2010年02月

2010年02月25日

正義の追求 その2

『正義の追求』という題で以前書いた事がある。
でも、共通テーマで出たからには、また書こうか。

『正しい』とする基準は、結局、人間判断だ。
人が成す言動には、必ず結果が付きまとうモノだが、
いい結果が出れば正しく、悪い結果が出れば間違い、
と基本的に考えていい。

いい結果とは何か?
「利益得た、またはを与えた」、「喜んだ、または喜ばせた」
「助かった、または助けた」、「向上した、またはさせた」、
まぁ、大体こんなところだ。
悪い結果は、前述の逆。
「損した、不利益を与えた」、「悲しんだ、悲しませた」、
「堕落した、させた」というところ。
結局は結果でわかる。

人は自分の考え方や意見こそ「正しい」と思うモノ。
「正義は人間の数だけある」という人もいる。
自分が正しいと信じたいのは、自己保存欲からだ。
「あなたのいう通りだ」という台詞を聞けば
誰だって気分が良くなる。
しかし、「正しさ」とは、
自分の気分が良かろうが悪かろうが、そんなのはどうでもいい。
自分だけの正義なんて、そんな自己満足はいらんのだ。
「正しさ」とは、主観的、一時的じゃなく、
客観性と普遍性がなくては使い物にならない。
正しさを追求するのは、
個人のためではなく集団のためという事だ。

そんな客観的な正しさの基準として『道徳』というのがある。
これは、日本における『集団が調和するための法則』といっていい。
まず、「他人に迷惑をかけない」というのが最低限度としてある。
そして「嘘を付かない」、「他人に施す(あげる、してあげる)」、
「困ってる人を助ける」など、さまざま。
ようするに「迷惑をかける」、「騙す」、「人から奪う」、
「困った人をほっておく」などはいけないという事だ。
このような不徳な行動を取ると他人に恥ずかしい、
というのが日本人の考え方。
集団は常に正しく、それに背く事は恥だという理屈である。

そしてもう一つあるのが『倫理』。
これも道徳と内容的には同じだが、その根底にはキリスト教がある。
いわゆる宗教倫理というモノで、
神の視点で正しいか否かが判断基準となる。
『モーゼの十戒』は知ってるだろう。
「汝盗むなかれ」、「汝殺すなかれ」、「汝欺くなかれ」など
神が人間に「これをやっちゃダメだよ」といったモノだ。
キリスト教文化を持つ欧米諸国の正義とは、
日本のような『共同体』に従う事でなく、神に従う事を指す。
そもそも倫理が元で法律というモノが作られた訳で、
神に従う事は共同体に従うのに等しく、
その点から道徳も倫理も、現在においては同じだといえる。

はたまた、我々がよく口にする『常識』。
マナーやモラルというのもこれに近く、いわば社会のルールというモノ。
守らなくても自分に被害はないが、
こういう無頓着な人ばかりだと集団生活に支障が出る。

道徳も倫理も、自分の意見ではなく、
集団や神に従えという事から、エゴは否定される。
簡単にいえば「いう事を聞きなさい」という意味だ。
これは、親の立場から見て、
「いう事聞く子はいい子、聞かないのは悪い子」というのに似ている。
現に日本における不道徳者や欧米における神を信じない者、
そして法律を侵す犯罪者は社会から糾弾される。
個人がどういう考えでいようと、従わない者は悪いヤツだ。

例えば、なんで「人を殺してはいけない」か。
以前、その理由を説明出来ない大人が問題視された。
でも、法律には理由なんて基本的にない。
「理由なんて知らなくてもいいから従え」という事だ。
「駐車違反がなんで悪いか」の理由を説明する人はいない。
同じく会社や学校において「遅刻はダメ」、「挨拶出来ないとダメ」、
また、小売店において「レシートのない返品はダメ」とか、
世の中には『ダメ』がいろいろあるが、
ただ「ダメです」というだけで明確な理由は教えてくれない。
ナゼしてはいけないか、するべきなのか、
共同体にいる全ての人間が理解しなくては、
『正しさ』の価値が見えて来ない。
頭ごなしに「これダメ、こうしろ!」といわれても
それは、何も考えずにただ服従してるだけ。
「正しさ」とは、中身をしっかり理解して、
自分自身も「なるほど、これは本当に正しい」と
腑に落ちたモノでなくては意味がないんじゃないか?

