、直樹に対して心の中でメッセージを送り。

その後は少し会場敷地内で、他のファン、サポーター仲間と言葉を交わし、翌9日の告別式の話を伺ったりし、まだまだ夜遅くまで桐生市斎場へ向かっている仲間全てにお会いする事はできないまま、翌日の事もあるので、仲間の運転する車に乗車させて頂き、夜中、帰浜しました。

色々な準備等で、とんぼ返り状態でしたが、バタバタしつつ、9日は朝に仲間の車に乗せて頂き、再び斎場へ。

とにかく暑い。風もほとんど無風で、照りつける暑さを感じます。漢字は違いますが、熱い直樹をイメージするには前日のお通夜の雷と異なり、ピッタリな天気となりました。

告別式の列に参列し、昨日同様にホールの外からホールの中の直樹に心の中で、同じ事を呟きました。列を並びながら、一生懸命、昨日のお通夜で言い残した事はないか?と考えたりしましたが、やはり同じ言葉になりました。

その後しばらく経ち、告別式は終了し、直樹は併設されている火葬場の方へと移動し、その間に、喪主・松田正恵様より、喪主のご挨拶がありました。ニュース映像でご覧になられた方も多い事と思います。

私達はその時に、「俺たちの松田直樹」という幕を出しました。

ちょうどスポニチアネックスさんに記事が出ていました。

松田直樹さん葬儀・告別式

 喪主の母・正恵さんは「なぜ、あのような息子を熱狂的ファンが応援して下さるのか、不思議でございましたが、皆さまに愛されていることに気がつきました。直樹には本当に本当にありがとう、と言いたい」とあいさつ。斎場に集まったサポーターは「俺たちの松田直樹」などの横断幕を手に「直樹コール」を送った。

 松田さんは家族の見守る中、荼毘(だび)に付されたが、その雄姿はみんなの記憶の中で生き続けるに違いない。

出典:スポニチアネックス 11.08.10 9:04
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/08/10/kiji/K20110810001383990.html


画像URLはこちら。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/08/10/gazo/G20110810001382590.html

この幕に関しては、昨年12/6のblogに記載してあります。(1度ご覧頂いてから読み進めて頂けると幸いです。)
http://blog.livedoor.jp/ada_chit/archives/1825909.html

契約非更新問題の時に作った直樹に対する12/4の最終節大宮戦用の一発幕でした。

その後、カンファレンスがあり、年が明け、JFLの松本山雅FCに新天地をうつしました。

そういった中で、当初残留を望む一発幕であったこの幕は、私達の中で、直樹が帰ってくる日に出す幕となりました。
直樹には、私達から直接ではありませんでしたが、ある方経由でこの幕と幕に書かれたメッセージの写真を直樹に渡して頂きました。幕は、直樹が帰ってきた時にスタジアムに出す旨を書いたメッセージを添えて。

なので、本来であれば、1月14日記載のblogの通り、山雅でのキャリアを終え、現役であったり、はたまたOB戦であったり、場合によっては、監督として再びトリコロールの旗の下に帰ってきた時に掲げる為の幕として、保存していました。

そういう目的であったが為、最後は結果、松本山雅FCになりましたが「俺たちの松田直樹」幕であった理由です。

話は喪主挨拶に戻り。

既にニュース映像で喪主の松田正恵さんの挨拶は流れているのでご覧になられた方も多いかと思います。

私は、8月2日の直樹が倒れた、というニュースを知った昼前以降、訃報後のキクマリの正治さんの涙に危うくもらい泣きしかけましたが、訃報を聞いた以後も、お通夜、告別式で焼香を上げて直樹にメッセージを伝えた時も、一切涙は出ませんでした。

それはやはり、既述の通り、直樹はいつか、どんな形であれ再びトリコロールの旗の下に帰ってくると思っていたので、どこか現実味に欠けていた事もあります。

また、必ず帰ってくると思っていたので、私が直樹を最後に見たのは12月4日の大宮戦のセレモニーでした。
松本山雅が近くで試合をやっていて行ける所でも、行かず。
非契約発表以降、様々なニュース番組や山雅に入る迄のドキュメンタリーや、山雅に入って以降のテレビやネットでの松田直樹特集も、ほとんど目を通す事はありませんでした。

それは、直樹だったから。
彼は年齢を重ねても様々な事を吸収し、プレーの幅を広げ、選手としてもどんどん大きくなっていきました。
CBで頂点に上り詰めた男が、ボランチを任せられ、最初はまったく機能せず。しかし、持ち前の負けん気で、ボランチとしても主力になったり。

チームが残留争いをしている時、あまりの連敗続きに、直樹は1度、耳を両手でふさぎながらゴール裏の挨拶を通過した事がありました、あり得ない位追い詰められた形相で。
それほどまでに精神的に追い詰められる残留争い。
しかし、振り返ってみれば、シーズン途中に川口選手がポーツマスへ移籍し、小村主将も怪我をしたり。そんな逆境の中、チームを鼓舞して支えたのは直樹でした。

