2009年07月06日
『軍帥論壇』予告編
「今年の7月、第四帝国が開幕する。人類が今まで持っていた常識なんかは木っ端微塵に砕け焼かれる。」(伯壬旭軍帥)
『軍帥論壇』第41回「ゲッベルス」の予告編です。
第四帝国とは?↓
軍帥論壇 ─伯壬旭談話録─第四十回「ヒトラーと第四帝國」前編
軍帥論壇 ─伯壬旭談話録─第四十回「ヒトラーと第四帝國」後編
『軍帥論壇』第41回「ゲッベルス」の予告編です。
第四帝国とは?↓
軍帥論壇 ─伯壬旭談話録─第四十回「ヒトラーと第四帝國」前編
軍帥論壇 ─伯壬旭談話録─第四十回「ヒトラーと第四帝國」後編
2007年06月27日
『沈黙の王』 〜蘇忿生・第三回
順調にペースが落ちていっております。
すっかり忘れた方もいらっしゃると思いますので、前回ご紹介した地図を再掲します。

地図の中央あたりに
有蘇氏
という后がいます。「后」は、中国古代における族長、君主の呼び名とのこと。こちらは宮城谷氏の史文を通して学ばさせていただきました。
こちらが蘇忿生の先祖にあたります。
有蘇氏は、湯王の商軍によって一度壊滅的なダメージを負いますが、のちに再興を果たします。
その後は、商王朝に臣属することなく、独立した諸后として存続し、殷周革命の蘇忿生の時代を迎えます。
そのことについては後ほど触れます。
前回、書き落としたことがありました。
夏商革命より前、夏王朝の時代を著した史文作品がありました。
「地中の火」
と言います。
おもな登場人物は、
ゲイ

と、その配下の謀臣
寒サク

です。
ゲイは、中国古代において初めて弓矢を作った人物といわれており、当然弓矢に長じ、武にすぐれた人物でした。
ゲイには、幾つか伝説があり、三皇五帝の堯の時代に地上に十の太陽が一度に出現するという異変が生じ、堯に命じられて九つの太陽を射落としたという話が有名です。
そのことで上帝の怒りに触れ、不老不死の力を奪われてしまいます。そこでゲイは西王母の元に不老不死の薬を求めて旅立ちます。
そこで不老不死の薬を手にするのですが、妻の常娥に盗まれて、不老不死となることが叶わなかった、という伝説です。
「地中の火」に話を戻します。
「地中の火」に登場するゲイは、堯の時代ではなく、堯、舜と続き、舜の後を継いだ禹王が建てた夏王朝から五代を経た時代の話です。
実は、夏王朝は一度滅んでいます。滅ぼしたのは、ゲイの謀臣・寒サクです。「地中の火」には、寒サクが后ゲイと出会い、そこで権力を伸長し、やがて夏王朝を滅ぼし、そして寒サク自身が滅ぶまでを描いています。
この「地中の火」が収められている文庫本は、
『沈黙の王』

です。
表題作である「沈黙の王」は、商王朝中興の祖と言われる
高宗武丁
のお話です。高宗武丁は、いまの漢字の元となる「文字(甲骨文字)」を創始した王です。
武丁(子昭)は、生まれつき、言葉を発することができませんでした。ですが不思議なことに神霊に対する祝りの言辞だけは、滔々と発することができます。
しかし、ある夜、父王は、夢で祖霊の怒りに触れ、王位を継がせることに困難を感じたため、子昭を在野に放つことを決意します。
ここから子昭の千里を超える苦難の旅がはじまります。その旅の中で、武勇に長けた美貌の少女「好(コウ)」と出会い、また、子昭の心の声を聞くことのできる「説(エツ)」と出会います。
説との出会い、自分のことばを理解してくれるものがいた、という子昭の驚きと喜びが活写されています。
放浪の旅を経て、ついに王位に復位した子昭は、説の口を通して「文字」を創始することを臣下に告げます。また旅の途中で出会った「好」は、正妃として迎えられ「婦好」という名で呼ばれます。
婦好の墓は、1970年代に発掘され、そこからは多数の葬送品が出土されたと言います。
商王朝は、子昭の時代に、最大の版図を獲得することになります。
続きは「沈黙の王」にて。
(つづく)
すっかり忘れた方もいらっしゃると思いますので、前回ご紹介した地図を再掲します。

地図の中央あたりに
有蘇氏
という后がいます。「后」は、中国古代における族長、君主の呼び名とのこと。こちらは宮城谷氏の史文を通して学ばさせていただきました。
こちらが蘇忿生の先祖にあたります。
有蘇氏は、湯王の商軍によって一度壊滅的なダメージを負いますが、のちに再興を果たします。
その後は、商王朝に臣属することなく、独立した諸后として存続し、殷周革命の蘇忿生の時代を迎えます。
そのことについては後ほど触れます。
前回、書き落としたことがありました。
夏商革命より前、夏王朝の時代を著した史文作品がありました。
「地中の火」
と言います。
おもな登場人物は、
ゲイ