これは日本だけかも知れないが、
子供の頃からいわれて来た親や先生(大人)の意見、
そして社会の常識や道徳の大半が「頭ごなし」だと感じる。
その『正しさ』の理由と正当性と価値は教えられてないから、
ただ、「いい、悪い」というデジタルな反応しか出来ないのだ。

自分で『正しさ』を理解、模索出来ない者は、
最低限、犯罪者だけにはならないよう気を付ければいい。
逮捕され、社会的に糾弾されるからね。
もし、上手く逃げても「いつ捕まるか」という重圧があり苦しい。
犯罪者になるとデメリットしかないからダメなのだ。
でも、個人がどういう考え方を持とうが自由である。
心の中は真っ黒でも、犯罪を犯さなければ逮捕されないし、
人に迷惑をかけなければ自分の居場所は確保出来る。
ただ、そういう人間に「正しさ」を語る資格はない。

『正しさを知る』とは、共同体や宗教、法律に盲目に従うんじゃなく、
その内容を理解して自由に行動出来る事を指す。
自分で判断して行動した結果、
それが他人に迷惑をかけず、また他人に恩恵を与えるなら、
それは「正しい」のだといえる。
そういう人は、社会秩序に支配されている奴隷ではなく、
社会それ自体の一部になれるのである。

しかし、道徳、倫理、常識、法律が、100%人を救う訳じゃない。
基本、社会秩序を維持するための方法や手段な訳で、
共同体を守るために個人が犠牲になる事だってある。
まず、この資本主義経済自体がそうではないか。
貧富の差は拡大しており、苦しんでる人は多い。
これは、けして正しい姿とは思えないんだが、
現在、社会秩序を維持するにはこれしかないのだ。
道徳、倫理、法律の目的は秩序の維持。
全ての人を幸せにするモノではない。
これを知っておかないと『正しさ』を勘違いしてしまう。
そう考えると『正しさ』には理想と現実があるんだと気付く。

道徳、倫理、常識は、正しさを測る社会の物差である。
しかし、あくまでも今この社会で機能しているに過ぎない。
時と場所が違えば変化して行くのだ。
昔と今が違うのは、当たり前だし、
日本と欧米、イスラム諸国が違うのも当然。
所詮、社会的な『正しさ』とはそんなモノだ。

実は、我々一人一人には、
極めて優れた『正しさ』を測る物差があるのだ。
それが人間の心に備わっている。
『良心』である。
人間、いい事をするといい気分になるし、
悪い事をするとイヤな気持になるじゃないか。
人に喜んでもらえると嬉しいし、悲しまれるとこっちも悲しい。
実に単純な事実。
『正しさ』には理由が必要だと書いたが、
それ以前に信じるべきは『自分の感覚』だ。
良心に従って生きれば、ほぼ人生で間違う事はない。
それくらい正確な物差なんだ。
『正しい』、『悪い』などと理屈ではなく、
「嬉しい」、「イヤ」という感覚こそが
実は社会秩序を形作る根底なのである。

道徳、倫理、常識などは、結局、個人の良心が集積したモノ。
だから、まずは自分の良心に従うべきで、
その後、良心がナゼそう感じるのかの意味を理解すべき。
それが出来れば、正しく生きる事の価値に気付く。

人間、少なくとも親になるためには、
『正しさ』について子供に教えられなければいけない。
言葉として意味と意義を伝えられなければ、
子供は自発的に正しい言動を選べないし、
そのままでは、社会に盲目に従うだけの奴隷になってしまう。
正しさを理解し、伝える人が少なければ、
この社会自体が停滞する事は間違いない。
これでは世の中は進歩しないだろう。

最後にいいたいのは、前半にも触れたが、
正義を振りかざしてはいけないという事。
これは正しさを伝えるのとは違う。
世の中、自分だけが正しいと勘違いしてる人が多い。
人間同士の意見が対立すれば、
大体、どちらかが間違ってるのは事実。
それを常に相手が間違ってると思うのはバカである。
正しさを理解して伝える技術は、そう簡単には身に付かない。
どんなに経験を積んだ人でも、常に正しい訳がないんだ。
だから、「自分はまだまだ修行の身だ」と自覚しよう。

