2008年01月31日

白い巨塔

 本日、「白い巨塔」の再々放送?が最終回でした。つい、嵌ってみてしまいました。
 「白い巨塔」は、山崎豊子さんの長編小説で1963年9月15日号から1965年6月13日号まで、『サンデー毎日』に連載されたものがきっかけです。
 白い巨塔と言えば、1978年の田宮二郎さんが演じた財前五郎が印象に残っています。2話をのこして壮絶な猟銃による自殺をはかったことが印象に強く残っているのかもしれません。
 この白い巨塔は、産婦人科医にとっては見るに耐えないドラマで、産婦人科医といえば「金満」のイメージがつきまといますが、特にこの西田敏行さんの財前又一は本当にはまり役でした。産婦人科医の名誉でいえば、産婦人科医はこれほど金は持っていません。慎ましく生きている人がほとんどです。このドラマの時代の1960年代は、お産も多く本当に金持ちだったのかもしれませんが......
 常に産婦人科医と言えば、描かれるのが「金満」「卑猥」ですので、どうも許せません。世の中の皆さんは産婦人科医と言えばこういうものかとの固定イメージが出来てしまいました。木村拓也さん主演で、さわやか産婦人科医のドラマでも撮ってて貰うとよいのでしょうが。これも、産婦人科医不足の一員かもしれません。
 ただ、医学的には肺の断層撮影がCTに置き換わっていましたが疑問に思うことが多々ありました。私は癌を取り扱うのが嫌で産科医となりました。癌の専門医ではありませんが、腑に落ちない場面が多くありました。最近は遠隔転位があっても、原発巣を獲りにいきます。もちろん、化学療法や放射線療法で完治する癌もありますが、私は切除できなければ終わりだと思っています。リンパ節転移もない癌が遠隔転位していて、早期に死に至ることなど予測できませんし、通常食道癌は扁平上皮癌ですが、このタイプなら放射線療法も効いたでしょうが、この患者さんの場合は希な腺癌ですので、手術療法が第一選択だと思います。また、食道癌は進行すると嚥下障害がでますので、それをなくすためにも切除できるのであれば切除した方がよいと考えます。
 また、財前五郎の傲慢さは鼻につきますが、実際教授が執刀する場合でも、責任者は担当医です。担当医がきちんと説明できていないことが、大きな問題と思います。
 産婦人科医としては何となくイメージが悪いので見たくない番組ですので、初回放送は見ませんでしたが、つい嵌って見てしまい、少し反省していました。
 しかし、ドラマとしてはおもしろかったですね。  

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2008年01月30日

出産直前心筋梗塞救う 湖西病院と浜松医療センター

 私は、心筋梗塞合併妊娠の患者さんの経験はありません。本当に希な事なのでしょうが、妊婦の血液は凝固しやすいので可能性としてはあり得ることです。
 しかし、大腿部の深部静脈血栓症の患者さんは経験したことはあります。循環器内科・外科は心臓など中枢の血管をを扱うのが基本ですので、末梢の血管を扱う診療科は「血管外科」と言うことになります。北九州市で末梢血管外科の診療科があるのは、新日鐵記念病院、済生会八幡病院が有名です。その当時は、済生会八幡病院がお産の取り扱いをしていましたので、済生会八幡病院でお世話になりましたが、この両病院は現在お産の取り扱いをしていませんので、今後このような症例があった場合は対処を悩まなければなりません。
 何はともあれ連携が上手くいき、母児ともに命が救えて良かったですね。北九州市なら、小倉記念病院で心筋梗塞の治療をして、その後北九州市立医療センターに搬送して出産をしたという構図になるのでしょう。しかし、北九州市でこの疾患があった場合、医療センター1カ所で事が足りますので、病院の連携は必要ありません。医療センターには産婦人科、新生児科、循環器内科、循環器外科がありますので1つの施設で対処が出来ます。北九州市は、本当に恵まれている市と言えます。
 ところで、この浜松医療センターの浅野先生は以前濱口産婦人科の副院長をされていた先生ですね。懐かしく感じました。ヘッドハンティングで引き抜かれたと聞いていましたが、ここで活躍されていたのですね。鹿児島市立病院で研修されたとのことですから、その伝統でしょうが新生児科は小児科医でなく産婦人科医が診ています。すこし、おもしろい職場の形態です。
 
出産直前心筋梗塞救う 湖西病院と浜松医療センター
http://www.shizushin.com/local_social/20080126000000000023.htm
2008/01/26

 出産直前に心筋梗塞になった湖西市内に住む妊婦(38)が産科休診中の共立湖西総合病院(同市鷲津)から県西部浜松医療センター(浜松市中区富塚町)に救急搬送され、無事出産を終えて母子ともに一命を取り留めていたことが25日、分かった。妊婦の救急搬送で“たらい回し”が問題化する中、医療関係者は「病院間の連携が奏功した成功例」と話している。
 両病院の医師によると、昨年11月10日夕、出産予定日を過ぎた妊婦が湖西病院に「胸が痛い」と受診。浜松医大第3内科から派遣されていた同病院当直医の河島広貴医師(36)=循環器科医=が診察したところ心筋梗塞と判明した。河島医師は詰まった血管を風船で膨らませるカテーテル処置を施した後、医療センターに連絡。医療センター側は受け入れを即決し、女性は翌朝、自然分娩で無事女児を出産した。
 医療関係者によると、妊婦の心筋梗塞は非常に珍しい症例だが致死率40%といわれる。湖西病院の産科は休診で、女性は浜松市西区の産婦人科医院に通院する“お産難民”。河島医師は「医療センター側がすぐに受け入れ可能であることを示してくれたので無駄な時間がなかった」と話し、医療センター周産期センター長の浅野仁医師(45)は「処置が遅れれば、母子ともに命にかかわる状況だった」と胸をなで下ろした。女性は「たらい回しの問題があり不安だったが、両病院の医師がしっかり対応してくれたので2つの命が助かった」と喜んでいる。

  
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2008年01月29日

憂楽帳:立ち会い出産

 私の知人でもあります。池川先生のお話が載っていました。池川先生は、「胎内記憶」の研究をされています。私は本当だと思っていますが、「そんなはずはない」と思っている方もおられるかもしれませんが、是非一度本をお読み下さい。
 「子どもは親を選んで生まれてくる 」http://www.amazon.co.jp/子どもは親を選んで生まれてくる-池川-明/dp/4531064070/ref=pd_bbs_sr_1?ie=UTF8&s=gateway&qid=1201409127&sr=8-1
 「ママのおなかをえらんできたよ。http://www.amazon.co.jp/ママのおなかをえらんできたよ。-池川-明/dp/4576042076/ref=pd_bbs_sr_2?ie=UTF8&s=gateway&qid=1201409191&sr=8-2
 様々な本が出ています。本を読むと、少し価値観、意識が変わるかもしれません。
 祖母の世代が辛いお産をしていたことは事実です。戦後、自宅分娩から施設分娩に変わっていき、その当時は医者や助産師が威張っていて、ずっと付き添ってお世話をするお産はありませんでした。痛いというと助産師から怒られ、ほったらかしにされてお産自体を辛いと思う人がかなりおられるます。そのため自分の子供のお産の時に自分の辛いお産の記憶しかなく、なかなかお産と向かい合えない方が多いのです。
 大阪大阪府立母子保健総合医療センターの新生児科の北島博之も同じ事を言われます。祖母が娘のお産に立ち会うことにより、親子関係が劇的に改善され、孫が本当に可愛く思えるようになると。
 しかし、当院ではまだそこまでは行っていません。夫および子供までしか立ち会い分娩を許していません。祖母がいると明らかにネガティブパワーを送っている様子がありありとみえ、本当に難産となるからです。もちろん、ポジティブパワーを出す立派な祖母もおられます。そのうち本人が望むのであれば、誰でも立ち会えるようにしようと思っていますが、今のところは当院では行うつもりはありません。
 ただ、この記事を書いた記者の考えかもしれませんが、「経過が順調なら放置、異常があれば即、帝王切開」というのは間違いかなと思います。その当時は、即座に帝王切開という選択肢はなかったように思います。
 このことは、一度池川先生に先生の考え方なのか直接聞いてみようと思います。

憂楽帳:立ち会い出産
http://mainichi.jp/select/opinion/yuraku/news/20080122k0000e070058000c.html
 「五体不満足」の著者、乙武洋匡(ひろただ)さんが長男の誕生に立ち会った様子を、女性誌が報じている。陣痛の間じゅう妻の背をさすっていたらしい。心温まる光景だ。しかし私の目撃した立ち会い出産では、妻が痛みを怒りに変え、夫にぶつけていた。「頑張れ」「頑張ってるわよッ!」という調子。
 横浜市金沢区の池川クリニックでは家族がお産に立ち会える。「命は日常に近い形で迎えたいから」と池川明院長。その場で最も劇的な反応を示すのは、大抵「産婦の母」だという。「ぎくしゃくしていた母娘関係が一気に修復されることも、珍しくありません」
 夫とは対照的に、母は全員が出産経験者だ。しかし「経過が順調なら放置、異常があれば即、帝王切開」をされた世代。「つらいお産の記憶をもつ人も多い。孫の幸せな誕生によって、産み直した気分になれるようです」
 生まれることで祖母をも“再生”させ、家族のきずなを強める……赤ちゃんは、つくづく偉大だ。立ち会いに向かない夫をもつ産婦にはぜひ、母の立ち会いを勧めたい。【斉藤希史子】
毎日新聞 2008年1月22日 12時44分

  
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2008年01月28日

子どもが産めなくなっていく!

 久しぶりに難産がありました。吸引分娩+圧出分娩で、私含めスタッフはぼろぼろです。私は、全身筋肉痛に苦しんでいます。救いは、赤ちゃんが元気に生まれたこと、最後まで心音が下がらなかったことです。
 妊婦さんの体重は12kgも太り(元々太り気味の患者さんです)、あまり運動もされていない患者さんでした。産まれてみると体重が3800gオーバーというビッグベビーでした。42週近くになっても、児頭は骨盤内に陥入せず、通常は赤ちゃんは仰向けに寝ていると顔は下向きになるのですが、ずっと赤ちゃんは上向きで(前方前頭位)回旋異常もありました。推定体重は3300gでした。3500g以上は中々当たりません。
 自己節制して、可能な限りの努力をお願いします。やはり、安産がよいですから。
 しかし、どこも、ここもこんなニュースが落ちています。ようやく国民が気付いたのかな?とも思います。厚労省も認めたくはないが、やむを得ないという感じになりつつあります。最近、病院見学をと言う患者さんも少なくなってきました。神奈川県など、「お産難民」が発生している地域からの里帰りの分娩予約は大体10-12週くらいには連絡があります。当院で出産された方の分娩の依頼は基本的にお断りすることがありませんが、かなり厳しい月もありますのでなるべく早めに分娩予約をされてください。


子どもが産めなくなっていく!
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/14192.html

 産科の医師不足が深刻化し、出産できる病院・診療所の数が年を追って減少している。日本の分娩施設数について、厚生労働省は2005年時点で全国に約6,000か所と発表していたものの、実際には約3,000か所に過ぎないことが開会中の国会でも取り上げられた。身近な地域に分娩施設がなく、救急搬送中の車内等で出産するという事例も報告されるなど、地方を中心に各地で「お産難民」が急増しているという。少子化対策が国の重要な課題となっている中、産科の正確な実態把握はもとより、国が産科医療の提供体制を早急に整備することが求められている。
 厚生労働省は3年に1度の割合で「医療施設(静態・動態)調査・病院報告の概況」を発表。それによると、産婦人科・産科を標榜する病院・診療所は、96年に7,302、99年に6,829、02年に6,398、05年に5,997と、調査をする度に施設数が減少していた。このうち、実際に分娩を実施した施設数でも、96年が3,991(54.7%)、99年が3,697(54.1%)、02年が3,306(51.7%)、05年が2,933(48.9%)というように段々と少なくなっている。
 一方で、厚労省が公表している数値は現実を正しく反映していないなどと、日本産科婦人科学会が詳細な全国調査を実施。その結果、分娩を取り扱う施設は、05年時点として同省が示している約6,000の半分強の3,063に止まっていることが分かった。同学会・学会のあり方検討委員会などの調査の結果では、93年からの約13年間で約3割も減少。同学会によると、この間の出生数の減少率は12%で、分娩施設の減少の方が迅速になっている。
 同学会の「分娩施設における医療水準の保持・向上のための緊急提言」では、分娩施設減少の原因として、診療所では、診療所医師の高齢化▽訴訟圧力の増大▽医療水準維持のための経費増大と、これに応じた分娩料適正化が遅れていることによる経営難−などがあると指摘。病院では、医師の労働量の増加▽04年に導入された臨床研修の必修化に伴う新規専攻医師の2年間にわたる不在。その結果として産婦人科医師の減員。勤務の過酷化▽低水準の給与▽中堅医師の退職・転職の増加−などを挙げている。
 開会中の通常国会では、1月23日の代表質問で市田忠義・参議院議員(共産党)が「出産できる病院・診療所は2006年までの5年間で6,398か所から3,063か所に激減している」などと質問。「医療崩壊」を引き起こしている深刻な医師不足を解決するために、医師増員に踏み出すことを福田康夫首相にただした。
 産科をめぐっては、「産科が相次いで閉院し、市外まで行かなければ出産できない」、「50キロ離れた産科病院に救急車で搬送中に、車中で出産した」などという事態が各地から報告されている。
 神奈川県産婦人科医会は、現状のまま推移すると、2022年には同県内で扱える分娩件数が4700件以上も減ると推測。これによって、県内の3分の1に当たる妊婦が影響を受けると見ている。日本産婦人科医会などは、何の具体的な対策も講じなければ、将来的に全国で40〜50万人以上が「お産難民」になる可能性があると警告している。
更新:2008/01/25   キャリアブレイン  
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2008年01月27日

