以前、夜勤のトラックドライバーをしていた頃に何気なくつけた深夜ラジオで流れていたお話なんですが、何の番組かは忘れましたが、たぶん宗教絡みかな?
だから前後はすっ飛ばしですが、僕が惹きつけられた話の要は、巣箱の中にミツバチが居ます。その巣箱は農家の一室に置かれています。その農家はある小さな村のあります。その村は日本の一部にあります。日本は地球という星の一部にあります。その地球は大銀河の一部です。銀河は宇宙の一部です。では、その宇宙は何処に存在しているかと言うと、一匹のミツバチの中に存在するのですという話です。小も大を兼ねると宇宙の理に整合がつく様な直感に見舞われたのですが、宇宙の誕生直前のビッグバンには物質・質量・空間がゼロに限りなくなった時にエネルギーが最大になるという摩訶不思議な矛盾した宇宙相対性理論にも頷けるのです。

大袈裟な展開ではなく、なぜこの話を取り上げたかというと、僕は映画を撮っていて人間描写といいますか社会を描く時に心がけている事があります。先の話じゃないけれど、人は大と小を分けたがります。物事の現象や人間の性質もそうです。でも僕はこう考えます。汚れの中に美は存在し、争いの中に平和があり、嘘の中に真実はあり、悪の中に愛は存在すると。人間も同じように、自分の負の部分を隠して人は成長してゆきます。その人間を知りたい時、僕は、その人の見えてくる逆を見る癖がつきました。100%ではありませんが、その人の真逆を見れば、その人が見えてくる筈です。

僕の映画が分かりずづらいのは、多分そういった事を前提に描写しているからでしょう。勝手な解釈ですが、昔では川島雄三がその種の映画を撮られていたような気がします。最近では『キャシャーン』ですね。人が人を愛し続ける故、歴史から戦争は途絶えないというジレンマを旨く描いていました。

テレビや映画はたかだか2時間の時間潰しだから、そんな人物設定にしちゃうと観客は混乱するだけという論理は重々承知だが、みんな右習えだと自分の将来を犠牲にしてまでも映画界に一石投じようと、実は長江のような大河に小石を放り投げているだけの現実に落胆するばかりなのだが。

でも、まぁ『1億の日本人対自分だ』と戦局を嘆いた孤高の詩人・金子光晴に習えである。同時代に治安維持法違反で投獄されたこれまた孤高の映画監督・亀井文夫にも習えだ!(ワシ自身が人に習ってばっかりやん)

0415hachi2[1]