特に、取るに足らない事なら、白黒はっきり付ける必要はない。
多少なら間違っていても、世の中そんなに支障がなかったりする。
どっちが正しいかを議論しても答えは出ない事が多く、
無理して対人関係がギクシャクするのは頂けないね。
リチャード・カールソン氏がいう通り、
「正しいかどうかではなく、人に優しい方法を選ぼう」、
というのは『正しい』意見だと思う。

いろいろ書いたが、
考えれば考えるほど、『正しさ』とは難しいモノだ。
我輩が現時点で思うに、人が生きる上で、
「向上心を持つ」のと「みんなと仲良くする」のは
間違いなく正しい事だろう。
それだけ押さえれば、人生、上手く行くんじゃないか?





adam_2021 at 20:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 心、精神 | スピリチュアル

2010年02月21日

女性に「可愛い子を連れて来て」と頼んでみると…

異性の知り合いに「今度、合コンしよう」と声をかける。
「うん、いいよ、何人くらいで?」
「う〜ん、あまり多いと大変だから、4対4くらいで」
「わかった、声かけてみるよ」
「可愛い子連れて来いよ
「もちろん、そっちもカッコイイの連れて来てよ」
「よし、わかった…
なんて合コンの約束をしたとする。
「どんな子が集まるかな〜!?」と期待しつつ、
いざ会場に行ってみると…、
「え〜、どこに可愛い子いるんだ!?」と驚愕する事がある。
女から見た可愛い子ってヤツと、
男から見た可愛い子には大きな違いがあるのだ。

女の子が『可愛い子』というのは、
容姿だけでなく内面も含んでいる。
反面、男はルックスのみで判断。
女にとって『可愛い子』というと、性格が良く、愛嬌があり、
容姿はそこそこ…という感じで考える。
でも、合コンでは第一印象がモノをいう。
初めは『容姿』しか判断基準がなく、内面の良さは全く伝わらない。
というか、男は外見の可愛さにしか興味を持とうとしないのだ。
結局、それが目的で合コンに行くようなモン

合コンに、容姿だけが抜群に可愛い子を呼ぶと、
全ての男はその子に一点集中する。
他の女子は「あ〜、そんなのがいいのか〜…、
性格はイマイチなんだけど…」と気が抜けるという。
また、そういう可愛い子は男に好かれるツボを心得ており、
普段、女同士では見せないブリブリキャラに変身する。
そんな様子を他の女子は、
「あ〜あ〜、騙されてるよ、男って単純だね〜」と
呆れた目で眺めるという。
まさに確信犯的な詐欺的大変身である。
しかし、男にはそれが見抜けない

反面、カッコ付け男に騙される女は少ない。
女の前で強がったり、粋がっても意味がないばかりか、
評価を落とす可能性が高い。
「え〜、コイツ、自分をカッコイイと思ってんの…!?」
「ナルシスト野郎!」
「あ〜本当は、自信がないんだね〜」など、
マイナスの印象を持つ場合が多い。
女は内面で男を判断する傾向が強いから、
ヘンにカッコ付けても逆効果だ。
本当にカッコいい男は、カッコ付けないからカッコいい。
これは内面から滲み出たモノで、
付け焼刃じゃ無理だし、そうそう演技で出来るモンじゃないのだ。

世の中には羨ましくも『モテる』男がいる。
彼らは、けしてカッコ付けない。
一応オシャレではあるがチャラチャラしてなく、
「如何にも女を引っ掛けそう」という雰囲気はない。
もう、もって生まれた雰囲気というか、人当たりが武器だ。
自分の容姿の良さに気付いて、
「女ってチョロイ」と遊び人になる者もいるが、
自覚していても意外に真面目で一途な者もいる。
もちろん、自分の力に気付いてない者も。
共通していえるのは「モテたい」と思ってない点だ。
いずれにせよ女は、男の内面を重視するから、
内面に魅力のある男がモテるのは間違いない。

女は外見で殆んど決まる。
特に若い男ほど女を容姿で判断する。
だから、生まれつき美しい女は得。
美しくない女は、個人の努力でがんばるしかない。
故に『髪型』、『服装』、『メイク』、『ダイエット』、
などに骨身を削る日々を送る。
ある意味、女をそのようにしてしまってるのは男だ。
男が容姿で判断するからである。