小児医療(3)少子化歯止めに役割

 当院でも、国立病院機構小倉病院から月に3回程度臨床研修医を1日預かることになりました。土曜日に朝から来られます。臨床研修医と言っても、既に1年間内科、外科、麻酔科などローテートしてきますので、私より詳しい分野もあります。私としても彼らから最新の医療が吸収できるので、良い機会と思いお受けしました。先日来た女医さんは、地元北九州市出身で大学卒業後地元の総合病院に研修医として勤務されています。今後は小児専門病院に就職し専門分野を勉強後、小児科医として北九州市に戻ってくる予定だと仰っていました。
 小児科もなり手のない科目なのですが、これは患者さんの軽症でも夜間に受診する「コンビニ受診」のお陰で大きく小児科医は疲弊しました。
 何かおかしければ早めにかかりつけ医への受診、通常の時間帯での受診を親が心がけることにより解消することだと思っています。しかし、「モンスター・ペアレンツ」がいる限りは難しいのかもしれません。
 夜間の、時間外料金を通常の10倍くらいにすると良いのでしょうが、本当に重症の患者さんに迷惑がかかりますので中々出来ません。
 両親が自分のことばかり言わず、世の中の医療のことも考えてくれると本当によいのですが......これもかなり難しい問題です。
 


小児医療(3)少子化歯止めに役割
子ども医療センターは「軽症」殺到
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/news/20080103-OYT8T00489.htm

「怖くないからね」。子どもをあやしながら診察する黒崎医師(那須南病院で)
 「専門のお医者さんはやっぱり安心。元に戻ってよかった」。12月中旬、那須南病院(那須烏山市)の小児科に、長男(2)のインフルエンザ予防注射に訪れた母親(28)が、安心した様子で言った。
 同病院の小児科は07年1月、医師が県外の病院に移り、事実上の一時休診に追い込まれた。患者には紹介状を出し、近隣の病院に回ってもらった。だが、継続して診療を受けたいと希望する患者は多く、関口忠司病院長は医師の確保に駆け回った。
 「いつでもいい、早く来てほしい」。その頼みにこたえたのが、自治医科大付属病院(下野市)の検査部門に勤務していた地元出身の黒崎仁寛医師(39)だった。「外来診療から5、6年離れているし、1人で大丈夫だろうか」と悩んだが、「古里の子どもたちを助けたい」という思いで月に2回通って診療するようになり、8月に常勤医になった。「地元への恩返しのつもりで頑張りたい」と、黒崎医師は張り切っている。
   ◎   ◎
 那須南病院をはじめ、県内の主要28病院(2大学病院は含まず)の小児科医師数は47人(07年10月現在)で、04年8月に比べ1人減。医師確保は依然厳しい状況だ。「病院勤務は仕事がきついからと敬遠されがちで、開業医に流れている」(県医師会)との指摘がある。那須中央病院(大田原市)は小児科医師がいなくなり、今市病院(日光市)でも非常勤を含め小児科医がいなくなった。
 行政が若年世代に住みやすさをアピールし、定住を推進する上でも、病院の小児科の存在意味は大きい。那須南病院を運営する南那須地区広域行政事務組合(那須烏山市、那珂川町)組合長の大谷範雄・那須烏山市長は「小児科がなくなると、人口減や少子化に拍車がかかるところだった。小児科が復活できてよかった」と胸をなで下ろす。
 県は、研修医対象の奨学金制度を創設するなど、小児科医の確保に乗り出している。日本小児科学会会長の別所文雄・杏林大教授は「若い医師の養成のほか、出産後の女医の復帰支援などの長期的な対策が必要」と話す。
   ◎   ◎
 年間約5万人の小児患者を診る「自治医科大とちぎ子ども医療センター」(下野市)。12月20日、総合診療外来の四元茂医師(54)のパソコン画面に表示された患者の症状欄には「風邪」「発熱」が目立った。「(軽症患者に追われ)、本来診るべき重症患者の診療や、若手医師の指導になかなか手が回らない」と四元医師はため息をつく。同センターは小児の専門科が充実し、「(隣接の)大学病院と連携した高度医療が強み」(桃井真里子センター長)だが、夜間救急も含め、軽症患者の殺到が深刻だ。
 桃井センター長は「軽い病気はかかりつけ医に診てもらうなど、患者側の意識も変わらないと、現場は持たない」と警鐘を鳴らし、「臨床研究や後進の指導は、小児医療の進歩につながり、結局は患者に還元できる」と理解を求める。
 核家族化で相談できる人が近くにおらず、判断に迷ってとりあえず大きな病院へ――。そんな親の姿もうかがえる。県は夜間の子どもの急病・けがについてアドバイスする「子ども救急電話相談」(028・600・0099)を設けている。
(2008年1月4日 読売新聞)

  
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2008年01月26日

リスク分娩(2)いっぱい

 3次施設の疲弊はどの地域でも同じです。2次施設が弱体化しているのもどの地域でも同じです。北九州市は、本来北九州市立医療センターが3次施設なのですが、九州厚生年金病院、産業医大病院、国立病院機構小倉病院とともに、2次3次を兼ねる施設になっています。「2.5次病院」の様相です。それ以下の施設が、いきなり開業医の1次施設となります。産科医が3-4人いる2次病院がない地域になりました。健和会大手町病院が唯一純然たる2次病院なのでしょう。
 いつも書きますが、問題はNICUのベッド数です。400-500gの超未熟児が産まれますと、そのベッドは固定されしばらく空きません。産婦人科の場合は、帝王切開でも10日もあれば退院できますのでベッドは固定されず回ります。先日熊本からヘリコプターで搬送されて来た患者さんは、熊本のNICUが一杯で万が一産まれた場合NICUが受け入れできないのでわざわざ北九州市まで搬送されてきました。産婦人科は診る事は出来るのです。
 今後は常にこの問題が目の前の壁となります。

先端施設手いっぱい
リスク分娩(2)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/news/20080102-OYT8T00352.htm

 「産科、小児科の医師が100%の態勢を作ってくれたので、優奈を産めた。もし受け入れてくれなかったら……」。鹿沼市の横山由美子さん(30)は、長女優奈ちゃん(1歳5か月)の出産を思い出すたび、胸がいっぱいになる。
 妊娠23週で突然破水。かかりつけの産科医院から独協医大病院(壬生町)の総合周産期母子医療センターに搬送された。羊水感染が疑われ、心拍モニター検査で胎児の心音に異常が見つかり、すぐ帝王切開手術が始まった。麻酔で意識が薄れる中、「せっかく授かった命。絶対に失いたくない」と願った。
 生まれた優奈ちゃんは体重わずか452グラム。NICU(新生児集中治療室)で、おへそからカテーテルを挿入して点滴をし、2日目は鼻から胃に通したチューブで授乳した。横山さんが保育器越しに初めて優奈ちゃんを抱いたのは約2か月後。「肌がゼリーのようにペトペトしていて軽かった」が、恐る恐る抱きながら「何があってもこの子を育てたい」と思った。退院まで半年以上かかり、現在も月に一度、同病院に通うが、体重は5.4キロに増え、順調に育っている。
 胎盤早期はく離や低出生体重児、感染症など周産期(妊娠満22週〜出産後7日未満)には様々な危険が潜む。同センター新生児部門長の鈴村宏准教授は「横山さんのようなことは誰にでもありうる」と警告する。
   ◎   ◎
 こうしたハイリスク分娩(ぶんべん)を扱う総合周産期センター(2次施設)は、年間出生1万人に1施設の配置が望ましいとされるところ、年間出生2万人弱の県内には、独協医大病院、自治医大付属病院(下野市)の2か所がある。
 しかし、実態は両病院ともほぼ手いっぱいだ。独協医大で73床、自治医大に90床ある産科と新生児病棟の稼働率は常に90%を超えている。満床を理由に搬送受け入れを断る例が増え、両施設の受け入れ率は97年に独協医大が96%、自治医大が94%だったのが、06年はそれぞれ過去最低の70%、63%に落ち込んだ。
   ◎   ◎
 要因の一つが、3次施設が県東部に偏る茨城、1施設しかない埼玉など他県からの搬送の増加だ。04〜06年の3年間、独協医大、自治医大の両病院は、全搬送受け入れ数の約15%、計163件を他県から受け入れた。
 もう一つが、中程度のリスク分娩を扱う地域周産期センター(2次施設)の“弱体化”だ。2次施設は、07年11月に認定された国際医療福祉大病院(那須塩原市)を含めると8施設あるが、佐野市民病院(03年7月)、宇都宮社会保険病院(06年4月)が相次いで産科を休診。本来は2次施設で対応できる患者が3次施設に回されている。こうした状況に、「立派な3次施設があっても、2次施設が脆弱では十分に機能を発揮できていない」と、国際医療福祉大病院の佐藤郁夫院長は、施設運営費を含めた行政の支援を求める。
 また、3次施設への患者集中を避けるため、近隣県も含めた連絡、調整の態勢づくりを求める声が強い。自治医大の鈴木光明産科教授は「電話で1時間も搬送先を探すこともあり、当直医は疲弊しきっている。医者を本来の業務に専念させたい」と訴える。県は、空床情報を一元管理し、コーディネーターが搬送先の紹介や依頼を行う態勢づくりを、第5期保健医療計画(08〜12年度)の素案に盛り込んだが、急務の課題となっている。
(2008年1月3日 読売新聞)  
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2008年01月25日

命あしたへ(1)広がる助産師活用

 先日40才の初産婦さんが、頑張って自然分娩をされました。16kg体重が増えていましたので難産が予想されました。やはり陣痛が弱く時間がかかりましたが、頑張って夫とともに無事おさんは終了されました。陣痛で苦しんでいたことが嘘のように、お産後は「ニコニコ顔」で嬉しそうに赤ちゃんを抱っこされていました。やはり女性の持っている力は素晴らしい。私たちも、このニコニコ顔には救われ、大きな力をもらえます。
 幸いなことに当院では、10人の助産師が働いてくれています。常時、助産師が働いている環境があります。お産は夫婦でするもの。しかし、専門の知識人として助産師が付き添います。しかし、この役目はあくまでも黒子です。医者は、お産には必要ありません。いないでお産が終了することが理想ですが、医者の役目は、異常にならないように導くこと、異常が起こったときに対処することだろうと思っています。
 この40才の方が入院した直後に、フリースタイルで、2才のお姉ちゃんと夫に囲まれて楽しくお産が出来ました。私は側で見ているだけの、会陰縫合も必要ない立派なお産でした。この2才のお姉ちゃんは「お兄ちゃんになった」と訳の分からないことを言っていましたが、お母さんを励まして「ニコニコ顔」でした。
 お産の基本は「家族(この家族は夫婦と子供です。経験則として母親は邪魔することが多いです)」です。助産師はそのお世話をします。医者の出てくる必要のないお産が素晴らしいですね。当院は、このようなお産を目指しています。
 助産師の仕事は、様々な可能性を秘めています。いろいろな役割があります。それは医者に出来ない役割を多く含みます。

命あしたへ(1)広がる助産師活用

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/news/20071231-OYT8T00431.htm

