2010年10月30日

ニーチェは哲学者ではない

今回は気合を入れて書いた。
我輩が最も熱くなる類のテーマだからだ。
どう判断するかは個人の自由だが、
自分の心、人生などを見つめ直す機会にはして欲しい

さて、本題に移ろう。
哲学というと真っ先に思い出すのは、ソクラテスとプラトンである。
近頃、ニーチェが流行ってるが、
彼の考えは、哲学というには現実的過ぎる
それに、ゲーテって作家じゃなかった?
『ファウスト』とか『若きウェルテルの悩み』とか

哲学とは、頭脳でこの世界を理解しようとする学問の事。
これに対して科学は、
物質の仕組や働きで世界を解明しようとしている。
そして、宗教というのが、
頭脳で知ると共に、心で感じるモノ。
それぞれ、違う手段で、この世界を知ろうという試みである。

哲学は、あくまで人間の知性でしか世界を見れない。
ようするに限界があるのだ。
しかも、その思想が正しいという確証もない。
宗教のように、
目に見えない世界を信じるという難しさはないが、
その難解な理論を理解するのも難しい
哲学者の思想なんて、一人間の個人的な見解でしかないのだ。
だから、特定の哲学者のいう事を鵜呑みにしてはいけない。
とはいえ、多くの哲学者の思想には共通点があるし、
実際に役立つ理論もあるので、
人が生きる上で参考になるのは間違いない。

哲学の始祖は、古代ギリシャのソクラテスといわれる。
(哲学者として最初にブレイクした)
『無知の知』で有名な謙虚な人物。
「賢い人ほど、己の無知を自覚している」と語り、
当時、彼に「あんたは自分が無知だと気付かぬ愚か者」、
といわれ、天狗の鼻をへし折られた人も多いとか…。
(それが仇になり、処刑された)
そんな彼は、そのさまざまな思想を夢で得たという。
夢で見たモノが彼の思想の源だったらしい。
そういう点も含め、書物も全く残してない事から、
神秘的なイメージが強い。

ソクラテスの弟子がプラトンで、そのまた弟子が、
アリストテレスだ。
アリストテレスの思想は充実しているが、
その元はプラトンであり、我輩が尊敬する人物である。
彼の思想最大のテーマが『イデア』。
イデアとはアイデアと同じ意味で、
物質の存在や人間が行動する源でもある。
人が何か行動する事により、この世界にさまざまな結果が生じ、
物や社会、システムが形として姿を現す。
その行動は、全てアイデアが元となっている。
まず思考があり、そして、それが形となる訳だ。

プラトンは考えた。
家や陶器や服など、身の周りの物全ては、
誰かが初めて作る前から、
そのアイデアが存在していたのではないのか…?…と。
初めからあった、それこそが全ての実体と考えた訳だ。
ようするにテレビやPCなど精密な物でも、
アイデアとしては元々あったという事。
人間が生み出す道具や機械は、
この世界にある物質を組み合わせて作られるんだが、
何が作れるかは初めから判明していたというのである。
全ての物は元々存在していた…?
(未だ見ぬ発明品も、既にイデアでは存在している)
プラトンは、このイデアは、我々が住む現世ではなく、
別の世界にあると考えた。
それが『イデアの世界』だそうだ。
何だか、あの世の世界を指している気がしてならない。
そこに神という存在もあるのではないか…?と、
弟子のアリストテレスが仄めかしているが…。

古代ではなく、近代でも有名な哲学者は大勢いる。
実存主義で有名なニーチェやサルトル、
「我思う故に我あり」のデカルト、
プラトンに影響を受けたといわれるヘーゲルなどなど。
科学者ならば、当然、神というワードを使わない人が多い。
多くの科学者は唯物主義であるが、
哲学者の場合は意見が分かれるようだ。
尤も、現在では、神を意識する科学者も増えたので、
そういう哲学者は普通なんだろう。

その点、ニーチェは現実的だ。
人間存在の意図、理由への回答は全くなく、
この世界、社会での生き方だけを説いている。
まさに『生の哲学』というに相応しい。
最近、人生訓の形で本が出ており人気だ。
読んでみると意外に面白く、ためになる。
「人生を如何に生きるか?」を説いた本は、
ニーチェじゃなくても膨大に出版されているが、
彼らの中にも神の存在を無視する人は多い。
我輩は神の存在を前提とした、
WダイアーやRカールソンなどが好きだが、
ニーチェも現実に役立つ事をいってるので参考にしたい。
彼は哲学者というよりも人生の教師という感じだ。

ニーチェは著作で、「神は死んだ」という過激な発言をした。
神という生物がいて、それが死んだという訳ではない。
彼が生まれ育ったのはドイツで、キリスト教圏である。
大地や人間を創造したのは、神だと教える社会で、
神の意思に従って生活を送るのが常識とされていた。
しかし、神の存在を証明出来ない限りは、
そんな考え方自体に無理があるとニーチェは思った。
今までの哲学者は、この世界や人間の存在には意義があり、
それを思考によって解き明かそうとしていたが、
「そんなの無理だ、本当の事は誰もわからないのだから、
神はいないという前提で考えた方が現実的」と
キリスト教社会に喧嘩を売ったのだ。
「神が死んだ」というのは、
これからは宗教の時代じゃないという意味だったのだろう。
結局、キリスト教では、人は救えないと考えたらしい。
実際、現在、この日本人の中にも、
ニーチェ的な考え方で生きている人が大勢いる。

彼の思想は実存主義といわれるが、
これは「神がいるかどうか解明出来ないが、
我々が実際に存在してるのは事実である」というモノだ。
ようするに、「神の存在や意図を解き明かすのは無理なので、
現実に自分自身が如何に生きるかを考えた方がいい」
というのが彼の意見である。

みんなが知る通り、世の中というヤツは意外と厳しい
この社会は、矛盾や理不尽や不公平に充ちている。
そこに希望はあるのか?
救いはあるのか…?
「いや、そんなモノに期待してはダメで、
人はこのツライ現実を受け容れ、がんばるしかない」、
とニーチェは説いたのである。
現実を受け容れて一心不乱に努力して生きる人を、
彼は『超人』と称した。
確かに、巷には超人が大勢いる。

宇宙、神、この世界と人類、
そして、自分とその人生の本質を追求しないのは、
まさに手探りで生きる事に他ならない。
何だかよくわからない状況で努力するのは、
「現実に従うしかない」と自己暗示をかけてるようで、
我輩ならばガマン出来ない生き方である。
それが出来る人は、やはり超人だと思うのだ。

今、この国にもニーチェのいう『超人』が大勢いる。
神の存在を否定し、人間の来世も信じず、
または、それらに全く関心もなく、
日々、仕事や自分のやりたい事に没頭し、
社会的成功を収めている人たちが…。
そういう成功者は、「一度しかない人生」とよくいう。
人生が終わる前に努力して目標を達成する、
という心がけ自体は、確かに素晴らしい。
人生には時間制限があり、
それに対して、ある人は努力を選び、ある人は怠惰に逃げる。
後者が普通であるのに、努力して成功するのはスゴイ

ニーチェは晩年、発狂したりして悲惨な目に遭った。
人として人生に苦しみ、そこから生きる術を見つけ、
それを後の世に教訓として残してくれた。
実用論として、その意見に耳を傾ける価値は充分にある。
ただ、ニーチェの本は読んでいいが、
実存主義者になってはいけない。
宇宙と神と地球と人類の関係を無視してはダメだ。



adam_2021 at 20:23│Comments(0)TrackBack(0) 心、精神 | スピリチュアル

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
楽天市場