そのように、女が努力して化けた姿に男は騙される。
『可愛子ブリブリ演技』をプラスすると効果100倍。
いい女を求めるばかりに詐欺にあう訳だ。
男って、本当に単純かつバカだね。

かくも女は、男に選ばれるために努力し続けている。
バカな男で良ければ、見も心も化ければそれで良い。
恋愛に限定するならね。
でも、女は子供を産むためには、若い内に結婚せねばならん。
(出産は20代がベスト)
結婚するなら、やはり内面の充実した男が好ましい。
そういういい男に釣り合うように、
自分の内面も研かざるを得ない訳だ。
女は精神的に大人になるのが早いというが、
それは子供を産み育てるためであると同時に、
しっかりした男に選ばれるためとも考えられる。

男は精神的になかなか成長しない。
知人で子供に携わる仕事に就いている女性がいて、
彼女がいうに「3歳くらいから男の方が幼い」そうだ。
学校に上がると少なくとも5歳くらいの差があるといい、
小学6年の女子と中学3年の男子が同じくらいに感じるという。
確かに女の22、3歳は結構大人だが、
同世代の男はチャラいヤツが多い。
我輩の感じでいうと、
男が女に追いつくのは35〜40歳くらいではないかと思う。
子供が出来れば男も成長するチャンスだが、
子供と共にガキのまんまというオヤジもいる

結婚してない男は(する気のない男)、
女を配偶者と考えず、恋愛対象でしか見ない。
酷い場合は欲望の捌け口でしか見ておらず、
その辺の浅はかさが、女から見て「男はガキ」という所以である。
ようするに、女を容姿でしか見れない男はガキだという事。
容姿よりも内面を重視するようになって、
男はようやく大人になったといえるのではないだろうか?

そういう我輩は、依然として容姿重視。
20代前半の頃は『容姿9内面1』だったが、
まぁ、今は4:6くらいなので、少し大人になって来たかも。
今後は努力して3:7くらいにはなりたい。
さほどの変化でしかないが、多分、それが自分の限界だと思う

女が精神的に早く成熟するというのは、
あくまで一般的な傾向である。
やはり、中には子供っぽいというか、痛い女子もいる。
まぁ、10代後半なら仕方ないが、
25過ぎて未成熟な女は気を付けて欲しい。
『自己中』、『自虐的』、『自堕落』な傾向がある女は、
けして内面の充実した男にめぐり逢えない。
チャラい女になってチャラい男と遊んでいてはダメだ。
女子にはしっかりと大人になってもらい、
内面の充実した男と幸せな家庭を築いて欲しい。
女が大人になれば、ガキ男は駆逐され、
次第に男全体が大人になって行くだろう。

女は男の容姿をあまり気にしないから、
「美人が何でこんな男と?」という場面は多い。
反面、イケメンは大概いい女を連れている。
だから、メッチャいい男が、
とんでもないブスを連れていたらカルチャーショック!
とまで行かなくても、それなりなイケメンが、
お世辞にもキレイといえない女と一緒だったら
その男の人間性は賞賛されるべきだ。
ブサイクが美人と付き合うのがステイタスなのは当然だが、
これからの時代、イケメンが醜い女と付き合うのも
ステイタスになるかも知れん









adam_2021 at 20:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 恋愛 結婚 | 心、精神

2010年02月13日

上から読んでも下から読んでも

冬季バンクーバー五輪開幕に対して、心よりお祝い申し上げます。
とか、敬語で書いてしまって、何だか我輩らしくない。
ちなみにタイトルは意味深だと思われようが、
最後まで読めばわかるだろう。

ズバリ、今回はメダルを期待してはいけない。
「無理だから」だ。

いち早くテレビでジャンプのノーマルヒル予選を観た。
ベテランの葛西選手は105.5Mを飛び、力を見せ付けたが、
これまで5回五輪に出ていて、彼は1つのメダルも獲っていない。
6度目の正直といいたいが、可能性は薄い
現在、彼は全体のベスト10くらいに入る実力はある。
まず、上位2名のアマン選手とシュリーレンツァウアー選手は
圧倒的な力を誇っており、金、銀を持って行く確立大。
残りの銅を6〜7人で獲り合う形となるだろう。
だからちょっと厳しい。
メダルの確率は贔屓目に見ても20%を切る。
まぁ、期待出来る圏内ではあるが。