 陣痛の波が10分間隔になって、すでに12時間以上がたっていた。
 「ちゃんと目を開けて頑張って。お母さんも苦しいけど、赤ちゃんも苦しいんだから」。12月中旬、済生会宇都宮病院(宇都宮市)の分娩(ぶんべん)室に、助産師の沼尾美津穂さん(25)の大きな声が響いた。
 初産の佐野裕美さん(31)は「激痛と疲れでくじけそうだった」が、「妊婦さんの頑張りに応え、力を最大限に引き出したい」と願う沼尾さんたちの励ましに勇気づけられた。元気な産声が上がった。3195グラムの男の子だった。
 赤ちゃんの抱き方や授乳についても丁寧な指導を受けた佐野さんは、「助産師さんの細やかな心遣いに助けられた。温かな雰囲気の中、母親の第一歩を踏み出せてよかった」。
   ◎   ◎
 産科医不足を補う試みとして、助産師の活用が注目されている。同病院は2007年、約1200件のお産の3割以上に医師は立ち会わず、助産師が担った。佐野さんもそのケース。「正常分娩を助産師が担う分、医師は(母体や胎児への危険性が高い)ハイリスク分娩などに集中できる」と直井知子師長は説明する。
 10年前に始めた助産師外来は、「医師だと遠慮してしまうが、女性同士でリラックスできる」と妊婦の満足度も高い。妊娠経過に異常のない20週以上の妊婦が対象で、通常は10分程度という健診も、30分かけて体調管理などの相談を聞く。
 今夏には、産科とは別に、家庭的な雰囲気で自然出産できる院内助産所を、県内で初めて新設する。専従の助産師6人が年200件のお産を扱う予定だ。近隣で産科閉鎖が相次いだ影響で、07年の分娩数は前年より2割増えており、飯田俊彦・産婦人科医長は「地域の拠点病院としてお産の受け皿を広げたい。産科医不足が本当に限界にきてからでは遅い」と力を込める。
   ◎   ◎
 助産師の活用は、厚生労働省が06年、医師不足の対応策として打ち出し、県も本格的な検討を始めた。07年2月に助産師外来を新設した大田原赤十字病院(大田原市)に今年度、施設整備費補助金として約1400万円を出した。
 「助産師だからこそできる仕事をしている」――。産科中心の診療所「大草レディスクリニック」(さくら市)で働く七海あやさん(29)は実感している。
 医師主導に慣れ、分娩技術に不安を持つ助産師が少なくない中、助産師の育成も課題とされる。年間700件と病院並みのお産を扱う同クリニックでは、3年を教育期間として自前の研修システムを設けている。
 経験期間によって内診、分娩、異常時への対応などの技術、知識の習得目標を設定し、数か月ごと到達度を評価する。外来健診を担当できるのは早くて4年目。七海さんは県外の大規模病院で1年勤めた後、移ってきた。「病院では(妊娠からお産まで)一貫して妊婦にかかわれないと悩んだ」からだ。同クリニックに入って6年目。「責任も求められるけれど、働きがいがある」と話す。
   ◎   ◎
 現在、県内の年間お産約1万7000件の6割を担う産科診療所の助産師数は、県内で働く助産師約320人の2割程度。新人助産師は就職先として病院志向が強く、開業医からは「なかなか診療所に来てくれない」と、助産師の偏在を指摘する声も聞かれる。
 しかし、産科医不足をただちに解消できる状況にない中、助産師と医師の連携は欠かせない。日本助産師会理事の成田伸・自治医大教授(助産学)は「助産師と医師が互いの役割を理解し、自立した助産師を育てるため、制度の整備も重要」と指摘している。
(2008年1月1日 読売新聞)  
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2008年01月24日

お産SOS~に立つ現場(4)自覚/命の重み 次世代に説く

 命の重さを考えようと言うことです。自分の命、子供の命、他人の命の重さです。
 子供を産めない環境であれば、きちんと避妊するなどだと思います。自分の体を大切にしようと言うことです。
 また、お産は医までも命がけだと思うべきです。妊娠を舐めてはいけません。
 自分が、パートナーが、そして家族が笑顔で赤ちゃんを迎える環境を作ってください。

岐路に立つ現場(4)自覚/命の重み 次世代に説く

http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/12/post_78.html

 仙台市立病院(若林区)の産婦人科に9月上旬、出血した30代の妊婦が駆け込んできた。
 「何カ所か回ったけれど、診てもらえなかった」。健診を一度も受けたことがない「飛び込み」だった。通常の診療はストップ。スタッフは対応に追われた。
 切迫早産の疑いがあった。胎児は2000グラムあるかどうかだが、週数がはっきりしない。出産しても未熟児の可能性が高かった。
 女性はすぐに新生児用の設備が整う別の病院に搬送され、出産した。胎盤早期剥離の兆候があり、母子ともに危険な状態になる恐れがあったという。
 「母子がどんな経過をたどったか、母親に感染症はないのか。情報が全くない。赤ちゃんに異常が見つかっても、治療が遅れる」。飛び込み出産の危険性をこう指摘する市立病院産婦人科部長の渡辺孝紀さん(50)は、慌てふためく妊婦に触れる度、強く思う。
 「せめて初診さえちゃんと受けてくれれば、注意を促せるのだが。生まれてくる命をもっと大切にしてほしい」
 分娩を扱う宮城県内の中核的な医療機関ではここ数年、飛び込み出産が毎年計30件を下らないとされる。
 健診費用の問題に加え、東北大医学部保健学科の佐藤喜根子教授(55)は「精神的にも子どもを持てない環境にあるのに妊娠してしまう。自己管理、自己決定できない女性がいるのではないか」とみる。
 時として不幸な結果も招く飛び込み出産。生命誕生の意味、そして命の重みを若い世代に伝え、悲劇を防ぐため、助産師らが学校現場での取り組みを進めている。
 10月中旬。仙台市黒松小(泉区)で「命と性を学ぶ」授業があった。4年生の児童を前に、臨月を迎えた女性のおなかにモニターを付けると、胎児の鼓動が体育館に響いた。女性は「赤ちゃんの顔を見るのがとても楽しみ」とほほ笑んだ。
 講師は、市内の開業助産師と母親でつくる「うぶごえ座」のメンバー。体の仕組みを教えたり、受精卵が育つ様子をスライドで紹介したり。一時間の授業に、子どもたちは引き付けられた。
 うぶごえ座は2001年に活動を始めた。年10回ほど、小中高校に出向く。代表の武者文子さん(42)は「大切に生まれ、育てられてきたことを知る子どもは、自分と相手を思いやる大人に育つはず」と期待する。
 東北大病院(青葉区)にも、学校から講師派遣の依頼が寄せられる。親よりも児童・生徒と年齢が近い医学生や助産師の言葉は、心に響きやすいという。
 「まさか妊娠するとは考えなかった」「セックスを断ってはいけないと思った」。講師を務めた経験がある助産師の渡辺幸子さん(32)は、受診する若い女性のこんな言葉に胸を痛めてきた。
 「現場を知る人間だからこそ、伝えられることがある」。いいお産に導くことも大事な仕事だと、渡辺さんは信じている。
(2007/12/19)  
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2008年01月23日

お産SOS~に立つ現場(3)人材活用/妊娠期ケア 熱い使命感

 分娩をやめた病院に勤務する助産師は、分娩している病院に再配置する事は重要なことですが、これがなかなか進みません。助産師の資格のあるのに、看護師として仕事をしている人が多いのです。公的病院に勤務する助産師は、公務員の地位にしがみつき、身分の保障の少ない、給料も安くなる民間の個人病院に勤めることはどうも嫌なようなのです。これはどの職種でも同じで、病院が民間委譲された時には民間病院に再就職する職員は少ないのです。公務員の資格で、民間病院に勤務すると所得差があるのに同じ仕事をしないといけないという不満も出てきます。このあたりが、うまくいくと助産師はうまく再分配されると思うのですが.....
 また、今から10-13年前にTOG(東京オペグループ)が開催するお正月に行われるセミナーで、東京マタニティークリニックの柳田先生が、インターネットを利用した妊婦健診のお話しをされていました。アメリカでは100-200km(正確には覚えていないのですが)にお産できる病院は1つで、妊婦さんは保健所のような施設で看護師(アメリカには助産師はいない)がインターネットを利用して、テレビ画面の向こうの産科医と話しながら妊婦健診をしているとのこと。陣痛が起こったら、ヘリコプターで妊婦さんは病院に入院するんだとか....そういうお話しでした。
 こんな事は、ちょっと歩けば産婦人科医がある日本では考えられないことだねと、当時は笑い話のように話していましたが、わずか10年足らずでアメリカと同じようなことが起こっていることに愕然としています。柳田先生は、このようなことになるのだろうと予感していたのでしょう。恐ろしいことです。


岐路に立つ現場(3)人材活用/妊娠期ケア 熱い使命感
http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/12/post_77.html

仙台市青葉区の東北大医学部の一室。今月12日朝、宮城県内の助産師が集まってきた。「助産師外来」の人材養成を目的に、県が企画した研修が始まった。
 助産師外来は妊婦健診や相談業務を担う。産婦人科医不足のあおりで産科が休診となった地域の拠点病院に、県は開設を目指す。座学から実習まで。40日間に及ぶ研修は、その足掛かりだ。
 初日の参加者は16人。「これまでの経験を整理して新しい知識を身に付け、地域のニーズに応えてほしい」。研修プログラムを作った医学部保健学科の佐藤喜根子教授(55)は開講式で、エールを送った。
 登米市立佐沼病院の助産師伊藤真理さん(46)は、受講者の1人。「与えられたチャンスを生かし、前進するしかない」と気を引き締める。
 佐沼病院は8月末で産科を休止にした。15人いた助産師は配置換えになったり、病院を移ったりした。人気が高かったマタニティービクスやヨガは現在、対象者を限定し、1部の助産師がボランティアで続けている。
 県の方針に沿った助産師外来の設置に加え、健診と出産を別々の病院で担当する「セミオープンシステム」の構想も浮上している。
 「健診と言っても相談に乗ることしかできないかもしれないが、産む時は遠くに行かざるを得ない地元の妊婦の支えになりたい」。新たな役割に、助産師の袋祥子さん(38)は使命感を燃やす。
 産科医療の現場は医師に限らず、助産師も足りない。日本産婦人科医会によると、2005年は東北で分娩を扱う病院の4割、診療所の8割近くで、助産師が不足していた。
 助産師外来は休診で眠ってしまう人材を生かす道でもある。11月に宮城県庁であった研修の検討会。「異常を見逃したらどうするのか」。出席した医師からは、導入に慎重な意見も上がった。
 そうした声に、佐藤教授は設置の意義を訴える。「産後うつや育児ノイローゼも妊娠期のケアで抑えられるという報告がある。助産師外来は母乳育児や家族の支援を含め、地域の女性の“駆け込み寺”と位置づけるべきだ」
 「産科空白域」となっていた遠野市は今月1日、独立型の公立助産所を東北で初めて設けた。お産は扱わないが、妊婦は市内で健診を受けられるようになった。
 盛岡市などの分娩施設9カ所とインターネットで結んだ「遠隔健診」。助産所開設に先行して昨年10月、試験的に始まり、これまで40人ほどが利用した。
 「助産師ならではの指導がある」と助産師の菊池幸枝さん(39)。体調の変化に気を配る、急変に備えて常に移動手段を用意しておく、病院のスタッフとコミュニケーションを図る―。
 「お産を他人任せにしないという心構えを持つことが大切。医師が不足する地域では特に、自分の体は自分で守らなければならない」。健診に訪れる妊婦には、時間をかけて伝えている。
(2007/12/18)

  
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2008年01月22日

産科医不足で舛添厚労相「政府全体で追加対策検討」

 桝添さんが、どれだけ周産期医療が判っているのか判りませんが、少なくとも予算を増やせば医師不足が解消すると考えているのであれば明らかに間違いです。
 ところで、保険の診療報酬は小児科・産科には厚く、他の科には厳しくとありますが、そんなことをしても病院は全ての科がありますので、結局差し引きゼロとなり、医師の働く環境は変わらないかと思うのは私だけでしょうか?
 日本の医療費は世界的に見て安いのですが、日本の医療制度は国民がうまく厚労省にだまされており、自己負担が徐々に高くなり、医者の給与は高い(私は決して安いとは思っていませんが、普通の中小企業の社長の給与と比べれば安いと思っています。)と厚労省・マスコミが誘導していますので、自己負担分が増えるのは医者のためだと非難の目が医者、日本医師会に向かっているのです。この、ボタンの掛け違いが論点を狂わせることになります。このあたりを是正しないと、お金だけでは解決しません。
 また、日本中のお産の約半数を取り扱っているのは個人診療所の開業医という事実です。ここはほとんど異常のないお産で、ほとんど自費診療ですので保険診療とは関係ありません。保険点数をあげても、何の影響もありません。この、個人の開業医も減少しているという事実も考えなければなりません。確かに、勤務医は激務です。勤務医の身分保障はなるべく早くに必要ですが、個人開業医もギリギリの状況と言うことも判って貰わなければなりません。
 産科医ばかりでなく、小児科医、脳外科医、外科医、麻酔科医も減っているという事実は変わりません。ここで、産科医、産科医といっていると、ガタガタと救急医療も崩れていき来ます。最近よく新聞を騒がせる、いくつもの病院に断られて救急車が足止めを食ったという記事がだんだんと増えてきたというのが現実です。医療は、既に根本的に見直さなければどうしようもない状況になっています。
 ところで、いろいろな掲示板に出てくる日本には「ER」のようにガッツのある医者はいないのか?とありますが、アメリカではそれ以前に、個人の入っている保険によって、出来る医療と出来ない医療がきまります。お金がないと医療が受けれないシステムです。「ER」で治療を受けている患者さんはそれなりの保険に入っている患者さんで、治療を受けられず病院に受診できない患者さんもいることを理解しなければなりません。
 
