連日、都心を中心に『zone存在しなかった命』のチラシと
ポスターを設置して頂ける施設を一人スクーターで
回っている。一人でも多くこの映画の存在と、福島警戒区域で
無惨にも死んでいった無数の命の存在を伝えるべき使命感で
泥のように駆けずり回っている。だが、同時にもうあの
孤独と絶望の中、死んでいった命達は戻っては来ない。
新宿•池袋•渋谷•上野•有楽町•六本木と繁華街を大量のチラシと
ポスターを抱え込んで、茫然と立ち尽くす時が頻繁にある。
もう、この人たちに、そして僕を含む人間たちに訴えても
仕方ないと途方に暮れる。伝えて分かるくらいなら最初から
こんな事態にはならなかったはずだ。せめて脱原発に舵を
傾けるどころか僕の目に映る日本人は皆幸せそうでなによりだ。
誰もこんな糞のような事実を知りたくもないし、こんな絶望映画も
永遠に封印するのが誰にとっても幸せなはずである。
だから、あちこちの施設の担当者に理解されず突き放されても
平然としていられる。悔しくはない。実は僕の中でも終わっている。
『こんな何処の馬の骨か知らない奴が撮った記録映画なんて!』
そう唾棄されても、ヘラヘラと笑っていられるのはそういう事である。
『存在しなかった命』とはつまり『存在しなかった映画』なのだ。