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私にとって車とはウオーカーの妨げです。世代は違うが今時の若者の軌跡を追った【横浜・ゲットー・ウォーカー】レペゼン横浜ラッパーがハマのウラ側をご案内!「サイプレス上野とロベルト吉野」が"ヤバい青春"を過ごしてきた、横浜の危険地帯を巡った

「"終わってた"街。俺らもここから始まった」横浜・ゲットー・ウォーカー横浜ドリームランド■寂れた遊園地が、不良たちのたまり場

みなとみらいや元町などお洒落なデートスポットを数多く抱える横浜。だが実は、かなりディープなスポットが点在しているのがこの街だ。ハマの"裏側"を、地元民のヒップホップ・ユニット「サイプレス上野とロベルト吉野(通称・サ上とロ吉)」と巡った。まず向かったのは彼らの出身地、戸塚区俣野町の「ドリームハイツ」周辺だ。「俺らが10代の頃のこの辺は、ホントぐしゃぐしゃだった。なんでもありの無法地帯でしたね」(上野)一見ありふれた郊外団地に見えるこの地区だが、きれいに管理された建物の裏手にはグラフィティだらけの廃屋が。ここが"ゲットー化"した最大の理由は、1964年に開園し、この地区の名前の由来となるも、当時すでに寂れた遊園地となっていた「横浜ドリームランド」(02年に廃園)にあったのだとか。「横浜一帯の暴走族の集合場所とスタート地点が、ドリームランドの駐車場だったんですよ。そこにはスケボーやってる先輩もいたし、グラフィティやってるヤツもいた。荒っぽいヤツも多かったすね。そこのルールを知らないヤツは、狙われてボコられる」(吉野)「俺らも基本やりたい放題(笑)。夜中に勝手に遊園地に侵入して乗り物を勝手に動かしたり、売店のビールを勝手に飲んだり、夜通し遊び続けてた。"ジャングル探検船"という乗り物の裏あたりは、怖い先輩たちがたまってたりして、特にヤバかったですね。草むらで男女の営みをしてるヤツもいたし」(上野)彼らがヒップホップに触れたのも、この地で育ったからだという。「ヤバい先輩も、たくさんいましたよ。団地のベランダで×××を育ててパクられたり。当時の不良たちから、『ドリームランドのヤツらはヤバい』って一目置かれてたみたいだった」(同)現在ではドリームランドの跡地は公園や大学として再開発され、整備された郊外の住宅地といった印象だ。緑も多く、遊園地があった頃のすさんだ面影は残っていない。「もう、今の若者には別モノだよね。普通に公園と野球場がある街になっちゃって、当時のすさんだ空気はないから。逆にかわいそうかもしれない。今みたいな感じの街だったら、俺たちだって音楽やってないだろうから」

「うかつに近寄れないギャングスタ激戦区」

横浜・ゲットー・ウォーカー鶴見リトル沖縄オリエンタルな空気漂う混沌の街横浜の中でもリアルな多国籍の雰囲気を味わえるのが、鶴見駅から徒歩15分ほどの「リトル沖縄」。一帯には沖縄料理店があり、南米の料理店や食材店も軒を構える。海外に移民した沖縄出身者が引き揚げの際にここに戻ってきたのが由来だとか。「ここには来たことなかったけど、いい感じですね。ソーキそばもうまそう。"横浜市沖縄区"とか勝手に名乗ってたりするのも共感するな。俺らもNYっぽく"ドリームブルックリン"とか言ってたから」外国人も多い鶴見は、いわば"横浜のマイアミ"ともいえる土地柄。アウトローの抗争も多い。「鶴見は、血気盛んな人達が多いんすよ。祭りもハンパないし、街を仕切る顔役もいる。横浜屈指の激戦区なんで、当然怖い人も多い。俺ら自身もうかつに近寄るなって感じですね(汗)。同じクルーの謎・みっちゃんは、男なんだけどなぜか鶴見女子短大に通ってたけどね(笑)」


「ここは、まさに裸の教科書!」

横浜・ゲットー・ウォーカー黄金町周辺■ヘルス街近くのリアル「赤線」。少年たちの夢の跡地京急・黄金町駅を降りてすぐ、高架下の裏通りに、つい数年前まで「赤線地帯」が存在していた。ヘルスやイメクラが並ぶ曙町の風俗街「親不孝通り」からも近いこの場所は、売春防止法の施行後も長らく隆盛を誇っていた関東最大の特殊飲食店街。いわゆる「ちょんの間」には、サ上とロ吉の2人も相当お世話になっていたとか。「ここは俺らを大人にしてくれた街。18歳の頃からずっと行ってましたね。月1回のご褒美みたいな(笑)」(上野)「相場は1万円なんだけど、常連になるとまけてくれるんですよ。クラブでさっきまで一緒だったヤツと中で再会して、気まずかったこともあった(笑)」(吉野)05年の大規模な摘発により一帯は壊滅。当時は、かなり緊迫した雰囲気だったとか。「俺の友達で、一番赤線にハマってたヤツがいて。そいつは、まさにガサ入れされてる真っ最中の時に店に行ったんですよ。そこら中に立ち入り禁止のテープが張られて、パトカーも警官もいるのに、それをかいくぐって店に入っていった(笑)。狂ってるって思ったな」(上野)現在、黄金町は、「アート」の街として再生が行われているが、空き家部分も多く、当時の雰囲気を残したまま、どこか異様な雰囲気が漂っていると聞く。私は東京に住んでいますが、姉が横浜黄金町出身の亭主と結婚したので、この街の変遷は知っていますが、それはさて置きウオーキングが安全に出来る街は少ないのが現状、車が必要以上に増えた事も心の環境破壊を齎したと思います。