と、その配下の謀臣
寒サク

です。
ゲイは、中国古代において初めて弓矢を作った人物といわれており、当然弓矢に長じ、武にすぐれた人物でした。
ゲイには、幾つか伝説があり、三皇五帝の堯の時代に地上に十の太陽が一度に出現するという異変が生じ、堯に命じられて九つの太陽を射落としたという話が有名です。
そのことで上帝の怒りに触れ、不老不死の力を奪われてしまいます。そこでゲイは西王母の元に不老不死の薬を求めて旅立ちます。
そこで不老不死の薬を手にするのですが、妻の常娥に盗まれて、不老不死となることが叶わなかった、という伝説です。
「地中の火」に話を戻します。
「地中の火」に登場するゲイは、堯の時代ではなく、堯、舜と続き、舜の後を継いだ禹王が建てた夏王朝から五代を経た時代の話です。
実は、夏王朝は一度滅んでいます。滅ぼしたのは、ゲイの謀臣・寒サクです。「地中の火」には、寒サクが后ゲイと出会い、そこで権力を伸長し、やがて夏王朝を滅ぼし、そして寒サク自身が滅ぶまでを描いています。
この「地中の火」が収められている文庫本は、
『沈黙の王』

です。
表題作である「沈黙の王」は、商王朝中興の祖と言われる
高宗武丁
のお話です。高宗武丁は、いまの漢字の元となる「文字(甲骨文字)」を創始した王です。
武丁(子昭)は、生まれつき、言葉を発することができませんでした。ですが不思議なことに神霊に対する祝りの言辞だけは、滔々と発することができます。
しかし、ある夜、父王は、夢で祖霊の怒りに触れ、王位を継がせることに困難を感じたため、子昭を在野に放つことを決意します。
ここから子昭の千里を超える苦難の旅がはじまります。その旅の中で、武勇に長けた美貌の少女「好(コウ)」と出会い、また、子昭の心の声を聞くことのできる「説(エツ)」と出会います。
説との出会い、自分のことばを理解してくれるものがいた、という子昭の驚きと喜びが活写されています。
放浪の旅を経て、ついに王位に復位した子昭は、説の口を通して「文字」を創始することを臣下に告げます。また旅の途中で出会った「好」は、正妃として迎えられ「婦好」という名で呼ばれます。
婦好の墓は、1970年代に発掘され、そこからは多数の葬送品が出土されたと言います。
商王朝は、子昭の時代に、最大の版図を獲得することになります。
続きは「沈黙の王」にて。
(つづく)
2007年05月30日
夏商革命 〜蘇忿生・第二回
夏商革命 〜蘇忿生・第二回
それでは宮城谷先生の作品とリンクさせながら、中国古代を辿ってゆきたいと思います。
(1)夏王朝 紀元前2000年頃〜紀元前1600年頃
夏王朝を創始したのは、
禹(ウ)
です。「大禹」とも呼称されます。黄河の治水事業に大功績を為した方で、帝舜より帝位を譲り受けることとなります。
『史記』によりますと、これより14世17代続いた、とあります。
夏王朝ではありませんが、帝舜を描いた宮城谷先生の短編があります。
『布衣の人』
という表題です。若い頃は「俊」と呼ばれていたようです。文庫で言いますと『侠骨記』(講談社文庫)に収められています。
(2)夏商革命 紀元前1600年頃
今回ご紹介する宮城谷先生の御著書は、
『天空の舟』です。

主人公は、夏王朝を打倒し、商王朝を開いた湯王(トウオウ)を輔佐した伝説的名宰相、
伊尹(イイン)
です。
当時の状況をざっと概観してみましょう。

上図は、中国大陸の全景です。
この地図では、中国大陸の広さが分かりにくいかもしれませんが、中国大陸の北東部に「華北平原」と名づけられた大平原があります。こちらは日本列島が丸ごとすっぽり収まってしまうほどの大平原です。
日本全国どこへ行っても見渡す限り大平原が広がっていると想像してみれば、その広大さがお分かりいただけるかと思います。
それでも、現在の中国の領土の10分の1に満たない広さであるわけですから、まさに巨大な大陸である、ということです。以上、余談。
さて、夏王朝は、黄河流域を治めた王朝でした。以下が拡大図です。