どんな状況でも、常にその壁を越え、一回りも二回りも成長するのが松田直樹。
だからこそ、私は、松本山雅での途中経過を見ず、横浜に帰ってきた時に、更に大きくなって帰ってきた姿に、驚きや喜びを爆発させたいと思っていました。
なので、あの12月4日以降、生はもちろん、メディアを通しても直樹を見る事はほとんどありませんでした。

だから、亡くなった、と言っても、なんだかピンと来ないのです。まだ横浜に戻ってきていない時間なだけな気もして。

そんな私も、喪主・松田正恵さんの挨拶を聞き、だめでした。
涙が止まりません、もう、この灼熱の桐生による汗なんだか、涙なんだか分からない程。

サッカーで悔し涙を流したのなんて、10年前の残留争い最終戦で残留した試合後以来です。試合後、残留できた喜びはまったくなく、1年間の悔しさがこみ上げて涙が止まらなかったあの時、二度と悔し涙は流すものか、と心に決めたハズなのに。
直樹が引っ張ってくれたシーズンに立てた誓いは、たった10年で、直樹のお母さんによって崩されました。

直樹のお母さんは、精神的に一番ツライ状況にも関わらず、気丈にも喪主の挨拶を立派にこなされ、さらに、その場に集まった皆に、丁寧にお辞儀をして回られました。相手の目をしっかり見ながら。

段幕を持つ私とも目が合い、深々とお辞儀されました。その目は、やはり直樹のお母さんらしく、しっかりしたものでした。


直樹のお母さんが奥へ戻られ、斎場の方から、終了のアナウンスがありました。


引き上げていく多くの方々。報道陣もその場の人にコメントを求めたりしつつ、ある程度時間が経った段階で撤収していきました。

でも、私たちには、最後にもう1つ、やるべき事があります。
その時が来るまで待っています。

告別式は終わりましたが、まだまだ駆けつけてくるサポーターも一杯いました。

最後に私達に出来る事の前に、サポーターの仲間が熱中症にならないようにと飲み物を差し入れで買ってきて下さったり。本当に感謝です。

時間まで私達は直樹がマリノスで戦ってた頃の話などをしながら、その時を待ちます、本当なら訪れては欲しくない時だという事と葛藤しながら。


そして、火葬が終わり、いよいよ直樹が実家に戻る時間になりました。


色々と調整して下さったサポーターやスタッフのお陰もあり、私達は最後に、幕と共に直樹を応援歌にて送り出す機会を頂けました。

直樹に対して直接、皆で応援歌を届ける最後の機会です。


報道陣は既に2時間半前の喪主の挨拶が終わって残務をこなした後、帰路についています。

そこに残っているのは、報道陣もいない、ファン、サポーターだけの、直樹への最後のコールの空間となるのです。


私達の幕も、多くの方が協力して持って下さいました、この場を借りてお礼申し上げます。


先ほどは不覚にも喪主挨拶の時に泣いてしまいましたが、直樹に直接捧げる本当のラスト。


見上げる空は限りなく青く広がっています。


勝利した試合後がいつもそうであったように。
嬉しい時のあなたがいつもそうであったように。

元気に自宅へ帰らせてあげたい。
そう心の底から思いました。


16時頃。

いよいよ、直樹が大好きだったサッカー人生を終え、実家に帰る時。

連覇の頃のコールリーダーから、直樹のお母さんからの伝言が伝えられます。

「サポーターの皆さんに直樹を元気に送り出して欲しい」と。


そして直樹を乗せた車は、遺影を抱える直樹のお母さんとともに、ホールの前を出ました。


私達は、長きに渡り歌い慣れたあの歌を、胸を張って澄み切った青空の下、歌い続けました。


その前を、直樹を乗せた車が走っていきます。

ほんの一瞬、しかし、コマ送りのように。


とても短くとても長い時間。


やがて下り坂のカーブですぐに見えなくなりました。


直樹コールで締め、私達の「儀式」は終了しました。



直樹がこの世を去った事。
これはどんなに歳月が経っても、悲しみが薄れる事はないでしょう。
ただ、稀代のサッカー小僧が横浜で16年もの歳月をプレーし、私達に多くのものを残していった事も、決して薄れる事はありません。


横浜とつながる桐生の空は相変わらず綺麗に澄み切っていました。

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横浜Mへ同期で入団し、親友だった安永聡太郎氏(35)らが弔辞を読み上げ、安永氏が涙ながらに「オレは、まだまだ逝かないぞ。オマエの3人の子供は、オレが一生面倒みる。心配するな」と遺影に向かって呼びかけると、会場からは、すすり泣く声が漏れた。

出典:夕刊フジ 11/08/09 17:12「松田直樹さん告別式…チームのシャツまとい、穏やかな笑み」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110809-00000000-ykf-spo


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※8/2からの流れで、本文との兼ね合いから、やまさんから頂戴しましたコメントに返信をするタイミングを逸しました。コメントを下さった事に対するお礼とともに、返信できないずに申し訳ありません。

また、このblogの他に、直樹に関してもう1本blogを上げる予定の為、コメントを頂戴できる事はブログを書く身としては非常にありがたい事なのですが、コメントに関しては返信しませんので、ご了承下さい。