ジャンプでは伊東選手も有望。
前回トリノでは不調で悔しかっただろう。
今回は葛西選手に迫る力を出せており期待も大きい。
とはいえメダルの確率は10%程度だと思う。

ジャンプはノーマルヒル個人(90M級)、
ラージヒル個人(120M級)、ラージヒル団体がある。
中でも団体でのメダルは可能性が大きい。
日本勢は飛び抜けた選手がいなくとも、
全体の技術水準が高いので、銅には食い込むかも知れんのだ。
金と銀は、やはりノルウェーとオーストリアが堅い。

ジャンプの葛西選手よりもメダルの可能性があるのは、
女子モーグルの上村愛子選手だ。
何といっても昨年W杯のチャンピオン。
無敵の強さを発揮していた。
ただ、今年は調子に乗れず、W杯での結果は出ていない。
本来の実力をどのくらい出せるかで決まるだろう。
やはり本命は前回の金メダリスト、地元のハイル選手。
あとは今期好調の、陽気なカーニー選手か。
まぁ、色に拘らなければ上村選手が食い込む余地はある。
調子に乗れないと4位以下に沈む可能性もあり、
そうなったら日本勢全体の勢いが落ちるだろう。

モーグルでは伊藤選手も期待大。
メダル獲得は厳しいが、入賞ならば出来そうだ。
同じく里谷選手にも入賞を期待したい。
一応、長野の金メダリストなので、
本番で爆発する可能性もある。

みなさん期待の女子フィギュアは、モーグルよりはいい。
それでも浅田選手が金を獲る可能性は25%あると思う。
キム・ヨナ選手は名前通り金かな〜
その確率は50%。
安藤選手は冒険しなければ銅なら行ける。

キム選手は演技力抜群だからジャンプで無理しないだろう。
抑えて堅く金を獲りそうだ。
浅田選手は3回転半を2回決めれば金の可能性大。
でも、バクチに等しく、失敗したら銅さえ獲れない。
安藤選手はもう4回転は封印している。
演技力があるのでそれなりの成績になりそう。
やはり、ここは浅田選手に3回転半を2回成功してもらい、
キム選手にプレッシャーを与えて欲しい。
プレッシャーがミスを誘う事もあるからね。
まぁ、結局はミスを期待するしかなさそうだが

男子フィギュアは何色でもメダルを1つ獲れれば万歳だ。
高橋選手は4回転次第?
織田選手は個人的には好きなので期待するが厳しいかな?
小塚選手も地力はあるので爆発すればメダルも有り得る。
3人がかりでメダル1つを狙って欲しい。
プルシェンコ選手には挑まずに、銀か銅狙いで。

男子スピードスケートは長島、及川、加藤選手と役者揃い。
3人共に実力は充分なので、
ヘンにコケなければ誰かがメダルを獲れそう。
期待の出来る種目だと思われる

女子スピードスケートは、
『重鎮』岡崎選手には期待しない方がいい。
未だに世界に挑めるというだけでも充分だ。
今度こそ最後の五輪だろうから、思い切りやってくれ。
あと、15歳の高木選手は怖い物知らずだろうから、
爆発する可能性も僅かある。
彼女としては岡崎選手と共に闘える事が重要。
本来ならば擦れ違う年齢同士なのに、
同じ五輪の舞台にいる事自体がスゴイ!
悔いなく滑ればいいんじゃないか、お互いに。

女子カーリングはメダルとか期待しなくていい。
もし獲ったら盛り上がるだろうね。
本橋選手以外知らないので何ともいえない

なにやら日本勢は10個のメダルが目標みたいだが、
そんなのは戯言にしか過ぎん。
長野と同じ数だなんて大口叩き過ぎ
我輩の予想では金なんて獲れんよ。
何色はわからないが、5つが関の山だろう。
女子モーグル、女子フィギュア、男子スピードスケートくらいだ。
あと、上手く行けばジャンプ団体。
突然の新星が大爆発してメダルを獲る可能性も否定出来んがね。
怖い物知らずの若者に期待。