産科医不足で舛添厚労相「政府全体で追加対策検討」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080119ia27.htm 

舛添厚生労働相は19日、長野県飯田市内で記者会見し、産科医不足が深刻化している問題について、「全国のどの地域でも産科医の不足が極めて深刻だ。優先順位を付ければ、まず産科医対策だ。来年度予算で医師不足対応の予算を倍増するが、次の手が打てるかどうか首相、官房長官と協議したい」と述べた。
 政府は来年度予算案に産科のある病院への財政支援などを盛り込んでおり、産科医の増員に重点を置いた追加対策を検討する考えを表明したものだ。
 その上で、厚労相は「政府全体で、極論すれば『緊急事態だ』という認識を持ってもらう」と強調した。
 追加対策は、厚労省に設置された有識者会議「安心と希望の医療確保ビジョン」や、福田首相主導で今月中にも開かれる「社会保障に関する国民会議」などで議論される見通しだ。このうち、厚労省の医療確保ビジョンは4月にも産科医確保策など中長期的な目標をとりまとめる方針だ。
(2008年1月19日21時43分 読売新聞)  
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2008年01月21日

フォーラム:医師不足時代のお産を考える−−あす北九州・小倉

 昨日も子供は高校受験で不在、そして夜中にお産がありましたので、犬とベッドの中で一日中ごろごろと怠惰に過ごしていました。猫2匹はそれぞれ勝手に暮らしていますが、犬は時々遊んでくれとせがまれ、雨が降っているため散歩にも行けず、どうも欲求不満のようでした。
 そうだ、「安心してお産ができるまちづくり2008」があってたんだと気付きましたが後の祭りでした。
 yahoo japanで検索しましたが、わずか8つしかひっかからず、一体どれだけの人数が集まったのでしょう?北九州市は宣伝が足りないように思いました。
 ところで、何が話し合われたのでしょうか?何か、良い案はあったのでしょうか?うちの職員が誰か行っていると思いますので、本日内容を聞いてみようと思います。
 今九州の周産期医療は、九州大学、宮崎大学が引っ張っていると思います。九州大学は集約化の最先方で、かなりの病院から産婦人科医を引き揚げています。福嶋先生は、かなりの病院に頭を下げにいってお叱りを受けたと、その苦労をある勉強会で仰っていました。九州大学の産婦人科の医局が病院の維持が出来ないと言うことは、本当に周産期医療は厳しいと考えなければなりません。今のところ、集約化しか方法はないのかもしれませんが、福岡は今のところ集約化しても地域的に問題はないように思いますが、東北地方、北海道など気候が厳しいところは辛いところがあります。先日熊本からヘリコプターによる搬送がありましたが、熊本の周産期センターに尋ねたところ、北九州はめずらしいけど、福岡市にヘリコプターでの搬送は比較的あるとのこと。九州でも厳しい地域は出てきているようです。
 私たち開業産科医が今出来ることは、なるべく異常のない妊婦は自分のところで診るように、そして、妊娠中に如何に異常にならないように生活指導していくことです。そして、異常が見られた場合は早めに総合病院にお願いするしかありません。

フォーラム:医師不足時代のお産を考える−−あす北九州・小倉
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20080119ddg041100006000c.html
 ◇進む集約化、望ましい形は

 医師不足時代の産科医療のあり方を市民と共に考えるフォーラム「安心してお産ができるまちづくり2008」(厚生労働省研究班主催)が20日午後1時半から、北九州市小倉北区浅野の北九州国際会議場である。国は拠点病院に産科医を集中させる「集約化」を進めているが、「近くで産みたい」と望む妊婦は多い。主催者の一人で九州大学病院の福嶋恒太郎医師(41)は「望ましい産科医療をみんなで考えて」と呼びかけている。【柳原美砂子】
 福嶋医師は06年度から、厚労省の補助金を受けて産科医集約化の研究に取り組んでいる。厚労省によると、産婦人科、産科の医師数(06年末)は1万751人で、10年前から1484人(約12%)も減った。このため、地域の産科医を拠点病院に集め、多くの分娩を扱う集約化は、産科医不足の打開策として注目されている。
 しかし、福嶋医師が昨年10〜11月、福岡県の医療機関で出産した397人に実施した調査によると、受診医療機関を選んだ理由は「家から近い」など利便性がトップ。通院に要した時間は30分以内が約9割を占めた。また「妊娠から出産後まで同じ病院で診てほしい」「どこに住んでも同じ医療を受けたい」など、集約化とは逆の意見も寄せられた。
 福嶋医師は「集約化は最善策ではないが、産科医を急に増やすこともできない。どうすれば安心してお産ができるのか考えてほしい」と話す。
 フォーラムには福嶋医師のほか、新生児科の医師ら3人が参加し、医療機関の連携のあり方や救急搬送についても話し合う。参加無料。問い合わせは北九州市医療課093・582・2678。
毎日新聞 2008年1月19日 西部夕刊  
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2008年01月20日

お産SOS~岐路に立つ現場(2)過渡期/医師の支援 期待つなぐ

 この問題も、いろいろと論じられてきましたが特に問題が好転しているようには思えません。自分のところで手一杯だし、他の妊婦さんまで面倒を見る余裕はありません。また、経過を見ていない妊婦さんが急に運ばれてくると言うことは、かなりのプレッシャーになります。
 助産院から2次・3次病院に直接搬送できるシステムが出来ると良いのでしょうが、これもかなり厳しいでしょう。
 そうするとオープンシステムは良いかもしれませんが、それなりのポリシーをもって助産院で産もうとしている患者さんですので、このシステムも難しいかもしれません。
 やはり、病院内に助産師がトップにいるバースセンターの設置が望ましいと思いますが、何かあったときはその産婦人科医に手間をかけるわけですので、その病院の産婦人科医が精神的に、体力的に耐えられるのか?地元の産婦人科医会が協力してもらえるのか?問題は大きいと思います。

岐路に立つ現場(2)過渡期/医師の支援 期待つなぐ
http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/12/post_76.html
 仙台市泉区の「とも子助産院」の院長伊藤朋子さん(41)はこの秋、来春以降の分娩予約を受けるかどうか、思案していた。
 「過渡期で、どうなるか分からない」。悩んだ末、予定日が来年3月後半から4月前半までの妊婦は、予約を断った。
 今年4月施行の改正医療法は、分娩を扱う助産所に対し、産婦人科の嘱託医と、産婦人科、小児科がある嘱託病院の確保を義務づけた。経過措置期間は1年。3月31日がリミットだ。
 法改正を受け、伊藤さんは「森のおひさま助産院」(青葉区)院長の小野由起子さん(44)と一緒に市内の病院を回った。嘱託の引き受け手は見つからなかった。
 嘱託医の診療科を限定し、救急に応じられる医療機関の確保を要件に加えたのは、助産所出産の安全性を高めるのが目的だ。ハードルが上がった改正に反発する助産師もいるが、伊藤さんは「母子の命を守るためには必要なこと」と理解を示す。
 それでも、期限は刻々と迫る。「廃業」の二文字が頭をよぎる。「嘱託が見つからなければ、その時は仕方がない」と覚悟していた。
 存廃に揺れる助産所。その窮状に、医師側が動きだした。日本産婦人科医会宮城県支部と仙台産婦人科医会を中心に、連携方法を探る話し合いが持たれるようになった。
 「助産所で出産を希望する妊婦の安全を守らなければならない気持ちはある。でも、病院はどこも余裕がない」。市内の産婦人科医は現場の実情を訴えながらも、「組織としてなら、嘱託を引き受けられるかもしれない」と説明する。
 「助産師のことを真剣に考えてくれている。うれしい」と伊藤さん。わずかながら差し込んだ光明を頼みに、予約を控えていた時期の分娩も少しずつ受け付け始めた。
 産婦人科医の集約化が急速に進む岩手県。嘱託病院が決まっているのは、今月1日に開設された遠野市助産院だけだ。
 県内に5人いる開業助産師は自前の分娩施設を持っていない。出産を介助する場合、妊婦の自宅に出向く。法律上、嘱託を定める必要はないが、助産師の1人は「医師のバックアップがないまま、お産はできない」と打ち明ける。
 全員が産婦人科医の嘱託や支援を望んでいる。ただ、分娩を制限する条件付きでなければ、首を縦には振ってくれないという。
 「緊急時、一命を取り留められるかどうかは搬送時間に左右される。病院から遠いケースもある自宅分娩は不安が大きい」と県産婦人科医会の小林高会長(62)。助産師側には、病院の設備を利用してお産を扱う「オープンシステム」を持ち掛けている。
 「新しいシステムで技術を認めてもらうことから始めたい」。将来の連携強化に期待をつなぐある助産師は、提案を一歩前進と受け止める。
(2007/12/17)  
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2008年01月19日

薬害肝炎:カルテなく訴訟外の患者ら「光当てて」と訴え

 薬害肝炎訴訟の大きな壁は「カルテの保存」です。20年以上も前のことを今討論しています。何度も書きましたがカルテが全体で7%しか保存されていないためにどうしようもありません。
 薬害肝炎訴訟で、私が不思議に思うのは全然「全員救済」ではないということです。国が和解交渉の席に着かないと言われたときの原告の「涙」はいったい何だったのでしょう?なんと、全員救済でもない和解案を「笑顔」で受け入れてしまいました。
 フィブリノゲンによる薬害患者数はは約1万人と推定されているわけですので、1万人の救済が彼女らの言う全員救済であったはず。しかし、ある時はB型C型肝炎患者350万人を全員救済と言ったり、恐らく彼女らは見えない「大きな力」にうまく利用されただけではないのかと思える事さえあります。最終的には全員救済とはほど遠い、おそらく多くても500名くらいしかこのままでは救済されないでしょう。
 しかし、現実C型肝炎に苦しんでいる患者さんは実際いるわけで、またC型肝炎ウイルスに知らないうちに感染して未だにその事実を知らない患者さんもいるわけで、その患者さんを補償など言わずに、まず救済することを考えなければならないのではないでしょうか?
 ウイルス性肝炎は日本の国民病でもあります。ウイルス性肝炎は、フィブリノゲンばかりが原因ではなく、輸血(2000年以降はほとんどない。1万人に1人くらい発症)をはじめ、タトゥー、ピアス、歯科の医療機器、鍼灸院の針、理髪店のカミソリ、歯ブラシの使いまわし、母乳,産道内感染、性生活など様々な原因があります。肝炎発症後の医療費は莫大にかかるはず。インターフェロン治療でウイルスが消えるのであれば、一人でも多くの患者さんを早期に発見し治療すべきなのです。
 C型肝炎にかかっているか、まず検査するべきだと思います。そして陽性の場合、可能な限りの治療に対する補助を国はすべきなのです。まず救済をしていくほうが、解決の早道のように思えてなりません。
 
