合同会社adg-ethics

映画製作者 北田直俊の活動を報告するブログです。

2012年01月

吉田陽子

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今日1月31日は昔、死んだ彼女の命日だ。
2003年、平成15年だったから早いもので9年が経ってしまった。
彼女は32歳のままで、僕は43のジジイにいつの間にかなってしまった。
彼女が生きていれば、今ごろ41のババアになっていただろう。
震災で大切な人を亡くした者は、いや、震災だけじゃなく、
様々な要因で意図せず亡くした者は、こういった今という時間が
凍りつく瞬間を永遠に繰り返し生きて行くのだろう。

前を向いて生きてゆくということは、実は過去も全て引き摺って、
歩くということなのだ。
頑張って! 未来はきっとあなたに味方するとか、雨上がりは晴れるもの
だとか綺麗事の偽善ではなく、どんよりと曇った呪縛のような忌々しい
重石そのまま受け入れて、引き摺るようなものなのだ。

綺麗事でもうひとつ。
彼女が死んで数日後に、彼女の両親から遺品整理を頼まれ、
一人で黙々と作業している時に無性に寂しく、彼女がいとおしくなり
僕は廃棄処分寸前の彼女の下着に向かって、彼女を想いながら射精した。
虚しかった。これ以上の空虚はなかったと思う。
その3年後に製作した『デモーニッシュな街から遠く離れて』において
主人公に亡くなった彼女の亡霊で自慰シーンを追加したのは
そういうことなのだ。

テレビ報道やニュースには流れないが、そういった陰で性衝動や性処理
の問題は男女を問わずかなり大きな比重を占めている。
いつまでも悲しんでいるだけではない。かと言って、理路整然と道が時間が
進むわけでもない。その中間があるのだ。
そして誰もがその中間に足を囚われるのだ。

あれから9年が経ち、『今でも君を愛している』と彼女に伝えたいところだが
あれからいろんな女性とセックスをした。恋もした。
その中には君の幼馴染で一番の親友もいたよ。
綺麗事だけでは済まされないのが現実だけど懺悔はしない。


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2012

明けまして、めでたいのかどうか判らないが2012年に
勝手に適当になりました。
昨年はとうとう人類のbeginning of the ENDの年になりました。

それはさて置き昨年公開された映画、僕のベスト1は
3,11直前に池袋で見た韓国映画『悪魔を見た』

特に猟奇殺人犯を演ずるチェ・ミンシクは凄過ぎるの一言。
現在の日本映画は、この韓国映画に比べると鼻糞以下にも
ならない。日本映画の再生の道は一度全て解体しゼロの更地に
して、もう一度、初めから始めないと他に方法はないだろう!
因みに僕のベスト韓国映画は20年以上前に中野武蔵野ホールで
見た『馬鹿宣言』で感動の余り震えが止まらなかった!

だが7月にシネスイッチ銀座で見たイラク映画『バビロンの陽光』が
『悪魔を見た』を押しのけ1位になった。

フセイン政権崩壊数週間後を描いたイラクのロードムービー。
絶望で始まり、絶望で終わるこの希望的映画を自主製作で監督した
モハメド・アルダラジーなる33歳のイラク人はイタリアの映画大学に留学経験
があるらしく、昔のイタリアリアリズムを彷彿とさせる徹底した冷徹な
描写にただただ敬服した。そして世界の人種、民族は見た目の肌の色や
言語、宗教、血、DNAで区別、分けるのではなく、それらには何の意味も無く
この映画に感服するか、何も感じないか、笑うか、唾棄する人間かに
分けたほうがよっぽど有意義だ! それが真の人種だ。

だが11月に錦糸町TOHOCINEMASで見た『猿の惑星:創世記』が
上記2作を抜いてベスト1になった。僕は映画を見ている間10分置きに
時計を見るのが癖になっているのだが、いやいや、エンディングまで
一度も時計を見なかったのは生涯で初めてであった。
このような映画を作るのが夢だった。
全て全てパーフェクトだった。
人間描写も満点だ!これが人間であり、これ以下でもこれ以上でもない!
理不尽に苛め抜かれた主人公のシーザーが、その暴力の主に向かって
『NO!』と人類言語で絶叫するシーンは鳥肌ものだった。
下敷きになった『猿の惑星・征服』で電気台拷問に遭ったシーザーが悲鳴の
後に力無く『やめてー』と呟くシーンとは対照的で人類の築き上げてきた文化
営み、倫理観、社会、その他全てにおいての『NO!』なのだ!
そして僕も人間である自身を軽蔑しつつ人類に対して心から『NO!』
を突きつけてやった。

『NO!』だ。『NO!』だ。
別に今の噓吐きペテン、キチガイ首相に言ってる訳じゃない。
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