序盤に「メダルに期待してはいけない」と書いた。
理由は既出のように「無理だから」。
もう一つの訳は「メダルに期待する自体が贅沢」だと思うからだ。
以前にも書いたが、世界中から強豪が集まる大会で、
上位3番目までに入るなんてスゴイ事だぞ
世界3位以内なんて、普通入れる訳がないだろう。
いくら自信があるからといって、
簡単に「メダル」とか口に出しては、世界中の選手に失礼だ。
「メダル獲ります」とかいうのは、心の中だけにしとけ。
実際は「ベストを尽くすだけです」、
くらいの謙虚なコメントにしておいた方が競技者らしいぞ。
「メダル、メダル」いってないで、
自分の持てる力を出せればそれでいいじゃないか。
もし、獲ってしまったなら、
その時に初めて「メダル」を語るべき。

五輪というのは祭典である。
世界中から様々な選手が集まり凌ぎを削る、豪華な祭だ。
勝とうが負けようが、がんばれればそれでいい。
五輪の舞台に立てるだけで幸せだろう?
多分、殆んどの選手がそう思っている。
それを、マスコミが「メダル、メダル」と煽ってるだけ。
それに感化されて「是非、日本にメダルを」とかいう、
そういう操り人形になってはダメだ。
勝ちに拘ってるのは、
マスコミとそれに踊らされた能天気な国民だけ。
いいじゃないか、ベストを尽くしてくれれば。
それに世界レベルの技巧を見れるだけで満足せい。

だから、「メダルだめ」なんだ。
下から読んでも「めだルダメ」。



adam_2021 at 20:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 時節ネタ | スポーツ

2010年02月10日

さらば、ダークヒーロー、朝青龍よ…

相撲界は長らく危機といわれて来た。
若貴時代に比べると相撲人気自体が低くなっている。
日本人力士が不甲斐なく、上位は外国人だらけ。
協会も何やってんのかわからない
貴乃花親方が改革を叫ぶのも大いに理解出来る。

朝青龍関は歴代外人横綱最強であり、
全ての歴代横綱を含めても指折りの実力者だ。
文句なく大横綱といえるだろう。
しかし、人々はいう。
「横綱の品格に欠ける」と。
確かに素行は悪そう…。
陰では威張っているとか、弟子をイビってたとか聞くね。
怪我をして休業中、勝手にモンゴルに帰った事もあった。
優勝を決めて、土俵上でガッツポーズとか
次から次へと問題行動の連発で、
なるほど横綱の威厳というモノは感じられなかった。

「やはり外人を横綱にすべきではない」という声もある。
元大関の小錦関は、
横綱になるべき条件を満たしながら認可されなかった。
横綱になるのに充分な戦績を上げていたのに、
いざとなると協会は、外人横綱の誕生に二の足を踏んだのだ。
横綱になれずして力士になる意味がわからない。
「それなら、初めから外国人を力士にしなきゃいい」、
と当時思ったんだが、
その後出て来た曙関はしっかり横綱になっている。
「結果を出せば誰でも横綱になれなければおかしい」、
という世論が強くなって来て、
協会も従わざるを得なくなったのだろう。
小錦関には気の毒だった

「相撲は日本の文化だ、外人に理解出来ない」、
とこういう意見もあった。
全く違う文化を持つ異国からやって来れば、
日本に順応するだけでも大変なのに、
仕来りの厳しい相撲界に溶け込むのは困難。
そういう現実を知りながら、
相撲協会は外国人を招き入れる道を選んだ。
相撲人気の拡大、海外進出を果たすためには、
そういう選択は仕方がなかったんだろう。
実に遺憾である。
そう、我輩はグローバル化した相撲が嫌いなんだ。

例えば柔道なんて、世界に大勢の競技者、愛好者がおり、
オリンピックなんかでは各国から出場して来る。
以前に比べ外国勢の躍進が目立っているモノの、
それでも実際は日本人には敵わないのが現状。
それは、日本自体にも競技者が多いからだ。
層が厚いから、強い選手が生まれ続ける。