薬害肝炎:カルテなく訴訟外の患者ら「光当てて」と訴え
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080116k0000m040130000c.html
 薬害C型肝炎訴訟が15日、和解に基本合意されたが、ウイルスに汚染された血液製剤を投与された疑いがあるのに、カルテなどがなく、訴訟に加われなかった人たちもいる。そうした患者でつくる「C型肝炎患者21世紀の会」代表の尾上悦子さん(71)=京都市伏見区=は「私たちを置き去りにしないでほしい」と訴える。
 C型肝炎感染者は血液製剤「フィブリノゲン」だけでも推定1万人に上るが、同訴訟の原告はわずか207人。「原告は肝炎患者のほんの一握り」と話す尾上さんも原告になれなかった一人だ。
 尾上さんは89年に子宮筋腫の手術を受け、その7年後、血液検査でC型肝炎と分かった。血が止まりにくい体質で、手術時、医師に伝えたところ、血液製剤のようなものを点滴された記憶があるという。しかし、訴訟準備のため何度もカルテ開示などを頼んだ病院の回答は「(カルテは)残っていない」。原告への道は閉ざされた。この病院は厚労省が04年12月に公表した、フィブリノゲンの納入先に入っていた。
 福田康夫首相が「全員一律救済」を表明した昨年12月末以降、全国からの相談は急増し、30件以上の相談が寄せられる日もある。「カルテがないが救済されるのだろうか」という内容がほとんどだ。会員数も約100人から約150人に膨れ上がった。
 尾上さんは「私たちの苦しみは何も変わっていない。患者全員の救済を実現してほしい」と願う。同会の連絡先は075・572・8565(ファクス兼用)。【川辺康広】
毎日新聞 2008年1月15日 21時32分  
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2008年01月18日

C型肝炎:厚労省の相談電話、朝からパンク状態に

 当院でも昨日13件の電話の問い合わせがありました。出産時に出血が多くなく、輸血もしていない患者さんが取りあえず電話してみたとの問い合わせも多くあります。

 今回厚労省が呼びかけている患者さんは、
 ▼ 平成6年以前に公表医療機関で治療を受け、下記(1)〜(5)に該当された方
 (1)妊娠中又は出産時に大量の出血をされた方。
 (2)大量に出血するような手術を受けた方。
 (3)食道静脈瘤の破裂、消化器系疾患、外傷などにより大量の出血をされた方。
 (4)がん、白血病、肝疾患などの病気で「血が止まりにくい」と指摘を受けた方。
 (5)特殊な腎結石・胆石除去、気胸での胸膜接着、腱・骨折片などの接着、血が
   止まりにくい部分の止血などの治療を受けた方

ですので、よく確認されてください。
 しかし、厚労省の電話回線が20回線というのはあまりにも数が少ないと思います。これでは回線は間違いなくパンクしますね。
 心配な方は、まず取りあえずC型肝炎の検査を受けるようにすると良いと思います。こちらの方が、結果が早く分かります。それから、対象病院へ確認でも遅くはありません。
 また、カルテは全国で7%の施設しか残されておらず、投与されたかどうか確認できる方はほとんどいないと思われます。「患者自身が医療機関に問い合わせ、どこまで感染源を調べられるかにかかっている。」とかいてありますが、これは本当に困難な作業です。
 どちらかというと、国や厚労省はC型肝炎ウイルスの感染が確認された患者さんに対して、その感染経路がいかなる場合でも、補償と言うよりどれだけの補助をして救済が出来るかだと思います。このような救済にお金をかけるべきだと思うのですが.......

C型肝炎:厚労省の相談電話、朝からパンク状態に

http://mainichi.jp/select/today/news/20080117k0000e040025000c.html

 C型肝炎感染の危険がある血液製剤納入先の医療機関を一覧にした政府広報が17日に各戸配布されたのを受け、厚生労働省が設けた相談電話(0120・509・002)が朝からパンク状態になった。
 厚労省はこれまでも医療機関名をホームページで公表し、11月から電話対応もしてきたが、薬害肝炎訴訟の事実上の解決で国民の関心が高まったとみられる。午前9時半の受け付け開始から20回線すべてがふさがり「リスト記載の病院で過去に手術を受けたが大丈夫か」「治療費の助成はしてもらえるのか」といった質問に職員が対応に追われた。
 血液製剤投与によるC型肝炎感染者は推計1万人以上だが、被害者と判明しているのは肝炎訴訟の原告約200人と、国の放置が問題になった418人リストの対象者の一部だけ。薬害の実態解明は、患者自身が医療機関に問い合わせ、どこまで感染源を調べられるかにかかっている。【清水健二】
毎日新聞 2008年1月17日 10時46分

  
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2008年01月17日

当院におけるフィブリノゲンの使用について

 本日、新聞折り込みの政府公報でC型肝炎感染の危険がある血液製剤が納入された約7500の医療機関のリストが公表されました。今回で3度目の公表になります。
 当院では、旧三菱ウェルファーマの資料によりますと1980年(昭和55年)2月-1987年(昭和62年)11月まで納入された記録はあります。(有効期間は3年ですので、最高1990年11月まで投与された可能性はあります)。
 私は1993年(平成5年4月)から当院に勤務していますが、その当時の院長は既に死亡しており、また勤務している職員も既にいません。その当時のカルテの保存はされておらず(医師法24条にカルテの保存義務は5年とされている)、患者さんにフィブリノゲン製剤が投与されたかどうかについて確認できません。(カルテが保存されている医療機関は7%といわれています)
 C型肝炎は、フィブリノゲンの投与ばかりではなく、輸血や予防接種などでも感染する可能性があります。ご心配でしたら、C型肝炎の検査を受けられることをお勧めします。
  

詳しくは厚生労働省のホームページも参照されてください。
 
*C型肝炎ウイルス検査受診の呼びかけ
   http://www.mhlw.go.jp/houdou/2004/12/h1209-1/index.html
*基本的なQ&A
   http://www.mhlw.go.jp/houdou/2004/12/h1209-1/qa.html
*C型肝炎について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou09/02.html


厚労省:血液製剤の納入病院リストを配布
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080117k0000m010038000c.html

 厚生労働省は17日、C型肝炎感染の危険がある血液製剤が納入された約7500の医療機関のリストを、新聞折り込みの政府広報(8ページ)として全国約3000万世帯に配布する。医療機関名は01年3月と04年12月に公表されたが、国民に直接届けるのは初めてで、治療を受けた人に早期検査を呼び掛ける。
 リスト配布は、薬害肝炎訴訟に関する国会質疑で、舛添要一厚生労働相が感染実態把握の方法として表明していた。該当の医療機関は、80〜01年のフィブリノゲン納入先6726施設と、72〜88年に非加熱第8、第9因子製剤を使った可能性がある805施設。
 このうち1449施設は廃院か休止、1520施設は名称が変わっており、リストに注記がある。投与の人数、当時のカルテの保存状況などは分量の関係で掲載されず、専用フリーダイヤル(0120・509・002)で問い合わせに応じる。厚労省ホームページでも確認できる。
 新たに検査を受けて感染が判明し、投与の証明がある人は薬害被害者として給付金を受けられるが、政府広報に説明はない。医薬食品局は「救済法成立が直前で時間がなかった」と説明している。【清水健二】
毎日新聞 2008年1月16日 18時43分  
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2008年01月16日

お産SOS~岐路に立つ現場(1)常勤医不在/地域の分娩 守る助産師

 河北新報の4回連続のシリーズです。
 院内助産院で、月に15回呼ばれていた医師が、月に3回しか呼ばれなくて「医師の激務が緩和された」とありますが、確かにそうなのですが呼ばれなくても拘束はされており、いつ呼ばれるか判らない状況ですので、心は安まらないと思いますし遠方へ出ることは少なくとも出来ません。
 しかし、それでも試行錯誤でよりよいシステム作りをしていることは良いことですね。
 特に、患者さんの意識が変わると言うことは良いことです。自分で節制をして、体を動かし、お産とはどんなものなのか?患者さん及びその家族が取り組むと、必然的に安産になります。高齢初産は増えましたし、子宮筋腫などの合併症のある妊婦さんも増えましたので難産が増えている事も事実です。そのあたりを考えていかないと、その内このシステムは破綻します。
 
岐路に立つ現場(1)常勤医不在/地域の分娩 守る助産師
http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/12/post_75.html#more

 東北のお産事情が一段と悪化している。分娩(ぶんべん)施設の減少に歯止めはかからない。産婦人科医の確保もままならない。限られた医療者で、安全・安心な出産をいかに守っていくか。難題に直面する地域社会で、手探りながらも前を向く現場を追った。

* * *
 11月半ば。岩手県立釜石病院(釜石市)の産婦人科病棟で、助産師の松内真実さん(23)は退院を控えた女性に生活指導をしていた。
 「落ち込んだり、涙もろくなったりするのは誰にでもあること。気軽に相談してくださいね」
 声を掛けられた大槌町の高橋絹江さん(30)は大きくうなずいた。4日前、ここで長男を産んだ。
 産婦人科医の集約化が進む岩手。釜石病院は7月いっぱいで常勤医がゼロになった。代わりに、県立大船渡病院(大船渡市)の医師4人が1週間交代で派遣されている。
 医師は原則的に健診などの診療に当たる。分娩は、助産師が中心になって扱う「院内助産システム」が取り入れられた。
 高橋さんは破水しても強い陣痛がなかなか来なかった。丸1日以上待った後、医師が陣痛促進剤を投与し、長男は無事誕生した。脇でずっと励ましてくれたのは助産師だった。
 「助産師だけと聞いて最初は不安だったけれど、心強かった。処置が必要な時はすぐに医師が手当てしてくれた」
 釜石病院で出産できるのは、経過が順調な妊婦に限られる。分娩には助産師と看護師計3人が立ち会う。スムーズに進行すれば、そのまま助産師が赤ちゃんを取り上げる。異常があった場合、派遣の医師を呼び出す。緊急時は大船渡病院に搬送する仕組みも整えた。
 「医師の激務が緩和された」。釜石病院から大船渡病院に移った産婦人科医の小笠原敏浩さん(57)はシステムがもたらした効用を語る。常勤2人体制だった釜石病院で、深夜の呼び出しは月15回程度に上った。それが8月は全員で8回、9月は3回に減った。
 月4、50件の分娩が半分以下に減ったこともあるが、「助産師スピリットが芽生えた。お産に主体的にかかわっていくうちに、技術も向上した」と小笠原さんは目を見張る。
 学習会を開いたり、研修に出向いたり。10人余りの助産師はシステム導入にえ、助産術を学び直した。医師と検討を重ね、独自のマニュアルを作った。2年前に始めた助産師外来で得た経験と自信も大きかった。
 「釜石からお産の場所をなくしてはいけないと必死だった」。地元出身の助産師東百合子さん(54)は振り返る。
 妊婦たちの意識も変わった。「やはり釜石で産みたい」という妊娠9カ月の佐々木栄子さん(40)。「健診で異常があれば、次からは車で一時間近くかかる大船渡病院に行かなければならない。助産師の助言をしっかり守りたい」と体調管理に気を配る。
 医師側には今も、「危なくて助産師には任せられない」との意見が少なくない。そんな声に触れる度、小笠原さんは「まだ余裕があるんですね」と問い返す。「助産師の力を生かさないと、岩手はやっていけない」
 院内助産システムは、他の県立病院でも導入の検討が進んでいる。  
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2008年01月15日

救急受け入れ 理想と現実

私が大学の救命救急センターで研修させて貰っていた頃は、研修医が兎に角ごろごろいて、ICUの患者さんに1名の研修医が専属で主治医となり、その上には数人の専門医が診ており完全な診療体勢になっていました。産婦人科医局からの救命救急センターの派遣は医師不足のために早くに中止されましたが.....今は医師不足で救命救急センターも大変のようです。
「救急隊が搬送先に選んだ病院は、患者の容体や救急治療室の状況にかかわらず必ず受け入れる」という取り決めが決まってしまうと現場は大変混乱することでしょう。今の医療制度が、本来そのようなシステムになっていないのですから。厚生労働省の方針なのですから。
 また、「満足な治療設備がないのに受け入れ、専門病院への転送が遅れた」として地裁は遺族側の訴えを全面的に認めたと言う判決がある限り、今後似たような判決が出続けるというのは明らかです。
 救急医療に携わる医者も少なくなっている現状で、このような取り決めは、患者さんにも医者にとっても良いことにはならないような気がします。

救急受け入れ 理想と現実
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/health/109509/

