二週間ほど前に、ようやく趣味ができたYASUKOです。

笑い話のような真面目話ですが、わたしには趣味がありませんでした。
というか、「仕事が趣味」で大満足していました。

教師という仕事は、本を読んでも仕事の準備(研修)になりますし、
TVを見てもそうですし、
旅行でその土地の郷土や風土や歴史を知ることも仕事へつながります。

人に会うことも同様です。

結局は、ほとんどの行動が生徒へ返せる知識と経験になります。


 そんな生活が24年近く続き、仕事以上に楽しいことがなくなりました。
それが、今月の中旬にテマリに出逢ってしまいました(^O^)
IMG_20180814_102009何だかもう、寝ても覚めてもテマリです。

いただいたお菓子ですら、食べるより先に
「この柄をマリに刺すならどこから縫おう?」と考える始末です

そんなですから、授業のないことをいいことに、夜中の1時まで毎晩マリを作っていました~


こんなに、何かに寝る時間も惜しんで熱中したのは、何十年ぶりでしょうか。

19か二十歳が最後だったような気がします。


 そんな先日。。。。里でちょっとしたアクシデントがありました。

その時も、マリを刺していたのですが。。。。

ベロベロに酔っ払った兄から電話が来て、それはそれは罵られました。
「カスがよぉ」「てめぇよぉ~」「この野郎!黙ってろよ」などなど・・・(ちなみに、酒乱でもアルコール依存性でもありません)

小学校の時はに、兄には罵倒されていました。
夕食に取り分けられたわたしの分の肉を「カスに食わせるものはない」と言って取り上げられた事もありました。

それが、アイスだったりお菓子だったり、お金だったりしました。
(だから、わたしはアイスやお菓子を食べる習慣が今でもありません)

親はどこまで気がついていたのでしょうか。

容認なのか?黙認なのか?

兄を止める事はありませんでした。。。。
(わたしが子を生してからは
自分の娘をカス呼ばわりされて、黙っている母親の神経が理解できませんが。)



養育されているうちは、耐えるしかないのです。
(さすがに、書いてしまうと犯罪行為も含まれるので書けませんが(^_^;)

ずっと「何をされても仕方がない」と自分を納得させてきました。



そうはいっても、50歳を過ぎたあたりから『縁を切りたい』と思うようになりました。
不思議なものでわたしの嫌悪の対象は、助けてくれなかった母に向いたのです。

加害者達ではなく、傍観者がもっとも罪深く感じるのです。

そして、今回の兄からの罵倒をその場で聞いていた母は、やはり止めませんでした。

「またか。。。」と聞きながら感じては、いました
電話が終わった後。。。。わたしは、考えることを止めました。

「自分が今。何を感じているのか?」そんな事を考えても無力なことが人生にはあるのです。

それまでの思考では、絶対に有り得なかったマリを作り始めました。

もみ殻を木綿糸で巻いて球にします。

それに、刺繍をしていくのです。概ね4時間以上はかかります。
手間をかける気であれば、12時間以上は針を持っています(^O^)


翌朝。。。マリをみて笑ってしまいました。


理不尽なイジメから抜け出すことって、こんなに簡単な事だったんですね

わたしは、家族に受け入れてもらわなければ
生きていけない
と信じていました。

自分が、無力で無用だから、邪魔にされるんだ と思っていました。

人の何倍も努力して、人のやらない忍耐もして、何としてでも親と兄たちに褒めてもらいたいと願っていました。


 去年の夏も母と一緒に里帰りした母の里で、母に責められました。
その夜は、情けなくて。。。。。惨めで、虚しくて
悲しくて、久しぶりに声を上げて泣きました
帰宅してから、1ヶ月以上も立ち直れませんでした。

成人してからも続く罵倒に、自分には生きている価値がない
何度か思ったことがあります。

それが、50歳も過ぎてからも70歳も過ぎた母にされると
さすがに『縁を切りたい』と思うようになりました。

 母や兄と関わっていては、我が子に正常な親子関係を伝えることが出来なくなると、判断しました


 そのこともあり、今年は母の里へは行きませんでした。


そんなこんなの今年は、理不尽な罵声にも
怒ることも、泣くことも、落ち込むこともありませんでした。

その代わりに、可愛いマリが完成していました。IMG_20180828_152936

アドラー心理学では、褒めない育児を薦めています
同時に、叱らない育児を薦めています

わたしは、学者でも医者でもありませんので
真実は分かりませんが

一人の経験者として思うことがあります。


もし、あの時・・・・
母が兄を叱ってくれたのならば。。。。

もし、あの時・・・・・
母がわたしを認めてくれていたのならば・・・・

わたしは、もっと気楽な人生を歩んでいたのかもしれません



しかし、人生に「もしも」存在しないのです

わたしは、どの道を通ってもここに立っていたのだと思います(^O^)




わたしは、
わたしの見てきたもので
わたしの感じてきたことで
後悔のない子育てをするだけです


さて。。。と!!!