しかし、相撲はどうか?
まず相撲部のある学校が少ない。
街や地域で相撲を教える場所もない。
もちろん、オリンピックの種目にも入らず、
世界選手権なんかもないんじゃないか?
(あっても誰も知らない)
国内はもちろん、世界で大きな大会があり、
世界王者なんかがいれば盛り上がるハズ
柔道やアマレスみたいにグローバルになれば、
日本人力士の層も厚くなるってモンだ。

しかし、大相撲だけは別物であって欲しい。
世界でどれだけ相撲が普及しようとも、
大相撲に入れるのは日本人だけにして欲しかった。
そう、プロの力士は日本人だけで。
アマは世界で普及させ、別に世界選手権とかやればいいんだ。

相撲は日本の国技である。
一民族一国家の日本だけの物だ。
現在の相撲界はアメリカみたいに、
さまざまな人種と民族が混在してしまっている。
さまざまな無理と矛盾があるんだな〜

実際、上位は外国人だらけ。
欧州、特に東欧州辺りは組み技系格闘技が盛んで、
競技者が多く選手層も厚い。
基本の下地があるから、相撲を取っても強い訳だ。
しかも体格(骨格)が違う。
そしてモンゴルはモンゴル相撲という下地がある。
さらに国が貧しくハングリー精神旺盛。
日本人の現代っ子では敵わなくて当然だ。

外国人力士は、どこの国の人間でもOKな訳じゃない。
まずはハワイなどのポリネシア系、
モンゴル(アジアOK?)、そしてヨーロッパの白人だけ。
何で黒人はダメなのか?
その辺に差別を感じてしまう。
まぁ、黒人が来たら相撲界が占領されるだろうね。
彼らの身体能力は凄まじい
現にボクシングや空手なんて、黒人の天下だ。
柔道やレスリングで黒人っていないよね?
やはり、差別なんだよ。
黒人に敵わないのがイヤなんだ。
上記の理由でも、大相撲は外人NGにすべきだった。
「白人、黄色人種は良し、黒人はダメ」という矛盾が生じ、
それだけで相撲の威厳が下がった気がする。

しかしながら、我が大相撲は黒船来航を許し鎖国を解除、
外国人力士を受け入れてしまった。
OKした以上は、公平に運営して行かねばならない。
相撲界の伝統を守るという名目も判る。
でも、外国人が日本人とは違うという現実を認識すべきだ。
感性や価値観が根底から違うんだから、
さまざまな支障が生じて当然。
中には朝青龍関みたいなのがいても無理はない。

外国人を受け入れる段階で、
古くからの伝統を、ある程度変える必要もあったと思う。
朝青龍関は確かに問題児だが、
それを横綱に任命したのは協会だろう。
「厄介者は切ればいい」という安易な考え方には賛同出来ない。
あれだけの実力を持ち、相撲人気に貢献して来た男を
今回のようにバッサリやってしまうのもどうか?
外国人が大勢存在する現状に対して、
充分な指導や対策のない協会にも責任があり、
今回の騒動は、相撲界全体の恥といえるだろう

朝青龍関は、ある意味、
相撲界の問題を暴き出した貢献者といえるかも知れない。
伝統の維持とグローバル化との軋轢…。
異なる二つの価値観をどこで折り合い付けるのか?
貴乃花親方に期待が集まる訳である。

朝青龍関の活躍とさまざまな言動は、
世間の相撲への関心を大きく集めた。
実力は認められつつも、その品格には批判が絶えず、
凄く存在感のある横綱だったと思う。
そんな彼を我輩は尊敬する。
実際にはあった事がないので人間性を否定出来る立場じゃない。
ただ、歴史に残る名横綱であるのは間違いない。

力士に品格を求めるならば、
新弟子検査で筆記試験と面接でもしたらどうだ?
相撲の稽古ばかりじゃなく、相撲の精神を学ぶ時間を設け、
自覚を持って生活出来る、具体的な仕組みを作るべきだ。
もちろん、相撲協会にいる人たちも同様に。
金と権力に夢中な人間に、力士の指導は出来ないからね。

世間では、各人さまざまな意見があると思うし、
彼を激しく糾弾する人を否定はしない。
でも、我輩は彼を肯定する。
人間的には未熟らしいが、まだこれからの人生だ。
新しい舞台での活躍を期待したい

adam_2021 at 20:23|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 時節ネタ | スポーツ