 福島市で11月、交通事故で救急搬送された女性の受け入れを各病院が拒否し、治療開始まで約1時間かかったという問題が起きた。女性は間もなく死亡。これを受け、市内の病院などでつくる協議会は同月19日、「病院は救急患者を必ず受け入れる」とする取り決めを確認した。だが、この取り決めは実際に機能しうるのか−。探ってゆくと、理念と現実の間で苦悩する救急医療現場の実情が見えてきた。(小野田雄一)
 菊田ミツ子さん=当時(79)=が自宅近くの路上で車にはねられたのは、11月11日午後8時15分ごろ。駆けつけた救急隊は、菊田さんが頭を含む全身を強く打っていたことから、高度医療が可能な福島県立医大病院に収容を要請した。
 だが返ってきた答えは「集中治療室(ICU)などが満床で収容できない」というものだった。
 救急隊は、その日の当直病院などに再三受け入れを要請したが、いずれも「専門医がいない」、「空きベッドがない」などの理由で拒否。結局、市内4病院に計8回受け入れを拒否され、最終的に別の病院に搬送したときには、事故から約1時間が経過していた。
 この事態を受けた福島市と市内10病院、市医師会などでつくる「市救急医療病院群輪番制運営協議会」は同月19日、「救急隊が搬送先に選んだ病院は、患者の容体や救急治療室の状況にかかわらず必ず受け入れる」とする取り決めを確認した。一度受け入れた後で治療が困難だと判断した場合は、県立医大病院に搬送することも確認された。
                 ■  ■
 しかし、救急医療の現場では、この取り決めの実効性について疑問の声が上がっている。
 市内のある病院の担当者は、「医師も治療設備も物理的な限界がある。満足な治療ができないと分かっているのに受け入れて、本当に患者のためになるのか。仮に死亡させた場合、誰がどう責任を取ればいいのか」と危惧(きぐ)する。
 今年4月、平成15年に急性心筋梗塞で加古川市民病院(兵庫県)に救急搬送され死亡した男性=当時(64)=の遺族が、「満足な治療設備がないのに受け入れ、専門病院への転送が遅れた」として同病院側に3900万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、神戸地裁は遺族側の訴えを全面的に認めた(判決確定)。こうした司法判断の存在も、病院側の危惧を増大させる一因のようだ。
 一方、県立医大病院の担当者も「当院もすべての患者を収容できるわけではない。各病院で対応できるものは対応してもらいたい」と話し、取り決めにより、いったん患者を受け入れた病院が安易に同病院に再搬送してくることを心配している。
                ■  ■
 今回の問題について、昭和大学(東京)の有賀徹・医学部救急医学科教授は「地方の医療体制に根本的な原因がある」と指摘する。
 有賀教授は「東京など都市部には病院が数多くあり、仮にある病院が受け入れを拒否しても、ほかの受け入れ先が見つかる。しかし病院・医師数とも少ない地方での受け入れ拒否は、患者に死を突きつけるのと同じこと」と話す。
 解決策として、「たとえば各病院の当番回数を、週1回から2回にするなどすればいい」と提案する。
 「しかしそうすると、医師への負担は大きくなる。地方での勤務を嫌がる医師や、病院を辞める医師も出てくるだろう」とも。問題は相当、根深そうだ。
 今回の取り決めを受けた福島市内のある病院の担当者も、「これまで2人だった当直体制を2.5人にするなどしたが、医師に大きなストレスが掛かるのは間違いない。できるところまでがんばるしかない」と悲壮な口ぶりで話した。
 うまく機能して多くの命を救えるのか、それとも破綻するのか。評価はもう少し先になりそうだ。
                  ◇
 ■救急医療病院群輪番制
 休日や夜間でも入院を必要とする救急患者らへの治療を確保するため、それぞれの地域で一定の規模と設備を持つ病院(第2次救急医療機関)が集まり、持ち回りで当直当番を決めている制度。福島市では、市内の10病院で病院群を作り、制度を運営している。
 第2次救急医療機関で治療が困難な場合は、第3次救急医療機関に搬送される。福島県は第3次機関である県立医大病院に来年1月、救急救命センターを設置し、集中治療室などを充実させることが決まっている。
 この制度に加わる病院側の負担は大きく、主に地方では、医師不足を理由に制度から脱退する病院が相次ぐなど、制度の維持が困難になっている地域もある。


  
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2008年01月14日

中津市民病院助産師外来を開設2月から産後の育児で相談

 中津市民病院から産科がなくなって、10か月がたとうとしています。
 ちょっと気になったのが、この病院には助産師が10名もいるのですね。それでなくても助産師不足が言われている中、10人もの助産師が本来の仕事をせずに放置されているのはもったいない話です。
 育児相談は、もちろん助産師の仕事ですもありますが、小児科医、看護師、保健師でも出来る仕事です。
 私はどちらかというと、中津市内に唯一のお産を取り扱う施設である、おだレディースクリニックに手伝いとして助産師を派遣するとか(おだレディースクリニックがいらないというかもしれませんが)、助産師がいないためにお産の取り扱いをしていないという婦人科の医院があれば、そこに助産師を派遣してお産を取り扱うことを復活させるとか....もっと、折角いる助産師を有効に活用する方法があるのではないのでしょうか?
 助産師を、看護師の業務で仕事させるのはもったいない話です。

中津市民病院 助産師外来を開設2月から産後の育児で相談
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/oita/20080111/20080111_004.shtml


 中津市は10日、医師不足で産科を休診している中津市民病院に、助産師が産後の相談などに応じる助産師外来を2月から開設すると発表した。助産師の専門性を生かし、地域の産科医療を支援することが目的。

 同病院では、年間約200件の出産を取り扱っていたが、昨年4月から医師不足で産科を休診。現在、市内で出産可能な医療機関は民間の医院1カ所となった。このため、「現状でできる限りの支援をしたい」と、市民病院に勤める助産師10人が中心となって助産師外来の設置を検討してきた。
 助産師外来は毎週水曜日と金曜日に実施。産後の授乳や育児などについての相談を受け付ける。受付時間は午前8時半‐同11時。3月末までは試行期間として無料で、4月以降の料金は検討中。助産師外来を担当する中山すみ子看護長(56)は「助産師の専門性を発揮し、地域のお産にできるだけ貢献したい」と話している。
 市民病院事務局によると、助産師外来は県内では大分市の大分赤十字病院などが設置し、妊婦の検診や相談業務などを行っている。
=2008/01/11付 西日本新聞朝刊=  
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2008年01月13日

人生125歳 早稲田大学

 早稲田大学は、2007年が学校創立125年の節目でした。創立者の大隈重信さんの「人生125歳」に由来しているとのことです。

 「人生125歳」説:「人間は125歳までの寿命を有っている」すなわち「生理学者の説によると凡(すべ)ての動物は成熟期の5倍の生存力を持っているというてある。そこで人間の成熟期は25歳というから、その理屈から推してその5倍、125歳まで生きられる」という訳です。勇気、反抗力、活動、この三ヵ条を補うに適当なる摂生を以てすれば、必ずしも人生僅か50年というような情けない弱音を吐く必要はない」。これが大隈の125歳説を唱えた理由です。


 2001年から、陸上、ラグビー、野球を最重点競技に指定し年間1200万円の強化予算を組み、スポーツの強化に取り組んできました。
 その結果、野球はリーグ制覇、全日本野球選手権では33年ぶりに優勝しました。陸上は、箱根駅伝で惜しくも総合優勝は逃したものの、12年ぶりに往路優勝を果たしました。
 昨日は、ラグビーでは2年ぶりの優勝を成し遂げ、日本一になったときしか歌うことの出来ない第2部歌の「荒ぶる」が国立競技場で大合唱されました。個人的には早稲田大学で佐賀工業出身の五郎丸選手と慶応大学で小倉高校出身の山田選手の対決に期待しましたが、慶応の山田選手は故障のためか、その活躍はいまいちでしたね。
 個人的には、東京隅田川で行われる春の風物詩、早慶レガッタにも興味があります。
 子供が、慶応大学か早稲田大学に入ってくれると良いですが....ちょっとは期待しています。


早稲田、26―6で慶応下し優勝…ラグビー大学選手権

http://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/news/20080112i411.htm

 ラグビーの第44回全国大学選手権(読売新聞社後援)は12日、東京・国立競技場で決勝戦が行われ、早大が26-6で慶大を下して2シーズンぶり14度目の優勝を果たし、最多優勝記録を更新した。
 1968年度以来、39大会ぶりの早慶戦となった決勝戦。早大は前半、ナンバー8豊田のトライで7―3とリード。後半もフォワード戦で優位に立ち、3トライを奪って、雨中の一戦を制した。
 慶大はノートライに終わった。
 両校は2月23日に開幕する日本選手権に出場し、社会人チームなどと対戦する。
(2008年1月12日19時39分 読売新聞)
  
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2008年01月12日

ヘリコプターによる母体搬送

 昨日、何げにニュースを見ていると、市立医療センター産婦人科の高島先生が映っていました。熊本からのヘリコプターによる妊娠中毒症の患者さんの母体搬送の様子でした。
 ヘリコプターが着く前の画像なのかもしれませんが、いつもそうなのですが高島先生は焦っておらず、悠然と受け答えをしていました。血圧が200以上???胎児の推定体重700g???私なら、それどころじゃあないと焦って対応しそうな状況です。いつも悠然と対応して頂いていますので、こちらも安心してお任せできます。
 しかし、ヘリコプターの搬送と言えば横浜から「亀田メディカルセンター」への母体搬送が2-3か月に一回あるという事で有名です。遂に北九州市もヘリコプター搬送の事態が起きたのです。
 熊本から搬送すると考えると、市立熊本市民病院、熊本大学病院、福田病院、久留米大学病院、聖マリア病院、国立病院機構九州医療センター、福岡徳州会病院、九大病院などがかなりの病院がありますので、その病院が断っている訳ですから考えると大変なことです。
 よく「たらい回し」など書かれますが、今回の患者さん場合、母体も新生児も集中治療が必要な訳ですから、受け入れ側の病院としてはかなりの力量が必要になります。母体は収縮期血圧が200mmHg以上有るわけですから、脳外科、循環器内科の協力も必要かもしれません。迂闊には受け入れは困難なのです。
 母体を管理できて、新生児も管理できて、脳外科もある施設は実は少なく、北九州市立医療センターはその少ない病院の1つなのです。
 私たちは実はありがたい都市に住んでいます。いつも自分は心が狭いと反省はしているのですが、この700gの新生児が、貴重なNICUのベッドを2-3か月占拠すると考えると少し憂鬱になります。そんな心の狭いことを言ってはならないと思うのですが、北九州市内の新生児が搬送を断られる可能性もあるのです。
 周産期医療はよく「地域化」といわれ、医療は地域内で終了しようと努力してきましたが、この地域化が出来ない状況になっているのです。
 本当に心配です。

【福岡】急患妊婦が熊本から北九州へ緊急ヘリ搬送1/10 18:46 更新
http://www.kbc.co.jp/news/index.html?newsno=1&mode=kbc
医師不足が背景にあるのでしょうか。10日午後、熊本市から北九州市に、急患の妊婦がヘリコプターで緊急搬送されました。午後2時15分ごろ、北九州市小倉北区の勝山公園に、34歳の妊婦を乗せたヘリコプターが緊急着陸しました。北九州市立医療センターの高島健主任部長は「妊娠中毒症がひどくて、赤ちゃんを出さないといけない(可能性がある)」「赤ちゃんが小さく、700グラムなんです」と状況を説明していました。女性は妊娠7カ月、血圧は200を超え、母子ともに危険な状態でした。母親と胎児の両方を受け入れる病院がなく、熊本や福岡など7つの病院で断られ、北九州市立医療センターまで搬送されました。北九州市立医療センターの高島健主任部長は「診られる施設がないからここまで来るしかない」と話していました。10日午後6時現在、女性は検査中ですが、状態は落ち着いているということです。
  
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2008年01月11日

子供の受験

 本日は、子供の高校受験のため私は犬と猫とお留守番です。
 遂に、受験の季節になりました。
 うちの子供はどこに行くんだろうね?子供は、実は塾ではびびっているようなことを言っているらしいのですが、親の前では強がって本心を言いません。
 頑張ってきたのですから、是非希望の高校に入ってもらいたいですね。
 私が高校受験の時は、小倉高校に行ったのでは医学部に入れないと、母親が塾の先生にそそのかされ、私立の青雲高校、熊本マリスト学園を受験しました。今でこそ青雲高校は進学校と有名な高校に名乗りを上げていますが、私が受験したときは「お入り得」の高校でした。
 塾も今はない?東京標準テストという全国規模の塾に短期間通いまして、全国合宿で灘高、東大寺学園、広島学院、愛光学園、ラサールなど有名高校を受験する生徒と同じ合宿に行きましたので、その生徒達が結構できが悪く、まあ有名校もあまり難しくないのかなあ?と自分はもちろんはいることは出来ないとは感じましたが、そんなに差はないと、ホッと胸をなで下ろして帰ってきた記憶があります。
 変に安心したのか、自分は青雲高校に無事進学し、何とか医学部に入り、今の職に就きました。
 子供は、今まで何とかなく挫折もなく、するするとうまく苦難をよけてきましたので、少しは自分の思ったとおりには世の中が動かないことを思い知らせるには、良い時期なのですが、親としては挫折する姿は見たくないし、ただの親ばかであると感じます。
 がんばれー!息子よー!  
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2008年01月10日

