相変わらず新生ホームページ製作で過去の資料やらを
押入れから出してはガサガサやっている。
文面やらデザインやら、それでなくても時間が無いから
一向に進まない。
ホンマにいつになったら終わるんや!ってな感じ・・・。
そんな中20年以上前にアダルトビデオの助監督アルバイトで
関わった台本が見つかり懐かしくしみじみした。
実は作品タイトルも忘れていたから早速、ネットで調べる。

高樹麻世の屋外診察室
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確か山梨の何処かで3日間完徹で撮りきった作品だ。
tohjiroの初期監督作品。現在の生中出し本番、ハードコア路線とは
かなり程遠く、所謂演出重視のソフトでピンク映画的なノリだった。
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僕をAVの世界に引きずり込んだ張本人は、この作品ではまだチーフ助監督
で僕より4つ年上の今やAV界の巨匠・溜池ゴロー監督であった。
僕もそのまま助監督を続けていたら今頃は業界を一世風靡した
変態エロアナル監督として名を馳せていただろうに。現に僕が当時
SODに提出した何本かの企画書がかなり酷似の映像化で現在も代表
シリーズとして残っている。そう自負するのは僕だけだが・・・。
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溜池ゴローはその後、川奈まり子と永遠にヤリまくる『プライベートセックス』を
制作し圧巻の一言だったが、その後二人が結婚するまでは知っているのだが
もう十年以上音信不通の儘になっている。
実は溜池ゴロー監督は元々、映画監督志望で
学生時代に時限爆弾を作る主人公の8ミリ秀作映画を作っている。
そして『屋外診察室』の監督TOHJIRO自身も自主映画出身である。
ついでに『屋外診察室』制作担当の人も現在では映画プロデューサーとして
活躍している。僕も含め皆な映画大好き人間の集合体だったのだ。
だからオマンコを撮影していてもそれは確実に映画だったのだ。
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この作品では僕も精神錯乱者の役でほんのチョイ役で出演している。
クランクインからクランクアップ迄、80時間足らず一睡もせず働き続けた。
それで1万円のギャラだったから時給100yen位だろうか。
撮影アップ後、六本木の事務所に戻り、簡単な打ち合わせ後、当時
住んでいた阿佐ヶ谷まで確か丸の内線だったか?泥の様に寝ながら
帰ったのを憶えている。
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上の画の美術セットは僕が夜中一人でコツコツと制作した奴で
超懐かしい。主演の高樹麻世も今頃立派な中年だろうし、何処かで
優しい母親を舞台を替えて演じているのだろうか?
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まぁ、ちょっとした僕の青春の1ぺージでした。
主役の女の子のマンコがやたらと黒かったし、寝不足でぼんやり
それを眺めながらアダルトビデオの世界には長居しないだろうとは
なんとなく感じていた。疲れマラで勃起は間違いなくしていたが・・・。
他に携わった作品はタイトルが判らないから永遠に確認は出来ないだろう。