前回の記事に「義務(公共)教育の目的を【そもそも】を取り違えているのです(この話は、また次回(*´∀`*)
と書いてしまったので、忘れないうちに。。。

ただ、そもそも論ですので(^_^;)
身も蓋もないお話です

義務教育、つまりは小学校と中学校の教育の目的です

綺麗に表現すると
「心を育てる」

難しく表現すれば
「生きる力を育む」
ということになります。

分かりにくいですよね~
我が子が関わった、小学校の先生のみ限定の経験ですが
小学校の先生は、人格も能力もバラつきが激しいです(^_^;)

人格でいえば。。。
人として、「この人は凄いな~」とこちらがビックリします。
その凄さは、『敬意をもつ』『軽蔑(呆れ)する』の二極化です

間が無いと感じました。

宮沢賢治が小学校の先生だった頃には、前者だけだったのでしょう。
徐々に、【普通の人】も小学校の先生になってしまえる時代になり
現在は、『普通の人』は小学校の先生にはならないようです(^_^;)

さて、能力とは。。。。
これは、多岐に渡ります
もし、小学校の目的が『学問の伝授』であったならば
教師の能力=偏差値の高さ
になるのでしょう。

しかし、小学校の先生になるための大学の偏差値は
日本の最高峰の偏差値ではありません(^_^;)
国立だったとしても、小学校の先生になるために卒業する大学は
最高峰では無いのです。
尚且つ、TOPの成績を取れる学生が、小学校の先生の免許を取得した後に現場の教員になることは、珍しい。。。。

 それなりの大学で優秀な成績の学生は、小学校の先生という選択肢は選びにくいのでしょう
(小学校の先生に、保護者が出身大学を訊くという笑い話をよく聞きますが、愚問です(ノ∀`)勉強の得意な人と頭の良い人は、そもそも教員にはなりません)

では、小学校の先生の能力=教える上手さ
と考えるとどうでしょうか?

 出身大学の偏差値はあまり、関係ないのかもしれません
落ちこぼれや、留年・浪人経験者の方が適性を持っている可能性もあります。


 そもそも。。。。小学校は、具体的には
何を学ぶところなのでしょうか?


勉強をするところだと信じて疑わなかったわたしは、
我が子が小学生になって心底迷ってしまいました。

小学校受験の対策をオムツの頃からして・・・・
現実のご縁をいただいた小学校の、校長らは首をかしげるような人格者でした。

 そして、地域の小学校へ行ってみると
保護者間での隠語では「当たり」は一人か、二人。。。。
「大丈夫かな?」がほとんどで
「ハズレ」が数人・・・・安心できる普通が居ないのです

一体、どうなっているんだろう?


そして、当たりを2年。ハズレを数ヵ月体験して気がついたのです。

 小学校は、今の大人の社会を教えているのです

子どもたちが生きる未来の日本を教えているのではなく
今の、日本の社会を教えています。


この教え方は、『盗み取れ』的な師弟教育法です

ボーっとそこにいただけでは、学べません。
『生きる力』の目指す処は【生き残る力】です

例えば、数年前のヒット曲に「No.1にならなくてもいい~」という歌詞がありました。
その少し前には、小学校の運動会の徒競走でみんなで手をつないでゴールするという珍事が起こりました(ノ∀`)
国会議員さんは「一番じゃなきゃダメなんですか!二番じゃどうしてダメなんですか!」と叫んでいました(^_^;)

 しかし現実には、今やどこへ行っても主導権争いです。
SNSなんか凄まじい一番争いが、続いています。

教えていることと、現実はここまで違うのです・・・



ただ、生きるのではなく
主体的に自分の人生を切り開いて、生き続けることが目的です。

それには、当然ですが《センス(感覚)》が不可欠です

センスは、大人になってから習得することは難しいのです
ある程度の訓練で、コツをつかむのは幼いうちの方が有利です。

それが小学校のうちということなのだと、わたしは思います。



こう考えると『指導要領』が全てが解せるのです。

まず、どうして東大卒の小学校の先生が希少なのか?
ちなみに、わたしは勤務校で何回か東大卒の先生にあっています。
高校には居て、小学校には居ないもの・・・・その理由は、納得できます


 宿題をやらなくてはいけない理由も、訓練の一環だからです

意地の悪い先生に従わなくてはいけないのも、訓練の一環です

教え方の下手な先生の授業に、付き合わなくてはいけないのも、訓練ですし

たまに、バカげたことを強要する先生の指導に付き合うのも、同様です。


 社会に出たら、自分のやりたいことだけをやっていては、生きていけません
好ましい人間関係の中でだけ生きていくのは、不可能です
自分の理想や要求が通らない現実を目の当たりにして、どう対応していくか?
そして、どう改善していくか?

『生きる力』を前面に押した結果がココにあります。


 意地の悪い級友や、たちの悪い保護者をどうかわすのか?
理不尽な先生の顔色を読み、適切な対応をいち早く見定める

ある程度の偏差値の高校へ通ることたちが、共通に持っている能力です。
これらを学ぶのに最適な環境が、今の小学校にはあります。

 今の小中学校は、キッチリとその役割を果たしています。


 学問、つまり勉強は、自習でも家庭学習でも絶対に可能です。
 点数を、確実にそして早く取りたいのであれば
テクニックを塾で思えればよいのです。

学問もテクニックもどちらも、小学校中学校に求めても、時間がもったいないと思います。
そんな事に時間を割いている間に、子どもは大人になってしまうからです。

 偏差値の高い高校大学に入っても、幸福感を味わえる保証はありません。
しかし、偏差値の低い高校へ入学したら、楽しい毎日になるかというと、それもわかりません。

本人が、自分の納得のできるような人生を掴み取っていかなければ、幸福感を感じることはありません。

今の小中学校は、キッチリとその役割を果たしています。


残る要素は、親次第・・・・(*´∀`*)