「HD DVD陣営から20社離脱へ」とTIMES報道

 テレビがハイビジョン化され、それに慣れてしまい通常の地上波のテレビが見るに堪えない画像となっています。NHKの大河ドラマも、ハイビジョン開始早々は屋敷などのセットがあまりにも綺麗に見え安っぽく感じましたが、昨年の風林火山では恐らく研究されたのでしょう、軽々しく見えないようになりました。
 DVDもそうで、Blue-Ray DVDや HD DVDの画像を見るとあまりの綺麗さに、DVDの画像に戻れなくなりました。HDMIもVer.1.3に上がり、画像ばかりでなく音声までもが圧縮されていない、原音の音声となりました(私の耳では、聞き分けが出来ないのですが(;^_^A アセアセ…)。
 しかし、この2つの規格は相容れません。どちらが残るのか?東芝陣営とソニー・パナソニック陣営の対決となっていましたが、ワーナーのBlue-Ray DVDのみの製作との方向変換によって、どうもHD DVD陣営の戦況が不利のようです。いずれにしろ、早く決着がつくと良いですね。
 ちなみに私は両方見れる環境を作ってしまいました。


「HD DVD陣営から20社離脱へ」とTIMES報道
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0801/09/news081.html
2008年01月09日 17時23分 更新

 英TIMESのオンライン版「TIMESONLINE」は1月8日、HD DVD陣営の20社が、同陣営から離脱する準備を進めていると報じた。Warner Bros.がBlu-ray Discへの一本化を発表したことがきっかけで「HD DVD陣営は離反の洪水に直面している」と伝えている。
 記事は、HD DVDプロモーショングループに参加する約130社のうち、Paramountをはじめとした20社が離脱する方針と報道。ポニーキャニオンも離脱を検討していると伝えている。
 また、日本の証券会社の「フォーマット競争が最終段階に入っている」というコメントを紹介している。  
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2008年01月09日

小学生の人間関係:親にキレる、日本の児童

 私が小さい頃は、親は怖かった.....「何くそーっ」と思うことはあっても、逆らうことは出来ませんでした。今は、その人間関係が可笑しくなっているのです。
 おそらく子供は悪くなく、その親の育て方が悪いのでしょう。子供はそのことが非常識であると言うことが判らないから、そういう行動に出るのだろうと思います。
 世の中の組織が全てそうなのでしょう。上司と部下、教師と生徒、上級生と下級生、親と子などの関係が可笑しくなっています。あまりにも封建的な理不尽な上下関係は考えものですが、ある程度の上下関係は守らなければならないと思います。
 このあたりが崩れていますので、日本人の「人間力」はまだまだ下がっていくのでしょう。このあたりからしっかりと教育しなければなりません。

小学生の人間関係:親にキレる、日本の児童 「注意されると」56%−−国際調査結果
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080105dde041040040000c.html

 ◇9カ国・地域で調査
 日本の子どもは親にキレやすく、反抗的−−。小学生の人間関係を調査している創価大(東京都八王子市)の研究チームが、世界9カ国・地域で行った国際調査で、こんな結果が浮かんだ。「親に注意されると、カッとなる」や、「親に乱暴な言葉遣いをする」との質問に、肯定する子の回答が最多となった。
 調査は06年3月から昨年9月、日本、韓国、台湾、英国、スペインなどアジア、ヨーロッパ、アフリカの9カ国・地域の小学5、6年生計8712人を対象に実施。日本では東京都内の公立小17校の2039人に聞いた。
 「親に注意されるとカッとなるか」との質問に対し、日本は「大変あてはまる」(19%)と「まああてはまる」(37%)の計56%が肯定した。続いて、南アフリカの計52%、スペイン計40%だった。
 「親に乱暴な言葉遣いをするか」では、日本は「大変」(6%)と「まあ」(21%)で計27%が肯定した。台湾計18%、南アフリカ計14%が続き、韓国(7%)や、英国(11%)に比べて、高い数値だった。
 研究チーム代表の鈎治雄(まがりはるお)教授(教育心理学)は「日本の子どもは家庭や学校で人間関係を維持する力が劣っているのではないか。学校教育の中で子ども同士がふれ合う集団行動を重視する必要がある」と指摘している。【木村健二】
毎日新聞 2008年1月5日 東京夕刊  
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2008年01月08日

好生館産婦人科、春から診療休止の危機

 佐賀市の2次病院が消滅しそうです。佐賀好生館病院は九州大学が派遣していたと思っていましたが、いつの間にか佐賀大学、大分大学からの派遣のようですね。いくら、母体搬送のあまりない病院でも2次施設がなくなるのは危険です。また、この病院は小児外科の医師がいるところでもあります。
 佐賀市は開業医の数は飽和状態と一度書いたことがありましたが、何か異常の起こったときに、あるいは異常のある妊婦さんを前もって搬送するためには、それほどリスクがないけれども開業医で診るには少しリスクのある患者さんを紹介できる、2次施設の存在は必要なのです。
 北九州市も2次施設があまりない、3次施設が2次施設も兼ねる危険な状況です。当院でも、あまり3次施設に負担をかけないように、少しリスクのある患者さんをがんばって診たりしていますが、結局はぎりぎりに患者さんをお願いしたり、早めに紹介すると最終的には特に問題がなかったり、かえって迷惑をかけたりしています。この判断がなかなか難しいのですが、患者さんにとってもよい環境で、そして3次施設にも迷惑をかけない正確な判断ができるように切磋琢磨しなければならないと思う「年始」なのです。


好生館産婦人科、春から診療休止の危機
http://www.saga-s.co.jp/view.php?pageId=1036&blockId=749160&newsMode=article
 県立病院好生館(河野仁志館長)の産婦人科が4月から診療休止の危機に直面している。同科の産婦人科医3人が本年度末で辞任する可能性が強まり、後任の医師も見つかっていない。このまま休止となれば、県の周産期連携体制への影響も懸念される。
 好生館産婦人科は常勤の医師3人体制で、子宮がんや卵巣がんなどを診察する婦人科と、分娩(ぶんべん)を扱う産科の診療を行っている。関係者によると、3人は家庭の都合による県外転出や、好生館では認証が不可能な専門医の資格取得などの理由で、いずれも3月で辞める意思が強い。病院側は慰留に努めているが、厳しい状況という。
 病院側は3人の代わりの医師も探しているものの、全国的に産婦人科医不足が深刻化する中で、めどはたっていない。佐賀大医学部産婦人科医局にも派遣要請をしているが、同科の岩坂剛教授は「要望に応えたいが、人員に余裕がなく、現状では不可能」と話す。
 県内の周産期医療の連携体制では、国立病院機構佐賀病院がハイリスク出産の受け入れなど中心的役割を担い、好生館は小児外科領域で機能を補完する役回り。産婦人科への母体の救急搬送は多くはない。
 ただ、2006年度の好生館の分娩数102件のうち40件が帝王切開などの異常分娩で、県内の開業産婦人科医は「出産にリスクのある患者に好生館を紹介することは多い」と指摘。「紹介や搬送先の受け皿が減ることは県内の産科体制に大きな痛手」と不安視する。
 好生館は12年に佐賀市嘉瀬地区に移転する予定で、基本指針など新病院の構想策定を進めている。このまま産婦人科が診療休止となれば、これから詰めの作業に入る具体的計画内容にも影響が及ぶ可能性が出てくる。
 県幹部は「医師の慰留に向けて説得を続ける一方、他県の医師を含め、勤務可能な医師を手分けして当たり、来てもらえるよう努力する」と話している。
  
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2008年01月07日

種子島唯一の産婦人科医院開院式 

 島唯一の産婦人科医院の開院は目出度いのですが、池田医師や池田医院への感謝などはないのでしょうか?「経験豊富な住吉先生に来てもらった.......」などの言葉は、池田医師への感謝は全くないように感じます。感謝がない対応は、住吉医師が悩んだときにやはりそのような対応になります。お互いの理解、感謝のないところに良い医療は成り立ちません。根本的に問題点は解決していませんので、住吉医師が「あー辞めた」と言うときが怖いですね。
 いらぬお世話ですが、あまり長続きしないような気がしてなりません。その時は、今後このような対応の島に産科医が来ることはないと思います。

種子島唯一の産婦人科医院開院式 
「島のために精いっぱいやる」
(01/05 07:57)
http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=8500

 種子島唯一の産婦人科医院となる西之表市立種子島産婦人科医院(住吉稔院長)の開院式が4日あり、1市2町の行政、医療関係者ら約30人が出席して新たな種子島の周産期医療拠点の設立を祝った。
 式では長野力市長や田上容正熊毛地区医師会長が「経験豊富な住吉先生に来てもらったことは全島民にとって大きな幸せであり、お年玉をいただいた。島民の期待に応えていきたい」とあいさつ。住吉院長は「市長らに種子島の若者のためにぜひといわれ、自然に承諾していた。鹿大病院などと連携してできることを精いっぱいやっていく」と抱負を述べた。
 同医院はこれまで民間の産婦人科医院だった池田医院の施設を借り、医師1人、助産師1人、看護師9人、事務長、事務員3人、調理補助員4人の19人体制でスタート。実質的には1日から開業、急患などを受け入れて、4日までに2人が出産している。
 診療時間は午前9時−正午、午後2時−5時。土、日、祝日休診。同医院=0997(22)0260。
 種子島の産婦人科医療は、救急搬送などの態勢不足を理由に池田医院が2007年での休診を5月に表明。地元自治体などが協議会をつくり産婦人科医師確保に動き、昨年8月に後任が決まった。
  
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2008年01月06日

種子島に響くうぶ声 産婦人科開業日に帝王切開

 去年に書いた、種子島の続報です。
 最初のお産から緊急帝王切開というのが少し心配ですよね。59才の住吉稔医師はいつまで仕事が出来るのでしょうか?
 先日書いた「赤ひげの離島」が重なります。池田速水医師(39)は種子島出身の医師です。親の跡を継いで実家に帰ってきた方です。「救急搬送や設備などの態勢が整っていない状況でお産を扱うのは危険」という理由で、断腸の思いで病院を閉める決断をしたはずです。危険だと言うことを医師会や市に訴えていたのですが、なかなか相手にしてもらえずに、閉院を決意したと言う経緯だったと思います。それなのに、結局は来た医師は1名で、それも高齢の方です。いつまで、ここで働けるか判りません。根本的な問題は解決していないように感じます。島出身の医師の気持ちを尊重せずに、今後の診療が心配です。
 それよりも、池田医師がどのような気持ちで今後島を離れるのか、こちらの方が心配です。島もこの池田医師を手放したことをきっと後悔する日が来ることと思います。

種子島に響くうぶ声 産婦人科開業日に帝王切開
http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=8472(01/03 08:02)

 種子島唯一の産婦人科医院となる西之表市立種子島産婦人科医院が1日、開業した。同日午前には早速、緊急の帝王切開手術も行われ、元気なうぶ声が響いた。4日に開院式が行われる。
 医院はこれまで民間の産婦人科医院だった同市西之表の池田医院の施設を市が借り、鹿児島市医師会病院産婦人科部長だった住吉稔医師(59)が院長になり診察を行う。経費は種子島1市2町で負担し、今後広域一部事務組合をつくり引き継ぐ。
 初日は急患が2件あり、帝王切開手術では住吉院長が前任の池田速水医師(39)らとともに緊急手術を実施、赤ちゃんを取り上げた。この日は2人の赤ちゃんが誕生し、うぶ声が院内に聞こえると付き添いの家族らはほっとした表情を見せていた。
 種子島の産婦人科医院はこれまで診療を行っていた池田医院が「救急搬送や設備などの態勢が整っていない状況でお産を扱うのは危険」として2007年での休診を表明。「産婦人科医の空白をつくるな」と1市2町や地元医師会などが動き、昨年8月に後任医師が決まっていた。  
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2008年01月05日

赤ひげの離島

 年末に放映された番組です。『赤ひげの離島』と言う番組でしたが、私はきっとハッピーエンドで終わると思っていました。今も離島で頑張っている......なんて終わり方と思っていました。しかし、なんと期待を裏切られました。そして、悲しい気持ちになりました。
 北里大学は神奈川県にある大学です。都会の医学部を卒業し、自分の出身の島に帰るということはかなりの勇気が必要だったはずです。しかし、その固い意志を砕くだけの長い時間と孤独があったのでしょう。
 56才という年齢で、第2の人生を歩まなければなりません。この田中医師の医者としての人生はどうだったのでしょうか?決して後悔だけではないはずです。できれば、15分番組でも良いですから。元気になった田中医師の、自分の人生を振り返る番組が見たいと思います。