時は夏王朝末期です。
地図上の黒丸●は、国(邑)を表しています。
当時は、領土という概念がなく、都市が一つの「国家」を形成しており、その国を治める君主のことを「后(コウ)」と呼称していたようです。
夏王朝の王は、諸后を総攬する立場にありました。
夏王朝最後の王を
桀(ケツ)
と言います。
夏王朝に代わって台頭しつつあったのが、
商(ショウ)
です。商の王が
湯王(トウオウ)
です。宮城谷先生によれば、商は夏民族とは異なる民族で、遊牧民族であったのではないかと述べられております。
地図上に赤字で「亳」という邑を示してありますが、商民族は一ヶ所に定住することなく、しばしば遷都を繰り返していたようです。
商民族は非常に神々を畏怖する民族であり、「コトバ」の霊力を知る民族であった、とも述べられております。
また、ずばぬけて頭が良かった、とも述べられてあります。
その中での最大の発明が、
「車(兵車)」
でした。「軍」という文字には「車」という字が入っておりますが、商民族が出現する以前の中国には車は存在しておらず、軍に兵車が加えられることになったのは、商以後のことです。
商民族がどこから来たのか、というのは、また興味深い話ではあります。
話を『天空の舟』に戻します。
商王朝が夏王朝を打倒する。これは中国古代史上はじめての「革命」でありました。それは地上における王と王との戦いのみならず、夏の神々と商の神々との戦いでもあったのです。
この「革命」を為したのが湯王=伊尹のコンビでした。湯王=伊尹は、まさに理想の王=宰相であり、
むかし成湯(セイトウ)すでに命(メイ)を受く
ときにすなわち伊尹のごときあり
と後世謳われるほどでした。
続きは『天空の舟』にて。
(つづく)
それでは宮城谷先生の作品とリンクさせながら、中国古代を辿ってゆきたいと思います。
(1)夏王朝 紀元前2000年頃〜紀元前1600年頃
夏王朝を創始したのは、
禹(ウ)
です。「大禹」とも呼称されます。黄河の治水事業に大功績を為した方で、帝舜より帝位を譲り受けることとなります。
『史記』によりますと、これより14世17代続いた、とあります。
夏王朝ではありませんが、帝舜を描いた宮城谷先生の短編があります。
『布衣の人』
という表題です。若い頃は「俊」と呼ばれていたようです。文庫で言いますと『侠骨記』(講談社文庫)に収められています。
(2)夏商革命 紀元前1600年頃
今回ご紹介する宮城谷先生の御著書は、
『天空の舟』です。

主人公は、夏王朝を打倒し、商王朝を開いた湯王(トウオウ)を輔佐した伝説的名宰相、
伊尹(イイン)
です。
当時の状況をざっと概観してみましょう。

上図は、中国大陸の全景です。
この地図では、中国大陸の広さが分かりにくいかもしれませんが、中国大陸の北東部に「華北平原」と名づけられた大平原があります。こちらは日本列島が丸ごとすっぽり収まってしまうほどの大平原です。
日本全国どこへ行っても見渡す限り大平原が広がっていると想像してみれば、その広大さがお分かりいただけるかと思います。
それでも、現在の中国の領土の10分の1に満たない広さであるわけですから、まさに巨大な大陸である、ということです。以上、余談。
さて、夏王朝は、黄河流域を治めた王朝でした。以下が拡大図です。

時は夏王朝末期です。
地図上の黒丸●は、国(邑)を表しています。
当時は、領土という概念がなく、都市が一つの「国家」を形成しており、その国を治める君主のことを「后(コウ)」と呼称していたようです。
夏王朝の王は、諸后を総攬する立場にありました。
夏王朝最後の王を
桀(ケツ)
と言います。
夏王朝に代わって台頭しつつあったのが、
商(ショウ)
です。商の王が
湯王(トウオウ)
です。宮城谷先生によれば、商は夏民族とは異なる民族で、遊牧民族であったのではないかと述べられております。
地図上に赤字で「亳」という邑を示してありますが、商民族は一ヶ所に定住することなく、しばしば遷都を繰り返していたようです。
商民族は非常に神々を畏怖する民族であり、「コトバ」の霊力を知る民族であった、とも述べられております。
また、ずばぬけて頭が良かった、とも述べられてあります。
その中での最大の発明が、
「車(兵車)」
でした。「軍」という文字には「車」という字が入っておりますが、商民族が出現する以前の中国には車は存在しておらず、軍に兵車が加えられることになったのは、商以後のことです。
商民族がどこから来たのか、というのは、また興味深い話ではあります。
話を『天空の舟』に戻します。
商王朝が夏王朝を打倒する。これは中国古代史上はじめての「革命」でありました。それは地上における王と王との戦いのみならず、夏の神々と商の神々との戦いでもあったのです。
この「革命」を為したのが湯王=伊尹のコンビでした。湯王=伊尹は、まさに理想の王=宰相であり、
むかし成湯(セイトウ)すでに命(メイ)を受く
ときにすなわち伊尹のごときあり
と後世謳われるほどでした。
続きは『天空の舟』にて。
(つづく)