2010年02月04日

単なるデカイ海苔巻き寿司

節分の頃はいつも寒い
暦の上では立春が近いんだが、そんな気配は全くなく、
今このキーボードを打つ指もカジかんでいる。
実際、ブログの更新もキツいくらいなのに、
張り切って豆撒きなんてする気力は皆無だ。

節分に豆を撒くのは昔からの習慣。
でも、スーパーに売ってるのは『殻付きピーナッツ』。
節分といえば大豆に決まってるんだが、
いつしか落花生を投げるのが一般化した。
はっきりいって何の威厳も格式もない。
大豆だと投げた後、食べるのが汚いから、
殻を剥いて食える落花生にしたんだろう。
グッドアイデアではあるがね。

鰯の頭を燻すという習慣もあるらしいが、どこだ?
毎年、この時期になると『イワシの丸干し』が出回るが、
それも節分と関係あるんだろうか?
まぁ、ゴハンのオカズにいいので喜んで食うけど

そして今回の主役、恵方巻きである。
巨大な太巻き寿司は、スーパーで一本398円だった。
ここぞと便乗して儲けようという魂胆?
でも、誰が買うか
大体、我輩の地方ではこんなモンを食う習慣などなく、
今さら食い始める気力なども有り得ぬ。
こんな寒い時期にそんな冒険はしたくない。

恵方巻きを食うのは関西の習慣との事。
みんな物心付いた時分から食ってるんだろう。
ならば、まぁ、食えばいい。
それを、他の地方の人間が食う意味なんてあるか?

日本各地には、現地の人しか知らない習慣がたくさんある。
青森なんて、お盆に墓場で弁当を食うというぞ。
(ケンミンショーで見た)
墓場で飲み食いする気になるか
いくら『めざましテレビ』が「今年の流行」とかいっても
これは難しいだろう。
でも、恵方巻きくらいなら、
いいなりになって食う人が大勢いる。
日本人は流行に弱いからねぇ
でも、意味ないよ、これ。
関西の習慣を関東でマネて何の意味があるんだい?
いや、もしかしたらスゲェ美味いのかも知れないぞ。
美味ければ食うわな。
関西発祥のタコ焼きが全国に広まったのも美味いからだ。
いや、そんなに美味なら、
節分だけじゃなくて年中食えばよろしい。
「好きな食べ物は何といっても恵方巻きだね」、
とかいう人が出て来ても不思議じゃないね。

そう考えると、これからやって来るチョコの日は?
バレンタインデイとかカッコ付けてるが、
チョコレートを売りたいだけの日だ。
バレンタインなんて西洋、キリスト教だろう。
ここは東洋のはずれ、日の本の国。
キリスト教を信じてるのは一種のマニアだけなのに、
全然関係ない連中が軽々しく、
『バレンタインさん』の名を口にする。
彼はキリスト世界では立派な殉教者。
神の存在すら認めない単細胞がホザクな
あ〜クリスマスだってそうだ。
イエスの偉大さを知りもしないで、
「メリークリスマス」じゃないっつうの。
しかしながら、これだけいっておいて
鶏の唐揚げだけはしっかり食う自分が情けない。

やはり、恵方巻きやチョコなんかやケーキだろうが、
テレビに映せば、見る人も食いたくなる。
グルメ番組でレポーターがパスタを食ってたり、
ドラマの登場人物がカレーを食っていたりすると
無性に食いたくなりコンビニに走ったりするだろう。
そもそも、食いモンのCMなんてこんな感じだ。
見てる人に食いたい気分にさせるのが狙いである。
節分とか、何か季節の行事にカコ付けて、
何やら訳のわからない物でも、
見れば食いたくなるのが人情というモノ。
節分だからとか、バレンタインだからとか、
クリスマスとか、そんなのどうでもいい。
美味いから食うって事でこれOK?

質問に答えよう。
恵方巻きは食べてないし、食べる気もない。
だって一本398円は高いよ。
そこまでして食う価値のある物には見えない。
ただのデカイ海苔巻き寿司だからねぇ。
豆やイワシは美味いから食べた


adam_2021 at 20:23|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 時節ネタ | 生活、日常
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