昨年のニュースで恐縮だが、今日知人から聞いてビックリしたのが
曽根中生監督が生きているという事実。
てっきり東京湾にコンクリと一緒に沈められてると信じていた。
好きな映画監督だった。
下らない題材でも見せ切る映画に仕上げる職人監督だった。
僕は基本的には職人監督を見下しているが、この監督は
別格だ。尊敬している。以下↓ 九州のニュース記事
↓
大分のニュース
臼杵にいた 伝説の監督「曽根中生」さん
[2011年08月24日 14:24]
.「法世さんや光石君に会うのが楽しみ」と話す曽根義忠さん
![images[1]](https://livedoor.blogimg.jp/adg_movie/imgs/2/a/2a5dcc27-s.jpg)
日活の映画監督として昭和の映画界で活躍した「曽根中生」こと曽根義忠さん(73)が、由布市湯布院町で開かれる第36回湯布院映画祭のシンポジウム(26日)にゲスト参加する。映画界からこつぜんと姿を消し、失踪や死亡のうわさも流れていた“伝説の人物”。現在は臼杵市で物作りに携わりながら暮らしており、「少しでも映画祭を盛り上げる助けになれば」と約20年ぶりに表舞台に立つ。
26日、湯布院映画祭にゲスト参加
曽根さんは群馬県出身。漫画が原作の「嗚呼(ああ)!!花の応援団」シリーズや「夜をぶっとばせ」などの名作を残し、鈴木清順監督らと脚本家集団を立ち上げたことでも知られている。
1960年代から80年代まで多くの作品に携わったが、経営する映画関係の会社が倒産したことから、90年ごろ映画界を離れた。
その後は「ずっと臼杵にいたよ」と曽根さん。知人の紹介で臼杵に移り住み、ヒラメ養殖の仕事に就いたという。
人の縁に恵まれ、物作りにも挑むようになり、環境に配慮した燃料の製造装置などを共同開発して特許を取得。現在は会社役員として、装置の研究などに取り組んでいる。
「映画に絶望し、映画と断絶しなければ身が持たなかった。昔の自分は今の自分ではない。昔の自分は海の上に浮かんでいるのかもしれないねえ」と曽根さん。「漂着した人間に対する地域の人々の温かい心に支えられた」と話す。
スタッフが捜し当てる
今回の映画祭で、自身が監督を務めた「博多っ子純情」(78年)の上映が決まり、スタッフがつてを頼りに曽根さんを捜し当てた。原作者の長谷川法世さん、主演した光石研さんもゲストに名を連ねている。
シンポジウムは午後3時15分から湯布院公民館で。曽根さんは「何を話すかも決めていない。(久しぶりで)おっかない気持ちもある」としながらも、「法世さん、光石君に会うのが楽しみ」と当日を待ち望んでいる。
以上が記事内容・・・。
映画を撮ることだけが映画監督じゃない。
世界中のクソ映画監督連中に言いたい。
特に日本のアホ連中には声を大にして言いたい。
映画監督という生き方があるのだ。
更に言えば、何の能無しを自覚せずに子供に無慈悲な教育を
教え込む教職員ばかりじゃないみたいに・・・。
なんだか幼少期から思春期に抱いていた大人達の糞だらけの嘘が
この歳になって益々、増殖して鼻に付く。
なぜだろう?
曽根中生監督が生きているという事実。
てっきり東京湾にコンクリと一緒に沈められてると信じていた。
好きな映画監督だった。
下らない題材でも見せ切る映画に仕上げる職人監督だった。
僕は基本的には職人監督を見下しているが、この監督は
別格だ。尊敬している。以下↓ 九州のニュース記事
↓
大分のニュース
臼杵にいた 伝説の監督「曽根中生」さん
[2011年08月24日 14:24]
.「法世さんや光石君に会うのが楽しみ」と話す曽根義忠さん
![images[1]](https://livedoor.blogimg.jp/adg_movie/imgs/2/a/2a5dcc27-s.jpg)
日活の映画監督として昭和の映画界で活躍した「曽根中生」こと曽根義忠さん(73)が、由布市湯布院町で開かれる第36回湯布院映画祭のシンポジウム(26日)にゲスト参加する。映画界からこつぜんと姿を消し、失踪や死亡のうわさも流れていた“伝説の人物”。現在は臼杵市で物作りに携わりながら暮らしており、「少しでも映画祭を盛り上げる助けになれば」と約20年ぶりに表舞台に立つ。
26日、湯布院映画祭にゲスト参加
曽根さんは群馬県出身。漫画が原作の「嗚呼(ああ)!!花の応援団」シリーズや「夜をぶっとばせ」などの名作を残し、鈴木清順監督らと脚本家集団を立ち上げたことでも知られている。
1960年代から80年代まで多くの作品に携わったが、経営する映画関係の会社が倒産したことから、90年ごろ映画界を離れた。
その後は「ずっと臼杵にいたよ」と曽根さん。知人の紹介で臼杵に移り住み、ヒラメ養殖の仕事に就いたという。
人の縁に恵まれ、物作りにも挑むようになり、環境に配慮した燃料の製造装置などを共同開発して特許を取得。現在は会社役員として、装置の研究などに取り組んでいる。
「映画に絶望し、映画と断絶しなければ身が持たなかった。昔の自分は今の自分ではない。昔の自分は海の上に浮かんでいるのかもしれないねえ」と曽根さん。「漂着した人間に対する地域の人々の温かい心に支えられた」と話す。
スタッフが捜し当てる
今回の映画祭で、自身が監督を務めた「博多っ子純情」(78年)の上映が決まり、スタッフがつてを頼りに曽根さんを捜し当てた。原作者の長谷川法世さん、主演した光石研さんもゲストに名を連ねている。
シンポジウムは午後3時15分から湯布院公民館で。曽根さんは「何を話すかも決めていない。(久しぶりで)おっかない気持ちもある」としながらも、「法世さん、光石君に会うのが楽しみ」と当日を待ち望んでいる。
以上が記事内容・・・。
映画を撮ることだけが映画監督じゃない。
世界中のクソ映画監督連中に言いたい。
特に日本のアホ連中には声を大にして言いたい。
映画監督という生き方があるのだ。
更に言えば、何の能無しを自覚せずに子供に無慈悲な教育を
教え込む教職員ばかりじゃないみたいに・・・。
なんだか幼少期から思春期に抱いていた大人達の糞だらけの嘘が
この歳になって益々、増殖して鼻に付く。
なぜだろう?
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