長崎県の小値賀島で、一人で島の医療を担ってきた医師に焦点を当て、
離島医療の厳しい現実に迫るドキュメンタリー

第16回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『赤ひげの離島』
(制作:テレビ長崎)
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/16th/07-388.html

<2007年12月22日(土)深夜4時20分〜5時15分放送>
<企画意図>
 長崎県の小値賀島には20年以上、一人で島の医療を担ってきた医師がいる。田中先生と呼ばれ島の人々からの信頼も厚く「赤ひげ」のような存在だ。島で医師を続けていくことは並大抵の苦労ではなかったが、それでもかつての苦悩は乗り越えたかのように見えていた。しかし田中医師の過労、重圧、孤独はあまりにも深かった。島の美しい自然や人情だけでは医師をとどまらせることができない。離島医療の厳しい現実に迫る。
<番組内容>
 日本で一番島が多い長崎県は離島の医師不足に直面している。島に医師が派遣されてもなかなかなじめず途中で島を去ってしまう医師が跡を絶たない。五島列島の北部、小値賀島には島で唯一の診療所がある。ここで20年以上、島の医師として働いている田中敏己医師(56歳)は小値賀島に生まれ育ち北里医大を卒業して35歳の時、故郷に帰ってきた。大きな希望を胸に赴任した田中医師だったが、厳しい現実が立ちはだかる。田中医師を小さい頃から知る島の年長者たちは先輩意識が強く、若僧医師なんて簡単に信用できないと認めようとしなかった。島特有の密接な人間関係はかえって厚い壁となって田中医師にのしかかった。
 医師として技術に自信を持っていても、それだけでは島の人々の心は開くことはできない…そして島でただ一人の医師だという重圧と孤独の中、次第に孤立感を深めていった。
 田中医師は40代の頃何度もくじけそうになった。先端医療から取り残されてしまう不安と島の人々を見捨てることができないという狭間で苦しみ荒れた。島を逃げ出したくて飛行機をチャーターし、長崎市内の繁華街で酒を浴びるように飲んだ。それでも急患の連絡が入り、1時間もたたないうちに島に呼び戻された。辞めさせてほしくて病院の窓やドアも壊した。
 島に踏みとどまったのには二つの理由があった。幼い頃の悲しい記憶…自分が去った後、もう二度とこの島に定着する医師は現れないだろうという思い…田中医師にとって島はいきがいと苦悩の両方を持ち合わせていた。
 小値賀島は三つの小さな島を周辺に抱えている。田中医師は診療所での診察の合間を縫ってそれらの島々へ船で往診する。そしてまた夕方には診療所に戻って今度は入院患者の診察を行う。島々の風景はのどかで美しい。ただそこに人が住んでいるかぎり、必ず病人もいる。田中医師をめぐる島の医療は本人の苦悩をよそにこれからもずっと同じように続いていくのかに見えた。
 この4月大きな出来事が起きた。田中医師が町に辞表を出したのだ。一人で島の医療を担わざるを得ないという長年のプレッシャーの中で、いつしか田中医師は酒に酔うことで束の間の開放感を味わうようになっていた。過労により心身ともに疲れ果てうつ状態に陥っていたのだ。田中医師はとうとう島を離れることを決意した。田中医師は小値賀島が大好きだった。住民の健康と生命を守ることを一生の仕事と決意し、ひたすら誠実に医療を続けてきた。そのような医師でさえ20年はあまりにも長かったのかも知れない。番組ではきれいごとではない離島医療の厳しい現実をみつめ問題点をえぐり出していく。
<清水輝子ディレクター コメント>
 島を離れる決断をした「赤ひげ」はとても苦しんでいました。そんな時に「撮らせてもらってもいいですか?」とお願いしなくてはなりません。私にその資格があるのか迷いながら、一方で離島医療の現実はここにあるのだと強く感じていました。
 「赤ひげ」は優しくて威張らない人間味あふれた医師でした。島を去る日が近づくにつれカメラを向けると「もう勘弁してくれ」と度々言うようになりました。取材を中断して出直すことも増えていきました。島を去る寂しさと悲しみで「赤ひげ」の心は張り裂けそうでした。それでも取材に応じてくれました。「赤ひげ」は島の人々と別れる時、手を振りながら涙を抑えることができませんでした。泣きながら顔をあげることができなかった「赤ひげ」の姿は今でも私の心に焼きついています。
<番組概要>
◆番組タイトル
  第16回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
  『赤ひげの離島』
◆ スタッフ
プロデューサー 山本正興
ディレクター 清水輝子
ナレーター 勝村政信(俳優)
撮影・編集 井上康裕
撮影 矢竹 亮
タイトル 冨永佳宏
現場録音 増山裕介 ・ 矢竹憲介
音響効果 高田暢也
MA 駒路健一
制作著作 テレビ長崎
  
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2008年01月04日

本日から診療開始です

 本日から、通常の診療が開始します。
 実は1月1日からすでに毎日仕事していますので、今更という感じなのですがやはり心機一転です。
 しばらくの間は、外来が混雑し待ち時間が長くなるかもしれませんのでご協力下さい。

 昨日の箱根駅伝は、凄い激戦でしたね。私のお気に入りの早稲田大学は、残念ながら2位になりましたが上出来でしょう。来年が更に楽しみです。即戦力の新人選手が入学決定なのだそうです(マラソンの中山竹通選手の子息も入学が決まっているとか)。密かに応援していた東洋大学は、シード権を失いそうでしたがなんと東海大学の危険で、かろうじてシード権を確保しました。今回の駅伝は本当に戦国駅伝で、3校が棄権。その中に優勝候補の順天堂大学、東海大学が入っており、もう1校も名門大東文化大学でした。昨年シードを持っていた大学が5校もシード落ちという波乱でした。
 全てのコースが20kmもある長丁場のレースですが、選手はそれ以上の練習を積んでいるはずです。通常通りに走れば何の問題もないのでしょうが、「襷」の重さは想像以上に思いのでしょう。それと、リズムに乗れないとすべて歯車が狂うというのも実感しました。また、関東学連選抜は今年は自分たちのがんばりで次回のシードチームが減るという目標がありましたので、素晴らしい結果を得ました。
 あれだけ練習し、ストイックに取り組むあまりに、精神的に追い込まれるという精神面の弱さがよく分かりました。今後の課題だと思うのですが、この重圧はどうしようもないのかもしれません。
 来年の駅伝がまた楽しみです。
 
 今年も1年気を抜かずに私も頑張ります。皆様のご理解、ご協力よろしくお願い致します。  
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2008年01月03日

出生数減少、日本人は再び「自然減」に

 箱根駅伝は、応援する早稲田大学が8区まで何とかトップを保っています。東洋大学はシード権争い中、是非両校とも頑張って貰いたいと思います。
 本日は、昼間だけ小倉医師会の産婦人科の急患当番です。そのため。ずっと自宅で待機中です。
 
 さて、本題です。
 お正月早々くらい話題で申し訳ございません。しかし、今の医療状況を書くとどうしても暗い話題になってしまいます。
 お正月番組で、地球温暖化の番組を見ていました。温暖化の影響で、北極の氷は溶けシロクマが絶滅の危機に陥っているとの報道でした。氷が溶けて、餌であるアザラシが捕れないのです。それよりも驚いたのは。アザラシが子供を生むのをためらっているというのです。子供を育てる環境が悪くなっているため、出産を控えているのだとか。
 人も少子化が進んでいますが、アザラシは本能で出産することを控え、人も同じような影響で少子化なのでしょうか?人の場合は、環境ばかりでなく自分のエゴも入り少子化が進んでいるように思います。


出生数減少、日本人は再び「自然減」に
http//www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080101it03.htm 

厚生労働省は1日付で、2007年の人口動態統計の年間推計を公表した。

 出生数は前年比3000人減の109万人で、6年ぶりに増加した前年から再び減少に転じた。また、出生数が死亡数を1万6000人下回り、前年は自然増だった日本人の人口は再び「自然減」となる見通しだ。
 死亡数は前年比2万2000人増の110万6000人で、戦後では1947年に次いで多く、5年連続で100万人を超えた。
 合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子供の人数に近い推計値)は前年の1.32から1.33程度に微増する見通しだ。
 出生数の減少について、厚労省は、高齢化の進行で15〜49歳の女性の人口が減り続け、特に若い世代の減少幅が大きいとし、「雇用情勢の改善などから女性の出産意欲は高くても、数自体が減っており、長期的には減少が続く」としている。
 また、婚姻件数も前年比1万7000組減の71万4000組で、5年ぶりに増加した前年から減少に転じる。離婚件数は2000組減の25万5000組で、5年連続の減少となる。

 年間推計は、07年1〜10月の人口動態統計速報などを基に、11、12月分を推計するなどして取りまとめたものだ。
(2008年1月1日9時19分 読売新聞)  
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2008年01月02日

HPリニューアル

 HPをリニューアルいたしました。まだ完全ではありませんが、徐々に手直しする予定です。Yahoo JapanのHPもリニューアルしていましたね。読売新聞の紙面もリニューアルしていました。
 足立クリニックのシステムも徐々に変更しています。ハード面では、エレベータが全面改装されました。見かけは変わらないのですが、心臓部も全く変わりコンピュータ制御となりスムースにエレベータが動くようになりました。地震に対する対応、遠隔集中管理、自己診断などなどシンドラー社製のエレベーターとは違う国内産のきめ細かい管理が行われています。またシャワー室も新装となりました。3階より2階に場所も変わり、なかなか快適に使えるようです。
 ソフト面では、予約システムも変わりました。固定電話、携帯電話、HPからでも予約ができるようになりました。今後、母親学級、育児サークルなどの予約方法も変更予定です。
 当院も亀のような歩みですが少しずつ進化しています。
 今後の足立クリニックにご期待ください。
 もちろん、本筋であります「お産」の取り扱いもよりきめ細かい配慮をしていこうと思っています。これは、中々進歩という事はありませんが、1つ1つのお産を大事に、患者さん、その家族とともに二人三脚で頑張っていこうと思います。もちろん、患者さんの努力も必要です。節制をして、体を良く動かしてください。安産へのその一です。これは、患者さんの努力無くしては成り立ちません。よろしくお願い致します。
 
 先ほど、今年1例目のお産が、無事終わりました。安産でした。始めよければ...と言う言葉もあります。よい1年でありますように。
 箱根駅伝も早稲田大学が12年ぶりの往路優勝です。
 何か、今年は良い出だしです。
   
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2008年01月01日

明けましておめでとうございます。

 明けましておめでとうございます。
 昨年は「医療崩壊」「たらいまわし」「薬害C型肝炎訴訟」などいろいろな医療問題がクローズアップされました。
 福島前置胎盤手術後の母体死亡刑事訴訟事件の衝撃、横浜看護師内診問題での院長医籍返上強要への衝撃、奈良頭蓋内出血での母体死亡「たらい回し」マスコミの過剰報道、産婦人科医へのなり手の減少、それに伴う「病院の集約化」など、周産期医療に携わる医療従事者を十分萎縮させる効果がありました。
 急速にお産を取り扱う施設が少なりつつあります。「助産医外来」「院内助産院」「バースセンター」などの言葉も注目をあびました。
 昨年は、少なくとも医療従事者にも患者さんにも得になることは1つもありませんでした。結果的に、マスコミがおもしろ可笑しく周産期問題を取り上げて、更に悪い状況に追い込んでしまったとしか思えません。
 今年の周産期を取り巻く状況はどうなるのでしょうか?少なくとも、医療従事者と患者さんが手を取り合う必要があります。マスコミ報道に踊らされないで、医療従事者の言葉にも耳を傾けてみて下さい。医療従事者は、本当は患者さんの方を見ています。不幸なことは、患者さんが「医療消費者」という意識があまりに強く、医療の不確実性を認識できずに、お金を払っているのだからという意識をあからさまに表に出すことです。医療従事者は、あまりにそのことを言われると、自分を「労働者」と認識してしまいます。「労働者」と認識すると、自分やその家族を犠牲にして成り立っていた医療(医は仁術という医療)をすることはなくなり、時間外に働こうという気持ちが無くなるのです。
 医療従事者も患者さんも、お互いに歩み寄って、真摯な気持ちで向き合うことで「医療崩壊」は食い止めることが出来ると思います。このまま医療崩壊が進行すると、お互いに不幸な結果しかありません。
 すぐに、医療環境が良くなるとは思われませんが、少なくともこれ以上の医療崩壊が進まない一年であってほしいと思います。
 今年が、お互いにとってよい一年でありますように、ギリギリで踏みとどまっている医療従事者が立ち去らない一年でありますように祈っています。
 病棟は今のところ平穏です。今から、初詣でに行って来ます。もちろん妙見神社です。  
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